昨年の夏、私は十年
「こんども私が、責任を持ちます。」北さんは緊張している。「奥さんとお子さんを連れていらっしゃい。」
昨年の夏には、北さんは、私ひとりを連れて行って下さったのである。こんどは私だけでなく、妻も園子(一年四箇月の女児)もみんなを一緒に連れて行って下さるというのである。北さんと中畑さんの事は、あの「帰去来」という小説に、くわしく書いて置いたけれども、北さんは東京の洋服屋さん、中畑さんは故郷の呉服屋さん、共に古くから私の生家と親密にして来ている人たちであって、私が五度も六度も、いや、本当に、数え切れぬほど悪い事をして、生家との交通を断たれてしまってからでも、このお二人は、
「しかし、大丈夫ですか? 女房や子供などを連れていって、玄関払いを食らわされたら、目もあてられないからな。」私は、いつでも最悪の事態ばかり予想する。
「そんな事は無い。」とお二人とも
「去年の夏は、どうだったのですか?」私の性格の中には、石橋をたたいて渡るケチな用心深さも、たぶんに
「それあ、兄さんの立場として、」北さんは思案深げに、「御親戚のかた達の手前もあるし、よく来たとは言えません。けれども、私が連れて行くんだったら、大丈夫だと思うのです。去年の夏の事も、あとで兄さんと東京でお逢いしたら、兄さんは私にただ一こと、北君は人が悪いなあ、とそれだけ言っただけです。怒ってなんかいやしません。」
「そうですか。中畑さんのほうは、どうでしたか? 何か兄さんに言われやしませんでしたか?」
「いいえ。」中畑さんは顔を上げ、「私には一ことも、なんにも、おっしゃいませんでした。いま
「そうですか。」私は少し安心した。「あなた達にご迷惑がかからない事でしたら、私は連れていってもらいたいのです。母に、逢いたくないわけは無いんだし、また、去年の夏には、文治兄さんに逢うことが出来ませんでしたが、こんどこそ逢いたい。連れていって下さると、私は大いにありがたいのですが、女房のほうはどうですか。こんどはじめて亭主の肉親たちに逢うのですから、女は着物だのなんだの、めんどうな事もあるでしょうし、ちょっと大儀がるかも知れません。そこは北さんから一つ、女房に説いてやって下さい。私から言ったんじゃ、あいつは愚図々々いうにきまっていますから。」私は妻を部屋へ呼んだ。
けれども結果は案外であった。北さんが、妻へ母の重態を告げて、ひとめ園子さんを、などと言っているうちに妻は、ぺたりと畳に両手をついて、
「よろしく、お願い致します。」と言った。
北さんは私のほうに向き直って、
「いつになさいますか?」
二十七日、という事にきまった。その日は、十月二十日だった。
それから一週間、妻は
二十七日十九時、上野発急行列車。満員だった。私たちは原町まで、五時間ほど立ったままだった。
ハハイヨイヨワルシ」ダザイイツコクモハヤクオイデマツ」ナカバタ
北さんは、そんな電報を私に見せた。一足さきに故郷へ帰っていた中畑さんから、けさ北さんの
翌朝八時、青森に着き、すぐに奥羽線に乗りかえ、川部という駅でまた
「まあ、
手を伸ばせば取れるほど真近かなところに林檎は赤く光っていた。
十一時頃、五所川原駅に着いた。中畑さんの娘さんが迎えに来ていた。中畑さんのお家は、この五所川原町に在るのだ。私たちは、その中畑さんのお家で一休みさせてもらって、妻と園子は着換え、それから金木町の生家を訪れようという計画であった。金木町というのは、五所川原から更に津軽鉄道に
私たちは中畑さんのお家で昼食をごちそうになりながら、母の
「よく来て下さいました。」中畑さんは、かえって私たちにお礼を言った。「いつ来るか、いつ来るかと気が気じゃなかった。とにかく、これで私も安心しました。お母さんは、黙っていらっしゃるけど、とてもあなた達を待っているご様子でしたよ。」
聖書に在る「
昼食をすませて出発の時、
「トランクは持って行かないほうがよい、ね、そうでしょう?」と北さんは、ちょっと強い口調で私に言った。「兄さんから、まだ、ゆるしが出ているわけでもないのに、トランクなどさげて、||」
「わかりました。」
荷物は一切、中畑さんのお家へあずけて行く事にした。病人に逢わせてもらえるかどうか、それさえまだわかっていない、という事を北さんは私に警告したのだ。
園子のおしめ袋だけを持って、私たちは金木行の汽車に乗った。中畑さんも一緒に乗った。
刻一刻、気持が暗鬱になった。みんないい人なのだ。誰も、わるい人はいないのだ。私ひとりが過去に於いて、ぶていさいな事を行い、いまもなお十分に聡明ではなく、悪評高く、その日暮しの貧乏な文士であるという事実のために、すべてがこのように気まずくなるのだ。
「景色のいいところですね。」妻は窓外の津軽平野を眺めながら言った。「案外、明るい土地ですね。」
「そうかね。」稲はすっかり刈り取られて、満目の稲田には冬の色が濃かった。「僕には、そうも見えないが。」
その時の私には故郷を誇りたい気持も起らなかった。ひどく、ただ、くるしい。去年の夏は、こうではなかった。それこそ胸をおどらせて十年振りの故郷の風物を眺めたものだが。
「あれは、岩木山だ。富士山に似ているっていうので、津軽富士。」私は苦笑しながら説明していた。なんの情熱も無い。「こっちの低い山脈は、ぼんじゅ山脈というのだ。あれが
ここがわしの生れ
「あれが、」僕の家、と言いかけて、こだわって、「兄さんの家だ。」と言った。
けれどもそれはお寺の屋根だった。私の生家の屋根は、その右方に在った。
「いや、ちがった。右の方の、ちょっと大きいやつだ。」滅茶々々である。
金木駅に着いた。小さい
「あの娘さんは、誰?」と妻は小声で私にたずねた。
「女中だろう?
小さい姪というのは兄の次女で、これは去年の夏に逢って知っていた。八歳である。
「シゲちゃん。」と私が呼ぶと、シゲちゃんは、こだわり無く笑った。私は少し助かったような気がした。この子だけは、私の過去を知るまい。
家へはいった。中畑さんと北さんは、すぐに二階の兄の部屋へ行ってしまった。私は妻子と共に仏間へ行って、仏さまを拝んで、それから
兄が出て来た。すっと部屋を素通りして、次の間に行ってしまった。顔色も悪く、ぎょっとするほど痩せて、けわしい容貌になっていた。次の間にも母の病気見舞いの客がひとり来ているのだ。兄はそのお客としばらく話をして、やがてその客が帰って行ってから、「
「ああ。」と
「いろいろ御心配をかけました。」私は固くなってお辞儀をした。「文治兄さんだ。」と妻に知らせた。
兄は、妻のお辞儀がはじまらぬうちに、妻に向ってお辞儀をした。私は、はらはらした。お辞儀がすむと、兄はさっさと二階へ行った。
はてな? と思った。何かあったな、と私は、ひがんだ。この兄は、以前から機嫌の悪い時に限って、このように妙によそよそしく、ていねいにお辞儀をするのである。北さんも中畑さんも、あれっきりまだ二階から降りて来ない。北さん何か失敗したかな? と思ったら急に心細いやら、おそろしいやら、胸がどきんどきんして来た。嫂がニコニコ笑いながら出て来て、
「さあ。」と私たちを促した。私は、ほっとして立ち上った。母に逢える。別段、気まずい事も無く、母との対面がゆるされるのだ。なあんだ。少し心配しすぎた。
廊下を渡りながら嫂が、
「二、三日前から、お待ちになって、本当に、お待ちになって。」と私たちに言って聞かせた。
母は離れの十畳間に寝ていた。大きいベッドの上に、枯れた草のようにやつれて寝ていた。けれども意識は、ハッキリしていた。
「よく来た。」と言った。妻が初対面の挨拶をしたら、頭をもたげるようにして、うなずいて見せた。私が園子を抱えて、園子の小さい手を母の痩せた手のひらに押しつけてやったら、母は指を震わせながら握りしめた。枕頭にいた五所川原の叔母は、
病室には叔母の他に、看護婦がふたり、それから私の一ばん上の姉、次兄の嫂、親戚のおばあさんなど大勢いた。私たちは隣りの六畳の控えの間に行って、みんなと挨拶を
「こんどは、ゆっくりして行くんでしょう?」
「さあ、どうだか。去年の夏みたいに、やっぱり二、三時間で、おいとまするような事になるんじゃないかな。北さんのお話では、それがいいという事でした。僕は、なんでも、北さんの言うとおりにしようと思っているのですから。」
「でも、こんなにお母さんが悪いのに、見捨てて帰る事が出来ますか。」
「いずれ、それは、北さんと相談して、||」
「何もそんなに、北さんにこだわる事は無いでしょう。」
「そうもいかない。北さんには、僕は今まで、ずいぶん世話になっているんだから。」
「それは、まあ、そうでしょう。でも、北さんだって、まさか、||」
「いや、だから、北さんに相談してみるというのです。北さんの指図に従っていると間違いないのです。北さんは、まだ兄さんと二階で話をしているようですが、何か、ややこしい事でも起っているんじゃないでしょうか。私たち親子三人、ゆるしも無く、のこのこ乗り込んで、||」
「そんな心配は
「それは、いつですか? 僕たちは見ませんでしたよ。」
「おや。私たちは、また、その速達を見て、おいでになったものとばかり、||」
「そいつあ、まずかったな。行きちがいになったのですね。そいつあ、まずい。妙に北さんが出しゃばったみたいな形になっちゃった。」なんだか、すっかりわかったような気がした。運が悪いと思った。
「まずい事は無いでしょう。一日でも早く、駈けつけたほうがいいんですもの。」
けれども、私は、しょげてしまった。わざわざ私たちを、商売を投げて連れて来て下さった北さんにも気の毒であった。ちゃんと、いい時期に知らせてあげるのに、なあ、という兄たちのくやしさもわかるし、どうにも具合いの悪い事だと思った。
先刻、駅へ迎えに来ていた若い娘さんが、部屋へはいって来て、笑いながら私にお辞儀をした。また失敗だったのだ。こんどは用心しすぎて失敗したのである。全然、女中さんではなかった。一ばん上の姉の子だった。この子の七つ八つの頃までは私も見知っていたが、その頃は色の黒い小粒の子だった。いま見ると、背もすらりとして気品もあるし、まるで違う人のようであった。
「
「べっぴんになりました。」私は真面目に答えた。「色が白くなった。」
みんな笑った。私の気持も、少しほぐれて来た。その時、ふと、隣室の母を見ると、母は口を力無くあけて肩で二つ三つ荒い息をして、そうして、痩せた片手を
「時々くるしくなるようです。」看護婦は小声でそう説明して、
「がんばって。園子の大きくなるところを見てくれなくちゃ駄目ですよ。」私はてれくさいのを
突然、親戚のおばあさんが私の手をとって母の手と握り合わさせた。私は片手ばかりでなく、両方の手で母の冷い手を包んであたためてやった。親戚のおばあさんは、母の掛蒲団に顔を押しつけて泣いた。叔母も、タカさん(次兄の嫂の名)も泣き出した。私は口を曲げて、こらえた。しばらく、そうしていたが、どうにも我慢出来ず、そっと母の傍から離れて廊下に出た。廊下を歩いて洋室へ行った。洋室は寒く、がらんとしていた。白い壁に、
日が暮れた。私は母の病室には帰らず、洋室のソファに黙って寝ていた。この離れの洋室は、いまは使用していない様子で、スウィッチをひねっても電気がつかない。私は寒い暗闇の中にひとりでいた。北さんも中畑さんも、離れのほうへ来なかった。何をしているのだろう。妻と園子は、母の病室にいるようだ。今夜これから私たちは、どうなるのだろう。はじめの予定では、北さんの意見のとおり、お見舞いしてすぐに金木を引き上げ、その夜は五所川原の叔母の家へ一泊という事になっていたのだが、こんなに母の容態が悪くては、予定どおりすぐ引き上げるのも、かえって気まずい事になるのではあるまいか。とにかく北さんに逢いたい。北さんは一体どこにいるのだろう。兄さんとの話が、いよいよややこしく、もつれているのではあるまいか。私は居るべき場所も無いような気持だった。
妻が暗い洋室にはいって来た。
「あなた! かぜを引きますよ。」
「園子は?」
「眠りました。」病室の控えの間に寝かせて置いたという。
「大丈夫かね? 寒くないようにして置いたかね?」
「ええ。叔母さんが毛布を持って来て、貸して下さいました。」
「どうだい、みんないいひとだろう。」
「ええ。」けれども、やはり不安の様子であった。「これから私たち、どうなるの?」
「わからん。」
「今夜は、どこへ泊るの?」
「そんな事、僕に聞いたって仕様が無いよ。いっさい、北さんの指図にしたがわなくちゃいけないんだ。十年来、そんな習慣になっているんだ。北さんを無視して直接、兄さんに話掛けたりすると、騒動になってしまうんだ。そういう事になっているんだよ。わからんかね。僕には今、なんの権利も無いんだ。トランク一つ、持って来る事さえできないんだからね。」
「なんだか、ちょっと北さんを
「ばか。北さんの好意は、身にしみて、わかっているさ。けれども、北さんが間にはいっているので、僕と兄さんとの仲も、妙にややこしくなっているようなところもあるんだ。どこまでも北さんのお顔を立てなければならないし、わるい人はひとりもいないんだし、||」
「本当にねえ。」妻にも少しわかって来たようであった。「北さんが、せっかく連れて来て下さるというのに、おことわりするのも悪いと思って、私や園子までお
「それもそうだ。うっかりひとの世話なんか、するもんじゃないね。僕という難物の存在がいけないんだ。全くこんどは北さんもお気の毒だったよ。わざわざこんな遠方へやって来て、僕たちからも、また、兄さんたちからも、そんなに
妻は、でも、すぐには立ち去ろうとしなかった。暗闇の中に、うなだれて立っている。こんな暗いところに二人いるのを、ひとに見られたら、はなはだ具合いがわるいと思ったので私はソファから身を起して、廊下へ出た。寒気がきびしい。ここは本州の北端だ。廊下のガラス戸越しに、空を眺めても、星一つ無かった。ただ、ものものしく暗い。私は
嫂が私たちをさがしに来た。
「まあ、こんなところに!」明るい驚きの声を
「速達が行きちがいになりまして。」私は次兄の顔を見るなり、思わずそれを言ってしまった。次兄は、ちょっと
北さんは元気が無かった。浮かぬ顔をしていた。酒席にあっては、いつも
それでも、五所川原の先生が、少し酔ってはしゃいでくれたので、座敷は割に陽気だった。私は腕をのばして、長兄にも次兄にもお
北さんはその夜、五所川原の叔母の家に泊った。金木の家は病人でごたついているので、北さんは遠慮したのか、とにかく五所川原へ泊る事になったのだ。私は停車場まで北さんを送って行った。
「ありがとうございました。おかげさまでした。」私は心から、それを言った。いま北さんと別れてしまうのは心細かった。これからは誰も私に指図をしてくれる人は無い。「僕たちは今晩、このまま金木へ泊ってもかまわないのですか?」何かと聞いて置きたかった。
「それあ構わないでしょう。」私の気のせいか、少しよそよそしい口調だった。「なにせ、お母さんがあんなにお悪いのですから。」
「じゃ私たちは、もう二、三日、金木の家へ泊めてもらって、||それは
「お母さんの容態に
「北さんは?」
「あした東京へ帰ります。」
「たいへんですね。去年の夏も、北さんは、すぐにお帰りになったし、ことしこそ、青森の近くの温泉にでも御案内しようと、私たちは準備して来たのですけど。」
「いや、お母さんがあんなに悪いのに、温泉どころじゃありません。じっさい、こんなに容態がお悪くなっているとは思わなかった。案外でした。あなたに払っていただいた汽車賃は、あとで計算しておかえし致しますから。」突然、汽車賃の事など言い出したので、私はまごついた。
「冗談じゃない。お帰りの切符も私が買わなければならないところです。そんな御心配は、よして下さい。」
「いや、はっきり計算してみましょう。中畑さんのところにあずけて置いたあなた達の荷物も、あした早速、中畑さんにたのんで金木のお家へとどけさせる事にしましょう。もう、それで私の用事は無い。」まっくらい路を、どんどん歩いて行く。「停車場はこっちでしたね? もう、お見送りは結構ですよ。本当に、もう。」
「北さん!」私は追いすがるように、二、三歩足を早めて、「何か兄さんに言われましたか?」
「いいえ。」北さんは、歩をゆるめて、しんみりした口調で言った。「そんな心配は、もう、なさらないほうがいい。私は今夜は、いい気持でした。文治さんと英治さんとあなたと、立派な子供が三人ならんで坐っているところを見たら、涙が出るほど、うれしかった。もう私は、何も要らない。満足です。私は、はじめから一文の報酬だって望んでいなかった。それは、あなただってご存じでしょう? 私は、ただ、あなた達兄弟三人を並べて坐らせて見たかったのです。いい気持です。満足です。修治さんも、まあ、これからしっかりおやりなさい。私たち老人は、そろそろひっこんでいい頃です。」
北さんを見送って、私は家へ引返した。もうこれからは北さんにたよらず、私が直接、兄たちと話合わなければならぬのだ、と思ったら、うれしさよりも恐怖を感じた。きっとまた、へまな不作法などを演じて、兄たちを怒らせるのではあるまいかという
家の中は、見舞い客で混雑していた。私は見舞客たちに見られないように、台所のほうから、こっそりはいって、離れの病室へ行きかけて、ふと「
「お母さんは、どうしても、だめですか?」と言った。いかにも唐突な質問で、自分ながら、まずいと思った。英治さんは、苦笑を浮べ、ちょっとあたりを見廻してから、
「まあ、こんどは、むずかしいと思わねばいけない。」と言った。そこへ突然、長兄がはいって来た。少しまごついて、あちこち歩きまわって、押入れをあけたりしめたりして、それから、どかと次兄の傍にあぐらをかいた。
「困った、こんどは、困った。」そう言って顔を伏せ、眼鏡を
ふと気がつくと、いつの間にか私の背後に、一ばん上の姉が、ひっそり坐っていた。