甲吉の野郎、斯う云うのだ。
「何しろ俺には年とったおふくろもあるし、女房もあるし、餓鬼もあるし||」
だからストライキには反対だと云うんだ。それから、あいつはそっと小声でつぶやく、
「若え奴らのオダテに乗れるかい」
スキャップにはスキャップの理窟があるもんだ。馘になったら困る。今の世の中に仕事を捜すだけでも大変なんだ。
「俺ア厭だよ、おふくろや女房や餓鬼を飢えさせるなア、ごめん蒙りてえのさ」
そこで俺は云ってやった。
「兄弟、お前の云うなア尤もだ。全くこの不景気じゃア、一ぺん失職したら飢死だ。が、それだから
おふくろはお前えばかりにあるんじゃないよ||俺はそうも云ってやった。あらゆるプロレタリアに家族があるんだ。もしストライキの犠牲者として職場から追っぽり出されたら、困るのは誰だって同じことだ。それを
が、そういう風で甲吉の野郎はとうとうストライキに加わらなかった。そんな仲間が、俺らの小工場の中に十四五人もあったんだ。
で、このストライキは結局、犠牲者を絶対に出さぬと云う条件で、一先ずおさまった。
「甲吉の野郎? あいつア人間じゃねえ」
裏切者! 卑怯者!
甲吉はみんなから変な眼で睨まれ始めた。
「煙草なら、あるぜ」
いつかも甲吉、ひるの休みに俺の方へバットの函をポンと投げ出したものだ。
「おい、海野、一本呉れ」
俺はスキャップの煙草なんか
「カッしても盗泉の水は飲まずか」と山木の源公が云った。
「何だい、それゃ」と、海野が立上って「インテリ臭いや、漢文じゃねえか」
云いながら、海野は俺の前につかつかと寄って来て煙草を呉れたが、ふと俺が見ると、海野の奴、その拍子に、ギュッとばかり、甲吉のバットの函の上を靴の下に踏み付けてるじゃないか。わざとだ。
俺はさすがに甲吉が気の毒になって、
「もう
それから何日かたつ頃だ、会社からの帰りみちで、うしろから俺を呼ぶものがある。
「何だ、お前えか」
俺は、俺を呼び
「みんなは若けえからストライキだって元気でやれるんだ。だが俺は||」
「もう好いよ。愚痴は云うな、甲吉」
「お前えまで、俺を······職場から出て行けがしにする」としおしおしてやがる。
「どう致しまして。お前えの首を
三カ月たった。或日||
「甲吉の野郎がやられた!」という叫びが工場中に鳴り渡った。あの、誰かが機械にやられた時、俺らの胸がドンと突く、妙に底鳴りのする叫び声だ。
俺は走って行った。人だかりを押しわけて俺は見た、甲吉の野郎、何て青い顔だ、そして血だ。片手をやられて倒れている。
誰も、ざまア見ろ、とは云わなかった。
あれは、俺らの
担架で運ばれて行く負傷者を、みんな黙々として見送った。
「俺たちを裏切ったあいつ。」
けれども、
「あいつも、
そんな気持ちだった。次ぎに、俺らは、会社が
百円||それが会社のために
「これを見ろ、
「
第二の
そのストライキに入る前の日、交渉決裂の見とおしで忙しい最中だったが、俺は少しの暇を狙って甲吉の病床を見舞った。
「俺のためにストライキをやるなア、止して呉れ」と甲吉が云った「俺ア、この前裏切ったんだから、斯うなるなア因果だと思って諦めてる」
俺は笑った。
「お前えのためじゃねえよ。
「でも、お前えら、俺を憎んでるじゃねえか。憎まれながら、お前えらのおかげで千円貰ったって嬉しかねえよ」
「どうしてお前えは、
甲吉は黙ってしまった。
俺は帰ろうとすると、彼奴は俺を呼び止めた。
「ちょっと話したい事がある」そしておっかアの方に「お前えちょっと
二人だけになった時、甲吉は云った。
「お前え、
「ううん、ちがう」
「嘘つけ」と彼は眼を尖らせた。
「何でそんな事云うんだ?」
「そんな気がする」
しばらくして、甲吉はつぶやいた。
「いや、もう遅い。片腕じゃ······
翌日の職場大会に、交渉決裂の報告を齎らした委員を迎えて、
甲吉は片腕をなくした。俺は||今ここで
||一九三一・七||