図書カード:半七捕物帳

作品名: 半七捕物帳
作品名読み: はんしちとりものちょう
副題: 23 鬼娘
副題読み: 23 おにむすめ
著者名:
岡本 綺堂 

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作品データ

分類: NDC 913
作品について: 文久元(1861)年7月20日の朝、半七の家に馬道の庄太が駈け込んできた。前日の六つ半(午後7時)ごろ、台所で行水をつかっていた庄太の隣家の娘お作が、何者かに喉笛を啖い破られて殺されたのである。馬道近辺では、半月ほど前から、白地の手拭に白地の浴衣の若い女が出没し、すでに二人の女が喉笛を啖い切られて死んでいるのだ。鬼婆で名高い浅茅ヶ原に近いだけに、白い浴衣の鬼娘が生贄を求めてさまよっているのだろうか? 現場に向かう途中、浅草寺の境内で奉納の鶏を盗んだ男が袋叩きにあっているのを見て、半七は事件の糸口をつかんだ。(ぷんきゅのちち)
ぷんきゅのちちさんによる、より詳細な解説はこちら
wikipediaアイコン半七捕物帳
文字遣い種別: 新字新仮名
備考: この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫)

作家データ

分類: 著者
作家名: 岡本 綺堂
作家名読み: おかもと きどう
ローマ字表記: Okamoto Kido
生年: 1872-11-15
没年: 1939-03-01
人物について: 劇作家、小説家。本名は敬二、別号に狂綺堂。イギリス公使館に勤めていた元徳川家御家人、敬之助の長男として、東京高輪に生まれる。幼くして歌舞伎に親しみ、父の影響を受けて英語も能くした。東京府立一中卒業後、1890(明治23)年に東京日日新聞に入社。以来、中央新聞社、絵入日報社などを経て、24年間を新聞記者として過ごす。この間、1896(明治29)年には処女戯曲「紫宸殿」を発表。岡鬼太郎と合作した「金鯱噂高浪(こがねのしゃちうわさのたかなみ)」は、1902(明治35)年に歌舞伎座で上演された。江戸から明治にかけて、歌舞伎の台本は劇場付きの台本作家によって書かれてきたが、明治半ばからは、坪内逍遥ら、演劇界革新の担い手に新作をあおいだ〈新歌舞伎〉が台頭する。二世市川左団次に書いた「維新前後」(1908年)、「修禅寺物語」(1911年)の成功によって、綺堂は新歌舞伎を代表する劇作家となった。1913(大正2)年以降は作家活動に専念し、生涯に196篇の戯曲を残す。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物を原著でまとめて読んだのをきっかけに、江戸を舞台とした探偵小説の構想を得、1916(大正5)年からは「半七捕物帳」を書き始めた。
wikipediaアイコン岡本綺堂

底本データ

底本: 時代推理小説 半七捕物帳(二)
出版社: 光文社時代小説文庫、光文社
初版発行日: 1986(昭和61)年3月20日
校正に使用: 1997(平成9)年3月20日第11刷

工作員データ

入力: tatsuki
校正: 曽我部真弓