「白縮緬兵児帯」と題するものは、「
次に「徳用飯殖焚法」と題するものは、「ある作用によりて飯を四割以上増殖する焚き方なり」とて、「米価大騰貴の際、各戸一日も欠くべからざる発明」と言えり。かくのごとき広告をなす者あるは、必ずまたこれに飛びつく者の多かるべきを知るがゆえなり。されば、世の多くの人は、尋常一様の方法によらずして、何らか不可思議なるある作用により、たちまち生活の困難を減ぜんとするの欲望あることを察すべし。彼らは勤勉して今より多くの金を得んとするよりも、節倹して無益の冗費を省かんとするよりも、何らの労苦なしに偶然ある作用によりて安楽を得んことを求むるなり。彼らの欲するところは
吾人が見当たりたる二個の面白き広告は、その実、僥倖心と羨望心との反映なること上述のごとし。今の社会は実にかくのごとき僥倖心と羨望心とをもって満たされおるなり。しかれどもこれ必ずしも個人の浮薄と惰弱とより来たると言うべからず。飯殖焚法に飛びつき、観光縮緬の兵児帯を買う人々は、もとより吾人の尊敬しえざるところなれども、また一方には、それらの人々を駆っておのずからここに至らしむる者あるを見ざるべからず。今の階級制度、資本制度、すなわちこれなり。階級制度、資本制度の今の社会においては、実力必ずしも地位を作るゆえんにあらず。勤勉必ずしも富を得る方法にあらず。ここにおいて失望あり、怠惰あり。怠惰と失望とはすなわち僥倖心と羨望心とを呼び起こすゆえんなり。