作品名: | 西洋人情話 英国孝子ジョージスミス之伝 |
作品名読み: | せいようにんじょうばなし えいこくこうしジョージスミスのでん |
著者名: |
三遊亭 円朝 |
作品データ
分類: | NDC 779 913 |
作品について: | 元前橋藩の重役春見丈助は、明治維新の後東京で宿屋をしていたが、武士の商法でうまくいかず、生活苦に陥っていた。そんなある日、以前出入り町人だった清水助右衞門が新たに商売を始めるため、三千円という大金をもってやってきた。魔が差した丈助は助右衞門を殺してその金を奪い、それを元手に始めた商売は順調でいつしか丈助は大店のあるじとなった。一方助右衛門の家族は借金の方に家屋敷を取られ、東京へと流れてくる。明治期に流行した翻案物の落語版。 春陽堂版「圓朝全集」の編纂に当たった鈴木行三氏によれば、「外国の物を日本に引直して、然も明治初年の世相をかなり細かに写してある点だけでも、当時の状態を研究する者の参考になるべきものであります。(中略)九代目市川團十郎が圓朝物を演じたのは、この孝子伝の春見丈助だけであります。」と言う。(小林繁雄) |
文字遣い種別: | 新字新仮名 |
備考: |
作家データ
分類: | 著者 |
作家名: | 三遊亭 円朝 |
作家名読み: | さんゆうてい えんちょう |
ローマ字表記: | San’yutei Encho |
生年: | 1839-05-13 |
没年: | 1900-08-11 |
人物について: | 江戸から明治への転換期にあって、伝統的な話芸に新たな可能性を開いた落語家。本名は出淵次郎吉(いずぶちじろきち)。二代三遊亭圓生門下の音曲師、橘屋圓太郎(出淵長藏)の子として江戸湯島に生まれ、7歳の時、子圓太を名乗って見よう見まねの芸で高座にあがる。後にあらためて、父の師の圓生に入門。母と義兄の反対にあっていったんは落語を離れ、商家に奉公し、転じて歌川国芳のもとで画家の修行を積むなどしたが、後に芸界に復帰。17歳で芸名を圓朝に改め、真打ちとなる。まずは派手な衣装や道具を使い、歌舞伎の雰囲気を盛り込んだ芝居噺で人気を博すが、援助出演を乞うた師匠に準備していた演目を先にかける仕打ちを受けたのを機に、「人のする話は決してなすまじ」と心に決める。以降、自作自演の怪談噺や、取材にもとづいた実録人情噺で独自の境地を開き、海外文学作品の翻案にも取り組んだ。生まれて間もない日本語速記術によって、圓朝の噺は速記本に仕立てられ、新聞に連載されるなどして人気を博す。これが二葉亭四迷らに影響を与え、文芸における言文一致の台頭を促した。大看板となった圓朝は、朝野の名士の知遇を得、禅を通じて山岡鉄舟に師事した。![]() |
分類: | 校訂者 |
作家名: | 鈴木 行三 |
作家名読み: | すずき こうぞう |
ローマ字表記: | Suzuki Kozo |
没年: | 1962-02-03 |
底本データ
底本: | 圓朝全集 巻の九 |
出版社: | 近代文芸資料複刻叢書、世界文庫 |
初版発行日: | 1964(昭和39)年2月10日 |
底本の親本: | 圓朝全集 巻の九 |
出版社: | 春陽堂 |
初版発行日: | 1927(昭和2)年8月12日 |
工作員データ
入力: | 小林繁雄 |
校正: | かとうかおり |