図書カード:半七捕物帳

作品名: 半七捕物帳
作品名読み: はんしちとりものちょう
副題: 05 お化け師匠
副題読み: 05 おばけししょう
著者名:
岡本 綺堂 

この作品を今すぐ読む

作品データ

分類: NDC 913
作品について: 嘉永7(1854)年7月の10日、酸漿市で知られる浅草観音の四万六千日の朝、下谷御成道の長屋で踊りの師匠水木歌女寿が蛇に巻き殺されていた。歌女寿は姪の歌女代を養女にして芸を仕込んでいたが、体の弱い歌女代が旦那取りを嫌がったのを根に持ってこき使い、一年前に病死させていた。その歌女代の幽霊の噂から「お化け師匠」と呼ばれるようになった歌女寿、ちょうど若師匠の一周忌に…人々はとうとうお化け師匠が呪い殺されたと囁きあうが、半七の眼は事件の裏面をしっかり見抜いていた。(ぷんきゅのちち)
ぷんきゅのちちさんによる、より詳細な解説はこちら
wikipediaアイコン半七捕物帳
文字遣い種別: 新字新仮名
備考:

作家データ

分類: 著者
作家名: 岡本 綺堂
作家名読み: おかもと きどう
ローマ字表記: Okamoto Kido
生年: 1872-11-15
没年: 1939-03-01
人物について: 劇作家、小説家。本名は敬二、別号に狂綺堂。イギリス公使館に勤めていた元徳川家御家人、敬之助の長男として、東京高輪に生まれる。幼くして歌舞伎に親しみ、父の影響を受けて英語も能くした。東京府立一中卒業後、1890(明治23)年に東京日日新聞に入社。以来、中央新聞社、絵入日報社などを経て、24年間を新聞記者として過ごす。この間、1896(明治29)年には処女戯曲「紫宸殿」を発表。岡鬼太郎と合作した「金鯱噂高浪(こがねのしゃちうわさのたかなみ)」は、1902(明治35)年に歌舞伎座で上演された。江戸から明治にかけて、歌舞伎の台本は劇場付きの台本作家によって書かれてきたが、明治半ばからは、坪内逍遥ら、演劇界革新の担い手に新作をあおいだ〈新歌舞伎〉が台頭する。二世市川左団次に書いた「維新前後」(1908年)、「修禅寺物語」(1911年)の成功によって、綺堂は新歌舞伎を代表する劇作家となった。1913(大正2)年以降は作家活動に専念し、生涯に196篇の戯曲を残す。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物を原著でまとめて読んだのをきっかけに、江戸を舞台とした探偵小説の構想を得、1916(大正5)年からは「半七捕物帳」を書き始めた。
wikipediaアイコン岡本綺堂

底本データ

底本: 時代推理小説 半七捕物帳(一)
出版社: 光文社時代小説文庫、光文社
初版発行日: 1985(昭和60)年11月20日
校正に使用: 1986(昭和61)年12月1日第5刷

工作員データ

入力: tatsuki
校正: 湯地光弘