札幌の場末の街、
馬車の上には二人の乗客が
爺さんは引っ切りなしに、煙草を
「これはどうも、
爺さんは軽く頭をさげながら言った。しかし、爺さんは、やはりそのまま煙草を吸い続けるのだった。
「煙がかかってようござんすよ。かまいませんよ。煙草の好きな方は仕方がございませんもの。」
婆さんは微笑をもって言うのだった。
「私はどうも、眼を開いている間は、煙草をどうしてもはなせませんのでなあ。」
爺さんはそう言って、今度は
「煙草の好きな方は、夜中に眼を覚ましても、床の中で一服するそうですからね。」
「私のは、それはそれは、それどころじゃないんです。とにかく、夜中だろうが、昼間だろうが、眼を開いている間はこうして煙草を口にしている始末なんで。何しろ、私あ、十五六の時から
「ではもう、三四十年も呑み続けていらっしゃるわけですね。」
「それさね、早三十五六年にもなりますかなあ?」
爺さんはそう言って、遠い記憶を思い出そうとするように、軽く眼を閉じた。
「
婆さんは、話し相手の出来たのをよろこんでいるように、突然そんなことを訊いた。
「私かね? 私あ、月寒までです。前から知っている牧場で、
「これから寒くなりますから、それは、結構な仕事でございますよ。」
「あまりどっとしないんですがね、何しろこれ。私あ、こうして
「汽罐の方は手慣れておいでなのですかよ?」
「汽罐の方はそりゃ、私あ、十五六の時から、鉄道の方の、機関庫にいまして、最近までずうっと機関手をやって来ていますから。そりゃ慣れたもんでさあ。何しろ、私が鉄道に
「ほう! その頃の札幌を御存じなのですか?」
「そりゃよく知ってまさあ。停車場に売店というものが出来て何かいろいろの物を売っていましたっけが、そこに可愛い娘が一人座ってましてなあ。私あ、その娘の顔を、一日として見ないじゃいられなくなりまして、毎日そこへ、煙草買いに行ったもんでさあ。何しろ子供のことですから、小遣い銭なんかろくろく持ってないんで。煙草なんかも
「それはそれは······実を申しますと、あの頃その売店に座っていたのは、私でござんすよ。」
「ははあ! それさね。」
爺さんは驚きの眼をみはって、婆さんの顔を、じっと
「それさね。」
「これを覚えておいででしょうがね?」
婆さんは爺さんの前に片手を出して見せた。その指には真鍮の指輪が鈍く光っていた。
「思い出しました。
「銅貨の中へ混ぜて、
「貴女でしたか? それで貴女は、今、どこで何をしておいでになりますね。」
「月寒で、ほんのつまらない店をもって、お茶屋をやっています。すぐですからどうぞお寄りになって、ゆっくり、お茶でもあがって行って下さいましよ。それはそれは、あの時の方は、貴方でございましたか?」
馬車はもう月寒の町並に這入っていた。
||昭和六年(一九三一年)九月『北海タイムス』、
十月『河北新報』||
十月『河北新報』||