一日一日を、たっぷりと生きて行くより
家の者達にも、めっきり優しくなっている。隣室で子供が泣いても、知らぬ振りをしていたものだが、このごろは、立って隣室へ行き不器用に抱き上げて軽くゆすぶったりなどする事がある。子供の寝顔を、忘れないように、こっそり見つめている夜もある。見納め、まさか、でも、それに似た気持もあるようだ。この子供は、かならず、丈夫に育つ。私は、それを信じている。なぜだか、そんな気がして、私には心残りが無い。外へ出ても、なるべく早く帰って、晩ごはんは家でたべる事にしている。食卓の上には、何も無い。私には、それが楽しみだ。何も無いのが、楽しみなのだ。しみじみするのだ。家の者は、面目ないような顔をしている。すみません、とおわびを言う。けれども私は、
「つくだ煮。わるくないね。
「しなびてしまって。」家の者には自信が無い。
「しなびてしまっても海老は海老だ。僕の大好物なんだ。海老の
食卓には、つくだ煮と、白菜のおしんこと、
「おしんこ、おいしいねえ。ちょうど食べ頃だ。僕は小さい時から、白菜のおしんこが一ばん好きだった。白菜のおしんこさえあれば、他におかずは欲しくなかった。サクサクして、この歯ざわりが、こたえられねえや。」
「お塩もこのごろお店に無いので、」家の者には、やっぱり自信が無い。浮かぬ顔をしている。「おしんこを作るのにも思いきり塩を使う事が出来なくなりました。もっと塩をきかせると、おいしくなるんでしょうけど。」
「いや、これくらいが、ちょうどいい。塩からいのは、僕は、いやなんだ。」頑固に言い張るのだ。まずしいものを褒めるのは、いい気持だ。
けれども時々、失敗する事がある。
「今夜は? そうか、何も無いか。こういう夜もまた一興だ。工夫しよう。そうだ、
「無いのよ。」家の者は、間の悪そうな顔をしている。「このごろ海苔は、どこの店にも無いのです。へんですねえ。私は買物は、下手なほうではなかったのですけど、このごろは、肉もおさかなも、なんにも買えませんので、市場で買物籠さげて立ったまま泣きべそを
私は自分の
「梅干があるかい?」
「ございます。」
二人とも、ほっとした。
「我慢するんだ。なんでもないじゃないか。米と野菜さえあれば、人間は結構生きていけるものだ。日本は、これからよくなるんだ。どんどんよくなるんだ。いま、僕たちがじっと我慢して居りさえすれば、日本は必ず成功するのだ。僕は信じているのだ。新聞に出ている大臣たちの言葉を、そのまま全部、そっくり信じているのだ。思う存分にやってもらおうじゃないか。いまが大事な時なんだそうだ。我慢するんだ。」梅干を頬張りながら、まじめにそんなわかり切った事を言い聞かせていると、なぜだか、ひどく痛快なのである。
或る夜、よそで晩ごはんを食べて、山海の珍味がたくさんあったので驚いた。不思議な気がした。恥をしのんで、女中さんにこっそりたのんで、ビフテキを一つ包んでもらった。ここでおあがりになるのなら、かまわないのですが、お持ちになるのは違法なんですよ、と女中さんは当惑そうな顔をしていた。ビフテキの、ほの温い包みを持って家へ帰る。この楽しさも、ことしはじめて知らされた。私はいままで、家に手土産をぶらさげて帰るなど、絶無であった。実に不潔な、だらしない事だと思っていた。
「女中さんに三べんもお辞儀をした。苦心さんたんして持って来たんだぜ。久し振りだろう。牛の肉だ。」私は無邪気に誇った。
「くすりか何かのような気がして、」家の者は、おずおずと
「まあ、食べてみなさい。おいしいだろう? みんな食べなさい。僕は、たくさん食べて来たのだ。」
「お顔にかかわりますよ。」家の者は、意外な事を小声で言った。「私はそんなに食べたくもないのですから、女中さんに頭をさげたりなど、これからは、なさらないで下さい。」
そう言われて私は、ちょっと具合がわるかったけれど、でも、安心の思いのほうが大きかった。たいへん安心したのである。大丈夫だ。もう
家の者達に就いては、いまは少しも心配していないので、毎日、私は気軽である。青空を眺めて楽しみ、煙草を吸い、それから努めて世の中の人たちにも優しくしている。
三鷹の私の家には、大学生がたくさん遊びに来る。頭のいいのもあれば、頭のわるいのもある。けれども一様に正義派である。いまだかつて私に、金を貸せ、などと云った学生は一人も無い。かえって私に、金を貸そうとする素振りさえ見せる学生もある。一つの打算も無く、ただ私と談じ合いたいばかりに、遊びに来るのだ。私は
||はなはだ、僕は、失礼なのだが、用談は、三十分くらいにして、くれないか。今月、すこし、まじめな仕事があるのだ。ゆるせ。太宰治。||
玄関の障子に、そんな
学生たちは、だんだん私の家へ来なくなった。そのほうがよいと思っている。学生たちは、私から離れて、まじめに努力しているだろう。
一日一日の時間が惜しい。私はきょう一日を、出来るだけたっぷり生きたい。私は学生たちばかりでなく、世の中の人たち皆に、精一ぱいの正直さで附き合いはじめた。
往復葉書で、こんな便りが来た。
||女の決闘、駈込み訴え。結局、先生の作品は変った小説だとしか私には消化出来ない。何か先生より啓示を得たいと思う。一つ御説明を願いたい。端的に。ダダイズムとは結局、何を意味するか。お願いします。草田舎の国民学校訓導より。||
私は返事を出した。
||拝復。
御質問に、まじめにお答え致します。私はいままで、ダダイズムを自称した事は一度もありませんでした。私は自分を、下手な作家だと思っています。なんとかして自分の胸の思いをわかってもらいたくて、さまざまのスタイルを試みているのですが、成功しているとも思えません。不器用な努力です。私は、ふざけていません。不一。||
その国民学校の先生が、私の家へ呶鳴り込んで来てもいいと覚悟して書いたのであるが、四五日経ってから、次のような、やや長い手紙が来た。
||十一月二十八日。昨夜の疲労で今朝は七時の時報を聞いても仲々起きられなかった。範画教材として描いた笹の墨絵を見ながら、入営(×月×日)のこと、文学のこと、花籠のこと等、漠然と考えはじめた。××県地図と笹の絵が、白い宿直室の壁に、何かさむざむとへばりついているのが、自分を暗示しているような気がしてならない。こんな気分の時には、きまって何か失敗が起るのだ。師範の寄宿舎で
「先生お早うす。」
学校に近い部落の児が二人、井戸端で足を洗っていた。
二時間目の授業を終えて、職員室で湯を呑んで、ふと窓の外を見たら、ひどいあらしの中を黒合羽着た郵便配達が自転車でよろよろ難儀しながらやって来るのが見えた。私は、すぐに受け取りに出た。私の受け取ったものは、思いがけない人からの返書でした。先生、その時、私は、随分月並な言葉だけれど、(中略)
本当に、ありがとうございました。私は常に後悔しています。理由なき
校長にも、お葉書を見せました。校長は言いました。「ほんとうにこれは、君の三思三省すべきところだ。」私も、そう思いました。
(中略)
私は先生にお願いします。
私が
(中略)
私はいまペンを置いて「その火絶やすな」という歌を、この学校に一つしかない小さいオルガンで歌いたいと思います。敬具||
ところどころ私が勝手に省略したけれど、以上が、その国民学校訓導の手紙の内容である。うれしかった。こんどは私のほうから、お礼状を書いた。入営なさるも、せぬも、一日一日の義務に努力していて下さい、とも書き添えた。
本当にもう、このごろは、一日の義務は、そのまま生涯の義務だと思って厳粛に努めなければならぬ。ごまかしては、いけないのだ。好きな人には、一刻も早くいつわらぬ思いを飾らず打ちあけて置くがよい。きたない打算は、やめるがよい。率直な行動には、悔いが無い。あとは天意におまかせするばかりなのだ。
つい先日も私は、叔母から長い手紙をもらって、それに対して、次のような返事を出した。その文面は、そのまんま或る新聞の文芸欄に発表せられた。
||叔母さん。けさほどは、長いお手紙をいただきました。私の健康状態やら、また、将来の暮しに就いて、いろいろ御心配して下さってありがとうございます。けれども、私はこのごろ、私の将来の生活に就いて、少しも計画しなくなりました。虚無ではありません。あきらめでも、ありません。へたな
明日の事を思うな、とあの人も言って居られます。朝めざめて、きょう一日を、十分に生きる事、それだけを私はこのごろ心掛けて居ります。私は、嘘を言わなくなりました。虚栄や打算で無い勉強が、少しずつ出来るようになりました。明日をたのんで、その場をごまかして置くような事も今は、なくなりました。一日一日だけが、とても大切になりました。
決して虚無では、ありません。いまの私にとって、一日一日の努力が、全生涯の努力であります。戦地の人々も、おそらくは同じ気持ちだと思います。叔母さんも、これからは
このごろ私は、毎朝かならず
純白のさらし木綿を一反、腹から胸にかけてきりりと巻いている。いつでも、純白である。パンツも純白のキャラコである。
書斎には、いつでも季節の花が、活き活きと咲いている。けさは水仙を床の間の壺に投げ入れた。ああ、日本は、佳い国だ。パンが無くなっても、酒が足りなくなっても、花だけは、花だけは、どこの花屋さんの店頭を見ても、いっぱい、いっぱい、
私はこのごろ、破れたドテラなんか着ていない。朝起きた時から、よごれの無い、縞目のあざやかな着物を着て、きっちり角帯をしめている。ちょっと近所の友人の家を訪れる時にも、かならず第一の正装をするのだ。ふところには、洗ったばかりのハンケチが、きちんと四つに畳まれてはいっている。
私は、このごろ、どうしてだか、紋服を着て歩きたくて仕様がない。
けさ、花を買って帰る途中、三鷹駅前の広場に、古風な馬車が客を待っているのを見た。明治、
「この馬車は、どこへ行くのですか。」
「さあ、どこへでも。」老いた馭者は、あいそよく答えた。「タキシイだよ。」
「銀座へ行ってくれますか。」
「銀座は遠いよ。」笑い出した。「電車で行けよ。」
私は此の馬車に乗って銀座八丁を練りあるいてみたかったのだ。鶴の丸(私の家の紋は、鶴の丸だ)の紋服を着て、
┌昭和十六年十二月八日之を記せり。 ┐
└この朝、英米と戦端ひらくの報を聞けり。┘
(「新潮」昭和十七年一月号)
└この朝、英米と戦端ひらくの報を聞けり。┘
(「新潮」昭和十七年一月号)