病気が少しよくなり、寝ながら本を読むことができるようになった時、最初に手にしたものは旅行記であった。以前から旅行記は好きだったが、好きなわりにはどれほども読んでいなかった。人と話し合って見ても旅行記は案外読まれていず、少くともある種の随筆などとはくらべものにはならぬようであった。自分にとって生涯関係のありそうにもない土地の紀行など興味もなし、読んで見たところで全然知らぬ土地が生き生きと感ぜられるような筆は
私は間宮倫宗を読み松浦武四郎を読み、菅江真澄を読んだ。ゲーテを読み、シーボルトを読み、スウェン・ヘディンを読んだ。明治以後の文人のものは誰彼を問わず、家にあるものを散読した。そうして幾らもないそれらの本が尽きてしまうと、地理学の雑誌を枕もとにならべさせた。私は地理学の雑誌を何年も前から継続して取っていて、今まではただ重ねてあるだけだったが、この機会にこれらの頁を漫然と繰りひろげていると、これ以上の楽しみはないように思われて来た。
それの近頃の号にある博士の
私はこういう
私は思わず破顔した。オオヤマネコは孤独な病者である私に最大の慰めを与えた。私は
同じ記事のなかに
オオヤマネコに感動してまだ幾日もたたぬうちに、一介の野良猫にすぎぬが、その
この二三年来、家のまわりをうろうろする犬や猫が目立ってふえて来た。人間の食糧事情が及ぼした影響の一つであることはいうまでもない。生れながらの宿なしもあるが、最近まで主人持ちであったというものも多い。彼等は実にひどく尾羽うち枯らしている。
私はその頃一日に十五分ぐらいは庭に出られるようになっていた。私も庭に出て彼等を見ることは嫌いだった。私はわけても犬を好かない。主人持ちでいた時には、その家の前を通ったというだけで吠えついたこともある奴が、今はさも馴れ馴れしげに尾など振って近づいてくる。それでいて絶えずこっちの顔いろをうかがっている。こっちの無言の敵意を感ずると、尾をぺたっと尻の間にはさんで、よろけるように逃げてゆく。そうして腐った落ち柿などを食っている。猫は彼等ほど卑屈ではないがコソ泥以上に図々しくなってしまった。人間がいることなどは平気で家のなかを狙う。畳の上に足跡をつけて部屋を駆け抜ける。昔を思い出してか
そんな時に彼奴が現れたのだ。
其奴の前身は誰も知らなかった。大きな、黒い雄猫である。ざらにいる猫の一倍半の大きさはある。威厳のある、実に堂々たる顔をしている。尾は短かい。歩き去る後姿を見ると、その短かい尾の下に、尻の間に、いかにもこりこりッとした感じの、何かの実のような大きな
彼は決して人間を恐れることをしなかった。人間と真正面に視線が逢っても逃げなかった。家のなかに這入って来はしなかったが、たとえば二階の窓近く椅子を寄せて寝ている私のすぐ頭の屋根の上に来て、私の顔をじろりと見てから、自分もそこの日向にゆったりと長まったりする。私の気持をのみこんでしまっているのでもあるらしい。いつでも重々しくゆっくりと歩く。どこで食っているのか、
「いやに堂々とした奴だなあ。」と私は感心した。「何も取られたことはないかい?」
「いいえ、まだ何も。」と家のものは答えた。
「たまには何か食わせてやれよ。」と私は言った。世が世なら、飼ってやってもいいとさえ思った。
郷里の町の人が上京のついでに塩鮭を持って来てくれた日の夜であった。久しぶりに塩引を焼くにおいが台所にこもった。真夜中に私は下の騒々しい物音に眼をさました。母も妻も起きて台所にいる声がする。間もなく妻が上って来た。
「何だ?」
「猫なんです。台所に押し込んで······」
「だって戸締りはしっかりしてあるんだろう?」
「縁の下から、上げ板を押し上げて入ったんです。」
「何か取られたかい?」
「ええ、何も取られなかったけれど。丁度おばあさんが起きた時だったので。」
「猫はどいつだい?」
「それがわからないの。あの虎猫じゃないかと思うんだけれど。」
うろついている猫は多かったからどれともきめることはできなかった。しかし黒猫に嫌疑をかけるものは誰もなかった。
次の晩も同じような騒ぎがあった。
それで母と妻とは上げ板の上にかなり大きな漬物石を上げておくことにした。所が猫はその晩、その漬物石さえも恐らくは頭で突き上げて侵入したのである。母が飛んでいった時には、すでに彼の姿はなかった。私は「深夜の怪盗」などと名づけて面白がっていた。しかし母と妻とはそれどころではなかった。何よりも甚だしい睡眠の妨害だった。
そこで最初に、犯人の疑いを、あの黒猫にかけはじめたのは母であった。あれ程大きな石を突き上げて侵入してくるほどのものは容易ならぬ力の持主である。それはあの黒猫以外ではない、と母は確信を持っていうのである。
それはたしかに理に合った主張だった。しかし当の黒猫を見る時、私は半信半疑だった。毎晩そんなことがあるその間に、昼には黒猫はいつもと少しも変らぬ姿を家の周囲に見せているのである。どこからどこまで彼には少しも変ったところがなかった。夜の犯人が彼だとしては、彼は余りにも平気すぎた、余りにも悠々としすぎていた。私はある底意をこめた眼でじーっと真正面から見てやったが、彼はどこ吹く風といったふうであった。
しかし母は譲らなかった。
或る晩、台所に大きな物音がした。妻は驚いて飛び起きて駆け下りて行った。いつもよりははげしい物音に私も思わず聴耳を立てた。音ははじめ台所でし、それからとなりの風呂場に移った。物の落ちる音、
やがて音は鎮まった。
「もうだいじょうぶ。あとはわたしがするからあんたはもう寝なさい。」
「大丈夫ですか?」
「だいじょうぶとも。いくらこいつでもこの縄はどうも出来やしまい。今晩はまアこうしておこう······やれやれとんだ人騒がせだ。」
母の笑う声がきこえた。
妻が心もち青ざめた顔をして上って来た。
「とうとうつかまえましたよ。」
「そうか、どいつだった?」
「やっぱり、あの黒猫なんです。」
「へえ、そうか······」
「おばあさんが風呂場に押し込んで、棒で叩きつけて、ひるむところを取っておさえたんです。大へんでしたよ······あばれて······えらい力なんですもの。」
「そうだろう、あいつなら。······しかしそうかなあ、やっぱしあいつだったかなあ······」
猫は風呂場に縛りつけられているという。母は自分でいいようにするからといっているという。若い者には手をつけさせたがらないのだが、そうでなくても妻などは恐がってしまっている。秋の夜はもうかなり冷える頃であった。妻は寒そうにまた寝床に這入った。
私はすぐには眠れなかった。やはり彼奴であったということが私を眠らせなかった。そう意外だったという気もしなかったし、裏切られたという気もしなかった。何だか痛快なような笑いのこみあげてくるような気持だった。それは彼の大胆不敵さに対する
翌朝母は風呂場から引きずり出して裏の立木に縛りつけた。
「お母さんはどうするつもりなんだ?」
「無論殺すつもりでしょう。若いものは見るものでないといって、わたしを寄せつけないようになさるんです。」
私は母に黒猫の命乞いをしてみようかと思った。私は彼はそれに値する奴だと思った。私は彼のへつらわぬ
しかし私は母に向って言い出せなかった。現実の生活のなかでは私のそんな考えなどは、病人の
食物を狙う猫と人間の関係も、
午後、私はきまりの安静時間を取り、眠るともなしに少し眠った。妻は配給物を取りに行って手間取って帰って来た。私は覚めるとすぐにまた猫のことを思った。母は天気のいい日の例で今日もやはり一日庭に出て土いじりしているらしかった。私は耳をすましたが、裏には依然それらしい音は何もしなかった。妻は二階へ上ってくるとすぐに言った。
「おっ母さん、もう始末をなすったんですね。今帰って来て、芭蕉の下をひょいと見たら、
妻は見るべからざるものを見たというような顔をしていた。
母はどんな手段を取ったものだろう。老人の感情は時としてひどくもろいが、時としては無感動で無感情である。母は老人らしい平気さで処理したものであろう。それにしても彼はその最後の時においてさえ、ぎゃーッとも叫ばなかったのだろうか? いずれにしても私が眠り、妻が使いに出て留守であったのは幸であった。母がわざわざその時間をえらんだのだったかも知れないが。
日暮れ方、母はちょっと家にいなかった。そしてその時は芭蕉の下の莚の包みもなくなっていた。
次の日から私はまた今までのように毎日十五分か二十分あて日あたりのいい庭に出た。黒猫はいなくなって、卑屈な奴等だけがのそのそ這いまわっていた。それはいつになったらなおるかわからぬ私の病気のように退屈で愚劣だった。私は今まで以上に彼等を憎みはじめたのである。