貢さんは
門徒寺の
四男だ。
門徒寺と
云つても
檀家が一
軒あるで
無い、
西本願寺派の
別院並で、京都の岡崎にあるから普通には岡崎御坊で通つて居る。格式は
一等本座と云ふので
法類仲間で
幅の
利く方だが、
交際や何かに
入費の掛る割に寺の
収入と云ふのは
錏一文無かつた。本堂も
庫裡も
何時の建築だか、随分古く成つて、
長押が
歪んだり壁が落ちたり
為て居る。其れを
取囲んだ一町四方もある広い敷地は、桑畑や大根畑に成つて居て、
出入の百姓が
折々植附や
草取に来るが、
寺の入口の、昔は
大門があつたと云ふ、
礎の残つて居る
辺から、
真直に本堂へ向ふ半町ばかりの路は、草だらけで
誰も掃除の仕手が無い。
檀家の一軒も無い
此寺の貧乏は
当前だ。併し
代々学者で
法談の
上手な
和上が来て住職に成り、
年に
何度か諸国を巡回して、法談で
蓄めた
布施を持帰つては、其れで
生活を立て、
御堂や
庫裡の普請をも
為る。其れから
御坊は昔願泉寺と云ふ
真言宗の
御寺の廃地であつたのを、此の岡崎は祖師
親鸞上人が越後へ
流罪と
定つた時、
少時此地に
草庵を構へ、此の岡崎から
発足せられた旧蹟だと云ふ
縁故から、西本願寺が買取つて一宇を
建立したのだ。其時
在所の者が
真言の
道場であつた旧地へ
肉食妻帯の
門徒坊さんを入れるのは面白く無い、御寺の建つ事は結構だが
何うか妻帯を
為さらぬ
清僧を
住持にして
戴きたいと
掛合つた。本願寺も在所の者の望み
通に承諾した。で
代々清僧が住職に成つて、丁度
禅寺か
何かの
様に
瀟洒した
大寺で、
加之に檀家の無いのが
諷経や葬式の
煩ひが無くて気
楽であつた。
所が先住の
道珍和上は
能登国の人とやらで、二十三で住職に成つたが学問よりも法談が太層
巧く、此の
和上の説教の日には
聴衆が
群集して六条の
総会所の
縁が落ちるやら怪我人が出来るやら、其れ程に評判であつた。
又太層
美僧であつた所から、後家や若い娘で迷ひ込んだ者も大分にあつた。在所の年寄仲間は、御坊さんの
裏の
竹林の
中にある
沼の
主、なんでも
昔願泉寺の開基が真言の
力で
封じて置かれたと云ふ
大蛇が
祟らねば善いが。あヽ云ふ若い美くしい
和上さんの
来られたのは
危いもんだ。斯う噂をして居たが、和上に
帰依して居る
信者の
中に、
京の
室町錦小路の
老舗の呉服屋夫婦が
大した
法義者で、十七に成る
容色の好い
姉娘を
是非道珍和上の
奥方に
差上げ
度いと
言出した。
物堅い和上も
若いので
未だ
法力の
薄かつた
故か、
入寺の時の覚悟を忘れて其の娘を
貰ふ事に
定めた。
其頃
御坊さんの
竹薮へ
筍を取りに
入つた
在所の者が白い
蛇を見附けた。
其処へ和上の縁談が伝はつたので
年寄仲間は皆眉を
顰めたが、
何う云ふ
運命であつたか、
愈呉服屋の娘の
輿入があると云ふ
三日前、京から呉服屋の
出入の表具師や畳屋の職人が
大勢来て居る
中で頓死した。
御坊さんは
少時無住であつたが、
翌年の八月道珍
和上の一週忌
[#「一週忌」はママ]の
法事が呉服屋の
施主で催された
後で新しい住職が出来た。是が
貢さんの父である。此の
住持は丹波の
郷士で
大庄屋をつとめた家の二男だが、京に上つて学問が
為たい計りに
両親を
散々泣かせた
上で十三の時に
出家し、六条の
本山の学林を卒業してから江戸へ出て国書を学び、又諸国の志士に交つて勤王論を鼓吹した。其頃岡崎から
程近い
黒谷の
寺中の
一室を借りて
自炊し、
此処から六条の
本山に
通つて
役僧の
首席を勤めて居たが、亡くなつた道珍和上とも
知合であつたし、
然う云ふ
碩学で
本山でも
幅の
利いた
和上を、岡崎御坊へ
招ずる事が出来たら結構だと云ふので、呉服屋夫婦が熱心に
懇望した所から、
朗然と云ふ
貢さんの
阿父さんが、
入寺して来る
様に成つた。
其丈なら
申分は無かつたのだが、呉服屋夫婦は道珍和上に
娶はせようと為た娘を、今度の朗然和上に
差上げて
是非岡崎御坊に住ませたい、最愛の娘を
高僧に捧げると云ふ事が、何より如来様の
御恩報謝に成るし、又亡く成つた道珍和上への
手向であると信じて居た。娘に此事を語り聞かせた時、娘は、わたしは道珍様が御亡く成りに成つた日から、もう
尼の心に成つて居ますと云つて泣き伏したが、もう朗然和上と夫婦との間に縁談が
決つて居つた
後だから、親の心に従つて
終に其年の十一月、娘は十五荷の
荷で岡崎御坊へ
嫁入つて来た。娘の
齢は十八、朗然和上は三十四歳、十六も
違つて居た。
此の婚礼に就いて在所の者が、先住の
例を引いて
不吉な噂を立てるので、
豪気な
新住は
境内の暗い
竹籔を
切払つて桑畑に
為て
了つた。
其れから十年
許り
経つて、奥方の
一枝さんが三番目の男の児を生んだ。
従来に無い
難産で、産の
気が附いてから
三日目の
正午、陰暦六月の暑い
日盛りに
甚い
逆児で生れたのが
晃と云ふ
怖しい
重瞳の児であつた。
ぎやつと初声を揚げた時に、
玄関の
式台へ戸板に載せて
舁ぎ込まれたのは、薩州の陣所へ
入浸つて半年も帰つて来ぬ朗然和上が、法衣を着た儘三条の
大橋で
会津方の浪士に一刀眉間を遣られた
負傷の姿であつた。
傷は薩州
邸の
口入で近衛家の
御殿医が来て
縫つた。在所の者は朗然和上の災難を
小気味よい事に言つて、奥方の難産と併せて
沼の
主や先住やの祟りだと噂した。もともと天下を我家と心得て
居る
和上は岡崎の土地などを眼中に置いて居ない所から、在所の者に対して
横柄な
態度も有つたに違ひ無い。
其上近年は世の中の
物騒なのに
伴れて和上の事を
色々に言ふ者がある。最も在所の人の心を寒からしめた馬鹿々しい噂は、和上は勤王々々と云つて諸国の浪士に
交際つて
居る。今に御寺の本堂を浪士の陣屋に貸して、此の岡崎を徳川と浪士との
戦場にする積りだらう、と云ふ事である。で何かに附けて在所の者は和上を憎んだが。
檀那寺の和尚では無いから、岡崎から遂ひ出す
訳にも行か無かつた。
和上と奥方との仲は婚礼の当時から
何うも
しつくり行つて居無かつた。第一に
年齢の
違ふ
故もあつたが、和上は学者で貧乏を苦にせぬ
豪邁な
性質、奥方は町家の
秘蔵娘で
暇が有つたら三味線を出して
快活に
大津絵でも弾かう、
小児を
着飾らせて
一人々々乳母を附けて芝居を見せようと云ふ
豪奢な
性質、和上が何かに附けて奥方の町人
気質を賎むのを
親思ひの奥方は、
じつと辛抱して
実家へ帰らうともせず、
気作な心から
軽口などを云つて
紛らして居る内に、三人目の男の児を生んだ。
此度の難産の
後、奥方は
身体がげつそり
弱つて、耳も少し遠く成り、気性までが一変して陰気に成つた。和上の
傷は
二月で癒えたが、其の
傷痕を一目見て
鎌首を上げた
蛇の様だと身を
慄はせたのは、
青褪めた
顔色の奥方ばかりでは無かつた。其頃
在所の
子守唄に斯う云ふのが
流行つた。
『
坊主の
額に
蛇が
居る。
蛇から
飛び
出た
赤児の
眼。』
『
赤児の
眼』は
重瞳の三男を
指したのである。奥方は何と云ふ
罪障の深い自分だらうと考へ出した。本堂の阿弥陀様
計りでは此の不思議な
怖ろしい
宿業が除かれぬやうな気がするので、門徒宗でやかましい
雑行雑修の
禁制を破つて、
暇があれば洛中洛外の神社仏寺へ三男を
抱いて参詣した。以前は
気質の相違であつたが、今は
信仰までが斯う
違つたので、和上は益々奥方が面白く無い。伏見の戦争が初まる
三月程前から再び薩州
邸に行つた
切り明治五年まで
足掛六年の間一度も帰つて来なかつた。伏見戦争の
後で直ぐ、
朝命を蒙つて征討将軍の
宮に
随従し北陸道の鎮撫に出掛けたと云ふ手紙や、一時
還俗して岩手県の
参事を拝命したと云ふ
報知は、其の
時々に来たが、
少しの
仕送りも無いので、奥方は
嫁入の時に持つて来た
衣服や
髪飾りを
売食して日を送つた。
実家の方は其頃
両親は亡くなり、番頭を妹に
娶はせた養子が、浄瑠璃に
凝つた
揚句店を売払つて大坂へ遂転したので、
断絶同様に成つて居る。在所の者は誰も相手にせぬし、
便る
方も無いので、少しでも口を
減す為に
然る
尼の
勧めに従つて、長男と二男を
大原の
真言寺へ
小僧に
遣つた。奥方の心では二人の子を
持戒堅固の
清僧に仕上げたならば、
大昔の願泉寺時代の
祟りが除かれやう、
沼の
主も
鎮まるであらうと思つたので、
開基と同じ
宗旨の
真言寺と聞いて、
可愛い二人の子を
犠牲にする気で泣き乍ら
手放した。
明治五年の夏、和上は官界を辞してぶらりと帰つて来た。フロツクコオトを着て山高
帽を
被つた姿は
固陋な在所の人を驚かした。再び法衣を着たことは着たが、
永の留守中
荒れ
放題に荒れた
我寺の
状は気にも掛けず格別修繕しようともせぬ。毎日洋服を着て書類を入れた風呂敷
包を
小脇に
挾んで、
洋杖を
突いて、京都府下の富豪や寺院をてくてくと
歴訪する。其れは
隣村の
鹿ヶ
谷に
盲唖院と云ふものを建てる趣意書を配つて応分の寄附金を
勧誘する
為であつた。
其の翌年に
貢さんが生れた。
今日は日曜なので
阿母さんが貢さんを
起さずに
静と寝かして置いた。で、貢さんの
目覚めたのは朝の九時頃であつた。十歳に成る貢さんは
独で
衣服を着替へて台所へ出て来た。
『
阿母さんお早う。』
阿母さんは
もう座敷の
拭掃除も台所の
整理事も
済ませて、
三歳になる娘の子を
脊に
負ひ乍ら、広い土間へ盥を入れて
洗濯物をして
居る。
『お早うでも無いぢや無いか。よく寝られて。
昨夜は。』
『ふん、寝坊をしちやつた。
阿父さんは。』
『涼しい
間にと云つてお
出掛に成つたの。』
『阿母さん、
昨日校長さんが君ん
家の
阿父さんは京の
街で西洋の
薬や酒を売る店を出すんだつて、本当かて聞きましたよ。本当に
其様店を出すの。』
『阿父さんの事だから何を為さるか知れ無い。
昔から
二言目には人民の為だもの。』
『今日は
何処へ入らしたの。』
『神戸の
夷人さん
処。委しい事は阿母さんなんかに
被仰らないけれど、日本で初めて博覧会と云ふものを
為さるんだつて。』
『ふうん。』
『お前
御飯は
何うする。』
『お昼と一処でいゝ。』
『ぢや
然うお
為。
其から阿母さんは今一枚洗つて、
今日は
大原まで
兄さん達の
白衣を届けて来るからね、よく留守番を
為てお呉れ。
御飯には
鮭が戸棚にあるから火をおこして焼いてお
食べ。お
土産には
山鼻のお
饅を買つて来ませう。』
『お
日様の暮れぬ
内に帰つて頂戴よ。』
貢さんは井戸端へ下りて自分で水を汲んで顔を洗つた。其れから
畳の破れを新聞で張つた、
柱の
歪んだ
居間を二つ
通つて、横手の光琳の梅を書いた
古ぼけた大きい
襖子を開けると十畳敷許の
内陣の、年頃
拭込んだ
板敷が向側の窓の
明障子の光線で水を流した様に光る。幾十年と無く
毎朝焚き
籠めた五
種香の
匂が
むつと顔を撲つ。阿母さんが折々一時間も
此処に閉ぢ
籠つて出て来ぬ事がある丈に、
家中で
此内陣計りは
温かい
様ななつかしい様な処だ。貢さんは
黒塗の経机の前の
円座の上に坐つて三度程
額づいた。
『南無、南無、南無阿弥陀仏。』
本尊の阿弥陀様の
御顔は暗くて拝め無い、
唯招喚の
形を
為給ふ右の
御手のみが
金色の
薄い
光を
示し給うて居る。貢さんは内陣を出て四畳半の自分の部屋に
入つた。机の上に
昨日持つて帰つた学校の
包が黒い布呂敷の儘で解きもせずに
載つて
居る。其れを見ると、
力石様のお濱さん処へ遊びに行く約束だつた事を思出した。
『
遅く成つた、遅く成つた。
行かう。』
独言を言つて
吃驚した様に立上ると、書院の方の庭にある
柿の樹で大きな
油蝉が
暑苦しく啼き出した。
捕まへてお濱さんへの
土産にする気で、
縁側づたひに書院へ足音を忍ばせて行つたが、
戸袋に手を掛けて
柿の樹を見上げた
途端に蝉は逃げた。
『
阿房蝉。』
斯う大きな声で云つて振返ると、書院の十畳の方の
室の障子が五寸程
明いて
居る。兄の
晃の居間だ。其の
間から
長押に掛けた晃の舶来の夏帽が目に附く。
覗いて見たが、
晃兄さんは居無い。台所の
方へ
走つて来た貢さんは、其処に阿母さんが見えないので、草履を
穿いて
裏口から納屋の
後へ廻つた。阿母さんは
物干竿に洗濯物を通して居る。
『阿母さん、
晃兄さんが帰つたの。』
阿母さんは
一寸振返つて貢さんを見たが、
黙つて上を向いて
襁褓の濡れたのを
伸して
居る。
『
晃兄さんの帽が掛かつてましたよ。』
と
鄭寧に云つて再び
答を促した。阿母さんは未だ
黙つて
居る。見ると、
晃兄さんの
白地の薩摩
絣の
単衣の
裾を両手で
握んだ儘阿母さんは泣いて居る。貢さんは、阿母さんの機嫌を損じたなと思つたので、
徐と
背を向けて四五
歩引返した。
『
貢さん。』と阿母さんの声は
湿んで居る。
『はい。』
『お前はね、よく阿母さんの言ふ事をお聞き。なんぼ貧乏な
生活をしても心は
正直に持つんですよ。』
『はい。』
『晃兄さんの様に成つては仕様が無いわね、阿母さんの衣服や頭の物を何遍も持出して売飛ばしては、唯もう立派な身装をする。こんな阿父さんも御着に成らん様な衣類や、靴や時計を買つてさ。学問でもする事か、フルベツキさんに英吉利西の語を習つても三月足らずで止めて了ふし、何かなし若い娘さん達の中で野呂々々と遊んで居たい、肩上を取つたばかしの十八の子の所作ぢや無い。祟つてる御方があつて為さるのかも知らんけれど、あれでは今に他人様の物に手を掛けて牢屋へ行く様な、よい親の耻晒しに成るかも知れん。今度は阿父さんの財嚢から沢山なお金、盲唖院の先生方の月給に差上げるお銭を持出して二月も帰つて来ないんだもの。阿父さんは見附次第警察へ出すと被仰るけれど、其れでは明るみの耻に成る。阿母さんは大原の律師様にお頼みして兄さん達と同じ様に何処かの御寺へ遣つて、頭を剃らせて結構な御経を習はせ度いと思ふの。ね、貢さん、阿母さんや此の脊中の桃枝が頼りにするのはお前一人だよ。阿父さんはあんな方だから家の事なんか構つて下さら無い。此の下間の家を興すも潰すもお前の量見一つに在る。其れに阿母さんも此の身体の具合では長く生きられ相にも無いからね、しつかり為て頂戴よ、貢さん。』
『はい、
解つて
居ます。阿母さん。』
貢さんの頬には
はらはらと熱い涙が流れた。阿母さんは
萌黄の
前掛で涙を
拭き乍ら庫裡の中へ
入つた。貢さんは
何時も聞く阿母さんの話だけれど、今日は
冷たい沼の水の
底の底で聞かされた様な気がして、小供心に頼り無い沈んだ
悲哀が
充満に成つた。で、
蚯蚓が土を出て炎天の砂の上をのさばる様に、かんかんと日の照る
中を
歩いてづぶ濡れに冷え切つた
身体なり心なりを
燬け
附かせ度く成つたので、書院の庭の、此頃の
旱に
亀甲形に
亀裂の
入つた
焼土を踏んで、
空池の、日が
目を
潰す計りに
反射する、白い大きな
白河石の橋の上に腰を
下した。
『阿母さんが死になさるのぢや無いか知ら。』
ふつと
斯な事が胸に浮んだ。今日に限つて特別に阿母さんの
身体が鉄色の
銚子縮の
単衣の下に、ほつそりと、白い
骨計りに見えた様な気がする。『なあに。』と直ぐに打消したが、ぞつと寒く成つて
身体が
慄へた。次いで色々の感想が湧いて来る。
『家では阿母さんが一番気の毒だ。·········併し阿父さんも、あんな羊羹色のフロツクしか無いんだもの、知事さんの前なんかで体裁が悪るからう。············阿父さんは、晃兄さんには仕方が無いけれど、阿母さんに何故あゝ慳貪に物を被仰るんだらう。············晃兄さんも習字があの様に善く出来て、漠文の御本も善く読める癖に、何故真面目に成つて夷人さんの語が習へないのかなあ。············家の物を泥坊するのは良く無いが、阿父さんが吝々してお銭をお遣りなさらんから、兄さんも意地に成るんだ。············兄さんも阿母さんから、初中内密で小遣を戴き乍ら············阿母さんが被仰る通り女の様に衣服なんか買ふのは馬鹿々々しい。』
果しなく
斯んな事を思ひ続けて居ると、
何処かで自分を喚ぶ声がした。
庫裡の
方へ向いて、
『阿母さんなの。』
と大きな声で尋ねたが、返事が無い。立上らうとすると汗を
びつしより掻いて居た。
裏口へ行かうとする時、又
何か声が聞えた。桑畑の中からだ。途端にお濱さんを思ひ出した。約束の時間に自分が行か無いので、
待ち兼ねてお濱さんが迎へに来たのだと考へた。
貢さんは
兎の
跳ぶ様に駆け出して桑畑に入つて行つた。
畑の
中にお濱さんは居ない。
沼の
畔に出た。旱の為に水の
減つた
摺鉢形の四
方の
崖の土は
石灰色をして、静かに
湛へた水の色はどんよりと重く緑青の様に毒々しい。お濱さんは居なかつたがおなじ様に
鼠色の
無地の
単衣を着た盲唖院の
唖者の男の子が二人、
沼の岸の
熊笹が茂つた中に
蹲がんで、手真似で何か話し乍ら
頷き合つて居た。其れが貢さんには、蛇の
穴を
発見けたので
掘らうぢや無いかと相談して居る
様に思はれた。
『
悪るい事なんか為ては
行かんよ。』
と、五六
間手前から
叱り付けた。
唖者の
子等は人の
気勢に
駭いて、手に手に
紅い
死人花を持つた
儘畑を
横切つて、半町も無い
鹿ヶ
谷の盲唖院へ駆けて帰つた
貢さんは見送つて
厭な気がした。
元気の無さ
相な
顔色をして草履を引きずり乍ら帰つて来た貢さんは、
裏口を
入つて、
虫の
蝕つた、踏むと
みしみしと云ふ板の
間で、
雑巾を
絞[#ルビの「しぼ」は底本では「じぼ」]つて
土埃の着いた足を拭いた。
『阿母さん、阿母さん。』
二三度
喚んで見たが、阿母さんは
桃枝を
負つて大原へ出掛けて居無かつた。貢さんは火鉢の
火種を
昆炉に移し
消炭を
熾して
番茶の
土瓶を
沸し、
鮭を焼いて
冷飯を食つた。膳を戸棚に締つて自分の居間に
来ると、又お濱さんに逢ひ度く成つた。
一走り行つて来ようかと考へたが、
頭が
重く痛む
様なので、次の阿母さんの部屋の八畳の
室へ来て障子を
明放して、箪笥の前で横に成つた。暑い日だ、そよと吹く風も無い。軒に縄を渡して阿母さんが
干した
瓜の
雷干を見て居ると
暈眩がする。じつと目を閉ぢようと為たが、目を閉ぢると、此の広い荒れ果てた
寺に唯つた独り自分の
居ると云ふ事が、野の
中で
捨児にでも成つた様に、犇々と身に
迫つて
寂しい。其れを
紛らす
為に目を開いて何か唱歌でも歌はうと試みたが、
喉が
硬張つて声が出無かつた。と、突然低い静かな声で、
『
貢、貢。』
『あ、
晃兄さん。お帰り。』
起上つて
玄関の
方へ
走つて出ようとすると、
『
此処だよ。
貢。』
『
晃兄さん、
何処なの。』
貢さんは玄関と中の間の
敷居の
上に立つて考へた。
『
此処だよ。』
低い静かな声は本堂から聞える。
其処は雨が
甚く洩るので、四方の戸を
阿父さんが
釘附にして自分の生れ無い前から開けぬ事に成つて居る。
御参詣の人も無い寺なので、内の者は
内陣で本尊様を拝む。本堂の五十畳敷だと云ふ
広間は全く不用な塲処だ。内の者は皆此の広間の有る事を忘れて
居る。殊に貢さんは生れて一度も
覗いて見ないのだから、遠い遠い不思議な世界から声を掛けられた気が
為る
『
晃兄さん、
何うして
其んな処へ
入つたの。何処から
入るんです。』
少時返事が無い。
『
晃兄さん。』
と、貢さんは大きな声を
為て喚んだ。低い静かな声は、
『内陣へ
廻りな。左から三枚目の戸だ。』
貢さんは座敷を
通つて一段高い内陣へどんどんと足音をさせて
上つた。
『左から三枚目。』
と、又声が為る。昔から
釘附に為てあると計り思つて居た内陣と本堂との
区劃の戸を開けると云ふ事は、
少からず小供の
好奇の心を躍らせたが、
愈々左から三枚目の戸に手を掛ける
瞬間、
何だか見無いでも
可いものを見る様な気が為て、
怖く成つたが、
思切つて引くと、荒い音も
為ずに
すつと軽く
開いた。
『あツ。』
貢さんが
覗いたのは
薄暗い
陰鬱な世界で、
冷りとつめたい手で撫でる様に
頬に
当る空気が
酸えて
黴臭い。一
間程前に竹と
萱草の葉とが
疎らに
生えて、
其奥は能く見え無かつた。
『
何処に居るの。
晃兄さん。』
『
仏さんの前の
蝋燭に火を
点けてお出で。』
貢さんは兄の
命令通り
仏前の蝋燭を取つて、台所へ行つて
附木で火を
点けて来た。
『
晃兄さん、
中は
汚なか無くつて。』
『其処の直ぐ下に阿母さんの
穿きなさる草履があるだらう。』
蝋燭をかざして
根太板の落ちた
土間を見下すと、竹の皮の草履が
一足あるので、其れを
穿いて、竹の葉を
避けて前に進むと、蜘蛛の巣が顔に引掛る。
根太も
畳も
大方朽ち落ちて、
其上に
鼠の毛を

り
散した
様な
埃と、
麹の様な
黴とが積つて居る。落ち残つた
根太の
横木を一つ
跨いだ時、
無気味な
菌の
様なものを踏んだ。
『
此処だよ。』
中央の
欅の
柱の下から、髪の毛の
濃いゝ、くつきりと色の白い、
面長な兄の、大きな
瞳に
金の
輪が二つ
入つた眼が光つた。
晃兄さんは
裸体で
縮緬の
腰巻一つの儘
後手に
縛られて坐つて居る。貢さんは一目見て
駭いたが、
従来庭の柿の樹や
納屋の中に兄の
縛られて
切諌を受けるのを度々見て居るので、こんな処へ
伴れて
入つて縛つて置いたのは阿父さんの
所作だと思つた。
阿母さんが
裸体の上から掛けて
遣つたらしい赤い毛布はずれ落ちて居た。
『
貢、お前、
兄さんの言ふ事を
諾いて呉れ無いか。』
『
晃兄さん、
御飯でせう。
御飯なら持つて
来よう。阿母さんが留守だから
御菜は何も無いことよ。』
『
今握飯を
食つたばかりだ。
御飯ぢや無い。』
『ぢや、お茶。』
『お茶も飲まして
貰つた。』
『
衣服を持つて来て
上げようか。』
『
衣服は自分で
着るがね。』
『
何なの。
晃兄さん。』
『お
前本当に
諾いて呉れるか。』
兄が
此様に
念を
押し
辞を鄭寧にして
物を頼んだ事は無いので、貢さんは気の毒に思つた。
『ふん、何んでも
諾きます。』
『
難有いな。ではね、
包丁を取つて来てね、此の
縄を
切つて
御呉れ。』
『
宜いとも。』
元気よく受合つて台所から庖丁を取つて来た。左の手に
蝋燭を持つて兄の
背後に
廻つたが、
三筋の
麻縄で後手に
縛つて
柱に
括り附けた
手首は血が
滲んで居る。と、
阿父さんが晃兄さんを
切諌なさる時の
恐い顔が目に
浮んだので、此の縄を
切つては成らぬと気が附いた。
『
之を
切つて、僕、
阿父さんに問はれたら
何と云ふの。』
『お前にも
阿母さんにも
迷惑は掛け無い。わしの
友人が来て知らぬ
間に
連れ出したとお言ひ。』
『
晃兄さんは
又逃げて行く
積りなの。』
『此処はわしの
家ぢや無い、
仇の
家ぢや。兄さんの家は
斯[#ルビの「こ」は底本では「こん」]んな暗い処ぢや無くて
明るい処に有るんだ。』
『
明るい処つて、
何処。大坂か、東京。』
『そんな
遠方ぢや無い。
何でもいゝ、早く縄を
切つて自由に
為てお呉れ。痛くて
堪ら無いから。』
阿母さんも居ない
留守に兄を
逃して遣つては、
何んなに阿父さんから
叱られるかも知れぬ。貢さんは
躊躇つて
鼻洟を
啜つた。
『切れ無いかい。貢さん。
意久地が無いね。約束したぢや無いか。』
『だけれど、みんな
留守だから。』
『お前、
解らないなあ。』
兄は
歎息をついた。
『あゝ、阿父さんの所為でも無い、阿母さんの所為でも無い、わしの所為でも無い。みんな彼奴のわざだ。貢、意久地があるなら彼奴を先に切るがいゝ。』
兄が
頤で示した前の方の
根太板の上に、正月の
鏡餅の様に白い或物が
載つて居る。
『
何。』
と、
蝋燭の火を
下げて身を
屈めた
途端に、
根太板の上の或物は
一匹の白い
蛇に成つて、するすると
朽ち
重つた
畳を
越えて
消え去つた。
刹那、貢さんは、
『
沼の
主さんだ。』
斯う
感じて身をぶるぶると
慄はした。
『貢さん、貢さん。』
と、お濱さんが
書院の庭あたりで
喚んで居る。貢さんは
耳鳴がして、其の
懐かしい女の
御友達の声が聞え無かつた。兄は
につと笑つて、
『驚いたか。』
貢さんは
黙つて
蛇の過ぎ去つた
暗い
奥の
方を眺めて居る。
『
暗い
家には
彼奴の様な
厭なものが
居る。此の
家の者は皆
彼奴の
餌食なんだ。』
よくは
解らぬけれど、兄の言つて居る事が
一一道理な様に胸に
応へる。斯んな家に皆が一日も居ては成らぬ様な気が為た。
『晃兄さん、早くお
逃げなさい。縄を
切りますから。』
『
難有う。お前もね、わしの
年齢に成つたら、兄さんが
明るい面白い処へ
伴れてつて
遣らう。』
『
本当に面白いの。』
『面白いとも。』
『
単独では行かれ無いの。』
『行かれる。兄さんは
単独で行くんだ。』
『
屹度伴れてつて下さい。』
『わしの
年齢に成つたら。其れ迄は
辛抱して吉田の学校を卒業するんだよ。』
『
女でも行かれるの。』
『行かれるとも。
其処は女の方が
多いんだ。』
『阿母さんも
伴れてつて
上げなさい。』
『
諄いね。早く縄を
切つてお
呉れ。』
貢さんは
勇々として
躊躇ふ所なく
麻縄を切り放つた。お濱さんは玄関の方へ
廻つて来た。
『
貢さん、貢さん。』
『お濱さんが
先刻からお前を
探して居る。早く行つてお出で。』
兄は
柱に
倚つて立上り、縄の食ひ込んだ、血の
滲んだ
手首を
擦り乍ら言つた。貢さんは、
『今行きます、お濱さん。』と
甲高な声で言つて、『
晃兄さん、お濱さんも僕と一緒に伴れてつて上げて
頂戴。』
『馬鹿。よその人に
其んな事を言ふんぢや無いよ。』
兄の
睨むのも
見返らずに、貢さんは蝋燭と庖丁とを持つて
内陣へ
跳ぶ様に
上つて行つた。
お濱さんは
裏口から廻つて、貢さんの
居間の
縁に腰を掛けて居た。眉の
上で前髪を一文字に
揃へて切下げた、
雀鬢の
桃割に結つて、
糸房の附いた大きい
簪を挿して居る。
腫れぼつたい
一重瞼の、丸顔の愛くるしい娘だ。紫の
租い
縞の
縒上布の袖の長い
単衣を着て、緋の
紋縮緬の
絎帯を
吉弥に結んだのを、
内陣から
下りて来た貢さんは
美くしいと思つた。
洗晒しの
伊予絣の
単衣を着て、白い木綿の兵子帯を締めた貢さんは肩を並べて腰を掛けた。お濱さんは三つ
年上で十三に成るが、小学校は病気の為に
遅れて同じ
級だ。お濱さんの父は、もと越前の藩士で今は京都府の勧業課長を勤めて居る。
『お濱さん、僕、朝から行かうと思つてたけれど。』
『あたし待つててよ。しどいわ。』
『
悪かつた。僕、留守番を云ひ附かつたの。』
『あたし、そんな事は知らないでせう。待つて待つて、泣いて、阿母さんに
叱られたのよ。』
『泣くなんて、可笑しいなあ。』
『でも、貢さんが
嘘をつくんですもの。』
『
嘘をつくものか。僕は行きたかつたけれど。』
『あたし、
先刻から
喚んでたのに、あなた
何処に入らしつたの。』
『さう、
先刻から喚んでたつて。僕、聞えなかつた。』
『お
昼寝でせう。』
『昼寝なんか
為ない。』
『お
雲隠。』
『
晃兄さんと話してたんだ。』
『
晃兄さんが入らつしやるの。』
『ふん。』
お濱さんは、一寸手で桃割を撫でて、頬を赤くしながら、
『貢さんは
矢張嘘を
御吐き為さるのね。晃兄さんが入らつしやるのに、留守番だなんて。』
と云つた。貢さんは
困つたらしく黙つて
俯向いた。此時
前の桑畑の中に、白い
絣を着て
走つて行く
人影がちらと見えた。
『あら、あたし、ちよいと用があつてよ。』
とお濱さんは云つて、不意に駆け出した。貢さんも急いで草履を
穿いて、お濱さんの跡を追つて行つた。二人が桑畑を抜けて街道へ出た時には、二町も
先の路を、
晃兄さんが
洋杖を手に夏帽を被つて、
悠々と京の方へ出て
行くのであつた。
||(完)||