石太郎が
屁の名人であるのは、
浄光院の
是信さんに教えてもらうからだと、みんながいっていた。
春吉君は、そうかもしれないと思った。石太郎の家は、浄光院のすぐ西にあったからである。
なにしろ是信さんは、おしもおされもせぬ
屁こきである。いろいろな話が、是信さんの屁について、おとなたちや子どもたちのあいだに伝えられている。是信さんは、屁で
引導をわたすという。まさかそんなことはあるまいが、
すいこ屁(音なしの屁)ぐらいは、お
経の最中にするかもしれない。
また、ある家の
法会で
鐘をたたくかわりに、屁をひってお経をあげたという。これも、おとながおもしろ半分につくったうそらしい。だが、これだけはたしかだ。是信さんは、正午の
梵鐘をつきながら、鐘の音の数だけ、屁をぶっぱなすことができるということである。春吉君は、じぶんでその場面を見たからだ。
石太郎が是信さんの屁
弟子であるといううわさは、春吉君に、浄光院の書院まどの下の日だまりに、なかよく日なたぼっこしている是信さんと、石太郎のすがたを想像させた。茶色のはん点がいっぱいある、赤みがかったつやのよい頭を日に光らせ、洗いふるしたねずみ色の着物の
背をまるくしている、年よりの是信さん。顔のわりあいに耳がばかに大きい、まるでふたつのうちわを頭の両側につけているように見える、きたない着物の、手足があかじみた石太郎。
きっと石太郎は、学校がひけると、毎日是信さんとそういう情景をくり返しながら、
屁の
修業をつんでいるのだろう。まったくかれは屁の名人だ。
石太郎は、いつでも思いのままに、どんな種類の屁でもはなてるらしい。みんなが、大きいのをひとつたのむと、ちょっと
胸算用するようなまじめな顔つきをしていて、ほがらかに大きい屁をひる。小さいのをたのめば、小さいのを連発する。にわとりがときをつくるような音を出すこともできる。こんなのは、さすがに石太郎にもむずかしいとみえ、しんちょうなおももちで、からだ全体をうかせたりしずめたり
||つまり、調子をとりながら出すのである。そいつがうまくできると、みんなで拍手かっさいしてやる。
しかし石太郎は、そんなときでも、屁をくらったような顔をしている。その他、とうふ屋、くまんばち、かにのあわ、こごと、汽車など、石太郎の屁にみんながつけた名まえは、十の指にあまるくらいだ。
石太郎が屁の名人であるゆえに、みんなはかれをけいべつしていた。下級生でさえも、あいつ屁えこき虫と、公然指さしてわらった。それを聞いても、石太郎の同級生たちは、同級生としての
義憤を感じるようなことはなかった。石太郎のことで義憤を感じるなんか、おかしいことだったのである。
石太郎の家は、小さくてみすぼらしい。一歩中にはいると、一種異様なにおいが鼻をつき、
へどが出そうになる。そして、暗いので家の中はよく見えない。石太郎は、病気でねたっきりのじいさんとふたりだけで、その家に住んでいる。
どこかへかせぎに出ているおとっつあんが、ときどき帰ってくる。おっかあは、早く死んでしまって、いない。石太郎は、ポンツク(
川漁)にばかりいく。とってきたふなや、どじょうを、じいさんにたべさせる。また、買いにいけば、どじょうやうなぎを売ってくれるということである。
石太郎の着物は、いつ洗ったとも知れず、あかでまっ黒になっている。その着物に、家の中のあの
貧乏のにおいや、ポンツクのなまぐさいにおいをつけて、学校へやってくる。そのうえ、注文されなくてもかれは、ときおり
放屁する。
みんなは、石太郎のことを、
屁えこき虫としてとりあつかっている。石太郎のほうでも、そのほうがむしろ気楽なのか、一どもふんがいしたことはない。生徒ばかりでなく、たいていの先生まで、石太郎を虫にしているので、石太郎は、だんだんじぶんでも虫になっていった。かれは、教室で、いちばんうしろに、ひとりでふたり分のつくえをあたえられていたが、授業中にあまり授業に注意しなかった。たいていは、ナイフで鉛筆に
細工していた。またかれは、まじめになるときがなくなってしまった。屁の注文をうける場合のほかは。かれは、いつもぐにゃぐにゃし、えへらえへらわらっていた。
春吉君は、一ど、石太郎のことで、じつにはずかしいめにあったのである。
それは五年生の冬のことである。三年間受け持っていただいた、年よりの石黒先生が、
持病のぜんそくが重くなって、授業ができなくなり、学校をおやめになった。かわりに町から、わかい、ロイド
眼鏡をかけた、かみの長い
藤井先生がこられた。
春吉君の学校は、かたいなかの、
百姓の子どもばかり集まっている小さい学校なので、よそからこられる先生は、みな、都会人のように思えたのだった。藤井先生をひと目見て、春吉君はいきづまるほどすきになってしまった。文化的な感じに
魅せられたのである。石黒先生もよい先生であったが、先生は生まれが村の人なので、ことばが、生徒や村のおとなたちの使うのとほとんど変わらないし、年をとっていられるので、
体操など、ちっとも新しいのを教えてくれない。走りあいか、ぼうしとりか、それでなければ、砂場ですもうをとらせる。いちばんいやなのは、話をしている最中に、せきをしはじめることである。長い長い、苦しげなせき。そして、長いあいだ、さんざ苦労をしたあげく、のどからやっと口までうち出した
たんを、ポケットに入れて持っている新聞紙のたたんだのの中へ、ペッペッとはきこみ、その新聞紙を、まただいじそうにポケットにしまうのである。
さて、藤井先生が、はじめて春吉君の教室にあらわれた。はじめて生徒を見る先生には、生徒は、みないちように見える。よく、それぞれの生徒の生活になれると、それぞれの生徒の個性がはっきりしてくるが、顔を最初見たばかりでは、わからない。だれがりこうで、だれがしようもないあほうであるかも、わからない。
藤井先生はまず、
教卓のすぐ前にいる
坂市君にむかって、「きみ、読みなさい」といった。それは読み方の時間だった。「きみ」ということばが、春吉君をまた喜ばせた。なんという都会ふうのことばだろう。石黒先生はこんなふうにはよばなかった。先生は、生徒の名を知りすぎていたから、「
源やい読め」とか、「
照ン書け」とかいったのである。
坂市君が読んでいきながら、知らない字をのみこむようにしてとばしたり、あいまいにごまかしたりすると、石黒先生はそんなのをほったらかしておかれたのに、わかい藤井先生は、いちいち、え、え、と聞きとがめられた。そんなことまで、春吉君の気にいった。もうなにからなにまで、この先生のすることはよかった。
藤井先生は、坂市君から順順にうしろへあてられた。四人めには、春吉君がひかえている。春吉君は、この小さい組の級長である。春吉君は、きりっとした声をはりあげて、
朗々と読み、未知のわかい先生に、じぶんが秀才であることをみとめてもらうつもりで、番のめぐってくるのを、いまやおそしと待っていた。
いよいよ春吉君の番だ。春吉君は、がたっとこしかけをうしろへのけ、直立不動のしせいをとり、
読本を持った手を、思いきり顔から遠くへはなした。そして、大きくいきをすいこみ、いまや第一声をはなとうとしたとたん、つごうのわるいことが起こった。ちょうどそのとき、藤井先生は、
机間巡視の歩を教室のうしろの方へ運んでいられたが、とつじょ、ひえっというような悲鳴をあげられ、鼻をしっかとおさえられた。
みんながどっとわらった。また、
屁えこき虫の石が、例のくせを出したのである。
なんというときに、また、石太郎は屁をひったものだろう。春吉君は、
すかをくらわされたように
拍子ぬけして、わらえもしなければおこれもせず、もじもじして立っていた。
藤井先生はまゆをしかめ、あわててポケットからとり出したハンケチで、鼻をしっかとおさえたまま、こりゃひどい、まったくだ、さあまどをあけて、そっちも、こっちもと、さしずされ、しばらくじっとしてなにかを待っていられたが、やがて、おそるおそるハンケチを鼻からとられ、おこってもしょうがないというように、はっはっと、顔の一部分でみじかくわらわれた。だがすぐきっとなられて、だれですか、今のは、
正直に手をあげなさいと、見まわされた。
石だ、石だ、と、みんながささやいた。藤井先生は、その「石」をさがされた。そして、いちばんうしろの
壁ぎわに発見した。石太郎は、新しい先生だからてれくさいとみえて、つくえの上に立てた表紙のぼろぼろになった
読本のかげに、かみののびた頭をかくすようにしていた。
立っていた春吉君は、そのとき、いい知れぬ
羞恥の
情にかられた。じぶんの組に、石太郎のような、
不潔な、
野卑な、非文化的な、
下劣なものがいるということを、都会ふうの、近代的な明るい藤井先生が、どうお考えになるかと思うと、まったく、いたたまらなかった。
藤井先生は、相手を見てすこしことばの調子をおとしながら、いろいろ石太郎にきいたが、要領を得なかった。なにしろ石は、くらげのように、つくえの上でぐにゃつくばかりで、返事というものをしなかったからである。
そこで近くにいる古手屋の
遠助が、とくいになって説明申しあげた。まるで見世物の
口上いいのように、石太郎はよく
屁をひること、どんな屁でも注文どおりできること、それらには、それぞれ名まえがついていること
等等。
春吉君は、古手屋の遠助のあほうが、そんなろくでもないことを、手がら顔して語るのを聞きながら、それらのすべてのことを、あかぬけのした、頭をテカテカになでつけられた藤井先生が、どんなにけいべつされるかと思って、じつにやりきれなかったのである。
一年おきにやってくる、町の小学校との合同運動会でも、春吉君は、石太郎の存在をうらめしく思った。その日には春吉君の学校は、白いべんとうのつつみを
背中にしょって、半里ばかりの道を、町の大きい小学校へやっていく。大きなりっぱな小学校である。木づくりの古い講堂があり、えび茶のペンキでぬられた優美な鉄さくが、門の両方へのびていっている。運動場のすみには、遊動
円木や
回旋塔など、春吉君の学校にはないものばかりである。ここの小学校の生徒や先生は、みな、町ふうだ。うすいメリヤスの運動シャツ、白いパンツ、足にぬったヨジウム。そして、ことばが小鳥のさえずりににて軽快だ。
春吉君は、一歩門内にはいるときから、もうじぶんたち一団のみすぼらしさに、はずかしくなってしまう。なんという
生彩のないじぶんたちであろう。友だちの顔が、さるみたいに見える。よくまあこんな、べんとう
風呂敷をじいさんみたいにしょってきたものだ。まったくやりきれないいなかふうだ。
こういう
意識が、運動会のおわるまで、春吉君の中でつづく。ちょっとでも、じぶんたちのふていさいなことをわらわれたりすると、春吉君はつきとばされたように感じる。町の見物人たちのひとりが、春吉君のことを、まあ、じょうぶそうな色をしてと、つぶやいたとしても、春吉君は
恥辱に思うのである。町の人がおどろくほどの健康色、つまり、日焼けしたはだの色というものは、町ふうではなく
在郷ふうだからだ。
ある人びとは、
保護色性の動物のように、じき新しい
環境に同化されてしまう。で、藤井先生も、半年ばかりのあいだに、すっかり同化されてしまった。つまり都会気分がぬけて、いなかじみてしまった。洋服やシャツはあかじみ、ぶしょうひげはよくのびており、ことばなども、すっかり村のことばになってしまった。「なんだあ」とか、「とろくせえ」とか、「こいつがれ」などと、春吉君がそのことばあるがため、じぶんの
故郷をきらっているような、げびた方言を、平気で使われるのである。春吉君が、藤井先生も村の人になったということをしみじみ感じたのは、麦のかられたじぶんのある日だった。
午後の二時間め、春吉君たちは、校庭のそれぞれの場所にじんどって、水彩の写生をしていた。小使室のまど下に腰をおろして、学校のげんかんと、空色にぬられた朝礼台と、そのむこうの
けしのさいているたんざく型の花だんと、ずうっと遠景にこちらをむいて立ってる二宮金次郎の、本を読みつつ
まきをせおって歩いているみかげ石の像とをとりいれて、一心に
彩筆をふるっていた春吉君が、ふと顔をあげて南を見ると、学校の農場と運動場のさかいになっている
土手の下に腹ばって、藤井先生が、なにか土手のあちら側にむかってあいずをしていられる。
いちはやく気づいたものがもうふたり、ばらばらとそちらへ走っていくので、春吉君も
画板をおいてかけつけると、土手の下に、水を通ずるため設けてある細い土管の中へ、竹ぎれをつっこんでいる先生が、落ちかかって鼻の先にとまっている
眼鏡ごしに春吉君を見て、
「おい、ぼけんと見とるじゃねえ、あっちいまわれ。こん中に
いたちがはいっとるだぞ。今こっちからつっつくから、むこうで、
屁えこき虫といっしょにかまえとって、つかめ。にがすじゃねえぞ」
と、つばをとばしながらおっしゃった。
むこう側へこしてみると、なるほど、屁えこき虫の石太郎が、このときばかりはじつにしんけんな顔つきで、そこのどろみぞの中にひざこぶしまではいって、土管の中へ、右手をうでのつけねまでさし入れている。うでをすっかり土管の中につっこんでいるので、しぜん頭が横むけに土手の草におしつけられ、なにか、土手の中のかすかな物音に、耳をすまして聞いているといった
風情である。
じき近くにあるあひる小屋にいる二わのあひるが、人のけはいでひもじさを思い出したのか、があがあとやかましく鳴きだした。
春吉君は、どろみぞの中へとびこんでいく気にはなれなかったし、石太郎が土管のあなを受け持っているからには、よけいな手だしはしないほうがいいので、ほかのものといっしょに見ていた。
「ええか、ええかあ、にがすなよおっ」
という藤井先生の声が、地べたをはってくる。石太郎はだまって、
依然、土手の声に聞き入っていたが、やがて、土手についていたもう一方の手が、ぐっと草をつかんだかと思うと、土管の中から、右手を
徐々にぬきはじめた。
首ねっこを力いっぱいにぎりしめられていた大きな
いたちは、
窒息のためもうほとんど死んだようになっていて、土管の外へ出ると、だらりとえりまきを見るようにぶらさがったが、すこし石太郎が手をゆるめたのか、なにかかき落とそうとするように、四
肢をもがいた。するとそのとき、どろみぞからあがっていた石太郎は、ちくしょうと口ばしって、目にもとまらぬ
敏捷さで、いたちを地べたへたたきつけた。
ぼたっと重い音がして、古
いたちは、のびてしまった。春吉君は、いつも
水藻のような石太郎が、こんなにはっきり、ちくしょうっという日本語を使ったこともふしぎだったし、こんなにすばしこい
動作ができるということも不可解な気がした。
それはともかく、そのとき春吉君は、藤井先生が、このかたいなかの、学問のできない、
下劣で
野卑な生徒たちに、しごく適した先生になられたことを感じたのである。といって、べつだん失望したわけでもない。けっきょく、親しみをおぼえて、それがよかったのだ。
藤井先生は、石太郎ととらえたあのいたちを、へびつかみの
甚太郎に、二円三十銭で売った。その金で、小使いのおじさんと一ぱいやったという話を、二、三日して春吉君は、みんなからただおもしろく聞いた。先生はまだ独身で、小使室のとなりの宿直室で
寝起きしていられたのである。
教室でも先生が変化したことは、同じことだった。坂市君や、
源五兵衛君や、
照次郎君などが、知らない文字をうのみにして
読本を読んでいっても、最初のころのように、え、え、と、優美にとがめるようなことはされなくなった。年よりの、ぜんそくもちの石黒先生と同じように、知らんふりしてズボンのポケットに両手をつっこんで、つくえのあいだを散歩していられるのであった。
こういうぐあいに、すべての点で藤井先生はいなかの気ふうにならされ、のみならず、いなかふうをマスターするようにさえなったのだが、石太郎の、授業中にときどき音もなくはなつ
屁にだけは、あくまで妥協できなかったのである。
情景はおおよそ、
次第がきまっていた。まず最初にそれを発見するのは、石太郎の前にいる学科のきらいな、さわぐことのすきな、顔が
がまににている古手屋の
遠助である。かれは、先生のまじめなお話などいささかもわからないので、どんなに、クラス全体が一生けんめいに先生の話に
傾聴しているときでも「あっ、くさっ、あっ、あっ」といいだす。
すると、教室のその一
角から、「あっ、くさっ、あっ、くさっ」という声が、
波紋のようにひろがり、ざわめきだす。すると藤井先生は、あわててハンケチを胸のポケットから出す。(あまり
倉卒にとり出すので、
頭髪をすく小さいくしが、まつわってとび出したこともある)ハンケチで鼻をしっかりとおさえる。鼻声で、まどをあけろ、まどを、そっちも、こっちもと、
下知なさる。
それから南のまどぎわへ歩いていって、外の空気をすうために、ややハンケチをおはなしになる。藤井先生のいつもきまった動作がおもしろいので、生徒らは、男子も女子も、ますます、くさいとさわぐ。すると、古手屋の遠助が、きょうは
大根屁だとか、きょうはいも屁だとか、きょうは、えんどう豆屁だとか、正確にかぎわけて、手がら顔にいうのである。
みんなは、遠助の
鑑識眼を信用しているので、かれのいったとおりのことばを、また伝えはじめる。
「あ、大根屁だ。大根くせえ」
というふうに。ようやく
喧騒が大きくなったころ、先生は、
「だれだっ」
と一かつされる。一同はぴたっと沈黙する。そして申しあわせたように、教室の後方に頭をめぐらす。みんなの視線の集まるところに、屁えこき虫の石太郎が、てれた顔をつくえに近くさげて、左右にすこしずつゆすっているのである。
その
静寂の時間がやや長くつづくと、石だ、石だ、という声が、こんどはだれいうとなく、石太郎よりもっとも遠い一角より起こってくる。藤井先生は黒板のうらがわにかけてある竹のむちを持って、つかつかと石太郎のところへいき、いいかげんにしとけと、むちの
えで、石太郎のこめかみをこづかれる。そのときは先生も、石太郎と協力してとった古
いたちの代で、一ぱいいけたことは、忘れていられるように見えるのである。
こういう情景は、もうなんどくり返されたかしれない。いつも判でおしたかのごとく同じ順序で。
秋もはじめのころの、学校の前の松の木山のうれに、たくさんのからすがむれて、そのやかましく鳴きたてる声が、勉強のじゃまになる、ある晴れた日の午後であった。
春吉君たちは、六時間めの
手工をしていた。その日の手工は、かわら屋の森一君がバケツ一ぱい持ってきたねんどで、思い思いの
細工をするのである。
春吉君は茶のみ茶わんをつくっていた。ほんとうの茶わんのように、土をうすく、しかも正しい円形につくることは、なかなかよういではない。すでになんべんも、できあがった茶わんが意にみたず、ひねりつぶし、またはじめからやりなおしていた。そしてついに、こんどこそはと思われる
逸品ができあがりつつあった。春吉君は、細心の注意をはらって、竹べらをぬらしては、茶わんのはらの
凹凸をならしていった。
すっかり茶わんに心をうばわれ、ほかの、いっさいのことを忘れていたが、ふとわれに返った春吉君は、「しまった」と思った。朝からすこし腹ぐあいがわるく、なにか重いものが下腹いったいにつまっている感じで、ときどき、ぷつぷつと豆のにえるような音もしていたので、ゆだんすると
屁をするぞと、心をいましめていたのだが、ついに、しごとに熱中していて、今その屁を音もたてずにしてしまったのである。おかげで腹がかるくなったが、腹のかるくなるほどの屁というものは、はげしい臭気をともなっているはずだと、春吉君は思った。
うまくだれも気づかずにいてくれればよいがと、春吉君はひそかに願った。ならびの席にいる
源五兵衛君は、鼻じるをすすりながら、ぶかっこうに大きな動物
||たぶん、かめだろうと思われるが、ともかく四足動物の四本めの足をくっつけようと努力している。うしろの照次郎君も、
与之助君も、それぞれの制作に余念がない。
すこし時間がたった。春吉君はたすかったと思った。と、そのせつな、古手屋の遠助が、あ、くせ、と、第一声をはなった。すぐに、くせえ、くせえ、という声が、四方に伝わった。春吉君は、はずかしさで顔がほてってきた。
いつもと同じさわぎがはじまった。屁えこき虫の石太郎が屁をはなったときと、
寸分ちがわぬことが。
春吉君は、どうしていいのかわからない。もう、なりゆきにまかすばかりだ。
やがて古手屋の遠助が、きょうは
大根菜屁だといった。なんという
鋭敏な
嗅覚だろう。たしかに春吉君は、けさ大根菜のはいったみそしるでたべてきたのである。
やがてさわぎが大きくなりだしたころ、藤井先生が例によって、
「だれだっ」
とどなられた。春吉君は意味もなくねんどをひねりながら、いきをのんて、
面をふせた。みんなの視線が、ちょうどいつも石太郎の上に
蝟集するように、きょうは、じぶんにそそがれているのだと思いながら。
いまにどこからか、春吉君だという声が起こってくるにそういない、と思った。そういうふうにすっかり
観念していたので、石だ、石だ、というあやまった声があがったときには、じぶんの頭上に落ちてくるはずのげんこつが、わきにそれたように、ほっとしたきみょうな感じになった。
顔をあげてみると、意外にも、みんなの視線は、春吉君に集中されておらず、やはり石太郎の方にむいているのだ。
藤井先生が、黒板のうらにかかっているむちをとって、つかつかと石太郎の前に歩いていかれる。春吉君の心の底から、正義感がむくっと起きてきた。じぶんだといってしまおうか、しかし、だれひとり、じぶんをうたがってはいないのである。ここで白状するのは、なんともはずかしい。先生が石太郎の席に達するまでのみじかい時間を、春吉君の中で正義感と
羞恥心とが、めまぐるしい闘争をした。それが春吉君の
動悸を、
鼓膜にドキッドキッとひびくほど、はげしくした。そして、しばらく正義感がおさえられた。
反射的に、ねんどを親指と人さし指の腹ですりつぶしながら、春吉君は見ていた。石太郎はいつもと変わらず、てれた顔をつくえに近くゆすっている。いまに、おれじゃないと弁解するかと、春吉君がひそかにおそれながらも期待していたのに、その期待もうらぎられた。石太郎は、むちでこめかみをぐいとおされ、左へぐにゃりとよろけたが、
依然てれたような表情で、沈黙しているばかりである。
春吉君はよぎなく、じぶんの罪を白状させられる機会は、ついにこなかった。これでさわぎはすんでしまった。一同は、ふたたび作業にとりかかった。
しかし春吉君だけは、事がまだ終末にいたっていない。気持ちにせおいきれぬほどの負担ができてしまった。春吉君には、こんな経験は、生まれてはじめてといってもよい。春吉君はいままで、修身の教科書の教えているとおりの、正しいすぐれた人間であると、じぶんのことを思っていた。
今、じぶんが沈黙を守って、石太郎にぬれぎぬをきせておくことは、正しいことではない。じぶんは、どうどうというべきである。いまからでもよい。さあ、いまから。そう口の中でいいながら、どうしても立ちあがる勇気が出ないのであった。
春吉君はくやしさのあまり、なきたいような気持ちになってきた。それをはぐらかすために、できあがっていただいじな茶わんを、ぐっとにぎりつぶしたのである。
*
まったくこれは、春吉君にとって、この世における最初の、じぶんで処理せねばならぬ
煩悶であった。それは家へ帰ってからも、つぎの日学校にふたたびくるまでも、しつこく春吉君のあとをつけてきた。たいていのなやみは、おかあさんにぶちまければ、そして場合によっては少々なけば、解決つくのだが、こんどは、そういうわけにはいかない。
だいいち、どういっておかあさんに説明したらいいのか。雑誌がほしいとか、おとうさんのだいじな
鉢をわってしまったとかならば、かんたんにじぶんのなやみを知ってもらえるが、これはそんなやさしいものではない。複雑さが、春吉君の表現をこえている。
屁をひった話などしたら、まっさきにおかあさんはわらいだしてしまうだろう、とても、まじめにとってくれぬだろう。
春吉君は、ただじぶんの正しさというものに汚点がついたのが、しゃくだった。ちょうど、買ったばかりの白いシャツに、
汚泥の
飛沫をひっかけられたように。
石太郎にすまないという気持ちや、石太郎はぎせいに立ってえらいなという心は、ぜんぜん起こらなかった。石太郎が弁解しなかったのは、他人の罪をきて出ようというごとき
高潔な動機からでなく、かれが、歯がゆいほどのぐずだったからにすぎない。
また石太郎は、なんどむちでこづかれたとて、いっこう
骨身にこたえない。まるで日常
茶飯事のようにこころえているのだから、いささかも、かれにすまないと思う必要はないわけである。
むしろ、石太郎みたいな屁の常習犯がいたために、こんななやみが残ったのだと思うと、かれがうらめしいのである。
しかし、ときが、春吉君の
煩悶を解決してくれた。十日もすると、もうほとんど忘れてしまった。
だが春吉君は、それからのち、屁そうどうが教室で起こって、例のとおり石太郎がしかられるとき、けっしていぜんのようにかんたんに、それが石太郎の屁であると信じはしなかった。だれの屁かわからない。そしてみんなが、石だ、石だといっているときに、そっとあたりのものの顔を見まわし、あいつかもしれない、こいつかもしれないと思う。
うたがいだすと、のこらずのものがうたがえてくる。いや、おそらくは、だれにもいままでに、春吉君と同じような経験があったにそういないと考えられる。
そういうふうに、みんな
狡猾そうに見える顔をながめていると、なぜか春吉君は、それらの少年の顔が、その父親たちの狡猾な顔に見えてくる。おとなたちが、せちがらい世の中で、表面はすずしい顔をしながら、きたないことを平気でして生きていくのは、この少年たちが、ぬれぎぬをものいわぬ石太郎にきせて知らん顔しているのと、なにか、にかよっている。しぶんもそのひとりだと反省して、
自己嫌悪の情がわく。だが、それは強くない、心のどこかで、こういう種類のことが、人の生きていくためには、
肯定されるのだと、春吉君には思えるのであった。