支那に遊んで杭州の西湖 へ往った者は、その北岸の山の上と南岸の湖縁 とに五層となった高い大きな塔の聳えているのを見るであろう。そして、南岸の湖縁の丘の上に聳えた赭 い塔の夕陽に照された雄大な姿には、わけて心をひかれるであろう。その南岸の雄大な塔は、西湖十景の一つにかぞえられた雷峯塔 で、北岸のは保叔塔 である。そのうちで雷峯塔は呉越王妃 黄氏 の建立 したものであるが、西湖の伝説を集めた『西湖佳話』では奇怪な因縁から出来あがったものとなっている。
宋の高宗帝が金の兵に追われて、揚子江を渡って杭州に
許宣はそのとき二十二であった。きゃしゃな綺麗な顔をした、どこか貴公子然たる処のある男であった。それは
「今日、保叔塔へお詣りしたいと思います、一日だけお暇をいただきとうございます」
清明の日には祖先の墓へ行って祖先の冥福を祈るのが土地の習慣であるし、両親のない許宣が寺へ往くことはもっとものことであるから、李将仕は機嫌好く承知した。
「いいとも、往ってくるがいい、往ってお出で」
そこで許宣は舗を出て、
許宣は銭塘門を出て、
山の麓に四聖観という堂があった。許宣が四聖観へまでおりた時、急に陽の光がかすれて
許宣は湖縁から舟を雇うて
「張さん、張さん、おい張さん」
許宣の声が聞えたとみえて、船頭は顔をあげて
「おれだ、おれだ、張さん、湧金門まで乗っけてくれないか」
船頭は許宣を見つけた。
「ほう、
船頭は驚いたように言って艪をぐいと
「気の毒だが、湧金門までやっておくれ、保叔塔へ焼香に往ってて雨を
「そいつは大変でしたね、早くお乗んなさい、わっしも湧金門へいくところじゃ」
「そうか、そいつはちょうどいい、乗っけてもらおう」
許宣は急いで足を洗って舟へ乗った。船頭は
「もし、もし、船頭さん、すみませんが、乗せてってくださいまし」
ふくらみのある女の声がするので許宣は笘の隙から陸の方を見た。背のすらりとした綺麗な女が青い上衣を著た
「張さん、乗っけてやろうじゃないか、困ってるじゃないか」
「そうですな、ついでだ、乗っけてやりましょうや」
船頭はまた舟を陸へやった。絹糸のような小雨の舳に降るのが見えた。
「どうもすみません、俄に雨になったものですから······」
「どうもすみません、お邪魔をさせていただきます」
女はおちついた物腰であいさつをした。許宣はきまりがわるかった。彼はあわてて女のあいさつに答えながら体を後ろの方へのけた。
「さあ、どうぞ」
女はそのまま入ってきてその膝頭にくっつくようにして坐った。女の体に塗った香料の匂いがほんのりとした。許宣は眩しいので眼を伏せていたが、女の顔をはっきりと見たいという好奇心があるのでそろそろと眼をあげた。黒い潤みのある女の眼がじっと自分の方を見ているのにぶっつかった。許宣はあわててまた眼をそらした。
「あなたは、どっちにお住居でございます」
女は執著を持ったような
「過軍橋の黒珠巷です。許という姓で、名は宣と言います、あなたは」
「私は白と申します、私の家は
「そうでしたか、私の両親も早く没っておりますので、今日は保叔塔寺へ往ったところで、この雨ですから、舟を雇おうと思って、来て見ると知合いの舟がいたので、乗ったところでした、ちょうど宜しゅうございました」
舟は府城の城壁に沿うて南へ南へと往った。絹糸のような雨が絶えず笘屋根の外にあった。
「家を出る時は、好いお天気でしたから、雨のことなんか、ちょっとも思わなかったものですから、困ってしまいました、ほんとにありがとうございました」
小婢が主人の横脇でもそもそと体を動かす気配がした。
「私も姐の家に世話になって、日間は親類の薬舗へ勤めておりますので、暇をもらって、やっぱり雨のことは考えずに、来たものですから、ひどい目に逢いました、皆、今日は困ったでしょうよ」
許宣は気もちをいじけさせずに女と話すことができた。
舟はもう湧金門の外へ来ていた。小さな白い雨は依然として降っていた。女は何か思いだしたように自分の体のまわりをじっと見た後で、小婢の耳へ口を著けて小声で囁いて困ったような顔をした。と、小婢の眼元が笑って女に囁きかえした。それでも女は困ったような顔をしていた。
「あのね、なんですが」
小婢の顔が此方を見た。許宣は何事だろうと思った。
「今朝、家を出る時に、急いだものですから、お
「そんなことはいいのですよ、私が払いますから」
舟はもう水際へ著いていた。女はきまりわるそうにもじもじしていた。
「さあ舟が著きました、あがりましょう」
許宣は腰につけた銭袋からいくらかの銭を取って舟の上に置いた。
「どうもすみません」
女はそう言って
もう
「あの、なんですけど、雨もこんなに降りますし、もう日も暮れかけましたから、私の家へまいりましょうじゃありませんか、拝借したお銭もお払いしとうございますから」
許宣は女の家へも往きたかったが、姐の家に気がねがあるので往けなかった。
「もう遅うございますから、またこの次に伺います」
「そうですか、······それでは、また、お眼にかかります、どうもありがとうございました」
女はのこり惜しそうな顔をして別れて往った。小婢は包みを持って後から歩いていた。許宣ものこり惜しいような気がするので、そのまま立っていて眼をやると、もう、二人の姿は見えなかった。許宣は気が
許宣は
「おや、あなた」
許宣は左の方を振り向いた。そこの茶館の簷下にさっきの
「や、あなたでしたか、さっきは失礼しました」
「さきほどはありがとうございました、どうも雨がひどいものですから、
「そうですか、それは······、では、この傘を持っていらっしゃい、私はすぐそこですから、傘がなくってもいいのです」
許宣は自分の手にした傘を女に渡そうとしたが、女は手を出さなかった。
「ありがとうございますが、それではあんまりでございますから、もう婢がまいりましょうから」
「なに、いいのです、私は、もう、すぐそこですから、傘をさすほどのことはないのです、さあお持ちなさい、傘は私が明日でも取りにあがりますから」
「でも、あんまりですわ」
「なに、いいのです」
許宣は強いて
「ではすみませんが、拝借いたしましょうか、私の家は
女は細そりした長い指を柄にからませた。
「そうですか、それではまたお眼にかかります」
許宣は女に気をもまさないようにと、傘を渡すなり簷下に添うてとかとかと歩きだした。それといっしょに女も簷下を離れて石を敷いた道の上へ出て往った。
許宣はその夜寝床に入ってからも
女は寝床の上にいつの間にかあがってしまった。許宣は
翌朝になって許宣はいつものように早くから
許宣はそうして白娘子の家を訪ねて歩いたが、それらしい家は見つからなかった。人に訊いても
「おや、いらっしゃいまし」
「傘をもらっていこうと思って、今、来たところですが、どこです」
許宣は腹の裏を見透かされるように思って長い間探していたとは言えなかった。彼はそうして小婢に
大きな
「ここですわ」
許宣はこんな大きな家に住んでいる人が何故判らなかったろうと思って不審した。彼はそのまま小婢に
二人は家の内へ入って
「奥様、昨日御厄介になった方が、いらっしゃいました」
小婢が内へ向いて言った。すると内から白娘子の声がした。
「そう、では、此方へね、さあ、あなた、どうかお入りくださいまし」
白娘子の詞に随いて小婢が言った。
「さあ、どうかお入りくださいまし」
許宣はきまりがわるいので躊躇していた。小婢が追いたてるように促した。
「奥様もあんなにおっしゃってますから、どうぞ」
許宣はそこで心を定めて入った。
白娘子が濃艶な顔をして出てきた。許宣はなんだかもう路傍の人でないような気がしていたが、その一方では非常にきまりがわるかった。
「よくいらっしゃいました、昨日はまたいろいろ御厄介になりまして、ありがとうございました」
「いや、どういたしまして、今日はちょっとそこまでまいりましたから、お住居はどのあたりだろうと思って、何人かに訊いてみようと思ってるところへ、ちょうど
二人が卓に向きあって腰をかけたところで、小婢が茶を持ってきた。許宣はその茶を飲みながらうっとりした気もちになって女の詞を聞いていた。
「では、これで······」
許宣は動きたくはなかったが、いつまでも茶に坐っているわけにゆかなかった。腰をあげたところで、小婢が酒と
「何もありませんが、お一つさしあげます」
「いや、そんなことをしていただいてはすみません、これで失礼いたします」
「何もありません、まあお一つ、そうおっしゃらずに」
許宣は気のどくだと思ったが女の傍にいたくもあった。彼はまた坐って数杯の酒を飲んだ。
「これで失礼いたします、もうだいぶん遅くなったようですから」
許宣は遅くなったことに気が注いたので、思い切って帰ろうとした。
「もうお止めいたしますまいか、あまり何もありませんから、それでは、もう、ちょっとお待ちを願います。昨日拝借したお傘を、家の者が知らずに
許宣はすぐ今日もらって往くよりは、置いていく方がまたここへ来る口実があっていいと思った。
「なに、傘はそんなに急ぎませんよ、また明日でも取りにあがりますから、今日でなくってもいいのです」
「では、明日、私の方からお宅へまでお届けいたしますから」
「いや、私があがります、店の方も隙ですから」
「では、お遊びにいらしてくださいまし、私は毎日相手がなくて困っておりますから」
「それでは明日でもあがります、どうも御馳走になりました」
許宣は白娘子に別れ、小婢に門口まで見送られて帰ってきたが、心はやはり白娘子の傍にいるようで、自分で自分を意識することができなかった。そして、翌日舗に出ていても仕事をする気になれないので、また口実を設けて外へ出て、そのまま双茶坊の白娘子の家へ往った。
許宣の往く時間を知って待ちかねていたかのように小婢が出てきた。
「ようこそ、さあどうかお入りくださいまし、今、奥様とお噂いたしておったところでございます」
「今日は傘だけいただいて帰ります。傘をください、ここで失礼します」
許宣はそう言ったものの早く帰りたくはなかった。彼は白娘子が出てきてくれればいいと思っていた。
「まあ、そうおっしゃらずに、ちょっとお入りくださいまし」
小婢はそう言ってから内へ入って往った。許宣は小婢が白娘子を呼びに往ったことを知ったので嬉しかった。彼は白娘子の声が聞えはしないかと思って耳を傾けた。
人の気配がして小婢が引返してきた。小婢の後から白娘子の顔が見えた。
「さあ、どうぞ、お入りくださいまし、もしかすると、今日いらしてくださるかも判らないと思って、朝からお待ちしておりました」
「今日はもうここで失礼します、毎日お邪魔をしてはすみませんから」
「私の方は、毎日遊んでおりますから、お客さんがいらしてくださると、ほんとに嬉しゅうございますわ、お急ぎでなけりゃ、お入りくださいましよ」
「私もべつに用事はありませんが、毎日お邪魔をしてはすみませんから」
「御用がなけりゃ、どうかお入りくださいまし、さあ、どうか」
許宣はきまりわるい思いをせずに、白娘子に随いて昨日の室へ往くことができた。室へ入って白娘子と向き合って坐ったところで、小婢がもう酒と肴を持ってきた。
「もうどうぞ、一本の破傘のために、毎日そんなことをしていただいては、すみません、今日はすぐ帰りますから、傘が返っているならいただきます」
許宣はなんぼなんでも一本の傘のことで、二日も御馳走になることはできないと思った。
「まあ、どうか、何もありませんが、召しあがってくださいまし、お話ししたいこともございますから」
白娘子はそう言って心持ち顔をあからめた。それは夢に見た白娘子の艶かしい顔であった。許宣は卓の上に眼を落した。
「さあ、おあがりくださいまし、私もいただきます」
白娘子の声に随いて許宣は盃を口のふちへ持っていったが、何を飲んでいるか判らなかった。許宣はそうして自分の顔のほてりを感じた。
「さあ、どうぞ」
許宣は白娘子の言うなりに盃を手にしていたが、ふと気が注くとひどく長座したように思いだした。
「何かお話が、······あまり長居をしましたから」
「お話ししたいことがありますわ、では、もう一杯いただいてくださいまし、それでないと申しあげにくうございますから」
白娘子はそう言って許宣の眼に自分の眼を持ってきた。それは白いぬめぬめする輝きを持った眼であった。許宣はきまりがわるいので盃を持ってそれをまぎらした。同時に香気そのもののような女の体が来て、許宣の体によりかかった。
「神の前でお話しすることですから、決して冗談じゃありませんから、本気になって聞いてくださいまし、私は主人を没くして、独りでこうしておりますが、なにかにつけて不自由ですし、どうかしなくちゃならないと思っていたところで、あなたとお近づきになりました、私はあなたにお願いして、ここの主人になっていただきたいと思いますが」
貧しい孤児の前に夢のような幸福が降って湧いた。許宣は喜びに体がふるえるようであったが、しかし、貧しい自分の身を顧みるとこうした富豪の婦人と結婚することは思いもよらなかった。彼はそれを考えていた。
「お厭でしょうか、あなたは」
許宣はもう黙っていられなかった。彼は吃るように言いだした。
「そんなことはありませんが、私は、家もない、何もない、姐の家に世話になって、それで、日間は親類の鋪へ出ているものですから」
「他に御事情がなければ、他に御事情があればなんですが、そんなことなら私の方でどうにでもいたしますから」
そう言って白娘子は顔をあげて婢を呼んだ。小婢がもうそこに来ていた。白娘子は何か小声で言いつけた。
小婢はそのまま室を出て往ったが、まもなく小さな包みを持ってきて白娘子に渡した。白娘子はそれをそのまま許宣の前へ置いた。
「これを費用にしてくださいまし、足りなければありますから、そうおっしゃってくださいまし」
それは五十両の銀貨であった。許宣は手を出さなかった。
「それをいただきましては」
「いいじゃありませんか、費用ですもの」
白娘子はそれを許宣の手に持っていった。許宣は受けて袖の中へ入れた。
「それでは、今日はもう遅いようですから、お帰りになって、またいらしてくださいまし」
小婢がそこへ傘を持って出てきた。許宣はふらふらと起って傘を持って出た。
許宣は夜になって姐の許へ帰って、結婚の相談をしようと思ったが、人生の一大事のことをせけんばなしのようにして話したくないので、その晩は何も言わずに寝て、翌朝起きるなりそれまで貯えてあった僅な銭を持って市場へ往き、

「今朝は、私の処で御飯を
李幕事夫婦は不思議に思いながら許宣の室へ来たが、卓の上の御馳走を見るとまた驚いた。
「今日は、ぜんたいどうしたというのだ、へんじゃないか」
李幕事は突っ立ったなりに言った。
「すこしお願いしたいことがありますからね、どうか、まあお掛けください」
許宣はとりすまして言った。
「どんなことだ、さあ言ってみるがいい」
「まあ、二三杯あがってください、ゆっくりお話しますから」
許宣は李幕事夫婦に酒を勧めた。酒は二
「私は、これまで御厄介をかけて、こんなに大きくなりましたが、その御厄介ついでに、も一つお願いしなくてはならないことがあります、私は、婚礼したいと思います」
「婚礼か、婚礼は大事だから、一つ考えて置こう、なあお前」
李幕事は細君の顔を見たが、それっきり婚礼のことに就いては何も言わなかった。もすこし具体的な話をしようと思っていた許宣は、もどかしかったがどうすることもできなかった。
酒がすむと李幕事は逃げるように室を出て往った。許宣はしかたなしに李幕事の返辞を待つことにして待っていたが、二日経っても三日経っても何の返辞もなかった。そこで許宣は姐の処へ往った。
「姐さん、この間のことを、兄さんと相談してくれましたか」
「まだしてないよ」
「なぜしてくれないのです」
「兄さんが忙しかったからね」
「忙しいよりも、兄さんは、私が婚礼すると、金がかかると思って、それで逃げてるのじゃないでしょうか、金のことなら大丈夫ですよ、ありますから」
許宣はそう言って袖の中から五十両の
「一銭も兄さんに迷惑はかけませんよ、ただ親元になって、儀式をあげてもらえばそれでいいのですよ」
姐は金を見て笑顔になった。
「おかしいね、お前はどっかのお婆さんと婚礼するのじゃないかね、まあいいわ、私がこれを預ってて、兄さんが帰ってきたなら、話をしよう」
許宣はそれから姐の室を出てきた。姐はその夜李幕事の帰ってくるのを待っていて、許宣の置いて往った金を見せた。
「あれは、何人かと約束しているのですよ、親元になって、儀式さえあげてやればいいのですよ、早く婚礼をさそうじゃありませんか」
「じゃ、この金は、女の方からもらったのだね」
李幕事はそう言って銀を手に取りあげた。そして、その銀の表に眼を落した。
「た、たいへんだ」
李幕事は眼を一ぱいに瞠って驚いた。
「何を、そんなにびっくりなさるのです」
細君には合点がいかなかった。
「この金は、
李幕事は朝になるのを待ちかねて、許宣の置いて往った金を持って臨安府へ往った。府では
「李幕事の訴えによって、その方が邵大尉の庫の中の金を盗んだ盗賊と定まった、後の四十九錠の金はどこへ隠した、包まずに白状するがよかろう」
捕卒がふみこんできた時から、もう気が転動して物の判別を失っていた許宣は、邵大尉庫中の盗賊と言われて、はじめて自分に重大な嫌疑のかかっていることを悟った。
「私は、決して、人の物を盗むような者ではありません、それは人違いです」
許宣は一生懸命になって
「いつわるな、その方が邵大尉の庫の中から金を盗んだということは、その方が姐に預けた、五十両の金が証拠だ、あの金はどこにあったのじゃ」
「あの金は、
許宣はそこで白娘子と近づきになったことから、結婚の約束をするようになったいきさつを
捕卒は縄つきのままで許宣を道案内にして双茶坊へ往って、秀王墻の前になって高い
捕卒は家の前へ立って手筈を定め、門を開いて入って往った。扉はなくなり
捕卒は別れ別れになって室の中へ入った。荒れ崩れて陰々として見える室の中には、人の足音を聞いて逃げる鼠の姿があるばかりで、どこにも人の影はなかった。別れていた捕卒はいつの間にかいっしょになって、最後の奥まった
「われわれは、
女はじっと顔をあげたが、何も言わなければ驚いた容子もなかった。
「あのおちつきすましたところは、曲者だ、捉えろ」
捕卒は一斉に走りかかって往った。と、同時に雷のような一大音響がした。捕卒はびっくりしてそこへ立ち縮んだ。そして、気が注いて女の方を見た。女の姿はもう見えなかった。捕卒は逃がしてはならないと思って、今度は腹を定めて室の内へ飛びこんで往った。女の姿は依然として見えなかったが、牀の傍に銀の包みを積みあげてあった。それは紛失していたかの四十九個の銀錠であった。
捕卒は銀錠を
一方邵大尉の方では、約束の通り懸賞金五十両を出してそれを李幕事に与えたが、李幕事は義弟に苦痛を見せることによって得た金であるから、心苦しくてたまらないので、牢屋の内にいる許宣に面会して、その金を旅費に与え、
その日になると許宣は二人の護送人に連れられて牢屋を出た。府庁の門口には李幕事夫婦をはじめ、李将仕などが来て待っていた。許宣は涙を
三日ばかりして蘇州府へ着いた。李将仕の手簡を見た范院長と王主人は、金を使って奔走したので、許宣は王主人の許へ預けられることになった。
許宣は王主人の許に世話になってから半年ばかりになった。彼はそこで毎日
「轎に乗った女がきて、お前さんを尋ねている、
許宣は心当りはなかったが、
「この
「私は、決して、そんな悪いものではありません、それをあなたに
白娘子は心もち綺麗な首を傾げてさも困ったというようにした。
「いくら俺をだまそうとしたって、もうその手に乗るものかい、この
許宣の後から出てきた王主人は、許宣に門前でやかましく言われては、隣家へつけてもていさいがわるいので、その傍へ往って言った。
「遠くからいらした方らしいじゃないか、まあ内へ入れて、話をしたらどうだね」
王主人はそう言ってから白娘子の方を見た。
「さあ、どうかお入りください」
白娘子は体を動かそうとした。許宣がその前に立ち塞がった。
「こいつを、家の中へ入れてはだめです、こいつが、私を苦しめた
白娘子は小婢の方を見て微笑した。王主人は女のそうした綺麗なやさしい顔を見て疑わなかった。
「こんな妖怪があるものかね、まあいい、後で話をすれば判る、さあお入りなさい」
許宣は王主人がそういうものを、自分独りで邪魔をするわけにもいかないので、自分で前に入って往った。白娘子は小婢を伴れて王主人に随いて内へ入った。家の内では王主人の
「私は、あなたに、この身を許しているじゃありませんか、どうして、あなたを悪いようにいたしましょう、あの銀は、今考えてみますと、私の先の夫です、私はすこしも知らないものですから、あなたにさしあげてあんなことになりました、私はそれを言いたくてあがりました」
許宣にはまだ一つ不思議に思われることがあった。
「臨安府の捕卒が往った時、あなたは牀の上にいて、大きな音がするとともに、いなくなったじゃありませんか、あれはどうしたのです、おかしいじゃないか」
白娘子は笑声を出した。
「あれは
白娘子は小走りに走って外へ出ようとした。王主人の媽媽があわてて走って往って止めた。
「まあ、遠い処をいらしたのですから、二三日お休みになって、もっとお話しするがいいじゃありませんか」
白娘子は引返しそうにしなかった。小婢が傍から言った。
「奥さん、御親切にあんなに言ってくださいますから、もすこしお考えなすったら如何です」
白娘子は小婢の方を見た。
「でも、あの方は、もう私のことなんか、思ってくださらないのですもの」
王主人の媽媽は白娘子を放そうとしなかった。
「もうすっかり事情も判ったのですから、許宣さんだって、いつまでも判らないことは言わないですよ」
許宣はもう白娘子に対する疑念が解けていた。王主人の媽媽は、白娘子を許宣の室へ伴れて往った。許宣と白娘子はその夜から夫婦となった。
許宣の許へ白娘子が来てからまた半年ばかりになった。ある日、それは二月の中旬のことであった。許宣は二三人の朋友と散策して
「あなたの頭の上には、一すじの邪気が立っている。あなたの体には、怪しい物が
許宣は非常に体が衰弱して気分がすぐれなかった。それに白娘子に対して抱いている疑念もあった。彼はそれを聞くと恐ろしくなった。地べたに頭をすりつけるようにして言った。
「どうか私を助けてください」
道人は頷いて
「これをあげるから、何人にも知らさずに、一枚は髪の中へ挟み、一枚は今晩
許宣はそれをもらうと朋友に別れて家へ帰り、一枚は頭の髪に挟み、一枚は三更になって焼こうと思って、白娘子に知らさずに時刻のくるのを待っていた。
「あなたは、また私を疑って、符を焼こうとしていらっしゃるのですね、こうして、もう長い間、いっしょにいるのに、どこが怪しいのです、あんまりじゃありませんか」
傍にいた白娘子が不意に怒りだした。許宣はどぎまぎした。
「いや、そんなことはない、そんなことがあるものか」
白娘子の手が延びて許宣の袖に中に入れてあった符にかかった。白娘子はその符を傍の灯の火に持っていって焼いた。符はめらめらと燃えてしまった。
「どう、これでも私が怪しいのですの」
白娘子は笑った。許宣はしかたなしに分弁した。
「臥仏寺前の道人がそう言ったものだから、
「ほんとに道人がそんなことを言ったなら、明日二人で往ってみようじゃありませんか、怪しいか怪しくないか、すぐ判るじゃありませんか」
翌日許宣と白娘子は、伴れ立って臥仏寺の前へ往った。臥仏寺の境内はその日も参詣人で賑わっていた。かの道人の店頭にも一簇の人が立っていた。白娘子はその道人がかの道人だということを教えられると、そのまま走って往った。
「この妖道士、人をたぶらかすと承知しないよ」
「この
白娘子は嘲るように笑った。
「ちょうどいい、ここに皆さんが見ていらっしゃる、私が怪しい者で、お前さんの符水がほんとうに
「よし飲め、飲んでみよ」
道人は盃に入れた水を白娘子の前へ出した。白娘子はそれを一息に飲んで盃を返して笑った。
「さあ、そろそろ正体が現われるのでしょうよ」
許宣をはじめ傍にいた者は、またたきもせずに白娘子の顔を見ていたが、依然としてすこしも変らなかった。
「さあ、妖道士、どこに怪しい証拠がある、どこが私が怪しいのだ」
道人は眼を瞠って呆れていた。
「つまらんことを言って、夫婦の間をさこうとするのは、けしからんじゃありませんか、私がこれから懲らしてあげる」
白娘子はそう言って口の裏で何か言って唱えた。と、かの道人は者があって彼を縄で縛るように見えたが、やがて足が地を離れて空にあがった。
「これでいい、これでいい」
そう言って白娘子が口から気を吐くと道人の体は地の上に落ちた。道人は起きあがるなりどこともなく逃げて往った。
四月八日の
「早く往って、早く帰っていらっしゃい」
そこで許宣は承天寺へ往った。寺の境内には
「もし、もし、ちょっとその扇子を見せてください」
許宣と擦れ違おうとした男がふと立ちどまるとともに、許宣の扇子を持った手を掴んだ。許宣はびっくりしてその男の顔を見た。男は扇子と扇子につけた珊瑚の墜児をじっと見てから叫んだ。
「
許宣はびっくりして
「その方の衣服と扇子は、それで判っておるが、その余の
許宣は周将仕家の典庫の盗賊にせられていた。
「私の着ている衣服も、持っている扇子も、皆家内がくれたもので、決して盗んだものではありません」
「詐りを言うな、その方がいくら詐っても、その衣服と扇子が確かな証拠だ、それでも家内がくれたというなら、家内を伴れてくる、どこにおる」
「家内は吉利橋の王主人の家におります」
「よし、そうか」
府尹は捕卒に許宣を引き立てて王主人の家へ往かした。家にいた王主人は、許宣が捕卒に引き立てられて入ってきたのを見てびっくりした。
「どうしたというのです」
「あの女にひどい目に逢わされたのです、今家におりましょうか」
許宣は声を
「奥様は、あなたの帰りが遅いと言って、婢さんと二人で、承天寺の方へ捜しに往ったのですよ」
捕卒は白娘子の代りに王主人を縛って許宣といっしょに府庁へ伴れて往った。堂の上には府尹が捕卒の帰るのを待っていた。府尹は白娘子を捕えてきた後に裁判をくだすことにした。府尹の傍には周将仕がきてその
そこへ周将仕の家の者がやってきた。それは盗まれたと思っていた金銀珠玉衣服の類が、庫の空箱の中から出てきたという知らせであった。周将仕はあわただしく家へ帰って往ったが、家の者が言ったように盗まれたと思っていたものはみなあった。ただ扇子と墜児はなかったが、そんな品物は同じ品物が多いので、そればかりでは許宣を盗賊とすることができなかった。周将仕は再び府庁へ往ってそのことを言ったので、許宣は許されることになったが、許宣を置く地方が悪いということになって、鎮江の方へ配を改められた。
そこで許宣は鎮江へ送られることになったところへ、折よく杭州から邵大尉の命で李幕事が蘇州へ来た。李幕事は王主人の家へ往って許宣が配を改められたことを聞くと、鎮江の親類へ手簡を書いて、それを許宣に渡した。鎮江の親類とは、親子橋の下に薬舗を開いている
許宣は護送人といっしょに鎮江へ往って、李克用の家へ寄った。李克用は親類の手簡を見て、護送人に飯を
許宣は李克用の家へおちつくことができた。心がおちついてくるとともに彼は恐ろしい妖婦に纏わられている自分の不幸を思いだして、悲しみも憤りもした。李克用は許宣が杭州で薬舗の
そこで主管にして使うことにしたが、他の店員に
やがて酒を飲み飯を喫って皆が帰って往ったので、許宣は後で勘定をすまして一人になって酒肆を出たが、苦しくない位の酔があって非常に好い気もちであった。彼は夕暮の涼しい風に酒にほてった頬を吹かれて家いえの簷の下を歩いていた。
一軒の
「この馬鹿者、気を注けろ」
楼屋の窓には女の顔があった。女は眼を落してじっと許宣の顔を見たが、何か言って引込んだ。許宣が不思議に思っていると、かの女は門口からあたふたと出てきた。それは白娘子であった。
「この妖婦、また来て俺を苦しめようとするのか、今度はもう承知しない、つかまえて引きわたすからそう思え」
白娘子は眼に笑っていた。
「まあそんなにおっしゃらないで、私の言うことを聞いてくださいよ、二度もあなたをまきぞえにしてすみませんが、あの衣服と扇子は、私の先の夫の持っていたものですよ、決して怪しいものじゃありません、だから疑いが晴れたじゃありませんか」
「それじゃ、俺が王主人の処へ帰った時に、何故いなかったのだ」
「それは、あなたの帰りが遅いものですから、婢と二人であなたを捜しに往ったところで、あの騒ぎでしょう、私は恐ろしくなったから、船で婢の母の兄弟のいる、この家へ来ていたのです」
許宣の白娘子に対する怒りは解けた。許宣は白娘子に随いてその家へ往ってそこに一泊したが、それからまた元のとおりの夫婦となった。
そのうちに李克用の誕生日がきた。許宣夫婦も進物を持って李家へ祝いに往った。李克用は
この李克用は一個の好色漢であった。彼は白娘子を一眼見てたちまちその本性を現わした。白娘子が
李克用の家に養われている娘が、李克用の倒れて気絶しているのを見つけた。家の内は大騒ぎになって皆が集まってきた。そして、薬を飲ましたりして介抱しているとやっと気が注いた。家の者がどうしたかと言って訊くと、彼は連日の疲れで体を痛めたためだと言った。
李克用の気もちが好くなったので、宴席も元のとおりになったが、やがてその席も終って客は帰って往った。白娘子はいつの間にか家へ帰っていたが、許宣に話したいことがあるのかそっと舗へ来た。
「今晩は、みょうに気もちがわるいから、来たのですよ」
「今晩は御馳走になっていい気もちじゃないか」
「いい気もちじゃありませんよ、あなたは、ここの旦那を老実な方だと言いましたが、どうしてそうじゃありませんよ、私が東厠へ往ってると、後からつけてきて手籠めにしようとしたのです、ほんとに厭な方ですよ」
「しかし、べつにどうせられたというでもなかろう、まあいいじゃないか、早く帰ってお休みよ」
「でも、私はあの旦那が恐いわ、これからさき、まだどんなことをせられるか判らないのですもの、それよりか、私が二三十両持ってますから、ここを出て、
許宣も人の家の主管をして身を縛られているよりも、自由に自分で舗を持ちたかった。彼は白娘子の詞に動かされた。
「そうだな、小さな舗が持てるなら、そりゃその方がいいが」
「では持とうじゃありませんか」
「そうだね、持ってもいいな、じゃ、暇をくれるかくれないか、明日旦那に願ってみよう」
許宣は翌日李克用に相談した。李克用は自分の弱点があるうえに奇怪な目に逢っているので、許宣の言うことに反対しなかった。そこで許宣は白娘子と二人で、碼頭の傍へ手ごろの家を借りて薬舗をはじめた。許宣ははじめて一家の主人となっておちつくことができた。
七月の七日になった。その日は英烈竜王の
「あなた一人で往ってらっしゃい、しかし、方丈へ往ってはいけないのですよ、あすこには、坊主が説経してますから、きっと布施を取られますよ、いいですか、きっと方丈へ往ってはいけないのですよ」
許宣は独りで往くことにして、舟を雇い、上流約一里の処にある金山寺の島山へ往った。揚子江の赤濁りのした流れを上下して、金山寺へ往来する参詣人の舟が水鳥の群のように浮んでいた。
許宣は金山寺へあがって竜王堂へ往き、そこで焼香をすまして、彼方此方を歩いているうちに、多くの参詣人が和尚の説経を聞いている処へ往った。許宣はここが白娘子の往ってはいけないと言った方丈だと思った。彼は急いで方丈の中を出て往った。許宣の引返そうとする顔を説経していた和尚がちらと見た。
「あの眼に妖気がある、あれを呼べ」
侍者の一人が呼びに往ったが、許宣はもう山をおりかけていたので聞えなかった。すると和尚はいきなり禅杖を持ってたちあがるなり、許宣を追っかけて往った。
山の麓では大風が起って波が出たので、参詣人は舟に乗ることができずに困っていた。山をおりた許宣もその人びとに交って岸に立って風の静まるのを待っていた。と、一艘の小舟がその風の中を平気で乗切ってきて陸へ著けかけた。許宣は神業のような舟だと思って、ふいと見ると、その中に白娘子と小婢の二人が顔を見せていた。その白娘子と許宣の眼が合った。
「あなた、早くお乗りなさい、風が吹きだしたから、あなたを迎えにきたのです」
舟は同時に陸へ著いた。許宣は喜んで水際へおりた。許宣の後ろには許宣を追っかけてきた和尚がいた。
「この

和尚は舟の中を見て怒鳴りながら禅杖を振りあげた。と、白娘子と小婢は、そのまま水の中へもんどり打って飛び込んでしまった。許宣はびっくりして眼を

「あの和尚さんは、なんという和尚さんでしょう」
許宣は気が注いて傍の人に訊いた。
「あれが、法海禅師様だ、
和尚の侍者が許宣を呼びにきた。許宣はそれに伴れられて和尚の前へ往った。
「お前さんは、あの女達とどこであわっしゃった」
許宣はそこではじめからのことを話した。和尚はそれを聞いて言った。
「宿縁だ、しかし、お前さんの欲念が深いからだ、だが、災難はもうすぎたらしい、これから杭州へ帰って、修身立命の人にならなくてはいけない、もし再びこんなことがあったら、湖南の
許宣は法海禅師に別れて、身顫いしながら帰り、親子橋の李克用の家へ往った。李克用は許宣から白娘子の話を聞いて、はじめて誕生日の夜に見た妖蛇の話をした。そこで、許宣は
李幕事夫婦は許宣の帰ってくるのを待っていた。李幕事は許宣の挨拶が終るのを待って言った。
「お前も今度は、
許宣はそれよりもじっとおちつきたかった。
「私は、もう懲りましたから、妻室はもらいません」
許宣のその詞が終るか終らないかに人声がして、そこへ入ってきた者があった。それは許宣の姐が白娘子と小婢を伴れてきたところであった。
「あなたは、妻室があるくせに、そんな嘘をいうものじゃありません、私はあなたの妻室じゃありませんか」
許宣はがたがた顫えだした。そして、声を顫わし顫わし言った。
「姐さん、そいつは妖精です、そいつのいうことを聞いてはいけないです」
白娘子は許宣の傍へ往った。
「あなたは、私と夫婦でありながら、人の言うことを聞いて私を嫌うとは、ひどいじゃありませんか、でも、私はあなたの妻室ですから、他へはまいりません」
白娘子は泣きだした。許宣は急いで起って李幕事の袖を曳いて外へ出た。
「あれが白蛇の精です。どうしたらいいのでしょう」
許宣はまだ口にしなかった鎮江に於ける怪異を話して聞かした。
「ほんとうに蛇なら、いい人がいる、白馬廟の前に、
李幕事は前に立って許宣を伴れて白馬廟の前へ往った。戴先生は折よく家の前に立っていた。
「お二方とも何か私に御用ですか」
李幕事はいそがしそうに言った。
「私の家へおおきな白蛇が来て、災をしようとしております、どうか捉ってください」
李幕事はそう言って腰から一両の銀を出して、戴先生の掌に載せた。
「今これだけさしあげておきます、もし捉ってくだすったら、後でまたべつにお礼をいたします」
戴先生は喜んで銀を収めた。
「では、すぐ後から
李幕事と許宣はすぐ帰った。戴先生は間もなく後から来たが、その手には
「どこに白蛇がおります」
李幕事は白娘子のいる室を教えた。戴先生は教えられたとおりその室へ往ったが、室の扉は締っていた。戴先生は何かぶつぶつ言いながらその扉を開けようとしていると、扉は内から開いた。戴先生は内へ入って往った。内には桶の胴のような白い
李幕事と許宣は戴先生の結果を見にきたところであった。戴先生は二人に往きあたりそうになって気が注いた。李幕事が言った。
「先生、捉れたでしょうか」
戴先生は呼吸をはずましていた。
「蛇なら捉れるが、あれは妖怪です、私はすんでのことに命を取られるところでした、あの銀はお返しします」
こう言って戴先生は逃げるように出て往った。李幕事と許宣は顔を見合わして困っていた。
「あなた、ここへいらしてください」
室の中から白娘子の声がした。許宣は体がぶるぶると顫えた。しかし、往かずにいてはどんなことをするかも判らないと思ったので、恐る恐る入って往った。中には白娘子が
「あなたはほんとに薄情な方ですわ、あんな蛇捉の男なんか伴れてきて、あなたがそんなにわたしをいじめるなら、私にも考えがありますよ、この杭州一城の人達の命にかかわりますよ」
許宣は恐ろしくてじっとして聞いていられなかった。彼はそのまま外へ出たが足を止めるのが恐ろしいので、足の向くままに歩いた。彼はもう清波門の外へ往っていた。彼はそこへ往ってから気が注いて、これからどうしたものだろうかと考えた。しかし、それからどうしていいか、どういう手段を取っていいかという考えはちょっと浮ばなかった。と、金山寺の法海禅師の言った偈の句が浮んできた。それと同時に再び

浄慈寺には監寺の僧がいた。許宣は監寺に法海禅師のことを訊いた。
「法海禅師にお眼にかかりたいですが」
「法海禅師は、この寺へいらしたことはないのです」
許宣は力を落して帰った。そして長橋の下まで来た。許宣はそれからどうしていいか判らなかった。彼は湖水の水に眼を注けた。俺が一人死んでしまえば
「堂々たる男子が、何故生を軽んじる、事情があるなら
法海禅師が背に衣鉢を負い手に禅杖を提げて立っていた。許宣はその傍へ飛んで往った。
「どうか私の一命を救うてくださいまし」
「では、またあの

「姐の夫の李幕事の家に来ております」
「よし、では、この
許宣は禅師から鉢盂をもらって李幕事の家へ帰った。李幕事の家の一室では白娘子が何か言って罵っていた。許宣はしおしおとした
「苦しい、苦しい、どうか今まで夫婦となっていたよしみに、すこし除けてください、私は死にそうだ」
鉢盂の中からそうした声が聞えてきた。と、その時李幕事が来て言った。
「和尚さんが、怪しい者を捉りにきたと言って見えたよ」
「それは法海禅師です、早くお通ししてください」
李幕事は急いで出て往ったが、やがて法海禅師を伴れて入ってきた。
「妖蛇は、この下に伏せてあります」
禅師はそこで口の中で何か唱えていたが、それが終ると鉢盂を開けた。七八寸ぐらいある
「その方は、何故に人に纏わるのじゃ」
「私は風雨の時に、西湖に来た
「淫罪がもっとも大きいからいけない、それでも千年間修練するなら命は助かる、とにかく本の形を現わすが宜い」
それとともに傀儡は白い蛇となって、その傍に青い魚の姿も見えてきた。
禅師はその蛇と魚を鉢盂に入れて、それに
雷峯塔倒れ、西湖水乾れ、江潮起たず、白蛇世に出ず
許宣は法海禅師の弟子となって雷峯塔の下におり、その塔を七層の大塔にしたが、後、業を積んで