客あり
余に
問ふに
左の二三の
事項を以てせり、
而して
余は
爾か
答へぬ。
問、
足下は日本の基督教は今より何年を期して復興すると考へらるゝや。
答、
教会は
草木又は
動物の如き
自然物にあらず、草木は
時期を
定めて
花を
有ち
菓を
結び、
小児は
或る
時期を
経過すれば
成人して
智力の
啓発に至るべし、
然れども
教会は
人為的なり、
復興せんと
欲せば
明日、
今日、
之を
復興するを
得べし、而して
其復興の
方たるや、
安楽椅子に
倚り
罹り、或は
柔軟なる
膝褥の
上に
跪き
如何程祈祷叫号するも
無益なり、
暑を山上に
避けながら
眼下に
群住する
憐れなる数万の
異教徒の
為めに
祈願を
込めるも
無益なり、
教会復興の
方策とは
教導師先づ
躬から
身を
捐つるにあり、
彼の
家族の
安楽を
犠牲に
供するにあり、
若しミツシヨンより金を
貰ふ
事が
精神上彼と
彼の
教会の上に
害ありと
信ずれば
直に之を
絶つにあり、我れ
饑ゆるとも可なり、我の
妻子にして
路頭に
迷ふに至るも我は
忍ばん、
真理は我と我の
家族より大なり、
此決心を
実行あらん
乎、
教会は
直に
復興し
始むべし、
是れなからん乎、復興は
世の
終まで
待つも
来らざるべし。
問、
足下は尚ほ何時迄も著述に従事せれ
[#「せれ」の左に「〔ら〕」の注記]んとする乎
[#「せれんとする乎」に白丸傍点](
基督信徒に他人の
仕事を
気にする者
多し)。
答、
余は
基督の
兵卒なり、兵卒は
其時の
来る
迄は
何をなすべきかを知らず、
主の
命ならん乎、
余は
高壇に
立つ事もあるべし、
官海に
身を
投ずるやも
計られず、基督信者は
目的なき者なり、
自から一の
目的を
定め、
万障を
排し、
終生一
徹其目的点に
達せんと
勉むるが如きは
余の
不信仰時代の
行為なりき、
主の
命維れ
徇ひ、
今日は
今日の
業を
成す、
是れ
余の
今日の
生涯なり、余に
計画なる者あることなし、何と
愍むべき(羨むべき)
生涯ならずや。
問、
他人に道を説くに如何なる方法を
採るべきや。
答、
余は
曾て
如此き事を
試みし事なし、
否な
試みて
其甚だ
馬鹿気切たる事を
認めたれば
全然之を
放棄せり、
道を
行ふ
事是れ
道を
説く事なり、
殊更に
勉めて
他人を
教化せんとするが如きは
是を為す者の
僣越を
示し、
無智無謀を
証す、
余は
知る大陽は
勉めて
輝かざるを、
星は吾人の
教化を
計て
光を
放たず、
光からざるを
得ざれば
光るなり、
我れ
主に
倚り、
主我れに
宿る
時は我は
勉めずして光を
放つなり、而して
世は
我より出る
主の
光を
見て
我を
信ぜずして
主を
信ずるに
至る、
是れ
余の
信ずる
基督教的伝道なる者なり。
客又問はず、
余を
辞して
去る。
●表記について
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