火薬庫
例の青蛙堂主人から再度の案内状が来た。それは四月の末で、わたしの庭の遅桜も散りはじめた頃である。定刻の午後六時までに小石川の青蛙堂へ
「先月第一回のお集まりを願いました節は、あいにくの雪でございましたが、今晩は幸いに晴天でまことに結構でございました。今晩お越しを願いました皆様のうちには、前回とおなじお方もあり、また違ったお顔も見えております。そこで、こう申し上げると、わたくしは甚だ移り気な、あきっぽい人間のように
青蛙堂鬼談が今夜は青蛙堂探偵談に変わろうというのである。この注文を突然に提出されて、一座十五六人はしばらく顔をみあわせていると、主人はかさねて言った。
「もちろん、ここにお集まりのうちに本職の人のいないのは判っておりますから、当節のことばでいう本格の探偵物語を伺いたいと申すのではございません。今晩は単に一種の探偵趣味の会合として、そういう趣味に富んだお話をきかして下さればよろしいので、なにも人殺しとか泥坊とかいうような警察事故に限ったことではないのでございます。そこで、どなたからと申すよりも、やはり前回の先例にならいまして、今晩もまず星崎さんから口切りを願うわけにはまいりますまいか。」
星崎さんは前回に「青蛙神」の怪を語った人である。名ざしで引き出されて、頭をかきながらひと膝ゆすり出た。
「では、今夜もまた前座を勤めますかな。なにぶん突然のことで、面白いお話も思い出せないのですが······。わたしの友人に佐山君というのがおります。現在は××会社の支店長になって
こういう前置きをして、彼はかの佐山君と火薬庫と狐とに関する一場の奇怪な物語を説き出した。
遼陽陥落の報知は無論に歓喜の声をもって日本じゅうに迎えられたが、殊に師団の所在地であるだけに、ここの気分はさらに一層の歓喜と誇りとをもって満たされた。盛大な提灯行列が三日にわたって行なわれて、佐山君の店の人達も疲れ切ってしまうほどに毎晩提灯をふって歩きつづけた。声のかれるほどに万歳を叫びつづけた。そのおびただしい疲労のなかにも、会社の仕事はますます繁劇を加えるばかりで、佐山君らはほとんど不眠不休というありさまで働かされた。
けさも朝から軍需品の材料をあつめるために、町から四里ほども
「そんなに急いで帰るにも及ぶまい。おれは今日だけでもほかの人達の三倍ぐらいも働いたのだ。」
こんな自分勝手の理屈を考えながら、佐山君は川柳の根方に腰をおろして、鼠色の夕靄がだんだんに浮き出してくる川しもの方をゆっくりと眺めていた。川のむこうには雑木林に深くつつまれた小高い丘が黒く横たわって、その丘には師団の火薬庫のあることを佐山君は知っていた。そうして、その火薬庫付近の
煙草好きの佐山君は一本の煙草をすってしまって、さらに第二本目のマッチをすりつけた時に、釣竿を持った一人の男が蘆の葉をさやさやとかき分けて出て来た。ふと見るとそれは向田大尉であった。佐山君はほとんど毎日のように師団司令部に出入りするので、監理部の向田大尉の顔をよく見識っていた。
「今晩は······。」と、佐山君は起立して、うやうやしく敬礼した。
大尉はたしかにこっちをじろりと見返ったらしかったが、そのまま
「わざと知らぬ顔をしていたのかも知れない。」
大尉は忙がしい暇をぬすんで、自分の好きな魚釣りに出て来た。そこを自分に認められた。この軍国多事の際に、軍人が悠長らしく釣竿などを持ち出しているところを、人に見つけられては工合が悪いので、かれはわざと知らぬ顔をして行き過ぎてしまった。||そんなことは実際ないともいえない。佐山君は大尉が無愛想の理由をまずこう解釈して、そのままに自分の店へ帰った。夕飯を食うときに、佐山君は古参の朋輩に訊いた。
「向田大尉は釣りが好きですか。」
「釣り······。」と、かれはすこし考えていた。「そんな話は聞かないね。向田大尉は非常な勉強家で、暇さえあれば家で書物と首っぴきだそうだ。」
川端でさっき出逢った話をすると、かれは急に笑い出した。
「そりゃきっと人違いだよ。大尉はこのごろ非常に忙がしいんだから、悠々と釣りなんぞしている暇があるものか、夜ふけに家へ帰って寝るのが関の山だよ。第一、あの川で何が釣れるものか。ずっと
そう聞くと、どうも人違いでもあるらしい。うす暗い川端で自分は誰かを見あやまったのであろう。かれが挨拶なしに行き過ぎてしまったのも無理はなかった。勤勉の大尉殿がこの際に、見す見す釣れそうもない所で悠々と糸を垂れている筈がない。こう思いながらも、佐山君の胸にはまだ幾分の疑いが残っていて、蘆のあいだから釣竿を持って出て来た人は、どうも向田大尉に相違ないらしく思われてならなかった。しかしどちらにしたところで、それがさしたる大問題でもないので、佐山君もその以上に深く考えて見ようともしなかった。
「それとも、君は狐に化かされたのかも知れないよ。」と、朋輩はからかうように又笑った。「君も知っているだろうが、あの火薬庫の近所には狐や狸がたびたび出て来るんだからね。この頃は
「そうかも知れない。」
佐山君も笑った。しかし内心はあまり面白くなかった。どう考えても、かの男は向田大尉に相違ないように思われた。なんとかして大尉が確かにあすこで魚釣りをしていたという証拠をつかまえて、自分をあざけっている朋輩どもを降参させてやりたいようにも思ったが、この上にそんなことを考えるべく彼はあまりに疲れていた。十時頃に店の用を片付けて、佐山君は自分の下宿さきへ帰った。
疲れている彼は、寝床へもぐり込むとすぐにぐっすりと寝入ってしまった。そうしてこの一夜のうちに、どこでどんなことが起こっていたかをなんにも知らなかった。夜があけていつもの通りに出勤すると、どこで聞き出して来たのか、店員たちの間にはこんな奇怪な噂が伝えられた。
「向田大尉がゆうべ火薬庫のそばで殺されたそうだ。」
「いや、大尉じゃない。狐だそうだ。」
きのうの夕方の一条があるので、この話は人一倍に佐山君の耳に強くひびいた。彼はその事件の真相を確かめたいのと、ほかにも店の用事があるのとで、かたがた例よりは早く司令部へ出張すると、司令部の正門からちょうど向田大尉の出て来るのに出逢った。大尉はふだんよりも少し蒼ざめた顔をしていたが、佐山君に対してはやはり丁寧に挨拶して行き過ぎた。呼び止めて、きのうの釣りのことを訊いてみようかとも思ったが、場合が場合であるので、佐山君は遠慮しなければならなかった。
いずれにしても、向田大尉が健在であることは疑うまでもない。大尉が殺されたのではない、狐が殺されたのかも知れない。大尉と狐と、その間にどういう関係があるのか。佐山君はいよいよ好奇心にそそられて、足早に司令部の門をくぐった。店の用向きをまず済ませてしまって、それからだんだん聞いてみると、大尉殿の噂はみな知っていた。時節柄そんな噂を伝えると、それから又いろいろの間違いを生ずるというので、司令部では固く秘密を守るように言い渡したのであるが、問題が問題であるだけにその秘密が完全に防ぎ切れないらしく、将校たちはさすがに口をつぐんでいても、兵卒らは佐山君にみな打ち明けて話した。
「狐が向田大尉どのに化けたのを、哨兵に殺されたのさ。」
佐山君はあっけに取られた。
司令部の門を出ると、佐山君と相前後して戸塚特務曹長が出て行った。特務曹長とも平素から懇意にしているので、佐山君は一緒にあるきながら又訊いた。
「ほんとうですか。火薬庫の一件は······。」
「ほんとうです。」と、特務曹長は真面目にうなずいた。「わたしは大尉殿に化けているところも見ました。」
「狐が大尉殿に化けたのですか。」
「そうであります。司令部にかつぎ込んだ時には、たしかに大尉殿であったのです。それがいつの間にか狐に変わってしまったのです。」
「たしかに大尉殿であったのですか。」と、佐山君は念を押した。
「そうであります。わたしも確かに見ました。」
一方の大尉が無事である以上、殺された大尉殿は狐でなければならない。しかしそれがどうしても佐山君には信じられなかった。昔話ならば格別、実際に於いてそんな事実が決してあり得べき筈がないと彼は思った。戸塚特務曹長はこれからその件に就いて火薬庫まで行くというので、佐山君もかれと一緒に行って現場の様子を見とどけ、あわせて昨夜の出来事の真相を知りたいと思って、かの川べりの丘の方へ肩をならべて歩き出した。
「で、いったいゆうべの事件というのはどうしたのですか。狐が大尉どのに化けて、何かいたずらでもしたのですか。」
「それはこういう訳です。」と、特務曹長は薄い口髭をひねりながら、重い口でぽつりぽつりと話し出した。「ゆうべ、いや今朝の一時頃です。あの火薬庫の草むらの中にぼんやりと灯のかげが見えたのです。あの辺は灌木やすすきが一面に生い茂っている所で、その中から灯が見えたかと思ううちに、ひとりの人間が提灯を持って火薬庫の前へ近寄って来ました。哨兵がよく見ると、それは向田大尉殿でありました。哨兵はむろん大尉殿の顔を識っています。ことに大尉殿は軍服を着て、司令部の提灯を持っているのですから、なんにも疑うところはないのであるが、軍隊の規律としてただ見逃がすわけには行かないので、哨兵は銃剣をかまえて『誰かッ』と声をかけたのです。けれども相手はなんにも返事をしない。哨兵は再び声をかけて『停まれッ』といったのですが、やはり停まらない。三度目に声をかけても、やはり黙っているので、哨兵はもう猶予するわけには行かなくなったのです。」
「でも、見す見す向田大尉殿だったのでしょう。」と、佐山君はさえぎるように言った。
「軍隊の規律ですから已むを得ません。」と、特務曹長はおごそかに答えた。「殊に火薬庫の歩哨は重大の勤務であります。三度まで声をかけても答えない以上、それが見す見す向田大尉殿であっても打っちゃっては置かれません。哨兵は駈け寄って、その銃剣でひと突きに突き殺してしまったのです。そうして、その次第を報告すると、司令部の方でも大騒ぎになって、当直の将校たちもすぐに駈け付けてみると、死んでいるのは確かに向田大尉殿でありました。」
「あなたも現場へ出向かれたのですか。」と、佐山君は
「いや、わたしは行きませんでした。しかしその死体を運び込んで来るのは見ました。大尉殿は軍服を着て、顔の上に軍帽が乗せてありました。そこで、まず大尉殿の自宅へ通知すると、大尉どのはちゃんと自宅に寝ているのです。大尉殿が無事に生きているというのを聞いて、みんなも又おどろいて再びその死体をあらためると、それはどうしても大尉殿に相違ないのです。そうして、たしかに大尉殿の軍服と軍帽を着けているのです。ただ、帯剣だけはなかったのです。そのうちに、ほんとうの大尉どのが司令部に出て来て、自分でも呆れている始末です。」
この奇怪な出来事の説明をきかされながら、佐山君はあかるい秋の日の下をあるいているのであった。大空は青々と澄み切って、火薬庫の秘密をつつんだ雑木林の丘は、砂のように白く流れて行く雲の下に青黒く沈んでいた。特務曹長はひと息ついて又語り出した。
「なにしろ、大尉の服装をした人間が火薬庫の付近を徘徊していたのは事実で、しかも今は戦時であるから、問題はいよいよ重大になったのであります。で、その怪しい死体を一室にかつぎ込んで、今井副官殿と、安村中尉殿と、本人の向田大尉殿とが厳重に張番して、ともかくも夜の明けるのを待っていたのです。すると、不思議なことには、夜がだんだんに白んで来ると、その死体がいつの間にか狐に変わってしまったのです。軍服はやはりそのままで、軍帽を乗せられていた人間の顔が狐になっているのです。靴はどうなったのか判りません。かれが持っていたという司令部の提灯も、普通の白張りの提灯に変わっているのです。これにはみんなも又おどろかされて、大勢の人達を呼びあつめて立会いの上でよく検査すると、かれはどうしても人間でない、たしかに古狐であるということが判ったのです。その狐はわたしも見ました。由来、火薬庫の付近には古狐がたくさん棲んでいると伝えられているのですが、その狐が何かのいたずらをするつもりで、かえって哨兵に突き殺されたのだろうというのです。余り奇怪な話で、われわれには殆んど信じられないことですが、何をいうにも論より証拠で、そこに一匹の狐の死体が横たわっているのであるから仕方がない。どう考えても不思議なことであります。」
「実に不思議です。」と、佐山君も溜め息をついた。ゆうべ逢った魚釣りの人もやはりその狐ではなかったかとも思われた。
戸塚特務曹長が平素から非常にまじめな人物であることを佐山君はよく知っていた。口では信じられないと言いながらも、特務曹長は
「大尉殿に化けた狐が殺されたのは、この辺だそうです。」
特務曹長は指さして教えた。それは火薬庫の門前で、枯れたすすきが大勢の足あとに踏みにじられて倒れているほかには、なんにも新しい発見はなさそうであった。
特務曹長に別れて帰る途中も、佐山君はこの奇怪な事件の解決に苦しんでいた。どう考えても、そんな不思議がこの世の中にあるべき筈がなかった。しかし何処の国でも戦争などの際にはとかくいろいろの不思議が伝えられるもので、現に戦死者の魂がわが家に戻って来たというような話が、この町でも幾度か伝えられている。こうした場合には狐が人間に化けたというような信じがたい話も、案外なんらの故障なしに諸人に受け入れられるものである。佐山君が店へ帰ってそれを報告すると、平素はなにかにつけて小理屈を言いたがる人達までが、ただ不思議そうにその話をきいているばかりで、正面からそれを言い破ろうとする者もなかった。
いかに秘密を守ろうとしても、こういうことは自然に洩れやすいもので、火薬庫の門前に起こった奇怪の出来事の噂はそれからそれへと町じゅうに拡がった。それには又いろいろの尾鰭をそえて言いふらすものもあるので、師団の方では、この際あらぬ噂を伝えられて、いよいよ諸人の疑惑を深くするのを懸念したのであろう、町の新聞記者らをよび集めて、その事件の顛末をいっさい発表した。それは佐山君が戸塚特務曹長から聞かされたものと殆んど大同小異であった。諸新聞はその記事を大きく書いて、大尉に化けたというその狐の写真までも掲載したので、その噂にふたたび花が咲いた。
それと同時に、また一種の噂が伝えられた。向田大尉はほんとうに死んだらしいというのである。狐が殺されたのではなく、向田大尉が殺されたのである。現にその事件の翌夜、大尉の自宅から白木の棺をこっそりと運び出したのを見た者があるというのである。しかし佐山君は、すぐにその噂を否認した。狐が殺されたという翌朝、自分は司令部の門前で確かに向田大尉と顔を見あわせて、いつもの通りに挨拶までも交換したのであるから、大尉が死んでしまった筈は断じてないと、佐山君はあくまでも主張していると、あたかもそれを裏書きするように、また新しい噂がきこえた。大尉の家から出たのは人間の葬式ではない、かの古狐の死骸を葬ったのである。畜生とはいえ、仮りにも自分の形を見せたものの死骸を野にさらすに忍びないというので、向田大尉はその狐の死骸をひき取って来て、近所の寺に葬ったというのであった。
「そうだ。きっとそうだ。」と、佐山君は言った。
しかし、ここに一つの不審は、その後に司令部に出入りする者が曽て向田大尉の姿を見かけないことであった。大尉は病気で引き籠っているのだと、司令部の人達は説明していたが、なにぶんにも本人の姿がみえないということが諸人の疑いの種になって、大尉の葬式か、狐の葬式か、その疑問は容易に解決しなかった。ある時、佐山君が支店長にむかって、向田大尉殿はたしかに生きていると主張すると、支店長は意味ありげに苦笑いをしていた。そうして、こんなことを言った。
「狐の葬式はどうだか知らないが、向田大尉は生きているよ。」
そのうちに、十月ももう半ばになって、沙河会戦の新しい公報が発表された。町の人達の注意は皆その方に集められて、狐の噂などは自然に消えてしまった。ここは冬が早いので、火薬庫付近の草むらもだんだんに枯れ尽くした。沙河会戦の続報もたいてい発表されてしまって、世間では更に新しい戦報を待ちうけている頃に、向田大尉は突然この師団を立ち去るという噂がまた聞こえた。これで大尉が無事に生きている証拠は挙がったが、他に転任するともいい、あるいは戦地に出征するともいい、その噂がまちまちであった。佐山君の支店ではこれまで商売上のことで、向田大尉には特別の世話になっていた。ことに平素から評判のよかった人だけに、突然ここを立ち去ると聞いて、誰もかれも今さら名残り惜しいようにも思った。
支店長は相当の餞別を持って、向田大尉の自宅をたずねた。そうして、むろん司令部からも手伝いの者が来るであろうが、出発前に何かの用事があれば遠慮なく言い付けてくれと言い置いて帰った。その翌日、支店長の命令で、佐山君とほかに一人の店員が大尉の家へ顔を出すと、家じゅうは殆んどもう綺麗に片付いていた。大尉は細君と女中との三人暮らしで、別に大した荷物もないらしかった。
「やあ、わざわざ御苦労。なに、こんな小さな家だから、なんにも片付けるほどの家財もない。」
大尉は笑いながら二人を茶の間に通した。全体が
「皆さんにも折角お馴染みになりましたのに、急にこんなことになりまして······。」と、細君は自分で茶や菓子などを運んで来た。
細君の暗い顔が佐山君の注意をひいた。もう一つ、かれの眼についたのは、茶の間の仏壇に新しい白木の位牌の見えたことであった。仏壇の戸は開かれて線香の匂いが微かに流れていた。
どこへ転任するのか、あるいは戦地へ出征するのか、それに就いては大尉も細君もいっさい語らなかった。佐山君たちも遠慮してなんにも訊かなかった。混雑の際に邪魔をするのも悪いと思って、二人は早々に暇乞いをした。
「そうしますと、別に御用はございませんかしら。」
「ない、ない。」と、大尉は笑いながら首をふった。「支店長にもどうぞよろしく。」
「はい。いずれお見送りに出ます。」
二人は店へ帰ってその通りを報告すると、支店長は黙ってうなずいていた。しかし彼の顔色もなんだか
「いい人だっけがなあ。」
それから半月ほど経って、向田大尉から支店長にあてた郵便が到着した。状袋には単に向田とばかりで、その住所番地は書いてなかったが、消印が東京であることだけは確かに判った。佐山君はその郵便物を支店長の部屋へ持って行くと、彼は待ちかねたようにそれを受け取った。
「向田大尉殿は東京へ行ったのですか。」と、佐山君は訊いた。
「そうだ。」と、支店長は気の毒そうに言った。「今だから言うが、あの人はやめたんだよ。」
「なぜです。」
「悪い弟を持ったんでね。」
支店長はいよいよ気の毒そうな顔をしていたが、その以上の説明はなんにも与えてくれなかった。向田大尉||あの勤勉な向田大尉は、軍国多事の際に職をやめたのである。佐山君もなんだか暗い心持になって、黙って支店長の前を退いた。
「お話はまずこれぎりです。」と、星崎さんは言った。「佐山君もその以上のことは実際なんにも知らないそうです。しかし支店長のただ一句、||悪い弟を持った||それからだんだん推測すると、この事件の秘密もおぼろげながら判って来るようにも思われます。向田大尉には弟がある。それがよくない人間で、どこからか大尉のところへふらりと訪ねて来た。佐山君が川べりで夕方出逢った男は、おそらく本人の大尉でなく、その弟であったろうと思われます。兄弟であるから顔付きもよく似ている。ことに夕方のことですから、佐山君が見違えたのかも知れません。いや、佐山君ばかりでなく、火薬庫の哨兵も司令部の人達も、一旦は見あやまったのでしょう。して見ると、狐が大尉に化けたのではなく、弟が大尉に化けたのらしい。その弟がなぜまた夜ふけに火薬庫の付近を徘徊していたのかそれはよく判りません。それが戦争中であるのと、本人がよくない人間であるのと、この二つを結びあわせて考えれば、大抵は想像が付くようにも思われます。弟が突き殺されてしまったところへ、兄の大尉が駈けつけて来て、いっさいの事情が明白になった結果、大尉の同情者の計らいで、その死体がいつの間にか狐に変わって、何事も狐の
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剣魚
「へへえ、お珍らしいステッキでございますねえ。」
宿のお島さんが頓狂な声を出したので、僕もびっくりして振り向いた||と、F君が代って話し出した。それはF君が
それでも宿には三人の女中がいた。いずれも土地の者で、あまり気のきいたのは少なかったが、その
こういうと、ひどくお島さんに肩を入れるようだが、実際、逗留中はお島さんの世話になったよ。なかなかよく気のつく人でね||と、F君は更に説明した。
そのお島さんがだしぬけにステッキをほめたので、僕も振り返って、そのステッキとステッキの持ち主とをじろりとみると、ステッキの持ち主は三十ぐらいの紳士で、すこし痩せた蒼白い顔に金ぶちの眼鏡をかけていた。九月ももう末で、朝晩は少しひやひやする風が吹くので、この紳士はセル地の
「なんでしょうねえ。なにかの角ですかしら。」と、お島さんはステッキをひねくって眺めていると、青年紳士はにやにや笑っていた。
「それはね、アメリカへ行ったときに買って来たのだ。それでも、外国では風流な人が持つのだそうだ。」
「一体なんでございます。」
「なんということはない。まあ、こんなものさ。ははははは。」
説明して聞かせても判るまいといったような顔をして、紳士は笑いながらそのステッキを振って、表へぶらぶら出て行ってしまった。お島さんはまだ気になると見えて、今度はそばに立っている僕の方へ話を向けた。
「ねえ、福原さん。あれは何でしょうね。」
「さあ、けものの角か、さかなの歯か、何かそんなものらしいね。」
「あんな長い歯や口ばしがあるでしょうか。」
「そりゃないとも限らない。ウニコールもあるからね。」
「ウニコールって何です。」
僕も面倒になって来たので、かの紳士とおなじようにいいかげんな返事をして表へ出てしまった。お島さんにむかってウニコールの講釈をしているよりも、早く海岸へ出て夕方のすずしい空気を呼吸したいと思ったからであった。表へ出て、まだ一間とは歩き出さないうちに、うしろからお島さんが追いかけて来た。
「福原さん、これあなたのじゃありませんか。」
入口の土間に落ちていたといって、お島さんは新しいハンカチーフをひろって来て見せた。
「僕のじゃない。」
「じゃあ、あの水沢さんのに違いない。あなたも海岸へ行くなら同じ道でしょう。途中で逢ったら届けてあげて下さいな。」
ハンカチーフを僕の手に押し付けて、お島さんは内へ引っ込んでしまった。夏の初めから三月あまりも逗留して、家の人達ともみんな心安くなっているので、お島さんも遠慮なしにこんな用を言い付けたのであろうが、言い付けられた僕はあまり有難くなかった。
「へん、いい
僕はそのハンカチーフをたもとへ押し込んで、町から海岸の方へ出ると、水沢のうしろ姿は一町ほど先きに見えた。息を切って追いかけて行くのもばかばかしいと思ったので、僕は相変わらずぶらぶら歩いて行くと、青空には秋の雲が白く流れて、頭の上はまだなかなか暮れそうもなかったが、水の上は磯ばたの砂の色とおなじように薄暗くにごって来た。
僕はだんだんに暗くなっていく海の色をしばらく眺めていた。頭の上の白い雲が雪のように溶けて消えるのをぼんやりと見あげていた。それから気がついてふと見ると、水沢は僕よりも半町ほども左に
水沢と向かい合っているのは、確かに若い女であるらしかった。うす暗いのでその顔はよく見えなかったが、その背格好をうかがって僕はすぐに
紳士と芸妓との話はだいぶ持てたらしかった。お島さんの顔色は悪かった。なんだか泊まって行きたそうにぐずぐずしている芸妓を、お島さんは時間の制限を楯にして、無理無体に追い返してしまった。そうして、ここらの芸妓は風儀が悪くていけないと
そのうちに二人は松のかげを離れて、磯ばたの方へあるき出した。僕は呼びとめて
宿へ帰って風呂にはいっていると、お島さんは風呂の入口から顔を出した。
「あのハンケチを届けて下すって······。」
「いや、追いつかないので止めたよ。」
「追いつかないので······。水沢さんはどこへ行ったんです。」
「海の方へ行ったよ。小舟に乗って······。」
「一人······。」
「むむ、一人で漕いで行ったよ。」
「まあ、漕げるんでしょうか。」
「そうらしいね。」
それっきりでお島さんは行ってしまった。僕はやがて風呂からあがって、自分の座敷へ戻ってくると、女中のお文さんが夕飯の膳を運んで来た。
「お島さんがあなたのことを嘘つきだと言っていましたよ。」と、お文さんは給仕をしながら笑っていた。
「なぜだろう。」と、僕も笑っていた。
「だって、ハンケチを水沢さんに届けてくれとあなたに頼んだら、舟に乗って行ってしまったなんていって、届けてくれなかったというじゃありませんか。」
「ほんとうに舟に乗って行ったんだよ。」
「ほんとうですか。」
「うそじゃない。帰って来たらきいて見たまえ、僕は確かに見たんだから。」
飯を食いながら僕はお文さんに訊いてみた。
「お島さんはなぜ水沢さんのことばかり気にしているんだ。え、おかしいじゃないか。」
お文さんは黙って笑っていた。
「え、お島さんは水沢さんにおぼしめしがあるんだろう。もう出来ているんじゃないか。」
「ほほ、まさか。」と、お文さんは笑い出した。
しかしお島さんが特別に水沢さんをもてなしていることは、家じゅうの女中たちもみな認めているらしかった。しかしここの家は非常に物堅いから、客と女中とのあいだにそんな間違いのあったためしは一度もないと、お文さんは保証するように言った。
「いくら主人が堅くっても当人同士の
ハンカチーフを届けてやらなかったということが、よほどお島さんの御機嫌を損じたらしく、今夜に限ってお島さんは一度も僕の座敷に顔を見せなかった。十時の時計を合図に、僕はお文さんに床を敷いてもらって、これから
「火事かしら。」
「ここらに火事なんかめったにありませんが···。」と、お文さんも不思議そうに耳を引き立てていた。
「それとも大漁かな。」
「そうかも知れません。」
表はいよいよ騒がしくなったので、お文さんは降りて行った。
「あなた、人が殺されたんだそうです。」
お文さんはやがて引っ返して話した。
「人が殺された。喧嘩でもしたのか。」
「芸妓が舟のなかで殺されたんですって。」
僕のあたまには、紳士と芸妓とを乗せた小舟の影がすぐに映った。
「なんという芸妓が誰に殺されたんだ。」
「そこまでは聞いて来ませんでしたが······。」
じれったくなったので、僕は一旦ぬいだ着物を再び引っかけて、急ぎ足に二階を降りると、店の入口にお島さんが
「あなた、水沢さんはほんとうに舟に乗って行ったんですか。」
「ほんとうさ。」
「一人でしたか。」
この場合、なまじっかに隠すのはよくないと思ったので、僕は正直のことを話すと、お島さんはいよいよ蒼くなった。
「あなた、浜へ見に行くんですか。」
「むむ、行って見る。」
「一緒に行きましょう。」
お島さんはゆるんだ帯を引き上げながら、僕のあとから付いて来た。そこらの家からも男や女が駈け出して行った。ばらばら松の下では二ヵ所ばかりのかがり火を焚いて、大勢の人影が黒く動いていた。がやがや言いののしる人声が浪にひびいて聞こえた。お島さんはもう気が気でないらしい、僕を途中に置き去りにして、夏の虫のようにかがり火の影をしたって駈け出した。
そこにはもう警官が出張していた。そうして、僕の想像通りに真っ白な雛子の顔がかがり火の下に仰向けになっていた。夜網の漁師たちが沖へ漕ぎ出すと、
雛子がどうして海へ出たのか。何者に殺されたのか||その秘密を知っている者はおそらく僕一人かも知れない。そのほかには、僕の話を聞いているお島さんだけであろう。二人が口を結んでいれば、この秘密は容易に知れそうもなかった。僕がかがり火のそばへ近づいた時に、お島さんは又どこからか現われて来て、僕にからだを摺り付けるようにして立っていた。火に照らされたお島さんの顔は緊張していた。そうして、いつもの可愛らしい眼をけわしくして、ときどき僕の顔色を横眼に睨んでいるのは、僕の口からいつその秘密があばかれるかも知れないという大いなる恐れを懐いているらしかった。僕もしばらく黙って見ていると、お島さんはやがて僕のたもとを強くひいた。
「福原さん。もう行きましょうよ。」
僕はやはり黙って見物の群れから出た。かがり火の影からだんだんに遠くなると、お島さんは暗いなかで僕にささやいた。
「あの芸妓はどうして殺されたんでしょう。」
「さあ。」
「あなた、
「なにを黙っているんだ。」
「水沢さんと一緒に舟に乗ったことを······。」
「言っちゃ悪いか。」
「おがみますから、言わないでください。」
「お島さんは水沢さんとどういう関係があるんだ。」と、僕は意地わるく訊いてみた。
「別になんにも関係はありませんけれど······。」
「ただ、水沢さんが可愛いからか。」
「察してください。」
「なんでもない人に、それほど
「それがあたしの性分ですから。それがために東京にもいられなくなって、
僕はなんだかお島さんが可哀そうにもなって来たので、今夜のことは誰にも言うまいと、とうとう約束してしまった。
「それにしても水沢さんはどうしたろう。」
「どうしたでしょうか。」と、お島さんは溜め息をついた。「海へ飛び込んで逃げたんじゃありませんかしら。」
「そうかも知れない。それにしても、あのステッキはどうしたろう。」
「あなた、見ませんでしたか。巡査があのステッキの折れたのを持っていたのを······。船の中に落ちていたんですって······。何でもところどころに血が付いていたそうですよ。」
「そうすると、芸妓の方では櫂を持って、二人で叩き合ったんだね。」
「そうかも知れませんねえ。」
二人は宿へ帰った。僕は素知らぬ顔をして自分の座敷へはいって、寝床のなかへもぐり込んだが、今夜は眼が冴えて寝つかれなかった。水沢はなぜあの芸妓を殺したのであろう。他愛もない痴話喧嘩の果てに、思いもつかない殺人罪を犯したので、かれもおどろいて
「福原さん。もうおやすみですか。」
「お島さんか。」と、僕は枕をあげた。
返事の声を聞いて、お島さんはそっと障子をあけた。そうして、僕の枕もとへいざり寄って来た。
「あの、水沢さんが帰って来ましたよ。」
「帰って来た。どんな様子で······。」
「帳場はもう寝てしまったんですけど、あたしは何だか気になりますから、始終表に気をつけていると、誰か表のところへ来てばったり倒れた人があるらしいんです。それからそっと出てみると、水沢さんはびしょ濡れになって倒れていましたから、介抱して座敷へ連れ込んだのですが、なんだかきょときょとしているばかりで碌に口もきかないんです。どうしたんでしょう。」
「まあ、そっと寝かして置くより仕方がない。ここで騒ぐと藪蛇だよ。あしたになったら気が確かになるだろう。」
「そうでしょうか。」
お島さんは不安心らしい顔をして、またそっと出て行った。ともかくも水沢が無事に帰って来たというのを聞いて、僕もすこし気がゆるんだとみえて、お島さんが出て行くと間もなく、うとうとと睡りついて、眼が醒めると家じゅうがすっかり明かるくなっていた。時計を見るともう九時を過ぎていた。あわてて飛び起きて顔を洗って来ると、お文さんが朝飯の膳を持って来た。
「あなた、御存じですか。水沢さんがけさ警察へ連れて行かれたのを······。」
「そうかい。」と、僕は思わず眼をみはった。お島さんがいくら僕の口止めをしても、よそから証拠があがったとみえる。お島さんはさぞ失望したろうと思いやられた。
「なんだって警察へ連れて行かれたんだ。」と、僕は空とぼけて訊いた。
「あなたも御存じでしょう。ゆうべ芸妓が舟のなかで殺されていたというので大騒ぎでしたろう。その芸妓を······。」と、言いかけてお文さんも息をのみ込んだ。
「水沢さんが殺したというのかい。」
「なんだか知りませんけれど、けさ早く巡査が来て、水沢さんの寝ているところをすぐに拘引して行ったんです。水沢さんはゆうべいつごろ帰って来たのか、わたくし共はちっとも知りませんでしたが、なんでも夜なかにそっと帰って来たのを、お島さんが戸をあけて入れてやったらしいんです。」
「お島さんはどうしている。」
「お島さんも調べられていました。」
「調べられただけで、やっぱり
「ええ。家にいますけれど、旦那もたいへんに心配して、お島さんを奥へ呼んで何か又しきりに調べているようです。」と、お文さんは顔をしかめながら話した。
「しかしお島さんは何にも知らないんだろう。」と、僕はまた空とぼけた。「お客が夜遅く帰って来たから、戸をあけてやっただけのことだろう。」
「どうもそうじゃないらしいんですよ。だって、水沢さんはびしょ濡れになって帰って来て、おまけに何だかぼうとしているのを、誰にも知らせないで、そっと連れ込んで寝かしてやったんですもの。」
お文さんは更にこんなことを話した。水沢さんはここへ来る前に、ひと月ほども近所の町に逗留していて、殺された芸妓とは深い馴染みになっていたらしい。そうして、両方が心中でも仕かねないほどに登りつめて来たので、芸妓の抱え主の方でもだんだん警戒するようになった。それらの事情から水沢はそこを立ち退いてこの町へ来て、おとといの晩もわざわざ雛子を呼びよせたのである。雛子もその晩は抱え主の家へ一旦帰ったが、きのうの
「そういうわけがあるんですもの、まず第一に水沢さんに疑いのかかるのも無理はありませんわ。おまけに水沢さんはその時刻に丁度どこへか行っていたんですもの。」
「なるほど、そうだ。」
僕もお文さんに合いづちを打つよりほかはなかった。
僕は毎朝海岸を一度ずつ散歩するのを日課のようにしていたが、けさに限って外へ出る気になれなかった。袂をさぐると、きのうお島さんから頼まれた白いハンカチーフが出た。僕はそれを眺めてなんだか暗い心持になった。
注意していると、下へは警官がたびたび出入りをしているらしかった。番頭に案内させて、警官は奥二階の水沢の座敷へもふみ込んで、なにか捜索しているらしかった。由来、この宿の
「福原さん。お出かけですか。」
「少し歩いて来ようかと思っている。」と、言いかけて僕は声を忍ばせた。「水沢さんはとうとう連れて行かれたというじゃないか。」
「その事なんです。あなた、まあ聞いてください。」
お島さんに押し戻されて、僕もふたたび自分の座敷へ帰った。
「水沢さんがまったく芸妓を殺したに相違ありませんよ。」と、お島さんは言った。「あたしちっとも知りませんでしたけれど、もう前からの深い馴染みだというんですもの。おとといの晩呼んだときも名指しなんです。あたしも何だかおかしいとは思っていましたけれど、まさかにそれほどの関係じゃあるまいと油断していたんですが、二人はもう死ぬほどに惚れ合っているんですって、あきれるじゃありませんか。」
何もあきれることもあるまいと思ったが、僕は謹んで聞いていると、お島さんはいよいよ
「二人はその晩に心中の相談をしたらしいんです。そうして、きのうの夕方、あなたが浜辺で見つけたという時に、二人はそこに落ち合って、それから小舟に乗って沖へ出たんです。いいえ、確かにそうなんです。さっきも警察の人が来て、水沢さんの座敷を調べたら、あの芸妓からよこした手紙が見付かったんです。そりゃ何でもだらしのないことがたくさん書いてあって、つまり一緒に死ぬとか生きるとかいう······。なにしろそういう証拠があるんですから仕様がありませんわ。水沢さんは心中するつもりで、最初に女を殺したんでしょうけれど、急に怖くなって海へ飛び込んで、泳いで逃げて来たに相違ないんです。」
「それにしては、女がどうして櫂を両手に持っていたんだろう。」
「水沢さんが刀でもぬくあいだ、女が手代りに櫂を持っていたのかも知れません。なにしろ心中には相違ないんですよ。それにあのステッキの一件、あれが動かない証拠で、警察でも水沢さんに眼をつけているんです。けさもステッキの折れたのを持って来て、これに見覚えがあるかといって帳場の人に訊いていましたから、あたしがそばから
僕もすこし驚いた。ゆうべは誰にも言ってくれるなと堅く頼んで置きながら、けさは自分の方からその秘密をあばくようなことをする。お島さんの料簡がどうして急激に変化したのか、僕には想像が付かなかった。
「黙っていればいいのに、なぜそんなことを言ったんだろう。そりゃどうせ知れるには相違なかろうが、お島さんの口から可愛い人の罪をあばくのはちっと
「酷いことがあるもんですか。あんな人、ちっとも可愛くはありませんわ。」と、お島さんはののしるように言った。「あたし、あの人に愛想がつきてしまいましたわ。」
「なぜさ。」
「なぜって······。ともかくも女と心中する約束をして置きながら、女の死んだのを見て急に気が変わるなんて、あんまり薄情じゃありませんか。あたし、あんな人大嫌いですわ。ちっともかばってやろうなんて思やしません。ですから、福原さん、あなたお願いですからこれから警察へ行って、ゆうべあの二人が舟に乗って出たところを確かにみたと言ってください。そうすれば、水沢さんだって、もう一言もないでしょう。」
僕はいよいよ驚いた。しかしお島さんのような感情一辺の女としては、それも無理ではないかも知れない。お島さんは確かに水沢さんに
「いや、僕は御免こうむる。水沢さんがすでに警察にあげられた以上は、警察の方で何とかするだろう。僕が横合いから出て行って余計なおしゃべりをする必要はないよ。心中の手紙もあり、ステッキの折れたのもあるんだから、証拠はもうそろっている。別に証人を探すことはないよ。」
「そうでしょうかねえ。」
お島さんはしぶしぶ出て行ったので、僕はそのあとから続いて階子を降りた。そうして、いつものようにぶらぶらと海の方へあるいて行った。きょうはぬぐったように晴れた日で、海の上は
「もしあの二人が心中のつもりで海へ乗り出したのならば、芸妓がなぜ両手にしっかりと櫂をつかんでいたのだろう。水沢のステッキがなぜ折れたのだろう。どう考えても、二人が舟のなかで叩き合って、水沢のステッキが折れたらしく思われる。心中するほどの二人がなぜ俄かにそんな叩き合いの喧嘩を始めたのだろう。やっぱり痴話喧嘩が昂じたのかな。」
そんなことを考えながら、夢のように砂地をたどって行くと、かのばらばら松から一町ほどもはなれた磯ばたに出た。
「やあい、みんな来いよう。」
だしぬけに大きい声がきこえたので、僕は夢から醒めたようにその声のする方へ眼をやると、そこには五、六人の漁師があつまっていた。子供達もまじって珍らしそうに立ち騒いでいた。なにか大きい魚でも寄ったのであろうかと、僕も少し早足にそこへ行って見ると、なるほどみんなの騒ぐのも無理はなかった。僕も生まれてから一度も見たことのない不思議な魚が、うす黒い砂の上に大きい腹を横たえていた。
魚は
「なんという魚です。」と、僕は訊いた。
「さあ、鮪でねえ、鮫でもねえ。まあ
漁師たちにもこの奇怪な魚の正体が判らないらしかった。この噂を聞きつけて、大勢の人達がゆうべのように駈け集まって来たが、誰もこの魚の名を知っている者はなかった。そのうちに僕はふと思い付いたことがあった。それはこの奇怪な大きい魚のくちばしがあの水沢のステッキによく似ていることで、アメリカから持って来たというあの珍らしいステッキは、この魚のくちばしで作ったものではあるまいか。
そうすると、ここに又一つの問題が起こって来る。あの小舟のなかに残っていたというステッキの折れは、果たして水沢のステッキか、あるいはこの魚のくちばしか。現にこの魚のくちばしも中途から折れているではないか。死んだ芸妓が両手に櫂を持っていたのをみると、或いはこの奇怪な魚が不意に突進して来たので、一生懸命に櫂を振りあげて、そのくちばしを叩き折ったのではあるまいか。水沢はおどろいて海へ飛び込んだのかも知れない。しかしそうすると、心中の問題はどう解決する。芸妓はどうして死んだのであろう。僕は自分の頭のなかでいろいろの理屈を組み立てながら、それから半時間の後に宿へ帰った。
その日の午後にお島さんは警察署へ呼び出されて長時間の取り調べを受けた。夕方になって帰って来て、僕にこんなことを話した。
「水沢さんという人もずいぶん卑怯じゃありませんか。どうしても芸妓を殺した覚えはないと強情を張っているんですもの。」
「水沢さんは気が確かになったのか。」
「ええ、もう落ち着いたようですよ。あんな嘘がつけるくらいなら大丈夫ですわ。」と、お島さんはあざけるように言った。
「どんな嘘をついたの。」
「だって、こんなことを言うんですもの。二人が舟に乗って沖へ出ると、急に浪があらくなって、なんだか
「それからどうした。」
「水沢さんはびっくりして、あわてて海のなかへ飛び込んで、夢中で泳いで逃げたんですって。」
「そうかも知れない。警察ではその申し立てを信用したのかね。」
「そんなことを言ったって、むやみに信用するもんですか。けれども、丁度に変な魚が流れ付いたもんですから、警察の方でも少し迷っているらしいんです。なんでも東京から博士を呼んで、その魚をしらべて貰うんだとか言っていました。あなたはその魚を御覧でしたか。」
「むむ、見た。水沢さんのステッキは確かにあの魚のくちばしだよ。」
「そのくちばしを取り返しに来たんでしょうか。」
「まさかそうでもあるまいが、とにかく水沢さんの申し立てはほんとうらしいよ。僕はどうもほんとうだろうと思う。不思議な物に突然襲われてあんまりびっくりしたので、一時はぼんやりしてしまったが、だんだん気が落ち着くにしたがって、その怖ろしい出来事の記憶が呼び起こされたのだろう。その魚が飛んで来て、芸妓の横っ腹を突いたもんだから、芸妓もきっと死に物狂いになって、そこにある櫂を取って無茶苦茶に相手を撲ったに相違ない。そこで、魚はくちばしを叩き折られる。眼だまを突きつぶされる。そうしてとうとう死んでしまったんだろう。つまり芸妓とその魚と相討ちになったわけだね。」
「あの芸妓にそんな怖ろしい魚が殺せるでしょうか。」
「今もいう通り、こっちも死に物狂いだもの、眼だまか何かの急所をひどく突かれたので、さすがに魚も参ってしまったんだろう。そんなことがないとも言えない。」
「なんだか嘘のようですねえ。」
お島さんはなかなか得心しそうもなかった。彼女はあくまでも水沢さんが芸妓を殺したものと信じているのであった。お島さんばかりでなく、宿の者もみんなそう思っているらしかった。僕は一種の興味をもって、この事件の成り行きをうかがっていると、それから四、五日の間は、この町と近所の町とへかけて警察の探偵が大いに活動したらしかったが、どうも取り留めた材料を見付け出さないらしかった。そのうちに東京から高名の理学博士が出張して来た。
博士の鑑定によると、かの奇怪な魚は原名をジビアスといって、これを直訳すると剣魚とでもいうべきものである。その特徴は二尺
これで事実の真相は判明した。水沢がそのステッキを米国から買って来たというのは嘘で、実は横浜の米国人から貰ったのであるが、どっちにしてもそれが剣魚のくちばしであることは事実であった。かれはそのステッキを持ったままで芸妓と一緒に沖へ乗り出すと、ほん物の剣魚が突然に襲って来て、そのくちばしで芸妓の脇腹を突き透したので、かれは異常の恐怖に打たれて、前後の考えもなしに海へ飛び込んで逃げた。そのときに彼のステッキは海に沈んでしまって、[#「しまって、」は底本では「しまって。」]船中に残ったのは新しく打ち折られた剣魚のくちばしであった。剣魚がどうしてくちばしを折られたか、どうして眼だまを突き破られたか、それは死んだ芸妓の手に持っていた櫂によって判断するよりほかはない。
水沢は無事に放還された。大体の事実は僕の想像通りであった。水沢は絶対に心中を否認して、なるほど女の方からはそんな手紙を受け取ったこともあるが、自分はどうしてもそれに応じなかったと言っていたそうだ。何分にも相手が死んでしまったので、その辺の消息はよく判らない。或いはほんとうに心中するつもりで沖へ出たところへ突然に剣魚の邪魔がはいって、女だけ殺してしまったのかも知れない。この事件が解決すると同時に、水沢は早々に横浜へ帰ったので、僕はお島さんから預かっていたハンカチーフを返してやる機会を失ってしまった。
翌月のなかばに僕も東京へ帰った。宿を発つときにお島さんは停車場まで送って来て、自分も今月かぎりで暇を取って房州の方へ奉公替えをするつもりだと言った。そうして、まだ疑うようにこんなことを言っていた。
「芸妓はまったくあの魚に殺されたんでしょうか。」
「そりゃ確かにそうだよ。水沢さんが殺したんじゃない。」と、僕は言い切った。
「でも、その魚さえ流れ着かなければ、水沢さんが殺したことになってしまったんでしょうね。」
「そうかも知れない。」
「そうでしょうねえ。」
お島さんはなんだか残念そうな顔をしていた。僕は又、なんだか怖ろしいような、一種のいやな心持でお島さんに別れた。
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医師 の家
T君は語る。
「おばん。」
低い木戸をあけて、くつぬぎから声をかけた人があった。おばんというのはここらで「今晩は」という挨拶であることを私も知っていた。福島県のある古い町に住んでいる姉をたずねて、わたしは一昨日からそこに滞在していたが、別に見物するような所もない寂しい町で、町の入口に停車場をもちながらも近年だんだんに衰微の姿を見せているらしく、雪に閉じられた東北の暗い町は春が来てもやはり薄暗く沈んでいた。四月といっても朝夕はまだ肌寒いのに、けさは細かい雨が一日しとしとと降り暮らして、影のうすい電灯がぼんやりとともる頃になっても、
「おはいんなさい。」と、姉は返事をしながら入口の障子をあけると、卅二三の薄い口ひげを生やした男が
「や、お客様ですか。」
「いいえ、構いません。東京の弟が参っているのですから。」と、姉は言った。
「倉部さん。おはいんなさい。」と、義兄も炉の前から声をかけた。
「では、ごめんなさい。」
男は内へあがって来て、炉を取りまく一人となった。義兄の紹介で、彼がこの町の警察署に長く勤めている巡査であることを私は知った。今夜は非番で遊びに来たのである。彼は東京から来たという私に対しては、おばん式の土地訛りを聞かせなかった。東北弁の重い口ながらも彼は淀みなしにいろいろの話を仕掛けて、一時間ほども炉のまわりを賑わした。わたしが土産に持って行った東京の菓子を彼はよろこんで食った。
「御職掌ですからいろいろ面白いこともありましょうね。」と、わたしは彼に訊いた。「探偵小説の材料になりそうな事件が······。」
「さあ。」と、彼はほほえんだ。「中央と違って、地方には余りおもしろい事件もありません。稀には重罪犯人も出ますけれども、何分にも土地が狭いもんですから、すぐに発覚してしまいます。犯罪の事情も割合に単純なのが多いようです。したがって、あなた方の材料になるような珍らしい事件はめったにありません。」
それでも私にせがまれて、倉部巡査は自分の手をくだした奇怪な探偵物語を二つばかり話してくれた。その一つはこうであった。
今から九年ほど前の出来事である。その頃、倉部巡査はこの町に近いある村の駐在所に奉職していたが、ちょうど今夜のような細かい雨がしとしとと降る宵であった。
「おい、与助じゃないか。どこへ行く。」と、倉部巡査は声をかけると、少年は急に立ち停まって、手に持っている硝子の
「酒を買いに行くのか。」
「うむ。」と、与助はうなずいた。
「なぜ女中を買いにやらないのだ。」
与助は黙ってにやにや笑っていた。
「どうだ、お
与助はやはり笑いながらうなずいていた。
「まあ、気をつけて行って来るがいい。滑ってころぶと罎をこわしてしまうから、よく気をつけて行くんだぞ。いいか。路が暗いからすべるなよ。」と、倉部巡査は噛んでふくめるように言い聞かせると、与助は黙って又うなずいて、暗い雨のなかへ消えるようにその小さな姿を隠してしまった。
与助は村の医師の独り息子で、ことし十六の筈であるが、
かれが幼いときの経歴は倉部巡査も直接には知らない。しかし村の者の伝えるところによると、不具の少年の過去はいたましい暗い影に掩われていた。かれの父の相原健吉はもう五十近い人品の好い男で、近所の或る藩の士族の子息だというので土地の者にも尊敬されているばかりか、ここらの村医としては比較的にすぐれた技倆を持っているので、近村の者にも相当の信用をうけて、わざわざ遠方から彼の診察を乞いに来るものもあった。もちろん、村の医師であるから、玄関が繁昌する割合に大きな
なんでも独り息子の与助が二歳の秋の出来事であったと伝えられている。相原医師の妻は与助を背負って、近所の山川へ投身した。妻は死んだが、幼い子は救われた。しかしその時に彼のからだにどんな影響をあたえたのか、与助はその後一種の白痴に近い低能児になってしまって、学齢に達しても小学校へ通うことも出来なくなった。相原の妻の死については、その当時いろいろの臆説を伝えられたが、結局はヒステリーということに帰着して、その噂は月日の経つに連れて諸人の記憶からだんだんに薄らいでしまった。相原の妻の横死は、夫が他に情婦を作った為だという噂もあったが、その後十四年の長い間、相原は白痴の与助と雇婆とたった三人のさびしい生活をつづけているのを見ると、それは一種の想像説に過ぎないらしかった。不具の子ほど可愛いとかいうが、相原は白痴に近い与助を非常に愛していた。与助も父をしたっていた。今夜は雇婆が風邪をひいて寝ているので、かれは父の寝酒を買うために町まで暗い夜路を走って行ったのであることを、倉部巡査は後に知った。
しかし彼は普通の小買物をするくらいの使いあるきには差し支えなかった。町の人達もみな彼の顔を知っているので、彼の突きならべた銀貨や銅貨の数から算当して、それに相当の品物を渡してよこすのを例としていた。彼はむしろ喜んで父の使いに駈けあるいていた。低能児ながらも親思いであるということが、倉部巡査には取り分けていじらしくも思われて、彼が駐在所の前を通るたびにきっと声をかけて、かれの話し相手になってやった。かれは倉部巡査にもなついていた。
「これで相原医師の身の上も、低能児の与助のことも、まずひと通りはお判りになりましたろう。」と、倉部巡査は言った。「さて、これからがお話です。」
与助は町まで酒を買いに行って、帰り途にも駐在所の前を通りましたが、今度はいよいよ笠を深くして、一散にかけ抜けて行ってしまいました。もっとも、その頃には雨がだんだん強くなって来たので、与助もさすがに急いで帰る気になったのでしょう。まあそれだけのことで、わたくしも気にも止めずにいますと、その明くる朝、相原の家に非常の事件が
与助はその場にいたか、いなかったか、それはよく判らないのですが、かれが少しも負傷していないのを見ると、おそらく彼が酒を買いに行った留守の間に、この兇行が演じられたのではないかと想像されるのです。かれが一散に駈けて帰ったのも、なにか虫が知らせるというようなことがあったのかも知れません。そこで第一の問題は犯罪の動機です。相原医師は近所の人達にも尊敬と信用を受けて多年この土地に門戸を張っている人ですから、他から怨恨を受けるような原因がありそうにも思われません。しかし本業の傍らに小金を貸していたといいますから、なにか金銭上のことで、他から怨恨を受けていないとも限らない。又は相当の財産のあるのを知って、物とりの目的で忍び込んだのかも知れない。いずれにしても、その犯罪の動機には金銭問題がまつわっているらしいことは、誰にも容易に想像されることです。わたくしも無論その方面に眼をつけて、相原医師から金を借りている者や、ふだん親しく出入りしている者を一々内偵しましたが、どうも取り留めた証拠も挙がりませんでした。
会津の方から相原医師の親戚が出て来て、ともかくもこの事件の
「おお、与助。なにか用か。」
与助は黙ってわたくしの顔を眺めていましたが、やがて両足を踏ん張って両手を振りあげて、何か物を打つような姿勢をみせました。そうして急にきゝきゝきと気味の悪い声を出したのです。なんの意味だかわかりません。しかしわたくしも何がなしに笑ってうなずいて見せました。
「強いな、与助は。」
与助は又奇怪な声をあげて笑い出しましたが、急に両手を振って大股に威張って歩いて行きました。そのうしろ姿を見送っているうちに、わたくしはふとある事が胸にうかびました。というのは、低能児の今の挙動です。わざわざ駐在所の前まで来て、両足をふん張って何か打つような真似をして見せたのはどういう料簡だろう。あるいは与助がその犯人を知っていて、これから復讐にでも行くという意味ではあるまいか。こう思うと、わたくしも打っちゃって置かれませんから、すぐに彼のあとを見えがくれに追って行きますと、与助は自分の家へは帰らないで、町の方角へすたすた歩いて行きましたが、途中でふと振り返ってわたくしの姿を見つけると、いよいよ足を早めて殆んど逃げるように町の方へ急いで行ってしまったので、私はとうとう彼の小さい姿を見失って、そのまま駐在所へ引っ返しました。しかしどうも不安でならないので、その日の夕方に相原の家の前に行って、そっと内の様子をうかがうと、そこらに与助の姿は見えませんでした。留守の人にきくと、さっき出たぎりでまだ帰らないというのです。あれから何処へ行って何をしているのか。いよいよ不安に思いながら引っ返して来ると、その晩の七時頃でした。駐在所の前を犬のように駈けて行く者がある。それがどうも与助らしいので、わたくしは再びそれを追って出ました。
その晩は四月の末で、花の遅いここらの村ももう青葉になっていました。薄い月がぼんやりと
「そんなものをどこから持ち出して来た。」と、わたくしはぎょっとして訊きました。
与助は町の方を振り返って指さしました。町の古道具屋で買って来たらしいのです。いくら顔を見識っているといっても、こんな低能児に刃物を売るというのはけしからんと思いながら、わたくしはその短刀をぬいて見ますと、中身はよほどさびていて到底実用にはなりそうもありませんでした。それにしても刃物である以上、それをむやみに振り廻されてはやはり危険ですから、わたくしはすぐに取り上げてしまいました。
「お前はここのうちを知っているのか。」
「むむ。」と、与助はうなずいてみせました。
「ここの家へはいってどうする。」
与助は物凄く笑っているばかりでした。わたくしはかれの腕をつかんで、五、六間手前までぐいぐいと引き摺って行って、また小声で訊きました。
「お前あの
与助はやはり黙っています。わたくしは手真似をまぜて又訊きました。
「あの家の人がおまえのお父さんを殺したのか。え、そうか。そんなら私がかたきを取ってやる。どうだ。それに相違ないか。」
「むむ。」と、与助はまたうなずきました。
「よし、そんなら今夜はおとなしく帰れ。わたしがお前の代りにきっと仇を取ってやる。さあ、来い。」
無理に与助を引っ立てて帰って、留守の人に注意をあたえて引き渡しました。それからすぐに例の榎の立っている家について内偵しますと、それは五兵衛という六十ぐらいの百姓で、惣領のむすめは宇都宮の方に縁付いていて、長男は白河の町に奉公している。次男は町の停車場に勤めている。自宅は夫婦と末の娘と、三人暮らしで格別の不自由もないらしいが、五兵衛は博奕という道楽があるので、近所の評判はあまりよろしくない。しかしこれだけのことで、かれを直ちに相原家の兇行犯人と認めるのは証拠がなにぶんにも薄弱です。証人の与助は低能児で、詳しいことを取り調べる便宜がありません。そこでわたくしは、村の老人どもに就いて、さらに彼の素行その他を調査すると、偶然にこういう事実を発見しました。
五兵衛には宇都宮に縁付いている惣領娘のほかに、おげんという妹娘があって、それは別に美人というほどの女でもなかったのですが、
あなた方がお考えになったらば余り軽率だと
「お話はこれだけですよ。」と、倉部巡査は言った。「もう大抵お判りになりましたろう。」
「判りました。」と、私はうなずいた。「すると、そのおげんという女は相原医師の情婦であったんですか。」
「そうです。この女のために
「やはり与助が酒を買いに行った留守ですか。」
「そうです。与助も無論殺してしまうつもりであったのです。主人と雇婆とを殺して、それから金のありかを探そうとするところへ、ちょうど与助が酒を買って帰って来たので、ついでに殺してしまおうかと思って手斧をふりあげると、与助が怖い眼をして睨んだそうです。それが遠いむかしに与助を負って身を投げた相原の先妻の顔にそっくりであったので、五兵衛も思わず身の毛がよだって、なんにも取らずに逃げ出してしまったそうです。」
「すると、与助は相手が五兵衛だということを知っていたんですね。」と、わたしは又訊いた。
「五兵衛は手拭で顔を深く包んでいたそうですけれど、与助はちゃんとひと目で睨んでしまったらしいのです。あの馬鹿にはきっと死んだおふくろが乗りうつったに相違ありませんと、五兵衛は警察でふるえながら白状しました。」
「与助はその後どうしました。」
「与助はそれから半年ほどの後に病死したので、相原の家は絶えてしまいました。」と、倉部巡査は顔の色を暗くした。
外の雨はだんだんに強くなって、ぬかるみをびしゃびしゃと叩くその音が、あたかも酒を買いに行くその夜の低能児の足音かとも思われるので、私はなんだか襟もとが薄ら寒くなった。姉も黙って炉の粗朶を
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椰子 の実
B君は語る。
「ほんとうにこてちゃんは可哀そうでしたわねえ。」と、
「それも何かの報いだろう。」と、安井君は大きなバナナの実を頬張りながら言った。
「まあ、可哀そうに。こてちゃんはそんな悪い人じゃありませんでしたわ。」
「一体そのこてちゃんとか、ごてちゃんとかいうのは何者です。やっぱり芸妓ですか。」と、わたしはサイダーのコップをとって芸妓につがせながら、安井君を見かえった。
「芸妓ですよ。」と、安井君はすぐにうなずいた。「一時はなかなか
この話をしている我々三人は、マレー半島の一角に横たわっている小さい島||シンガポールの町の、ある料理屋の三階に
欧州航路の○○丸が日本へ帰航の途中、このシンガポールに寄港したので、印度洋の暑さにうだっている乗客はわれさきにと争って上陸した。わたしも早朝から上陸して、かねて紹介状をもらっていたS商会をたずねると、あいにくにその若主人はゴム園の用向きで向う河岸のジョホールへ旅行していて留守であったが、安井君という若い店員が初対面の私をひどく懐かしそうに迎えてくれて、自動車でまず市中を見物させて、それから市外のゴム園へも案内してくれた。
いろいろの贅沢をいっている場合でない。ともかくも久し振りで日本式の風呂に入って、日本の畳の上にあぐらをかいて、日本の浴衣の胸をくつろげて、
「シンガポールへ帰ると、もう日本へ帰ったようだというが、まったく本当ですね。」
「日本へ帰ったというほどにも行きませんが、まあ日本らしい風が少しはそよそよと吹きますね。」と、安井君は芸妓の配りものらしい古団扇で頭をしきりに煽ぎながら笑っていた。「だが、御覧なさい。みんな去年の古団扇で、これじゃあ余りいい風は出ませんよ。」
安井君はここらでも相当に顔が売れているらしく、芸妓や女中などを相手にしてしきりに冗談などを言い合っていた。ここでおもな料理店はどことどことで、芸妓の頭数は四十人ほどあるということなどを私にも説明してくれた。そんな話をしているうちに、かのこてちゃんの小鉄の噂が偶然に安井君と芸妓とのあいだに持ち出されたのであった。そうして、このこてちゃんの死がどうも普通の病死ではないらしいのが私の注意をひいた。
「そのこてちゃんはどうして死んだのです。心中でもしたのですか。」
「心中······。いや、そんな
「もうそんな話、お止しなさいよ。」と、芸妓は手を振った。「あたし、あの時のことを考えると今でもぞっとするわ。」
「聞くのがいやならあっちへ行きたまえ。僕はこの先生にお話をするんだから。いや、君もここにいてくれた方がいい。僕の忘れたところは君に教えてもらうから。」
「あら、いやですわ。」
まさか逃げるわけにもいかないらしく、若い芸妓は顔をしかめたままで、やはり食卓の前を離れなかった。女中がいつの間にかスイッチをひねって行った電灯は十五畳ばかりの座敷を明かるく照らして、むき捨てたバナナの皮にあつまってくる蝿の
「風が止まった。」と、安井君はからだを捻じむけて、窓のあいだから暗い空を仰いた。
「
ここらでは二、三月頃が最も暑く、七、八月のこの頃は最も涼しい時節であると、安井君はシンガポール地方の気候を説明して、さらに本題のこてちゃん一件に取りかかった。
こてちゃんの小鉄は十九の年に本国からこの土地へ出稼ぎに来て、去年の夏であしかけ三年目であった。小鉄の身許をよく知っている者はなかったが、神奈川の生まれで、横浜でも少しばかり稼いでいたことがあると本人自身は言っていた。
安井君の説明によると、小鉄はその前夜、土地の南風楼という料理店へよばれた。よんだ客は六十近い外国人で、なにかの商売でジャワの島へ渡るのだと言っていた。ここからジャワへ渡る船は一週間に一度ぐらいしか出ないので、船待ちの客はどうでもこの町に滞在して、ゴム園見物などに日を暮らすよりほかはない。その外国人もやはり海岸のホテルに逗留して、土曜日の出帆を待ち合わせているとのことであった。その晩その座敷へよばれたのはかの小鉄と、もう一人は花吉という若い芸妓であった。
「その花吉はこの女ですよ。」と、安井君はわれわれの前にいる芸妓を団扇でしめした。
「すると、君もこの事件の関係者なんだね。」と、わたしは一種の好奇心にそそられて、今更のように女の顔をながめた。
「関係者という訳じゃないんですけれど······。」と、花吉は打ち消すように言った。「その晩、こてちゃんと一つお座敷に出たのは本当なんです。」
「その外国人は英国人で、日本語もよく出来たそうだね。」と、安井君は芸妓の話を釣り出すように言った。
「ええ。なんでも横浜にも神戸にも久しくいたことがあるとかいって、日本の言葉もなかなかよく出来ましたよ。その晩は別に変わったこともなくって、あたしたちは八時頃から十時頃まで、ちょうど二時間ばかりもお座敷を勤めて帰りました。今もいう通り、その外国人は日本語もよく出来るくらいですから、日本のお料理をなんでも食べて······。箸の持ちようなんぞも巧いんですよ。お刺身なんぞも喜んで食べていました。」
「ところで、それだけならば別に問題も起こらなかったんだが、その明くる日の昼ごろにも南風楼へまたやって来て、今度は小鉄ひとりをよんだのです。」と、安井君は言った。「それから一緒に午飯を食って、自動車をよんでもらって、小鉄と相乗りでゴム園や植物園を見物に行った。それは誰でもすることで別に不思議もないんですが、事件はそれからで······。その英国人が小鉄を連れて南風楼を出て行ったのは、なんでも午後の二時頃で、それから一時間ほど経ったかと思う頃に、ここの名物のシャワーがどっと降り出して、半時間ばかりは眼の先きもみえないほどに降り続けたんです。勿論、ここらの人間は年じゅう馴れ切っていますから、シャワーなんぞは別になんとも思っていませんでしたが、その雨もやんで、日が暮れても、小鉄は帰って来ないんです。抱え主の方から念のために南風楼へ聞きあわせると、ここへも帰って来ないというんです。それでもまあ、お客と一緒に出たんですから、抱え主の方でも安心していると、夜がふけても小鉄は帰って来ない。」
ここまで話してくると、若い芸妓は眉をすぼめて安井君のそばへ摺り寄っていった。
「安井さん、もうお止しなさいよ。」
「馬鹿。これからが大事のところだ。夜があけると、郊外の椰子の林のなかに倒れている女があるのを土人が発見して、だんだん調べてみると、それが小鉄だということが判ったんです。医師の検案によると、小鉄の死因は頭を強く打たれたので······。髪も着物もぐしょ濡れになっているのを見ると、きのうのシャワーが降ってくる前か、あるいは降っている最中かに、そこで変死を遂げたらしいんです。相手の英国人はどうしたか判らない。なにしろ、大事の稼ぎ人を殺したんですから、抱え主は気違いのようになって騒ぐ。町じゅうの評判もまた大変で、流行妓のこてちゃんが死んだことについていろいろの想像説が尾鰭をつけて言い触らされる。」
「あなたなんぞは一番さきに触れてあるいた方ですわ。」と、花吉は
「僕ばかりじゃない。実際、みんなが大問題にして騒いだよ。」と、安井君は口のさきを少し尖らせた。「で、一方には連れの英国人を穿索すると同時に、当日その二人を乗せて行った自動車の運転手が警察で調べられた。運転手は土人で、南風楼でもふだんから顔を見識っている正直な人間です。この運転手の申し立てによると、かれは英国人と小鉄とを自動車にのせて、郊外のゴム園の方角へ走らせて行く途中で、小鉄はうしろからハンカチーフを振って運転手をよび止めた。そうして、
「むむう。」と、わたしは溜め息をつきながらうなずいた。
「ねえ、おかしいでしょう。けれども、そのダルトンという老人が直接に小鉄を殺したと決めるわけにもいかないんです。小鉄は頭を打たれて死んだのですから。」
その意味が私にはよく判らなかった。頭を打たれて死んだからといって、それが他殺でないとはいわれない。むしろ他殺として有力な証拠ではあるまいかとも思われたので、わたしは黙って相手の顔を見つめていた。
安井君はわたしに教えてくれた。小鉄が頭を打たれて死んでいたのは椰子の林の中である。椰子の林ではこうした悲惨な出来事がある。勿論、めったにそんなことはないのであるが、大きい椰子の実が高い梢から落ちて来た場合に、うっかりその下に立っていて、硬い重い
しかしダルトンにもうしろ暗い点がないでもない。もしそういう非常の事件が発生したならば、同伴者のかれは当然その付近の人家へ駈け付けて、その出来事を報告しなければならない。そうして、かれとして能うかぎりの手当てをも加えなければならない。椰子の実に頭を砕かれた若い女を、そのまま見捨てて逃げ去るという法はない。異常の恐怖におそわれて、前後の分別もなしに逃げ出したといっても、若い者ならば知らず、もう六十にも近い老人としてはあまりに軽率である。この点において、かのダルトンも一応の詮議を受けなければならない。警察でも手を分けて、かれのゆくえを捜索した。
安井君の話がここまで運んで来たときに、わたしの胸にふと泛かんだのは、そのダルトンという老人がどうも直接の犯罪者ではないらしいということであった。それはなぜだか自分にも確実には判らなかったが、ふだんから外国の探偵物語などを耽読していた私の予備知識が、ただなんとなしにそう教えてくれたらしく、小鉄の死については、なにか他の一種の秘密が潜んでいるように感じられてならなかった。それで、わたしは話の中途から
「その小鉄という女には
「ごもっともで······。」と、安井君はほほえみながらうなずいた。「誰でもまずそこに眼をつけそうなことです。警察は勿論、われわれもみんなその方面を物色することになりました。ところが、それがどうも確実に判らない。いや、判っていてもみんなが隠していたのかも知れない。現にこの人なんぞも······。」
「あら。」と、花吉は頓狂な声を出して、ハンカチーフで安井君の膝を打った。「あたし、ほんとうになんにも知らなかったんですわ。」
「まあ、いい。とにかく誰も知らないというので、一向に手がかりが付かない。けれども、ここらへ来ているくらいの女に······。いや、君はまあ別だが······。」と、安井君はもう一度振り上げそうな芸妓のハンカチーフを団扇で防ぎながら言った。「実際、情夫の一人ぐらいは無いはずがない。利口でおとなしい女だから、きっと朋輩たちにも隠していたに相違ない。こういう議論が勝を占めて、われわれも暇をつぶして素人の探偵を試みたくらいですが、どうもうまく探し出すことが出来ない。で、一方は小鉄の死骸の始末ですが、なにしろ暑い国ですから、いつまでもうっちゃって置くわけにはいかないので、その翌日の夕方に郊外の共同墓地へ葬ることになりました。
「あなたもびしょ濡れでしたわね。」と、花吉は笑いながら言った。してみると、安井君も当日の会葬者の一人であったらしい。
「そんなことはどうでもいい。」と、安井君は少し慌てたように打ち消した。「しかしまあその葬式は無事に済んで、会葬者は思い思いに引き取る。抱え主の家でもその晩だけは商売を休んで、仏壇にお燈明や線香を供えていた。すると、花ちゃん、何時頃だったっけね。」
「もう十一時頃でしたわ。」
「むむ、その晩の十一時頃に入口の
話がいよいよ入り組んで来たので、わたしもその晩の人達と同じように、
「五千弗という金に眼が
「一人と一匹······。」と、わたしは首をかしげた。「一匹とはなんです。犬ですか。」
「猿です。土人と猿とが
「さあ。」
私はかさねて首をひねった。安井君は無論この秘密の鍵を握っているに相違ない。芸妓もこの謎を解いているであろう。ここに向かい合っている三人のなかで、迷いの霧に閉じられているのは私一人である。わたしは何だかじれったいような心持にもなったが、この場合どうすることも出来ないので、ただ黙って相手の教えを待つよりほかはなかった。
「土人は椰子の林の番人で、一日に三度ずつそこらを見廻って歩くんです。」と、安井君はおもむろに説明した。「ですから、誰か椰子の実を盗みに来た者があって、それを取りおさえようとして撃ち殺された||と、まあ解釈するのが普通でしょう。猿は土人が飼っているのですから、主人を助けようとしてこれも一緒に殺された||と、こう考えれば理屈が付く。で、警察でもその方針で捜査を始めたんですが、ここに一つの疑問は、その殺人事件が小鉄の事件と全然無関係であるか、それとも何かの糸を引いているかということで、もし無関係ならばなんにも議論はないが、万一なにかの関係があるとすれば、事件はすこぶる複雑になるわけで、われわれは一種の興味をもってその成り行きをうかがっていました。」
安井君がこういう以上、この二つの事件が何かの関係を持っているらしいことは容易に想像されたが、美しい若い芸妓とマレーの土人と猿と、この三つをどう結び付けていいか、私にはやはり判らなかった。
窓の風鈴が急に眼をさましたように忙がしく鳴り出したかと思うと、なまぬるい風がすうと吹き込んで来た。土地っ子の二人は顔を見あわせると、花吉はすぐに立って窓を閉めた。その窓硝子を叩き割るかとも思われるような大きな
「どうもひどい降りですね。」
「いつもこうです。」と、安井君は平気で答えた。「なに、直きにやみますよ。」
雨の音があまりに強いので、話し声はそれに打ち消されたようにしばらく途切れた。女中が二階や三階を見回りに来たので、安井君はさらにビールと肴とを注文した。
「そこで、土人と猿の一件ですがね。」と、安井君は表の雨の音と闘うように調子を少し張りあげた。
「お話は前にさかのぼりますが、かの小鉄の死体が発見された当時、その死体のそばに椰子の実は落ちていなかったんです。ところが、今度は二つの椰子の実が二つの死体のそばにころげていた。といって、椰子の実で頭を撃たれた形跡はない。人間と猿とは確実にピストルで撃ち殺されたに相違ない。こういう風に、すべての事が反対にいっているので、いよいよ判らない。しかし一方のリチャード・ダルトンという英国人はジャワ行きの船に乗るはずで、すでに船室まで予約してあるから、たとい何処に忍んでいようとも出帆の際には姿をあらわすだろう。そこを取りおさえて訊問したらば、小鉄の死について何かの秘密が判るかも知れない。あるいは彼自身がその犯人であるかも知れない。こういう考えで警察の方でも専ら
「その支那人とダルトンとの間には、どういう関係があるんですか。」と、私は待ちかねて訊いた。
表の雨の音がだんだん静まるにつれて、安井君もおちついた声で静かに話しつづけた。
「支那人とダルトンとは従来なんの関係もない人間であったんですが、ダルトンがこの土地へ渡って来てから一種の関係が繋がったんです。この二人を継ぎ合わせる
「その支那人は何者ですか。」
「御承知の通り、この土地には支那人が十七八万人も移住しています。その三分の一は福建省の人間です。」と、安井君は説明した。「梁福もやはりその地方の生まれで、以前は広東のあたりで、俳優か何かをしていたこともあるそうです。こっちへ来てからは同国の商人の店に雇われて、うわべは真面目らしく働いていましたが、実際は博奕などを打って遊びあるいている道楽者で、小鉄を食い物にするつもりか、それとも本当に惚れ合ったのか、とにかく両方が深い馴染みになってしまったんです。しかし相手が支那人だけに、周囲の者もちょっと気が付かない。
小鉄もむろん秘密にしていたので、誰も知らない。そこでまあ無事に済んでいるうちに、かのダルトンという老人が突然にあらわれた。ダルトンは[#「ダルトンは」は底本では「ダルトルは」]久し振りで横浜へ帰ってくると、小鉄のおふくろはもう死んでしまった。娘のゆくえは知れない。だんだん詮議すると、シンガポールへ出稼ぎに行っていると判ったが、すぐに会いにいくわけにも行かないので、ついそのままになっていると、今度商売用でジャワへ出張することになったので、この機会をはずさずに恋しい娘の顔を見ようと、シンガポールへ上陸するのを待ちかねて、すぐに南風楼へ行って小鉄をよんだというわけです。」
商売用を兼ねているとはいえ、旅から旅をさまよって、南の国の椰子の葉影に懐かしい娘のゆくえを尋ねて来た親の心を思いやると、私はそのダルトンという未知の老人を憐れむような、さびしい悲しい心持になった。安井君もかれに同情するように言った。
「考えてみると気の毒です。なにしろ久しく逢わないので、娘がどんな人間に変わっているか判らない。ダルトンは小鉄ばかりでなく、もう一人の芸妓||この花吉です||をよんで、なにげなく遊んでいながら、小鉄の身許やその人間をよそながら探ってみると、たしかに自分のむすめに相違ない。人間も悪く変わっていないらしい。ダルトンは喜んで安心して、その晩はそのまま別れてしまって、あくる日さらに出直して小鉄をよんだ。そうして、あらためて親子の名乗りをすると、小鉄も今まで忘れていた父親の顔をはっきり思い出して、これも大変に喜んで······。いや、人間の運命はわからないもので、小鉄はここで生みの親にめぐり逢わなかったら、不幸の死を招くようなことも
「二人のあとを
「そうです。小鉄が途中から自動車を帰して、ダルトンと仲好くならんで歩き出すところへ、梁福がちょうど通りかかって遠目にそれを見つけたんです。かれは非常に嫉妬深い男なので、老人とはいえダルトンが小鉄に手をひかれて、睦まじそうに歩いて行くのを見て、急にむらむらとなって、すぐに二人のあとを追って行って、椰子林のなかへ駈け込んでダルトンに喧嘩を吹っかけたんです。その剣幕があまり激しいので、相手も少しおどろいた。もう一つには、かれが小鉄と深い関係のあるらしいのを覚って、ダルトンは逆らわずに一旦そこを立ち去ってしまった。ここでダルトンがなにもかも正直に打ち明けたら、梁福もあるいはおとなしく得心したのかも知れませんが、相手が支那人であるのと、その人物もあまりよろしくないように見えたのとで、ダルトンは黙ってその場を
「小鉄はすぐに
「脳天を強く打たれて、そのまま倒れてしまったんです。」と、安井君も顔をしかめた。
そばに聞いている芸妓もハンカチーフで顔をおさえた。シャワーはもう通り過ぎて、窓の硝子も薄明かるくなったが、誰も起ってその窓を明けようとする者もなかった。
「その椰子の実は自然に落ちたのですね。」と、わたしは少し汗ばんだ額を拭きながら訊いた。
「ところが、自然でない。木の上には猿がいたんです。」
「猿が······。」
土人と一緒に殺されたという猿を、私はすぐに思い出した。
「猿も悪いたずらをした訳じゃないんです。」と、安井君はさらに新しい事実を教えてくれた。「この近所のスマトラ島では土人が猿を飼っています。ここでも飼っている者があります。それは椰子の実を取らせるためで、自分たちが梯子をかけて登るよりは楽ですからね。木の下へ行って猿を放してやると、猿めは梢へするすると登って行って、熟した椰子の実をもぎ取って
「それで、その支那人は警察へも訴えなかったのですね。」
「勿論、訴えれば子細はなかったんですが、梁福はどうも警察へ出ることを好まない。というのは、かれが常に賭博に耽っているのと、まだほかにもなにか後ろ暗いことのあるのを、警察でも薄々さとっているらしいので、
「判りました。」
わたしは再び額を拭くと、初めてそれに気がついたらしく、芸妓は急に起ち上がって窓をあけると、宵の空は世界が変わったように青白く晴れ渡って、
「梁福はまったく良くない奴で、ダルトンと小鉄との秘密を知ったのを幸いに||勿論、初めにはそれを信じなかったんですが、だんだんに落ち着いて考えてみると、やはりそれが本当であるらしくも思われて来たんです||ダルトンを
「ほんとうにこてちゃんは可哀そうですわねえ。」と、花吉は団扇で口を掩いながら言った。
わたしは黙ってうなずいた。
「けれども、どうでしょう。小鉄も可哀そうには相違ないが、死んだ方はいっそひと思いです。生き残っている親の方がさらに気の毒じゃありませんかしら。」と、安井君は言った。
わたしは黙ってまたうなずいた。
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山 の秘密
U夫人は語る。
わたくしは女のことで、探偵趣味のお話の材料などを持ち合わせていよう筈もございません。ほんの申し訳ばかりに、こんなことで御免を蒙りたいと存じます。その場所もその関係の方たちのお名前も、はっきりとは申し上げられませんが、わたくしが学校を出ました翌年の夏の事でございました。わたくしは東京から五時間ばかりの汽車旅行をして、お友達の吉川三津子さんをおたずね申したのでございます。勿論これは仮りの名と御承知ください。三津子さんは学校を卒業する前から、関井さんというかたとお約束が取りかわされていて、卒業すると間もなく東京で結婚式をあげて、すぐにそのかたの勤め先きへ一緒に連れてゆかれることになったのでございます。
わたくしは三津子さんと同期生で、一緒に卒業式につらなったのですが、家庭の事情や何かでその翌年まで自分の
七月の初めに、三津子さんから又ぞろ長い手紙がとどいて、きっと約束を守ってくれと
出発の朝はどんより

「三津子さんの住んでいる山の中はさぞ涼しかろう。」
そんなことを考えて、努めて涼しそうな気分をよび出すようにして、わたくしはどうにかこうにかこの暑苦しい汽車旅行を終って、小さい田舎の停車場に降り立ったのは、午後一時に近い頃でした。停車場の前には
「村上さん。」
よびかけられて振り向くと、三津子さんはパラソルをつぼめて、その百日紅の木かげに立っていました。三津子さんはわたくしと同い年の廿一で、年よりも若くみえる
「よく来て下すってね。」と、三津子さんはほんとうに嬉しそうに言いました。「あなたのことですから、よもや嘘じゃあるまいと思っていましたけれど、こうしてお目にかかるまでは、まだどうだろうかと危ぶんでいたのでございますわ。途中はずいぶんお暑かったでしょう。」
「わざわざお出迎えで恐れ入りました。おことばにあまえてお邪魔に出ました。」
「どうぞごゆっくり御逗留なすってください。田舎も田舎、そりゃ大変な山奥のようなところですけれど、折角いらしって下すったもんですから、ひと月でも二月でも······。あなたが帰ると仰しゃっても、わたくしの方で無理にお引き留め申しますわ。」
どの道、先方へゆき着けば、ゆっくりとお話が出来るのですけれど、大抵のことはここで言ってしまわなければならないように、それからそれと話題は尽きないのが女の癖でございましょうか。それでも三津子さんはやがて気がついたように百日紅の樹の蔭を離れました。そうして、もう前から誂えてあったらしい二台の
二台の人車は西北の方角へ走ってゆくようでした。その方角にはかなりに高い山が牛を
山路へさしかかっても、一里ばかりの間はどうにか斯うにか人車がかようのでありました。もっともその途中、狭い嶮しい崖みちで人車からおろされたことが二、三度ありました。麓で見あげた時にはたいそう優しげな山の形でしたが、さて踏み込んでみると、ずいぶん嶮しい山坂で、こんなところに住んでいては日常生活が定めて不便なことであろうと、わたくしはつくづく思いやりました。途中でたった一人、
「あなた、あるけますか。」と、三津子さんは
もし歩けなければ、車夫に負ぶってもらうというのでしたが、わたくしは断わりました。下り坂を降りると、熊笹の一面に生いしげっている底に水の音がきこえました。山川の習いで、かなりに瀬が早いらしいと思っているうちに、五、六間もあろうかと思われる山川が眼の前にあらわれました。川の中にはところどころに大きい石が聳えている。ぐゎうぐゎうという響きを立ててむせび落ちて来る清らかな水は、そこにもここにも白い泡を噴いています。その川べりを縫って、およそ一町あまりも歩いたかと思うときに、ふと見るとひとりの小さい人間が川の中の平たい石の上に身をかがめていました。わたくしは思わず立ち停まって、あの人は何をしているのかと眺めていますと、そばにいる車夫が教えてくれました。
「あれは
「男の児でしょうか。」と、わたくしは小声で訊きました。
その人間の姿がどうも男か女かよく判らなかったからでございます。
「女でしょうよ。」と、車夫はまた言いました。
そういわれれば、なるほど女であるらしくも思われました。うしろ向きになっているので、その人相は判りませんけれども、長い髪の毛を藤蔓のようなものでぐるぐると巻き付けて、肩のあたりに垂れていました。着物は縞目も判らないように汚れている筒袖のようなものを着て、腰にはやはり藤蔓のようなものを巻いていましたが、
その説明を聴きながら川上の方へのぼって行こうとすると、わたくしどもの足音を聞きつけたらしく、かがんでいた女の児は水の上から眼を離して、じっとこちらを見つめました。山の中に住んでいるせいか、その児の色の白いのが、わたくしの眼につきました。
三津子さんの
うしろの森へはいって、何かの仕事をしていた三津子さんのお連合い||前にも申した林学士の関井さんでございます||がやがて帰って来ました。関井さんはたしか卅一だと聞いていますが、これも一年あまりお目にかからないうちに、なんだか急に老けたようにも思われました。去年の夏、東京で新婚の御披露のあった時に、わたくしも御招待をうけて、関井さんにはお目にかかったことがあります。出発の時にも停車場までお見送りに行きました。そういうわけで、関井さんに逢うのは今度で三度目ですが、去年から見るとなんだか顔の色がひどく蒼ざめて、急に病身にでもなったのではないかとも思われるようでした。それでも、わたくしの来たのを大層よろこんで、重い口からいろいろのお世辭などを[#「お世辭などを」はママ]いってくれました。
「こんな山奥でどうにもなりませんけれど、まあ涼しいのを取り得にして、どうぞいつまでも御逗留ください。草花には東京で見られないような、なかなか美しいのがあります。秋になると
それから東京の噂などが二つ三つ出た頃に、一人の男が庭さきから廻って来て、お風呂が沸きましたと知らせました。この男は麓の村の者で、前の署長の時代から小使い兼帯でここに雇われているのだそうです。名は六助といって、もう六十に近い巌乗らしい
「じゃあ、早く行っていらっしゃい。汗になって気味が悪いでしょう。」
関井さんに勧められて、わたくしは風呂場へ出て行きました。風呂は
みなさんのお風呂が済みますと、八畳のお座敷に大きい食卓が運び出されて、ランプの下でお夜食が始まりました。六助じいやにも手伝わせて、三津子さんはいろいろのお料理をかいがいしく運んで来ました。
「山の中ですから、これが精いっぱいの御馳走でございますわ。」と、三津子さんは笑いながらわたくしにすすめてくれました。
わたくしの来るのを前から知っていたので、台所には相当の準備があったらしく、オムレツや、フライや、鳥のお吸物や、この山で取れるという竹の子のお旨煮や、たくさんの御馳走が列べられたのには、わたくしも少しく驚かされました。こんな山の奥でもこんな御馳走がたべられるのかと思いました。お
「このお魚はさっきの川で捕れるのでございますか。」と、わたくしは三津子さんに訊きました。
「はあ。あすこらには余りたくさんいませんけれど、しもの方へ行くとずいぶん捕れます。」
「やはりここらまで売りに来るのですか。」
「売りには来ませんが······。」と、関井さんは横眼で奥さんの顔をちらりと視ました。
「うちのじいやが村まで降りて買って来るのです。なに、ここらでは非常に廉いものですよ。」
関井さんの笑い顔の寂しいのがわたくしの眼につきました。関井さんばかりでなく、三津子さんの顔にも暗い影がさしたように思われました。そうして、わたくしばかりでなく、三津子さんもその山女のフライには箸をつけないのです。どうという取り留めた理屈もないのに、山女という魚を中心にして、どの人もなんだか暗い気分を誘い出されたらしいのは不思議なことで、わたくしは詰まらないことを言い出したのを今さら後悔しました。しかしそれもほんのちっとの間で、関井さんの夫婦はすぐに元の晴れやかな顔色に戻って、再び東京の噂や、ここらの山住居の話などを始めて、それからそれへといろいろの話に花が咲きました。
「あなたもさぞお疲れでしょう。今夜はもうこの位にして、あした又ゆっくりお話をうかがいましょう。」と、関井さんは言いました。
それは置時計が十時を打った頃で、山奥の夜はいよいよ冷えて来ました。ランプの灯を慕って来たらしい
「ちょっと来て御覧なさい。星がずいぶん綺麗ですこと。」
呼ばれてわたくしも出てみると、星はさっきよりもおびただしい数を増して、どれが天の河だか判らないくらいに、低い空一面にかがやいていました。外には暗い杉の木立がすくすくと突っ立っているばかりで、山風の音もきこえません。寝鳥のさわぐ音もきこえません。その鎮まり返った中でじっと耳を澄ましていると、どこからか水の音が遠くひびいて来るようです。さっきの女の児が山女を捕っていた川の音であろうと思うと、わたくしはまた女の児のことを思い出しました。
その途端に、六助じいやが何か叱っているような声がきこえました。じいやは母屋から少し
「また来たか。いけねえ、いけねえ。もう遅いから、帰れ、帰れ。ぐずぐずしていると、狼に食われるぞ。」
狼||わたくしは思わずぎょっとしました。ここらにも狼が出るのかしらと、なんだか急に怖くなりましたが、三津子さんはやはり身動きもしないで、じいやの声をちっとも聞きはぐるまいと熱心に耳を引き立てているようでした。
「さあ、悪いことはいわねえ。帰れ、帰れ。山女なんぞもう要らねえよ。」
山女||それが又、狼とおなじようにわたくしの耳に強くひびきました。山女がどうしたのであろう、誰が山女を持って来たのであろう。さっきの山猿のような女の児の姿が再びわたくしの眼のさきに泛かび出しました。じいやの声はそれぎり途切れて、その後はなんの音もないので、三津子さんはほっとしたように縁さきへ引っ返して来ました。
寝床を敷いてもらって、わたくしは枕に顔を押し付けました。蚊はいないというので、七月の末にも蚊帳を吊ってありませんでした。一日の疲れで、定めて正体もなしに寝られるだろうと思っていましたのに、なぜか眼が冴えて眠られません。寝どこが変わったせいばかりでなく、これにはなんだか訳がありそうに考えられてなりませんでした。山猿のような女の児と山女と||それが不思議にわたくしを寝苦しくさせるようでした。わたくしは午前二時の時計の音を聞いて、それからようよう寝付きました。
夜があけると、一面の霧でした。じいやが氷のように冷たい水を汲んで来てくれたので、それで顔を洗って、わたくしは生き返ったようなさわやかな気分になりました。けさも三津子さんは台所の方が忙がしそうなので、わたくしも何かお手伝いをしましょうと言いましたが、三津子さんはどうしても承知しませんでした。
「いいえ、あなたはお客様ですから、どうぞあちらへ行っていてください。こんなことはじいやを相手にして、毎日仕馴れているんですから。」
一家の主婦として、台所を一人で切って廻している若い奥さんのお邪魔をするのも却ってよくないと思って、わたくしは素直に元の座敷へ戻って来ますと、関井さんは縁側に二つの籐椅子を持ち出して、わたくしにもすすめてくれました。やがて三津子さんが運んで来てくれた紅茶を飲みながら、関井さんはけさも山住居の話をはじめました。この小林区署には、ほかにまだ山林属が一人、技師が一人、主事が八人とかいるそうですが、二人は暑中休暇で半月ばかり帰省しているのと、他の三人は近村の山林の巡回に出ているのとで、当時ここに住んでいるのは関井さんの夫婦と雇い人の六助じいやと、ほかに五人だということでした。
「わたくしもここへ来てからもう三年になります。山林生活にはすっかり馴れてしまいましたから、別に寂しいとも不自由とも思いませんけれど、一つ所に長くいるといけません。そのうちに、どこへか転勤しようと思っています。どうで猿か熊のように山から山を伝ってあるくのですが、どうも一つ所はいけません。又ほかの山を探そうと思っています。」
「一つ所に長くいらっしゃると、随分お飽きになりましょうが、しかし又、違ったところへお出でになると、当分は何かと御不自由なこともございましょう。」
「それもそうですが······。」と、関井さんは少し考えるように眼を
「わたくしはなんにも存じませんけれど、御用はなかなかお忙がしいのでございますか。」
「なに、ここらは比較的に
山窩というものに就いて、関井さんは説明してくれました。それは山の中に小屋や
そんな話を聞かされて、わたくしは山川のふちできのう出逢った山女捕りの女の児をまた思い出しました。あれもきっとその山窩に相違あるまいと思って、関井さんにその話をしますと、関井さんは急にまじめになったようなふうで、少し小声になって訊き返しました。
「その女の児というのは
「そうでございますね。わたくしにもよく判りませんでしたけれど、なんだか十三四ぐらいのように見えました。それとも、もう少し大きいかも知れません。色の白い、顔立ちは悪くない児でございました。」
「なんにも声をかけませんでしたか。」
「はあ。」
関井さんは黙ってうなずいて、それぎりなんにも言いませんでしたけれど、その顔色になんだか穏かならないところがあるようにも見えました。山霧はもうだんだんに剥げて来ました。
「わたくしは少し見廻るところがありますから、これでちょっと失礼します。」
関井さんは途中でわたくし共に別れて、そこらの大きい森の中へはいって行きました。取り残された二人は、官舎の方へしずかに戻って来ました。山の朝は気味の悪いほどに寂かで、どこかで山鳩の声がきこえました。
「ふだんはいろいろ御不自由なこともありましょうけれども、こういう所に住んでいらっしゃるのは全くからだの薬でございますわ。」と、わたくしは足もとの草花を眺めながら言いました。
「不自由は初めから覚悟して来たのですから、それほどにも思いません。」と、三津子さんは笑いながら言いました。「世間のうるさいお付合いはありませんし、そりゃ全く気楽ですわ。空気もよし、景色もよし、からだのためには全くいいんですけれど······。主人とも相談して、どこかほかのところへ転勤するように運動して貰おうかと思っているんです。」
「関井さんもそんなことを仰しゃっておいででした。」
「主人もあなたにそう申しましたか······。まったくここには
「山窩とかいうものがたくさん棲んでいるそうでございますね。」
わたくしがうっかりと口をすべらせると、三津子さんの顔色は急にむずかしくなりました。
「主人が山窩のことをお話し申しましたか。」
「はあ、悪いことをして困るとかいうことで······。」
「悪いこともしますけれど······。」と、三津子さんは低い溜め息をつきました。「なにしろこんなところに長く住まいたくありません。いいえ、山の生活が忌になったという訳じゃ決してありません。都会の生活が恋しくなった訳でもありません。わたくし共には山の生活の方がむしろ気楽で幸福だと思っているんですけれど、ここはどうも面白くありません。こんなところに長く住んでいるのは、わたくしども夫婦に取ってどうも良くないように思われますから、同じ山の中でもどこかほかのところへ移りたいと祈っているんです。その訳は······。あなただけにはお話し申そうかと思っていたんですけれど、こうしてお目にかかってみると、やはり思い切ってお話し申すことが出来なくなりました。いずれ後日にお判りになることがあるかも知れませんが、今度はまあなんにも申し上げますまい。人の住まないような山の奥には又いろいろの秘密があります。」
三津子さんは寂しくほほえみました。山の奥の秘密||それが何であるか、わたくしにはもとより判ろう筈はありません。しかしその秘密には山窩と山女とが何か
「しかし別にこれといって見物するところも無いんですから、長く御逗留下すったらきっと御退屈なさるでしょうね。」と、三津子さんは、わたくしの顔を覗きながら言いました。
「いいえ。わたくしもこういう静かなところが大好きでございますから、十日や半月では決して飽きるようなことはございません。お天気のいい日にはこうして散歩でもしていますし、雨でも降った日には久し振りであなたのピアノでも伺いますから。」
「ピアノは折角持って来ましたけれど······。こちらへ来た当座は五、六たび
「この山には猿や狼がたくさん棲んでいますか。」と、わたくしはゆうべの六助じいやの
「はあ。たくさん棲んでいます。わたくしどもに取っては怖ろしい猿や狼が······。わたくし全くこの山にいるのは忌ですわ。」
その猿や狼というのが本当の
「あなたの前でこんなことを申すのも何ですけれど、関井はほんとうにいい人です。ほんとうにわたくしを愛してくれます。その点ではなんにも不足はありません。わたくしは幸福な人間だと思っています。どんなことがあっても、わたくしは関井に背いて、この山を降りようとは思いません。人の妻として、わたくしがそれだけの決心をもっていることは、あなたも記憶していてください。」
さっきから三津子さんのいうことは、すべて一種の謎のようで、わたくしには何がなんだか一向に判りません。そこにいわゆる「山の秘密」が含まれているのでしょう。ここにこうして幾日も逗留しているあいだには、自然にその秘密の
家へ帰ったのは、もう十一時に近い頃で、三津子さんはすぐにまた
手紙をみんな書いてしまったのは午後一時頃で、さすがに日の中はかなりに暑くなりました。わたくしはその手紙を持って、六助じいやの小屋へ出てゆきますと、小屋の中にはじいやのほかにもう一人の姿が見えました。この小屋は母屋から相当の距離を取って、背中あわせに建てられたもので、家のまわりにはやはり大きい桐の木が五、六本、あたかも日かげを作るように掩っていました。入口は三坪ばかりの土間になっていて、その正面に四畳半ぐらいの一間が見えました。土間にはお風呂のたき物にでもするかと思うような枯枝が積んでありました。
わたくしは何心なくその土間に片足踏み込んで、家の中をのぞいて見ますと、じいやは切株のようなものに腰をかけて、小さい
「おお、いらっしゃいまし。」
六助じいやは鉈をやすめて、笑いながらわたくしに挨拶しました。
「あの、あしたは何かの御用で村の方へおいでなさるそうですね。」
「はあ。まいります。」と、言いながらじいやはわたくしの手に持っている郵便に眼をつけました。
「ああ、郵便でございますか。よろしゅうございます。たしかにお預かり申しました。」
「どうぞ願います。葉書と封書と両方で五通ありますから。」
こんなことを言っている間、女の児はやはり黙ってじっと我々を見つめていました。じいやはそれに気がついて、急にその児の方に向き直りました。
「それ、お客様がおいでだから、もう帰れ、帰れ。山女はきょうも要らねえ。さあ、真っ直ぐに帰るんだぞ。奥の方へ行ってうろうろするんじゃねえぞ。いいか。」
女の児はなんにもいわずに素直に出てゆくと、じいやは
「今度は突然に出ましていろいろ御厄介になります。」と、わたくしはお土産のしるしに幾らかのお金をつつんでじいやにやりました。
「こりゃどうも恐れ入ります。」
びっくりしたような顔をしてお礼をするのを見ても、このじいやの朴訥なことが察せられます。わたくしは思わずそこにある枯枝のひと束に腰をおろして、打ち解けてじいやに話しかけました。
「あの児はどこの児です。」
「どこの児だか判りませんよ。」と、じいやは苦笑いをしていました。「どこかに親も兄弟もあるんでしょうが、なにしろあんな人間でございますからね。」
「やっぱり山窩とかいうんですか。」
「そうですよ。ここらの山の中にはあんな者が棲んでいて、時々に村へ降りて行っていろいろの悪さをして困りますよ。」
「山女を売りに来たんですか。」
「なに、売りに来たんじゃありません。ああして自分の捕ったのを持って来てくれるんですよ。」
「その代りにこっちでも何か食べ物でもやるんですか。」と、わたくしはまた訊きました。
「なにか食べ物をやることもありますが······。毎日のようにうるさく来るので、この頃は相手にならずに追い返してしまうんです。考えてみりゃあ可哀そうのようでもありますけれど······。」
「まったく可哀そうですわね。」
「毎日ああして山女を捕って来てくれるんですからね。まったく涙が出るように可哀そうなこともありますけれども、どうにもこうにも仕様がありません。あんな者のことですから、そのうちには又どうにかなりますよ。」
山窩の小娘に、じいやはひどく同情しているような口ぶりもみえます。わたくしはこのじいやの口から山の秘密をなにか探り出したいと思ったので、なにげなしに又訊きました。
「あの児はなんという名です。」
「名なんか知りませんよ。たびたびここへ来ますけれど、名前なんか訊いてみたこともありません。当人も知らないかも知れません。」
「いくつぐらい、もう十三四でしょうね。」
「いや、もう十六七かも知れませんよ。あんな奴等はみんな猿のように、からだが小そうございますからね。ええ、そうです。どうしても十六ぐらいにはなっていましょうよ。」
「そうですかねえ。まるで子供のように見えますけれど、もうそんなになるんですかねえ。あの娘はここへ来て、別に何も悪いことをするんじゃないでしょう。」
「悪いことはしません。」と、じいやはうなずいた。「以前は悪いことをして、ここの旦那につかまったこともあるんですが、この頃はちっとも悪いことはしません。唯ぼんやりとここへ来て突っ立っているんです。考えると可哀そうですよ。」
じいやは繰り返してあの娘に同情するようなことを言いました。人の物を盗むような山窩の娘が、自分の折角捕った魚をなぜ持って来てくれるのか判りません。山窩の娘と山女とそれがいつまでも一種の謎でありました。
表に靴の音がきこえたので、じいやもわたくしも伸び上がって見ますと、関井さんは額の汗を拭きながら帰って来ました。
「お帰んなさいまし。」と、二人は一度に声をかけました。
「やあ。」
関井さんはちょっと立ち停まって、じいやとわたくしの顔を子細ありそうに見較べていましたが、そのまま奥へはいってしまいました。
お話し上手のかたですと、これだけの筋道をもっと掻いつまんで要領を得るようにお話しが出来るのでございましょうが、わたくしの癖で、なんでも自分の見た通り、聞いた通りをありのままにお話し申さなければ、気が済まないように思われるもんですから、詰まらないことをついだらだらと長くなってしまいました。さてこれからが本当の
少なくも半月ぐらいはここに滞在している筈のわたくしが、たった五日目に早々立ち去ることになりました。というのは、わたくしが東京を発ちました翌日から、母が急病でどっと倒れまして、初めはほんの暑さあたりだろうぐらいに思っていたのですが、急性腸胃
わたくしの逗留しているあいだに、その後もじいやの小屋で二度ばかり山窩の娘のすがたを見ましたが、なにぶんにも短い滞在でしたから、いわゆる「山の秘密」とかいうようなものは結局なんにも判りませんでした。
母の病気は一時なかなかの重体で、わたくし共もずいぶん心配いたしましたが、幸いに翌月の初旬には全快しました。そのあいだに三津子さんからたびたび見舞の手紙をくれましたので、こちらからもいよいよ全快のことを報らせてやりますと、大層よろこんでいるという返事が来まして、もう一度出直して来ないかと誘われましたが、そうもいかない事情もありますので、来年かさねておたずね申しますと言ってやりました。
秋になって、三津子さんから紅葉を観ながら遊びに来いと又誘われましたが、わたくしはやはりお断わりをして行きませんでした。すると、十一月の中頃に関井さんが突然たずねて来て、こんなお話がありました。
「わたくしは今度いよいよ他の土地へ転勤することになりました。今度は千葉県の暖いところですから、寒くなったら避寒かたがた是非お遊びにお出でください。三津子もしきりに申しておりました。」
関井さんはその転勤のことについて、突然東京へ出て来ることになったので、二、三日の後には再び元の山へ帰って、十二月はじめに官舎を引き払うということでした。
「千葉県へ移るについては、どうしても東京を通過しなければなりませんから、三津子もその節にお伺い申すかも知れません。」
こう言って、関井さんはその日は早々に帰ってしまいました。
あの御夫婦がどこへか転勤を希望していることは、わたくしもよく知っていますので、別に不思議ともなんとも思いませんでした。かえって御夫婦のためには好都合であろうと喜んでいました。わたくしはすぐに三津子さんのところへ手紙を出して、御転勤をお祝い申してやりました。その手紙が三津子さんの手に届いたか、まだ届かないかと思われる頃に、わたくしは或る朝の新聞紙上で飛んでもない怖ろしい記事を発見しました。
その記事はその地方の電話に拠ったもので、ほんの七、八行の簡単なものでしたけれど、わたくしは
「あの山窩の娘が三津子さんを殺したんじゃないかしら。」
わたくしは何という理屈もなしに、そんなことを考えました。そうして、取りあえず関井さんの宿へ電話をかけますと、関井さんは今朝の一番汽車でもう出発したということでした。なんにしても、もう落ち着いてはいられないので、わたくしは母や兄に相談して、すぐに関井さんのあとを追っ掛けてゆくことにしました。三津子さんの死に顔も早く見たいと思いましたのと、もう一つにはその最期のありさまも
あいにくに
「村上さんのお嬢さん。」
それは六助じいやでした。じいやは死体を始末するために棺桶や何かを注文して、これから山へ帰るところでした。いい路連れが出来たので、わたくしもほっとしました。じいやは次の村へ行って人車を探してやるから、そこまで一緒にあるいて行けと言いました。
「どうも飛んだことで、ほんとうにびっくりしてしまいました。」と、わたくしは歩きながら言いました。「奥さんはどうなすったのでしょう。一体、誰が殺したんです。」
「おとといの午過ぎでしたよ。わたくしがうしろの山へ枯枝を拾いに行って、一時間ばかり経って帰って来て、それから枝を
じいやがぞっとしたのは無理もありません。その話を聞いただけでも、わたくしは総身の血が一度に凍ってしまいました。
「それで、殺した者は知れないんですか。」
「知れませんよ。みんな巡回に出ていて、誰もいない留守のことですから。」と、じいやの詞は少し途切れました。
「あの、もしや山窩とかの娘じゃありませんかしら。」
わたくしが思い切ってこう言いますと、じいやはじろりと横目で睨んだばかりで、しばらく黙っていましたが、やがてしずかに言い出しました。
「お嬢さん。あなたは奥さんから何かお聞きでございましたか。」
「いいえ、別に······。けれども、何だかそんなような気がしてならないんです。ほんとうにそうじゃありませんかしら。」
「そうかも知れませんよ。」と、じいやは唸るように言いました。「あなたがそう仰しゃるならば言いますが、わたくしもそうじゃないかと思っています。こんなことを
この前にもそうでしたが、このじいやの言い振りはなんだか奥歯に物が挾まっているようで、焦れったくってなりません。殊に今の場合にそんな謎のようなことを聞かされては堪まりません。わたくしはもう
その話によりますと、例の山窩の娘はときどきにじいやの小屋へ食べ物を貰いに来ていました。それがだんだんに増長して、じいやの留守に奥の方まで忍んで行って、なにか盗み出そうとするところを、ちょうど居合わせた関井さんに見つけられたのです。見付けられて、つかまえられて······。それからどうしたのか判りませんが、その後は山窩の娘がこの官舎へうるさく来るようになりました。じいやの小屋へも来るのですが、奥の方へもたびたび忍んで行くのです。そんなことが小一年もつづいているうちに、去年の夏から三津子さんという新しい奥さんがここへ乗り込んで来ました。その以来、山窩の娘は奥の方へ行かなくなりました。奥へゆくと、叱って追い出されるので、いつでも小屋へ来て黙ってしょんぼりと立っているのです。じいやは可哀そうに思いますけれども、どうにも仕様がありませんでした。
ここらの山川には山女という魚が棲んでいて、それが山住居の人には
山窩の娘は殆んど毎日のようにじいやの小屋へ姿を見せていましたが、別に乱暴を働くわけでもなく、ただ黙って突っ立っているばかりでした。しかし不思議なことには、奥でピアノの音がきこえると、それをじっと聴いているうちに、なんだか眼の色が怪しくかがやいて来て、一度はそこにある枯枝をつかみ出して行って、奥の縁側へだしぬけに投げ込んだことがありました。その以来、この官舎でピアノの音は絶えてしまったそうです。
それらの事情からかんがえると、殊にその兇器を小屋の中から持ち出したのをみると、奥さんを殺した犯人はどうも山窩の娘であるらしいと六助じいやは鑑定しているのでした。唯ここに一つの疑問は、どうで殺すくらいならば今日まで一年あまりもなぜ猶予していたかということで、その理屈がどうも判りません。あるいは関井さんの夫婦が近々にここを立ち去るということを知って||それもどうして知ったのか判りません。六助じいやは決してしゃべった覚えはないといっていました||。急に妬ましさが募って来て、ふだんから憎んでいる奥さんを殺そうと思い立ったのか。それとも、久し振りでピアノの音を聴いて、不意にむらむらと殺意を起こしたのか。なにぶんにも相手が相手ですから、普通のわれわれの考えでは確かにこうという見極めは付きそうもありません。いずれにしても、三津子さんは世に悼ましい
山窩の娘については、三津子さんもその秘密を知っていたに相違ありません。それはわたくしと一緒に散歩に出たときの口ぶりでも想像されます。その当時は一種の謎のようで、頭の悪いわたくしには何がなんだか一切夢中でしたが、今となって考えればその謎もだんだんに解けて来るように思われます。そういう事情があるので、関井さんも三津子さんも早くこの山を立ち去りたいと祈っていたのでしょうが、それが却って禍いの基になったのかも知れません。
この話の間に、わたくし共は長い寒い田圃みちをゆきぬけて次の村の入口へたどり着くと、六助じいやはそこらの百姓家をたずねて、一台の人車をようよう見付けて来てくれました。
もうそのさきのことは別に申し上げるまでもありますまい。三津子さんのむごたらしい死骸は火葬にして、わたくし共はその遺骨を護って東京へ帰りました。
関井さんは千葉県へゆくのを止めて、すぐに辞職してしまいました。問題になった山窩の娘はどうしたか判りません。人の知らないところへ行って、身でも投げたか、首でも
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蛔虫
T君は語る。
「あの時は僕もすこし面食らったよ。」と、深田君がわたしに話した。深田君自身の説明によると、かれはその晩、地方から出京した親戚のむすめを連れて向島のある料理店兼旅館へ行って、芋と蜆汁を食っていたのだというのである。親戚の娘を妙なところへ連れ込んだものだと思うが、ともかくもその説明を正直にうけ取って、仮りに親戚の娘としておく。その娘は
それは九月の彼岸前で、日の中は
今夜はどこの座敷もひっそりして、明かるい月の下に冷々とながれている隅田川の水を眺めているのは、この
「あら。」
だしぬけに金切り声を叩き付けられて、深田君はびっくりして立ち停まった。親戚の娘がさき廻りをしていて、いたずらにおどしたのかとも思ったが、そうでないことはすぐに判った。深田君をおどろかした女はやはり二十歳ぐらいで、
「どうも失礼。まことにすみません。」
「いや、どうしまして。」
言いながらよく見ると、女は色の丸顔の小作りで[#「女は色の丸顔の小作りで」はママ]、まぶしそうに月明かりから顔をそむけた
「いい月ですね。」
「そうでございますね。」と、女はうるんだ声で答えた。
それがいよいよ気にかかるので、深田君は判り切っているようなことを訊いた。
「あなたお一人ですか。」
「はあ。」
「お一人ですか。」と、深田君は不思議そうに念を押した。
「はあ。」
「あなたはこの土地の人ですか。」
「いいえ。」
若い女がただ一人でここへ来て、木のかげに隠れて泣いている。深田君はいよいよ好奇心をそそられて、どうしてもこのままに別れることが出来なくなった。もう一つには、この女がどう見ても堅気の人間でないらしいことが、深田君の心を強くひき付けた。
「お一人で御退屈ならわたしの座敷へお遊びにいらっしゃい。あなたとお話の合いそうな女もおりますから。」
「ありがとうございます。」
もうその以上には何とも話しかける手づるがないので、深田君は心を残してかの女に別れた。二、三間行きすぎて振り返ると、女は土にひざまずいて木の幹に顔を押し付けてまた泣いているらしかった。なにぶん見逃がすことが出来ないので、深田君はまたそっと引っ返して来て声をかけた。
「あなた、どうしたんです。心持でも悪いんですか。」
女は返事もしないですすり泣きをしていた。
「え、どうしたんです。訳をお話しなさい。あなたは一体どうして一人でここへ来ているんです。」と、深田君は無遠慮に切り込んで訊いた。「だしぬけにこんなことを言っちゃあ失礼ですけれども、一応その訳をうかがった上で、またなんとか御相談にも乗ろうじゃありませんか。あなたは一体なにを泣いているんです。」
女は容易にすすり泣きを止めないのを、いろいろになだめてすかして詮議すると、女は上州前橋の
「そこで、その上原という人は何時頃に出て行ったんです。」
「五時過ぎでしたろう。」
今夜はまだ八時を過ぎたばかりで、五時から数えてもまだ三時間を多く越えない。それですぐに置き去りと決めてしまうのは、あまりに早まっているように深田君は思った。用向きの都合では二時間や三時間を費すこともないとはいえない。その理屈をいって聞かせても、好子はなかなか承知しなかった。上原は自分を振り捨ててどこへか姿を隠したに相違ないと、泣きながら強情を張った。これには何か子細があると見て、深田君は無理に彼女をなだめて、ともかくも自分の座敷へ連れて行くと、親戚の娘も気の毒がって親切にいたわってやった。それからまただんだん問いつめて行くと、上原という男はことし卅一で、女房もあれば子供もある。ことに養子の身分で、家には養父も養母も達者である。そういう窮屈な身分で土地の芸妓と深い馴染みをかさねたのであるから、なんらかの形式で一種の悲劇が生み出されずにはすまない。家庭にはいろいろの葛藤がもつれにもつれて、結局
「上原さんはきっと急に気が変わって、あたしを置き去りにして逃げたに相違ありません。」と、好子はくやしそうに泣いて訴えた。
この場合、そうした
男が無事に帰って来たらば、その突きつめた無分別をさとしてやろう。男が果たして帰らなかったらば、女に旅費を持たせて前橋へ送り返してやろう。深田君は二つに一つの料簡をきめて、親戚の娘と共に好子をしきりになだめていると、それから一時間ほども経った頃に、家の女中たちが庭をさがし歩いているような声がきこえた。
「なんでも庭の方を歩いていらしったようですが······。」
「庭に出ていましたか。」と、男の不安らしい声もきこえた。
それが好子の連れの男であることは直ぐに想像されたので、深田君は早く行けとうながしたが、好子はなぜか容易に起とうともしなかった。庭の方ではしきりに探しているらしいので、深田君は気の毒になって声をかけた。
「もし、もし、お連れの御婦人ならばここにおいでですよ。」
その声を聞きつけて、男の方はすぐに駈けて来た。それが上原というのであろう。顔の青白い、眼の色のにぶい、なんだか病身らしい痩形の男で、深田君に丁寧に挨拶して好子を連れて行こうとすると、好子は
「薄情、不人情、嘘つき······。人をだまして、置き去りにして······。」
力任せに小突きまわして、好子は噛み付きそうに男の薄情を責めた。それがヒステリーの女であることを深田君はさとった。上原という男も人の見る前、すこぶるその処置に困ったらしく、いろいろにすかして連れて行こうとしたが、好子はなかなか肯かないで、大きい
「気が狂ったんでしょうか。」と、親戚の娘はほっとしたように言った。
「ヒステリーだろう。」
「だって、男が帰って来たらいいじゃありませんか。」
「そこが病気だよ。理屈には合わない。お前だって時々そんなことがあるぜ。」と、深田君は笑った。
男が帰って来たらばその無分別を戒しめてやろうと待ちかまえていた深田君も、この騒ぎに少し気をくじかれて、今すぐに何を言っても仕方がない。男もこっちの意見を聞いている余裕はあるまい。ともかくも女のちっと落ちつくのを待って、それからおもむろに言うだけのことを言って聞かそうと思い直して、かれは良い月を見ながら酒を飲んでいた。
「あなたもあたしを置き去りにして行くと、あたしヒステリーになってよ。」と、親戚の娘は酌をしながら言った。
こっちにも少し悶着が起こっていたのであるが、よその騒ぎでうやむやのうちに納まってしまって、深田君はいい心持に酔いが廻った。青白い顔の男もヒステリーの女も、かれの記憶からだんだんに遠ざかって、とうとうそこにごろりと寝ころんでしまった。
「あなた、お起きなさいよ。大変よ。」
親戚の娘にゆり起こされて、深田君は寝ぼけ
「あなた、さっきの人が死んだんですとさ。」
「男か女か。」と、深田君はぎょっとして起き直った。
「男の人ですって······。警察から来るやら、大騒ぎですわ。」
深田君は蚊帳を這い出して、すぐに上原の座敷へ行ってみると、座敷のなかには警部らしい人の剣の音がかっかっと鳴っていた。刑事巡査らしい平服の男も立っていた。蚊帳はもうはずしてあった。二つならべてある一方の蒲団の上には、寝みだれ姿の好子が真っ蒼な顔をして坐っていた。深田君は廊下からそっと覗いているのであるから、その以上のありさまはうかがい知ることが出来なかった。死人の姿は見えなかった。
家の女中達もみな起きて来て、遠くから怖そうにうかがっていた。その中に深田君の座敷を受持ちの女中もいたので、一体どうしたのかと訊いてみると、今から小一時間も前に、この座敷でけたたましい叫び声がきこえた。不寝番がおどろいて駈け付けると、男は蒲団から転げ出して死んでいた。女は魂のぬけたような顔をしてその死骸をぼんやりと見つめていた。女のいうところによると、二人ともに眼が冴えて寝付かれないので、夜のふけるまで起き直って話していると、男は突然に空をつかんでばったり倒れてしまった。事実は単にそれだけで、彼女は出張の警官に対してそう申し立てたのである。しかしそこには何か不審の点があるらしく、女はなお引きつづいて警官の取り調べを受けているのであった。
その話を聞いているうちに、刑事巡査らしい平服の男が廊下へ出て来て、深田君のたもとを軽くひいた。
「あなた、ちょいと顔を貸してくれませんか。」
「はい。」
かれに誘われて、深田君は庭に出ると、明かるい月は霜をふらしたような白い影を地に敷いて、四つ目垣に押っかぶさっている萩や
「あなたは今夜あの女にお逢いだったそうですね。」と、男は言った。「あなたはお一人ですか。」
いわゆる親戚の娘を連れているだけに、こういう取り調べを受けるのは深田君に取ってすこぶる迷惑であったが、よんどころなしに何もかも正直に申し立てると、男は一々うなずいて聞いていた。
「すると、あの男と女は心中でもしそうな関係になっているんですね。」
「まあ、そうらしいんです。わたくしも意見してやろうと思っているうちに、つい酔っ払って寝込んでしまって······。」
「そうでしょう。お連れがありますから。」と、男はひやかすように言った。「男の死体は医師が一応調べたんですが、脳貧血、脳溢血、心臓麻痺、そんな形跡は少しも見えないで、どうも窒息して死んだらしいという診断です。男の
「御鑑定の通りです。あの女はどうもヒステリー患者だろうと思われます。」
「そうでしょう。」
男はしばらく黙って考えていた。深田君も黙っていた。さっきのありさまから想像すると、女はあくまでも自分を置き去りにしたように男を怨んで、ヒステリー的の激しい
「で、なにか紛失品はなかったんですか。」
「それも一応取り調べたんですが、別に紛失したらしい物品もないようです。あの二人は小さい信玄袋のほかにはなんにも持っていないんですから。」と、男は説明した。「いや、あなたのお話でもう大抵判りました。ついては幾度もお気の毒ですが、あの座敷の方へもう一度行ってくれませんか。」
重々迷惑だとは思ったが、深田君はそのいうがままに再びもとの座敷へ引っ返して来ると、好子はやはりおとなしく坐っていた。なにを訊いても固く唇を結んでいるので、警部も持て余しているらしかった。刑事巡査らしい男は深田君を案内して、好子の眼の前へ連れ出した。
「おい。いつまで世話を焼かせるんだ。」と、彼はさとすように好子に言い聞かせた。「おまえはこの人を知っているだろう。お前はゆうべこの人の見ている前で、上原という男にむしり付いたというじゃないか。」
「人を置き去りにしようとしたからです。」と、好子はほろほろと涙を流した。
「それが嵩じて、ここでも上原に武者ぶり付いたんだろう。もとより殺す気じゃなかったんだろうが、夢中で絞め付けるはずみに相手の息を止めてしまったんだろう。え、そうだろう。正直に言わないじゃいけない。」
「そんなことはありません。」
「だって、ほかに誰もいない以上は、お前が手を出したと認めるよりほかはない。お前はどうしても知らないと強情を張るのか。」
「知りません。」
男は深田君の方を見返って、なにか言ってくれと眼で知らせるらしいので、深田君はいよいよ迷惑した。しかしどう考えても、好子がその加害者であるらしいので、かれも一応の理解を加えてやろうと思った。
「好子さん。さっきは失礼しました。上原さんというかたはどうも飛んだことでしたね。一体どうしてこんなことになったんでしょう。あなたが傍にいてなんにも知らないはずはないでしょう。上原さんの喉には爪のあとが付いていたというじゃありませんか。」
「どうだか知りません。」と、好子はまた泣いた。
男をうしなった悲しみの涙か、男を殺した悔みの涙か、その白いしずくの色を見ただけでは深田君には判断が付かなかった。
「今もいう通り、あなたが上原さんを殺す気でないことは判っています。」と、深田君はまた言った。
「勿論、あなたが上原さんを殺すはずがありません。しかし物事には時のはずみということがあります。時のはずみで心にもない事件が
噛んでふくめるように言って聞かせても、好子はどうしても白状しなかった。しまいには声をあげて泣くばかりであった。もう仕方がないので、警官は彼女を警察へ
「どうしてもあたしを人殺しだというんですか。あたしがなんで、上原さんを······。あたしはそんな女じゃありません。上原さん、上原さん。あなた
好子は声のつづく限り、悲しげな叫びをあげながら曳かれて行った。
好子が出て行ったあとで、深田君も悲しい暗い心持になった。宵に自分が他愛なく酔い倒れてしまわなければ、このわざわいを未然に防ぎ止めることが出来たかも知れない。自分の不用意のために、見す見すかの男と女とを暗いところへ追いやってしまったのである。そうした悔恨に責められながら彼はぼんやり起ち上がろうとすると、どうしたはずみか彼は一方の蒲団の端につまずいて、足の爪さきに蛇のようなぬらぬらしたものを踏みつけた。時が時だけに彼はひやりとして、あわてて電灯の光りに透かしてみると、それはみみずの太いようなものであった。上原の死体はさきに警察に運び去られていたが、その敷き蒲団の下にこんな薄気味のわるい虫がひそんでいたことを誰も発見しなかったのであろう。深田君は身をかがめてよく見ると、虫はもう死んでいた。それは一尺ほどの蛔虫であった。
深田君も子供の時にたびたび蛔虫に悩まされた経験があるので、ひと目見てそれが蛔虫であることをすぐに覚った。ここに一匹の蛔虫が横たわっている以上、それが人間の口から吐き出されたに相違ないと思った。上原の病身らしい顔付きから想像して、彼が蛔虫の持ち主であることも考えられた。
「いいものを見付けた。なにかの証拠になるかも知れない。」
かれはその蛔虫をハンカチーフに包んで、すぐに警察へ持って行った。
「話はこれっきりだ。」と、深田君は言った。「この蛔虫一匹で万事が解決してしまったんだよ。好子は結局無関係とわかって放還された。」
「じゃあ、上原という男はどうして死んだのだ。蛔虫に殺されたのか。」と、わたしは訊いた。
「まさにそうだ。僕も毎々経験したことがあるが、蛔虫という奴は肛門から出るばかりじゃない、喉の方からも出ることがある。僕も叔母の家へ遊びに行っている時に、口から大きい奴を吐き出して、みんなを驚かしたことがあった。上原もその蛔虫に苦しめられていて、その晩も口から一匹吐き出した。つづいてもう一匹出ようとする奴を、女の手前無理にのみ込もうとしたらしい。一旦出かかった虫は度を失って、もとの食道へは帰らずに気管の方へ飛び込んで、それから肺へ
深田君は今更らしい嘆息をした。
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有喜世新聞 の話
S君は語る。
明治十五年||たしか五月ごろの事と記憶しているが、その当時発行の有喜世新聞にこういう雑報が掲載されていた。京橋築地の土佐堀では
有喜世新聞社では一種の
といっても、明治十五年||そのころは僕がようよう小学校へ通いはじめた時分であるから、その時すぐに判ったのではない。後日に偶然聞き出したのであることを、まず最初に断わっておく。僕の叔父の知人に溝口
溝口医師はそのころ麹町の番町で開業していた。今でも番町の一部はあまり賑かではないが、明治初年の番町辺はさらにさびしかった。元来がほとんど武家屋敷ばかりであった所へ、維新の革命で武家というものが皆ほろびてしまったのであるから、そこらには毀れかかった
門戸といえば、溝口医師の家は小さい旗本の古屋敷を買って、それに多少の手入れをしたもので、門の一方には門番でも住んでいたらしい小さい家があり、他の一方にも小さい長屋二軒が付いていたので、門番の小屋には抱えの車夫を住まわせ、他の長屋二軒は造作を直して、表から出入りの出来るように格子戸をこしらえ、一軒一円五十銭ぐらいの家賃で人に貸していた。なんでも三畳と四畳半と六畳の三
ふさがっている方の借家人は矢田友之助という大蔵省の官吏であった。そのころは官吏とはいわない、官員といっていたのである。矢田はことし廿四五で、母のお銀とふたり暮らしであったが、たとい末班でも官員さんの肩書をいただいている以上、一ヵ月一円五十銭の家賃を滞納するようなこともなく、無事に一年あまりを送っていた。
「友さんは遅いねえ。」
ひとり言をいいながら、母のお銀は格子をあけて表を見た。明治十三年九月の末の薄く陰った宵で、柱時計が今や八時を打ったのを聞いてから、お銀は長火鉢の前を離れて
「もし、どなたでございます。お隣りは空き家ですが······。」と、お銀は試みに声をかけた。
「はあ。」
女は低い声で答えたかと思うと、そのまま暗いなかに姿をかくしてしまった。それを見送って、お銀は内へはいったが、せがれはまだ帰らなかった。筋むこうの屋敷内に高く聳えている
「ともかくも
溝口の命令する声がきこえて、やがて車は門前におろされた。お銀は窓から伸びあがって覗いてみると、車夫の元吉は梶棒をおろして、くぐり門から一旦はいったかと思うと、さらに内から正面の門を左右にひらいて、車を玄関さきまで
お銀はさらに台所へまわって、
そのうちに元吉とお新の夫婦が奥から出て来たので、お銀は水口から出てそっと様子を訊くと、元吉はあたまを掻きながら答えた。
「いや、どうも大しくじりをやってしまいましてね。旦那をのせて帰ってくると、すぐそこの角で暗いなかから若い女が不意に出て来たので、あっと思って梶棒を振り向けようとする間もなしに、相手を突っこかしてしまったんです。」
「よっぽどひどい怪我でもしましたか。」と、お銀は顔をしかめながらまた訊いた。
「なに、半分
電車や自動車はなし、自転車も極めて少ないこの時代における交通事故は、馬車と人力車にきまっていた。馬車もさのみ多くはなかったが、人力車が衝突したとか人力車に轢かれたとかいう事故は、毎日ほとんど絶えなかった。今夜の出来事もその一つである。お銀はやはり顔をしかめながら聞いていると、お新がそばから
「どこの娘さんか知りませんけれど、
士族さんなどという言葉がこの時代には盛んに用いられた。お銀の家も中国辺のある藩の士族さんであった。それだけの話を聞いてしまって、お銀は自分の家へ引っ込むと、せがれの友之助が帰って来た。かれは母から今夜の話を聞かされても、別に気にも留めないらしかった。前にもいった通り、人力車に突き当たったり轢かれたりするのは珍らしくもなかったからである。
溝口医師の車にひかれた娘は、幸いにたいした怪我でもなかった。ひき倒されて転んだときに、左の
あくる日一日は無理に寝かしておいたが、娘は次の日から
父が遺言に、東京の四谷見付外と小石川伝通院前とに遠縁の者がいる。それをたずねて何とか身の処置を頼めとあったので、お筆はちっとばかりの家財を路用の金にかえて、こころ細くも身ひとつで東京へ出て来て、まず小石川へたずねて行くと、その人はとうにそこを退転してしまって、そのゆくさきも判らなかった。さらに四谷をたずねると、これも行くえ不明であるので、お筆は実にがっかりした。それにつけても父がむかし住んでいた番町の屋敷というのはどんな所であるか、一度は見たいような気もしたので、彼女は暗くなってからそっと覗きに来たのである。お筆も六つの年までここで育ったのであるが、子供のときのことであるから確かな記憶はない。筋向かいの屋敷にある大銀杏を目あてにして、大かたここであろうと長屋窓の外から覗いているところを、隣りの人に怪しまれて早々にそこを立ち去ったが、さてこれからの身の処置をどうしていいか、差しあたっては今夜のやどりをどうしていいかと、お筆は案じわずらいながら、どこをあてともなしにさまよい歩いているうちに運の悪いときは悪いもので、測らずも溝口医師の車と衝突したのであった。
こういう事情がわかってみると、溝口の家でも彼女を逐い出すに忍びなくなった。溝口にはお道という細君もあり、お蝶という娘もある。ことにお蝶はお筆と一つちがいの十六であるので、おなじ年ごろの子を持つ溝口夫婦の思いやりも深かった。お蝶もひどくお筆の身の上に同情した。そこで、ゆく末は知らず、差しあたりはまずここの家におちついたら好かろうということになって、親類でもなく奉公人でもなく、一種の
あまりに口のよくない抱え車夫の女房もお筆をほめていた。お銀は一番最初に彼女を見つけて声をかけたのが何かの因縁であるようにも思われて、ゆくゆくはあの娘をわが子の嫁になどとも内々かんがえていたのと、もう一つには不運のむすめに同情する女ごころで、ときどきに半襟や襦袢の袖などを贈ることもあった。お筆はその親切をよろこんで、お銀の家へも親しく出入りをして、その家の用などを手伝ってやっていた。
こうして半年ばかりは無事に過ぎたが、あくる十四年の三月になって、溝口家にはまた一人の掛り人が殖えた。それは上林吉之助という青年で、溝口医師と同郷人であった。吉之助はことし廿一で、実家は農であるが相当に暮らしている。かれは次男で、医学修業のために上京したのであるが、うかつに下宿屋などに寄宿させるのは不安であるというので、吉之助の親許から万事の世話を溝口方へたのんで来て、溝口もこころよくそれを引き受けたのである。吉之助は小野という若い薬局生と玄関のわきの六畳の部屋に同居して、本郷辺のある学校に通いながら、かたわらに薬局の手伝いなどをしていた。
前置きの説明がすこし長くなったが、これだけの事を言って置かないと、あとの話が判らなくなるおそれがあるから、まあ我慢してもらいたい。とにかくに溝口の家にお蝶という娘のあるところへ、さらにお筆という娘がはいり込んで来た。表長屋には矢田友之助という若い男がいるところへ、さらに溝口家に上林吉之助という若い男がはいり込んで来た。若い娘ふたりに若い男ふたり、それが接近していては、どうも無事に済みそうもないのは誰にも想像されるであろう。
しかし表面はきわめて無事円満であった。吉之助もおとなしく勉強していて、溝口一家の信用を傷つけるようなことはなかった。お筆もお蝶と仲よくして、小間使のように働いていた。友之助は無事に役所へ出勤していた。この年の十月には政府に大更迭があって、大隈重信が俄かに野にくだった。つづいて板垣退助らが自由党を興した。それらの事件も、溝口と矢田の両家にはなんの影響をあたえないで、両家は依然として平和に暮らしていた。しかも、その平和の破れる時節がだんだん近づいて来た。
友之助の母お銀はその以前からお筆を嫁に貰いたい
「
そこで、友之助が役所へ出て行ったあとで、お銀はお筆をそっと呼んで、かの相談をうち明けると、お筆はその返事を渋っていて、自分は他家の厄介になっている身の上であるから、まだ当分は嫁に行くなどという気はないと答えた。お銀は年寄りで気が短かい。一旦思い立った以上、どうしてもこの相談をまとめてしまいたいと思って、いろいろに説得してみたが、お筆はいつまでもあいまいな返事をしているので、お銀も年寄りの愚痴やひがみもまじって、どうでわたしの忰のような者はあなたの気には入るまいとか、ろくな月給も貰わない安官員では士族のお嬢さまと縁組は出来まいとか、厭味らしいことをだんだんに言い出して来たので、お筆もひどく迷惑したらしい様子で、最後にこんなことを言った。
「そう仰しゃられると、わたくしもまことに困ります。実はあの······。こちらの友之助さんは、
「え。友之助がお蝶さんと······。ほんとうですか。」と、お銀はおどろいて訊きかえした。
「どうかこれは御内分にねがいます。」
「まあ、それはちっとも存じませんでした。一体いつ頃からでしょう。」
「わたくしもよくは存じませんけれども······。」と、お筆はかんがえていた。「なんでもこの八月か九月頃からのように思われます。」
「そうですか。」と、お銀は溜め息をついた。
わたくしの口からこれを聞いたことはくれぐれも内証にしてくれと、お筆が念を押して帰ったあとで、お銀は再び溜め息をついた。お蝶もみにくい容貌ではないが、お筆にくらべると確かに劣る。勿論、今更そんな優劣を論じている場合ではない。出来たものなら仕方がないとしても、ここに第一の難儀は、お蝶がひとり娘であるということである。友之助も矢田家の相続人である以上、婿にも行かれず、嫁にも貰えず、この処置をどうしたら好いかと、お銀も思案にあぐんだのであった。その晩、友之助の帰るのを待ちかねて、お銀は早々にその詮議をすると、友之助もお蝶と関係のあることを白状した。それならばなぜお筆との縁談を承知したかと詰問すると、友之助の返事は甚だあいまいであった。かれは母にきびしく追求されて、とうとうこんなことまで白状に及んだ。
「実はわたしは最初からお筆さんの方が好いと思っていたのです。それでこの八月ごろ内証でお筆さんに話してみたところが、お筆さんのいうには、折角の
お蝶と友之助との関係がお筆の取り持ちであることを知って、お銀は又おどろいた。おとなしそうな顔をしていながらお筆という女も随分の大胆者であると、むかし
「今のわかい人達にも困るね。」
こう言って、お銀は又もや嘆息するのほかはなかった。友之助もなんだか詰まらないような顔をして、自分の居間兼座敷にしている六畳の部屋へ起って行った。かれは置きランプの
お銀はその夜はおちおちと眠られなかった。あくる朝、再びせがれを自分の前によび付けて、この解決をどうするつもりかと詰問すると、友之助はただ恐れ入っているらしく、別にはかばかしい返事もしなかった。しかし昔気質のお銀としては、ひとの娘をきず物にして唯そのまま済むわけのものではないと思った。殊に自分がそれを知った以上、なおさら捨てて置くわけにはいかない。ともかくも溝口の奥さんに逢って、その事情を一切うちあけて、自分のせがれの不埒を詫びた上で、あらためて今後の処置を相談するよりほかはないと
それについて、溝口医師は僕の叔父にむかって、こう話したそうである。
「あの一件はわれわれがまったく無考えでした。矢田の母がたずねて来たときは、わたしは急病人の往診をたのまれて不在でしたが、家内も矢田の母からその話をきかされて、寝耳に水でびっくりしたそうです。なにしろお蝶はまだ十七で、ほんとうの子供だと思っていたのですからね。勿論、家内の一存でどうすることも出来ない。矢田の母はむかし気質の物堅い人ですから、涙をこぼしてあやまって帰ったそうです。それから家内はすぐ娘をよび付けて詮議すると、娘は唯泣くばかりで何にも言いません。しかしそれを否認しないのを見ると、まったく覚えのあることに相違ない。実をいうと、この春からわたしの家に来ている上林吉之助は、人間も悪くなし、学問の成績もよし、殊に次男でもありますから、もう少しその成り行きを見とどけた上で、お蝶の婿にしようなどと、家内と内々相談をしていたのですが、もうこうなっては仕様がありません。ひとり娘を嫁にやるのは困るのですが、今更そんなことを言ってもいられないので、わたしは家内と相談して、思い切ってお蝶を矢田の家へやることに決めました。無理に
こう決めた以上は、もとより隠すべきことでもないので、溝口家ではその年の暮れから婚礼の準備に取りかかった。溝口の細君は娘を連れて、幾たびか大丸や越後屋へも足を運んだ。そうしたあわただしいうちに年も暮れて、ことしは取り分けて目出たいはずの明治十五年の春が来た。二月の紀元節の夜にいよいよ婚礼ということに相談が進んで、溝口矢田の両家ではその準備もおおかた整った一月二十九日の夜の出来事である。やがて花嫁となるべきお蝶が薬局の劇薬をのんで突然自殺した。もちろん商売柄であるから、溝口もいろいろに手を尽くして治療を加えたが、それを発見した時がおくれていたので、お蝶はどうしても生きなかった。
婿と嫁と、この両家のおどろきはいうまでもない。婚礼の間ぎわになってお蝶がなぜ死んだのか、その子細は誰にも判らなかった。どの人もただ呆れているばかりで、暫くは涙も出ないくらいであったが、なんといってももう仕方がないので、溝口家からは警察へも届けて出て、正規の手続きを済ませてお蝶のなきがらを四谷の寺に葬った。溝口家からは警察にたのんで、事件を秘密に済ましてもらったので、お蝶の死は幸いに新聞紙上にうたわれなかった。
お蝶は一通の書置きを残していたので、それが自殺であることは疑うべくもなかったが、その書置きは母にあてた簡単なもので、自分は子細あって死ぬから不孝はゆるしてくれ、父上にもよろしくお詫びを願いたいというような意味に過ぎなかった。したがって、死ななければならない子細というのはやっぱり不明に終ったのである。それはそれとして、彼女の死が周囲の空気を暗くしたのは当然であった。矢田の母は気抜けがしたようにがっかりしてしまった。友之助もやけになって諸方を飲みあるいているらしく、毎晩酔って帰って来た。溝口の細君も半病人のようにぼんやりしていた。
こうなって来ると、誰からも好い感じを持たれないのはかのお筆という女の身の上で、彼女がお蝶と友之助とを結びあわせた為に、こんな悲劇が生み出されたらしくも想像されるのであった。お蝶の死因がはっきりしない以上、みだりにお筆を責めるわけにもいかないのであるが、そんな取り持ちをしたというだけでも、彼女は良家の家庭に歓迎されるべき資格をうしなっていた。可愛い娘に別れてややヒステリックになっている溝口の細君は、お筆を放逐してくれと夫に迫った。
「あんな女を家へ入れた為にお蝶も死ぬようになったのです。一日も早く逐い出してください。」
それがお筆の耳にもひびいたとみえて、彼女は自分の方から身をひきたいと申し出た。しかし何処にか奉公口を見つけるまでは、どうかここの家に置いてくれというのである。それは無理のないことでもあり、今さら残酷に逐い出すにも忍びないので、溝口も承知してそのままにして置くと、お筆は矢田の母のところへ行って、どこにか相当の奉公口はあるまいかと相談したが、彼女を憎んでいるお銀は相手にならなかった。お筆はさらに近所の雇人
「お筆さんもずうずうしい。まだ平気でいるんですかねえ。」
細君が夫にむかって彼女の放逐をうながす声がだんだんに高くなるので、お筆も居たたまれなくなったらしく、三月のはじめ、お蝶の三十五日の墓参をすませると、いよいよ思い切って溝口家を立ち去ることになったが、そのゆく先きをはっきりと明かさなかった。
「今度の奉公さきは一時の腰掛けでございますから、いずれ本当におちつき次第、あらためてお届けにあがります。」と、お筆は言った。
いささか不安に思われないでもなかったが、溝口もその言うがままに出してやった。そのころの習いで、幾らかの
お蝶は死ぬ、お筆は去る。溝口家では俄かに二つの花をうしなった寂しさが感じられた。一方の男ふたりは無事で、友之助は自棄酒を飲みながら、相変わらず役所へ勤めていた。吉之助はとどこおりなく学校にかよっていた。この年の五月はとかく陰り勝ちで、新暦と旧暦を取り違えたのではないかと思われるような
お銀のとなりの家は今も空き家になっている。おととしの暮れに一旦借手が出来たが、その人はどうも陰気でいけないとかいって、去年の六月に立ち去ってしまった。その後にも二、三人の借手が見に来たが、どれも相談がまとまらなかった。
「高い声では言われませんけれど、どうもお家賃が高うござんすからねえ。」と、車夫の女房はお銀にささやいたことがある。陰気でいけないのか、家賃が高いのか、いずれにしても隣りの貸家はその後もやはり塞がらなかった。しかしこの時代にはどこにも空き家が多かったので、たとい小一年ぐらいは塞がらずにいても、誰も化物屋敷の悪い噂を立てる者もなかったのである。友之助もこの空き家でお蝶に逢っていたことをお銀はあとで知った。
その空き家が眼のまえに近づいた時、お銀はひとつの黒い影が音もなしに表の格子から出て来たのを認めた。すこし不思議に思って提灯をかざしてみると、その影は傘をかたむけて反対の方角へたちまちに消えて行った。そのうしろ影が、かのお筆によく似ているとお銀は思った。
自分の家へはいると、留守をしている友之助のすがたは見えなかった。二、三度呼んだが、どこからも返事の声はきこえなかった。もしやと思ってお銀は表へ出て、となりの空き家をあらためると、錠をおろしてある筈の格子がすらりと明いた。なんだか薄気味が悪いので、内へ引っ返して提灯をとぼして来て、
座敷のまんなかに倒れているのは上林吉之助であった。そればかりでなく、矢田友之助が台所に倒れていた。友之助は水を飲もうとして台所まで這い出して、そのまま息が絶えたらしい。亭主のあとから怖々覗きに来た元吉の女房は、ふだんのおしゃべりに引きかえて、驚いて呆れて声も出せなかった。お銀は夢のような心持で突っ立っていた。
元吉の注進をきいて、奥の溝口家からも皆かけ出して来た。溝口医師の診察によれば、かれらもお蝶とおなじ劇薬をのんだもので、もはや生かすべき
「あいつです、あいつです。きっとあいつが殺したのです。」と、お銀は泣きながら叫んだ。「わたしが今帰って来たときに、ここの家からぬけ出して行ったのは確かにお筆でした。」
お筆の名を聞いて、人びとも又おどろいた。
お筆がここから出て行く姿を、お銀がたしかに見とどけたとすれば、お筆もこの事件の関係者には相違ないが、果たして男ふたりを毒殺するほどの怖るべき兇行を敢てしたかどうかは疑問であった。さりとて男同士の心中でもあるまい。ほかに書置きもなく、手がかりとなるべき遺留品も見あたらないので、警察でもこの事件の真相をとらえるのに苦しんだ。
「お筆という女はどうしてそんなに祟るんでしょう。」と、溝口の細君はくやしそうに罵った。「ほんとうに飛んでもない悪魔にみこまれて、娘を殺されて、上林さんを殺されて、矢田さんを殺されて、しまいにはわたし達も殺されるかも知れません。」
悪魔||あるいはそうかも知れない。お筆という女は、自分のむかしの家を乗っ取られたのを怨んで、悪魔となって入り込んで来たのかも知れないと溝口医師も思った。文明開化の世の中にそんな馬鹿なことがあるものかと一方には打ち消しながらも、お筆が相変わらずここらを徘徊して、友之助と吉之助との死についても何かの関係をもっているらしいということが、何だか一種の不思議のように思われてならなかった。こういう場合にはどの人も素人探偵になる。溝口も家内や出入りの者などをいろいろに詮議して、この事件について何かの秘密をさぐり出すことに努力したが、どうも思わしい効果を得なかった。唯そのなかで薬局生の小野の口から一つの新しい事実を聞き出した。
小野はことし十九で、東京へ出てから足かけ四年になるのであるが、元来が薄ぼんやりした
「あのお筆さんという人は上林君によほど恋着していたようです。お嬢さんも上林君を慕っていたようでした。去年の暮れ頃からお筆さんと上林君とはいよいよ親密になって、夜になって上林君が散歩に出ると、そのあとからお筆さんもそっと出て行くことがありました。」
それを早くに知らしてくれたら、なんとか方法もあったものをと、今更にかれを責めてももう遅かった。又それだけのことを知ったのでは、この事件の謎を解くにはまだ不十分であった。しかしこういうヒントをあたえられて、溝口医師は前後の事情を照らしあわせて、ともかくも一種の推断をくだすことが出来るようになった。
小野のいう通り、お筆とお蝶とが上林吉之助に恋着していたのは恐らく事実であろう。小野が薄ぼんやりしているを幸いに、若い女たちは薬局へはいり込んで、かなり大胆に振舞っていたかも知れない。こうなると、二人の女のあいだに競争の起こるのは当然である。殊にお蝶には両親という味方があって、ゆくゆくは吉之助を婿にしようかという意向のあることを、慧眼のお筆は早くも覚ったらしい。それを防ぐには何とかしてお蝶を遠ざけてしまう必要がある。お筆はその方法をかんがえているところへ、あたかも矢田友之助から恋をささやかれたので、彼女はそれを巧みに利用して、自分に対する友之助の恋をさらにお蝶に移したのである。
友之助に対してお筆がなんと言ったか、それは男自身の口から母の前で説明されているが、お蝶に対して彼女がなんと言いこしらえたか、それは判らない。おそらく友之助をあざむいたと同じような口ぶりでお蝶をあざむいたのであろう。それに欺かれたお蝶は勿論あさはかであったに相違ない。お蝶は処女の好奇心から、うかうかとお筆に釣り出されて、自分に恋しているという友之助に招魂社で逢った。両者のあいだに立って、お筆が巧みにあやつったのはいうまでもない。こうして、恋ならぬ恋が不思議にむすび付けられて、友之助の隣りの空き家が、二人の逢いびきの場所にえらばれた。かれらはその後もお筆のあやつるがままに動かされていたが、この二つの人形にはさすがに魂がある。形はたがいに結び付けられていても、友之助のたましいはやはりお筆にかよっていた。お蝶の魂はやはり吉之助にかよっていた。
形とたましいとが離れ離れになっていたところに、この悲劇の根がわだかまっていたらしいが、お筆も魂の問題までは考えていなかったであろう。ともかくもお蝶を友之助に押し付けて、これで自分の競争者を追っ払ったとひそかに祝福していると、さらに友之助の母から自分に対する縁談を持ちかけられた。それはむしろ好機会であると思ったので、お筆はよんどころないような顔をして、お蝶と友之助との秘密をあばいてしまった。それがお銀をおどろかし、溝口夫婦をおどろかして、結局はお蝶と友之助との結婚を早めることになった。秘密が暴露した夜に、友之助が長い手紙をかいていたのは、おそらくお筆にあてたもので、自分たちの秘密をあばいたのを怨んだものか、あるいは自分の魂はいつまでもお筆のふところにはいっていると訴えたものか、又それに対してお筆がどんな返事をあたえたか、あるいはなんにも返事をしなかったか、それらの事情はもちろん判らない。
いずれにしても縁談は
お蝶の書置きは簡単なもので、お筆や吉之助の問題には何にも触れていなかったが、その
ここまで説明して来て、溝口医師は僕の叔父に言った。
「ここまでは私の推測がおそらくあたっているだろうと思うのですが、さていよいよの最後の問題です。矢田の母はあたかも不在であったので、前後の事情はよく判らないのですが、となりの空き家でお筆と吉之助とが密会しているところへ、友之助がそれを発見して踏み込んで行ったのは事実でしょう。さあ、それからがなかなかむずかしい。お筆と吉之助は心中でもするつもりで劇薬を持ち込んだのか、それならば吉之助ひとりが飲むのもおかしい。あるいは吉之助がまず飲んだところへ、突然に友之助が押し込んで来たのか、それにしても、友之助がどうしてそれを飲んだか、飲まされたか。あるいは最初から心中などする料簡ではなく、単に吉之助の持っていた劇薬を、お筆が何かの邪魔になる友之助に飲ませようとして、吉之助もあやまって一緒に飲むような事になったのか、それとも何かの事情から男ふたりを一度に葬るつもりで、お筆が吉之助と友之助とに飲ませたのか、それらの秘密はお筆の白状を待つのほかはありません。したがって、永久の秘密に終るかも知れません。」
「お筆のゆくえはそれっきり知れないのですか。」と、叔父は訊いた。
「それから二、三日の後、有喜世新聞にあの記事が出て、築地河岸で夜網にかかった鯔の腹から破れた状袋があらわれた。その状袋には○之助様、ふでよりと書いてあったというのです。○之助だけでは、吉之助か友之助か判りませんが、差出人の名が「筆」とあるのをみると、どうもあのお筆の書いたものらしく思われたので、念のために京橋の警察へ行って聞きあわせたのですが、肝腎の状袋は寿美屋の料理番が捨ててしまったというので、その筆蹟を見きわめることの出来なかったのは残念でした。」
「お筆は身でも投げたのでしょうか。」
「さあ、ふたりの男の死んだのを見て、お筆はそこをぬけ出して、築地か芝浦あたりで身を投げた。そうして、帯のあいだか袂にでも入れてあった状袋が流れ出して、かの鯔の口にはいった||と、想像されないこともありません。あるいは単に不用の状袋をひき裂いて川に投げ込んだのを、鯔がうっかり呑み込んだ||と、思われないこともありません。警察でも築地河岸から芝浦、品川沖のあたりまでも捜索してくれたのですが、それらしい死体は勿論、何かの手がかりになりそうな品も見付かりませんでした。お筆は死んだのか、生きているのか、それも結局判らずに終ったわけです。警察から静岡の方へも照会してくれましたが、そこには今でも久住弥太郎という士族が住んでいて、その家来の箕部五兵衛は先年病死、五兵衛の娘のお筆というのは親類をたずねて東京へ出たっきりで、その後の便りを聞かない。久住の屋敷は番町のしかじかというところだということで、総てがいちいち符号していますから、お筆の身許に嘘はないようです。してみると、お筆という女は自分の故郷に帰って来て、しかも自分の生まれた家のなかでいろいろの事件をしでかして、そのまま生死不明になってしまったので、まったく不思議な女です。」
S君の話はこれで終った。
鯔の腹から状袋が出た||わたしはそれに一種の興味を感じて、その翌日近所の某氏をたずねた。某氏の土蔵の二階には明治初年の古新聞がたくさんに積み込んであることをかねて知っていたからである。有喜世新聞があるかと訊くと、たしかにある筈だという。そこでだんだん調べてみると、果たして明治十五年五月十八日(日曜日)の有喜世新聞第千三百十号の紙上に、その記事が掲載されていた。その頃の雑報には標題がないので、ぶっ付けにこう書いてあった。
◎鯛を料理 鯉を割きて宝物や書翰を得るは稗史 野乗 の核子 なれど茲に築地の土佐堀は小鯔 の多く捕れる処ゆゑ一昨夜も雨上りに北鞘町の大工喜三郎が築地橋の側の処にて漁上 げたのは大鯔にて直ぐに寿美屋の料理番が七十五銭に買求め昨朝庖丁した処腹の中から○之助様ふでよりと記した上封 じが出たといふがモウ一字知れたら艶原稿の続きものにでもなりさうな話。
これでS君の話の嘘でないことが証拠立てられた。それと同時に、かのお筆という女のゆく末が知りたくなったが、何分にも今から四十年以上の昔のことであるから、その筋の本職の人ならば知らず、われわれ素人には到底探索の方法を見いだし得られそうもない。大正十四年八月作「文芸倶楽部」
[#改ページ]娘義太夫
K君は語る。
「あなたがもし、この話を何かへ書くようなことがあったら、本名を出すのは堪忍してやってください、関係の人間がみんな生きているんですからね。よござんすか。」
女義太夫の
「どうも御無沙汰をしています。いつも御繁昌で結構ですこと。」と、女はすこし
「どうもしばらく。なんでもこっちの方だということはかねがね伺っていましたけれど、何かと忙がしいもんですから、つい御無沙汰ばかりしておりました。」と、富子も美しい笑い顔をみせながら摺り寄って挨拶した。
こう見たところは、お互いにいかにも打ち解けた昔馴染みであるらしくも思われるが、その事情をよく知っている富寿らの眼からみると、彼女と富子とのあいだには大きい
彼女は富子と同い年の廿四で、眼の細いのと髪の毛のすこし縮れているのとを
したがって、どっちにも思い思いの贔屓がついて、二人の出る席はどこも大入りであった。そのひいき争いがだんだん激しくなって来るに連れて、ふたりの若い芸人のあいだにも当然の結果として激しい競争が起こって来た。一方を揚げて一方を
かれらがこうして
雛吉が人気盛りであるだけに、その不幸に同情する者も多かった。声の美しさが衰えたといっても商売が出来ないほどではなかった。初めから現在の雛吉よりも悪い声をもっている太夫も世間にはたくさんあったが、女の芸人として
こういう悲惨な運命をになって東京を立ち退くことになった竹本雛吉に対して、世間の同情はおのずと集まって来た。
「富子さんだって
雛吉はこう言ったように世間では伝えていた。しかしそれも確かに本人の口から出たのかどうか判らなかった。彼女が芸人をやめて故郷へ帰ったのは十九の秋で、その後に土地の料理屋の養女に貰われたとかいう噂が東京へもきこえたが、去るものは日々にうとしで、足かけ六年の時の流れは世間の人の記憶から竹本雛吉の名を洗い去って、今ではそんな不運な女芸人が曽て東京の人気を湧き立たせたことを思い出す人さえも少なくなった。それに引きかえて、一方の富子は世間の人気を独り占めにして、その評判は年ごとに高くなった。
その富子が偶然に雛吉の故郷の町に乗り込んで、六年ぶりで互いに顔を見合わせたのであった。うわべはいかに懐かしそうに美しく付き合っていても、両方の胸の奥には一種の暗い影がつきまつわっているらしいことを、傍にいる者どもは大抵察していた。富子の方はともあれ、少なくも雛吉のお春の方には昔の仇にめぐり合ったような呪いの心持をもっているのであろうと思いやられたが、お春はそんな気振りをちっとも見せないで、一時間ばかりむつまじく話して帰った。お春が料理屋の養女に貰われたのは事実であった。それは彼女が遠縁にあたる家で、町でも第一流の堀江屋という大きい料理屋であるので、昔馴染みの富子のために町の芸妓たちをも駆りあつめて、初日の晩から花々しく押し掛けるとのことであった。
「何分よろしくお願い申します。」と、人気商売の富子はくれぐれもお春に頼んで、何十本かの配り手拭を渡した。
「せいぜい賑かにしたいと、思っています。」と、お春は言った。「もう少し早く判っていると、
彼女は手土産の菓子折を置いて機嫌よく帰ったので、そばにいる者共はほっとした。昔馴染みはやはり頼もしいと富子も喜んでいると、午後になって堀江屋から大きい見事な花環をとどけて来た。なるほど東京とは少し拵え方が違っているが、百合や菖蒲の季節物が大きい花を白に黄に紫に美しくいろどっていた。
「地方でなければこんな花環は見られませんね。」と、富寿らも感心して眺めていた。
「ほんとうに綺麗だわね。ここらじゃあそこらに咲いているのを直ぐに取って来るんだから。」と、富子も花の匂いをかいだりしていた。
その花環は芝居小屋の木戸前にかざられて、さらに一段の景気を添えた。五月の長い日も暮れかかって、一座の者も宿屋の風呂にはいって今夜のお化粧に取りかかっていると、富子は急に顔や手さきがむずがゆいと言い出した。それでもさのみ気にも留めないで、自体が美しい顔を更に美しくつくって、いよいよその晩の初日をあけると、約束通りにお春は
初日が予想以上の大成功であったので、一座の者もみんな喜んで宿へ帰ると、その夜なかから真打の富子は俄かに熱が出て苦しんだ。みんなも心配してすぐに医師を呼んでもらったが、医師にもその病気が確かには判らなかった。夜があける頃には少し熱がさがったが、それと同時に富子の顔には一種の発疹が一面にあらわれた。それは赤と紫とをまぜたような気味の悪い色の腫物らしくも見えた。
富子は鏡をみて泣き出した。一座の者もおどろいた。義太夫語りである以上、のどに別条さえなければ差し支えはないようなものであるが、
「どうもこれは唯事でないらしい。医師にも容体が判らないというのはいよいよ不思議だ。」
富子は半狂乱の姿で寝てしまったので、今夜の二日目はとうとう臨時休みの札をかけることになった。これが土地の警察の耳にもはいって、刑事巡査は富子の宿へも調べに来た。それに応対したのはかの富寿で、さすがにむかしの関係を詳しく説明するのを憚ったが、とにかく、堀江屋のお春が久し振りでたずねて来たことを話した。お春が手土産の菓子をくれたこと、見事な花環をくれたことも申し立てた。もちろん、露骨にはなんにも言わなかったのであるが、その子細ありげな口ぶりと、宿の
それはこの宿に奉公しているお留という今年十八の女が、きのうの朝お春が富子に別れて帰るのを店の外まで追って出て、往来でなにかひそひそと立ち話をしていたというのである。宿の二階には、富子一人が八畳の座敷を借りていて、その他の者は次の間の十畳と下座敷の八畳とに分かれてたむろしていたが、お留は富子の座敷の受持ちで、しばしばそこへ出入りしていた。それらの事情をかんがえると、お留はふだんから心安いお春に頼まれて、なにかの毒剤を富子の飲食物の中へ投げ込んで置いたかとも見られるので、彼女はすぐに下座敷で厳重な取り調べを受けた。
「おまえは堀江屋の娘と心安くしているのか。」
「はい、堀江屋の姐さんはふだんからわたくしを可愛がってくれます。」と、お留は正直そうに答えた。
「じゃあ、なぜ堀江屋へ行かないで、ここの
「同じ町内でそんなことも出来ませんから。」
「お前はきのうの朝、堀江屋の娘と往来でなにを話していた。」
「別になんということも······。」と、お留は少し口ごもっていた。「唯いつもの話を······。」
「いつもの話とはなんだ。」
「なんでもありません。ただ、時候の挨拶をしていたんです。」
「往来のまん中まで追っかけて行って時候の挨拶をする······。」と、巡査はあざ笑った。「嘘をつかないで正直にいえ。堀江屋の娘に何か頼まれたろう。」
お留は黙っていた。
「なにか頼まれたことがあるだろう。」
「いいえ。」と、彼女は低い声で言った。
「隠すな。きっとなんにも頼まれないか。」
お留はまた黙ってしまった。からだこそ大きいが、近在から出て来た田舎者で、見るから正直そうな彼女がとかくに何か隠し立てをするのが、いよいよ相手の注意をひいた。巡査はおどすように言った。
「隠すとおまえのためにならないぞ。ここで嘘をいうと懲役にやられるぞ。お
お留はしくしく泣き出した。それでも、なんにも頼まれた覚えはないと強情を張るので、巡査もすこし持て余して、いずれ又あらためて警察の方へ呼び出すかも知れないからと言って、宿の主人に彼女をあずけて帰った。
ここまで話して来て、富寿は更にわたしにこう言った。
「ねえ、あなた、いくら当人が知らないと強情を張ったって仕様がないじゃありませんか。堀江屋のお春さんに頼まれて、なにか悪いことをしたに相違ないと思われるでしょう。こうなると、わたくしも
それは廿八九の色白の男で、金ぶちの眼鏡をかけていた。お留は何かささやいていたかと思うと、そのまま大通りの方へ駈けて行った。男はいつまでも塀の外に立っていた。やがてお留が息を切って帰って来て、再びなにかささやいているうちに、堀江屋のお春が忍ぶようにあとから来た。お春は男の腕に手をかけて親しげに又ささやいていた。
富寿は二階の肱掛け窓からじっとそれを見おろしていると、そこへさっきの巡査が再び来て、少し離れて立っているお留をなにか調べているらしかった。巡査はさらにお春にむかっても取り調べをはじめると、洋服の男もそばから口を出して今度は洋服の男と巡査との問答になった。
「往来じゃいけない。ともかくも内へはいりましょう。」と、洋服の男は激したように言った。
その声だけは二階の富寿にもはっきりと聞こえた。そうして、かれと巡査とお春とお留とが一緒につながって宿へはいって来た。
一種の好奇心も手伝って、富寿はそっと二階を降りて来ると、下座敷のひと間にかの四人が向かい合っていた。宿の主人や番頭も廊下に出て不安らしく立ち聞きをしていた。
「一体このお春という婦人がお留にたのんで、富子とかいう義太夫語りに毒を飲ませたとかいうには確かな証拠でもありますか。」と、洋服の男はいよいよ激昂したように言った。「確かな証拠もないのに、往来でむやみに取り調べるなぞとは不都合じゃありませんか。」
「いや、お留を取り調べようとするところへ、丁度お春も来ていたのです。」と、巡査は言った。「それであるから一緒に取り調べたまでのことです。いずれにしても、あなたには無関係であるから、構わずお引き取りください。」
「いや、そうはいきません。あなたがこの二人の女に対してどんな取り調べ方をするか、わたくしはここで聴いています。」
「それはいけません。あなたがお春という女にどういう関係があろうとも······。」と、巡査は意味ありげに言った。「こちらで無関係と認める人間を立ち会わせるわけにはいきません。早くお帰りなさい。」
「帰りません。」
「あなたの身分を考えて御覧なさい。」と、巡査はほほえみながら諭すように言った。
「身分なんか構いません。免職されても構いません。」と、男は真っ蒼になって唇をふるわせていた。
「あなた、あなた。」
お春は小声で男をなだめるように言った。彼女の細い眼にも感激の涙が浮かんでいるらしかった。
「わたくしは全くなんにも覚えのないことですから、どんなに調べられても怖いことはありません。どうぞ心配しないで帰ってください。」
お留もうつむいて眼を拭いていた。巡査は黙って三人の顔を見つめていた。そのうちに興奮した神経も少し鎮まったらしく、かれは努めて落ち着いたような調子で巡査に言った。
「では、どうでしょう。わたくしも少し思い付いたことがありますから、その富子という人に逢わせてくれませんか。」
巡査は別に故障を唱えなかった。かれは宿の番頭を呼んで、誰かこの人を富子の座敷へ案内しろと言い付けたので、丁度そこに立っていた富寿がその男を二階へ連れて行った。あたまから
「判りました。わかりました。」と、かれは俄かに喜びの声をあげた。「わたしはこれを研究しているんです。あなたはこっちへ来てから庭や畑へ出たことがありますか。」
「そんなことは一度もありません。」と、富寿は代って答えた。
「そうですか。」と、男はしばらく考えていた。「それじゃあその花環というのは何処にあります。」
「芝居の表にかざって置きましたが、今は休みですから下の座敷に持って来てあります。」
「そうですか、一緒に来てください。」
かれは富寿を急がせて再び二階を降りた。花環を入れてある下座敷の前に来たときに、かれはまた立ち停まった。
「あなた一人じゃいけない。警官を呼んで来てください。ほかの人もなるたけ大勢呼んでください。」
どやどや集まって来た人達と一緒に、かれはその座敷へ踏み込んで花環の前に立った。そうして、しおれかかった花を子細に検査していたが、やがて跳り立って声をあげた。
「これだ、これだ。御覧なさい。」
彼は手をのばして、その花の一つをむしるようにゆすぶると、白い菖蒲の花のかげから二、三匹の紫色の小さい蝶がひらひらと舞い出した。かれは持っているハンカチーフで、すぐにその一匹を叩き落とした。
「それは台湾蝶というものなんだそうです。」と、富寿は説明した。「毒のある蝶々で、それに刺されるとひどく腫れ上がって熱が出ることがあるんだそうです。何処にでもいるという訳じゃないんですが、ここらでは時々に見掛けることがあるので、その人は頻りにそれを研究していたんだということです。」
「すると、お春という女からくれた花環のなかに、ちょうど台湾蝶が棲んでいたんですね。」と、わたしは訊いた。
「お春さんも無論知らない。富子さんも知らないで、うっかりとその花環をいじくっているうちに、いつかその毒虫に刺されたんです。こう判ってみれば何でもありませんけれど、前の事情があるからどうしてもお春さんを疑うようにもなりますわね。その男の人というのは、その町の中学の理科の教師だそうでした。」
「お春とは関係があったんですね。」
「そうでしょう。」と、富寿はうなずいた。「お春さんも自分の家へ引っ張り込むのは奉公人なんぞの手前もあるので、わたくし達の泊まっていた宿屋を出逢い場所にして、いつもお留という女中がその使いをしていたらしいんです。お留がお春さんのあとを追っかけて行って、なにか内証話をしていたのもその相談だったんでしょう。けれども、巡査にむかって正直にそれを言うわけにもいかないので、お留も困ったに相違ありません。それだけに又余計な疑いがかかったという訳で、かんがえて見ると可哀そうでしたが、まあ、まあ、無事に済んでようござんした。」
「しかしもう一つ疑えば、お春が男の知恵をかりて、台湾蝶を花環の中へわざと入れてよこしたんじゃないかしら。」
「あなたも疑いぶかい。そんなことをいえば際限がありませんわ。病気の原因が判ったので、富子さんはその手当てをして、その後間もなく癒りました。」
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穴
Y君は語る。
明治十年、西南戦争の頃には、わたしの
その屋敷は旧幕臣の
こういう事情で建ちぐされのままになっていた空き屋敷を、わたしの父がやすく買い取って、それに幾らかの手入れをして住んでいたのであるから、今から考えるとあまり居ごころのよい家ではなかったらしい。第一に屋敷がだだっ広い上に、建物が甚だ古いと来ているから、なんとなく陰気で薄っ暗い。庭も広過ぎて、とても掃除や草取りが満足には出来そうもないというので、庭の中程に低い四つ目垣を結って、その垣の内だけを庭らしくして、垣の外はすべて荒地にして置いたので、夏から秋にかけてはすすきや雑草が一面に生い茂っている。万事がこのていであるから、その荒涼たる光景は察するに余りありともいうべきであるが、その当時は東京市中にもこんな化物屋敷のような家がたくさんに見いだされたので、世間の人も居住者自身も格別に怪しみもしなかったらしい。
わたしの
前置きが少し長くなったが、これらの話はそういう場所で起こったものであると思って貰いたい。その年の八月、西郷隆盛がいよいよ
「おおかた野良犬でも這い込むのだろう。」
こうは言いながらも、ともかくもそれを実験するために、父はひと晩眠らずに張り番していた。それには八月だから都合がいい。残暑の折り柄、涼みがてらに起きていることにして、家内の者はいつものように寝かしつけて置いて、父ひとりが縁側の雨戸二、三枚を細目にあけて、庭いっぱいの虫の声を聞きながら、しずかに
ことしはかなりに残暑の強い年であったが、今夜はめずらしく涼しい風が吹き渡って、更けるに連れて浴衣一枚ではちっと涼し過ぎるほどに思われた。月はないが、空はあざやかに晴れて、無数の星が
「獣だな。」と、父は思った。やはり自分の想像していた通り、のら犬のたぐいが忍び込んで何かの餌をあさるのであろうと想像された。
しかし折角こうして張り番している以上、その正体を見とどけなければ何の役にも立たない。そうして、その正体をたしかに説明して聞かせなければ、女どもの不安の根を絶つことは出来ない。こう思って、父はそっと雨戸を一枚あけて、草履をはいて庭に降りた。縁の下には枯れ枝や竹切れがほうり込んであるので、父は手ごろの枝を持ち出して静かにあるき始めた。庭には夜露がもう
耳をすますと、がさがさという音は庭さきの空き地の方から低く響いてくるらしい。前にもいう通り、ここは四つ目垣を境にしてただ一面の藪のようになっているので、人の
女の声は少しく意外であったので、父もぎょっとした。しかしもう猶予はない。父は持っている枝をとり直して、四つ目垣をまわって空き地へ出ると、草むらはまた激しくざわざわ揺れてそよいだ。すすきや雑草をかきわけて、声のした方角へたどって行ったが、ふだんでもめったにはいったことのない草原で、しかも夜なかのことであるから、父にも確かに見当はつかない。父は泳ぐような形で、高い草のあいだをくぐって行くと、俄かに足をすべらせた。露にすべったのでもなく、草の
落ちると、穴の底ではまたもやきゃっという女の声がきこえた。父がころげ落ちたところには、人間が横たわっていたらしく、その胸か腹の上に父のからだが落ちたので、それに圧しつぶされかかった人間が思わず悲鳴をあげたのである。その人間が女であることは、その声を聞いただけで容易に判断されたが、一体どうしてこんなところに穴が掘ってあったのか、またそのなかにどうして女がひそんでいたのか、父にはなんにも判らなかった。
「あなた誰ですか。」と、父は意外の出来事におどろかされながら訊いた。
女は答えなかった。あたまの上の草むらは又もやざわざわと乱れてそよいだ。
「もし、もし、あなたはどうしてこんな所にいるんですか。」
女が生きていることは、そのからだの温か味や息づかいでも知られたが、かの女は父の問いに対してなんにも答えないのである。父はつづけて声をかけてみたが、女は息を殺して沈黙を守っているらしかった。
なにしろ暗くてはどうにもならない。ここから家内の者を呼んでも、よく寝入っている女どもの耳に届きそうもないので、父はともかくもその穴を這い出して家からあかりを持って来ようと思った。探ってみると、穴の間口はさほどに広くもないが、深さは一間半ほどに達しているらしく、しかも殆んど切っ立てのように掘られてあるので、それから這いあがることは頗る困難であったが、父は泥だらけになってまず無事に這い出した。そのときに草履を片足落としたが、それを拾うわけにもいかないので、父は片足に土を踏んで元の縁先きまで引っ返して来た。
父に呼び起こされて、母や女中たちも出て来た。
「早く
裸蝋燭に火をつけて女中が持って来たのを、心のせくままに父はすぐに持ち出したが、その火は途中で夜風に奪われてしまった。父は舌打ちしてまた戻って来た。
「はだか蝋燭ではいけない。提灯をつけてくれ。」
母は奥へかけ込んで提灯を持ち出して来た。それに蝋燭の火を入れて、父は再び現場へ引っ返したが、さてその穴がどの辺であったか容易に判らなくなった。ひと口に空き地といっても、ここだけでも四百坪にあまっていて、そこら一面に高い草が繁っている。さっきは暗やみを夢中で探り歩いたのであるから、どこをどう歩いたのか判らない。倒れている草をたよりにして、そこかここかと提灯をふり照らしてみると、そこにもここにも草の踏み倒された跡があるので、一向に見当がつかない。と思ううちに、父は又もや足をふみはずして、深い穴のなかに転げ落ちた。
落ちると共に蝋燭の火は消えてしまったので、父はさっきの困難を繰り返さなければならないことになった。ようやく這いあがったものの、あたりが暗いので何が何やらよくわからない。父は又もや引っ返して蝋燭の火を取りに行った。
「もう今夜は止して、あしたのことにしたらどうです。」と、母は不安らしく言った。
しかしかの穴には女が横たわっている。それをそのままにはして置かれないので、父は強情に提灯を照らして行ったが、かの穴はどこらにあるのか遂に見いだすことは出来なかった。暗やみで確かに判らなかったが、父が最初に落ちた穴と、二度目に落ちた穴とは、どうも同一の場所ではないらしかった。第二の穴には人間らしいものはもちろん横たわっていなかったのである。それから考えると、この草原には幾ヵ所かの穴が掘られているらしいが、それが昔から掘られてあるのか、近頃新しく掘られたのか、又なんのために掘られたのか父にはちっとも判らなかった。
「あの女はどうしたろう。」
それが何分にも気にかかるので、父は
「畜生。おれは狐にでも化かされているのじゃないかな。」
まさかとも思いながらも、再三の失敗に父はすこし疑念をいだくようになった。
「もう思い切って今夜は止めよう。」
父は第三の穴をはいあがって家へ引っ返した。すすきの葉で足や手さきを少し擦り切っただけで、別に怪我というほどの怪我はしなかったが、三度もおとし穴に落ちたのであるから、髪の毛にまで泥を浴びていた。父は素裸になって、井戸端で頭を洗い、手足を洗った。
「まったく狐の仕業かも知れませんね。」と、母は言った。
父ももう根負けがして、そのままおとなしく蚊帳のなかにはいった。しかもかの女のことがどうも気になるので、夜の明けるまでおちおちとは眠られなかった。
夜は明けても今朝は一面の深い靄が降りていて、父の探索を妨げるようにも見えた。それが晴れるのを待ちかねて、父は身ごしらえをして再びゆうべの跡をたずねると、草ぶかい空地のまん中から少しく西へ寄ったところに、第一の穴を発見した。それが最初にころげ込んだ穴であることは、片足の草履が落ちているのを見て証拠立てられたが、そこに女のすがたは見えなかった。それからそれへと探しまわると、五百坪ほどの空き地のうちに都合九ヵ所の穴が掘られていることが判った。そのうちの二ヵ所は遠い以前に掘られたものらしく、穴の底から高い草が生え伸びていたが、他の七ヵ所は近ごろ掘られたもので、その周囲には新しい土が散乱していた。しかもその穴を掩うために大きな草をたくさんに積み横たえて、さながら一種のおとし穴のように作られているのが父の注意をひいた。
「なんのために掘ったのでしょうねえ。」と、父のあとから不安らしくついて来た母が言った。
何者がこんなことをしたのかはもとより判らないが、一体なんの為にこんなことをしたのかを、父はまず知りたかった。おとし穴の目的とすれば、こんなところに穴を掘るのもおかしい。たとい草原同様の空き地であるとしても、ここはわたしの家の私有地で、他人がみだりに通行すべき往来ではない。そこへ毎夜忍んで来ておとし穴を作るなどとは、常識から考えてちょっと判断に苦しむことである。それにしても、そのおとし穴に落ちたらしいかの女は何者であろうか。おそらく父が引っ返して提灯を持って来るあいだに、そこを這い出して姿をかくしたのであろうが、その当時二、三ヵ所でがさがさという響きを聞いたのから考えると、かの女のほかにも何者かが忍んでいたのかも知れない。あるいは近所の男と女とがこの空き地を利用して密会していたのではあるまいか。かれらは何かに驚かされて、あるいは父の足音におどろかされて、あわてて逃げようとするはずみに、女はあやまってかの穴に転げ落ちたのではあるまいか。それでまず女の解釈は付くとしても、かのおとし穴のようなものは何であろうか。あるいは彼等がそこで密会することを知って、何者かがいたずら半分にそんな落とし穴を作って置いたのであろうか。
こう解釈してしまえば、それは極めてありふれた事件で、単に一場の笑い話に過ぎないことになる。父もそう解釈して笑ってしまいたかったが、その以上に何かの秘密がひそんでいるのではないかという疑いがまだ容易に取りのけられなかった。そればかりでなく、ともかくも自分の所有地へ入り込んで、むやみに穴を掘ったりする者があるのは困る。いずれにしても、今夜ももう一度張り番して、その真相を確かめなければならないと、父は思った。
父は官吏||その時代の言葉でいう官員さんであるので、そんな詮議にばかり係り合ってはいられない。けさも朝から出勤して夕方に帰って来たが、留守のあいだに別に変わったことはなかった。今夜も家内の者を寝かしてしまって、父ひとりが縁側に坐っていると、ゆうべろくろくに眠らなかったせいか、十二時ごろになると次第に薄ら眠くなって来た。きょうも暑い日であったが、ふけるとさすがに涼しい夜風が雨戸の隙き間から忍び込んで来る。それに吹かれながら、父は縁側の柱によりかかって、ついうとうとと眠ったかと思うと、また忽ち眠りをさまされた。例の空き地の草むらの中で、犬のけたたましく吠える声がきこえるのであった。つづいて女の悲鳴が又きこえた。
雨戸をあけて、父は庭さきへ跳り出た。ゆうべの経験によって今夜は提灯を用意して行ったのである。片手には提灯、かた手には木の枝を持って、四つ目垣をまわって駈けていくあいだにも、犬は狂うように吠えたけっていた。その声をしるべにして、父は草むらをかき分けて行くと、犬は提灯の光りをみて駈けよって来た。
その当時、英国の公使館が私の家の隣りにあって、その犬は何とかいう書記官の飼い犬である。犬は毎日のようにわたしの庭へも遊びに来て、父の顔をよく知っているので、今この提灯を持った人に対しては別に吠え付こうともしなかったが、それでも父の前に来て子細ありげに低く唸っていた。父は犬にむかって、手まねで案内しろといった。犬はその意をさとったらしく、又もや頻りにそこらを駈け廻っているので、父もそのあとに付いて駈けあるいていると、犬はひとむら茂るすすきの下へ来て、前足ですすきの根をかきながら又しきりに吠えた。急いで近寄って提灯を差し付けると、そこにも一つの穴があって、その穴から一人の大男があたかも這い上がって来た。
よく見ると、それは公使館付きの騎兵で、今は会計係か何かを勤めているハドソンという男であった。かれは手にピストルを持っていた。
「今夜は犬がひどく吠えます。」と、ハドソンは明快な日本語で言った。「わたくし見まわりにまいりました。こちらの藪のなかに人が隠れておりました。その人は穴を掘っております。わたくし取り押えようとしますと、その人逃げました。わたくし穴に落ちました。」
「その人、男ですか、女ですか。」と、父は訊いた。
「暗いので、それ判りません。」と、ハドソンはからだの泥を払いながら答えた。
二人はしばらく黙って露の中に突っ立っていた。犬はまだ低くうなっていた。ハドソンはおそらく泥坊であろうといったが、泥坊がなぜ幾つもの穴を掘るのか、それが解きがたい謎であった。
あくる朝になって父は再び空き地を踏査すると、なるほど新しい穴がまた一つふえていた。ハドソンの落ちたのは古い穴で、かれはそんな穴が幾つも作られていることを知らないで、一昨夜の父とおなじような目にあったのである。
何者がなんのためにここへ来て、
「奴等も警戒して迂濶に出て来ないのだろう。」と、父は思った。第一の夜には父に追われ、第二の夜には犬に追われ、かれらも自分たちの危険をおもんぱかって、ここへ近寄ることを見あわせたのであろう。常識から考えても、そうありそうなことである。
ハドソンはその後三晩も張り番をつづけたが、遂になんの新発見もなかった。父は夜露に打たれた為に少しく風邪を引いたので、当分は張り番を見あわせることになった。それでも毎朝一度ずつは空き地を見廻って、新しい穴が掘られているかどうかを調べていたが、最初に発見された九ヵ所と後の一ヵ所と、その以外には新しい穴は見いだされなかった。かれらもこのいたずら||まずそうらしく思われる||を中止したらしかった。
それから半月あまり無事に過ぎた。その以来、家内の女たちをおびやかすような怪しい響きもきこえなくなって、この問題も自然に忘れられかかった時に、父はふとあることを思いついた。それはあたかも日曜日の朝であったので、父はすぐに近所の米屋をたずねた。
米屋は前にいったような事情で、わたしの家を昔の持ち主から譲りうけて、更にそれをわたしの父に売り渡したのである。そうして、現在もわたしの家へ米を入れている。その米屋の主人に逢って、昔の持ち主のことをたずねると、主人はこう答えた。
「その節も申し上げましたが、あなたのお屋敷には安達さんというお武家が住んでいらしったのでございますが、そのお方は脱走して、越後口で討死をなすったということでございます。」
「その安達という人の家族はどうしたね。」と、父はまた訊いた。
「どうなすったか判りませんでしたが、ひと月ほども前に、その奥さんがふらりと尋ねておいでになりまして、なんでも今までは
「その奥さんは今どこにいるのだろう。」
「やはり同区内で、芝の片門前にいるとかいうことでした。」
「どんなふうをしていたね。」
「さあ。」と、主人は気の毒そうに言った。「ひどく見すぼらしいという程でもございませんでしたが、あんまり御都合はよくないような御様子でした。」
「奥さんは幾つぐらいだね。」
「瓦解の時はまだお若かったのですから、三十五ぐらいにおなりでしょうか。」
「子供はないのですかね。」
「お嬢さんが一人、それは上総の御親類にあずけてあるとかいうことでした。」
「片門前はどの辺か判らないかね。」
「さき様でも隠しておいでのようでしたから、わたくしの方でも押し返しては伺いませんでした。」
それだけのことを聞いて、父は帰った。父の想像によると、庭の空き地へ忍んで来て、一度は穴に落ち、一度は犬に追われた女は、この安達の奥さんであるらしく思われた。勿論、取り留めた証拠があるわけではないが、庭の空き地に穴を掘るのは単にいたずらの為にするのではない。おそらくは土を掘りかえして何物をか探し出そうとするのであろう。安達の家に何かの伝説でもあるか、あるいは脱走の際に何かの貴重品でもうずめて立ち去ったか、二つに一つで、それを
もし果たしてそうであるとすれば、まことに気の毒のことである。自分は決して自己の所有権を主張して、遺族らの発掘を拒んだり、あるいはその掘り出し物の分け前を貰おうとしたりするような慾心を持たない。正面からその事情を訴えて交渉してくれば、自分はこころよくその発掘を承諾するつもりである。もしその住所がわかっていれば念のために聞き合わせるのであるが、片門前とばかりでは少し困る。父は再びかの米屋へ行って、安達の奥さんという人が重ねて来たらば、その住所番地を聞きただして置いてくれと頼んだ。
それでも父はまだ気になってならなかった。米屋の主人の話によると、かの奥さんはあまり都合が好くないらしいという。してみれば、埋めてある
この上は米屋の通知を待つのほかはなかったが、安達の奥さんは再び米屋の店にその姿をみせなかった。わたしの庭の空き地へも誰も忍んで来る様子はなかった。
それから又、半月あまりを過ぎて、九月はじめの新聞紙上に片門前の女殺しの記事があらわれた。森川権七という古道具屋の亭主がその女房のおいねを殺したというのである。権七は卅一歳で、おいねは年上の卅七であった。新聞の記事によると、おいねは旧幕臣の安達源五郎の妻で、源五郎は越後へ脱走するときに、
権七は小才のきく男で、商売の上にも仕損じがなく、どうにか一軒の店を持ち通すようになると、かれは年上の女房がうるさくなって来た。殊においねは旧主人をかさにきて、とかくに亭主を尻に敷く形があるので、権七はいよいよ気がさして来た。目と鼻のあいだには神明の矢場がある。権七はそこの若い矢取り女になじみが出来て、毎晩そこへ入りびたっているので、おいねの方でも嫉妬に堪えかねて、夫婦喧嘩の絶え間はなかった。
その晩もいつもの夫婦喧嘩から、一杯機嫌の権七は、店にならべてある商売物のなかから大工道具の
安達の奥さんの消息はこれでわかった。古道具屋の店は森川権七の名になっているので、父がさがし当てなかったのも無理はなかった。二、三日の後に、父が米屋の主人に逢うと、主人もこの新聞記事におどろいていた。
「権七という中間はわたくしも知っています。上州の生まれだとか聞きましたが、小作りの小粋な男でした。あれが御主人の奥さんと夫婦になって······。おまけに奥さんをぶち殺すなんて······。まったく人間のことはわかりませんね。」と、主人は歎息していた。
九月の末に大あらしがあった。午後から強くなった雨と風とが宵からいよいよはげしくなって、暁け方まであれた。殊にここらは品川の海に近いので、
しかし東の白らむ頃から雨も風もだんだん鎮まって、あくる朝はうららかに晴れた日となったが、どこの家にも相当の被害があったらしい。父は自分の家の構え内を見まわって歩くと、前にいった立木や塀の被害のほかに、西側の高い崖がくずれ落ちているのを発見した。幸いにその下は空き地であったが、もしも住宅に接近していたらば、わたしの家は
早速に出入りの職人を呼んで、くずれ落ちた土を片付けさせると、土の下から一人の男の死体があらわれた。男は崖くずれに押し潰されて生き埋めとなったのである。かれは手に
権七はかの事件以来、どこにか踪跡を晦ましていたのであるが、どうしてここへ来てこんな最期を遂げたのか、だれにも想像がつかなかった。
「やっぱりわたしの想像があたっていたらしい。」と、父は母にささやいた。
空き地の草原へ穴を掘りに来た者は、おそらく権七とおいねであったろう。父が想像した通り、かれらは何かの埋蔵物を掘り出すために、幾たびか忍んで来たらしい。権七は女房を殺して、どこにか姿を隠していながらも、やはりかの埋めたるものに未練があって、風雨の夜を幸いに又もや忍び込んで来て、今度は崖の下を掘っていたらしいことは、かれの手にしていた鍬によって知られる。しかも風雨はかれに幸いせずして、かえって崖の土をかれの上に押し落としたのであった。
これらの状況から推察すると、かれらは遂に求むるものを掘り出し得なかったらしい。それが金銀であるか、その他の貴重品であるか、勿論わからない。父はかれらに代って、それを探してみようとも思わなかった。
明治十年||今から振り返ると、やがて五十年の昔である。あの辺の地形もまったく変わって、今では一面の人家つづきとなった。権七夫婦が求めていた掘り出し物も、結局この世にあらわれずに終るらしい。
大正十四年九月作「写真報知」
[#改ページ]狸 の皮
N君は語る。
「信越線の或る停車場に降りると、細かい雪がちらりちらりと舞うように落ちて来た。」
古河君はまずこう言って、そのときの寒さを思い出したように肩をすくめた。古河君は七年ほど前の二月に、よんどころない社用で越後の方まで出張したが、その用向きが思いのほかに早く片付いたので、大きい声ではいえないが、途中でひと息つくつもりで、会社の方から受け取っている旅費手当てで二、三日を或る温泉場に遊び暮らそうとした。かれが今降り立ったのは、上州のある小さい停車場で、妙義の奇怪な形も唯ぼんやりと薄黒く陰っている日の午後四時半頃であった。
なにしろ信越地方の二月の雪を衝いて、けさの一番汽車で発って来たのであるから、古河君は骨まで凍ってしまった。汽車を降りると、寒さが又急に加わって、細かい雪を運ぶ浅間おろしがひゅうひゅうと頬を吹きなぐって来るので、古河君は又縮みあがって、オーヴァーコートの襟を引き立てながら、小さい旅行鞄をさげて歩き出すと、客引きに出ている旅館の若い者が二、三人寄って来た。
初めてこの土地に下車したので、古河君は別に馴染みの宿もなかった。どこでも構わないと思ったので、真っさきに来た若い者に鞄をわたして、ともかくも駅前の休憩所へ案内されると、入口の土間には小さいテーブルを取り囲んで粗末な椅子が四、五脚ならべてあった。寒いあいだは乗り降りの客も至って少ないので、ほかのテーブルや椅子はみな隅の方へ押し片付けられて、たった一つのこのテーブルが店さきに寂しく据えられているだけであった。
「お寒うございましょう。どうぞこちらへ。」と、店にいる三十ぐらいの女房が愛想よく声をかけた。
畳の上には大きい炉を切って、自在にかけた大きい鉄びんの口からは白い湯気をさかんにふき出していた。鉄びんの下には炭火がぱちぱちはねる音がきこえた。古河君もその火を恋しく思ったが、靴をぬぐのが面倒であったので、やはり椅子に腰をおろして土間に休んでいると、女房が瀬戸の火鉢に火を入れて運び出して来た。
「きょうはまったく冷えます。今晩はちっと白いものが降るかも知れません。」
「それでもここらは積もっていませんね。」
「へえ。積もるほども降りませんが、なにしろ名物の
言いかけて、若い者は急に立ちあがって入口の硝子戸をあけた。
「いえ、なに、荷物も見かけほどは重くないんです。」と、婦人は冷たそうな顔に笑みをうかべながら言った。「済みませんが、お湯を一杯下さいませんか。」
「はい、はい、お湯がよろしゅうございますか。どうぞまあお掛けください。」
女房が湯を汲みに起つと、婦人は古河君に
「さっきはどうも失礼をいたしました。さぞおやかましゅうございましたろう。」
挨拶をされて、古河君も気がついた。この婦人も自分とおなじ二等車に乗り込んでいて、襟巻に顔をうずめて隅の方に席を取っていた。そのそばには四十ぐらいの
「いえ、どういたしまして······。お連れさんは御一緒じゃないんですか。」
「いえ、連れと申す訳でもございませんので······。越後の宿屋で懇意になりましただけのことでございます。丁度おなじ汽車に乗り合わせるようになりまして、途中まで一緒にまいったのですけれど、あんまり煩さいのでわたくしはここで降りてしまいました。」
「そうでしたか。それは御迷惑でしたろう。」
そんなことを言っているうちに、若い者は起ち上がって、その婦人の大鞄と古河君の小さい鞄とを持った。そうして、お支度がよろしければそろそろ御案内をいたしましょうと言った。ふたりは茶代を置いて椅子を起つと、若い者は気がついて又引っ返して来た。
「この膝掛けは奥さんのでございますね。」
「はあ。いえ、なに、それはわたしが自分で持っていきます。」
婦人は店さきに置いてあった毛皮の膝掛けをかかえて出た。もう薄暗い夕方で、炉の火に照らされた毛皮の柔かそうなつやつやしい色が古河君の眼をひいた。それは狸の皮であるらしかった。
雪は袖を払いながら行くほども降らなかったが、尖った寒い風はいよいよ身にしみて来た。三人は黙って狭い坂路を降りていくと、石で畳んだ急勾配の
「随分お寒うございますね。」と、婦人はうつむきながら言った。
「まったく寒うござんすよ。」と、古河君は
「さあ、どうしますか。まだ判りませんのです。」と、婦人は答えた。「あなたは当分御滞在ですか。」
「まあ二、三日遊んで行こうかと思っています。」
温泉場は停車場から遠くないので、長い坂を降り尽くすと、古風な大きい旅館の建物がすぐ眼の前に突っ立っていた。古河君は表二階の新しい六畳の座敷へ通った。それからひと間離れたやはり六畳らしい座敷へ、この婦人は案内されたらしかった。
寒さ凌ぎに古河君はすぐに風呂へ行って、冷え固まっている手足を好い心持にあたためて、ようよう人心地が付いて帰ってくると、やがて夕飯の膳を運んで来た。
「今晩はお静かでございますね。」と、女中は給仕をしながら言った。「夜になってお泊まりがあるかも知れませんが、唯今のところではこのお座敷と十一番だけでございますから。」
「滞在は一人もないの。」
「はあ、お寒い時分はまるで
「そりゃ寂しいね。」と、古河君は少し首をすくめた。
「ちっとお寂しいかも知れません。十一番さんは御存じの方じゃないんですか。」
「いや、知らない。休憩所から一緒になったんだ。」
女中の話によると、その婦人はかぜを引いたようだとか言って、風呂へもはいらずに寝てしまったとの事であった。
汽車の疲れで、古河君はその晩ぐっすり寝入ってしまった。眼をさまして枕もとの懐中時計をみると、けさはもう九時を過ぎていた。いつの間にか女中が火を運んで来たとみえて、火鉢に炭火がいせいよく起こっていて、茶道具などもきれいに掃除してあった。床の上に這い起きて巻煙草をすいつけようとする時、
「もうお目ざめでございますか。」
それは十一番の婦人の声であった。
「はい。大寝坊をして、今ようよう目をあいたところです。」と、古河君は床の上で答えた。
「あの、ちょっとお邪魔をいたしてよろしゅうございましょうか。」
「まだ寝床にはいっているんですが······。」と、古河君は迷惑そうに言った。
「さようでございますか。」と、外でも

それでも悪いとも断わりかねて、古河君はその婦人を座敷へ呼び入れると、彼女は忍ぶようにいざり込んで来てささやいた。
「実は私、すこし紛失物がございますのですが······。」
「なにがなくなったんです。」
「膝掛けがなくなりましたので······。」
「ああ、あの毛皮の······。」
「さようでございます。狸の皮の······。」
ゆうべは気分が悪かったので、風呂へもはいらずに寝てしまったが、狸の皮の膝掛けは鞄と一緒に床の間に置いた筈である。それが今朝になると見えなくなってしまった。しかし鞄にはなんの異状もなく、膝掛けだけが紛失したのである。正直のところ、あの膝掛けは自分のものではなく、他に縁付いている妹の品を借りて来たのであって、妹は去年の暮れに百八十円で買ったとか聞いている。それも時の災難と諦めるよりほかはないが、ゆうべこの宿にはほかに一人も泊まり客が無かったということであるから、差しあたっては宿の者に疑惑をかけたくなる。それを表向きにしようか、それともいっそ黙って泣き寝入りにしてしまおうかと、彼女は古河君のところへ相談に来たのであった。
「そりゃ表向きにした方がいいでしょう。」と、古河君はすぐに答えた。
彼女は宿の者を疑うと言っているが、ほかに泊まり客が一人もない以上、自分もたしかに有力な嫌疑者であることをまぬがれないと古河君は思った。それは是非とも表向きにして、ほんとうの犯人を探し出さなければ、単に被害者の迷惑ばかりでなく、自分としても甚だ迷惑であると考えたので、彼はあくまでもそれを表向きにすることを主張した。
「よろしいでしょうか。なんだか罪人をこしらえるのも気の毒のようにも思われますので······。」と、女はまだ

「いいえ、気の毒なんて言っている場合じゃありません。そうして下さらないと、わたくしも困ります。あなたから言いにくければ、わたくしが帳場へいってその訳を話して来ましょう。」
古河君はすぐに飛び起きて、宿のどてらのままで縁側へ出ると、まばらにあけてある雨戸のすきまから外一面が真っ白にみえた。雪はゆうべのうちによほど降り積もったらしく、軒さきに出ている
店の帳場へいって、毛皮紛失の一件を報告すると、主人も番頭もおどろいた。一と口に狸の毛皮といっても、それが百八十円の品と聞いてはいよいよ打っちゃっては置かれなかった。当時はここらも商売がひまなので、夏場にくらべると男女の奉公人の頭かずが非常に減っている。帳場の番頭ひとりと若い者が一人、ほかに料理番二人と風呂番が一人、座敷へ出る女中はたった二人っきりで、いずれも身許の確かな者ばかりである。夏場繁昌の時季になると、渡り者の奉公人も随分入り込むが、現在のところではそんな疑いをかけるような者は一人もいない筈であると主人は言った。
「しかしほかの事と違いますから、誰が出来心でどんなことをしないとも限りません。ともかくも十一番の座敷へ出まして、詳しいことを伺ってまいりましょう。」
主人と番頭は古河君と一緒に表二階へあがっていくと、婦人は蒼ざめた顔をして火鉢の前へ坐っていた。主人からいろいろのことを訊かれても、彼女は歯がゆいような返事をしていた。そうして、結局こんなことを言った。
「そんなに皆さんをお騒がせ申しては済みません。なに、ほかに類のないという品じゃありませんから、そんなに御詮議をなすって下さらないでもよろしゅうございます。」
「いえ、あなたの方ではそう仰しゃっても、手前の方では十分に取り調べをいたします。」
こう言って、主人と番頭は引きさがった。雪はまだやまないので、婦人はもう一日滞在すると言っていた。古河君もむろん出発する勇気はないので、遅いあさ飯を食って、風呂にはいって、再び
「随分よくお
女中に笑われながら、古河君が遅い
「十一番のお客はどうしたい。」と、古河君は飯をくいながら訊いた。
「お
「連れというのはどんな人だい。」
「四十ぐらいの男のかたです。」と、女中は説明した。その人相や風俗から想像すると、彼はきのうの汽車の中でむやみに正宗のびん詰をあおっていた男であるらしく思われた。
「雪はやんだの。」
「はあ、さっきから小降りになりました。」
女中は障子をあけて見せた。なるほど天から舞い落ちる影は少しまばらになったが、地に敷いた綿はいよいよ厚くなって、坂下の家々の軒は重そうに白く沈んでいた。女と男とはこの雪のなかを何処へ出て行ったのであろう。河原の方へ雪見に行ったのかも知れないと、女中は言った。
「ずいぶん風流なことだな。」と、古河君は笑っていた。
日が暮れてもかの二人は帰って来ないというので、宿では又騒ぎ出した。もしやこの雪に埋められたのではないかと、宿の者は総出でその捜索に行った。近所の宿屋の者も加勢に出た。土地の若い人たちも駐在所の巡査と一緒になって広い河原の
古河君は二階の縁側に出て、河原を眼の下に見おろしていると、雪は又ひとしきり烈しくなって来て、河原もだんだんに薄暗くなったのであろう、町からは
午後八時ごろになって、二人の死体は川しもの大きい石のあいだに発見された。男と女とは抱き合ったような形で倒れていたが、二人とも石で頭を打ったらしい形跡が見えた。土地の勝手を知らない二人は、河原をうかうか歩いているうちに、雪に埋められている大きい石につまずいて、倒れるはずみに頭を強く打たれて、一時気を失ってしまったのを、誰も認める者もなかったので、そのまま
しかし、その鑑定は間違っているらしかった。医師の検案によると、男は劇薬をのんでいるらしいというのであった。女の方にその形跡はない。女は諸人の想像通りに、頭部を石で打たれて気絶してそれから凍え死んだものであろうという診断であった。こうなると、二人の死因が容易に判らなくなって来た。
もう一つの不思議は、この婦人が紛失したといった狸の皮が、その座敷の戸だなの隅から発見されたことであった。百八十円で買ったとかいう狸の皮の裏には黒い
「それにしても血のあとがおかしい。」と、古河君は首をかしげた。
そのうちに彼はふとある事が胸に泛かんだ。それは古河君がきのうの一番汽車で出発した越後の町のある旅館で、宿泊客の一人が劇薬自殺を遂げたということであった。古河君はそのとなりの旅館に泊まっていたので詳しいことは知らないが、なんでも男と女との二人づれで、女は宵から出て帰らない、男は劇薬をのんで死んでいたという噂であった。狸の皮の膝掛けをかかえた婦人は、その翌朝の一番汽車で古河君と一緒に、まだ薄暗い停車場を出発したのである。しかも彼女と共にここの河原で死んでいた男も、やはり劇薬をのんだ形跡があるという。古河君はかの事件とを結びあわせて考えたくなった。
「僕の推測はやっぱり当たっていたのだ。」と、古河君は誇るように説明した。「狸の皮の膝掛けをかかえていた婦人は、
「それにしても、河原で一緒に死んでいたという男は何者だろう。」と、わたしは訊いた。「それもその狸の皮の同類か。」
「いや、同類じゃない。それは高崎のやはり糸商人で、小間使のように見えた若い女は彼の妾であったようだ。汽車のなかで丁度となりに席を占めていたので、狸の皮の方からなにか魔術を施したらしい。そうして、すきを見てその紙入れを掏り取ってしまった。男は高崎の家へ帰ってからそれを発見して、すぐに警察へ告訴すればいいものを、狸の皮が下車した駅を知っているので、そのあとを追って温泉場へ探しに来た。と、まずこう判断するのだが、死人に口なしでその辺はよく判らない。あるいは狸の皮の魔術に魅せられて、紙入れの詮議以外になにかの目的を
「で、その男も劇薬をのまされたのか。」
「それには訳がある。」と、古河君は又説明した。「だんだん聞いてみると、その男も越後では狸の皮とおなじ旅館に泊まっていたのだそうだから、あるいはその晩の劇薬事件について幾分か感づいていたことがあるのかも知れない。女は自分の秘密をかれに知られたらしいのを恐れて、雪見とかなんとか言ってかれを河原へ誘い出して、うまくだまして劇薬をのませたものらしい。で、毒のいよいよ廻ったのを見て、男を置き去りにして逃げ出そうとすると、男の方では気がついて女をつかまえようとする。こっちは逃げようとする。そのはずみに滑ってころんで、女は石で頭を打った。それが二人の命の終りであるらしい。狸の皮の紛失問題については、僕は彼女がしまい忘れたのであろうと想像する。自分が殺した男の血が沁みていることを発見して、さすがにそれを目のさきに置くのを嫌って、宵に戸棚の奥へ押し込んでしまったのを、翌あさになってすっかり忘れて、誰かに奪られたものと一
「その晩は君と二人ぎりだったというのに、女はよくなんにも係り合いを付けに来なかったね。君は狸の皮にも見放されたと見えるんだね。」と、わたしは笑った。
「こっちは神に近い人間だから、いかなる悪魔も近寄らないさ。」
そういう口の下から、古河君はしきりに狸の皮の持ち主の美人であったことを説いていた。
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狸尼
A君は語る。
「僕の郷里には狸が尼に化けていて、托鉢中に犬に咬み殺されたという古い伝説がある。現にその尼のかいた短冊などが残っているとかいうことで、僕は子供のときに祖母から度々その話を聴かされたものだ。しかし
梶沢君はこう言って、眼のふちに小皺をよせながら私の顔を軽く見た。その顔付きがなんだか一つからかってやろうとでも言いそうに見えたので、こっちも容易に油断しなかった。
「そりゃ君の生まれ故郷だから、そんな人間もたくさん棲んでいるだろう。現に僕の目の前にも、狸だかむじなだか正体のわからない先生が一人坐っているからね。」と、わたしは煙草のけむりを鼻から噴きながら、軽く笑っていた。
「いや、冗談じゃない。これはまじめの話だ。」と、梶沢君は肩をゆすりながらひと膝乗り出した。
「その人間が果たしてほんとうの狸であったかなかったかは別問題として、とにかくに一種不思議な事件の発生したことは事実だ。今もいう通り、僕もその人間を見識っているし、ほかにも証人が大勢ある。まあ、黙って聞きたまえ。事実の真相はまずこうだ。」
梶沢君は医師で、神田の大きい病院の副院長を勤めている。快活な性質で、ふだんから洒落や冗談を得意としている人物であるから、うっかりすると見事に引っかつがれるおそれがあるので、われわれもこの先生とむかい合った時には内々警戒しているのであるが、きょうはどうやらまじめらしく、その専門の医学上から何かの秘密を説明しようとするかのようにも見えたので、わたしも相手の命令通りに、おとなしく黙って聞いていると、梶沢君はまずこんなことから話し始めた。
僕の郷里||君も知っている通り、宇都宮から五里ほども北へ寄っている寂しい村だ。それでも人家は百七八十戸もあって、村の入口には商売店なども少しはある。||昔は奥州街道の一部で、上り下りの大名の道中や、旅人の往来などでかなりに繁昌したそうだが、汽車が開通してからは、まるで火の消えたように寂れてしまった。この話の起こった明治十四、五年の頃はまだ汽車もなかった時代だが、それでも昔にくらべると非常に衰微したといって、僕の祖母などはときどきに昔恋しそうな溜め息をついていたのを、僕も子供心に記憶している。これから僕が話すのは、その亡びかかった奥州街道の薄暗い村里に起こった奇怪な出来事だと思ってくれたまえ。
その頃は村の奥に大きい平原があって、それはかの
それがすなわち明治十四年の三月なかばのことで、その当時十三の兄貴は修行のために東京の親類へあずけられていて、家にいる者は祖母と作男二人と下女一人とで、作男はほかにいろいろの用があるから、昼間は遠方へ使いなどにやってはいられない。父は侍あがりで、身体も達者、気も強い方であったから、大抵の用事ならば自分自身でどこへでも出ていくという風であったが、そのとき半月ほど前から風邪をひいて、まだ炬燵を離れずに寝たり起きたりしていたので、僕が
となり村といっても一里余も離れていて、その途中の大部分は例のすすき原を通らなければならない。勿論、春のはじめですすきはみんな枯れ尽くしていたが、那須ヶ獄から吹きおろして来る風はまだ寒い。お前もかぜを引くといけないといって、ふだんから僕を可愛がってくれる祖母が一種の
食ってしまったが、田崎の小父さんはなかなか帰って来ないので、家でも待ちかねて迎いに行ってくれると、小父さんはやがて帰って来たが、その返事を書くのが又なかなかひま取ったので、僕がいよいよ手紙をうけとって、家の人達に挨拶してそこを出たのは、もうかれこれ四時近い頃であった。
「日が暮れないうちに早く帰れよ。」
小父さんの優しい声をうしろに聞きながら、僕はふたたび耄碌頭巾をかぶった人となって、もと来た路をまっすぐに急いで帰った。この頃の日はまだ短い。途中で日が暮れたら大変だと思いながら、僕は小さい足を早めて行くと、原の途中まで来かかった頃には日の影がだんだんに薄れて来て、広い平原をざわざわと吹いて通る夕暮れの風が、いよいよ身にしみ渡るように思われた。僕は手紙をふところに入れて、俯向きながら急いで行くと、僕の目のまえに、一人のうしろ姿があらわれた。おそらく突然にあらわれた訳ではあるまい。僕はさっきからうつむいて歩いていたので、自分の行くさきに立っている人間のあることを今まで見いださなかったのであろう。いずれにしても、この寂しい原なかの夕暮れに、突然自分の前に立っている人影を発見したときに、僕はぎょっとして立ちすくんだ。
その人は鼠色の
「坊さん。どちらへ。」と、尼はほほえみながら言った。
断わって置くが、彼女が僕に対して坊さんと呼びかけたのは坊主という意味ではない。いわゆる坊ちゃんという意味である。父が士族であるので、土地の者は僕を尊敬して坊さんと呼ぶのが普通であった。坊さんの僕は呼ばれて立ち停まった。そうして、尼に対して丁寧に頭を下げた。
「隣り村へお使いでござりますか。」と、尼は何もかも知っているように又言った。
「はい。」
このままにかの尼を置き去りにして行くのは、なんだか失礼であるかのようにも思われたので、僕は自然に足の速度をゆるめて、尼が路を譲ってくれるままに、狭い路をならんであるき出した。日が暮れかかって、このさびしい野原のまん中を唯ひとりで行くよりも、路連れのある方が気丈夫であると思ったのと、もう一つには僕の祖母がふだんからこの尼を尊敬して、尼が托鉢に来るときには必らず幾らかの米か銭かをやるのを見馴れているので、僕も尼に対しては一種の敬意と懐かし味とをもっているためであった。
宗旨はなんだか知らないが、尼はきょうも隣り村へ托鉢に出たとみえて、片手には
尼の足が遅いので、原をぬけた頃にはもう暮れ切ってしまって、僕とならんで行く尼の顔も唯うす白く見えるばかりであった。夕の寒さはだんだんに深くなって来て、青ざめた大空の下に僕の村里の灯が微かに低く沈んでいた。原の入口には石の地蔵がさびしく立っている。古い地蔵は二十年ほど前の大雪に圧し倒されて、鼻や耳をひどく傷めていたので、その後新しく作りかえるに就いて、日光の町から良い職人をわざわざ呼んで来て、非常に念を入れて作らせたのだとかいって、村の者がふだん自慢しているのを僕もうすうす聞いていた。
地蔵さまは僕よりも大きかった。まず十五六の少年ぐらいの立像で、その顔はいかにも柔和な慈悲深そうな、気高い、美しい、いわゆる端麗とでもいいそうな、ここらの田舎には珍らしいくらいの尊げな石像であった。これを作る費用は幾らかかったか知らないが、ともかくもこれ程の立派な地蔵さまが我が村境に立たせたもうことは、村に取って一種の誇りであったであろうと僕は今でも思っている。この地蔵さまがこの話に大関係をもっているのだから、よく記憶していてもらいたい。
われわれ二人が今この地蔵さまの前に来かかると、尼は僕のそばをついと離れて俄かに立像の下にひざまずいた。鉄鉢も麻袋も投げ出すように地に置いて、尼はしばらく尊像を伏し拝んでいた。僕は一緒になって拝む気にもなれなかったので||その癖、祖母と一緒に来て、花を供えたりしたこともあるのだが||唯ぼんやりと突っ立っているばかりであった。
尼は僕という路連れのあることを忘れたように、しばらくそこにひざまずいて拝んでいた。
村にはいって、小さい茅ぶき堂のまえで僕は尼と別れた。
ここでこの尼の身の上を少しく説明しておく必要がある。僕は前にその名を地蔵尼といったが、ほんとうの名は無蔵尼というのだそうである。生まれは京都だとか聞いているが、その優しい音声に幾らかの京なまりをとどめているだけで、ふだんの言葉には
かの尼が年よりも若く見えるというのは、その

「あれが尼さんでなければなあ。」
こんなことを言う不埒な奴もあった。その不埒な若者の二、三人がある晩酒に酔った勢いで、尼のところへからかいにいくと、尼は堂の扉をかたく鎖ざして入れなかった。そうして、仏前にむかって高い朗かな声で経をよみ始めた。その威厳におびやかされて不埒者の群れは喧嘩に負けた犬のように早々に逃げ帰った。こんなことから、かの尼に対する村の信仰はいよいよ強められた。
尼がこの村に足を入れたのは今から三年ほど前で、それまでは宇都宮の方にいたとの話であった。修行のために奥州の方角を廻るつもりで、この街道を托鉢しながら通る途中、かのありがたい石地蔵の前に立ったときに、尼は言い知れない
その晩、家へ帰ると、僕の戻りの遅いのを幾らか不安に思っていたらしい祖母や母も、地蔵さんと一緒に帰って来たと聞いて喜んでいた。祖母はあくる朝、かの尼が托鉢に来るのを待ち受けて、きのうの礼を頻りに言っているらしかった。
それからふた月ばかりは別に何事もなかったが、五月ももうなかば頃のことと記憶している。ある晩、父がかの田崎の小父さんのところへ行って、酒の馳走になって夜更けて帰って来ると、原の出はずれで不思議なことを見たと言った。
「あの尼はどうもおかしい。おれが今あすこを通ったら、石の地蔵さまにしっかりすがり付いて、何か泣いているようであった。」
「いつもの御信心でお地蔵さまを拝んでいたのでしょう。」と、母は別段気にも留めていないらしかった。
「それに相違ない。お前は酔っているから何かおかしく見えたのだろう。」と、祖母も母に合い槌を打った。
なにぶんにも酔っているという弱味があるので、父はあくまでも自分の目を信ずるわけにもいかないらしかったのと、かの尼に対して格別に強い信仰も持っていなかったのとで、父もそれに対して深く反抗しようともしなかった。父はそれぎり黙って囲炉裏のそばに寝ころんでしまった。しかしそれが僕の幼い好奇心を動かして、その夜の父の話はいつまでも耳の底に残っていた。
その後も尼は毎日托鉢に出て、ときどき僕の
「皆さま、お聞きなせえましよ。あの地蔵さんはこの頃気が狂い出したのかも知れねえという者もあるし、又別になんだかおかしなことを言い触らす者もありますよ。どっちが本当か知れねえが、なにしろ変な話でね。」
「あの地蔵さんがどうしました。」と、母は縁側にいる倉蔵に声をかけた。
「どうしたといって······。」と、かれは声を低めた。「夜ふけに村はずれへ出て行って、石地蔵さまにしっかり取っ付いて、泣いたり笑ったりしているそうですよ。村じゅうで確かに見たというものが二、三人ありますから、よもや嘘じゃあるめえと思います。」
いつかの父の話を思い出したらしく、母と祖母とは不安らしい目をみあわせた。庭に遊んでいた僕も眼をかがやかして縁さきへ戻って来た。
「なぜそんなことをするのかね。」と、祖母はまだ半信半疑らしい口ぶりで言った。
「そりゃ判りません、だれにも判りません。」と、倉蔵も不思議そうに又ささやいた。「それからね。まだおかしいことを言い触らす者があるんですよ。どうもあの尼さんは
「ただの人間じゃない。まあ、どうして······。」と、母も目をみはりながら直ぐに訊き返した。
「皆さまも御承知でしょう、あの尼さんはふだんから犬が大嫌いで······。犬が吠えると顔色を変えるそうですよ。それがこの頃はだんだん烈しくなったようで、この間もあの石地蔵さまを拝んでいるところへ、原の方から野良犬が二匹出て来てわんわん吠え付いたら、尼さんは怖ろしい顔をして、はじめは手に持っている珠数で打ち払うような真似をしていたんですが、しまいにはもう気違いのようになって、そこらにある
こういうと、僕の生まれ故郷の人間はひどく無知蒙昧のように思かれるかも[#「思かれるかも」はママ]知れないが、なにしろまだ明治十四五年頃の田舎のことで、しかもその近所には
「でも、めったなことを言ってはなりません。犬の嫌いな人は世間にないことはない。犬が嫌いだからといって、狐の狸のと······。まあ、まあ、黙ってもう少しなりゆきを見ている方がいい。」と、祖母はまだ素直にそれを信用しないらしかった。
外から帰って来た父は、それを聞いて笑い出した。
「はは、いま時そんなことがあって堪まるものか。しかしあの尼が石地蔵に取っ付くというのは本当だ。いつかも話した通り、おれも確かに一度見とどけたことがある。」
いつかの話が裏書きされたので、僕達ももうそれを疑う余地はなかった。なぜそんな変な真似をするのか、その子細は誰にも判らなかった。判らないにつれてそこに又いろいろの臆説も湧き出して、尼に対する諸人の信仰も尊敬もだんだんに薄れて来た。僕の家ではその後も相変わらず米や銭を喜捨していたが、村の或る者はかの尼が托鉢の
こういう風に自分の村の信仰がだんだん
「それ見なさい。ここらの人達はなにを言うのか。」と、祖母は自分の信用の裏切られないのを誇るように言った。
祖母ばかりでなく、根が正直な村の人達は、あまりに早まって尼をうたがい過ごしたのをいささか悔むような気にもなったらしく、一度は顔をそむけていた者もこの頃では再び親しみをもつようになって、自分の村じゅうを廻っただけでも尼の托鉢はかなりに重くなるらしかった。こうして、かの尼に対する村人の信仰がだんだんよみがえって来ると反対に、尼の
「地蔵さんこの頃は病気じゃないかしら。」と、祖母は心配そうにひたいを皺めていた。
尼の顔色の悪いのは、この間からの悪い噂に気を痛めたせいであろうと、祖母は言った。さもなければ、女の足で遠い隣り村まで毎日托鉢に出て行った疲労であろうと、母は言った。村の人たちもやはりそんな風に解釈したらしく、取り留めもない噂を立てて直接間接にかの尼を迫害した自分たちの罪をいよいよ悔むようになった。その罪ほろぼしというわけでもなかろうが、尼の住んでいる茅ぶき堂も近来よほどいたんで来たので、盂蘭盆でも過ぎたらばみんなが幾らかずつ喜捨して、堂の修繕をしてやろうという下相談まで始まった。しかも尼の顔色の衰えはいよいよ目立って来て、この頃ではいたましいほどにやつれてしまった。
「御病気でございますか。」
尼が托鉢に来たときに、僕の祖母が同情するように訊いたが、尼はそれを否認して、別に変わったこともないと答えた。
そのうちに盂蘭盆が来た。その当時、ここらではもちろん旧暦によっていたので、新暦ではもう八月の末であったろう、日が落ちるとひやひやする秋風が那須野の方から吹いて来た。旧暦十五日の宵には村の家々で送り火を焚いた。僕の家でも焚いた。その夜、地蔵尼は例の地蔵さまの足もとに死んで倒れていた。
それが又、村じゅうの大問題になった。
「尼さんが死んだ。地蔵さんが死んだ。」
こういう噂が村じゅうに広まると、大勢の人達はおどろいて村はずれに駈け付けた。僕も無論に駈けていった。それは午前六時すこし過ぎた頃であったろう。まだ晴れ切らない朝霧は大きい海のように広い平原の上を掩っていて、冷たい空気がひやひやと襟にしみた。僕がいきついた頃には、もう十二三人の男や女がかの石地蔵のまわりを取り巻いて、なにかわやわやと立ち騒いでいるので、その袖の下をくぐって覗いてみると、地蔵尼は日ごろ信仰する地蔵さまの台石を枕にして、往来の方へ顔をむけて横さまに倒れていた。その顔が生きている時と同じように白く美しくみえたのが今でも僕の記憶に残っている。かの尼は死んだのではない、疲れて眠っているのではないかとも思われた。
駐在所の巡査も出張した。裁判所の役人も来た。その後の手続きはどうであったか、子供の僕にはなんにも判らなかったが、父や母の話を聞くと、地蔵尼の死体にはなんの異状もなく、唯その左の

その夜なか頃に地蔵さまのあたりで犬の吠える声を聞いた者がある。尼の白い

「村の若い奴等が何か悪さをしたのかな。」
父が母にささやいているのを、僕は小耳に聞いた。父がなぜそんな判断をくだしたのか僕にはちっとも判らなかったが、父は駐在所の巡査とふだんから懇意にしているので、その方から何か聞き込んだことでもあるのかも知れないと、ひそかに想像していた。
「もし本当にそんなことでもあったのなら大変です。お地蔵さまの
とりわけてふだんから地蔵尼に信仰をもっていた祖母は、尼の死を深くいたむと同時に、その怪しい死にざまについていろいろの判断をくだしているらしかった。それから三、四日経ってから隣り村から田崎の小父さんがたずねて来たが、隣り村でもいろいろの臆説が伝わっているらしく、そのなかでも犬に咬まれたというのが最も有力な説であるらしかった。しかし僕の父は一言のもとにそれを言破ってしまった。
「なんの馬鹿な、急所でも咬まれたら知らぬこと。足をちっと咬まれたぐらいで、人間ひとりが死んでたまるものか。」
田崎の小父さんもしいてそれに反対しなかった。実をいうと、僕も二、三年前に右の足を野良犬に咬まれたことがある。しかし五、六日の後にはすっかり癒ってしまって、こうして平気で生きている。それを思うと尼が犬に咬み殺されたというのはどうも嘘らしいと、僕もひそかに父の意見に賛成していた。田崎の小父さんが帰ったあとで、父は家内の者にこんなことを言った。
「隣り村でもやっぱり馬鹿なことを言っているらしい。今に見ろ、ほんとうの罪人があらわれてびっくりするから。」
果たしてそれから十日あまりの後に、村の若い者が二人まで拘引された。一人は喜蔵、ひとりは重太郎といって、人間は悪い者ではないが、酒の上がよくない上に、身持ちも治まらない道楽者であった。かれらはかつて酒に酔った勢いで、夜ふけに尼の堂を襲いに行ったいたずら者の仲間であった。そればかりでなく、重太郎は現場に有力な証拠品を遺していたということが、この時はじめてはっきりした。
巡査は尼の倒れていた石地蔵を中心として、その付近のすすき原を隈なく穿索すると、地蔵さまの足もとから二間ほども離れたすすき
煙管の持ち主がはっきりすると同時に、その晩一緒に帰ったというかの喜蔵も共犯者の嫌疑をうけた。かれらふたりは盆踊りに行って、夜ふけに連れ立って帰って来た。そうして、尼の死体の傍らに重太郎の煙管が落ちていた。殊にかれらはふだんから身持ちがよくない。酒の上も悪い。それがいよいよかれらの不利益となって、尼僧殺しの嫌疑者と認められてしまったのである。僕の父が予言した通り、かれらはなにかの悪さをして、尼僧を死に致したものと認められたのである。二人が拘引されると、村じゅうの者は又たちまちにかれらを悪魔のように憎んだ。
「呆れた奴等だ。とんでもねえ奴等だ。人もあろうに、清浄の尼さんにそんないたずらをして、挙げ句の果てが殺すとは······。あいつら、どうせ地獄へ堕ちるに決まっている。首を斬られても仕方がねえ。」
「それ見ろ。」と、僕の父も誇るように言った。「犬に食われたなんて嘘の皮だ。犬よりも人間の方が余っ程おそろしい。」
嫌疑者のふたりは強情に白状しなかった。かれらは警官の取り調べに対して、こういうことを申し立てた。なるほど自分たちは先年も尼の堂を襲おうとしたことがある。実は盆踊りの夜にも尼に出逢った。しかし自分たちは決して尼の徳操を汚したこともなければ、からだを傷つけたこともない。その晩、盆踊りに夜がふけて、踊り疲れた二人が村はずれの地蔵さまのそばまで戻ってくると、すすきのあいだに白い影がぼんやりと浮き出してみえた。幽霊かと思って怖々ながら透かしてみると、それはかの地蔵尼であった。尼は白い着物をきて、地蔵さまのまわりを幾たびかしずかに廻っていた。
何をしているか判らなかったが、ともかくもその正体が判ったので、ふたりは急に心強くなった。そればかりでなく、尼が夜ふけに地蔵さまの近所をさまよっていることは今までにも度々聞いているので、かれらは尼が一体何をしているかを見とどけようとして、ひそかにささやき合ってすすきの茂みに身を隠していると、尼はそんなことに気が付かないらしく、夜露に
尼は安らかに眠られないので、冷たい夜風に吹かれているのかも知れないと二人は想像していた。尼は容易にそこを立ち去らなかった。遠い原なかで狐の啼く声がきこえた。薄い月がぼんやりと弱い光りを投げて、そこに立っている石地蔵の姿がまぼろしのように薄白く見られた。尼はやがて立ち停まって、狐のように左右を見まわしていたが、さながら吸い寄せられたように地蔵さまの前にふらふらと近寄った。と思うと、尼は両手を大きくひろげて冷たい石に抱きついた。そうして、何かひそひそとささやいているらしかった。
この奇怪な行動を二人は眼を放さずにうかがっていると、尼のからだは吸い着いたように離れなかった。それが五分もつづいた。十分もつづいた。二人はもう根負けがしたのと、藪蚊に襲われる苦しさとで、思わず身動きをすると、かれらを包んでいるすすきの葉がざわざわと鳴った。その物音に初めて気がついたらしく、尼は石をかかえた手を放して、急にこっちを見返った。どこかで狐の鳴く声が又きこえた。なんだか薄気味悪くもなって来たので、二人はやはり息を殺して忍んでいると、尼は何者かをあさるようにこちらへだんだんに歩み寄って来た。二人のすがたは忽ちに見いだされた。
「おまえさん方はさっきからそこにおいででしたか。」と、尼は弱い声で訊いた。
二人は黙っていると、尼は更に摺り寄って来て、今度はすこし力強い声でまた訊いた。
「おまえさん方は何か見たでしょうね。」
二人は正直に答えるのを

「見たらば見たとはっきり言ってください。見ましたか、見たに相違ありますまい。今夜のことは決して誰にも言ってくださるな。もしおまえさん方の口からこの事が世間に知れると、わたしは未来までも怨みますぞ。」
尼の顔色は物凄かった。気のせいか、その口は耳までも裂けるかと思われた。二人はぎょっとしてほとんど無意識に承諾の返事をあたえると、尼はかさねて念を押した。
「きっと他言してくださるな。」
「ようごぜえます。なんにも言いません。」
早々に二人はそこを逃げ出した。行き過ぎてそっと見かえると、尼はやはりそこにたたずんで、すすきのあいだに白い半身をあらわしながらこっちをじっと見つめているらしかった。二人はいよいよ気味が悪くなって、足を早めて帰ってしまった。
喜蔵と重太郎の申し立ては、その後幾たびの取り調べに対しても決して変わらなかった。かれらはその以外にはなんにも知らないと固く言い張っていた。煙管は重太郎の所持品に相違なかったが、それはすすきのなかに忍ぶ時に遺失したもので、ほかには何の子細もないといった。しかし尼の行動に対するかれらの申し立てがあまりに奇怪であるために、警察では容易にそれを信用しなかった。深夜に石地蔵を抱いて何事をかささやいている||しかもそれを決して他言するなという||そんな不思議な事実をならべ立てただけでは、道楽者二人が無罪であるという証拠にはならなかった。
かれらがなんと言い張っても、警察の側では尼の死体を検案の結果、一つの動かない証拠をつかんでいるので、嫌疑者は尼の徳操を汚したものと認められていた。かれらは泣いて無実を訴えたが、ひとまず裁判所へ送られてしまった。しかしかれらの申し立てた事実が世間に洩れきこえると、一方にはまたかれらを弁護する者があらわれて来た。今までにも尼が夜ふけに地蔵さまのほとりをふらふら徘徊しているのを見かけた者は、かれら二人のほかに幾人もあった。尼が一度その信用をおとしてしまったのもそれがためであった。して見れば、尼がその当夜そんな怪しい行動を演じていたというのも、まんざら跡方のないことでもあるまいというのであった。この弁護説がだんだん広がると、かれら二人に対する大勢の憎しみが又おのずから薄らいで来た。それと同時に尼に対する新しい疑惑が再び起こって来た。これはどうしても尼さんの正体が怪しいと人々は噂し合った。||僕の家の倉蔵が又こんなことを報告した。
「御隠居さま、慶善寺の話をお聴きになりましたか。」
慶善寺というのはこの村にたった一つの古い由緒のある寺で、地蔵尼の
「どうしたの、お寺に何かあったのですか。」
「この頃、お寺の墓場で毎晩のように犬の吠える声が聞こえるのでございます。それがゆうべは取り分けて激しいので、お住持がそっと起きて行ってみると、一匹の小さい狸が野良犬に咬み殺されて死んでいました。狸は爪のさきで新仏の墓土を掘り返そうとしているところを、犬に咬まれて死んでしまったのでございます。唯それだけならば、狸めのいたずらで事が済むのですが、その墓が尼さんの······。」
「まあ。」と、祖母は息をのんだ。そばで聞いている僕も耳をかたむけた。
あとでその事件を父に訴えると、父はただ冷やかに笑っていた。
「狸めはよくそんないたずらをするものだ。」
父の解釈は単にそれだけであったが、村の者はそれを狸のいたずらとのみ見過ごさないで、その以上に深い秘密がひそんでいるように解釈するものが多かった。地蔵尼は非常に犬を嫌っていた。その死体の脛にも薄い歯のあとが残っていた。その新しい墓土を狸がほり起こしに来て、犬に咬み殺された。こういう事実をむすび付けて考えると、地蔵尼と犬と狸と、そのあいだに何かの連絡がありそうにも思われた。尼に対する一種の疑惑が又もや強い力をもって大勢の心を支配するようになった。
「あの尼はやっぱり
死体の

「村の奴等にも困ったものだ。」と、僕の父はにが笑いをしていた。
そのうたがいを解くために、尼の死体を発掘してみようという説も起こったが、慶善寺の住職は頑として肯かなかった。警察でも許さなかった。したがって、その
足かけ四月ほども未決囚として繋がれていた二人の嫌疑者は、その年の暮れにいずれも証拠不十分で放免された。二人の嫌疑が晴れると同時に、尼に対する疑いはいよいよ深くなった。狸尼の名は僕よりも小さい子供ですらもよく知っている。堂は無住のままで立ち腐れになってしまった。尼を信仰していた僕の祖母も、狸が人間に化ける筈がないと主張していた僕の父も、この問題に対しては口をつぐんでしまった。
尼の遺産||といったところで、もちろん目ぼしいものは何にもなかったが、白木の経机と、三、四冊の経文と、三、四枚の着換えとが残っていたのを、みな慶善寺に納めることになった。そのほかに古い手文庫のようなものが一つ見いだされたが、それは警察の方へ引きあげられた。文庫のなかには書き散らしの
「あの尼は信仰に凝り固まって、一種のお宗旨気違いになってしまったのだ。石の地蔵さまに抱きついたとか、縋り付いたとかいうのはそのせいだ。別に不思議があるものか。」
尼は狸ではない、気違いであったかも知れない。僕は半信半疑で父の説明を聴いていた。田崎の小父さんに逢ったときにその話をすると、小父さんもうなずいて、成る程そんなことかも知れないと言っていた。
「それにしても尼はどうして死んだのだろう。やはり犬に咬まれたのかしら。」と、小父さんは更に首をかしげていた。僕にもそれは判らなかった。
すると、来年の二月の末になって、ここらも漸く春めいて来た頃に、隣り村の源右衛門という百姓が突然拘引された。源右衛門はもう五十以上の男で、これまで別に悪い噂もきこえない人間であっただけに、かれが尼殺しの嫌疑者として拘引されたという事実が又もや世間をおどろかした。かれは陽気の加減か、この頃少しく気が触れたような工合で、ときどきにおかしなことを口走った。
「狸が来た。狸が迎いに来た。」
それが警察の耳にはいって、かれは遂に拘引されることになったのであった。なんだか取りのぼせているらしいので、ひとまず近所の町の医院へ送られたが、ふた月ばかりで正気にかえった。それから警察へ送られ、さらに裁判所へ送られ、小半年の後に懲役にやられた。しかしかれは直接に尼を殺しのではないということであった。そんならどうして懲役にやられたのか、子供の僕にはくわしい事情を知ることが出来なかった。祖母や母も僕にむかっては十分の説明をあたえてくれなかった。
それからだんだんに年が過ぎて、僕は近所の町の中学校へ通うようになった。ある年の夏休みに、僕の兄が東京から帰省したとき、一緒にそこらを散歩していると、二人は村はずれの石地蔵の前に出た。兄は誰から聞いたのか知らないが、狸尼のことは勿論、源右衛門のこともよく知っていて、今まで僕の知らなかった事実を話してくれた。
源右衛門は尼の死ぬ一週間ほど前に、尼に関係したことがあるのを白状した。源右衛門が夜ふけて例の地蔵さまの前を通ると、尼は石の仏をかかえて何事をかささやいているのを見つけた。尼は自分の秘密を
それから一週間の後に尼は怪しい死を遂げた。しかし狸尼の噂が隣り村まで伝えられたので、源右衛門は後悔と恐怖とに襲われた。日を経るにしたがって、その恐怖がいよいよ彼のたましいを
兄もその以上のことは知らないらしかった。
「話はまずそれだけのことさ。」と、梶沢君は言った。「結局、その地蔵尼はどうして死んだのか判らないことになっているのだ。
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百年前 の黒手組
E君は語る。
僕は古い話で御免を蒙ろう。
文政五年十二月なかばのことである。芝神明前の地本問屋和泉屋市兵衛の宅では、女房の難産で混雑していた。女房は日の暮れる頃から産気づいたのであるが、腹の子は容易にこの世に出て来ない。結局は死産であったが、母だけは幸いに命をとりとめた。その混雑の最中である。夜の五つ時(午後八時)にひとりの男が封書を持って来て、これは注文状であるから主人に渡してくれといって、店さきへ投げ込んで早々に立ち去った。
前にいったようなわけで、主人の市兵衛は宵から店に出ていない。そこに居あわせた手代どもがその封書の
手代どもからその話を聞かされて、市兵衛は眉をよせながらまずその書状の文面をよむと、大略左のようなことが書いてあった。
拙者事、四五年以前まで御隣町にまかりあり、御世話にあづかり居り候処、その後いよいよ不如意にまかり成り候て、当時は必至と難儀いたし候、もつとも在所表は身分相応の者どもに候間、右国許へまかり越し、金子才覚いたし度候へども、なにぶん路用に差支へ候、近ごろ無心の至りに候へども、金子二分借用いたし度候、もつとも当大晦日までには相違なく返済いたすべく候、右の趣、御承知くだされ候はば、二分なりとも小粒なりとも、この袋に入れ、御見世の仲柱へ地より三尺ほど上げて御張りおき下さるべく候、今晩深更におよび、猶又まかり越し候て、受納いたすべく候
さて又拙者事、なにがしが門人にて、年来剣術柔術等修行いたし、松浦流と申す一流をたて候へども、諺にいふ生兵法大疵のもとにて、先年修行のために諸国を経めぐり候節、信州に於て思はずも不覚をとり侯ことなど有之候、さりながら右体の御恩にあづかり候儀に候へば、謝礼の為に素人衆にても時の間にあひ、災難をのがれ候こころ得を伝授いたすべく候、別紙をつねづねよく御覧なされ候て、御工夫なされ候へば、夜中往来などの時、災難をのがれ易く候、云々
そのさて又拙者事、なにがしが門人にて、年来剣術柔術等修行いたし、松浦流と申す一流をたて候へども、諺にいふ生兵法大疵のもとにて、先年修行のために諸国を経めぐり候節、信州に於て思はずも不覚をとり侯ことなど有之候、さりながら右体の御恩にあづかり候儀に候へば、謝礼の為に素人衆にても時の間にあひ、災難をのがれ候こころ得を伝授いたすべく候、別紙をつねづねよく御覧なされ候て、御工夫なされ候へば、夜中往来などの時、災難をのがれ易く候、
もしこの無心聞き済み無く候はば、別封にいたし置候一通を披見なさるべく候、御聞きとどけ下され候はば、右の別封は御開封におよばず、そのまま御返し下さるべく候
開封に及ばずとあれば、あけて見たいのが人情である。市兵衛はその別封をあけて見ろというと、手代共も一種の興味をそそられて、すぐに封をあけた。主人も奉公人も店の灯の下に顔をつきよせて、その別封の文面をよんでみると、これは本文の丁寧なのに引きかえて、穏かならざる文言が列べ立ててあった。万一この無心を聞きとらない時は、主人は落ち着いているものの、店の者どもは少なからぬ恐怖を感じた。もしこの文面の通りであれば、日が暮れてから近所の銭湯へも迂濶にいくことは出来ない。どうしたらよかろうと、いろいろに評議していると、そのなかに親類のなにがしという男があった。この男もやはり芝に住んでいて、宵から産婦の見舞いに来ていたのであるが、しばらく思案して、こう言い出した。
「たとい捨てたとしても、わずかに二分のことだ。もしその無心を聞いてやらないで、とんでもない意趣がえしをされてはつまらないから、ともかくも二分判一つをその袋に入れて、表へ出して置くがよかろうではないか。」
手代共もすぐに同意して、その袋に金を入れ、かれの指定通りに表へ貼りつけて置いた。
夜があけて、主人が店へ出て来たので、手代共はゆうべのことを話して、親類の御意見で、先方の注文通りに取り計らったと報告すると、市兵衛は再び眉をよせた。
「そうして、その金はどうなった。」
「いつもの通り、四つ(午後十時)に大戸をおろしましたが、けさ起きて見ると、袋も金もなくなっておりました。」
「そうか。」と、市兵衛はうなずいた。「世にはめずらしい押し借りもあるものだ。こういうことは名主、家主にも届けて置かなければならない。」
そうは言いながらも、産婦のことや店のことに取りまぎれて、朝の四つ(午前十時)頃までそのままになっていると、同町内の絵草紙屋若狭屋の主人が
「実はゆうべわたしの店にも同じ筋のことがありました。ところが、けさ早くに八町堀の
市兵衛は今更にあわてて、すぐに連れだって八町堀の役宅へ出ていくと、定廻りの同心は、かれを呼び込んで、ゆうべお前の家にこうこういうことがあったかと訊問した。市兵衛はありのままを正直に申し立てると、同心は笑いながら言った。
「その
指さす方をみかえると、そこには一人のわかい男が厳重にくくられていた。浪人者の、やわら取りのというからは、どんな逞ましい強そうな男かと思えば、それはまだ廿二三歳の町人風で、色の小白い痩せぎすの、小二才とか青二才とかいいそうな、薄っぺらな男であったので、市兵衛も案に相違して、しばらく呆れてその顔をながめていた。
それから一旦引き退がって、市兵衛は若狭屋と一緒に正式の訴状を出した。和泉屋からはかの書状をも添えて差し出した。若狭屋からはかの書状のほかに、金を入れた袋をも差し出した。どちらの書状もその文言は一字も違っていなかった。和泉屋では金を取られたが、若狭屋では金を取られなかったのである。若狭屋ではかの手紙をなげ込まれて、いろいろ評議の末に、まずそれを家主に告げ、さらに名主に告げ、その処置について相談したが、それはおまえの料簡次第で、こちらからその金をやれともやるなとも指図は出来にくいことであると、名主はいった。それらのことで、夜もだんだんに更けてくるので、わずか二分の金を惜しんで万一の間違いがあってはならないと、誰の考えもおなじことで、若狭屋でも相手の注文通りに金の袋を出しておいたが、それは夜のあけるまでそのままになっていた。
賊はまず和泉屋の表へ忍び寄って、金の袋をぬすみ取り、それから若狭屋へ向かったが、ここでは前にいう通り、家主に届け、名主に相談して、なにやかやと暇取っていたために、賊が忍んで来た頃には、まだその袋が出してなかったので、幸いに難を逃がれたのであった。和泉屋に成功し、若狭屋に失敗した賊は、さらに転じて近所の宇田川町桐山という薬種屋へ向かうと、ここには落とし穴が設けられていた。
桐山でもおなじ書状を投げ込まれたのであるが、主人は度胸がすわっているので、その脅迫状をみて驚くよりもむしろ怒った。これは一種の強盗である。こんな奴をゆるして置いては諸人の難儀になるというので、家主や町代とも相談の上で、かれは生け捕る手段をめぐらした。出入りの鳶の者に腕自慢の男がいるので、それを語らって軒下の物かげに伏せておくと、賊は果たして夜ふけに忍んで来た。表の柱には金を入れた袋が出ているので、賊はその柱に手をかけようとする途端に、隠れていた鳶の者は飛び出して、うしろから彼に組みついた。不意に組まれて、彼もうろたえたらしかったが、ふところに持っていた一本の
かれが手紙をなげ込んだのは、日本橋馬喰町から芝宇田川町まで十軒あまりで、どの家の主人もたびたび奉行所へよび出されて迷惑した。そのなかですぐに訴え出たものは唯一軒で、これは無事に済んだが、他のものは早く訴え出なかったという落度で、みな叱られた。殊に和泉屋市兵衛は訴え

江戸時代にこういう手段を用いた賊は甚だめずらしいといわれた。したがって判決の先例がないので、奉行所でもその処分に苦しんで、その七月まで落着延引しているうちに、賊は七月八日に牢死した。伝えるところによると、奉行所では遠島と内定していたそうである。本来ならば結局重追放ぐらいで済むべきであったが、その書状のうちに放火して焼き払う云々というおどし文句があるので、かりにも放火などというは重々不埒であると、死罪に次ぐべき重罪に問われることになったのであるという。
今から百年前には、この種の犯罪も係りの役人の頭を悩ますほどに珍らしがられたのであった。今日の不良少年もその時代に生まれたら、あっぱれの知恵者として世間をおどろかしたかも知れない。
大正十三年二月作「新小説」