一
源作の息子が
源作の
「お前とこの、子供は、まあ、中学校へやるんじゃないかいな。
二
おきのは、自分から、子供を受験にやったとは、一と言も
最初、
「まあ、えら者にしようと思うて学校へやるんじゃぁろう。」と、他人から云われると、おきのは、肩身が広いような気がした。嬉しくもあった。
「あんた、あれが
「いゝや。俺は何も云いやせんぜ。」と源作はむし/\した調子で答えた。
「そう。······けど、早や皆な知って了うとら。」
「ふむ。」と、源作は考えこんだ。
源作は、十六歳で父親に死なれ、それ以後一本立ちで働きこみ、四段歩ばかりの畠と、二千円ほどの金とを作り出していた。彼は、五十歳になっていた。若い時分には、二三万円の金をためる意気込みで、喰い物も、ろくに食わずに働き通した。併し、彼は最善を尽して、よう/\二千円たまったが、それ以上はどうしても積りそうになかった。そしてもう彼は人生の下り坂をよほどすぎて、精力も衰え働けなくなって来たのを自ら感じていた。十六からこちらへの経験によると、彼が困難な労働をして僅かずつ金を積んで来ているのに、醤油屋や地主は、別に骨の折れる仕事もせず、沢山の金を儲けて立派な暮しを立てていた。また彼と同年だった、地主の三男は、別に学問の出来る男ではなかったが、金のお蔭で学校へ行って今では、
百姓達は、今では、一年中働きながら、
二人の子供の中で、姉は、去年隣村へ
「具合よく通ってくれりゃえいがなあ。」と彼は茶碗を置いて云った。
「そりゃ、通るわ。一年からずっと一番ばかりでぬけて来たんじゃもの。」と、おきのは源作の横広い頭を見て云った。
「いゝや、それでも市に行きゃえらい者が多いせにどうなるやら分らんて。」
「毎朝、私、観音様にお願を掛けよるんじゃものきっと通るわ。」
源作は、それには答えなかった。彼は、息子が中学を卒業して、高等工業へ入って、出ると、工業試験場の技師になり、百二十円の月給を取るのを想像していた。
三
市の従弟から葉書が来た。息子は丈夫で元気が好いと書いてあった。県立中学は、志願者が非常に多いと云って来た。市内の小学校を出た子供は、先生が六カ月も前から、
「通ったらえらいものじゃがなあ。」源作は、葉書を
「もっと熱心にお願をするわ。」
こういうことを、神仏に願っても、効くものでない、と常々から思っている源作も、今は、妻の言葉を退ける気になれなかった。
源作が野良仕事に出ている留守に、おきのの叔父が来た。
「そちな、子供を中学校へやったと云うじゃないかいや。一体、何にする積りどいや。[#底本では「。」は脱落]」と叔父は、磨りちびてつるつるした縁側に腰を下して、おきのに訊ねた。
「あれを今、学校をやめさして、働きに出しても、そんなに銭はとれず、そうすりゃ、あれの代になっても、また一生頭が上がらずに、貧乏たれで暮さにゃならんせに、今、ちいと物入れて学校へでもやっといてやったら、また何ぞになろうと思うていない。」と、おきのは答えた。
「ふむ。そりゃ、まあえいが、中学校を上ったって、えらい者になれやせんぜ。」
「うちの源さん、まだ上へやる云いよらあの。」
「ふむ。」と、叔父は、暫らく頭を傾けていた。
「庄屋の旦那が、貧乏人が子供を
「そうかいな。」
「
「はあ。」
「ようく、気をつけにゃならんぜ······」と叔父は念をおした。そして、立って豚小屋を見に行った。
「この
親豚は、一カ月程前に売って、仔豚のつがいだけ飼っている。その牝の方を指して叔父はそう云った。
「はあ。」と、おきのは云って、彼女も豚小屋の方へ行った。
「豚を十匹ほど飼うたら、子供の学資くらい取られんこともないんじゃがな、······何にせ、ここじゃ、貧乏人は上の学校へやれんことにしとるせに、奉公にやったと云うとかにゃいかんて。」と、叔父は繰り返した。
おきのは、叔父の注意に従って、息子のことを訊ねられると、傘屋へ奉公に出したと云った。併し、村の人々は、彼女の言葉を本当にしなかった。でも、頑固に、「いいえいな、
が、人々は却って皮肉に、
「お前んとこにゃ、なんぼかこれが(と
おきのは、
「もういっそ、やめさして、奉公にでも出すかいの。」と源作に云ったりした。
「奉公やかい。」と、源作は、一寸冷笑を浮べて、むしむしした調子で、「
おきのは、叔父の話をきいたり、村の人々の皮肉をきいたりすると、息子を学校へやるのが良くないような気がするのだったが、源作の云うことをきくと、源作に十二分の理由があって、簡単、明瞭で、
四
試験がすんで、帰るべき筈の日に、おきのは、
やがて、汽車が着くと、庄屋や、醤油屋や、呉服屋などの坊っちゃん達が降りて来た。
「お母あさん。」と、醤油屋の坊っちゃんは、プラットホームに降りると、すぐ母を見つけて、こう叫びながら、奥さんのいる方へ走りよった。片隅からそれを見ていたおきのは、息子から、こうなれなれしく、呼びかけられたら、どんなに嬉しいだろうと思った。
「坊っちゃんお帰り。」と庄屋の下婢は、いつもぽかんと口を開けている、少し馬鹿な庄屋の息子に、
おきのは、改札口を出て来る下車客を、一人一人注意してみたが、彼女の息子はいなかった。確かに、今、下車した坊っちゃん達と一緒に、試験がすんで帰って来る筈だった。村をたって行った日は
「僕、算術が二題出来なんだ。国語は満点じゃ。」醤油屋の坊っちゃんは、あどけない声で奥さんにこんなことを云いながら、村へ通じている県道を一番先に歩いた。それにつづいて、下車客はそれぞれ自分の家へ帰りかけた。
「谷元は、皆な出来た云いよった。······」こういう坊っちゃんの声も聞えた。谷元というのは源作の姓である。
おきのは、走りよって、息子のことを、訊ねてみたかったが、醤油屋へ、
停車場には、駅員の外、誰れもいなくなった。おきのは、
若旦那の方に向いて、しきりに話している坊っちゃんの顔に、彼女は注意を怠らなかった。そして、話が一寸中断したのを見計らって、急に近づいて、息子のことをきいた。
「谷元はまだ残っとると云いよった。」と、坊っちゃんは、彼女に答えた。
「試験はもうすんだんでござんしょうな。」
「はあ、僕等と一緒にすんだんじゃが、谷元はまだほかを受ける云いよった。」
「そうでござんすか。どうも有りがとうさん。」と、おきのは頭を下げた。彼女は若旦那に顔を見られるのが妙に苦るしかった。
翌日の午後、従弟から葉書が来た。県立中学に多分合格しているだろうが、若し駄目だったら、私立中学の入学試験を受けるために、成績が分るまで子供は帰らせずに、引きとめている。ということだった。
「もう通らなんだら、私立を受けさしてまで中学へやらいでもえいわやの。家のような貧乏たれに
源作は黙っていた。彼も、私立中学へやるのだったら、あまり気がすすまなかった。
五
村役場から、税金の取り立てが来ていたが、丁度二十八日が日曜だったので、二十九日に、源作は、銀行から預金を出して役場へ持って行った。もう昨日か、一昨日かに村の大部分が納めてしまったらしく、他に誰れも行っていなかった。収入役は、金高を読み上げて、二人の書記に
「おい、源作!」
ふと、
「はあ。」と、源作は、小川に気がつくと答えた。小川は、自分が村で押しが利く地位にいるのを利用して、貧乏人や、自分の気に食わぬ者を困らして喜んでいる男であった。源作は、
「源作、一寸、こっちへ来んか。」
源作は、呼ばれるまゝに、恐る/\小川の方へ行った。
「源作、お前は今度息子を中学へやったと云うな。」肥った、眼に角のある、村会議員は太い声で云った。
「はあ、やってみました。」
「わしは、お前に、たってやんなとは云わんが、
源作は、ぴく/\唇を顫わした。何か云おうとしたが、小川にこう云われると、彼が前々から考えていた、自分の金で自分の子供を学校へやるのに、他に
「税金を持って来たんか。」
「はあ、さようで······」
「それそうじゃ。税金を期日までに納めんような者が、お前、息子を中学校へやるとは以ての外じゃ。子供を中学やかいへやるのは国の務めも、村の務めもちゃんと、一人前にすましてからやるもんじゃ。||まあ、そりゃ、お前の勝手じゃが、兎に角今年から、お前に一戸前持たすせに、そのつもりで居れ。」
小川は、なお、一と時、いかつい眼つきで源作を見つめ、それから怒っているようにぷいと助役の方へ向き直った。収入役や書記は、
彼は、税金を渡すと、すごすご役場から出て帰った。
昼飯の時、
「今日は頭でも痛いんかいの。」と、おきのは彼の憂鬱に硬ばっている顔色を見て訊ねた。彼は黙って何とも答えなかった。
飯がすんで、二人づれで畠へ行ってから、おきのは、
「家のような貧乏たれに、市の学校やかいへやるせに、村中大評判じゃ。始めっからやらなんだらよかったのに。」と源作に云った。
源作は何事か考えていた。
「もう県立へ通らなんだら、私立へはやるまいな。早よ呼び戻したらえいわ。」
「うむ。」
「
暫らくして、
「そんなら、呼び戻そうか。」と源作は云った。
「そうすりゃえいわ。」おきのはすぐ同意した。
源作は畠仕事を途中でやめて、郵便局へ電報を打ちに行った。
「チチビヨウキスグカエレ」
いきなりこう書いて出した。
帰りには、彼は、何か重荷を下したようで胸がすっとした。
息子は、びっくりして十一時の夜汽車であわてゝ帰って来た。
三日たって、県立中学に合格したという通知が来たが、入学させなかった。
息子は、今、醤油屋の小僧にやられている。
(大正十二年三月)