作品名: | 雪をんな(二) |
作品名読み: | ゆきおんな(に) |
著者名: |
葛西 善蔵 |
作品データ
分類: | NDC 913 |
初出: | 「新潮 第四十二卷第六號」1925(大正14)年6月1日 |
作品について: | 雑誌「新潮」(大正14年6月)に発表された。「雪をんな」とともに、作者17歳のときの、明治36年から約2年にわたる北海道での放浪生活をもとにした作品である。「雪をんな」の続編のつもりであったろうか、舞台は空知川・歌志内から、太平洋に臨む港町となって、カトリックの修道尼とのいきさつが描かれる。私は何時も雪をんなと暮らしていたと言いながら、そんなものはどこにもないという。雪をんなは、雪の少ないここでは聖女と重なるイメージのようである。(林田清明) |
文字遣い種別: | 旧字旧仮名 |
備考: |
作家データ
分類: | 著者 |
作家名: | 葛西 善蔵 |
作家名読み: | かさい ぜんぞう |
ローマ字表記: | Kasai Zenzo |
生年: | 1887-01-16 |
没年: | 1928-07-23 |
人物について: | 1887(明治20)年1月16日、青森県弘前市松森町に生まれる。幼少の時、一家での北海道、青森・五所川原や南津軽郡碇ヶ関村などに転居した。碇ヶ関尋常小学校補修科を卒業後、単身上京するも帰郷し、北海道で鉄道車掌、営林署勤務などをした。1905(明治38)年に再び上京、哲学館(現東洋大学)で聴講生となるが、1908(明治41)年、徳田秋声に師事した。郷里で結婚したが単身上京して、作家を目指した。大正元年、広津和郎や谷崎精二らと同人雑誌「奇蹟」を創刊し、葛西歌棄の名で処女作『哀しき父』を発表した。生活苦などのためその後も別居・同居(東京・郷里の往復)を繰り返した。葛西は「自己小説」と呼ぶ私小説の文学像を追求し、『雪をんな』・『贋物』(いずれも大正6)などを発表した。大正7年の『子をつれて』が評判を呼び、大正11年頃までが全盛期となった。とくに『椎の若葉』や『湖畔手記』(いずれも大正13)などは詩情があり、哀愁ある心境に達した作品となっている。借金、酒浸り、病苦のあげく、家庭を捨て芸術至上へと向かう破滅型の自己小説は、作者への共感や一種の信仰を生んだ面がある。題材は貧困と鬱憤の中で狭いものの、感傷やユーモアも捨てがたい魅力となっている。結核のため体調は悪化し、1928(昭和3)年7月23日、世田谷三宿で41歳で死去した。嘉村磯多らとも親交があった。葛西善蔵全集全5巻(改造社)ほかがある。![]() |
底本データ
底本: | 葛西善藏全集 第二卷 |
出版社: | 津輕書房 |
初版発行日: | 1975(昭和50)年3月20日 |
入力に使用: | 1975(昭和50)年3月20日 |
校正に使用: | 1975(昭和50)年3月20日 |
底本: | 新潮 第四十二卷第六號 |
出版社: | 新潮社 |
初版発行日: | 1925(大正14)年6月1日 |
工作員データ
入力: | 林田清明 |
校正: | フクポー |