その一
冬の間、
十幾棟の大伽藍を囲んで、
山桜は、散り果ててしまったが、野生の藤が、木々の
親の
彼は、
浪華の倉屋敷で、国元の母が死去したという知らせを得たのは、彼が三十八の年である、故郷を出てから十六年目であった。
恐ろしい空虚が、彼の心を閉した。すべてが煙のように
彼は間もなく、浪華に近い曹洞の末寺に入って
その日は、
百名を越している大衆に、役僧たちも加わった。皆は思い思いの
広い道へ出るまでは、追い越すわけにはいかなかった。彼は、その男について歩いた。見るともう六十に近い老人である。同参の大衆ではなく、役僧であることがすぐ分かった。半町ばかり後からついて行くうちに、彼は老僧の着ている作務衣に気がついた。老僧の作務衣は、その男が在俗の時に着た黒紋付の羽織らしかった。その羽二重らしい生地が、多年の作務に色が褪せて、真っ赤になっている。紋の所だけは、墨で消したと見え、変に黒ずんでいる。惟念はついおかしくなって思わず微笑をもらした。が、ふとその刹那にこの人も元は
惟念の全身の血が急に湧き立った。二つの鎌が並んでいる紋、それは彼が過去十六年の仇討の旅の間、夢にも忘れなかった仇敵の紋である。父の敵は、召し抱えられてから間もない新参であったため、部屋住みだった彼は、ただ一、二度顔を合わしただけである。その淡い記憶が、幾年と経つうちに薄れてしまって、他人からきいた人相だけが、唯一の手がかりであった。その中でも、敵の珍しい紋所と、父が敵の右
惟念は担いでいる薪束を放り出して、老僧の首筋を、ぐいと掴んで、その顔を振り向けたい気がした。彼は右の顎を見たかったのである。十六年の苦しい旅の朝夕に、敵に対して懐いた呪詛と憎悪とが、むくむくと蘇ってきた。が、すぐに彼に反省の心が動いた。一旦、瞋恚の心を捨てて弁道の道にいそしんでいる者が、敵の紋所を見たからといって、心をみだすべきではない。それは捨て去ったはずの煩悩に囚われることである。まして、広い日本国中に、二つない紋所とは限っていない。故郷の松江でこそ珍しい紋所でも、他国へ行けば、数多い紋所であるかもわからない。実際、江戸の
彼は、ともすればみだれ立とうとする心を、じっと抑えた。老僧が、薪束を右の肩に担いでいるために、右の顎が隠されているのこそ幸いである。彼は、その右の顎を見まいと思った。ちょうどその時に彼は広い道へ出た。彼は老僧の方を振り向きもしないで、一目散に駆け抜けた。
が、天道は皮肉に働いた。昼時の
「おのれ!」
彼は、口元まで、そんな言葉が出かかった。が、彼の道心は勝った。彼は一瞬の間、老僧を見つめると、
でも、彼の心は容易には収まらなかった。彼は、薪束の中の太い棒を見ていると、それを真向に振り
が、自分の心が不安でならなかった。一旦は思い捨てても、どういう機会に、再び妄念に囚われるかもしれない。どんなはずみで相手を打ち殺すかもしれない。彼は、自分の道心の勝利を、何かに誓っておきたかった。二度と再び、未練な妄執に囚われないために、何かに誓っておきたかった。
それは、敵の老僧に打ち明けておくより、いいことはないと考えついた。在俗の折の妄執として、話しておこう。そして、現在の自分が、それに打ち勝ち得たことを相手に話しておこう。そして、敵の手をとって、快く笑おう。敵にそれと明かした以上、どんなに妄執の力が強くとも、
「何御用!」
彼は、敵の言葉を初めて耳にしたのである。また、心が乱れようとするのを抑えた。
「貴僧にききたいことがある」
「なんじゃ」
老僧は落ち着きかえっている。
「余の儀でない。貴僧はもと雲州松江の藩中にて、鳥飼八太夫とは申されなかったか」
僧の顔色は動いた。が、言葉は爽やかであった。
「お言葉の通りじゃ」
「しからば重ねて尋ね申す。貴僧は松江におわした時、同家の山村武兵衛を打った覚えがござろうな」
さすがに老僧の顔色は変った。が、言葉はなお神妙であった。
「なかなか。して、
老僧は、かなり
惟念は、努めて微笑さえ浮べながらいった。
「愚僧は、今申した山村武兵衛の倅、同苗武太郎と申したものじゃ。御身を敵と付け狙って、日本国中を遍歴いたすこと十余年に及んだが、武運拙くして会わざること是非なしと諦め、かような姿になり申したのじゃ」
老僧は老眼をしばたたいた。
「近頃神妙に存ずる。愚僧は、今申した通りの者じゃ。御自分の父を打って松江表を立ち退き、その後諸国にて身上を稼ぎ申したが、人を殺した
老僧の言葉は晴々しかった。
惟念は淋しい微笑を浮べた。
「討つ討たるるは在俗の折のことじゃ。互いに出家
老僧は折り返していった。
「いやいや、さようではござらぬぞ。ここは、御自分よくよく覚悟あるべきところじゃ。われらは、身上の有付きなきための、是非なき出家じゃ。御自分は違う。われらを討ち申されて帰参なさるれば、本領安堵は疑いないところじゃ。その上、我らを許して
老僧の言葉は道理至極だ。惟念は、老僧を討とうという激しい誘惑を刹那に感じたが、それにもようやくにして打ち勝った。
「ははははは、何を申されるのじゃ。この
彼はそう潔くいい放つと、両手にも余る薪束を軽々と担ぎ上げながら、御堂の倉庫を指して一散に駆け下った。
薪作務があったために、その夜は「
隣単の雲水たちが、相集って
彼が
激しい薪作務の疲れのために、隣単の雲水たちは、
彼は、夜半何事となくふと目覚めた。宵から、右の肩を下にして続けていたためだろう。右半身が痺れたように痛んだ。彼は、寝返りを打とうとした。が、不思議に彼の身体は動かなかった。彼は目を開いた。彼は、自分の顔の上におぼろげながら、人の顔を見た。聖龕の前の灯明の光しかない、ほの暗い堂内では、それが
彼は、その狼狽によって、相手が昼間の老僧であることが分かった。それと同時に、その老僧の右の手に、研ぎ澄まされた
「愚僧は宵より、右肩を下につけ、疲れ申す。寝返りを許されい!」
彼は、口のうちで呟くようにいいながら、狭い
役僧の一人が、永平寺を逐電したのは、その翌日である。
その二
越後国
それを初めに知ったのは、弟の忠三郎であった。二度目に上方へ上ったとき、兄弟は京と大坂に別れて宿を取った。別々に敵を尋ねるための便宜だった。
弟の忠三郎が、三条通りを何気なく歩いていたとき、彼は町家の軒先に止まった医師のそれらしい籠を見た。籠の
彼は、敵の
兄は、弟から敵発見の知らせをきくと、涙をこぼして嬉しがった。兄弟は、その夜のうちに大坂を立って、翌朝未明に京へ入った。
が、翌朝、弟が敵の家の様子を探るため、その家の前を通ったとき、意外にも、忌中の札が半ば閉ざされた門の扉に、貼られてあるのを見た。弟は愕然とした。彼はあわてふためきながら、隣家について、死者の
弟は、最初それを容易には信ずることができなかった。自分たちに発見されたのを気づいたために、自分たちを欺こうとする敵の
兄弟は、その夜三条小橋の宿屋で、相擁して
八年の辛苦が、ことごとく水泡に帰した。張りつめた気が、一時に抜けた。兄弟は、うつけ者のごとく、ただ茫然として数日を過した。
弟が、ようやく兄を慰めて、郷里の新発田へ帰って来た。弟は、京都を立つ前、ひそかに所司代へ願い出て、敵直之進が、横死した旨の書状を貰った。
兄弟の家は、八百石を取って、側用人を務むる家柄であった。藩では、さすがにこの不幸な兄弟を見捨てなかった。兄忠次郎に旧知半石を与えて、馬回りに取り立ててくれた。
が、忠次郎は
兄弟にとっていちばん悲しいことは、そうした世の疑いを解くべき機会が、永久に来ないことだった。
年が明けると安政四年であった。兄弟にまつわる悪評も、やっぱり年を越えていた。が、安政四年の秋となり、冬となると、さすがに、兄弟のことを取り立てていう者もなくなった。短気な忠次郎も、腹を立てる日が、少なくなっていた。
が、兄弟が食うべき韮は、まだ尽きてはいなかった。
それは安政四年も押し詰まった十二月十日、同藩士の久米幸太郎兄弟が、父の仇、滝沢休右衛門を討って、故郷へ晴がましい錦を飾ったことである。
それが、なんという辛抱強い敵討であったろう。兄弟の父の弥五兵衛が、同藩士中六左衛門の家で、囲碁の助言から滝沢休右衛門に打たれたのが、文化十四年十二月、長男幸太郎が七歳、次男盛次郎が五歳のときであった。兄弟が伯父板倉留二郎の手に人と成って、伯父甥三人、永の
三人は文政から天保、弘化、嘉永、安政と、三十年間、日本国中を探し回った。幸太郎が安政四年に、
不幸にも、弟の盛次郎と伯父留二郎は、幸太郎と別れて関八州を尋ねていた。幸太郎は思った。弟や伯父の三十余年に渡る艱難も、ただこの敵に一刀恨まんためである、自分が一人で討ったならば、二人がさぞ本意なく思うであろうと。が、幸太郎は思い返した。二人は、今いずこにいるのか、先に手紙を出したが返事がない。敵の休右衛門は、七十を越した
父の弥五兵衛が討たれてから四十一年目、兄弟が敵討の旅に出てから三十一年目、兄の幸太郎は四十七歳、弟の盛次郎は四十五歳、伯父の留二郎は七十二歳の高齢であった。
兄弟がめでたく帰参したときは、新発田藩では、嫡子主膳正
一藩は兄弟に対する賛美で、
人々は幸太郎兄弟を褒める引合として、きっと鈴木兄弟を
「鈴木忠三郎は、兄を迎えるために、便々と日を過したというが、幸太郎殿の分別とは雲泥の違いじゃ。敵を探し出しながら、おめおめと病死させるとはなんといううつけ者じゃ」
が、そんな非難はまだよい方だった。
「三十年の辛抱に比ぶれば、八年の辛苦がなんじゃ」
「八年探して、根の尽きる
世評は、成功者を九天の上に祭り上げると共に、失敗者を奈落の底へまで突き落さねば止まなかった。
幸太郎兄弟が帰参してから十日ばかり経った頃だった。兄弟の帰参を祝う酒宴が、親類縁者によって開かれた。
幸か不幸か、鈴木忠次郎は、久米家とは遠い縁者に当っていた。彼は、病気といってその席に
きかぬ気の彼は、必死の覚悟でその酒宴に連なった。彼は初めから黙々として、一言も口を利かなかった。一座の者の幸太郎兄弟に対する賞賛が、ことごとく針のように、彼の胸に突き刺さった。が、中座することは、彼の利かぬ気が許さなかった。
夜の更けると共に、一座の客は減っていた。幸太郎は鈴木兄弟の不運をすでに知っていたのだろう。客の減るのを計って、座を立つかと思うと、杯を持ちながら忠次郎の前へ来た。半知になっていても、忠次郎の方が家格は遥かに上であった。
「貴殿からも、杯を一つ頂戴いたしたい」
幸太郎は、忠次郎が
「御不運のほどは、すでにきき及んだ。御無念のほどお察し申す」
幸太郎の言葉には、真摯な同情が籠っていた。自分でも敵を狙ったものでなければ、持ち得ない同情が含まれた。
忠次郎はそれをきくと、つい愚痴になった。無念の涙がはらはらと落ちた。
「お羨ましい。お羨ましい。なんという御幸運じゃ、それに比ぶれば、拙者兄弟はなんという不運でござろうぞ。敵をおめおめと死なせた上に、あられもない悪評の的になっているのじゃ」
忠次郎は、声こそ出さないが、男泣きに泣いた。
幸太郎は、それを制するようにいった。力強くいった。
「何を仰せらるるのじゃ。一旦、敵を持った者に幸せな者がござろうか。御身様などは、まだいい。御身様は、物心ついた七歳の時から四十七歳の今日まで、人間の
そういったかと思うと、三十年間の
忠次郎の傷ついた胸が、温かい手でさっと撫でられたように一時に
二人は、目を見合わしたまま、しばらくは涙を流し合った。
その三
宝暦三年、正月五日の夜のことである。
江戸牛込二十騎町の旗本鳥居孫太夫の家では、お正月の吉例として、奉公人一統にも、
ことに、旧臘十二月に、主人の孫太夫は、新たにお小姓組頭に取り立てられていた。二十一になった奥方のおさち殿が、この頃になって、初めて懐胎されたことが分かった。
主人の孫太夫は、奉公人たちの酒宴の興を妨げぬ心遣いからであろう。日が暮れると、九段富士見町の縁類へ、年始のためだといって、出かけて行った。
家老や用人たちは、表座敷の方でうち
二更を過ぎた頃になっても、酒宴の興は少しも衰えなかった。若い草履取や馬丁は、この時だというように、女中に酌をしてもらいながら、ぐいぐいと飲み干した。
松の葉崩しや
台所で立ち働いていた料理番の嘉平次までが、たまらなくなって、板前の方をうっちゃらかして酒宴の席へ顔を出した。
「嘉平か? 御苦労! もう食い物の方はたくさんだ。さあ! 貴公もそこへ座って一杯やれ!」
中間の左平が、それを見ると、すぐに杯をさした。
嘉平次は、六十を越していた。が、彼は新参ではあるが、一家中で誰知らぬ者もない酒好きであった。さっきから、燗番をしながら、樽から徳利の方へ移すときに、茶碗で幾杯も幾杯も盗み飲みをしたので、すでにとろりとした目付をしていたが、目の前にあった杯洗の水をこぼすと、元気よくこれを前に突き出した。
「親方、俺はそんなもんじゃまだるっこい! これで、ぐいとやりてえ!」
「いよう豪勢だ!」
彼は、一座の賞賛を受けながら、杯洗で三杯まで重ねた。さすがに最後の一杯は飲み渋った。酔いが、健康らしい褐色の老顔にもありありと現れた。
「嘉平次さん! お前さんの包丁は、また格別だな、いつもお上のお残り頂戴で、本当に味わったのは今日が初めてだが、お前さんが自慢するだけあらあ!」
草履取の中間が
「えへへへへへへ」お調子者の嘉平次は、上機嫌になりながら、そのだらしない口元から、落ちそうになる
「きけば、お前さんは、上方で鍛え上げた腕だそうだが、料理はなんといっても上方だなあ!」
中間頭の左平までが、子細らしく感心してみせた。
「えへへへへへ、えへへへへへ」嘉平次は、おだて上げられて、いやしい嬉しそうな笑いが、止めどなく唇から洩れた。
「なんでもお前さんは、若い時は大名のお膳番を勤めたことがあるそうだが、本当かな!」
お庭番の中間が、意識して嘉平次を
「うむ! なるほど、なるほど」
一座の者は、初めてきいたように感嘆した。好人物の嘉平次を煽ててやろうという心がみんなの心に少しずつ湧いていた。
「えへへへへへ、そいつを知っておられると、お恥かしい!」
嘉平次は、恥かしそうに、頭を掻いた。が、恥かしそうにしたのは、表面だけである。彼が大名のお膳番を勤めたということは、彼の好んでつく嘘だった。彼は、酒を飲むと決ったようこの嘘をついた。もう、この屋敷へ来てからも、二、三度は繰り返した嘘である。
本当に、讃州丸亀の京極の藩中でお膳番を勤めたのは、彼の旧主の鈴木源太夫である。彼は源太夫の家に中間として長い間仕えていたために、見様見真似に包丁の使い方を覚えたのに過ぎないのである。
「お膳番といえば、立派なお
お庭番の中間が、のしかかるように、煽てた。嘉平次は、そういってくれるのを待っていたのである。が、彼はまた頭を掻いてみせた。
「お膳番なんて、
彼は、いかにもそれを軽蔑したような口調で、二十石五人扶持といったが、彼の旧主の鈴木源太夫の知行でさえ、本当は十石三人扶持しか取っていなかった。
「二十石五人扶持! 俺たちは、生涯にたった一度でもいいから、ありついてみたいものだ!」
お庭番の中間は、執拗に油をかけた。
「立派な上士格だ!」中間頭の左平までが、相槌を打った。
嘉平次は、相好を崩しながら、えへらえへらと笑った。実際お膳番を勤めていたのは、旧主の鈴木源太夫ではなくして、自分であったような気持にさえなっていた。
「道理で、包丁の味が違ってらあ!」
「この三杯酢の味なんか、お大名料理の味だ!」
嘉平次は、有頂天になっていた。彼は、お大名のお膳番の苦心談といったようなものを、話しはじめようかと思っていた。が、話題は彼の予期しない方へそれてしまった。
「そのお前さんが、どうしてまた、二十石の武士を棒に振りなさったのだ!」
左平が、崩れていた膝頭を立て直しながらきいた。嘉平次は、ちょっと狼狽した。彼は、ただ自分が昔お膳番を勤めていたとさえ思われさえすればよかったのだ。それから先の嘘は、少しも準備してはいなかったのだ。
「それがさあ! それがさあ!」彼は、ちょっといいよどんだが、すぐ旧主の源太夫が、どうして十石の武士を棒に振ったかということを思い出した。それは、彼に用意されている手近の嘘だった。
「それがさあ! 酒の上の過ちで、つい朋輩と口論に及んで武士の意地から······」
嘉平次はいつの間にか、無意識のうちに、武士らしい口調になっていた。
「よくあるやつだ! それで相手を見事にやりなさったのだな!」
「まったく······」
嘉平次は
「うむ!」
「なるほど」
「うむ!」
一座は
一座の者は、みんな熱心にその詳細を知りたそうな顔付をしている。彼は一座の者を満足させると同時に、もっと自分が英雄視せらるる快感を味わいたかった。彼は旧主の鈴木源太夫が朋輩の幸田
「口論の始まりというのはな。その男が、槍術が自慢でな。その日も、俺と槍術の話になったのじゃが、つい議論になってなあ。相手が、『料理番の貴殿に、武術の詮議は無用じゃ』と、口を滑らしたのが、お互いの運の尽きじゃ。武士として、聞き捨てならぬ一言と思ったから、『料理番の刀が切れるか切れぬか、受けてみい!』と斬りつけたのじゃ」
「うむ!」
「うむ!」
「うむ!」
一座の中間たちは、嘉平次の話しぶりに、すっかり魅せられてしまった。
自分のいっていることが、本当は嘘でなくして真実であるような得意さを感じた。
「俺はな、子供の時から、竹内流の居合が自慢でなあ!」
彼はそういって、皆に気を持たせた。
「うむ!」
「うむ!」
中間たちは、口々に呻った。
「抜打の勝負じゃ。はははははは」嘉平次は、浩然として笑った。
一座はしーんとした。
「柄に手がかかったと思ったときには、もう相手の肩口から迸った血が、さっと、まだ替えてから間もない青畳の上に散っていた」
実際、嘉平次の頭の中にも、そうした光景がまざまざと浮んだ。
「ほほう!」
「うむ!」
中間たちの感嘆は絶頂に達した。
「家人なども、定めし出合いましたろうな」
中間頭の左平の言葉遣いまでが、すっかり改まっていた。中間たちは、嘉平次が斬りかかる中間小者などを、左右に斬り払う勇壮な光景を予想していた。が、嘉平次はもっと別な点で、自分の武士を上げたかった。
「いや、中間小者などは、俺の太刀先に恐れをなして誰一人向かって来ぬ。が、さすがに連れ添う内儀じゃ。夫の敵とばかり、懐剣を逆手に俺に斬りかかって来た」
話が急に戯曲的な転回をしたので、一座ははっとどよめいた。嘉平次は、自分の話の効果を確かめるように、悠然と一座を見回した。
「不憫ながら、一刀の下におやりなすったか」お庭番の中間が、待ちきれないようにきいた。さっきのように、煽て半分、
「そうは思ったが、あまりに不憫でな。しかもまだ縁付いてきてから一年にもならない若い内儀じゃ。ことに、深い宿意があって打ち果したという敵じゃなし、女房の命まで取るのは
彼は、自分の腕をまくって、二の腕の傷を見せた。それは、彼が丸亀を退散して、京の四条の茶屋の板前を勤めていたとき、血気の朋輩と喧嘩をして、お手の物の包丁で斬りつけられた傷である。彼は、それを時にとっての証拠として、自分の話に動かせない真実性を加えたのであった。彼は、自分の当意即妙に、自分で感心した。
「どれ! どれ!」一座のものは、杯盤の間を渡って来て、彼の傷に見入った。もう、誰一人として、彼の話を疑っているものはなかった。
「それで、その内儀はどうなすった!」
皆は話の結末をききたがった。
「持っていた懐剣を放させて、そこへ突き放したまま悠々と出てきたが、さすがに、後を追うて来るものはなかった。その足で、すぐ退転いたしたが、もう二十年に近い昔じゃ。今から考えると短慮だったという気もするが、武士の意地でな。武士としてこれ堪忍ならぬところじゃ!」
「道理じゃなあ。が、御身様の仕儀に、一点のきたないところもない。それをいい立てて、立派な主取りでもできるくらいじゃ」
「料理人などをさせておくのは、まったくもって惜しいものだ! 推挙さえあれば、その腕で三十石や、五十石はすぐじゃ!」
嘉平次は、鷹揚に笑った。
「こう年が寄ると、仕官の望みなぞは、毛頭ないわ。御身たちにこうして昔話などするのが、何よりの楽しみじゃ」
「嘉平次殿のお杯を頂戴しよう」
皆は次々に嘉平次の杯を貰った。
彼は生れて六十幾年の間に、今宵ほど、得意な時はなかった。彼は、平生の大酒に輪をかけて、二升に近い酒を浴びていた。
その夜、大酔した嘉平次が、
「親の敵!」という悲痛な叫びと共に、
家人たちが、銘々酔顔を
「親の敵を討ちました。親の敵を討ちました」と、絶叫していた。
幸田とよ女の敵討は、丸亀藩孝女の仇討として、宝暦年間の江戸市中に轟き渡った。江戸の市民は、まだ二十になるかならぬかのかよわい少女の悲壮な振舞いを賛嘆し合った。とよ女の仇討談が、読売にまで歌われていた。それによると、父の幸田源助が討たれたとき、とよ女は、母の胎内に宿ってから、まだ三月にしかなっていなかった。母は、夫の横死の原因が自分であることを知っていたために、亡夫のために貞節を立て通した。とよ女が十六のときに、母は不幸にして、他界した。彼女は、死床にとよ女をよんで、初めて父の横死の子細を語って、仇討の一儀を誓わしめたというのであった。貞節悲壮な
嘉平次が、敵の鈴木源太夫であることについて誰も疑いを挟まなかった。町奉行の役人が、検死の時、念のためにというので、丸亀藩の屋敷へ人を迎えにやったが、ちょうど藩主が在国していたので、定府たちの間には、鈴木源太夫を見知っているものは、一人もいなかった。
ただ、当人のとよ女だけには、敵の傷の場所が、母の遺言の通り、眉間になくして、二の腕にあったのが、ちょっと気になった。が、すぐ、母は夫を打たれたときに気が動転していたために、相手の眉間に飛びついていた血潮を、手傷だと思い違ったのだろうと思い直した。
とよ女の孝節が、藩主の上聞に達して、召し還された上、藩の家老の次子を婿養子として、幸田の跡目を立てられて、旧知の倍の百石を下しおかれたのは、同じ宝暦五年の九月のことである。