「猫」の下巻を活字に植えて見たら
頁が足りないから、もう少し書き足してくれと云う。
書肆は「猫」を
以て伸縮自在と心得て居るらしい。いくら猫でも
一旦甕へ落ちて往生した以上は、そう安っぽく復活が出来る訳のものではない。頁が足らんからと云うて、おいそれと
甕から
這い上る様では猫の
沽券にも関わる事だから
是丈は
御免蒙ることに致した。
「猫」の甕へ落ちる時分は、漱石先生は、巻中の主人公苦沙弥先生と同じく教師であった。甕へ落ちてから何カ月
経ったか大往生を遂げた猫は
固より知る
筈がない。然し此序をかく今日の漱石先生は既に教師ではなくなった。主人苦沙弥先生も今頃は休職か、免職になったかも知れぬ。世の中は猫の目玉の様にぐるぐる廻転している。
僅か数カ月のうちに往生するのも出来る。月給を棒に振るものも出来る。暮も過ぎ正月も過ぎ、花も散って、また若葉の時節となった。
是からどの位廻転するかわからない、
只長えに変らぬものは甕の中の猫の中の眼玉の中の
瞳だけである。
明治四十年五月