寂しい島
寂しい島だ。
島の中央にタロ芋田が整然と作られ、その周圍を
島民の家は西岸の椰子林の間に散らばつてゐる。人口は百七八十もあらうか。もつと小さい島を幾つも私は見て來た。全島珊瑚の屑ばかりで土が無いために、全然タロ芋(之が島民にとつての米に當るのだ)の出來ない島も知つてゐる。蟲害のために悉く椰子を枯らして了つた荒涼たる島も知つてゐる。それだのに、人口僅か十六人のB島を別にすれば、此處程寂しい島は無い。何故だらう? 理由は、たゞ一つ。子供がゐないからだ。
いや、子供もゐることはゐる。たつた一人ゐるのだ。今年五歳になる女の兒が。さうして、其の兒の外に二十歳以下の者は一人もゐない。死んだのではない。絶えて生れなかつたのだ。その女の兒(外に子供はゐないのだから、言ひにくい島民名前などは持出さずに、唯、女の兒とだけ呼ぶことにしよう)が生れる前の十數年間、一人の赤ん坊も此の島に生れなかつた。女の兒が生れてから今に至る迄、まだ一人も生れない。恐らく、今後も生れないのではなからうか。少くとも、此の島の年老いた連中はさう信じてゐる。それ故、數年前この女の兒が生れた時は、老人連が集まつて、此の島の最後の人間||女になるべき赤ん坊を拜んだといふことである。最初の者が崇められるやうに、最後の者も亦崇められねばならぬ。最初の者が苦しみを嘗めたやうに、最後の者も亦どんなにか苦しみを嘗めねばならぬであらう。さう呟きながら、
何故、此の島には赤ん坊が生れないのか。性病の蔓延や避姙の事實は無いか、と誰もが訊ねる。成程、性病も肺病も無いことはないが、それは何も、此の島に限つたことではない。といふより寧ろ、他の島々に比べて少い位なのだ。避姙に至つては
秋の終りの最後の薔薇に、思ひがけなく大輪の花が咲くことがあるやうに、此の島の最後の娘も或ひは素晴らしく美しく怜悧な子(勿論島民の標準に於てではあるが)ではあるまいかと、甚だ浪漫的な空想を抱いて、私は其の女の兒を見に行つた。そして、すつかり失望した。肥つてこそゐたが、うす汚い、愚かしい顏付の、平凡な島民の子である。鈍い目に微かに好奇心と怯えとを見せて、此の島には珍しい内地人たる私の姿に見入つてゐた。まだ
夕方、私は獨り渚を歩いた。頭上には亭々たる椰子樹が大きく葉扇を動かしながら、太平洋の風に鳴つてゐた。潮の退いたあとの濕つた砂を踏んで行く中に、先刻から私の前後左右を頻りに陽炎のやうな・或ひは影のやうなものがチラ/\走つてゐることに氣が付いた。蟹なのである。灰色とも白とも淡褐色ともつかない・砂と殆ど見分けの付かない・一寸蝉の
薄明といふものの無い南國のことで、陽が海に落ちると、直ぐに眞暗になる。私が淋しい東海岸から、それでも人家の集まつてゐる西岸へと

濱へ出ると、遙か向ふに、私の乘つて來た||さうして、ここ數時間の中には又乘つて立去る||小汽船の燈火が、暗い海に其處だけ明るく浮上つてゐた。丁度側を通りかかつた島民の男を呼びとめ、カヌーを漕がせて、船に歸つた。
私は甲板に出て


何か、荒々しい悲しみに似たものが、ふつと、心の底から湧上つて來るやうであつた。
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夾竹桃の家の女
午後。風がすつかり呼吸を停めた。
薄く空一面を蔽うた雲の下で、空氣は水分に飽和して重く淀んでゐる。暑い。全く、どう逃れようもなく暑い。
蒸風呂にはひり過ぎた樣なけだるさに、一歩一歩重い足を引摺るやうにして、私は歩いて行く。足が重いのは、一週間ばかり寢付いたデング熱がまだ治り切らないせゐでもある。疲れる。
眩暈を感じて足をとゞめる。道傍のウカル樹の幹に手を突いて身體を支へ、目を閉ぢた。デングの四十度の熱に浮かされた時の・數日前の幻覺が、再び瞼の裏に現れさうな氣がする。其の時と同じ樣に、目を閉ぢた闇の中を眩い光を放つ灼熱の白金の渦卷がぐるぐると

ウカル樹の細かい葉一つそよがない。肩甲骨の下の所に汗が湧き、それが一つの玉となつて背中をツーツと傳はつて行くのがはつきり判る。何といふ靜けさだらう! 村中眠つてゐるのだらうか。人も豚も

少し疲れが休まると、又歩き出す。パラオ特有の滑らかな敷石路である。今日のやうな日では、島民達のやうに跣足で此の石の上を歩いて見ても、大して冷たくはなささうだ。五六十歩
夾竹桃が紅い花を
煙草に火をつけながら、家の前の大きな平たい墓と、その周圍に立つ六七本の檳榔の細い高い幹を眺める。パラオ人は||パラオ人ばかりではない。ポナペ人を除いた凡てのカロリン群島人は||檳榔の實を石灰に和して常に噛み嗜むので、家の前には必ず數本の此の樹を植ゑることにしてゐる。椰子よりも遙かに細くすらりとした檳榔の木立が矗として立つてゐる姿は仲々に風情がある。檳榔と竝んで、ずつと丈の低い夾竹桃が三四本、一杯に花をつけてゐる。墓の石疊の上にも點々と桃色の花が落ちてゐた。何處からか強い甘い匂の漂つて來るのは、多分この裏にでも印度素馨が植わつてゐるのだらう。其の匂は今日のやうな日には却つて頭を痛くさせる位に強烈である。
風は依然として無い。空氣が濃く重くドロリと液體化して、生温い糊のやうにねば/\と皮膚にまとひつく。生温い糊のやうなものは頭にも浸透して來て、そこに灰色の靄をかける。關節の一つ一つがほごれた樣にだるい。
煙草を一本吸ひ終つて殼を捨てた拍子に、一寸後を向いて家の中を見ると、驚いた。人がゐる。一人の女が。何處から何時の間に、はひつて來たのだらう? 先刻迄は誰もゐなかつたのに。白い猫しかゐなかつたのに。さういへば今は白猫がゐなくなつてゐる。ひよつとすると、先刻の猫が此の女に化けたんぢやないかと(確かに頭がどうかしてゐた)本當に、極く一瞬間だが、そんな氣がした。
驚いた私の顏を、女はまじろぎもせずに見てゐる。それは驚いた目ではない。先刻から私が外を眺めてゐた間中ずつと此方を見てゐたといふ樣な感じがした。
女は上半身すつかり裸體で、鳶足に坐つた膝の上に赤ん坊を抱いてゐる。赤ん坊はひどく小さい。生れて二月にもなるまい。睡りながら乳首をくはへてゐる。吸つてゐる樣子は無い。びつくりしたのと、言葉が不自由なのとで、私は、勝手に留守宅に休ませて貰つた
私が逃出さなかつたのは、女の目付の中に異常なものはあつても兇暴なものが見えなかつたからである。いや、まだもう一つ、さうやつて無言で向ひ合つてゐる中に次第に微かながらエロティッシュな興味が生じて來たからでもあつた。實際、その若い細君は美人といつて良かつた。パラオ女には珍しく緊つた顏立で、恐らく内地人との混血なのではなからうか。顏の色も、例の黒光りするやつではなくて、艶を消したやうな淺黒さである。何處にも

辯解じみるやうだが、一つには確かに其の午後の温度と、濕氣と、それから、其の中に漂ふ強い印度素馨の匂とが、良くなかつたのである。
私には先程からの、女の凝視の意味が漸く判つて來た。何故若い島民の女が(それも産後間もないらしい女が)そんな氣持になつたか、病み上りの私の身體が女のさういふ視線に値するかどうか、又、熱帶ではこんな事が普通なのかどうか、そんな事は一切判らないながら、とにかく現在のこの女の凝視の意味だけは此の上なくハツキリ判つた。女の淺黒い顏に、ほのかに血の色が上つて來たのを私は見た。かなり朦朧とした頭の何處かで、次第に増して來る危險感を意識してはゐたのだが、勿論それを嗤ふ氣持の方に自信をもつてゐたのである。その中に、しかし、私は妙に縛られて行くやうな自分を感じ始めた。
全く莫迦々々しい話だが、其の時の泥醉したやうな變な氣持を
一瞬前の己の状態を考へて、私は覺えず苦笑した。縁から腰を上げて立上ると、其の苦笑を浮かべた顏で、家の中の女にサヨナラと日本語で言つた。女は何も答へない。酷い侮辱を受けでもしたやうに、明らかに怒つた顏付をして、先刻と同じ姿勢のまま私を見据ゑた。私はそれに背中を向けて、入口の夾竹桃の方へ歩き出した。
アミアカとマンゴーの巨樹の下を敷石傳ひに私は漸く宿に歸つて來た。身體も神經もすつかり疲れ果てて。私の宿といふのは、此の村の村長たる島民の家だ。
私の食事の世話をして呉れる日本語の巧い島民女マダレイに、先刻の家の女のことを聞いて見た。(勿論、私の經驗をみんな話した譯ではない。)マダレイは、黒い顏に眞白な齒を見せて笑ひながら、「ああ、あのベツピンサン」と言つた。そして、付加へて言ふことに、「あの人、男の人、好き。内地の男の人なら誰でも好き。」
先刻の自分の醜態を思出して、私は又苦笑した。
濕つた空氣のそよとも動かぬ部屋の中で、板の間の呉蓙の上に疲れた身體をぐつたりと横たへ、私は晝寢の眠りに入つた。
三十分程も
雨が
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ナポレオン
「ナポレオンを召捕りに行くのですよ」と若い警官が私に言つた。パラオ南方離島通ひの小汽船、國光丸の甲板の上である。
「ナポレオン?」
「ええ、ナポレオンですよ」と若い警察官は私の驚きを期待してゐたやうに笑ひながら言つた。「ナポレオンといつても、島民ですがね。島民の子供の名前です。」
島民には隨分變つた名前が色々とある。昔は基督教の宣教師に命名して貰ふことが多かつたので、マリヤとかフランシスなどといふのが多く、又、以前獨逸領だつた關係からビスマルクなどといふのも時にあつたが、ナポレオンは珍しい。しかし、私の知つてゐる他の島民の名前、シチガツ(七月に生れたのであらう)、ココロ(心?)、ハミガキ等に比べれば、何といつても堂々たる名前には違ひない。もつとも、その餘り堂々とし過ぎてゐる點が可笑しいのには違ひないが。
甲板に張られたカン

ナポレオンは二年前迄コロールの街にゐたのだが、公學校三年生の時、年下の女の兒にひどく惡性の嗜虐症的な惡戲をして、其の兒を殆ど死に瀕せしめたといふ。其の他之に類する事件を二つ三つ引起し、更に竊盜なども働いたらしく、一昨年十三歳の時に、未成年者への罰として、コロールから遙か離れた南方のS島へ流されたのである。名目上はパラオ諸島に屬してゐるものの、之等南方離島は地質的にも全然別の島だし、住民もずつと東方の中央カロリン系のものなので、言語習慣もパラオとはまるで變つてゐる。流石の惡少年ナポレオンも最初は大分閉口したらしいが、環境に適應する(といふより之を克服する)不思議な才能を備へてゐると見え、半年も經たぬ間に、S島でももてあます跳梁ぶりを示し始めた。島の少年共を脅迫したり、娘や人妻に怪しからぬ振舞をして困るからとの陳情が、島の村長から大分前にパラオ支廳の方へ來てゐるといふ。そんな惡少年は島の内で制裁すればいいと思はれるのに、それがどうして、島の
私と今話してゐる警察官がナポレオンを召捕りに來たのは、此の少年に改悛の情無しと見たパラオ支廳の警務課が、彼の流刑の期間を延長し、その上流竄地をS島よりも更に南方遙か隔たつたT島に變更することに決めたためである。警官は、此の用件と、もう一つ僻遠諸離島の人頭税取立てとを兼ねて、一人の島民巡警を引連れ、内地人の乘ることなど殆ど無い・そして年に僅か三囘位しか通はない此の離島航路の小船に乘つたのであつた。
「ナポレオン先生、大人しく此の船に乘せられて、T島に移りますかな?」と私が言ふと、「なあに、いくら
S島がナポレオンの存在に困るからとて、T島にやつたのでは、同じ樣な無氣力者の寄合に違ひないT島でも矢張この少年に手古摺るに違ひない。もつと他に何か方法は無いものか。たとへばコロールの街で嚴重な監視の
「晝頃にはS島に着くやうなことを船長は言つとつたが、此の間みたいに半日も流されて、行過ぎとるなんてことがあるから、あてにはなりませんなあ。」
警官は話を換へて、そんなことを言ひ、伸びをしながら、眼を海の方に向けた。私も亦それにつられて、何といふこともなく、目を細くして眩しい海と空とを眺めた。
底拔けの上天氣である。何といふ光り輝く青さだらう、海も空も。
暫くして、餘りの
低い・全然丘の無い・小さな珊瑚島だ。緩く半圓を描いた渚の砂は||珊瑚の屑は、餘りにも眞白で眼に痛い。年老いた椰子樹の列が青い晝の光の中に亭々と聳え立ち、その下に隱見する土人の小舍がひどく低く小さく見える。二三十人の土民男女が濱に出て、眼をしかめたり小手を翳したりしながら、我々の船の方を見てゐる。
潮の關係で、突堤には着けられなかつた。岸から半丁程離れて船が泊ると、迎への
「では、行つて來ます」と警官はヘルメットを手に取りながら挨拶し、巡警を從へて甲板から
此の島には三時間しか泊らないことになつてゐる。私は上陸しないことにした。ひとへに暑さを恐れたためである。
晝食を下で濟ませてから、又甲板へ上つて來た。外海の濃藍色とは全然違つて、
タラップを上つて來る足音と人聲とに目を醒ますと、もう警官と巡警とが歸つて來てゐた。傍に、褌一つの島民少年を連れてゐる。
「あゝ、これですか。ナポレオンは。」
「ハア」と頷くと、警官は少年を、甲板の隅の索具等の積んである邊へ向けて突き飛ばした。「その邊へしやがんどれ。」
警官の
島民としては甚だ眼が小さいが、ナポレオン少年の顏は別に醜いといふ譯ではない。さうかと云つて(大抵の邪惡な顏には何處か狡い賢さがあるものだが)惡賢いといふ柄でもない。賢さなどといふものは全然見られぬ・愚鈍極まる顏でありながら、普通の島民の顏に見られる・あのとぼけたをかしさがまるで無い。意味も目的も無い・まじりけの無い惡意だけがハツキリ其の愚かしい顏に現れてゐる。先程警官から聞かされた此の少年のコロールでの殘忍な行爲も、成程この顏ならやりさうだと思はれた。たゞ、豫期に反したのは、其の體躯の小さいことである。島民は概して二十歳前に成長し切つて了ふので、十五六にもなれば、實に見事な體格をしてゐる者が多い。殊に性的な犯行をする程早熟な少年ならば、屹度體躯もそれに伴つて充分發達してゐるだらうと思つたのに、これは又、痩せてひねこびた猿のやうな少年である。斯んな身體の少年が、どうして(未だに家柄の次には腕力が最もものを言ふ筈の)島民の間で衆人を懼れさせることが出來るか、誠に不可思議に思はれた。
「御苦勞樣でしたな」と私は警官に向つて言つた。
「イヤ。船が珍しいもんだから、野郎、村の者と一緒に濱へ出とつたんで、直ぐつかまへましたよ。しかし、あの男が(と巡警を指して)言ふにはですな、困つたことに」と警官が言つた。「ナポレオンの野郎、今ではパラオ語をすつかり忘れて了つとるんですと。何をあれに聞かせても通じんのです。しかし、そんな事があるもんでせうかな。僅か二年の間に自分の生れた土地の言葉をみんな忘れて了ふなんてことが。」
二年間此の島でトラック語ばかり使つてゐたために、ナポレオンはパラオ語を忘れ果てたといふ。公學校で二年程習つた日本語を忘れたといふのなら、之は解る。併し、生れた時から使つて來たパラオ語迄忘れるとは? 私は首を傾けた。だが、萬更、有り得ないことではないかも知れんなと思つた。しかし、又一方、警官の訊問を避けるための僞りでないと誰が知らう。「さあね」と私はもう一度首を
「わしもね、奴が嘘をついとるんぢやなからうかと大分責めて見たんですがな、やつぱり本當に忘れて了つたらしい所もあるし。」と警官はさう言ひながら額の汗を拭ひ、此方に背中を向けてゐるナポレオンの方を
午後三時、愈

私は警官と甲板の椅子に凭つて(我々二人だけが一等船客だつたので何時も一緒にゐない譯に行かないのである)島の方を見てゐた。其の時、我々の傍に立つてゐた例の島民巡警が「アレ!」と頓驚な聲を出して、我々の背後を

「停めろ! 船を停めろ!」と警官が喚いた。「ナポレオンが逃げたぞ。」
忽ち船の上はごつた返しの騷ぎとなつた。船尾にゐた二人の島民水夫が其の場から海に跳び込んで脱走者の後を追うた。二人とも二十歳を越えたばかりと思はれる逞しい青年だ。脱走者と追跡者との距離は見る/\縮まつて行くやうに見えた。濱邊で船を見送つてゐた島の連中も漸く氣が付いたらしく、ナポレオンの泳ぎ着かうとする方角に向つて、白い砂の上をバラ/\と駈けて行く。
思ひがけない活劇に、私は
だが、結果は案外あつけなかつた。結局、汀から二十間ばかりの・丈の立つ所迄來た時、ナポレオンは追ひ付かれた。竝よりも身體の小さい少年一人と、堂々たる體格の青年二人とでは、結果は問ふ迄もない。少年は二人に兩腕を取られて引立てられ、濱に上つた迄は見えたが、島の連中が忽ち取卷いて了つたので、あとは良く見えなくなつた。
警官は酷く機嫌を惡くしてゐた。
三十分後、殊勳の二水夫に押へられたナポレオンが再び島のカヌーで船に連れ戻された時、眞先に彼は手酷い平手打を三つ四つ續けざまに喰はせられた。さて、それから今度は(先刻は繩をつけなかつたのだ)兩手兩足を船の麻繩で縛り上げられた上、隅つこの・島民船員の食料が詰め込んであるらしい椰子バスケットと飮用の皮剥若椰子との間にころがされた。
「畜生。餘計な世話を燒かせやがる!」と警官は、それでも漸く安堵したやうに、さう言つた。
翌日も完全な上天氣であつた。一日陸を見ずに、船は南へ走つた。
漸く夕方近くなつて、無人島H礁の環礁の中に入つた。無人島に船を寄せるのは、萬一漂流者がありはせぬかを調べる爲だらうと私は思つた。何處かの命令航路の規約にそんな事が書いてあつたのを憶えてゐたからである。所が實際は、そんな甘い人道的な考へ方からではなかつた。此處での高瀬貝採取權を獨占してゐる南洋貿易會社からの頼みで、密漁者を取締るのが目的なのだといふ。
甲板の上から見ると、夥しい海鳥の群が此の低い珊瑚礁島を蔽うてゐる。船員の二三に誘はれ上陸して見て、更に驚いた。岩の陰も木の上も砂の上も、たゞ一面の鳥、鳥、鳥、それから鳥の卵と鳥の糞とである。さうして、其等無數の鳥共は我々が近寄つても逃げようとはしない。捕へようとすると、始めて僅かに二三歩よたよたと避けるだけである。大きいのは人間の子供位なのから、小さいのは雀位のものに至るまで、白いもの、灰色のもの、薄茶色のもの、淡青のもの、何萬とも數へ切れぬ數十種の海鳥共が群れてゐるのだが、殘念ながら、私には(同行の船員にも)一つも名前が判らぬ。私は唯無性に嬉しくなり、むやみに走り


遠足に行つた少年の樣に滿足し切つて船に戻ると、下船しなかつた警官が私に言つた。
「あの野郎(ナポレオンのことだ)昨日から不貞腐れて何も喰はんのですよ。芋と椰子水を出して手の繩を解いてやるんだが、見向きもせんのです。何處迄強情か底が知れん。」
成程、少年は昨日と同じ場所に同じ姿勢でころがつてゐた。(幸ひ、そこは陽の射さぬ所だつたが。)私が側へ寄つても、目はハツキリあいてゐるくせに、視線を向けようともしないのである。
次の朝、即ちS島を出てから二日目の朝、船は漸くT島に着いた。此の航路の終點でもあり、ナポレオン少年の新しい配流地でもある。堡礁内の淺い緑色の水、眞白い砂と丈高い椰子樹の遠望、汽船目懸けて素速く漕寄せて來る數隻のカヌー、其のカヌーから船に上つて來ては船員の差出す煙草や鰯の罐詰などと自分等の持ち來たつた

迎への獨木舟が着いた時、巡警は、まだ同じ姿勢で椰子バスケットの間に寢ころがつてゐるナポレオン(彼は到頭丸二日間、強情に一口も飮食しなかつたのださうだ)に其の旨を告げ、足の繩を解いて引起した。ナポレオンは大人しく立上つたが、巡警が尚も其の腕を取つて警官の方へ引張らうとした時、憤然とした面持で、島民巡警を不自由な肱で突き飛ばした。突き飛ばされた巡警の愚鈍さうな顏に、瞬間、驚きと共に一種の怖れの表情が浮かんだのを私は見逃さなかつた。ナポレオンは獨りで警官の後についてタラップを降りた。カヌーに移り、やがてカヌーから岸に下り立ち、二三の島の者と共に警官について椰子林の間に消えて行くのを、私は甲板から見送つた。
此處で七八人の島民船客が椰子バスケットを獨木舟に積込んで下りて行つたのと入違ひに、ここからパラオへ行かうとする十人餘りが同じ樣な椰子バスケットを擔いで乘込んで來た。無理に大きく引伸ばした
一時間程すると、警官と巡警とが船に戻つて來た。ナポレオン配流のことを島民等に言つて聞かせ、その身柄を村長に託して來たのである。
出帆は午後になつた。
例によつて濱邊には見送りの島の者がずらりと竝んで別を惜しんでゐる。(一年に三四囘しか見られない大きな船が
陽除の黒眼鏡を掛けて甲板から濱邊を眺めてゐた私は、彼等の列の中に、どうもナポレオンらしい男の子を見付けた。オヤと思つて隣にゐた巡警に確かめて見ると、やはり、ナポレオンに違ひないと言ふ。大分離れてゐるので、表情迄は分らないが、今はもうすつかり
船が愈

國光丸はひたすら北へ向つて急ぎ、小ナポレオンのためのセント・ヘレナは、やがて灰色の影となり、煙の如き一線となり、一時間後には遂に完全に、青焔燃ゆる大圓盤の彼方に沒し去つた。
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眞晝
目がさめた。ウーンと、睡り足りた後の快い伸びをすると、手足の下、背中の下で、砂が||眞白な花珊瑚の屑がサラ/\と輕く崩れる。汀から二間と隔たらない所、大きなタマナ樹の茂みの下、濃い茄子色の影の中で私は晝寢をしてゐたのである。頭上の枝葉はぎつしりと
起上つて沖を見た時、青鯖色の水を切つて走る朱の三角帆の鮮やかさが、私の目をハツキリと醒めさせた。その帆掛

煙草を一服つけ、又、珊瑚屑の上に腰を下す。靜かだ。頭上の葉のそよぎと、ピチヤリ/\と舐めるやうな渚の水音の外は、時たま堡礁の外の濤の音が微かに響くばかり。
期限付の約束に追立てられることもなく、又、季節の繼ぎ目といふものも無しに、たゞ長閑にダラ/\と時が流れて行く此の島では、浦島太郎は決して單なるお話ではない。唯此の
一年前、北方の冷たい霧の中で一體自分は何を思ひ惱んでゐたやら、と、ふと私は考へた。何か、それは遠い前の世の出來事ででもあるやうに思はれる。肌に浸みる冬の感覺も最早
では、自分が旅立つ前に期待してゐた南方の至福とは、これなのだらうか? 此の晝寢の目醒めの快さ、珊瑚屑の上での靜かな忘却と無爲と休息となのだらうか?
「いや」とハツキリそれを否定するものが私の中にある。「いや、さうではない。お前が南方に期待してゐたものは、斯んな無爲と倦怠とではなかつた筈だ。それは、新しい未知の環境の中に
さうだ。たしかに。それだのに、其の新しい・きびしいものへの翹望は、何時か快い海軟風の中へと融け去つて、今は唯夢のやうな安逸と怠惰とだけが、
「何の悔も無く? 果して、本當に、さうか?」と、又先刻の私の中の意地の惡い奴が聞く。「怠惰でも無爲でも構はない。本當にお前が何の悔も無くあるならば。人工の・歐羅巴の・近代の・亡靈から完全に解放されてゐるならばだ。所が、實際は、何時何處にゐたつてお前はお前なのだ。銀杏の葉の散る神宮外苑をうそ寒く歩いてゐた時も、島民共と石燒のパンの




「いや、氣を付けろよ」と、もう一つの別な聲がする。「未開は決して健康ではないぞ。怠惰が健康でないやうに。
「さうだ」と先刻の聲が答へる。「確かに、未開は健康ではない。少くとも現代では。しかし、それでも、お前の文明よりはまだしも溌剌としてゐはしないか。いや、大體、健康不健康は文明未開といふことと係はり無きものだ。現實を恐れぬ者は、借り物でない・己の目でハツキリ視る者は、何時どのやうな環境にゐても健康なのだ。所が、お前の中にゐる『古代支那の衣冠を着けたいかさま君子』や『ヴォルテエル
見慣れぬ殼をかぶつたちつぽけな
村は今晝寢の時刻らしい。誰一人濱を通らぬ。海も||少くとも堡礁の内側の水だけは||トロリと翡翠色にまどろんでゐるやうだ。時々キラリと眩しく陽を照返すだけで。たまに
舌打をしながら私は立上る。ほろ
濕つた渚に踏入ると、無數のやどかり共、青と赤の玩具のやうな小蟹共が一齊に逃げ出す。五寸程芽の出掛かつた椰子の實の落ちてゐるのを蹴飛ばすと、水の中にころげ入つてボチヤンと音を立てる。
さういへば、昨夜、奇妙なことがあつた。島民家屋の丸竹を竝べた
海岸のタマナ竝木の蔭のはづれ迄來た時、向ふから陽に灼けた砂の上を素裸の小さい男の子が駈けて來た。私の前迄來ると、立止つてキチンと足を揃へ、頭が膝の所まで來る程の丁寧なお辭儀をしてから、食事の用意が出來たことを告げた。私の泊つてゐる島民の家の兒で、今年
少年について一歩日向の砂の上に踏出した時、タマナ樹の梢から眞白な一羽のソホーソホ鳥(島民が斯う呼ぶのは鳴き聲からであるが、内地人は其の形から飛行機鳥と名付けてゐる)が、バタ/\と舞上つて、忽ち、高く眩しい碧空に消えて行つた。
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マリヤン
マリヤンといふのは、私の良く知つてゐる一人の島民女の名前である。
マリヤンとはマリヤのことだ。聖母マリヤのマリヤである。パラオ地方の島民は、凡て發音が鼻にかかるので、マリヤンと聞えるのだ。
マリヤンの年が幾つだか、私は知らない。別に遠慮した譯ではなかつたが、つい、聞いたことがないのである。とにかく三十に間があることだけは確かだ。
マリヤンの容貌が、島民の眼から見て美しいかどうか、之も私は知らない。醜いことだけはあるまいと思ふ。少しも日本がかつた所が無く、又西洋がかつた所も無い(南洋で一寸顏立が整つてゐると思はれるのは大抵どちらかの血が混つてゐるものだ)純然たるミクロネシヤ・カナカの典型的な顏だが、私はそれを大變立派だと思ふ。人種としての制限は仕方が無いが、其の制限の中で考へれば、實にのび/\と屈託の無い豐かな顏だと思ふ。しかし、マリヤン自身は、自分のカナカ的な容貌を多少恥づかしいと考へてゐるやうである。といふのは、後に述べるやうに、彼女は極めてインテリであつて、頭腦の内容は殆どカナカではなくなつてゐるからだ。それにもう一つ、マリヤンの住んでゐるコロール(南洋群島の文化の中心地だ)の町では、島民等の間にあつても、文明的な美の標準が巾をきかせてゐるからである。實際、此のコロールといふ街||其處に私は一番永く滯在してゐた譯だが||には、熱帶でありながら温帶の價値標準が巾をきかせてゐる所から生ずる一種の混亂があるやうに思はれた。最初此の町に來た時はそれ程に感じなかつたのだが、其の後一旦此處を去つて、日本人が一人も住まない島々を經巡つて來たあとで再び訪れた時に、此の事が極めてハツキリと感じられたのである。此處では、熱帶的のものも温帶的のものも共に美しく見えない。といふより、全然、美といふものが||熱帶美も温帶美も共に||存在しないのだ。熱帶的な美を有つ筈のものも此處では温帶文明的な去勢を受けて萎びてゐるし、温帶的な美を有つべき筈のものも熱帶的風土自然(殊に其の陽光の強さ)の下に、不均合な弱々しさを呈するに過ぎない。此の街にあるものは、唯、如何にも植民地の場末と云つた感じの・頽廢した・それでゐて、妙に虚勢を張つた所の目立つ・貧しさばかりである。とにかく、マリヤンは斯うした環境にゐるために、自分の顏のカナカ的な豐かさを餘り欣んでゐないやうに見えた。豐かといへば、しかし、容貌よりも寧ろ、彼女の體格の方が一層豐かに違ひない。身長は五尺四寸を下るまいし、體重は少し痩せた時に二十貫といつてゐた位である。全く、羨ましい位見事な身體であつた。
私が初めてマリヤンを見たのは、土俗學者H氏の部屋に於てであつた。夜、狹い獨身官舍の一室で、疊の代りにうすべりを敷いた上に坐つてH氏と話をしてゐると、窓の外で急にピピーと口笛の音が聞え、窓を細目にあけた隙間から(H氏は南洋に十餘年住んでゐる中に、すつかり暑さを感じなくなつて了ひ、朝晩は寒くて窓をしめずにはゐられないのである。)若い女の聲が「はひつてもいい?」と聞いた。オヤ、この土俗學者先生、中々油斷がならないな、と驚いてゐる中に、扉をあけてはひつて來たのが、内地人ではなく、堂々たる體躯の島民女だつたので、もう一度私は驚いた。「僕のパラオ語の先生」とH氏は私に紹介した。H氏は今パラオ地方の古譚詩の類を集めて、それを邦譯してゐるのだが、其の女は||マリヤンは、日を決めて一週に三日だけ其の手傳ひをしに來るのだといふ。其の晩も、私を側に置いて二人は直ぐに勉強を始めた。
パラオには文字といふものが無い。古譚詩は凡てH氏が島々の故老に尋ねて歩いて、アルファベットを用ひて筆記するのである。マリヤンは先づ筆記されたパラオ古譚詩のノートを見て、其處に書かれたパラオ語の間違を直す。それから、譯しつつあるH氏の側にゐて、H氏の時々の質問に答へるのである。
「ほう、英語が出來るのか」と私が感心すると、「そりや、得意なもんだよ。内地の女學校にゐたんだものねえ」とH氏がマリヤンの方を見て笑ひながら言つた。マリヤンは一寸てれたやうに厚い脣を綻ばせたが、別にH氏の言葉を打消しもしない。
あとでH氏に聞くと、東京の何處とかの女學校に二三年(卒業はしなかつたらしいが)ゐたことがあるのださうだ。「さうでなくても、英語だけはおやぢに教はつてゐたから、出來るんですよ」とH氏は附加へた。「おやぢと云つても、養父ですがね。そら、あの、ウ※[#小書き片仮名ヰ、404-12]リアム・ギボンがあれの養父になつてゐるのですよ。」ギボンと云はれても、私にはあの浩瀚なローマ衰亡史の著者しか思ひ當らないのだが、よく聞くと、パラオでは相當に名の聞えたインテリ混血兒(英人と土民との)で、獨領時代に民俗學者クレエマア教授が調査に來てゐた間も、ずつと通譯として使はれてゐた男だといふ。尤も、獨逸語ができた譯ではなく、クレエマア氏との間も英語で用を足してゐたのださうだが、さういふ男の養女であつて見れば、英語が出來るのも當然である。
私の變屈な性質のせゐか、パラオの役所の同僚とはまるで打解けた交際が出來ず、私の友人といつていいのはH氏の外に一人もゐなかつた。H氏の部屋に頻繁に出入するにつれ、自然、私はマリヤンとも親しくならざるを得ない。
マリヤンはH氏のことををぢさんと呼ぶ。彼女がまだほんの小さい時から知つてゐるからだ。マリヤンは時々をぢさんの所へうちからパラオ料理を作つて來ては御馳走する。その都度、私がお相伴に預かるのである。ビンルンムと稱するタピオカ芋のちまきや、ティティンムルといふ甘い菓子などを始めて覺えたのも、マリヤンのお蔭であつた。
或る時H氏と二人で道を通り掛かりに一寸マリヤンの家に寄つたことがある。うちは他の凡ての島民の家と同じく、丸竹を竝べた

其の「ロティの結婚」に就いては、マリヤンは不滿の意を洩らしてゐた。現實の南洋は決してこんなものではないといふ不滿である。「昔の、それもポリネシヤのことだから、よく分らないけれども、それでも、まさか、こんなことは無いでせう」といふ。
部屋の隅を見ると、蜜柑箱の樣なものの中に、まだ色々な書物や雜誌の類が詰め込んであるやうだつた。その一番上に載つてゐた一册は、たしか(彼女が曾て學んだ東京の)女學校の古い校友會雜誌らしく思はれた。
コロールの街には岩波文庫を扱つてゐる店が一軒も無い。或る時、内地人の集まりの場所で、偶

マリヤンには


私はマリヤンの盛裝した姿を見たことがある。眞白な洋裝にハイ・ヒールを穿き、短い洋傘を手にしたいでたちである。彼女の顏色は例によつて
彼女の盛裝姿を見てから二三日後のこと、私が宿舍の部屋で本を讀んでゐると、外で、聞いたことのあるやうな口笛の音がする。窓から覗くと、直ぐ
去年の
相當な年輩のくせにひどく歌の好きなH氏が大聲を上げて、色んな歌を||主に氏の得意な樣々のオペラの中の一節だつたが||唱つた。マリヤンは口笛ばかり吹いてゐた。厚い大きな脣を丸くとんがらせて吹くのである。彼女のは、そんなむづかしいオペラなんぞではなく、大抵フォスターの甘い曲ばかりである。聞きながら、ふと、私は、其等が元々北米の黒人共の哀しい歌だつたことを憶ひ出した。
何のきつかけからだつたか、突然、H氏がマリヤンに言つた。
「マリヤン! マリヤン!(氏がいやに大きな聲を出したのは、家を出る時一寸引掛けて來た合成酒のせゐに違ひない)マリヤンが今度お婿さんを貰ふんだつたら、内地の人でなきや駄目だなあ。え? マリヤン!」
「フン」と厚い脣の端を一寸ゆがめたきり、マリヤンは返辭をしないで、プールの面を眺めてゐた。月は丁度中天に近く、從つて海は退潮なので、海と通じてゐる此のプールは殆ど底の石が現れさうな程水がなくなつてゐる。暫くして、私が先刻のH氏の話のつづきを忘れて了つた頃、マリヤンが口を切つた。
「でもねえ、内地の男の人はねえ、やつぱりねえ。」
なんだ。此奴、やつぱり先刻からずつと、自分の將來の再婚のことを考へてゐたのかと急に私は
此の春、偶然にもH氏と私とが揃つて一時内地へ出掛けることになつた時、マリヤンは

正月以來絶えて口にしなかつた肉の味に舌鼓を打ちながら、H氏と私とが「いづれ又秋頃迄には歸つて來るよ」(本當に、二人ともその豫定だつたのだ)と言ふと、マリヤンが笑ひながら言ふのである。
「をぢさんはそりや半分以上島民なんだから、又戻つて來るでせうけれど、トンちやん(困つたことに彼女は私のことを斯う呼ぶのだ。H氏の呼び方を眞似たのである。初めは少し腹を立てたが、しまひには閉口して苦笑する外は無かつた)はねえ。」
「あてにならないといふのかい?」と言へば、「内地の人といくら友達になつても、一ぺん内地へ歸つたら二度と戻つて來た人は無いんだものねえ」と珍しくしみ/″\と言つた。
我々が内地へ歸つてから、H氏の所へ二三囘マリヤンから便りがあつたさうである。其の都度トンちやんの消息を聞いて來てゐるといふ。
私はといへば、實は、横濱へ上陸するや否や、忽ち寒さにやられて風邪をひき、それがこじれて肋膜になつて了つたのである。再び彼の地の役所に戻ることは、到底覺束無い。
H氏も最近偶然結婚(隨分晩婚だが)の話がまとまり、東京に落着くこととなつた。勿論、南洋土俗研究に一生を捧げた氏のこと故、いづれは又向ふへも調査には出掛けることがあるだらうが、それにしても、マリヤンの豫期してゐたやうに彼の地に永住することはなくなつた譯だ。
マリヤンが聞いたら何といふだらうか?
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風物抄

クサイ
朝、目が覺めると、船は停つてゐる樣子である。直ぐに甲板に上つて見る。船は既に二つの島の間にはひり込んでゐた。細かい雨が降つてゐる。今迄見て來た南洋群島の島々とは凡そ變つた風景である。少くとも、今甲板から眺めるクサイの島は、どう見ても、ゴーガンの畫題ではない。細雨に烟る長汀や、模糊として隱見する翠の山々などは、確かに東洋の繪だ。一汀煙雨杏花寒とか、暮雲卷雨山娟娟とか、そんな讚がついてゐても一向に不自然に思はれない・純然たる水墨的な風景である。
食堂で朝食を濟ませてから、又甲板へ出て見ると、もう雨は
八時、ランチでレロ島に上陸、直ぐに警部補派出所に行く。此の島には支廳が無く、この派出所で一切を扱つてゐるのである。昔見た映畫の「罪と罰」の中の刑事のやうな・顏も身體も共に横幅の廣い警部補が一人、三人の島民巡警を使つて事務をとつてゐた。公學校視察の爲に來たのだと言ふと、直ぐに巡警を案内につけて呉れた。
公學校に着くと、背の低い・
教室は一棟三室、その中の一室は職員室にあててある。此處は初等課だけだから三年までである。門をはひるや否や、色の淺黒い(といつても、カロリン諸島は東へ行くにつれて色の黒さが薄らいでくるやうに思はれる)子供等が爭つて前に出て來ては、オハヨウゴザイマスと叮嚀に頭を下げる。
教員は校長に訓導一人と島民の教員補一人。但し、一人の訓導とは女で、しかも校長の奧さんである。
校長は授業を見られたくない樣子だ。殊に己が妻の授業を。私も亦、それを強要して、心理的な機微を觀察しようとする程、意地が惡くはない。たゞ、校長から、此處の島民兒童の特徴や、永年の公學校教育の經驗談でも聽くにとゞめようと思つた。所が、私は、何を聞かねばならなかつたか? 徹頭徹尾、私が先程會つて來た・あの警部補の惡口ばかりを聞かされたのである。
此處ばかりには限らない。
私は今迄にも何囘となくそれを見ては來たが、ここの校長のやうに初對面の者に向つて、いきなり斯う猛烈にやり出すのは、初めてであつた。何の惡口といふことはない。何から何まで其の警部補のする事はみんな惡いのである。魚釣(此の灣内ではもろ鰺が良く釣れるさうだが)の下手なの迄が讒謗の種子にならうとは、私も考へなかつた。魚釣の話が一番
島を案内しようといふのを
海岸から折れて一丁も行かない中に、目指す石の壘壁にぶつかる。鬱蒼たる熱帶樹に蔽はれ苔に埋もれてはゐるが、素晴らしく大きな玄武岩の構築物だ。
入口をはひつてからが仲々廣い。苔で滑り易い石疊路が紆餘曲折して續く。室の跡らしいもの、井戸の形をしたものなどが、密生した羊齒類の間に見え隱れする。壘壁の崩れか、所々に

ミクロネシヤにはもう一つ、ポナペ島に之と同樣な(更に大規模な)遺址があるが、共に之を築いた人間も年代も判つてゐない。とにかく、その構築者が現住民族とは何の關係も無いものだといふことだけは通説となつてゐるやうだ。此の石壘に就いては何等まとまつた傳説が無い上に、現住民族は石造建築について何等の興味も知識も持たぬのだし、又之等巨大な岩石を

巨大な榕樹が二本、頭上を蔽ひ、その枝といはず幹といはず、蔦葛の類が一面にぶらさがつてゐる。
蜥蜴が時々石垣の蔭から出て來ては、私の樣子を窺ふ。ゴトリと足許の石が動いたのでギヨツとすると、その蔭から、甲羅のさしわたし一尺位の大蟹が匍ひ出した。私の存在に氣が付くと、大急ぎで榕樹の根本の洞穴に逃げ入つた。
近くの・名も判らない・低い木に、燕の倍ぐらゐある眞黒な鳥がとまつて、
私の其の日の日記を見ると、斯う書いてある。「忽ち鳥の奇聲を聞く。再び
船に歸つてから聞いた所によると、クサイの人間は鼠を喰ふといふことである。

ヤルート
とろりと白い脂を流したやうな朝凪の海の彼方、水平線上に一本の線が横たはる。之がヤルート環礁の最初の瞥見である。やがて、船が近づくにつれて、帶と見えた一線の上に、先づ椰子樹が、次いで家々や倉庫などが見分けられて來る。赤い屋根の家々や白く光る壁や、果ては眞白な濱邊を船の出迎へにと出てくる人々の小さな姿までが。
全くジャボールは小綺麗な島だ。砂の上に椰子と
海岸を歩くと、ミレ村共同宿泊所、エボン村共同宿泊所等と書かれた家屋があり、其の傍で各島民が炊事をしてゐる。此處は全マーシャル群島の中心地とて遠い島々の住民が隨時集まつてくるので、其等の爲に各島でそれ/″\共同宿泊所を設けてゐる譯だ。
マーシャルの島民は、殊に其の女は、非常にお洒落である。日曜の朝は、てんでに色鮮かに着飾つて教會へと出掛ける。それも、恐らくは前世紀末に宣教師や尼さんが傳へたに違ひない・舊式の・頗る襞の多いスカートの長い・贅澤な洋裝である。傍から見てゐても隨分暑さうに思はれる。男でも日曜は新しい青いワイシャツの胸に眞白な手巾を覗かせてゐる。教會は彼等にとつて誠に樂しい倶樂部、乃至演藝場である。
衣服の法外な贅澤さに引換へて、住宅となると、之は亦、ミクロネシヤの中で最も貧弱だ。第一、
同じヤルート環礁の内のA島へ小さなポンポン蒸汽で渡つた時、海豚の群に取圍まれて面白かつたが、少々危いやうな氣もした。といふのは、おどけた海豚共が調子に乘つてはしやぎ

島へ上つて見ると、丁度、ジャボール公學絞の補習科の生徒がコプラの採取作業をやつてゐる。増産運動の一つなのだ。島内を一巡して見たが、島中、椰子と蛸樹と麺麭樹とがギツシリ密生してゐる。熟した麺麭の果が澤山地上に落ち、その腐つてゐるのへ蠅が眞黒にたかつてゐる。側を通る我々の顏にも手にも忽ちたかつてくる。とても堪らない。途で一人の老婆が麺麭の實の頭に穴を穿ち、八つ手に似た麺麭の葉を漏斗代りに其處へ突込み、上からコプラの白い汁を絞つて流し込んでゐた。斯うして石燒にすると、全體に甘味が浸みこんでゐて大變旨いのださうである。
支廳の人の案内でマーシャルきつての大酋長カブアを訪ねた。カブア家はヤルートとアイリンラプラプとの兩地方に跨がる古い豪家で、マーシャル古譚詩の中には屡

瀟洒たるバンガロー風の家だ。入口に、八島嘉坊と漢字で書いた表札が掛かつてゐて、ヤシマカブアと振り假名が附けてある。此の地方の風と見えて、廚房だけは別棟になつてゐるが、それが四面皆竪格子で圍んだ妙な作りである。
初め主人が不在とて、若い女が二人出て來て接待した。一見日本人との混血と分る顏立だが、二人とも内地人の標準から見ても確かに美人である。二人が姉妹だといふことも直ぐに判つた。姉の方がカブアの細君なのだといふ。
程なく主人のカブアが呼ばれて歸つて來た。色は黒いが一寸インテリ風の・三十前後の青年で、何處か絶えずおど/\してゐる樣な所が見える。日本語は此方の言葉が辛うじて理解できる程度らしく、自分からは何一つ言出さずに、たゞ此方の言ふことに一々大人しく相槌を打つだけである。これが年收五萬乃至七萬に上るといふ(椰子の密生した島を
歸途、案内の支廳の人に聞く所によれば、カブア青年は最近(私が先刻見た)妻の妹に赤ん坊を生ませて大騷ぎを引起したばかりだとのことである。
早朝、深く水を湛へた或る巖蔭で、私は、世にも鮮やかな
一時間餘りといふもの、私は唯呆れて、茫然と見惚れてゐた。
内地へ歸つてからも、私は此の瑠璃と金色の夢の樣な眺めのことを誰にも話さない。私が熱心を以て詳しく話せば話す程、恐らく私は「
ヘルメット帽は、委任統治領では官吏だけのかぶるものになつてゐるらしい。不思議に會社關係の人は之を用ひないやうである。
所で、私は、餘り上等でないパナマ帽をかぶつて
ジャボールを立つ前の日、M技師と私は、土産物の島民の編物を漁るために、低い島民の家々を||もつと正確にいへば、家々の縁の下を覗き歩いた。前に一寸言つたが、ヤルートでは、家々の縁の下に筵を敷いて女共がごろ/\してをり、さういふ連中が多く蛸樹の葉の纖維で編物をやつてゐるのである。M氏より十歩ばかり先へ歩いてゐた私は、或る家の縁の下に一人の痩せた女が
宿へ歸つてから、私はM氏の帽子を手に取つて、しげ/\と眺めた。相當に古い・既に形の崩れた・所々に

ポナペ
島が大きいせゐか、大分涼しい。雨が頻りに來る。J村の道を歩いてゐると、突然コンニチハといふ幼い聲がする。見ると、道の右側の家の裏から、二人の大變小さい土民の兒が||一人は男、一人は女だが、切つて揃へたやうな背の丈だ。||挨拶をしてゐるのだ。二人ともせい/″\
總じてポナペには顏立の整つた島民が多いやうだ。他のカロリン人と違つて、檳榔子を噛む習慣が無く、シャカオと稱する一種の酒の如きものを

椰子の根元に立つた二人の幼兒は、島民らしくない小綺麗な服を着てゐる。彼等と話を始めようとしたのだが、生憎、コンニチハの外、何にも日本語を知らないのである。島民語だつて、まだ怪しいものだ。二人ともニコ/\しながら何度もコンニチハと言つて頭を下げるだけだ。
其の中に、家の中から若い女が出て來て挨拶した。子供等に似てゐる所から見れば、母親だらう。餘り達者でない・公學校式の角張つた日本語で、ウチヘハイツテ、休ンデクダサイと言ふ。丁度咽喉が涸いてゐたので、椰子水でも貰はうかと、豚の逃亡を防ぐ爲の柵を乘越して裏から家の庭にはひつた。
恐ろしく動物の澤山ゐる家だ。犬が十頭近く、豚もそれ位、その外、猫だの山羊だの


椰子水と石燒の麺麭の實を運んで來た。椰子水を飮んでから、殼を割つて中のコプラを喰べてゐると、犬が寄つて來てねだる。コプラがひどく好きらしい。麺麭の實は幾ら與へても見向きもしない。犬ばかりでなく、

其の薄暗い奧から、十歳ばかりの痩せた女の子が、時々獨木舟の向ふ側迄出て來ては、口をポカンとあけて此方を覗く。此の家の者は皆きちんとした
大變愛想のいい女で、私がバナナを喰べ終ると、犬を喰はぬかと言ふ。「犬?」と聞き返す。「犬」と、女は其の邊に遊んでゐる・痩せた・毛の拔けかかつた・茶色の小犬を指す。一時間もかかれば出來るから、あれを石燒にして馳走しようといふのだ。一匹まるの儘、芭蕉の葉か何かに包み、熱い石と砂の中に埋めて蒸燒にするのである。
はふ/\の態で私は退却した。
出がけに見ると、家の入口の左右に、黄と紅と紫との鮮やかなクロトンの亂れ葉が美しく

トラック
月曜島には、公學校校長の家族の外に内地人はゐない。朝、校長の官舍で食事をしてゐると、遠くから歌聲が聞えて來る。愛國行進曲だ。多くの子供等の聲と直ぐに分つた。聲がだん/\近付いて來る。あれは何ですと聞けば、同じ方面の生徒等は一緒に登校させるのだが、其の連中が、合唱しながらやつて來るのだといふ。聲は官舍の近く迄來ると、やんだ。途端に、トマレ! といふ號令が掛かる。玄關から外を見ると二十人程の島民兒童がちやんと二列に縱隊を作つてやつて來てゐるのだ。先頭の一人は紙の日の丸を肩にかついでゐる。其の旗手が、再び、ヒダリ向ケヒダリ! と號令をかけた。一同が校長の家に向つて横隊になる。と、一齊に、オハヨウゴザイマスと言ひながら頭を下げた。それから、又、先頭の腫物だらけの旗手が、ミギ向ケミギ! 前ヘススメ! をかけて、一行は、愛國行進曲の續きを唱ひながら、官舍の隣の學校の方へと曲つて行く。官舍の庭には垣根が無いので、彼等の行進が良く見える。背丈が(恐らく年齡も)恐ろしく不揃ひで、先頭には大變大きいのがゐるが、後の方はひどく小さい。夏島あたりと違つて餘り整つたなりをしてゐる者は無い。みんな、シャツを着てゐるとはいふものの、破れてゐる部分の方が繋がつてゐる部分より多さうなので、男の子も女の子も眞黒な肌が到る所から覗いてゐる。足は勿論全部
其の朝は、他に二組同じやうな行進が挨拶に來た。
夏島で見た各離島の踊の中では、ローソップ島の



北西離島のものは、皆、佛桑華や印度素馨の花輪を頭に付け、額と頬に朱黄色の
歌の中でも、踊を伴はないものは、全部といつて良い位、憂鬱な旋律ばかりであつた。其の題名にも、頗るをかしなものが多い。その一例。シュック島の歌。「
夏島の街で見た或る離島人の耳。幼時から耳朶を伸ばし伸ばしした結果らしく、一尺五寸ばかりも紐の樣に長く伸びてゐる。それを、鎖でも捲くやうに、耳殼に

其の離島へ行つたことのある某氏に聞くと、彼等は普通の耳をもつた人間を見ると
又、斯ういふ島々に永くゐると、美の規準に就いて、多分に懷疑的になるさうだ。ヴォルテエル曰く、「

ロタ
斷崖の白い・水の豐かな・非常に蝶の多い島。靜かな晝間、人のゐない官舍の裏に南瓜の蔓が伸び、その黄色い花に、天鵞絨めいた濃紺色の蝶々どもが群がつてゐる。島民の姿の見えないソンソンの夜の通りは、内地の田舍町のやうな感じだ。電燈の暗い床屋の店。何處からか聞えて來る蓄音機の浪花節。わびしげな活動小屋に「黒田誠忠録」がかかつてゐる。切符賣の女の
タタッチョ部落の入口、海から三十間と離れない所に、チャモロ族の墓地がある。十字架の群の中に、一基の石碑が目につく。バルトロメス・庄司光延之墓と刻まれ、裏には昭和十四年歿九歳とあつた。日本人にして加特力教徒だつた者の子供なのであらう。周圍の十字架に掛けられた花輪どもは悉く褐色に枯れ凋み、海風にざわめく枯椰子の葉のそよぎも哀しい。(ロタ島の椰子樹は最近蟲害のために殆ど皆枯れて了つた。)目に沁みるばかり鮮やかな海の青を近くに見、濤の音の古い嘆きを聞いてゐる中に、私は、ひよいと能の「隅田川」を思ひ浮かべた。母なる狂女に呼ばれて幼い死兒の亡靈が塚の後からチヨコ/\白い姿を現すが、母がとらへようとすると、又フツと隱れて了ふあの場面を。
あとで公學校の島民教員補に聞くと、此の子の兩親(經師屋だつたさうだ)は子供に死なれてから間もなく此の地を立去つたといふことである。
宿舍としてあてがはれた家の入口に、珍しく



サイパン
日曜の夕方。鳳凰樹の茂みの向ふから、疳高い||それでゐて何處か押し潰されたやうな所のある||チャモロ女の合唱の聲が響いて來る。スペインの尼さんの所の禮拜堂から洩れてくる夕べの讚美歌である。
夜。月が明るい。道が白い。何處やらで單調な琉球蛇皮線の音がする。ブラ/\と白い道を歩いて見た。バナナの大きな葉が風にそよいでゐる。
出た角の所に劇場があつて、其の中から頻りに蛇皮線の音が響いて來る。(だが、之は、先刻から私の聞いて來た音とは違ふ。私の道々聞いて來たのは、劇場のそれの樣な本式の賑かなのではなく、餘り慣れない手が獨りでポツン/\と
芝居小舍を出てから、わざ/\
