京師室町姉小路下る染物悉皆商近江屋宗兵衛の老母おかんは、文化二年二月二十三日六十六歳を一期として、卒中の気味で突然物故した。穏やかな安らかな往生であった。配偶の先代宗兵衛に死別れてから、おかんは一日も早く、往生の本懐を遂ぐる日を待って居たと云ってもよかった。先祖代々からの堅い門徒で、往生の一義に於ては、若い時からしっかりとした安心を懐いて居た。殊に配偶に別れてからは、日も夜も足りないようにお西様へお参りをして居たから、その点では家内の人達に
信仰に凝り固まった
おかんは、浄土に対する確かな希望を懐いて、一家の心からの嘆きの裡に、安らかな往生を遂げたのである。万人の免れない臨終の苦悶をさえ、彼女は十分味わずに済んだ。死に方としては此の上の死に方はなかった。死んで行くおかん自身でさえ、段々消えて行く、狭霧のような取とめもない意識の中で、自分の往生の安らかさを、それとなく感じた位である。
宗兵衛の長女の今年十一になるお俊の||おかんは、彼女に取っては
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再びほんのりとした意識が、還って来る迄に幾日経ったか幾月経ったか、それとも幾年経ったか判らなかった。ただおかんが気の付いた時には、其処に夜明とも夕暮とも、昼とも夜とも付かない薄明りが、ぼんやりと感じられた。右を見ても左を見ても、灰色の薄闇が、層々と重って居た。足下にも汚れた古綿のような闇があった。それを踏んで居るおかんの足が、何かたしかな底に付いて居るのか何うかさえ、彼女には分らなかった。たゞ行手にだけは、右や左や上下などよりも、もっとあかるい薄闇があった。ほの/″\とした光明を包んだような薄闇があった。おかんは左右を顧みないで、たゞ一心に行手を急ぐより外はなかった。
到頭冥土へ来たことだけはハッキリと意識された。が、極楽へ行く道だろうか、地獄へ行く道だろうかと、おかんは歩きながら、疑って見た。が、そうした疑惑は、ふと足を止めた時などに、閃光のように頭を掠めるだけで、弥陀のお
何等の区劃もなく無限に続いて居る時と道とを、おかんは必死に懸命に辿り続けるだけであったが、どんなに道が長く続いても、勇ましく進むことが出来た。周囲は暗かった、背後を顧みると累々とした闇が重って行く。が、前途だけには、ほの/″\とした光があった。どんなに、此道が長く続いても、何時かは極楽へ行けるのだ。有難い御説教で、幾度も聞かされた通りお浄土へ行けるのだ。配偶の宗兵衛にも十年振に、顔を合わせることが、出来るのだ。そう思うと、おかんは新しい力を感じて来て老の足に力を入れて、懸命に歩き続けるのだった。闇とも雲とも土とも分らない道の上で何日経ったか判らない、いや日を数えるのでなく月を数えても、幾月経ったかも判らない、いやもう一二年も経って居るのかも知れない。歩きながら、そんな事を考えたほどおかんは歩き続けた。長い/\道だった。が、おかんは勇気を失わなかった。こう、根よく歩いて居る中に、何時か極楽へ着くのに違いない。そうした望みだけは、決して失わなかった。
おかんのそうした望みは、到頭実現する時が来た。そうなるまで、幾十里歩いたか、幾百里歩いたか、それとも幾千里と云う長い道路を歩いたか判らなかった。兎に角、行手のほの/″\した闇が、ほんの僅かずつ、薄紙を剥ぐように、僅かずつ白み始めて来た。おかんは、そうなるに従って、尚更足を早めた。老の足の続くかぎり一散に歩き続けた。一歩は一歩ずつ、闇が薄れた。闇の中に、乳白色の光が溢れるように遍照するのを感じた。初は不透明であった光が、だん/\透明になって行くと、それが止め度もなく、明るくなって行って、日輪月輪の光を搗き交ぜたよりも、もっと強い光の中におかんは、ふら/\と立って居る自分を見
気が付くと自分の立って居る所から、一町ばかり向うに、お西様の勅使門を十倍にもしたような大きさの御門が立って居た。おかんは、その門が屹度極楽の入口だと思ったので、急いで門の方へ行って見た。門の方へ行って見ると、門の扉は八文字に開かれて居た。おかんはオズ/\とその大きく開かれた御門の中に入った。御門の中の有様は、有難い御経の言葉と寸分違って居なかった。直ぐ眼前に広がって居るのは、七宝池の一つに違なかった。水晶を溶かしたような八功徳水が、岸を浸して湛えて居る。しかも、美しい水の底には、一面に金砂が敷かれて、降りそゝぐ空の光を照り返して居る。水を切って、車輪のように大きい真紅や雪白の蓮華が、

それでも、おかんは落着くと、夫と死に別れてから後の一部始終を話した。当代の宗兵衛が、家業に精を出す事やら嫁のお文が自分に親切にして呉れたことやら、孫娘が可愛くて/\堪らなかったことなどを、クド/\話し続けた。そうして娑婆の話が何日となく続いた。一家の中の話は、幾度も繰り返した。知人や親類の事も幾度も話した。祇園や京極の変遷なども話した。伽陵頻迦が微妙音に歌って居る空の下で、おかんは積る話を、心のまゝにした。宗兵衛も面白そうに聞いて居た。が、幾日も/\話して居る
「ほんとうに極楽じゃ。針で突いたほどの苦しみもない。」と、おかんは宗兵衛の方を顧みて云った。が、宗兵衛は不思議に何とも答えなかった。
同じような日が毎日々々続いた。毎日々々春のような光が、空に溢れて居る。澄み渡った空を、孔雀や舎利が、美しい翼を拡げて舞い遊んで居る。娑婆のように悲しみも苦しみも起らなかった。風も吹かなかった。雨も降らなかった。蓮華の
「そんな事はないじゃろう。十年なり二十年なり坐って居ると、又別な世界へ行けるのじゃろう。」と、おかんは、腑に落ちないように訊き返した。
宗兵衛は苦笑した。
「極楽より外に行くところがあるかい。」と云ったまゝ黙ってしまった。そう聴かされて見るとおかんにも宗兵衛の云って居る事が、本当であることが、解った。御門跡様のお話にも、お寺様の話の中にも、極楽以上の世界があることなどは、まだ一度も聴かされたことがなかった。もう自分達も仏になって居る以上、それより外になり様はないのだと思った。また五年ばかりの間、おかんは楽しく暮すことが出来た。何と云っても、苦労の少しもないのが、嬉しかった。微妙な天楽の響きに耳を傾けて居ても、一日位は退屈しなかった。が、五年ばかり経った時に、おかんはまた亭主に訊いてみた。
「何時まで、坐って居るのじゃろ。何時が来たら、変ったところへ行けるのじゃろ。」
「何時までも、何時までも、何時までもじゃ。」と、宗兵衛は五年ばかり前と同じように苦い顔をして答えた。おかんは、亭主が不快そうな顔をしたので、少し悄気たまゝ黙ってしまった。また二年か三年過ぎた。毎日同じような平和な無事な楽しい日が続いた。おかんは、一日ぼんやりと暮した。が、初て極楽に来た時のように、七
「何時まで坐って居るのじゃろう。何時まで、こうして坐って居るのじゃろう。」と、おかんは久し振に、宗兵衛に訊いて見た。
「くどい! 何時までも、何時までもじゃ。」と、只さえ無口になって居る宗兵衛は云ったまゝ瞑目してしまった。
無事な平穏な日が、五年経ち、十年経ち、二十年経ち、三十年経った。もうおかんが、極楽へ来てからも、五十年近くの日が経った。最初は、あのように荘厳美麗に感ぜられた七重の羅網も、七重の
「ほんまに、何時までも、茲に坐っとるものか知らん。百年か千年か、坐り続けたら、何処か別の所へ行けるのではないかしら。」
もう、何十年振かにおかんは、そんな疑問を宗兵衛に訊いて見た。その宗兵衛の顔さえ、年が年中五寸と離れない所にあるので、此頃は何となく鼻に付きかけて居る。
「くどい! 何時までも、何時までもじゃ。」と、宗兵衛は何十年前に云った答を繰り返した。
ものうい倦怠が、おかんの心を襲い始めた。娑婆に居る時は、信心の心さえ堅ければ、未来は極楽浄土へ生れられるのだと思うと、一日々々が何となく楽しみであった。あの死際に、可愛い孫女の泣き声を聞いた時でも、お浄土の事を一心に念じて居ると、あの悲しそうな泣き声までが、いみじいお経か何かのように聞えて居た。娑婆から極楽へ来る迄の、あの気味の悪い、薄闇の中を通る時でさえ、未来の楽しみを思うと、一刻でさえ足を止めたことはなかった。あんな単調な長い/\道を辿った時でも、心だけは少しも退屈しなかった。不退転の精神が、心の裡に燃えて居た。ところが、その肝心の極楽へ来て見ると、如何にも苦も悲しみもない、老病生死の厄もない。平穏な無事な生活が、永遠に続いて行くのである。が、おかんには、今日と同じ日が何時までも続くかと思うと、立って居ても堪らないような退屈が、ヒシ/\と感ぜられるのであった。が、おかんが退屈しようがしまいが、お
それから、また十年も経った頃であった。その頃になると、おかんと、宗兵衛とは、かたみ代りに、欠伸ばかり続けて居た。或日のこと、おかんはふと気が付いたように云った。
「地獄は何んな処かしらん。」
おかんに、そう訊かれた時、宗兵衛の顔にも、華やかな好奇心が咄嗟に動くのが見えた。
「そう? 何んな処だろう。恐ろしいかも知れん。が、茲ほど退屈はしないだろう。」そう云ったまま宗兵衛は、黙ってしまった。おかんも、それ以上は、話をしなかった。が、二人とも心の中では、地獄の有様を各自に、想像して居た。
又五年経ち十年経った。年が経つに連れて、おかんは極楽の凡てに飽いてしまった。五十年七十年の間、蓮の
こうして、二人は同じ蓮の