昭和二十一年の九月のはじめに、私は、或る男の訪問を受けた。
この事件は、ほとんど全く、ロマンチックではないし、また、いっこうに、ジャアナリスチックでも無いのであるが、しかし、私の胸に於いて、私の死ぬるまで消し難い
事件。
しかし、やっぱり、事件といっては
とにかくそれは、見事な男であった。あっぱれな奴であった。好いところが一つもみじんも無かった。
私は昨年
九月のはじめ、私は昼食をすませて、
「やあ」と言った。
それがすなわち、問題の「親友」であったのである。
(私はこの手記に於いて、ひとりの農夫の姿を描き、かれの嫌悪すべき性格を世人に
彼は私と小学校時代の同級生であったところの平田だという。
「忘れたか」と言って、白い歯を出して笑っている。その顔には、
「知っている。あがらないか」私はその日、彼に対してたしかに軽薄な社交家であった。
彼は、
「久しぶりだなあ」と彼は大声で言う。「何年振りだ? いや、何十年振りだ? おい、二十何年振りだよ。お前がこっちに来ているという事は、前から聞いていたが、なかなか俺も畑仕事がいそがしくてな、遊びに来れないでいたのだよ。お前もなかなかの酒飲みになったそうじゃないか。うわっはっはっは」
私は苦笑し、お茶を注いで出した。
「お前は俺と喧嘩した事を忘れたか? しょっちゅう喧嘩をしたものだ」
「そうだったかな」
「そうだったかなじゃない。これ見ろ、この手の甲に傷がある。これはお前にひっかかれた傷だ」
私はその差し伸べられた手の甲を熟視したが、それらしい傷跡はどこにも無かった。
「お前の左の向う
しかし、私の左の向う脛にも、また、右の向う脛にも、そんな傷は一つも無いのである。私はただあいまいに微笑して、かれの話を傾聴していた。
「ところで、お前に一つ相談があるんだがな。クラス会だ。どうだ、いやか。大いに飲もうじゃないか。出席者が十人として、酒を二斗、これは俺が集める」
「それは悪くないけど、二斗はすこし多くないか」
「いや、多くない。ひとりに二升無くては面白くない」
「しかし、二斗なんてお酒が集まるか?」
「集まらない、かも知れん。わからないが、やってみる。心配するな。しかし、いくら田舎だってこの頃は酒も安くはないんだから、お前にそこは頼む」
私は心得顔で立ち上り、奥の部屋へ行って大きい紙幣を五枚持って来て、
「それじゃ、さきにこれだけあずかって置いてくれ。あとはまた、あとで」
「待ってくれ」とその紙幣を私に押し戻し、「それは違う。きょうは俺は金をもらいに来たのではない。ただ相談に来たのだ。お前の意見を聞きに来たのだ。どうせそれあ、お前からは、千円くらいは出してもらわないといけない事になるだろうが、しかし、きょうは相談かたがた、昔の親友の顔を見たくて来たのだ。まあ、いいから、俺にまかせて、そんな金なんか、ひっこめてくれ」
「そうか」私は、紙幣を上衣のポケットに収めた。
「酒は無いのか」と突然かれは言った。
私はさすがに、かれの顔を見直した。かれも、一瞬、工合いの悪そうな、まぶしそうな顔をしたが、しかし、つっぱった。
「お前のところには、いつでも二升や三升は、あると聞いているんだ。飲ませろ。かかは、いないのか。かかのお酌で一ぱい飲ませろ」
私は立ち上り、
「よし。じゃ、こっちへ来い」
つまらない思いであった。
私は彼を奥の書斎に案内した。
「散らかっているぜ」
「いや、かまわない。文学者の部屋というのは、みんなこんなものだ。俺も東京にいた頃、いろんな文学者と附き合いがあったからな」
しかし、私にはとてもそれは信じられなかった。
「やっぱり、でも、いい部屋だな。さすがに、立派な普請だ。庭の眺めもいい。
「知らない」
「知らないのか?」と得意になり、「そのいわれは、大にして世界的、小にしては家庭、またお前たちの書く材料になる」
さっぱり言葉が、意味をなして居らぬ。足りないのではないか、とさえ思われた。しかし、そうではなかった。なかなか、ずるくて達者な一面も、あとで見せてくれたのである。
「なんだろうね、そのいわれは」
にやりと笑って、
「こんど教える。柊のいわれ」ともったい振る。
私は押入れから、半分ほどはいっているウイスキイの角瓶を持ち出し、
「ウイスキイだけど、かまわないか」
「いいとも。かかがいないか。お酌をさせろよ」
永い間、東京に住み、いろんな客を迎えたけれども、私に対してこんな事を言った客は、ひとりも無かった。
「女房は、いない」と私は
「そう言わずに」と彼は、私の言う事などてんで問題にせず、「ここへ呼んで来て、お酌をさせろよ。お前のかかのお酌で一ぱい飲んでみたくてやって来たのだ」
都会の女、あか抜けて
「いいじゃないか。女房のお酌だと、かえって酒がまずくなるよ。このウイスキイは」と言いながら机の上の
彼はぐっと一息に飲みほし、それからちょっちょっと舌打ちをして、
「まむし
私はさらにまた注いでやりながら、
「でも、あんまりぐいぐいやると、あとで一時に酔いが出て来て、苦しくなるよ」
「へえ? おかど違いでしょう。俺は東京でサントリイを二本あけた事だってあるのだ。このウイスキイは、そうだな、六〇パーセントくらいかな? まあ、普通だ。たいして強くない」と言って、またぐいと飲みほす。なんの
そうしてこんどは、彼が私に注いでくれて、それからまた彼自身の茶碗にもなみなみと一ぱい注いで、
「もう無い」と言った。
「ああ、そう」と私は上品なる社交家の如く、心得顔に気軽そうに立ち、またもや押入れからウイスキイを一本取り出し、栓をあける。
彼は平然と首肯して、また飲む。
さすがに私も、少しいまいましくなって来た。私には幼少の頃から浪費の悪癖があり、ものを惜しむという感覚は、(決して自慢にならぬ事だが)普通の人に較べてやや鈍いように思っている。けれども、そのウイスキイは、
飲ませろ、と言われた時には、あいにく日本酒も何も無かったので、その残り少なの秘蔵のウイスキイを出したのであるが、しかし、こんなにがぶがぶ鯨飲されるとは思っていなかった。甚だケチ臭い愚痴を言うようだが、(いや、はっきり言おう。私はこのウイスキイに関しては、ケチである。惜しいのである)まるで何か当然の事のように、大威張りでぐいぐい飲まれては、さすがに、いまいましい気が起らざるを得なかったのである。
それにまた、彼の談話たるや、すこしも私の共感をそそってはくれないのである。それは何も私が教養ある上品な人物で相手は無学な田舎親爺だからというわけではなかった。そんな事は、絶対に無い。私は全然無教養な
彼は「俺の東京時代は」という事を、さいしょから、しきりに言っていたが、酔うにしたがって、いよいよ頻繁にそれが連発せられて来た。
「お前も、しかし、東京では女でしくじったが」と大声で言って、にやりと笑い、「俺だって、実は、東京時代に、あぶないところまでいった事があるんだ。もう少しで、お前と同じような大しくじりをするところまでいったんだ。本当だよ。じっさい、そこまでいったんだ。しかし、俺は逃げたよ。うん、逃げた。それでも、女というものは、いったん思い込んだ男を忘れかねると見えるな。うわっはっは。いまでも手紙を寄こすのだよ。うふふ。こないだも、餅を送ってよこした。女は、馬鹿なものだよ、まったく。女に
あの頃とは、私には、どの頃かわからない。それに私は東京に於いて、彼の推量の如くそんな、芸者を泣かせたりして遊んだ覚えは一度だって無い。おもに屋台のヤキトリ屋で、泡盛や焼酎を飲み、
しかし、その不愉快は、あながちこの男に依って、はじめて嘗めさせられたものではなく、東京の文壇の批評家というもの、その他いろいろさまざま、または、友人という形になっている人物に依ってさえも嘗めさせられている苦汁であるから、それはもう笑って聞き流す事も出来るようになっていたのであるが、もう一つ、この百姓姿の男が、何かそれを私の大いなる弱味の如く考えているらしく、それに附け込むという気配が感ぜられて、そのような彼の心情がどうにも、あさましく、つまらないものに思われた。
しかし、その日は、私は極めて軽薄なる社交家であった。
私は母屋へ行って水菓子をもらって来て彼にすすめ、
「たべないか。くだものを食べると、酔いがさめて、また大いに飲めるようになるよ」
私は彼がこの調子で、ぐいぐいウイスキイを飲み、いまに大酔いを発し、乱暴を働かないまでも、前後不覚になっては、始末に困ると思い、少し彼を落ちつかせる目的を以て、梨の皮などをむいてすすめたのである。
しかし、彼は酔いを覚ます事は好まない様子で、その水菓子には眼もくれず、ウイスキイの茶呑茶碗にだけ手をかける。
「俺は政治はきらいだ」と突如、話題は政治に飛ぶ。「われわれ百姓は、政治なんて何も知らなくていいのだ。実際の俺たちの暮しに、少しでも得になる事をしてくれたら、そっちへつく。それでいいだろう。現物を眼の前に持って来て、俺たちの手に握らせたら、そっちへつく。それでいいわけではないか。われわれ百姓には野心は無いんだ。受けた恩は、きっと、それだけかえしてやる。それはもう、われわれ百姓の正直なところだ。進歩党も社会党も、どうだっていいんだ。われわれ百姓は田を作り、畑を耕やしていたら、それでいいのだ」
私は、はじめ、なぜ彼が突如としてこんな妙な事を言い出したのか、わけがわからなかった。けれども、次の言葉で、真意が判明し苦笑した。
「しかし、こないだの選挙では、お前も兄貴のために運動したろう」
「いや、何も、ひとつも、しなかった。この部屋で毎日、自分の仕事をしていた」
「嘘だ。いかにお前が文学者で、政治家でないとしても、そこは人情だ。兄貴のために、大いにやったに違いない。俺はな、学問も何も無い百姓だが、しかし、人情というものは持っている。俺は、政治はきらいだ。野心も何も無い。社会党だの進歩党だのと言ったって、おそれるところは無いと思っているのだが、しかし、人情は持っている。俺はな、お前の兄貴とは、別に近づきでも何でもないが、しかし、少くともお前は、俺と同級生でもあり、親友だろう。ここが人情だ。俺は誰にたのまれなくても、お前の兄貴に一票いれた。われわれ百姓は、政治も何も知らなくていい。この、人情一つだけを忘れなければ、それでいいと思うが、どうだ」
その一票が、ウイスキイの権利という事になるのだろうか。あまりにも見え透いて、私はいよいよ興覚めるばかりであった。
しかし、彼だって、なかなか、単純な男ではない。敏感に、ふっと何か察するらしい。
「俺は、しかし何も、お前の兄貴の家来になりたがっている、というわけじゃないんだよ。そんなに、この俺を見下げ果ててもらっては困るよ。お前の家だって、先祖をただせば油売りだったんだ。知っているか。俺は、俺の家の婆から聞いた。油一合買ってくれた人には、飴玉一つ景品としてやったんだ。それが当った。また川向うの斎藤だって、いまこそあんな大地主で威張りかえっているけれども、三代前には、川に流れている
私はまじめに、
「それでは、やはり、
「うん、まあ、それは、はっきりはわからないが、たいてい、その程度のところなのだ。俺だけはこんな、汚い身なりで毎日、田畑に出ているが、しかし、俺の兄は、お前も知っているだろう、大学を出た。大学の野球の選手で新聞にしょっちゅう名前が出ていたではないか。弟もいま、大学へはいっている。俺は、感ずるところがあって、百姓になったが、しかし、兄でも弟でも、いまではこの俺に頭があがらん。なにせ、東京は食糧が無いんで、兄は大学を出て課長をしているが、いつも俺に米を送ってよこせという手紙だ。しかし、送るのがたいへんでな。兄が自分で取りに来たら、そうしたら、俺はいくらでも背負わさせてやるんだが、やっぱり東京の役所の課長ともなれば、米を背負いに来るわけにもいかんらしいな。お前だって、いま何か不自由なものがあったら、いつでも俺の家へ来い。俺はな、お前に、ただで酒を飲ませてもらおうとは思ってないよ。百姓というものは、正直なもんだ。受けた恩は、かならず、きっちりとそれだけ返す。いや、もうお前のお酌では、飲まん! かかを呼んで来い。かかのお酌でなければ、俺は飲まん!」私は一種奇妙な心持がした。別に私は、そんなに彼に飲ませたいと思ってもいないのに。「もう俺は飲まんよ。かかを連れて来い! お前が連れて来なければ、俺が行って引っぱって来る。かかは、どこにいるんだ。寝室か? 寝る部屋か? 俺は天下の百姓だ。平田一族を知らないかあ」次第に酔って、くだらなく騒ぎ、よろよろと立ち上る。
私は笑いながら、それをなだめて坐らせ、
「よし、そんなら連れて来る。つまらねえ女だよ。いいか」
と言って女房と子供のいる部屋へ行き、
「おい、昔の小学校時代の親友が遊びに見えているから、ちょっと挨拶に出てくれ」
と、もっともらしい顔をして言いつけた。
私は、やはり、自分の客人を女房にあなどらせたくなかった。自分のところへ来た客人が、それはどんな種類の客人でも、家の者たちにあなどられている気配が少しでも見えると、私は、つらくてかなわないのだ。
女房は小さいほうの子供を抱いて書斎にはいって来た。
「このかたは、僕の小学校時代の親友で、平田さんというのだ。小学校時代には、しょっちゅう喧嘩して、このかたの右だか左だかの手の甲に僕のひっ
「まあ、こわい」と女房は笑って言って、「どうぞよろしく」とていねいにお辞儀をした。
私たち夫婦のこんな軽薄きわまる社交的な儀礼も、彼にとってまんざらでもなかったらしく、得意満面で、
「やあ、固苦しい挨拶はごめんだ。奥さん、まあ、こっちへずっと寄ってお酌をしてください」彼もまた、抜けめのない社交家であった。蔭では、かかと呼び、めんと向えば、奥さん、などと言っている。
女房のお酌で、ぐいと飲み、
「奥さん。いまも、修治(私の幼名)に言っていたのだが、何か不自由なものがあったら、俺の家へ来なさい。なんでもある。芋でも野菜でも米でも、卵でも、鶏でも。馬肉はどうです、たべますか、俺は馬の皮をはぐのは名人なんだ、たべるなら、取りに来なさい、馬の脚一本背負わせてかえします。
甚だ、まずい事になって来た。私は女房に、母屋へ行って何か酒のさかなをもらって来なさい、と言いつけ、席をはずさせた。
彼は
「煙草は、ここにたくさんあるからこれを吸い給え。煙管は、めんどうくさいだろう」
と私が言うと、彼は私のほうを見て、にやりと笑い、煙草入れをしまい込み、いかにも自慢そうに、
「われわれ百姓は、こんなものを持っているのだよ。お前たちは馬鹿にするだろうが、しかし、便利なものだ。雨の降る中でも、火打石は、カチカチとやりさえすれば火が出る。こんど俺は東京へ行く時、これを持参して銀座のまんなかで、カチカチとやってやろうと思うんだ。お前ももうすぐ東京へ帰るのだろう? 遊びに行くよ。お前の家は、東京のどこにあるのだ」
「罹災してね、どこへ行ったらいいか、まだきまっていないよ」
「そうか、罹災したのか。はじめて聞いた。それじゃ、いろいろ特配をもらったろう。こないだ罹災者に毛布の配給があったようだが、俺にくれ」
私はまごついた。彼の真意を解するに苦しんだ。しかし、彼は、まんざら冗談でも無いらしく、しつこくそれを言う。
「くれよ。俺は、ジャンパーを作るのだ。わりにいい毛布らしいじゃないか。くれよ。どこにあるのだ。俺は帰りに持って行くぞ。これは、俺の流儀でな。ほしいものがあったら、これ持って行く! と言って、もらってしまう。そのかわり、お前が俺のところへ来たら、お前もそうするとよい。俺は平気だ。何を持って行ったって、かまわないよ。俺は、そんな流儀の男だ。礼儀だの何だの、めんどうくさい事はきらいなのだ。いいか、毛布は、もらって行くぞ」
そのたった一枚の毛布は、女房が宝物のように大事にしているものなのだ。所謂「立派な」家にいま住んでいるから、私たちには何でもあり余っているように、彼に思われているのだろうか。私たちは、不相応の大きい貝殻の中に住んでいるヤドカリのようなもので、すぽりと貝殻から抜け出ると、丸裸のあわれな虫で、夫婦と二人の子供は、特配の毛布と
「毛布は、よせよ」
「ケチだなあ、お前は」
とさらにしつこく、ねばろうとしていた時に、女房はお膳を運んで来た。
「やあ、奥さん」と矛先は、そちらに転じて、「手数をかけるなあ。食うものなんか何も要りませんから、さあここへ来てお酌をしてください。修治のお酌では、もう飲む気がしない。ケチくさくて、いけない。殴ってやろうか。奥さん、俺はね、東京時代にね、ずいぶん喧嘩が強かったですよ。柔道もね、ちょっと、やりました。いまだって、こんな、修治みたいなのは一ひねりですよ。いつでもね、修治があなたに威張ったら、俺に知らせなさい。思いきりぶん殴ってやりますから。どうです、奥さん、東京にいた時も、こっちへ来てからも、修治に対して俺ほどこんな無遠慮に親しく口をきける男は無かったろう。何せ昔の喧嘩友達だから、修治も俺には、気取る事が出来やしない」
ここに於いて、彼の無遠慮も、あきらかに意識的な努力であった事を知るに及んで、ますます私は味気無い思いを深くした。ウイスキイをおごらせて大あばれにあばれて来た、と馬鹿な自慢話の種にするつもりなのであろうか。
私は、ふと、木村
卑怯だって何だってかまわない。荒れ馬は避くべし、というモラルに傾きかけて来たのである。忍耐だの何だの、そんな美徳について思いをひそめている余裕は無い。私は断言する。木村神崎韓信は、たしかにあのやけくその無頼の徒より弱かったのだ、圧倒せられていたのだ。勝目が無かったのだ。キリストだって、時われに利あらずと見るや、「かくして
のがれ去るより他は無い。いまここで、この親友を怒らせ、戸障子をこわすような活劇を演じたら、これは私の家では無し、甚だ穏やかでない事になる。そうでなくても、子供が障子を破り、カーテンを引きちぎり、壁に落書などして、私はいつも冷や冷やしているのだ。ここは何としても、この親友の御機嫌を損じないように努めなければならぬ。あの三氏の伝説は、あれは修身教科書などで、「忍耐」だの、「大勇と小勇」だのという
私は、いまこそあの三氏の、あの時の孤独感を知った、と思った。
彼の
「うわあっ!」というすさまじい叫声を発した。
ぎょっとして、彼を見ると、彼は、
「酔って来たあっ!」と
酔う筈である。ほとんど彼ひとりで、すでに新しい角瓶の半分以上もやっているのだ。額には油汗がぎらぎら浮いて、それはまことに金剛あるいは
「やっぱり、ウイスキイはいいな。よく酔う。奥さん、さあお酌をしてくれ。もっとこっちへ来なさいよ。俺はね、どんなに酔っても正気は失わん。きょうはお前たちのごちそうになったが、こんどは是非ともお前たちにごちそうする。俺のうちに来いよ。しかし、俺の家には何も無いぞ。鶏は、養ってあるが、あれは絶対につぶすわけにいかん。ただの鶏じゃないのだ。シャモと言ってな、喧嘩をさせる鶏だ。ことしの十一月に、シャモの大試合があって、その試合に全部出場させるつもりで、ただいま訓練中なんだが、ぶざまな負けかたをしたやつだけをひねりつぶして食うつもりだ。だから、十一月まで待つんだね。まあ、大根の二、三本くらいはあげますよ」だんだん話が小さくなって来た。「酒も無い、何も無い。だから、こうして飲みに来たんだ。鴨一羽、そのうち、とったら進呈するがね、しかし、それには条件がある。その鴨を、俺と修治と奥さんと三人で食って、その時に修治は、ウイスキイを出して、そうして、その鴨の肉をだな、まずいなんて言ったら承知しねえぞ。こんなまずいもの、なんて言ったら承知しねえ。俺がせっかく苦心して撃ちとった鴨だ。おいしい、と言ってもらいたい。いいか約束したぞ。おいしい! うまい! と言うのだぞ。うわっはっはっは。奥さん、百姓というものはこういうものだ。馬鹿にされたら、もう、縄きれ一本だって、くれてやるのはいやだ。百姓とつき合うには、こつがある。いいか、奥さん。気取ってはいかん、気取っては。なあに、奥さんだって、俺のかかと同じ事で、夜になれば、······」
女房は笑いながら、
「子供が奥で泣いているようですから」
と言って逃げてしまった。
「いかん!」と彼は
ああ、このひとたちに大事なウイスキイを飲ませるのは、つまらん事だ!
「よせ、よせ」私も立ち上って、彼の手をとり、さすがに笑えなくなって、「あんな女を相手にするな。久し振りじゃないか。たのしく飲もう」
彼は、どたりと腰を下し、
「お前たちは、夫婦仲が悪いな? 俺はそうにらんだ。へんだぞ。何かある。俺は、そうにらんだ」
にらむもにらまぬも無い。その「へん」な原因は、親友の滅茶な酔い方に在るのだ。
「面白くない。ひとつ歌でもやらかそうか」
と彼が言ったので私は二重に、ほっとした。
一つには、歌に依ってこの当面の気まずさが解消されるだろうという事と、もう一つは、それは私の最後のせめてもの願いであったのだが、とにかく私はお昼から、そろそろ日が暮れて来るまで五、六時間も、この「全く附き合いの無かった」親友の相手をして、いろいろと彼の話を聞き、そのあいだ、ほんの一瞬たりともこの親友を愛すべき奴だとも、また偉い男だとも思う事が出来ず、このままわかれては、私は永遠にこの男を恐怖と嫌悪の情だけで追憶するようになるだろうと思うと、彼のためにも私のためにもこんなつまらない事はない、一つだけでいい、何か楽しくなつかしい思い出になる言動を示してくれ、どうか、わかれ際に、かなしい声で津軽の民謡か何か歌って私を涙ぐませてくれという願望が、彼の歌をやらかそうという動議に依ってむらむらと胸中に
「それあ、いい。ぜひ一つ、たのむ」
それは、もはや、軽薄なる社交辞令ではなかった。私は、しんからそれ一つに期待をかけた。
しかし、その最後のものまで、むざんに裏切られた。
十里血なまあぐさあし新戦場
しかも、後半は忘れたという。
「さ、帰るぞ、俺は。お前のかかには逃げられたし、お前のお酌では酒がまずいし、そろそろ帰るぞ」
私は引きとめなかった。
彼は立ち上って、まじめくさり、
「クラス会は、それじゃ、仕方が無い、俺が奔走してやるからな、後はよろしくたのむよ。きっと、面白いクラス会になると思うんだ。きょうは、ごちそうになったな。ウイスキイは、もらって行く」
それは、覚悟していた。私は、四分の一くらいはいっている角瓶に、彼がまだ茶呑茶碗に飲み残して在るウイスキイを、注ぎ足してやっていると、
「おい、おい。それじゃないよ。ケチな真似をするな。新しいのがもう一本押入れの中にあるだろう」
「知っていやがる」私は
もうこれで、井伏さんが来ても誰が来ても、共にたのしむ事が出来なくなった。私は押入れから最後の一本を取り出して、彼に手渡し、よっぽどこのウイスキイの値段を知らせてやろうかと思った。それを言っても、彼は平然としているか、または、それじゃ気の毒だから要らないと言うか、ちょっと知りたいと思ったが、やめた。ひとにごちそうして、その値段を言うなど、やっぱり出来なかった。
「煙草は?」と言ってみた。
「うむ、それも必要だ。俺は煙草のみだからな」
小学校時代の同級生とは言っても、私には、五、六人の本当の親友はあったけれども、しかし、このひとに就いての記憶はあまり無いのだ。彼だって、その頃の私に就いての思い出は、そのれいの喧嘩したとかいう事の他には、ほとんど無いのではあるまいか。しかも、たっぷり半日、親友交歓をしたのである。私には、
けれども、まだまだこれでおしまいでは無かったのである。さらに有終の美一点が附加せられた。まことに痛快とも、小気味よしとも言わんかた無い男であった。玄関まで彼を送って行き、いよいよわかれる時に、彼は私の耳元で
「威張るな!」