図書カード:哀しき父

作品名: 哀しき父
作品名読み: かなしきちち
著者名:
葛西 善蔵 

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作品データ

分類: NDC 913
作品について: 1922(大正11)年発表の処女作品である。場末の下宿屋で孤独な作家である父が、生活苦のために郷里青森へ帰した子への思いを描いた短編小説である。子と同居したときに買っていた金魚を街中で見かけたときのわが子への思いの哀切、梅雨時の崖下の陰鬱な下宿屋、病気に苦しむ下宿人、貧困な学生、買春する男と買春する近所の主婦、病院へ担ぎ出される瀕死の下宿人、挙句には自分の喀血など、自己の周辺が雰囲気を持って描き出される。ただ、私小説とは言いながら、最後の喀血は虚構という。(林田清明)
文字遣い種別: 新字旧仮名
備考:

作家データ

分類: 著者
作家名: 葛西 善蔵
作家名読み: かさい ぜんぞう
ローマ字表記: Kasai Zenzo
生年: 1887-01-16
没年: 1928-07-23
人物について: 1887(明治20)年1月16日、青森県弘前市松森町に生まれる。幼少の時、一家での北海道、青森・五所川原や南津軽郡碇ヶ関村などに転居した。碇ヶ関尋常小学校補修科を卒業後、単身上京するも帰郷し、北海道で鉄道車掌、営林署勤務などをした。1905(明治38)年に再び上京、哲学館(現東洋大学)で聴講生となるが、1908(明治41)年、徳田秋声に師事した。郷里で結婚したが単身上京して、作家を目指した。大正元年、広津和郎や谷崎精二らと同人雑誌「奇蹟」を創刊し、葛西歌棄の名で処女作『哀しき父』を発表した。生活苦などのためその後も別居・同居(東京・郷里の往復)を繰り返した。葛西は「自己小説」と呼ぶ私小説の文学像を追求し、『雪をんな』・『贋物』(いずれも大正6)などを発表した。大正7年の『子をつれて』が評判を呼び、大正11年頃までが全盛期となった。とくに『椎の若葉』や『湖畔手記』(いずれも大正13)などは詩情があり、哀愁ある心境に達した作品となっている。借金、酒浸り、病苦のあげく、家庭を捨て芸術至上へと向かう破滅型の自己小説は、作者への共感や一種の信仰を生んだ面がある。題材は貧困と鬱憤の中で狭いものの、感傷やユーモアも捨てがたい魅力となっている。結核のため体調は悪化し、1928(昭和3)年7月23日、世田谷三宿で41歳で死去した。嘉村磯多らとも親交があった。葛西善蔵全集全5巻(改造社)ほかがある。
wikipediaアイコン葛西善蔵

底本データ

底本: 現代日本文學大系 49 葛西善藏 嘉村礒多 相馬泰三 川崎長太郎 宮路嘉六 木山捷平 集
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1973(昭和48)年2月5日
入力に使用: 1973(昭和48)年2月5日初版第1刷

工作員データ

入力: 林田清明
校正: 松永正敏