「お
爺さん、お爺さん。」
「はあ、
私けえ。」
と、
一言で
直ぐ応じたのも、
四辺が静かで
他には誰もいなかった
所為であろう。そうでないと、その
皺だらけな
額に、
顱巻を
緩くしたのに、ほかほかと春の日がさして、とろりと酔ったような
顔色で、
長閑かに
鍬を使う様子が
||あのまたその下の
柔な土に、しっとりと汗ばみそうな、散りこぼれたら
紅の夕陽の中に、ひらひらと
入って
行きそうな
||暖い
桃の花を、燃え立つばかり
揺ぶって
頻に
囀っている鳥の
音こそ、何か話をするように聞こうけれども、人の声を耳にして、それが自分を呼ぶのだとは、急に
心付きそうもない、
恍惚とした形であった。
こっちもこっちで、かくたちどころに返答されると思ったら、声を
懸けるのじゃなかったかも知れぬ。
何為なら、さて
更めて言うことが
些と
取り
留めのない次第なので。本来ならこの
散策子が、そのぶらぶら
歩行の手すさびに、近頃
買求めた
安直な
杖を、
真直に
路に立てて、
鎌倉の方へ倒れたら
爺を呼ぼう、
逗子の方へ寝たら黙って置こう、とそれでも事は
済んだのである。
多分は聞えまい、聞えなければ、そのまま通り過ぎる
分。余計な世話だけれども、
黙きりも
些と気になった
処。
響の応ずるが如きその、(はあ、
私けえ)には、
聊か不意を打たれた
仕誼。
「ああ、お爺さん。」
と低い
四目垣へ
一足寄ると、ゆっくりと腰をのして、
背後へよいとこさと
反るように伸びた。
親仁との間は、隔てる草も別になかった。
三筋ばかり
耕やされた土が、
勢込んで、むくむくと
湧き立つような快活な
香を
籠めて、しかも
寂寞とあるのみで。
勿論、根を抜かれた、
肥料になる、
青々と
粉を吹いたそら豆の
芽生に
交って、
紫雲英もちらほら見えたけれども。
鳥打に手をかけて、
「つかんことを聞くがね、お前さんは
何じゃないかい、この、
其処の
角屋敷の
内の人じゃないかい。」
親仁はのそりと
向直って、
皺だらけの顔に一杯の日当り、桃の花に影がさしたその色に対して、
打向うその
方の屋根の
甍は、白昼
青麦を

る空に高い。
「あの
家のかね。」
「その二階のさ。」
「いんえ、違います。」
と、いうことは
素気ないが、話を
振切るつもりではなさそうで、肩を
一ツ
揺りながら、
鍬の
柄を返して
地についてこっちの顔を見た。
「そうかい、いや、お邪魔をしたね、」
これを
機に、分れようとすると、片手で
顱巻を

り取って、
「どうしまして、邪魔も何もござりましねえ。はい、お
前様、何か
尋ねごとさっしゃるかね。
彼処の
家は
表門さ
閉っておりませども、
貸家ではねえが
······」
その
手拭を、
裾と一緒に、下からつまみ上げるように帯へ
挟んで、指を腰の
両提げに
突込んだ。これでは直ぐにも通れない。
「何ね、
詰らん事さ。」
「はいい?」
「お爺さんが
彼家の人ならそう言って
行こうと思って、別に貸家を捜しているわけではないのだよ。奥の方で
少い
婦人の声がしたもの、空家でないのは分ってるが、」
「そうかね、
女中衆も二人ばッかいるだから、」
「その女中衆についてさ。
私がね、今
彼処の横手をこの路へかかって来ると、溝の石垣の
処を、ずるずるっと
這ってね、一匹いたのさ
||長いのが。」
怪訝な眉を
臆面なく日に
這わせて、
親仁、
煙草入をふらふら。
「へい、」
「余り
好物な
方じゃないからね、実は、」
と言って、笑いながら、
「その
癖恐いもの見たさに
立留まって見ていると、
何じゃないか、やがて半分ばかり垣根へ入って、尾を水の中へばたりと落して、
鎌首を、あの
羽目板へ入れたろうじゃないか。
羽目の中は、見た
処湯殿らしい。それとも台所かも知れないが、何しろ、
内にゃ
少い女たちの声がするから、どんな事で
吃驚しまいものでもない、と思います。
あれッきり、座敷へなり、
納戸へなりのたくり込めば、一も二もありゃしない。それまでというもんだけれど、
何処か
板の
間にとぐろでも巻いている処へ、うっかり
出会したら
難儀だろう。
どの
道余計なことだけれど、お前さんを見かけたから、つい
其処だし、
彼処の
内の人だったら、ちょいと心づけて
行こうと思ってさ。何ね、
此処らじゃ、蛇なんか何でもないのかも知れないけれど、」
「はあ、
青大将かね。」
といいながら、大きな口をあけて、
奥底もなく
長閑な日の舌に
染むかと笑いかけた。
「何でもなかあねえだよ。
彼処さ東京の人だからね。この
間も
一件もので大騒ぎをしたでがす。行って見て
進ぜますべい。
疾うに、はい、
何処かずらかったも知んねえけれど、台所の衆とは
心安うするでがすから、」
「じゃあ、そうして上げなさい。しかし心ない邪魔をしたね。」
「なあに、お前様、どうせ日は
永えでがす。はあ、お静かにござらっせえまし。」
こうして人間同士がお静かに分れた頃には、一件はソレ
竜の如きもの
歟、
凡慮の及ぶ
処でない。
散策子は
踵を
廻らして、それから、きりきりはたり、きりきりはたりと、
鶏が
羽うつような
梭の
音を
慕う如く、向う側の垣根に添うて、
二本の桃の下を通って、三軒の
田舎屋の前を過ぎる
間に、十八、九のと、
三十ばかりなのと、
機を織る婦人の姿を二人見た。
その
少い方は、
納戸の
破障子を
半開きにして、
姉さん
冠の横顔を見た時、
腕白く
梭を投げた。その年取った方は、
前庭の乾いた土に
筵を敷いて、
背むきに
機台に腰かけたが、トンと足をあげると、ゆるくキリキリと鳴ったのである。
唯それだけを見て過ぎた。
女今川の
口絵でなければ、近頃は余り見掛けない。
可懐しい姿、
些と
立佇ってという気もしたけれども、
小児でもいればだに、どの
家も
皆野面へ出たか、
人気はこの
外になかったから、
人馴れぬ女だち
物恥をしよう、いや、この男の
俤では、
物怖、
物驚をしようも知れぬ。この路を
後へ取って返して、今
蛇に
逢ったという、その
二階屋の
角を曲ると、左の方に
脊の高い
麦畠が、なぞえに低くなって、一面に
颯と拡がる、
浅緑に
美い
白波が
薄りと
靡く
渚のあたり、雲もない空に
歴々と眺めらるる、西洋館さえ、
青異人、
赤異人と呼んで色を鬼のように
称うるくらい、こんな
風の男は
髯がなくても(
帽子被り)と言うと聞く。
尤も
一方は、そんな
風に
||よし、村のものの目からは
青鬼赤鬼でも
||蝶の飛ぶのも
帆艇の
帆かと見ゆるばかり、海水浴に
開けているが、右の方は昔ながらの山の
形、
真黒に、
大鷲の
翼打襲ねたる
趣して、左右から
苗代田に
取詰むる峰の
褄、
一重は
一重ごとに迫って次第に狭く、奥の
方暗く
行詰ったあたり、
打つけなりの
茅屋の窓は、山が開いた
眼に似て、あたかも
大なる
蟇の、明け
行く海から
掻窘んで、
谷間に
潜む
風情である。
されば
瓦を
焚く
竈の、
屋の
棟よりも高いのがあり、
主の知れぬ
宮もあり、無縁になった墓地もあり、
頻に落ちる
椿もあり、田には
大な
鰌もある。
あの、
西南一帯の海の
潮が、浮世の波に
白帆を乗せて、このしばらくの間に
九十九折ある山の
峡を、一ツずつ
湾にして、奥まで迎いに来ぬ内は、いつまでも村人は、むこう
向になって、ちらほらと
畑打っているであろう。
丁どいまの
曲角の二階家あたりに、屋根の
七八ツ
重ったのが、この村の中心で、それから
峡の方へ
飛々にまばらになり、
海手と二、三
町が
間人家が
途絶えて、かえって
折曲ったこの
小路の両側へ、また
飛々に七、八軒続いて、それが一部落になっている。
梭を投げた娘の目も、山の方へ
瞳が
通い、足踏みをした女房の胸にも、海の波は
映らぬらしい。
通りすがりに考えつつ、
立離れた。
面を
圧して
菜種の花。
眩い日影が輝くばかり。
左手の
崕の緑なのも、向うの山の青いのも、
偏にこの
真黄色の、
僅に
限あるを語るに過ぎず。
足許の
細流や、
一段颯と
簾を落して流るるさえ、なかなかに花の色を薄くはせぬ。
ああ
目覚ましいと思う目に、ちらりと見たのみ、
呉織文織は、あたかも一枚の
白紙に、
朦朧と
描いた
二個のその姿を残して余白を真黄色に塗ったよう。二人の
衣服にも、
手拭にも、
襷にも、
前垂にも、織っていたその
機の色にも、
聊もこの色のなかっただけ、
一入鮮麗に明瞭に、脳中に
描き
出された。
勿論、描いた人物を
判然と
浮出させようとして、この
彩色で
地を
塗潰すのは、
画の手段に取って、
是か、
非か、
巧か、
拙か、それは菜の花の
預り知る
処でない。
うっとりするまで、
眼前真黄色な中に、
機織の姿の美しく宿った時、若い
婦人の
衝と投げた
梭の尖から、ひらりと燃えて、いま一人の
足下を
閃いて、輪になって
一ツ
刎ねた、
朱に
金色を帯びた
一条の線があって、
赫燿として
眼を射て、
流のふちなる草に飛んだが、火の消ゆるが如くやがて失せた。
赤楝蛇が、
菜種の中を輝いて通ったのである。
悚然として、
向直ると、
突当りが、樹の枝から
梢の葉へ
搦んだような石段で、上に、
茅ぶきの堂の屋根が、
目近な
一朶の雲かと見える。
棟に咲いた
紫羅傘の花の紫も手に取るばかり、峰のみどりの
黒髪にさしかざされた
装の、それが
久能谷の
観音堂。
我が散策子は、
其処を
志して来たのである。
爾時、これから参ろうとする、
前途の石段の真下の処へ、
殆ど路の幅一杯に、両側から
押被さった
雑樹の中から、
真向にぬっと、
大な馬の顔がむくむくと
湧いて出た。
唯見る、それさえ不意な上、胴体は
唯一ツでない。
鬣に鬣が
繋がって、胴に胴が重なって、
凡そ五、六
間があいだ
獣の背である。
咄嗟の
間、散策子は
杖をついて
立窘んだ。
曲角の青大将と、この
傍なる菜の花の中の
赤楝蛇と、向うの馬の
面とへ線を引くと、細長い三角形の
只中へ、封じ籠められた形になる。
奇怪なる
地妖でないか。
しかし、
若悪獣囲繞、
利牙爪可怖も、
※蛇及蝮蝎[#「虫+元」、U+8696、16-3]、
気毒煙火燃も、
薩陀彼処にましますぞや。しばらくして。
······ のんきな
馬士めが、
此処に人のあるを見て、はじめて、のっそり馬の
鼻頭に
顕れた、
真正面から前後三頭一列に並んで、たらたら
下りをゆたゆたと来るのであった。
「お
待遠さまでごぜえます。」
「はあ、お邪魔さまな。」
「
御免なせえまし。」
と三人、
一人々々声をかけて通るうち、
流のふちに
爪立つまで、細くなって
躱したが、なお
大なる皮の風呂敷に、目を包まれる心地であった。
路は
一際細くなったが、かえって
柔かに草を踏んで、きりきりはたり、きりきりはたりと、
長閑な
機の音に送られて、やがて
仔細なく、
蒼空の
樹の
間漏る、石段の
下に着く。
この石段は近頃すっかり修復が出来た。(従って、
爪尖のぼりの路も、草が分れて、
一筋明らさまになったから、もう蛇も出まい、)その時分は大破して、
丁ど
繕いにかかろうという折から、馬はこの段の
下に、一軒、寺というほどでもない
住職の
控家がある、その
背戸へ石を積んで来たもので。
段を
上ると、
階子が
揺はしまいかと
危むばかり、
角が欠け、石が抜け、土が崩れ、足許も定まらず、よろけながら
攀じ
上った。見る見る、目の下の
田畠が小さくなり遠くなるに従うて、波の色が
蒼う、ひたひたと足許に近づくのは、海を
抱いたかかる山の、
何処も同じ
習である。
樹立ちに薄暗い石段の、石よりも
堆い
青苔の中に、あの
蛍袋という、
薄紫の
差俯向いた
桔梗科の花の
早咲を見るにつけても、何となく
湿っぽい気がして、しかも
湯滝のあとを踏むように熱く汗ばんだのが、
颯と
一風、ひやひやとなった。
境内はさまで広くない。
尤も、
御堂のうしろから、左右の
廻廊へ、山の幕を
引廻して、
雑木の枝も
墨染に、
其処とも
分かず
松風の声。
渚は
浪の雪を敷いて、砂に結び、
巌に消える、その
都度音も聞えそう、
但残惜いまでぴたりと
留んだは、きりはたり
機の音。
此処よりして見てあれば、
織姫の二人の姿は、
菜種の花の中ならず、
蒼海原に描かれて、浪に
泛ぶらん
風情ぞかし。
いや、
参詣をしましょう。
五段の
階、
縁の下を、馬が駈け抜けそうに高いけれども、
欄干は影も
留めない。昔はさこそと思われた。
丹塗の柱、
花狭間、
梁の波の
紺青も、
金色の
竜も色さみしく、昼の月、
茅を
漏りて、
唐戸に
蝶の影さす
光景、古き
土佐絵の画面に似て、しかも名工の
筆意に
合い、
眩ゆからぬが
奥床しゅう、そぞろに尊く
懐しい。
格子の中は暗かった。
戸張を垂れた
御廚子の
傍に、
造花の
白蓮の、気高く
俤立つに、
頭を垂れて、
引退くこと二、三尺。心静かに
四辺を見た。
合天井なる、
紅々白々牡丹の花、
胡粉の
俤消え残り、
紅も
散留って、あたかも
刻んだものの如く、
髣髴として夢に
花園を
仰ぐ思いがある。
それら、花にも
台にも、
丸柱は言うまでもない。
狐格子、
唐戸、
桁、
梁、

すものの
此処彼処、
巡拝の
札の貼りつけてないのは殆どない。
彫金というのがある、
魚政というのがある、
屋根安、
大工鉄、
左官金。東京の
浅草に、
深川に。
周防国、
美濃、
近江、
加賀、
能登、
越前、
肥後の熊本、
阿波の徳島。
津々浦々の
渡鳥、
稲負せ
鳥、
閑古鳥。姿は知らず名を
留めた、一切の
善男子善女人。
木賃の
夜寒の枕にも、雨の夜の
苫船からも、夢はこの
処に宿るであろう。巡礼たちが
霊魂は時々
此処に来て
遊ぼう。
······おかし、一軒一枚の
門札めくよ。
一座の
霊地は、
渠らのためには
平等利益、
楽く美しい、花園である。一度
詣でたらんほどのものは、五十里、百里、三百里、
筑紫の海の
果からでも、思いさえ浮んだら、
束の
間に
此処に来て、
虚空に
花降る景色を見よう。月に
白衣の姿も拝もう。熱あるものは、
楊柳の露の
滴を吸うであろう。恋するものは、
優柔な
御手に
縋りもしよう。
御胸にも
抱かれよう。はた迷える人は、緑の
甍、
朱の
玉垣、金銀の柱、
朱欄干、
瑪瑙の
階、
花唐戸。
玉楼金殿を空想して、
鳳凰の舞う
竜の
宮居に、
牡丹に遊ぶ
麒麟を見ながら、
獅子王の座に朝日影さす、桜の花を
衾として、
明月の如き真珠を枕に、
勿体なや、
御添臥を夢見るかも知れぬ。よしそれとても、
大慈大悲、
観世音は
咎め
給わぬ。
さればこれなる
彫金、
魚政はじめ、
此処に霊魂の
通う証拠には、いずれも
巡拝の
札を見ただけで、どれもこれも、
女名前のも、ほぼその容貌と、
風采と、従ってその挙動までが、
朦朧として影の如く目に浮ぶではないか。
かの新聞で
披露する、諸種の
義捐金や、
建札の
表に掲示する寄附金の署名が写実である時に、これは理想であるといっても
可かろう。
微笑みながら、一枚ずつ。
扉の方へうしろ向けに、
大な
賽銭箱のこなた、
薬研のような
破目の入った
丸柱を
視めた時、一枚
懐紙の
切端に、すらすらとした
女文字。
うたゝ寐に恋しき人を見てしより
夢てふものは頼みそめてき
||玉脇みを||
と
優しく
美く書いたのがあった。
「これは御参詣で。もし、もし、」
はッと心付くと、
麻の
法衣の
袖をかさねて、
出家が一人、
裾短に
藁草履を
穿きしめて
間近に来ていた。
振向いたのを、
莞爾やかに
笑み迎えて、
「
些とこちらへ。」
賽銭箱の
傍を通って、格子戸に
及腰。
「
南無」とあとは口の
裏で念じながら、左右へかたかたと
静に開けた。
出家は、
真直ぐに
御廚子の前、かさかさと
袈裟をずらして、
袂からマッチを出すと、
伸上って
御蝋を点じ、
額に
掌を合わせたが、
引返してもう一枚、
彳んだ人の前の戸を開けた。
虫ばんだが一段高く、かつ幅の広い、
部厚な
敷居の内に、縦に
四畳ばかり敷かれる。壁の
透間を
樹蔭はさすが、
縁なしの
畳は
青々と新しかった。
出家は、上に
何にもない、
小机の前に坐って、
火入ばかり、
煙草なしに、灰のくすぼったのを
押出して、自分も
一膝、こなたへ進め、
「
些とお休み下さい。」
また、かさかさと
袂を探って、
「やあ、マッチは
此処にもござった、ははは、」
と、も
一ツ机の下から。
「それではお邪魔を、ちょっと、拝借。」
とこなたは
敷居越に腰をかけて、
此処からも空に連なる、海の色より、より
濃な
霞を吸った。
「
真個に、結構な
御堂ですな、
佳い景色じゃありませんか。」
「や、もう
大破でござって。おもりをいたす仏様に、こう申し上げては済まんでありますがな。ははは、
私力にもおいそれとは参りませんので、
行届かんがちでございますよ。」
「
随分御参詣はありますか。」
先ず
差当り言うことはこれであった。
出家は
頷くようにして、机の前に座を斜めに
整然と坐り、
「さようでございます。
御繁昌と申したいでありますが、当節は余りござりません。以前は、
荘厳美麗結構なものでありましたそうで。
貴下、今お通りになりましてございましょう。
此処からも見えます。この山の
裾へかけまして、ずッとあの
菜種畠の
辺、
七堂伽藍建連なっておりましたそうで。
書物にも見えますが、
三浦郡の
久能谷では、この
岩殿寺が、土地の
草分と申しまする。
坂東第二番の
巡拝所、名高い
霊場でございますが、
唯今ではとんとその
旧跡とでも申すようになりました。
妙なもので、かえって
遠国の
衆の、参詣が多うございます。近くは
上総下総、遠い処は九州
西国あたりから、
聞伝えて巡礼なさるのがあります
処、この
方たちが、当地へござって、この近辺で聞かれますると、つい知らぬものが多くて、大きに迷うなぞと言う、お話しを聞くでございますよ。」
「そうしたもんです。」
「ははは、
如何にも、」
と言ってちょっと言葉が
途切れる。
出家の
言は、
聊か寄附金の
勧化のように聞えたので、少し気になったが、
煙草の灰を落そうとして目に
留まった
火入の、いぶりくすぶった色あい、マッチの
燃さしの
突込み
加減。
巣鴨辺に
弥勒の出世を待っている、
真宗大学の寄宿舎に似て、余り
世帯気がありそうもない
処は、
大に
胸襟を開いてしかるべく、勝手に見て取った。
そこでまた
清々しく
一吸して、山の
端の煙を吐くこと、
遠見の
鉄拐の如く、
「夏はさぞ
涼いでしょう。」
「とんと暑さ知らずでござる。
御堂は申すまでもありません、下の
仮庵室なども
至極その
涼いので、ほんの
草葺でありますが、
些と御帰りがけにお
立寄り、御休息なさいまし。
木葉を
燻べて
渋茶でも献じましょう。
荒れたものでありますが、いや、
茶釜から
尻尾でも出ましょうなら、また
一興でござる。はははは、」
「お
羨い
御境涯ですな。」
と客は言った。
「どうして、
貴下、さように悟りの開けました
智識ではございません。一軒屋の
一人住居心寂しゅうござってな。
唯今も御参詣のお姿を、あれからお見受け申して、あとを慕って来ましたほどで。
時に、どちらに
御逗留?」
「
私? 私は
直きその
停車場最寄の
処に、」
「しばらく、」
「
先々月あたりから、」
「いずれ、御旅館で、」
「
否、
一室借りまして
自炊です。」
「は、は、さようで。いや、
不躾でありまするが、
思召しがござったら、
仮庵室御用にお立て申しまする。
甚だ
唐突でありまするが、昨年夏も、お一人な、やはりかような事から、
貴下がたのような
御仁の
御宿をいたしたことがありまする。
御夫婦でも
宜しい。お二人ぐらいは楽でありますから、」
「はい、ありがとう。」
と
莞爾して、
「ちょっと、通りがかりでは、こういう
処が、こちらにあろうとは思われませんね。
真個に
佳い御堂ですね、」
「折々
御遊歩においで下さい。」
「
勿体ない、おまいりに来ましょう。」
何心なく言った顔を、
訝しそうに
打視めた。
出家は膝に手を置いて、
「これは、
貴下方の口から、そういうことを
承ろうとは思わんでありました。」
「
何故ですか、」
と問うては見たが、
予め、その意味を解するに
難うはないのであった。
出家も、
扁くはあるが、ふっくりした頬に
笑を含んで、
「
何故と申すでもありませんがな
······先ず当節のお若い方が
······というのでござる。はははは、近い話がな。
最もそう申すほど、
私が、まだ年配ではありませんけれども、」
「分りましたとも。青年の、しかも
書生が、とおっしゃるのでしょう。
否、そういう御遠慮をなさるから、それだから
不可ません。それだから、」
とどうしたものか、じりじりと膝を向け直して、
「段々お
宗旨が
寂れます。こちらは
何お宗旨だか知りませんが。
対手は
老朽ちたものだけで、
年紀の
少い、今の学校生活でもしたものには、とても
済度はむずかしい、今さら、
観音でもあるまいと言うようなお考えだから
不可んのです。
近頃は
爺婆の方が
横着で、嫁をいじめる
口叱言を、お念仏で
句読を切ったり、
膚脱で
鰻の
串を
横銜えで題目を
唱えたり、
······昔からもそういうのもなかったんじゃないが、まだまだ
胡散ながら、
地獄極楽が、いくらか念頭にあるうちは始末がよかったのです。今じゃ、
生悟りに
皆が悟りを開いた顔で、悪くすると地獄の絵を見て、こりゃ出来が
可い、などと言い兼ねません。
貴下方が、到底
対手にゃなるまいと思っておいでなさる、
少い人たちが、かえって
祖師に
憧がれてます。どうかして、
安心立命が得たいと
悶えてますよ。中にはそれがために気が違うものもあり、自殺するものさえあるじゃありませんか。
何でも構わない。途中で、ははあ、これが二十世紀の人間だな、と思うのを御覧なすったら、
男子でも
女子でもですね、
唐突に
南無阿弥陀仏と声をかけてお試しなさい。すぐに気絶するものがあるかも知れず、たちどころに
天窓を
剃て御弟子になりたいと言おうも知れず、ハタと手を
拍って悟るのもありましょう。あるいはそれが
基で死にたくなるものもあるかも知れません。
実際、
串戯ではない。そのくらいなんですもの。仏教はこれから
法燈の輝く時です。それだのに、
何故か、
貴下がたが
因循して
引込思案でいらっしゃる。」
頻に耳を傾けたが、
「さよう、
如何にも、はあ、さよう。いや、
私どもとても、堅く申せば思想界は
大維新の
際で、中には神を見た、まのあたり
仏に接した、あるいは
自から救世主であるなどと言う、当時の熊本の
神風連の如き、
一揆の起りましたような事も、ちらほら
聞伝えてはおりますが、いずれに致せ、高尚な御議論、御研究の
方でござって、こちとらづれ出家がお
守りをする、偶像なぞは
······その、」
と言いかけて、
密と
御廚子の
方を見た。
「
作がよければ、美術品、
彫刻物として御覧なさろうと言う世間。
あるいは今後、仏教は
盛になろうも知れませんが、ともかく、偶像の方となりますると
······その
如何なものでござろうかと
······同一信仰にいたしてからが、
御本尊に対し、
礼拝と申す
方は、この
前どうあろうかと存じまする。ははは、そこでございますから、自然、
貴下[#ルビの「あたた」はママ]がたには、仏教、
即ち偶像教でないように
思召しが願いたい、
御像の方は、高尚な美術品を御覧になるように、と存じて、つい
御遊歩などと申すような次第でございますよ。」
「いや、いや、偶像でなくってどうします。
御姿を拝まないで、何を
私たちが信ずるんです。
貴下、偶像とおっしゃるから
不可ん。
名がありましょう、一体ごとに。
釈迦、
文殊、
普賢、
勢至、
観音、皆、名があるではありませんか。」
「
唯、人と言えば、他人です、何でもない。これに名がつきましょう。名がつきますと、父となります、母となり、兄となり、姉となります。そこで、その人たちを、
唯、人にして扱いますか。
偶像も
同一です。
唯偶像なら何でもない、この御堂のは
観世音です、信仰をするんでしょう。
じゃ、偶像は、
木、
金、
乃至、土。それを金銀、
珠玉で飾り、色彩を
装ったものに過ぎないと言うんですか。人間だって、皮、血、肉、
五臓、
六腑、そんなもので
束ねあげて、これに
衣ものを着せるんです。第一
貴下、美人だって、たかがそれまでのもんだ。
しかし、人には
霊魂がある、偶像にはそれがない、と言うかも知れん。その、
貴下、その
貴下、霊魂が何だか分らないから、迷いもする、悟りもする、
危みもする、安心もする、拝みもする、信心もするんですもの。
的がなくって弓の修業が出来ますか。
軽業、
手品だって学ばねばならんのです。
偶像は
要らないと言う人に、そんなら、恋人は
唯だ慕う、愛する、こがるるだけで、一緒にならんでも
可いのか、姿を見んでも
可いのか。姿を見たばかりで、口を利かずとも、口を利いたばかりで、手に
縋らずとも、手に縋っただけで、寝ないでも、
可いのか、と聞いて御覧なさい。
せめて夢にでも、その人に
逢いたいのが実情です。
そら、幻にでも
神仏を見たいでしょう。
釈迦、
文殊、
普賢、
勢至、
観音、
御像はありがたい
訳ではありませんか。」
出家は
活々とした顔になって、目の色が輝いた。心の
籠った口のあたり、
髯の穴も数えつびょう、
「申されました、おもしろい。」
ぴたりと膝に手をついて、片手を
額に加えたが、
「
||うたゝ
寐に恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき
||」
と
独り
俯向いた口の
裏に
誦したのは、柱に
記した歌である。
こなたも思わず
彼処を見た、柱なる
蜘蛛の糸、あざやかなりけり
水茎の跡。
「そう
承れば
恥入る次第で、恥を申さねば分らんでありますが、うたゝ
寐の、この和歌でござる、」
「その歌が、」
とこなたも膝の進むを覚えず。
「ええ、御覧なさい。
其処中、それ
巡拝札を貼り散らしたと申すわけで、中にはな、売薬や、何かの広告に使いまするそうなが、それもありきたりで構わんであります。
また
誰が
何時のまに貼って参るかも分りませんので。ところが、それ、
其処の柱の、その
······」
「はあ、あの歌ですか。」
「御覧になったで、」
「
先刻、
貴下が声をおかけなすった時に、」
「お目に
留まったのでありましょう、それは歌の
主が分っております。」
「婦人ですね。」
「さようで、
最も
古歌でありますそうで、
小野小町の、」
「多分そうのようです。」
「
詠まれたは御自分でありませんが、いや、
丁とその
詠み
主のような美人でありましてな、」
「この
玉脇······とか言う婦人が、」
と、口では
澄ましてそう言ったが、胸はそぞろに
時めいた。
「なるほど、今
貴下がお話しになりました、その、
御像のことについて、恋人
云々のお言葉を考えて見ますると、これは、みだらな心ではのうて、
行き
方こそ違いまするが、かすかに照らせ
山の
端の月、と申したように、
観世音にあこがるる心を、古歌に
擬らえたものであったかも分りませぬ。
||夢てふものは頼み
初めてき
||夢になりともお姿をと言う。
真個に、ああいう世に
稀な美人ほど、早く
結縁いたして
仏果を得た
験も
沢山ございますから。
それを
大掴に、
恋歌を書き散らして参った。
怪しからぬ事と、さ、それも人によりけり、
御経にも、
若有女人設欲求男、とありまするから、
一概に
咎め立てはいたさんけれども。あれがために一人殺したでござります。」
聞くものは
一驚を
吃した。菜の花に見た蛇のそれより。
「まさかとお思いなさるでありましょう、お話が大分
唐突でござったで、」
出家は頬に手をあてて、
俯いてやや考え、
「いや、しかし
恋歌でないといたして見ますると、その死んだ人の
方が、これは迷いであったかも知れんでございます。」
「飛んだ話じゃありませんか、それはまたどうした事ですか。」
と、こなたは
何時か、もう
御堂の畳に、にじり
上っていた。よしありげな物語を聞くのに、
懐が
窮屈だったから、
懐中に
押込んであった、
鳥打帽を引出して、
傍に
差置いた。
松風が
音に立った。が、春の日なれば人よりも軽く、そよそよと空を吹くのである。
出家は仏前の
燈明をちょっと見て、
「さればでござって。
······ 実は先刻お
話申した、ふとした御縁で、
御堂のこの下の
仮庵室へお宿をいたしました、その
御仁なのでありますが。
その
貴下、うたゝ
寝の歌を、
其処へ書きました、婦人のために
······まあ、言って見ますれば
恋煩い、いや、こがれ
死をなすったと申すものでございます。早い話が、」
「まあ、
今時、どんな、男です。」
「
丁ど
貴下のような
方で、」
呀?
茶釜でなく、
這般文福和尚、
渋茶にあらぬ
振舞の
三十棒、思わず
後に
瞠若として、
······唯苦笑するある
而已······「これは、飛んだ
処へ引合いに出しました、」
と言って
打笑い、
「おっしゃる事と申し、やはりこういう事からお
知己になったと申し、うっかり、これは、」
「
否、結構ですとも。恋で死ぬ、本望です。この太平の世に生れて、戦場で
討死をする機会がなけりゃ、おなじ畳の上で死ぬものを、
憧れじにが
洒落ています。
華族の
金満家へ生れて出て、
恋煩いで死ぬ、このくらいありがたい事はありますまい。恋は
叶う方が
可さそうなもんですが、そうすると
愛別離苦です。
唯死ぬほど
惚れるというのが、
金を
溜めるより
難いんでしょう。」
「
真に
御串戯ものでおいでなさる。はははは、」
「
真面目ですよ。真面目だけなお
串戯のように聞えるんです。あやかりたい人ですね。よくそんなのを見つけましたね。よくそんな、こがれ
死をするほどの婦人が見つかりましたね。」
「それは見ることは誰にでも出来ます。美しいと申して、
竜宮や
天上界へ参らねば見られないのではござらんで、」
「じゃ現在いるんですね。」
「おりますとも。土地の人です。」
「この土地のですかい。」
「しかもこの
久能谷でございます。」
「久能谷の、」
「
貴下、何んでございましょう、今日
此処へお出でなさるには、その
家の前を、
御通行になりましたろうで、」
「その美人の
住居の前をですか。」
と言う時、
機を織った
少い方の
婦人が目に浮んだ、
赫燿として菜の花に。
「
······じゃ、あの、やっぱり農家の娘で、」
「
否々、
大財産家の細君でございます。」
「違いました、」
と我を忘れて、
呟いたが、
「そうですか、
大財産家の細君ですか、じゃもう
主ある花なんですね。」
「さようでございます。それがために、
貴下、」
「なるほど、他人のものですね。そうして誰が見ても
綺麗ですか、美人なんですかい。」
「はい、
夏向は
随分何千人という東京からの客人で、目の覚めるような
美麗な
方もありまするが、なかなかこれほどのはないでございます。」
「じゃ、
私が見ても
恋煩いをしそうですね、
危険、
危険。」
出家は真面目に、
「
何故でございますか。」
「
帰路には気を
注けねばなりません。
何処ですか、その財産家の
家は。」
菜種にまじる
茅家のあなたに、白波と、
松吹風を
右左り、
其処に旗のような
薄霞に、しっとりと
紅の
染む
状に桃の花を
彩った、その
屋の
棟より、高いのは一つもない。
「
角の、あの
二階家が、」
「ええ?」
「あれがこの歌のかき
人の
住居でござってな。」
聞くものは
慄然とした。
出家は何んの気もつかずに、
「
尤も
彼処へは、去年の秋、細君だけが
引越して参ったので。
丁ど
私がお宿を致したその
御仁が
······お名は申しますまい。」
「それが
可うございます。」
「
唯、客人
||でお話をいたしましょう。その
方が、
庵室に逗留中、夜分な、海へ入って
亡くなりました。」
「
溺れたんですか、」
「と
······まあ見えるでございます、
亡骸が岩に
打揚げられてござったので、
怪我か、それとも覚悟の上か、そこは
先ず、お
聞取りの上の御推察でありますが、私は
前申す通り、この歌のためじゃようにな、」
「何しろ、それは飛んだ事です。」
「その客人が亡くなりまして、
二月ばかり過ぎてから、
彼処へ、」
と二階家の
遥なのを、雲の上から
蔽うよう、出家は
法衣の
袖を上げて、
「細君が引越して来ましたので。恋じゃ、
迷じゃ、という
一騒ぎござった時分は、この
浜方の本宅に一家族、
······唯今でも
其処が本家、まだ横浜にも立派な
店があるのでありまして、主人は
大方その
方へ参っておりましょうが。
この
久能谷の方は、女中ばかり、
真に閑静に住んでおります。」
「すると別荘なんですね。」
「いやいや、
||どうも話がいろいろになります、
||ところが久能谷の、あの二階家が本宅じゃそうで、唯今の主人も、あの屋根の下で生れたげに申します。
その頃は
幽な暮しで、屋根と申した
処が、ああではありますまい。月も
時雨もばらばら
葺。それでも先代の
親仁と言うのが、もう唯今では亡くなりましたが、それが
貴下、小作人ながら大の
節倹家で、積年の望みで、地面を少しばかり借りましたのが、
私庵室の
背戸の地続きで、以前立派な寺がありました。その
住職の
隠居所の跡だったそうにございますよ。
豆を植えようと、まことにこう天気の
可い、のどかな、
陽炎がひらひら
畔に立つ時分。
親仁殿、
鍬をかついで、この坂下へ
遣って来て、自分の
借地を、
先ずならしかけたのでございます。
とッ様
昼上りにせっせえ、と
小児が呼びに来た時分、と申すで、お昼頃でありましょうな。
朝
疾くから、出しなには寒かったで、
布子の
半纏を着ていたのが、その陽気なり、働き通しじゃ。親仁殿は
向顱巻、
大肌脱で、
精々と
遣っていた
処。
大抵借用分の
地券面だけは、仕事が済んで、これから
些とほまちに山を削ろうという
料簡。ずかずか山の
裾を、
穿りかけていたそうでありますが、
小児が呼びに来たについて、
一服遣るべいかで、もう
一鍬、すとんと入れると、急に土が
軟かく、ずぶずぶと
柄ぐるみにむぐずり込んだで。
ずいと、引抜いた
鍬について、じとじとと
染んで出たのが、
真紅な、ねばねばとした水じゃ、」
「死骸ですか、」と
切込んだ。
「大違い、大違い、」
と、出家は大きくかぶりを
掉って、
「
註文通り、
金子でござる、」
「なるほど、
穿当てましたね。」
「
穿当てました。海の中でも
紅色の
鱗は
目覚しい。土を
穿って出る水も、そういう場合には紫より、黄色より、青い色より、その紅色が一番見る目を驚かせます。
はて、何んであろうと、
親仁殿が固くなって、もう二、三度
穿り拡げると、がっくり、うつろになったので、山の腹へ
附着いて、こう
覗いて見たそうにござる。」
「
大蛇が
顋を
開いたような、
真紅な土の
空洞の中に、づほらとした黒い
塊が見えたのを、
鍬の先で
掻出して見ると
||甕で。
蓋が
打欠けていたそうでございますが、
其処からもどろどろと、その
丹色に
底澄んで光のある
粘土ようのものが
充満。
別に何んにもありませんので、
親仁殿は
惜気もなく
打覆して、もう
一箇あった、それも甕で、奥の方へ
縦に二ツ並んでいたと申します
||さあ、この方が
真物でござった。
開けかけた蓋を
慌てて
圧えて、きょろきょろと
其処ら

したそうでございますよ。
傍にいて
覗き込んでいた、自分の
小児をさえ、
睨むようにして、じろりと見ながら、どう
悠々と、
肌なぞを入れておられましょう。
素肌へ、
貴下、
嬰児を
負うように、それ、脱いで置いたぼろ
半纏で、しっかりくるんで、
背負上げて、がくつく腰を、
鍬を
杖にどッこいなじゃ。黙っていろよ、何んにも言うな、きっと誰にも
饒舌るでねえぞ、と言い続けて、
内へ帰って、
納戸を
閉切って暗くして、お
仏壇の前へ
筵を敷いて、
其処へざくざくと
装上げた。
尤も年が
経って薄黒くなっていたそうでありますが、その晩から小屋は何んとなく
暗夜にも明るかった、と近所のものが話でござって。
極性な
朱でござったろう、ぶちまけた
甕充満のが、時ならぬ
曼珠沙華が咲いたように、
山際に燃えていて、
五月雨になって消えましたとな。
些と
日数が経ってから、親仁どのは、
村方の
用達かたがた、東京へ参ったついでに
芝口の
両換店へ寄って、
汚い
煙草入から煙草の粉だらけなのを一枚だけ、そっと出して、いくらに買わっしゃる、と当って見ると、いや
抓んだ
爪の方が黄色いくらいでござったに、
正のものとて争われぬ、七
両ならば
引替えにと言うのを、もッと
気張ってくれさっせえで、とうとう七両一
分に替えたのがはじまり。
そちこち、
気長に
金子にして、やがて船一
艘、
古物を買い込んで、海から
薪炭の荷を廻し、
追々材木へ手を出しかけ、船の数も七艘までに仕上げた時、すっぱりと売物に出して、さて、地面を買う、店を拡げる、
普請にかかる。
土台が
極ると、山の
貸元になって、坐っていて商売が出来るようになりました、
高利は貸します。
どかとした山の林が、あの裸になっては、店さきへすくすくと並んで、いつの間にか
金を残しては
何処へか参る。
そのはずでござるて。
利のつく
金子を借りて山を買う、木を
伐りかけ、
資本に
支える。ここで材木を
抵当にして、また借りる。すぐに利がつく、また伐りかかる、
資本に
支える、また借りる、利でござろう。借りた方は
精々と
樹を
伐り出して、
貸元の店へ材木を並べるばかり。追っかけられて見切って売るのを、安く買い込んでまた
儲ける。行ったり、来たり、家の前を通るものが、
金子を置いては失せるのであります。
妻子眷属、
一時にどしどしと
殖えて、人は
唯、
天狗が山を飲むような、と舌を巻いたでありまするが、
蔭じゃ
||その
||鍬を
杖で
胴震いの一件をな、はははは、こちとら、その、も一ツの
甕の
朱の方だって、手を
押つけりゃ血になるだ、なぞと、ひそひそ
話を
遣るのでござって、」
「そういう人たちはまた
可い
塩梅に
穿り当てないもんですよ。」
と顔を見合わせて二人が笑った。
「よくしたものでございます。いくら隠していることでも
何処をどうして知れますかな。
いや、それについて、」
出家は
思出したように、
「こういう話がございます。その、誰にも言うな、と堅く
口留めをされた
斉之助という
小児が、(
父様は
野良へ行って、穴のない
天保銭をドシコと
背負って帰らしたよ。)
······如何でござる、ははははは。」
「なるほど、穴のない天保銭。」
「その穴のない天保銭が、当主でございます。
多額納税議員、
玉脇斉之助、令夫人おみを殿、その歌をかいた美人であります、
如何でございます、
貴下、」
「先ずお茶を一ツ。御約束通り渋茶でござって、
碌にお
茶台もありませんかわりには、がらんとして自然に片づいております。お
寛ぎ下さい。秋になりますると、これで町へ遠うございますかわりには、
栗柿に事を欠きませぬ。
烏を追って柿を取り、
高音を張ります
鵙を驚かして、栗を落してなりと差上げましょうに。
まあ、何よりもお楽に、」
と
袈裟をはずして
釘にかけた、
障子に
緋桃の
影法師。
今物語の
朱にも似て、
破目を
暖く燃ゆる
状、
法衣をなぶる
風情である。
庵室から
打仰ぐ、石の
階子は
梢にかかって、
御堂は屋根のみ浮いたよう、緑の雲にふっくりと沈んで、山の
裾の、
縁に迫って
萌葱なれば、あま
下る
蚊帳の外に、
誰待つとしもなき二人、
煙らぬ火鉢のふちかけて、ひらひらと
蝶が来る。
「
御堂の中では何んとなく気もあらたまります。
此処でお茶をお入れ下すった上のお話じゃ、
結構過ぎますほどですが、あの歌に分れて来たので、何んだかなごり
惜い
心持もします。」
「けれども、石段だけも、
婀娜な
御本尊へは
路が近うなってございますから、はははは。
実の
処仏の前では、何か
私が自分に
懺悔でもしまするようで心苦しい。
此処でありますと大きに
寛ぐでございます。
師のかげを七
尺去るともうなまけの通りで、困ったものでありますわ。
そこで客人でございます。
|| 日頃のお話ぶり、
行為、
御容子な、」
「どういう人でした。」
「それは申しますまい。私も、
盲目の
垣覗きよりもそッと近い、
机覗きで、読んでおいでなさった、
書物などの、お話も
伺って、何をなさる方じゃと言う事も存じておりますが、
経文に書いてあることさえ、
愚昧に
饒舌ると間違います。
故人をあやまり伝えてもなりませず、何か
評をやるようにも当りますから、
唯々、かのな、婦人との模様だけ、お物語りしましょうで。
一日晩方、
極暑のみぎりでありました。浜の散歩から返ってござって、(
和尚さん、
些と海へ行って御覧なさいませんか。
綺麗な人がいますよ。)
(ははあ、どんな、
貴下、)
(あの松原の
砂路から、
小松橋を渡ると、急にむこうが
遠目金を
嵌めたように
円い海になって
富士の山が見えますね、)
これは御存じでございましょう。」
「知っていますとも。毎日のように遊びに出ますもの、」
「あの橋の
取附きに、松の樹で
取廻して
||松原はずッと河を越して広い
洲の林になっておりますな
||そして庭を広く取って、
大玄関へ石を
敷詰めた、素ばらしい門のある
邸がございましょう。あれが、それ、
玉脇の
住居で。
実はあの
方を、東京の
方がなさる別荘を
真似て造ったでありますが、主人が
交際ずきで
頻と客をしまする
処、いずれ海が、何よりの
呼物でありますに。この
久能谷の方は、
些と
足場が遠くなりますから、すべて、
見得装飾を向うへ持って参って、
小松橋が本宅のようになっております。
そこで、去年の夏頃は、
御新姐。申すまでもない、そちらにいたでございます。
でその
||小松橋を渡ると、急に
遠目金を
覗くような
円い海の
硝子へ
||ぱっと一杯に
映って、とき色の服の姿が
浪の青いのと、
巓の白い中へ、薄い
虹がかかったように、美しく
靡いて来たのがある。
······ と言われたは、
即ち、それ、玉脇の
······でございます。
しかし、その時はまだ誰だか本人も御存じなし、聞く方でも分りませんので。どういう
別嬪でありました、と
串戯にな、
団扇で
煽ぎながら聞いたでございます。
客人は海水帽を脱いだばかり、まだ部屋へも
上らず、その
縁側に腰をかけながら。
(
誰方か、
尊いくらいでした。)」
「
大分気高く見えましたな。
客人が言うには、
(二、三
間あいを置いて、おなじような
浴衣を着た、帯を
整然と結んだ、女中と見えるのが附いて通りましたよ。
唯すれ違いざまに見たんですが、目鼻立ちのはっきりした、色の白いことと、唇の
紅さったらありませんでした。
盛装という姿だのに、海水帽をうつむけに
被って
||近所の人ででもあるように、無造作に見えましたっけ。むこう、そうやって下を見て帽子の
廂で日を
避けるようにして来たのが、
真直に前へ出たのと、顔を見合わせて、両方へ
避ける時、濃い
睫毛から
瞳を涼しく

いたのが、
雪舟の筆を、
紫式部の
硯に染めて、濃淡のぼかしをしたようだった。
何んとも言えない、美しさでした。
いや、こういうことをお話します、
私は
鳥羽絵に
肖ているかも知れない。
さあ、
御飯を頂いて、
柄相応に、月夜の
南瓜畑でもまた見に出ましょうかね。)
爾晩は
貴下、
唯それだけの事で。
翌日また散歩に出て、同じ時分に
庵室へ帰って見えましたから、
私が
串戯に、
(雪舟の筆は
如何でござった。)
(今日は曇った
所為か見えませんでした。)
それから二、三日
経って、
(まだお天気が直りませんな。
些と涼しすぎるくらい、
御歩行には
宜しいが、やはり雲がくれでござったか。)
(
否、
源氏の題に、
小松橋というのはありませんが、今日はあの橋の上で、)
(それは、おめでたい。)
などと笑いまする。
(まるで人違いをしたように
粋でした。
私がこれから橋を渡ろうという時、向うの
袂へ、十二、三を
頭に、
十歳ぐらいのと、
七八歳ばかりのと、男の
児を三人連れて、その中の小さいのの肩を片手で
敲きながら、上から
覗き込むようにして、
莞爾して橋の上へかかって来ます。
どんな
婦人でも
羨しがりそうな、すなおな、
房りした
花月巻で、
薄お
納戸地に、ちらちらと
膚の
透いたような、何んの
中形だか
浴衣がけで、それで、きちんとした
衣紋附。
絽でしょう、空色と白とを打合わせの、模様はちょっと分らなかったが、お
太鼓に結んだ、白い方が、腰帯に当って
水無月の雪を
抱いたようで、見る目に、ぞッとして
擦れ違う時、その人は、忘れた
形に手を垂れた、その両手は力なさそうだったが、
幽にぶるぶると肩が揺れたようでした、
傍を通った男の
気に襲われたものでしょう。
通り
縋ると、どうしたのか、我を忘れたように、
私は、あの、低い
欄干へ、腰をかけてしまったんです。抜けたのだなぞと言っては
不可ません。下は川ですから、あれだけの流れでも、
落ちようもんならそれっきりです
||淵や瀬でないだけに、
救助船とも
喚かれず、また叫んだ
処で、人は
串戯だと思って、笑って見殺しにするでしょう、
泳を知らないから、)
と言って
苦笑をしなさったっけ
······それが
真実になったのでございます。
どうしたことか、この
恋煩に限っては、
傍のものは、あはあは、笑って見殺しにいたします。
私はじめ
串戯半分、ひやかしかたがた、
今日は例のは
如何で、などと申したでございます。
これは、
貴下でもさようでありましょう。」
されば何んと答えよう、
喫んでた
煙草の灰をはたいて、
「ですがな
······どうも、これだけは
真面目に
介抱は出来かねます。娘が
煩うのだと、
乳母が始末をする
仕来りになっておりますがね、男のは困りますな。
そんな時、その川で
沙魚でも釣っていたかったですね。」
「ははは、これはおかしい。」
と出家は
興ありげにハタと手を打つ。
「これはおかしい、
釣といえば
丁どその時、向う
詰の岸に
踞んで、ト釣っていたものがあったでござる。
橋詰の
小店、荒物を
商う家の亭主で、
身体の
痩せて
引緊ったには似ない、
褌の
緩い男で、
因果とのべつ釣をして、はだけていましょう、
真にあぶなッかしい形でな。
渾名を
一厘土器と申すでござる。
天窓の真中の
兀工合が、
宛然ですて
||川端の
一厘土器||これが
爾時も釣っていました。
庵室の客人が、
唯今申す
欄干に腰を掛けて、おくれ
毛越にはらはらと
靡いて通る、雪のような
襟脚を見送ると、今、
小橋を渡った
処で、中の
十歳位のがじゃれて、その腰へ
抱き着いたので、
白魚という指を
反らして、軽くその
小児の背中を打った時だったと申します。
(お
坊ちゃま、お坊ちゃま、)
と大声で呼び懸けて、
(
手巾が落ちました、)と知らせたそうでありますが、
件の
土器殿も、
餌は
振舞う気で、
粋な後姿を見送っていたものと見えますよ。
(やあ、)と言って、十二、三の一番上の
児が、駈けて返って、橋の上へ落して行った白い
手巾を拾ったのを、
懐中へ
突込んで、黙ってまた飛んで行ったそうで。
小児だから、
辞儀も
挨拶もないでございます。
御新姐が、
礼心で顔だけ振向いて、肩へ、
頤をつけるように、唇を少し曲げて、その
涼い目で、
熟とこちらを見返ったのが取違えたものらしい。
私が
許の客人と、ぴったり出会ったでありましょう。
引込まれて、はッと礼を返したが、それッきり。
御新姐の方は見られなくって、
傍を向くと
貴下、
一厘土器が
怪訝な
顔色。
いやもう、しっとり
冷汗を掻いたと言う事、
||こりゃなるほど。
極がよくない。
局外のものが何んの気もなしに考えれば、愚にもつかぬ事なれど、色気があって
御覧じろ。第一、
野良声の調子ッぱずれの
可笑い
処へ、自分主人でもない
余所の
小児を、坊やとも、あの
児とも言うにこそ、へつらいがましい、お坊ちゃまは不見識の
行止り、申さば
器量を下げた話。
今一方からは、右の
土器殿にも
小恥かしい次第でな。他人のしんせつで手柄をしたような、変な羽目になったので。
御本人、そうとも口へ出して言われませなんだが、それから何んとなく
鬱ぎ込むのが、
傍目にも見えたであります。
四、五日、
引籠ってござったほどで。
後に、何も
彼も打明けて
私に言いなさった時の話では、しかしまたその
間違が
縁になって、今度出会った時は、何んとなく両方で
挨拶でもするようになりはせまいか。そうすれば、どんなにか
嬉しかろう、
本望じゃ、と思われたそうな。迷いと申すはおそろしい、
情ないものでござる。世間
大概の馬鹿も、これほどなことはないでございます。
三度目には御本人、」
「また出会ったんですかい。」
と聞くものも待ち構える。
「今度は反対に、浜の方から帰って来るのと、浜へ出ようとする
御新姐と、例の出口の処で逢ったと言います。
大分もう薄暗くなっていましたそうで
······土用あけからは、目に立って日が
詰ります
処へ、一度は一度と、散歩のお帰りが遅くなって、
蚊遣りでも我慢が出来ず、
私が
此処へ
蚊帳を釣って
潜込んでから、帰って見えて、
晩飯ももう、なぞと言われるさえ折々の事。
爾時も、早や
黄昏の、とある、
人顔、
朧ながら月が出たように、見違えないその人と、思うと、男が五人、中に主人もいたでありましょう。
婦人は
唯御新姐一人、それを取巻く如くにして、どやどやと
些と
急足で、
浪打際の方へ通ったが、その
人数じゃ、
空頼めの、
余所ながら目礼
処の騒ぎかい、
貴下、その五人の男というのが。」
「眉の太い、
怒り
鼻のがあり、
額の広い、
顎の
尖った、
下目で
睨むようなのがあり、
仰向けざまになって、
頬髯の中へ、煙も出さず葉巻を
突込んでいるのがある。くるりと尻を
引捲って、
扇子で叩いたものもある。どれも
浴衣がけの
下司は
可いが、その中に
浅黄の
兵児帯、
結目をぶらりと二尺ぐらい、こぶらの
辺までぶら下げたのと、
緋縮緬の
扱帯をぐるぐる巻きに
胸高は
沙汰の
限。前のは御自分ものであろうが、
扱帯の先生は、酒の上で、
小間使のを
分捕の次第らしい。
これが、不思議に客人の気を悪くして、
入相の浪も
物凄くなりかけた折からなり、あの、
赤鬼青鬼なるものが、かよわい人を
冥土へ
引立てて
行くようで、思いなしか、
引挟まれた
御新姐は、何んとなく
物寂しい、
快からぬ、
滅入った
容子に見えて、ものあわれに、命がけにでも
其奴らの中から救って
遣りたい感じが起った。家庭の様子もほぼ知れたようで、気が
揉める、と言われたのでありますが、
貴下、これは無理じゃて。
地獄の絵に、天女が
天降った
処を描いてあって御覧なさい。
餓鬼が救われるようで
尊かろ。
蛇が、つかわしめじゃと申すのを聞いて、
弁財天を、ああ、お気の毒な、さぞお気味が悪かろうと思うものはありますまいに。迷いじゃね。」
散策子はここに少しく腕組みした。
「しかし何ですよ、女は、自分の
惚れた男が、
別嬪の女房を持ってると、
嫉妬らしいようですがね。男は反対です、」
と
聊か論ずる
口吻。
「ははあ、」
「男はそうでない。惚れてる
婦人が、
小野小町花、
大江千里月という、
対句通りになると安心します。
唯今の、その
浅黄の
兵児帯、
緋縮緬の
扱帯と来ると、
些と考えねばならなくなる。
耶蘇教の信者の女房が、
主キリストと抱かれて寝た夢を見たと言うのを聞いた時の
心地と、
回々教の
魔神になぐさまれた夢を見たと言うのを聞いた時の
心地とは、きっとそれは違いましょう。
どっち
路、
嬉くない事は知れていますがね、前のは、
先ず先ずと我慢が出来る、
後のは、
堪忍がなりますまい。
まあ、そんな事は
措いて、何んだってまた、そう言う不愉快な人間ばかりがその夫人を取巻いているんでしょう。」
「そこは、
玉脇がそれ
鍬の
柄を
杖に
支いて、ぼろ
半纏に
引くるめの一件で、ああ
遣って
大概な華族も及ばん暮しをして、交際にかけては
銭金を
惜まんでありますが、
情ない事には、
遣方が
遣方ゆえ、身分、名誉ある人は
寄つきませんで、
悲哉その段は、
如何わしい連中ばかり。」
「お待ちなさい、なるほど、そうするとその夫人と言うは、どんな身分の人なんですか。」
出家はあらためて、
打頷き、かつ
咳して、
「そこでございます、
御新姐はな、
年紀は、さて、
誰が目にも
大略は分ります、先ず二十三、四、それとも五、六かと言う
処で、」
「それで三人の
母様? 十二、三のが
頭ですかい。」
「
否、どれも
実子ではないでございます。」
「ままッ
児ですか。」
「三人とも先妻が産みました。この先妻についても、まず、
一くさりのお話はあるでございますが、それは
余事ゆえに申さずとも
宜しかろ。
二、三年前に、今のを迎えたのでありますが、
此処でありますよ。
何処の生れだか、育ちなのか、誰の娘だか、妹だか、
皆目分らんでございます。貸して、かたに取ったか、出して買うようにしたか。
落魄れた華族のお姫様じゃと言うのもあれば、分散した
大所の
娘御だと申すのもあります。そうかと思うと、
箔のついた
芸娼妓に違いないと申すもあるし、
豪いのは高等
淫売の
上りだろうなどと、
甚しい
沙汰をするのがござって、
丁と底知れずの池に
棲む、
ぬしと言うもののように、
素性が分らず、ついぞ知ったものもない様子。」
「何にいたせ、
私なぞが通りすがりに見懸けましても、何んとも当りがつかぬでございます。勿論また、坊主に鑑定の出来ようはずはなけれどもな。その眉のかかり、目つき、
愛嬌があると申すではない。
口許なども
凛として、
世辞を一つ言うようには思われぬが、
唯何んとなく賢げに、恋も無常も知り抜いた
風に見える。
身体つきにも顔つきにも、
情が
滴ると言った
状じゃ。
恋い慕うものならば、
馬士でも船頭でも、われら坊主でも、
無下に
振切って
邪険にはしそうもない、
仮令恋はかなえぬまでも、
然るべき返歌はありそうな。帯の
結目、
袂の
端、
何処へちょっと
障っても、
情の露は男の骨を
溶解かさずと言うことなし、と申す
風情。
されば、気高いと申しても、
天人神女の
俤ではのうて、
姫路のお
天守に
緋の
袴で燈台の下に何やら書を
繙く、それ露が
滴るように
婀娜なと言うて、水道の水で洗い髪ではござらぬ。
人跡絶えた山中の温泉に、
唯一人雪の
膚を泳がせて、
丈に余る黒髪を絞るとかの、それに
肖まして。
慕わせるより、
懐しがらせるより、一目見た男を
魅する、
力広大。
少からず、地獄、極楽、
娑婆も身に
附絡うていそうな
婦人、
従うて、罪も
報も浅からぬげに見えるでございます。
ところへ、迷うた人の事なれば、
浅黄の帯に
緋の
扱帯が、
牛頭馬頭で
逢魔時の
浪打際へ
引立ててでも
行くように思われたのでありましょう
||私どもの客人が
||そういう
心持で御覧なさればこそ、その
後は
玉脇の
邸の前を
通がかり。
······ 浜へ
行く町から、横に折れて、
背戸口を流れる小川の方へ
引廻した
蘆垣の
蔭から、松林の幹と幹とのなかへ、
襟から肩のあたり、くっきりとした
耳許が
際立って、帯も
裾も見えないのが、
浮出したように真中へあらわれて、
後前に、これも肩から上ばかり、
爾時は男が三人、
一ならびに松の葉とすれすれに、しばらく
桔梗刈萱が
靡くように見えて、
段々低くなって隠れたのを、何か、自分との事のために、
離座敷か、
座敷牢へでも、送られて
行くように思われた、
後前を
引挟んだ三人の
漢の首の、兇悪なのが、
確にその意味を語っていたわ。もうこれきり、未来まで
逢えなかろうかとも思われる、と無理なことを言うのであります。
さ、これもじゃ、玉脇の家の客人だち、主人まじりに、
御新姐が、庭の
築山を遊んだと思えば、それまででありましょうに。
とうとう表通りだけでは、気が済まなくなったと見えて、
前申した、その
背戸口、
搦手のな、川を一つ隔てた小松原の奥深く
入り込んで、うろつくようになったそうで。
玉脇の
持地じゃありますが、この松原は、
野開きにいたしてござる。中には
汐入の、ちょっと大きな池もあります。一面に
青草で、これに松の
翠がかさなって、
唯今頃は
菫、夏は
常夏、秋は
萩、
真個に
幽翠な
処、
些と行らしって
御覧じろ。」
「薄暗い処ですか、」
「
藪のようではありません。
真蒼な処であります。本でも御覧なさりながらお
歩行きには、至極
宜しいので、」
「蛇がいましょう、」
と
唐突に尋ねた。
「お嫌いか。」
「何とも、どうも、」
「
否、何の因果か、あのくらい世の中に嫌われるものも少のうござる。
しかし、気をつけて見ると、あれでもしおらしいもので、
路端などを
我は
顔で
伸してる
処を、人が参って、
熟と
視めて御覧なさい。見返しますがな、極りが悪そうに
鎌首を垂れて、向うむきに
羞含みますよ。憎くないもので、ははははは、やはり心がありますよ。」
「心があられてはなお困るじゃありませんか。」
「
否、塩気を嫌うと見えまして、その池のまわりには
些ともおりません。
邸にはこの頃じゃ、その
魅するような
御新姐も
留主なり、
穴はすかすかと
真黒に、足許に
蜂の巣になっておりましても、
蟹の
住居、落ちるような
憂慮もありません。」
「客人は、その穴さえ、
白髑髏の目とも見えたでありましょう。
池をまわって、川に臨んだ、玉脇の
家造を、何か、
御新姐のためには牢獄ででもあるような考えでござるから。
さて、
潮のさし
引ばかりで、流れるのではありません、どんより
鼠色に
淀んだ岸に、浮きもせず、沈みもやらず、
末始終は砕けて
鯉鮒にもなりそうに、
何時頃のか五、六本、丸太が
浸っているのを見ると、ああ、
切組めば船になる。
繋合わせば
筏になる。しかるに、綱も
棹もない、恋の
淵はこれで渡らねばならないものか。
生身では渡られない。
霊魂だけなら乗れようものを。あの、
樹立に包まれた
木戸の中には、その人が、と足を
爪立ったりなんぞして。
蝶の目からも、余りふわふわして見えたでござろう。小松の中をふらつく自分も、何んだかその、肩から上ばかりに、
裾も足もなくなった心地、
日中の
妙な
蝙蝠じゃて。
懐中から本を出して、
蝋光高懸照紗空、
花房夜搗紅守宮、
象口吹香※※暖[#「搨のつくり+毛」、U+6BFE、62-12][#「登+毛」、U+3CAA、62-12]、
七星挂城聞漏板、
寒入罘※殿影昏[#「罘」の「不」に代えて「思」、U+7F73、62-13]、
彩鸞簾額著霜痕、
ええ、何んでも
此処は、
蛄が
鉤闌の下に月に鳴く、
魏の
文帝に
寵せられた
甄夫人が、
後におとろえて幽閉されたと言うので、
鎖阿甄。とあって、それから、
夢入家門上沙渚、
天河落処長洲路、
願君光明如太陽、
妾を
放て、そうすれば、
魚に
騎し、波を

いて去らん、というのを
微吟して、思わず、
襟にはらはらと涙が落ちる。目を

って、その水中の木材よ、いで、浮べ、
鰭ふって木戸に迎えよ、と
睨むばかりに
瞻めたのでござるそうな。
些と
尋常事でありませんな。
詩は
唐詩選にでもありましょうか。」
「どうですか。ええ、何んですって
||夢に
家門に入って
沙渚に
上る。
魂が
沙漠をさまよって
歩行くようね、
天河落処長洲路、あわれじゃありませんか。
それを聞くと、
私まで何んだか、その婦人が、幽閉されているように思います。
それからどうしましたか。」
「どうと申して、段々
頤がこけて、日に増し目が
窪んで、顔の色がいよいよ悪い。
或時、大奮発じゃ、と言うて、
停車場前の床屋へ、顔を
剃りに
行かれました。その時だったと申す事で。
頭を洗うし、久しぶりで、
些心持も
爽になって、ふらりと出ると、
田舎には
荒物屋が多いでございます、紙、
煙草、
蚊遣香、勝手道具、何んでも屋と言った店で。
床店の
筋向うが、やはりその
荒物店であります
処、
戸外へは水を打って、
軒の
提灯にはまだ火を
点さぬ、
溝石から往来へ
縁台を
跨がせて、
差向いに
将棊を
行っています。
端の
歩が
附木、お
定りの奴で。
用なしの
身体ゆえ、客人が
其処へ寄って、
路傍に立って、両方ともやたらに
飛車角の
取替えこ、ころりころり
差違えるごとに、ほい、ほい、と言う勇ましい
懸声で。おまけに一人の
親仁なぞは、
媽々衆が
行水の間、
引渡されたものと見えて、
小児を一人
胡坐の上へ抱いて、
雁首を
俯向けに
銜え
煙管。
で
銜えたまんま、待てよ、どっこい、と言うたびに、
煙管が
打附りそうになるので、抱かれた
児は、親仁より、余計に
額に
皺を寄せて、
雁首を
狙って取ろうとする。火は附いていないから、
火傷はさせぬが、夢中で取られまいと
振動かす、
小児は手を出す、飛車を
遁げる。
よだれを
垂々と垂らしながら、
占た! とばかり、やにわに
対手の
玉将を
引掴むと、大きな口をへの
字形に結んで見ていた
赭ら
顔で、
脊高の、胸の大きい
禅門が、
鉄梃のような親指で、いきなり勝った方の鼻っ
頭をぐいと
掴んで、
豪いぞ、と
引伸ばしたと
思し召せ、ははははは。」
「大きな、ハックサメをすると
煙草を落した。
額こッつりで
小児は泣き出す、負けた方は笑い出す、
涎と何んかと一緒でござろう。鼻をつまんだ
禅門、
苦々しき
顔色で、指を
持余した、
塩梅な。
これを
機会に立去ろうとして、振返ると、荒物屋と
葭簀一枚、
隣家が
間に合わせの郵便局で。
其処の
門口から、すらりと出たのが例のその人。汽車が着いたと見えて、馬車、車がらがらと五、六台、それを見に出たものらしい、郵便局の
軒下から往来を透かすようにした、目が、ばったり客人と出逢ったでありましょう。
心ありそうに、そうすると直ぐに身を引いたのが、隔ての
葭簀の陰になって、顔を
背向けもしないで、
其処で
向直ってこっちを見ました。
軒下の身を引く時、目で
引つけられたような
心持がしたから、こっちもまた
葭簀越に。
爾時は、
総髪の
銀杏返で、
珊瑚の
五分珠の
一本差、髪の
所為か、いつもより眉が長く見えたと言います。
浴衣ながら帯には
黄金鎖を掛けていたそうでありますが、揺れてその音のするほど、こっちを
透すのに胸を動かした、顔がさ、
葭簀を横にちらちらと
霞を引いたかと思う、これに
眩くばかりになって、思わずちょっと
会釈をする。
向うも、
伏目に
俯向いたと思うと、リンリンと
貴下、高く響いたのは電話の
報知じゃ。
これを待っていたでございますな。
すぐに電話口へ入って、姿は隠れましたが、
浅間ゆえ、よく聞える。
(はあ、
私。あなた、
余りですわ。
余りですわ。どうして来て下さらないの。
怨んでいますよ。あの、あなた、
夜も寝られません。はあ、夜中に汽車のつくわけはありませんけれども、それでも今にもね、来て下さりはしないかと思って。
私の方はね、もうね、ちょいと
······どんなに離れておりましても、あなたの声はね、電話でなくっても聞えます。あなたには通じますまい。
どうせ、そうですよ。それだって、こんなにお待ち申している、私のためですもの
······気をかねてばかりいらっしゃらなくても
宜しいわ。
些とは不義理、
否、父さんやお母さんに、不義理と言うこともありませんけれど、ね、私は
生命かけて、きっとですよ。今夜にも、寝ないでお待ち申しますよ。あ、あ、たんと、そんなことをお言いなさい、どうせ寝られないんだから
可うございます。
怨みますよ。夢にでもお目にかかりましょうねえ、
否、待たれない、待たれない
······)
お
道か、お
光か、女の名前。
(
······みいちゃん、さようなら、夢で逢いますよ。)
|| きりきりと電話を切ったて。」
「へい、」
と思わず
聞惚れる。
「その日は帰ってから、
豪い元気で、
私はそれ、涼しさやと言った
句の通り、
縁から足をぶら下げる。客人は
其処の
井戸端に
焚きます
据風呂に入って、湯をつかいながら、
露出しの
裸体談話。
そっちと、こっちで、
高声でな。
尤も
隣近所はござらぬ。かけかまいなしで、電話の
仮声まじりか何かで、
(やあ、
和尚さん、梅の青葉から、
湯気の中へ糸を引くのが、月影に光って見える、
蜘蛛が下りた、)
と
大気
じゃ。
(
万歳々々、今夜お
忍か。)
(
勿論、)
と答えて、頭のあたりをざぶざぶと、
仰いで天に
愧じざる
顔色でありました。が、日頃の
行[#ルビの「おこな」は底本では「おこか」]いから察して、
如何に、
思死をすればとて、いやしくも
主ある婦人に、そういう
不料簡を出すべき
仁でないと思いました、果せる
哉。
冷奴に
紫蘇の実、
白瓜の
香の
物で、
私と
取膳の飯を
上ると、帯を
緊め直して、
(もう一度そこいらを。)
いや、これはと、ぎょっとしたが、
垣の外へ出られた姿は、海の方へは
行かないで、それ、その石段を。」
一面の日当りながら、
蝶の
羽の動くほど、山の草に薄雲が軽く
靡いて、
檐から
透すと、峰の方は暗かった、余り
暖さが過ぎたから。
降ろうも知れぬ。
日向へ蛇が出ている時は、雨を持つという、来がけに二度まで見た。
で、雲が
被って、空気が
湿った
所為か、
笛太鼓の
囃子の音が山一ツ越えた
彼方と思うあたりに、
蛙が
喞くように、遠いが、手に取るばかり、しかも沈んでうつつの音楽のように聞えて来た。
靄で
蝋管の出来た
蓄音器の如く、かつ
遥に響く。
それまでも、何かそれらしい音はしたが、極めて散漫で、何の声とも
纏まらない。村々の
蔀、柱、
戸障子、勝手道具などが、
日永に退屈して、のびを打ち、
欠伸をする
気勢かと思った。いまだ昼前だのに、
||時々牛の鳴くのが
入交って
||時に笑い
興ずるような人声も、動かない、静かに風に伝わるのであった。
フト耳を澄ましたが、直ぐに出家の
言になって、
「
大分町の方が
賑いますな。」
「祭礼でもありますか。」
「これは
停車場近くにいらっしゃると
承りましたに、つい御近所でございます。
停車場の新築
開き。」
如何にも
一月ばかり以前から
取沙汰した今日は当日。規模を大きく、
建直した落成式、
停車場に舞台がかかる、東京から
俳優が来る、村のものの茶番がある、
餅を
撒く、昨夜も夜通し騒いでいて、
今朝来がけの人通りも、よけて通るばかりであったに、はたと忘れていたらしい。
「まったくお話しに
聞惚れましたか、こちらが
里離れて閑静な
所為か、
些とも気が
附ないでおりました。実は余り
騒々しいので、そこを
遁げて参ったのです。しかし降りそうになって来ました。」
出家の
額は
仰向けに
廂を
潜って、
「ねんばり
一湿りでございましょう。
地雨にはなりますまい。
何、また、雨具もござる。芝居を御見物の
思召がなくば、まあ
御緩りなすって。
あの音もさ、
面白可笑く、こっちも見物に参る気でもござると、じっと落着いてはいられないほど、浮いたものでありますが、さてこう、かけかまいなしに、遠ざかっておりますと、世を一ツ隔てたように、寂しい、陰気な、妙な
心地がいたすではありませんか。」
「
真箇ですね。」
「昔、井戸を掘ると、
地の下に
犬鶏の鳴く
音、人声、
牛車の
軋る音などが聞えたという話があります。それに似ておりますな。
峠から見る、霧の下だの、
暗の
浪打際、ぼうと
灯が
映る
処だの、かように山の腹を向うへ越した
地の裏などで、聞きますのは、おかしく
人間業でないようだ。夜中に聞いて、
狸囃子と言うのも至極でございます。
いや、それに、つきまして、お話の客人でありますが、」
と、茶を一口急いで飲み、さしおいて、
「さて今申した通り、夜分にこの石段を
上って
行かれたのでありまして。
しかしこれは
情に激して、
発奮んだ仕事ではなかったのでございます。
こうやって、この
庵室に馴れました身には、石段はつい、
通い
廊下を縦に通るほどな
心地でありますからで。客人は、堂へ
行かれて、
柱板敷へひらひらと大きくさす月の影、海の
果には
入日の雲が
焼残って、ちらちら
真紅に、
黄昏過ぎの
渾沌とした、水も山も
唯一面の大池の中に、その
軒端洩る夕日の影と、消え残る夕焼の雲の
片と、
紅蓮白蓮の
咲乱れたような
眺望をなさったそうな。これで
御法の船に同じい、
御堂の
縁を離れさえなさらなかったら、海に
溺れるようなことも起らなんだでございましょう。
爰に
希代な事は
|| 堂の裏山の方で、
頻りに、その、
笛太鼓、
囃子が聞えたと申す事
|| 唯今、それ、聞えますな。あれ、あれとは、まるで方角は違います。」
と出家は
法衣でずいと立って、
廂から指を出して、
御堂の山を左の
方へぐいと指した。立ち方の
唐突なのと、急なのと、
目前を
塞いだ
墨染に、
一天する
墨を流すかと、
袖は障子を包んだのである。
「堂の前を左に切れると、空へ抜いた
隧道のように、
両端から
突出ました
巌の間、
樹立を
潜って、裏山へかかるであります。
両方
谷、海の
方は、山が切れて、
真中の
路を汽車が通る。一方は
一谷落ちて、それからそれへ、山また山、次第に峰が重なって、段々
雲霧が深くなります。
処々、山の尾が樹の根のように
集って、広々とした
青田を
抱えた
処もあり、炭焼小屋を包んだ処もございます。
其処で、この山伝いの路は、
崕の上を高い
堤防を
行く形、時々、島や
白帆の見晴しへ出ますばかり、あとは
生繁って
真暗で、今時は、さまでにもありませぬが、草が繁りますと、分けずには通られません。
谷には
鶯、峰には
目白四十雀の
囀っている
処もあり、
紺青の
巌の根に、春は
菫、秋は
竜胆の咲く
処。
山清水がしとしとと
湧く
径が
薬研の底のようで、両側の
篠笹を
跨いで通るなど、ものの
小半道踏分けて参りますと、
其処までが
一峰で。それから
崕になって、
郡が違い、海の
趣もかわるのでありますが、その
崕の上に、たとえて申さば、この
御堂と背中合わせに、山の尾へ
凭っかかって、かれこれ
大仏ぐらいな、
石地蔵が
無手と
胡坐してござります。それがさ、石地蔵と申し伝えるばかり、よほどのあら刻みで、まず
坊主形の
自然石と言うても
宜しい。妙に
御顔の尖がった処が、拝むと
凄うござってな。
堂は形だけ残っておりますけれども、
勿体ないほど
大破いたして、
密と参っても
床なぞずぶずぶと
踏抜きますわ。屋根も柱も
蜘蛛の巣のように
狼藉として、これはまた
境内へ足の
入場もなく、
崕へかけて倒れてな、でも建物があった跡じゃ、
見霽しの広場になっておりますから、これから
山越をなさる
方が、うっかり
其処へござって、
唐突の
山仏に
胆を
潰すと申します。
其処を山続きの
留りにして、向うへ降りる
路は、またこの石段のようなものではありません。わずかの間も
九十九折の坂道、
嶮い上に、

か石を入れたあとのあるだけに、
爪立って
飛々に
這い
下りなければなりませんが、この坂の両方に、五百体千体と申す数ではない。それはそれは数え切れぬくらい、いずれも一尺、一尺五寸、
御丈三尺というのはない、小さな
石仏がすくすく並んで、最も長い
年月、
路傍へ転げたのも、倒れたのもあったでありましょうが、さすがに
跨ぐものはないと見えます。もたれなりにも
櫛の歯のように
揃ってあります。
これについて、何かいわれのございましたことか、
一々女の名と、
亥年、
午年、幾歳、幾歳、年齢とが
彫りつけてございましてな、
何時の世にか、諸国の
婦人たちが、
挙って、
心願を
籠めたものでございましょう。ところで、
雨露に
黒髪は
霜と消え、
袖裾も
苔と変って、影ばかり残ったが、お
面の細く
尖った
処、以前は
女体であったろうなどという、いや女体の地蔵というはありませんが、さてそう聞くと、なお気味が悪いではございませんか。
ええ、つかぬことを申したようでありますが、客人の話について、
些と考えました事がござる。客人は、それ、その
山路を
行かれたので
||この
観音の
御堂を離れて、」
「なるほど、その何んとも知れない、石像の処へ、」
と胸を伏せて顔を見る。
「いやいや、
其処までではありません。
唯その山路へ、堂の左の、
巌間を抜けて出たものでございます。
トいうのが、手に取るように、
囃の音が聞えたからで。
直きその
谷間の村あたりで、騒いでいるように、トントンと山腹へ響いたと申すのでありますから、ちょっと裏山へ廻りさえすれば、足許に
瞰下ろされますような
勘定であったので。客人は、高い
処から見物をなさる気でござった。
入り
口はまだ月のたよりがございます。樹の下を、草を分けて参りますと、
処々窓のように山が切れて、
其処から、
松葉掻、枝拾い、じねんじょ
穿が谷へさして通行する、下の村へ続いた
路のある処が、あっちこっちにいくらもございます。
それへ出ると、
何処でも広々と見えますので、最初左の
浜庇、今度は右の
茅の屋根と、二、三
箇処、その
切目へ出て、
覗いたが、
何処にも、
祭礼らしい処はない。海は
明く、谷は
煙って。」
「けれども、その
囃子の音は、
草一叢、
樹立一畝出さえすれば、
直き見えそうに聞えますので。
二足が
三足、
五足が
十足になって段々深く入るほど
||此処まで来たのに見ないで帰るも
残惜い気もする上に、何んだか、
旧へ帰るより、前へ出る方が
路も
明いかと思われて、
些と
急足になると、路も
大分上りになって、ぐいと
伸上るように、思い切って
真暗な中を、草を

って、身を
退いて高い
処へ。ぼんやり薄明るく、地ならしがしてあって、
心持、墓地の
縄張の中ででもあるような、
平な丘の上へ出ると、月は曇ってしまったか、それとも海へ落ちたかという、一方は今来た
路で向うは
崕、谷か、それとも浜辺かは、判然せぬが、
底一面に
靄がかかって、その靄に、ぼうと遠方の火事のような色が
映っていて、
篝でも
焼いているかと、
底澄んで赤く見える、その
辺に、
太鼓が聞える、笛も吹く、ワアという人声がする。
如何にも
賑かそうだが、さて
何処とも分らぬ。客人は、その
朦朧とした
頂に立って、
境は接しても、
美濃近江、人情も風俗も皆違う寝物語の里の
祭礼を、
此処で見るかと思われた、と申します。
その上、
宵宮にしては
些と
賑か過ぎる、大方
本祭の
夜? それで人の
出盛りが通り過ぎた、よほど
夜更らしい景色に
視めて、しばらく
茫然としてござったそうな。
ト何んとなく、
心寂しい。
路もよほど
歩行いたような気がするので、うっとり
草臥れて、もう帰ろうかと思う時、その
火気を包んだ
靄が、こう風にでも動くかと覚えて、谷底から上へ、
裾あがりに次第に色が
濃うなって、向うの山かけて映る
工合が
直き目の前で燃している景色
||最も
靄に包まれながら
|| そこで、何か
見極めたい気もして、その
平地を
真直に
行くと、まず、それ、山の腹が
覗かれましたわ。
これはしたり!
祭礼は
谷間の里からかけて、
此処がそのとまりらしい。見た
処で、薄くなって段々に下へ
灯影が濃くなって次第に
賑かになっています。
やはり
同一ような
平な土で、客人のござる丘と、向うの丘との中に
箕の形になった場所。
爪尖も
辷らず、
静に
安々と下りられた。
ところが、
箕の形の、一方はそれ
祭礼に続く谷の
路でございましょう。その谷の方に寄った畳なら八畳ばかり、油が広く
染んだ
体に、草がすっぺりと
禿げました。」
といいかけて、出家は
瀬戸物の火鉢を、
縁の方へ少しずらして、
俯向いて手で畳を仕切った。
「これだけな、
赤地の出た上へ、何かこうぼんやり
踞ったものがある。」
ト足を崩してとかくして膝に手を置いた。
思わず、
外の
方を見た散策子は、雲のやや
軒端に近く迫るのを知った。
「手を上げて招いたと言います
||ゆったりと
||行くともなしに前へ出て、それでも
間二、三
間隔って
立停まって、見ると、その
踞ったものは、顔も上げないで
俯向いたまま、
股引ようのものを
穿いている、
草色の太い
胡坐かいた膝の脇に、
差置いた、
拍子木を取って、カチカチと鳴らしたそうで、その音が何者か歯を
噛合わせるように響いたと言います。
そうすると、」
「はあ、はあ、」
「薄汚れた
帆木綿めいた
破穴だらけの幕が
開いたて、」
「幕が、」
「さよう。向う山の腹へ引いてあったが、やはり
靄に見えていたので、そのものの手に、綱が引いてあったと見えます、
踞ったままで立ちもせんので。
窪んだ浅い横穴じゃ。大きかったといいますよ。正面に幅一
間ばかり、
尤も、この辺にはちょいちょいそういうのを見懸けます。
背戸に近い百姓屋などは、
漬物桶を置いたり、青物を
活けて
重宝がる。で、幕を開けたからにはそれが舞台で。」
「なるほど、そう思えば、舞台の前に、木の葉がばらばらと
散ばった中へ
交って、
投銭が飛んでいたらしく見えたそうでございます。
幕が
開いた
||と、まあ、言う
体でありますが、さて
唯浅い、
扁い、
窪みだけで。何んの
飾つけも、道具だてもあるのではござらぬ。何か、
身体もぞくぞくして、余り見ていたくもなかったそうだが、自分を見懸けて、はじめたものを、他に誰一人いるではなし、
今更帰るわけにもなりませんような羽目になったとか言って、
懐中の
紙入に手を懸けながら、
茫乎見ていたと申します。
また、陰気な、
湿っぽい
音で、コツコツと
拍子木を
打違える。
やはりそのものの手から、ずうと糸が
繋がっていたものらしい。舞台の左右、山の腹へ斜めにかかった、
一幅の白い
靄が同じく幕でございました。むらむらと両方から
舞台際へ引寄せられると、煙が
渦くように畳まれたと言います。
不細工ながら、窓のように、箱のように、黒い横穴が小さく一ツずつ三十五十と
一側並べに仕切ってあって、その中に、ずらりと
婦人が並んでいました。
坐ったのもあり、立ったのもあり、
片膝立てたじだらくな姿もある。
緋の
長襦袢ばかりのもある。頬のあたりに血のたれているのもある。縛られているのもある、
一目見たが、それだけで、遠くの方は、小さくなって、
幽になって、
唯顔ばかり
谷間に
白百合の咲いたよう。
慄然として、
遁げもならない
処へ、またコンコンと
拍子木が鳴る。
すると
貴下、谷の方へ続いた、その何番目かの仕切の中から、ふらりと外へ出て、一人、小さな
婦人の姿が、音もなく
歩行いて来て、やがてその舞台へ
上ったでございますが、
其処へ来ると、
並の大きさの、しかも、すらりとした
脊丈になって、しょんぼりした肩の処へ、こう、
頤をつけて、
熟と客人の方を見向いた、その美しさ!
正しく玉脇の
御新姐で。」
「
寝衣にぐるぐると
扱帯を巻いて、
霜のような
跣足、そのまま向うむきに、舞台の上へ、
崩折れたように、ト膝を曲げる。
カンと木を入れます。
釘づけのようになって
立窘んだ客人の
背後から、背中を
摺って、ずッと出たものがある。
黒い影で。
見物が
他にもいたかと思う、とそうではない。その影が、よろよろと舞台へ出て、
御新姐と背中合わせにぴったり坐った
処で、こちらを向いたでございましょう、顔を見ると自分です。」
「ええ!」
「それが客人御自分なのでありました。
で、
私へお話に、
(
真個なら、
其処で死ななければならんのでした、)
と言って
歎息して、
真蒼になりましたっけ。
どうするか、見ていたかったそうです。
勿論、肉は
躍り、血は
湧いてな。
しばらくすると、その自分が、やや
身体を
捻じ向けて、
惚々と
御新姐の後姿を見入ったそうで、指の
尖で、薄色の
寝衣の上へ、こう山形に引いて、下へ一ツ、△を書いたでございますな、三角を。
見ている胸はヒヤヒヤとして冷汗がびっしょりになる。
御新姐は
唯首垂れているばかり。
今度は四角、□、を書きました。
その男、
即客人御自分が。
御新姐の膝にかけた指の
尖が、わなわなと震えました
······とな。
三度目に、○、
円いものを書いて、線の
端がまとまる時、
颯と地を払って空へ
抉るような風が吹くと、谷底の
灯の影がすっきり
冴えて、
鮮かに
薄紅梅。浜か、海の色か、と見る
耳許へ、ちゃらちゃらと鳴ったのは、投げ銭と
木の葉の
摺れ合う音で、くるくると廻った。
気がつくと、四、五人、山のように
背後から
押被さって、
何時の
間にか
他に見物が出来たて。
爾時、
御新姐の顔の色は、こぼれかかった
艶やかなおくれ毛を
透いて、
一入美しくなったと思うと、あのその
口許で
莞爾として、うしろざまにたよたよと、男の足に
背をもたせて、膝を枕にすると、黒髪が、ずるずると
仰向いて、
真白な胸があらわれた。その重みで男も倒れた、舞台がぐんぐんずり
下って、はッと思うと
旧の土。
峰から谷底へかけて
哄と声がする。そこから夢中で駈け戻って、
蚊帳に寝た
私に
縋りついて、
(水を下さい。)
と言うて起された、が、
身体中疵だらけで、夜露にずぶ
濡であります。
それから
暁かけて、一切の
懺悔話。
翌日は
一日寝てござった。
午すぎに女中が二人ついて、この
御堂へ参詣なさった
御新姐の姿を見て、私は
慌てて、客人に知らさぬよう、暑いのに、
貴下、この障子を
閉切ったでございますよ。
以来、あの柱に、うたゝ
寐の歌がありますので。
客人はあと二、三日、石の
唐櫃に
籠ったように、
我と我を、手足も縛るばかり、
謹んで
引籠ってござったし、
私もまた油断なく見張っていたでございますが、
貴下、
聊か目を離しました
僅の
隙に、
何処か姿が見えなくなって、
木樵が来て、
点燈頃、
(
私、今、来がけに、
彼処さ、
蛇の
矢倉で見かけたよ、)
と知らせました。
客人はまたその晩のような芝居が見たくなったのでございましょう。
死骸は海で見つかりました。
蛇の
矢倉と言うのは、この裏山の二ツ目の
裾に、水のたまった、むかしからある横穴で、わッというと、おう
||と底知れず奥の方へ十里も広がって響きます。水は海まで続いていると
申伝えるでありますが、
如何なものでございますかな。」
雨が
二階家の方からかかって来た。音ばかりして草も濡らさず、裾があって、
路を
通うようである。
美人の
霊が
誘われたろう。雲の
黒髪、
桃色衣、
菜種の上を
蝶を連れて、庭に来て、
陽炎と並んで立って、しめやかに窓を
覗いた。