奇怪な死人
別荘||といっても、
「た、大へんだア、旦那さまがオッ
「た、大へんだア、お、
百姓女が駈け出しながら、二度目にこう叫んだ時に、向うの垣根の端にひょっこり百姓男が現われた。
「お
「
「ハテね」
八と呼ばれた百姓男はキョトンとして、
「小浜の旦那はもう大分前にオッ死んだでねえか」
「違うだよ」お徳はもどかしそうに手を振って、
「死んだ旦那の
「ふむ、甥っ子だが、あんでもそんな人が跡さ
「その人がね、昨日の朝見えたゞよ」
「不意にかよ」
「ウンニャ、前触れがあってね、掃除さしといて
「一人で来たのかよ」
「ウン、顔の
「それでお前、オッ
「この
「ハヽヽ、怒るでねえ。それからどうしたゞね」
「昼間は家ン中や庭さ歩き廻って、何するでなしにソワ/\してたっけが、夕方になって、
「いねえ||どうしたゞね」
「分らねえだよ。
「だけども、
「俺も可笑しいと思ったゞが、いねえものはいねえさ。断りなしに
「そいつは事だゝ。すぐにお医者さア呼ばらなくちゃならねえだ。
「八さア、頼むからそうして下せえ。
お徳は今更のように身顫いしながらいった。
僕は生きてる
「之アどうする事も出来ない。すっかり
八太郎の急報で飛んで来た町の寺本医師は死体を一眼見ていった。
それから眼を引っくり返して見たり、聴診器を当てたり、綿密に調べてから、
「狭心症だ。若いのに可哀想に||大分
「昨日初めて合いましたゞが」お徳はいった。
「蒼い顔さしていましたゞ。だが、こんな事になるなんて、夢にも考えましねえだったゞ」
「兎に角、遺族[#「遺族」は底本では「遣族」]の人に知らせなくちゃならんが、宿所はどこかな」
「二三日前に手紙さ貰いましたゞから、それに書かっているべい」
一旦家に帰ったお徳は手紙を持ってやって来た、寺本医師はそれを取上げて、
「東京市淀橋区柏木緑荘アパート小浜信造。ハヽア、アパートなんかにおる所を見ると、
寺本医師の指図でお徳は駐在所へ走って、長井巡査を呼んで来た。
「ふゝん」お徳から仔細を聞いて長井巡査はひどく感嘆しながら、「二三日
「先生、病死に違いありませんかね」
「狭心症に間違いありませんよ」
「いつ頃ですかなア、死んだのは」
「さようさ。今の様子が死後十時間
「八時から十二時」と巡査は手帳につけながら、「その間にこゝへ帰って来た訳ですなア」
「帰ってすぐ死んだとするとその通りですな」
「なるほど」と、手帳を訂正しながら、「帰って来たのはその
「まアそういう事です」
「他殺でもなく、又変死でもなく、
長井巡査は手帳を閉じてポケットに入れると、さっさと歩いて行った。
寺本医師も帰り支度をしながら、お徳に、
「この人は伯父さんから別荘を譲られてから、昨日初めてこゝへ来たんだね」
「そうでごぜえますだ。
「初めて別荘に来て、すぐ死ぬとは気の毒な人だねえ」
「全くでごぜえますだ」
お徳がそういって相槌を打った時に、お徳の亭主の
「オイ、お徳よ。
そういって手にした紙片を出したが、それは電報だった。
「どうしたゞかよ」
お徳は何か恐いものでも取るように、オズ/\と電報を受取ったが、すぐ大きな声を出した。
「ひゃア、こ、これは、あんちゅう事だ」
寺本医師が電報を覗き込むと、
ナニノマチガイカ オバマシンゾウハイキテイル ヨクシラベコウ
「うむ」寺本医師は所轄警察署から小浜信造宛に、
スグオイデコウ
という電報が打たれた。午後二時過ぎ小浜信造はやって来た。色の蒼白い三十そこ/\の
一旦警察署に出頭した信造は、司法主任以下に連れられて、現場の別荘に着いたが、お徳は信造を見ると、卒倒するほど驚きながら叫んだ。
「あれまア、旦那さま」
「あゝ、お徳さん」信造は
「昨日はどうも失敬したよ。夕方に急に思い出した事があったので、黙って東京へ帰って
司法主任の
「じゃ、あなたは昨日こゝへいらしたのですね」
「えゝ」今度は信造の方で不審そうに、「お徳さんからお聞きにならなかったのですか」
「聞きました。然し、その人間が死んだ人間と同じ人間だと思っていましたので||」
「御冗談です。僕は死にやしません。こうやって生きてますよ」
「ふむ」
信造は屍体を一眼見ると叫んだ。
「あゝ、卓一だ」
「え、ご存じの方ですか」司法主任は反問した。
「えゝ、知ってますとも、
「ふむ、従兄弟ですか」榎戸警部は信造と死者とを見比べながら、「実によく似ている。従兄弟とはいいながら実によく似てますなア。然しこの人はどういう訳でこんな所へ来たのでしょうか」
「それについて心当りがあります。実は僕は卓一君と昨日こゝで会う約束があったのです。尤もそれは僕の方からいい出したのではなく、卓一君の方で至急に秘密で会いたいといって来たので、秘密の用ならこゝがいゝだろうといってやりました。卓一君からは折返して、では金曜日の午後||つまり昨日の午後ですね、別荘の方に行くからという手紙が来ました」と、信造はポケットを探ぐって、クチャ/\になった手紙を取り出して、「之です。この通り、金曜日の午後行くと書いてありましょう。それで僕は管理人の竹谷さんの所に手紙を書いて、別荘を掃除して置いて貰って、昨日朝からやって来たんですが、卓一君は午後になっても姿を見せず、僕は元来気短かで待たされるのは何よりも苦痛なんですが、一生懸命に辛抱して夕方までいました。然し、夕方にはもう
「なるほど、その後で卓一君は来た訳ですか」警部はうなずきながら、「その秘密の用件というのはどういう事でしょうか。お差支えなくば||」
「多分金の事だろうと思います。卓一君はちょい/\金の相談を持ちかけましたので||大方何かいゝ事業があるから投資しろとか何とかいう事でしょう」
「なるほど、ではあなたは之までに卓一君の勧めで、時々投資なすったという訳ですか」
「いゝえ」信造は飛んでもないという風に首を振って、「卓一君の事業と来ちゃ、お話にならない事ばかりでしてね、帽子の中に畳み込みの傘を入れて置いて、イザ雨という時にボタンを一つ押すと、パッと拡がるという発明だとか、靴の下に車をつけて、背中に蓄電池を背負っていて、小さいモーターで廻す発明だとか、そうかと思うと、海の水から
「なんの為に猫を買い占めるんですか」
「そうすると三味線が出来なくなって洋楽が盛んになるというんです。卓一君は洋楽が好きなもンですから」
「ハヽア||どうも変っていますな」
「えゝ、変っていますとも。そうかと思うと、アメリカから女サーカスを
「連珠? あゝ五目並べの事ですか」
「五目並べなんていおうものなら、卓一君は眼に角を立てゝ怒りますよ。五目並べなんていったのは昔の話で、今では高木名人考案の縦横十五線の新連珠盤が出来て、段位も段差のハンディキャップも確立するし、国技として外国に紹介するには最もいゝ競技で、国際親善の為に大いに発展させるべきものだといいましてね、その連盟とかに金を出せというんです。昨日の用というのもそれじゃないかと思っていました」
「どうして約束通り来なかったのでしょう」
「卓一君はね、何か途中でひょいと思いつくと約束も何にもない、すぐそっちの方に行って
「なるほど、中々変ってますな。一種の天才ですな。尤も天才は狂人と隣り合せだといいますが||それで何ですか。心臓は弱かったのですか」
「この頃は押の強い事を心臓が強いといいますね」信造はニヤリと笑って、「その意味では卓一君は心臓の強さは一流ですが、本当の心臓はとても弱かったんです。僕アいつ心臓が停って死ぬか知れんといつもいってました」
「そうでしたか」警部は一寸考えて、「では何ですな。卓一君は何か他の事を考えて、あなたとの約束を忘れていた所、夜になって急に思い出して、こゝへやって来たという訳ですか」
「えゝ、あいつの事だから、もう矢も楯も耐らなくなって、こゝへ来ると、戸締りがしてあるのも構わず叩き破って這入ったんでしょう。その途端に狭心症を起したんですな。可哀想に」
そういって、信造は悲痛な表情をして卓一の屍体を眺めた。
「だが、よく似てますなア」警部は感嘆したようにいった。
「えゝ」信造はうなずいて、「よく間違われました。母同志が姉妹でして。ですから卓一君は小浜でなくて、北田というんです。僕とは従兄弟の関係がありますが、死んだ小浜の伯父とは全然血の繋りがなく、従って伯父の財産はそっくり僕が継いだんです。所が僕は全くの独りぼっちで、全然係累がありませんから、今の所、僕の相続人は卓一君で、僕が死ねば僕の財産はそっくり卓一君のものになるんですが、先に死んで
「
「並べて比べて見ると、違った所があるんだがね」信造はお徳にいった。「初めての人ではそう思うのも無理はないよ。だが、お徳さん、洋服が違ってやしないか。どうだね、僕の洋服に覚えがないかね」
お徳はじっと信造の洋服を見つめていたが、
「そうだ、思い出したゞよ。確かに旦那さまに違えねえだ。昨日の昼ござらしたのはお
「そりゃ、君誰だって、こんな所に人の死んでるのを見たら、そこまでは気がつかんさ。無理もないよ」
「全く
「いや、どうも」警部は軽く頭を下げて、「もう警察の問題ではありません。ではどうぞ。後片づけをお願いいたします」
やがて警察の一行は引上げて行った。
二人の足取
警察署へ帰ると、榎戸警部は一行のうちに交っていた望月刑事を呼んだ。
「今日の事件は大体に於て怪しむべき点はないようだ。あの小浜信造という青年の説明した所によると、死んでいた北田卓一という青年は突飛な性格の持主らしく、夜中に友達の家に押しかけて、戸締りを破って這入るなどという事を平気でやる男らしい。死因も全く病気という事だし、之以上突つく必要もないと思うが、
望月刑事は命を受けて、先ず第一に茅ヶ崎の駅に出かけた。夏ならば兎に角、十二月という月では乗降客も少いので、駅員が覚えてはいないかと思ったのだった。
果して駅員は覚えていた。
昨日の朝十時三十三分着の下り列車で、鳶色の服を着た信造らしい青年が下車した。それから同日の午後六時三分発上り列車の発車間際に、やはり鳶色の服を着た信造らしい青年が駆けつけて来て、アタフタと乗り込んだ。何だかひどく不機嫌で、切符売場で一寸駅員といいやったりしたという事である。それから今日の午後二時九分で、同じ服装をした青年が下車した。と、之だけの事で、昨日以来の小浜信造の足取ははっきりした。
所が、青色の服を着た北田卓一の事はさっぱり分らなかった。午後六時までは確実に彼は別荘に来なかったから、六時以後、終列車までに来なければならない筈である。午後六時六分着から午前零時三十四分着まで、合計九本の列車があるが、どの列車からも卓一らしい青年は下車しなかった。もしかしたら、乗越すとか、又は熱海にでも行っていて引返して来るという事もあるから、上り列車についても調べて見たが、やはり全然手係りはなかった。鳶色服の信造の事については駅員がよく覚えていて、同じような青色服の青年を
望月刑事は更に藤沢平塚間の
卓一が茅ヶ崎の別荘にやって来た唯一の乗物は
望月刑事は首を
「小浜さん、いますか」
管理人は首を振って、
「留守ですよ。茅ヶ崎の別荘へ行きました」
「え」望月刑事は
「小浜さんはどうして中々金持なんですよ。二年
「何十万! そいつア初耳だ。そんな金持の癖にアパートに独り住居してるんですか」
「変ってますからね。
「望月といいます。つい近頃お知合になったのでして。茅ヶ崎へは何の用で行かれたんですか」
「それがね、
「へえ、どういう事ですか。それは」
「丁度、小浜さんがいましたから、その電報を見せると、カン/\に怒ってね、誰かの悪戯だといって、すぐ返電を打ちましたが、折返し警察から、すぐ来て貰いたいという電報が来ましたので、ブツ/\いいながら行かれました」
「どうしたという訳でしょうね」
「何かの間違いに極ってまさア。当人はピン/\しているんだから」
「可笑しいですなア」
「全く変なんですよ。昨日は一日茅ヶ崎の別荘で待ち
「昨日も茅ヶ崎へ行かれたんですか」
「えゝ、誰かゞね、茅ヶ崎の別荘で会いたいというので朝から出掛けたんですよ。所が夕方まで待ってもやって来ないというので、小浜さんはプン/\しながら帰って来ました」
「何時頃お帰りでしたか」
「さア、九時半か、十時頃でしたろう」
信造は昨日午後六時三分茅ヶ崎発の汽車で東京に向ってるから、真直ぐに帰れば八時過ぎにはアパートに着く筈である。途中で食事か何かの為に寄り道をしていたのだろう。望月刑事はそう思いながら、
「その会われるという方はどなたでしょうか」
「知りませんね」管理人はジロリと刑事を見て、「大方従兄弟だという人だろうと思いますが、私には分りませんよ」
「昨夕の十時頃帰って来て、それからずっと今朝までおられたのですね」
「えゝ、ずっとおられましたよ」
管理人はそういって、もう一度ジロリと刑事の顔を見た。刑事は今後の捜査上、身分を知られない方がいゝので、いゝ加減に切上げた。
「どうもお邪魔しました。なに、別に用はないんです。又来ます」
卓一という男
北田卓一の住居は蒲田区内のジメ/\した低地にあった。卓一も独り者なので、永辻栄吉という家に同居していた。近所で訊いて見ると永辻というのは円タクの運転手らしい。
望月刑事が
こゝでは望月刑事は身分を隠さず、肩書つきの名刺を出した。おかみは亭主の栄吉が毎々交通事故かなんかで、警察の呼出しを食ってると見えて、刑事と知っても格別そう驚かなかったが、茅ヶ崎署から来たのだと気がつくと突然眼の色を変えて叫んだ。
「卓一さんが死んだって、ど、どうしたんでしょうか。
「狭心症でね」刑事は静かにいった。「信造さんの別荘で死んでいたんですが、何ですか、卓一さんは不断から心臓が弱かったですか」
「それがね、丸で嘘見たいなんですよ。顔色は蒼白くって、病人臭い所はありましたが、とても元気な人で、
「昨日はずっと宅に居られたんですか」
「いゝえ、卓一さんがじっと宅になんかいるものですか。どこへ行くんだか毎日朝から飛歩いていますよ。よくまア、あゝ用があると思いますよ。自分の事はこれっぱかしもしないで、人の事ばかり世話を焼いて、いつも
「じゃ、昨日茅ヶ崎へ行った事はおうちじゃ知らなかったんですね」
「所がね、あなた、卓一さんは昨夕七時頃にひょっこり帰って来ましてね、腹が減った、飯だ、飯にして
(そうか、やっぱり卓一は自動車で来たんだな、之で足取がはっきりした)と望月刑事は思いながら、
「自動車で出かけたのは何時頃でしたか」
「そうですね、九時頃でしたろうか。何でも向うへ着いたのが、十一時過ぎとかいってましたっけ」
「こちらの御主人はすぐ引返したんですね」
「えゝ、所がね、向うへ行って、卓一さんが又駄々を
之ですべては明瞭になった。もう之以上は訊くべき事もないと思ったので、刑事は腰を上げた。
「どうも、お邪魔しました」
「宅が帰り次第、お手伝いに参りますからって、信造さんに宜しく
夜店の連珠
「なるほど、それじゃ問題にならんね」
望月刑事の報告を聞いた榎戸警部は煙草の灰を叩き落しながらいった。
「えゝ、どうも犯罪はないらしいですよ。卓一の死因が病死だとするとね」
「念の為再検視をしたが、全く狭心症の為と判明した。だから、殺人事件では絶対にない。それに之が逆に信造が死んだのだとすると、卓一が財産を相続する事になって、多少の疑惑を生ずるが、卓一が死んだのじァね。何だろう、卓一の遺産なんてものはないんだろう」
「遺産どころか借金が残っていますよ。遺恨か何かなら知らず、金の為に卓一を殺す者はないでしょう」
「第一病死じゃ問題にならん。然し、卓一は何だって、人のいない別荘へ戸締を破って這入ったんだろうね」
「そこが一寸不審に思われるんですが、何しろ卓一という男は、
「自動車で長距離を揺られて、それから若干歩いた上に、戸締りを破ったり、過激な運動をしたものだから、持病の心臓で参ったという訳か」
「そうでしょうね。兎に角、信造のいう事と、アパートの管理人や、永辻のおかみのいう事がピッタリ会いますから」
「えゝと、信造は金曜日の朝、茅ヶ崎へ行くといってアパートを出たんだね。その目的ははっきりしないが、別荘で従兄弟の卓一に会う為らしいと管理人はいうんだね。それから、その夜九時から十時の間に信造は待呆けを食わされたといって、プン/\怒りながらアパートに帰って来た。一方、卓一は当日朝から出かけて、夕方帰って来て、急に信造との約束を思い出して、永辻にむりやりに自動車に乗せて貰って、茅ヶ崎に向った。信造らしい青年が三度茅ヶ崎駅から乗降したのは確実で、一方卓一らしき青年は一回も乗降しておらん。怪しい点は一つもないな」
「只一つ分らない点は、信造が八時頃東京に着いて、アパートに帰るまで何をしていたかという点ですが」
「そいつア別に大した問題でもあるまい。信造に聞けばいうだろうし||別に聞くにも及ぶまいて」
とこういう訳で、この事件はそのまゝになって終った。
それから四ヶ月ほど経って、急にポカ/\と暖くなった春の宵、望月刑事は別の事件で上京して、渋谷の道玄坂の通りを歩いていた。
ふと見ると、例の大きな盤を置いた連珠屋を取巻いて多勢の見物が群がっている。望月刑事は何気なくそこを通り過ぎようとして、見物の中に一人の男を発見して、急に立止った。ゾロリとした着流しで、帯の間に両手を挟んでニヤリ/\しながら盤に見入っているのは、疑いもなく小浜信造だった。刑事は一寸声を掛けようかと思ったが、相手が迷惑するといけないと思って止めて、その代りに信造と盤とを見比べながら様子を眺めていた。
大きな碁盤には例の通り、黒と白の木で作った
連珠屋はうるさいほど喋りながら、しきりに客に勧誘する。見る/\二三人の人が手を出して、必勝だと確信していたのがみんな外れて意外な顔をしながら、金を払った。
刑事は世の中は広いものだ、よくこんな軽率な人の種の尽きないものだと思いながら、もう興味がなくなったので、そこを離れようとすると、信造が声を出した。
「一つやって見ようか」
「へえ、どうぞ」
連珠屋は鴨が来たとばかり、手にした木製の黒石を信造に渡した。
パチリ。
信造の打った所は急所らしかった。
連珠屋はうむと唸って、じっと盤面を見つめたが、パチリと白を下した。
パチリ、二つ目の黒石で、見事に四々が出来た。
「旦那、大した腕ですなア」
連珠屋は
信造は得意そうにニヤリと笑って、そのまゝ列を離れて、さっさと行こうとした。
と、この時に、咄嗟に望月刑事の頭に閃めいたものがあった。
刑事は自分の考えにぎょっとしながら、早足に信造を追って、
「北田さん、卓一さん」と呼んだ。
信造はぎょっとして振り返ったが、ジロリと刑事の顔を見ると、そのまゝ行こうとした。
「もし/\、北田さん」と刑事は追
「人違いだ」
信造はそういって、ドン/\行こうとする。
「待って下さい。待てといったら待たないか」
刑事のきっとした声に、思わず立止った信造の耳に、望月刑事は
「信造だなんて胡魔化しても駄目だぞ。お前は北田卓一だ。一緒に来い。指紋を取って調べるから」
と、信造は見る/\額に
三つの理由
「死んだのはやっぱり信造だったんですよ」
望月刑事は司法主任の榎戸警部に
警部は感嘆したように、
「一杯食わされていたのか。然し、君はよく発見したね」
「偶然、全く偶然でした。渋谷の道玄坂で、ふと信造を見かけたのですが、奴がむつかしい連珠の問題を訳なく解いたので、ハッと気がついたのです。何しろ、信造という男は人嫌いの変り者で勝負事なんか一切やらない筈なんです。それに反して、卓一は何にでも手を出す男で、事件の起った時も連珠に凝っていたといいます。||信造が連珠! 可笑しいなと思った途端に、ふと思い出したのは
「然し、それだけでは十分じゃない||」
「えゝ、ですから試みに卓一と呼んで見ると、ぎょっとしたようでしたから、
「大した手柄だ」
「お賞めに
思いがけなく信造が死んだので、卓一も永辻夫婦も驚きましたが、こゝで三人は相談をして、卓一が死んだ事にして、卓一が信造になろうと決めました。卓一と信造とは元々よく似ていましたから、別荘の方を胡魔化すのは何でもありません。むつかしいのはアパートの方ですが、之も管理人に一寸顔を合すだけですから、どうにかやれると考えたのです。之が無口で交際嫌いの信造の方が、お喋べりの交際の広い卓一に代るのですと、到底出来ませんが、逆に交際の殆どない信造の方に化けるのですから、比較的優しい訳です。
之から先はもう何でもない事で、卓一の洋服を着せた信造の屍体を積んで、永辻は茅ヶ崎の別荘へ行き、卓一は洋服を取替えて、信造に成り澄して、アパートへ帰りました。永辻は別荘が戸締りがしてあったので、仕方がなく戸締りを破りましたが、卓一の不断のやり方から反って卓一らしいと見られた訳です」
「なるほど、よく分ったが」警部は一寸眉をひそめながら、「一体何の為に卓一は信造になる必要があったのかね。そんなことをしなくっても、信造の財産はそっくり卓一のものになる訳じゃないかね」
「そこですよ。主任。えーと、相続税というものはどれ位かゝるんですか」
「信造の財産はどれ位あったかね」
「五六十万でしょう」
「直系の親族でないものゝ遺産相続だから、二割位かね。なるほど、それが惜しかったのか」
「未だ理由があります。卓一は俺が信造の財産を相続すれば、いくらでも金を出してやると方々に約束していましたので||」
「なるほど」警部は笑って、「
「卓一はそう
「兎に角、一寸犯罪史に類のない犯罪だね、結局の所殺人ではなし」と、警部は考えながら、「相続税の脱税と、身分詐称かね、それから屍体遺棄||屍体遺棄といえるかなア、別荘の中へ置いたんだから」
「許可がなくて、屍体を運搬した罪がありませんか」
「そんな所だなア。それから家宅侵入||どうかな、之も成立するかどうか分らん」
「でも、犯罪は犯罪でしょう」
「無論犯罪だ」警部は大きな声でいった。「最も近代性があって、それから」と考えながら、「
(〈現代〉昭和十四年一月号発表)