図書カード:玄海灘密航

作品名: 玄海灘密航
作品名読み: げんかいなだみっこう
著者名:
金 史良 

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作品データ

分類: NDC 914
初出: 「文芸首都」1940(昭和15)年8月号
作品について: 1940(昭和15)年8月、保高徳蔵主宰の同人誌「文芸首都」に掲載。なお、前年、ほぼ同内容の朝鮮語の随筆「密航」が朝鮮日報社の雑誌「朝光」に本名(金時昌)で発表されている。1931(昭和6)年、平壌高等普通学校在学中に反日学生闘争の首謀者とされ退学になった著者が北京への留学を志したがかなわず、釜山から日本へ密航を計画した時の心境を綴っている。(大野 裕)
文字遣い種別: 新字新仮名
備考: この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫)

作家データ

分類: 著者
作家名: 金 史良
作家名読み: きむ さりゃん
ローマ字表記: Kim Sa-ryang
生年: 1914-03-03
没年: 1950
人物について: Kim Sa-riang。1914(大正3)年3月3日、日本の統治下の朝鮮、平壌(ピョンヤン)の裕福な家庭に生まれる。本名は金時昌。1931(昭和6)年、平壌高等普通学校五年生に在学中、朝鮮各地で起こっていた反日学生闘争に呼応する同盟休校事件に関与し、退学となる。その後、日本に渡り、旧制佐賀高等学校に入学したころから、執筆活動を開始。東京帝国大学卒業と相前後して執筆した「光の中に」が 1940(昭和15)年前期の芥川賞候補作となる。1941(昭和16)年12月、日米開戦とともに拘束、翌年、釈放後、朝鮮に帰る。1945(昭和20)年春、日本軍に徴用された朝鮮出身兵の慰問団の一員として中国に赴いた際、脱出し、朝鮮義勇軍に参加。1950(昭和25)年、朝鮮戦争が勃発し、アメリカ軍の上陸に遭って朝鮮人民軍が撤退する中、持病の心臓病が原因で行方不明となり、死亡したと推定されている。代表作は「光の中に」のほか、「天馬」「草深し」など。(大野 裕)
wikipediaアイコン金史良

底本データ

底本: 光の中に 金史良作品集
出版社: 講談社文芸文庫、講談社
初版発行日: 1999(平成11)年4月10日
底本の親本: 金史良全集 Ⅳ
出版社: 河出書房新社
初版発行日: 1973(昭和48)年4月30日

工作員データ

入力: 大野晋
校正: 大野裕