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早春雑記

尾形亀之助




 毎日のやうに隣りの鶏が庭へ入つて来る。

 鶏が書斎の前をいそいで通るので、いかにも跣足で歩いてゐるやうな恰好をする。羽や鳥冠が立派で、その上雄鶏などはすましてゐるやうな様子をしてゐるので可笑しい。

 彼等の中に一匹奇妙な鳴声をする雌がゐる。


 四五日前から地つづきに家主が家を建てゝゐる。今日は午後から曇つて、夕暮から雨になつた。


×


 又春が来る。なげつぱなしにして置いた季節が何処からか又帰つて来た。去年の春にまつはる不幸な感情を忘れたふりをして一年過ぎた。

 私はその人の写真をもつてゐない。見てゐる空いつぱいに広がる感情をどう縮めることも出来ない。


 細い月が出てゐる。一日西風が吹いて夜になつた。

 夢のやうな夕暮であつた。

 私はあなたに手紙を書かうとは思はない。はつきりした感情であなたを考へたくはない。

 私はただ夕暮を見てゐただけでいゝ。


 何時まで私はこんなことを考へてゐるのか。

 泣くと、ほんとうに涙が出る。今年はあと幾ヶ月あるかといふやうなことをきいても誰もとり合つては呉れまい。


×


一、主人を除く家人は、午後十時、事の如何を問はず休息のこと。

一、主人の権威を以つても、休息中の家人を起すことを禁ず。

一、但し、地球の軸をまはす時はこの限りにあらず。

一、主人は、家人に対し、言ママ行動を丁重にすべきこと。

一、妹を尊敬すべきこと。

一、酒を節して、庭に樹木を植えること。

一、来客を選びて酒食を共にすること。

一、最も大切なるは女房を「おかみさん」と呼び、愛することを怠らざること。


 以上八ヶ条を主人心得として普九さんから頂戴した。

 昨夜、妻が私の欲しがつてゐた色々の家具を買つて来た夢をみた。部屋に飾つてみるとみなところどころ毀れてゐた、妻は「途中の運搬がわるかつたからで、買つたときは毀れてゐなかつた」と言つてゐるところであつた。


 私は、あてのない散歩はどうしても出来ないし、出来るだけ外出しまいと思つてゐるので、不機嫌な顔をして家にばかりゐる。

 庭には、隅に一本細い桐があるだけである。


×


 私の詩のあるものはこの頃一層短篇的なものになつた。さうした傾向は内容や形態から考へれば、事実詩から離れかけてゐることになるかも知れないが、それは言葉の上でのことで、私の持つてゐる詩から離れてゆかうとしてゐるのではない。

「短篇」と言つても、所謂短篇なるものの総称ではなくそれにふくまれるものの一つであつて、当然生れ出て来なければならないものである。

 わづかばかりの頁のところでこんなことを書くつもりではなかつたが、このことをながながと書いても興がない。又、私の短篇と自称する作品を詩であるとしか考へられない人達には、私の短篇が詩にふくまれるものであつて、その仕事が十分にしつくされてゐるのではないしその作品には何の変りもないのだからそれでよいことにしママう。たゞ私が詩よりも短篇の方が格が上だと思つてゐるのではないことや、夢を見てゐるのではないことだけは断つておきたい。


×


 又、雨が降つてゐる。昨日から私は部屋に白い蓮の掛図をかけてゐる。夜になつて雨が強くなつた。蓮の胡紛が昼月のやうに浮いてゐる。


 とよがまがつてゐるので、又壁に雨がしみてきた。雨の中に電車の走つてゐる音が時をりする。

 寝床に入つても雨の音が聞えるだらうと思ふと、なんだか床に入りたくない。

(一九二八・三|

(全詩人聯合創刊号 昭和3年4月発行)






底本:「尾形亀之助詩集」現代詩文庫、思潮社


   1975(昭和50)年6月10日初版第1刷

   1980(昭和55)年10月1日第3刷

初出:「全詩人聯合 創刊号」

   1928(昭和3)年4月

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:高柳典子

校正:鈴木厚司

2006年9月12日作成

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