人
鉄風
諏訪
昌允
美
未納
須貝
鉄風
諏訪

須貝
川に臨んだコテージ風の住居の一部分。川を見下ろし、二階への階段をもつ。
六月の末、その晴れた一日、午後四時過ぎ。須貝、未納、二人共軽装。
六月の末、その晴れた一日、午後四時過ぎ。須貝、未納、二人共軽装。
須貝 (椅子に掛けて、ラケットをいじくりながら)兎 に角 、一遍でいい、陽に向って勝負をしたまえ、それから、あなたの打ったような球を留めてみ給え、それからの話だ。
未納 だって、勝とうと思ったら、誰だって······難しい球打つわよ。
須貝 僕があんなボールを打てないと思ったら間違いだぜ。わざっと打たないだけの話さ。
未納 (窓の傍で)御覧なさい。須貝さん。
須貝 何が見えます。
未納 そんなところで、何か言ってないでさァ。
須貝 言い給え。
未納 用心深いのね。
須貝 猫がいる! それとも犬か?
未納 お洗濯の連中よ、また引っ張られてくらしい。
須貝 珍らしくもない。
未納 珍らしいものなんて、言ってやしないわ。
須貝 一晩睡 ると、また、バケツを提げて集って来るよ、きっと。
未納 ああ言うのは、仕方がないのね。
須貝 連れてく方でも持てあましてるんだろう。
未納 直ぐ還して貰えるもんで、馴れっこになってるんだわ。
須貝 尤 も、有り余ってる水だから、洗濯もしてみたくなるか。どうだろう、あの川、泳げるかしら。
未納 泳ぐつもり? 須貝さん。
須貝 風致保存区域だって、泳ぐぶんには差支 えないだろうな。
未納 連れてかれてよ。構わない。
須貝 風致を害するか。
未納 洗濯どころじゃない。
須貝 近代的な景色でいいと思うがな。
未納 グロテスク······。
須貝 なに? はっきり聞こえなかった。
未納 暑いなあ、今日は······。
須貝 今のをもう一度言ってほしいな。
未納 暑い······。
須貝 その前の奴 さ。
未納 如何 、もう、ワン・ゲエム。
須貝 まあ、止めとこう。うまく、誤魔化しやがった。
未納 折角 の日曜日だのに······ぼんやりしてちゃ、つまんないわ。
須貝 あなたに、日曜日の意味があるのかい。何時 だって日曜日じゃないか。
未納 負けるからね。そうでしょう。
須貝 言っとくさ、部屋ん中だからね。此の暑いのに······どうも、子供のお相手は······。
未納 子供じゃないわ。
須貝 慍 らなくったっていいさ。
未納 昨日も約束したでしょう。
須貝 ああ、そうかそうか。思い出した。
未納 何時でも思い出すのね。憶えてなけりゃなんにもならないわ。
須貝 憶えた。今度から······。
未納 言った後からは、今度から······。それだから嫌い。
須貝 嫌いでもいい。
未納 ほんと?
須貝 なにが?
未納 出鱈目 言ってないで、行きましょう。妾 、もっともっと飛びまわりたい。
須貝 あのコオトじゃ、埃 が立つだけですよ。人情から言っても謝りたいコオトだ。
未納 少し堅めるといいんだわ。
須貝 堅めてもいいが······。
未納 撮影所の裏に、ローラーがあるのよ。
須貝 僕なら御免を蒙 るぜ。
未納 お手伝いしてよ、妾。
須貝 君が?
未納 妾、ずっと前だけど、バスケットの選手だったことがあるのよ。
須貝 しかし、ローラーはバスケット・ボールじゃないよ。
未納 母さんと亜鈴 体操したことあってよ、妾達、大人用の亜鈴。
須貝 兎に角しかし、亜鈴はローラーと違う。
未納 そう思わない? 妾が一緒に手伝ったら、少しは楽になると。
須貝 此処にこうして坐ってるほど楽じゃないと思うな。
未納 どうして、揶揄 うの、そんなに。真面目に話さないの、どうしても。
須貝 いや、真面目だよ、未納ちゃん。
未納 お姉さんに言うときは、美
さん、さんって言うわよ。

須貝 そうかな、気がつかなかった。
未納 嘘。嘘言ってるわ。わざっと、あなたは妾だけちゃんと言うの、兄さんにだって昌さんって言うじゃないの。
美
。

須貝 やあ。お帰んなさい、疲れたでしょう。
美
只今 。

須貝 暑かったでしょう、外は。さあ、ここへいらっしゃい。
美
(ちょっと赧 くなって)そうでもないんですのよ。歩いてるとそんなに感じませんの。未納ちゃん、只今。

未納 (一寸 膨 れて)え、お帰んなさい。
美
お留守番で大変だったでしょう。

未納 ううん。そうでもない。
須貝 僕がお守 りをしましたからね。
美
あら。

須貝 お礼を言うなら、こっちの方が先に言って貰いたいな。随分苦心をしたんだから、この······。(止める)
未納 子供のお守りに?
須貝 そう。
美
須貝さんったら。(笑う)

未納 お姉さん、笑うことなんかないわ。
美
あら、だって······。あなたはもう子供じゃないわ。

未納 ありがと。とても親切だわ。
須貝 僕は親切でないのか、今日は一 ん日 遊んでやったんだぞ。
美
(未納に)何してたの。今日は。

須貝 テニス。或はテニス的大騒ぎ。
未納 大騒ぎじゃないわ。
須貝 大騒ぎさ。テニスなんてのは紳士淑女のやるスポーツだ。君達みたいな小僧のやるもんじゃない。僕は草の半分生えた原っぱで汗をかいただけの話さ。
未納 サイドを変らなかったからでしょう。
須貝 サイド、それもある。がそんなことは末の問題だよ。要するに精神だ。あなたに求めるのは無理だが······。
未納 スポーツマン・スピリッツ。
須貝 何でもいい。そう言うものでもいい。
未納 カウントを忘れたのは、須貝さんが始めよ。
須貝 僕は始めから、カウントなんか、問題にしとらんがね。
未納 嘘言ってるわ。やっぱり勝った方がよかったんでしょ。だって、今日は妾が勝ったんだもの仕方がないわ。
須貝 えい。勝ってやればよかったな。この子はこれから少くとも一月 、これをいうだろうな。僕は、当分君と勝負は出来ないからね。
美
須貝さんのがっかり仕様 、大変ですのね。

須貝 ボールをね、丁度、草の生えてる凸凹の辺 へ打ち込むんですよ。そのくせ自分の方は、例のきれいな所でしょう。サイドは絶対に独占する。こっちは陽に向きっきりで······。
未納 だから草を抜いて、ローラーで······。
須貝 ローラーか。どうでもローラー曳 かせる気か。
未納 お姉さん、手伝ってくれない?
須貝 お姉さんは、テニスなんかしやしないじゃないか。
未納 ええ。でも手伝ってくれるわね。
美
何の話? それ。

須貝 いいんですよ。嘘ですよ。
未納 テニスコートをね、ローラーで固めるの。
美
まあ。

未納 いけない?
美
いいえ。そりゃ、いけないことなんか、ないわ。

未納 手伝ってくれる?
美
妾? でも、でも妾。

須貝 そら、みろ。
美
妾、力が無いもの。

未納 そう。お姉さん、亜鈴体操しなかった?
美
アレエ?

未納 亜鈴。両方に鉄の塊がついて、握りがついて······。
須貝 僕だってしたことないぜ、アレエなんか。
未納 あなたはいいの、男だもの。
須貝 男か。荷牛だと思ってやがる。
未納 あら、そんなこと考えてないわ。荷牛にしては痩 せ過ぎてるんだもの。
須貝 なぐるよ。おい。
未納 慍 らないでよう。
須貝 (美
に)こうですからね。この子は手に負えんです。

美
(笑う)

未納 須貝さん、お姉さんが好きなの?
須貝 (驚いて)なに?
未納、腰に手をあてて、黙って歩き廻る。
須貝 驚くべき代物 だね、君は。
未納 隠さなくったって、いいわ。妾知ってるのよ。
美
未納ちゃん!

未納 (額を押えて)皺なんか慥 えてみせたって駄目よ、お姉さん。
美
しらない。(行こうとする)

未納 (手を掴 んで)逃げちゃ駄目よ。お姉さん此の頃、須貝さんの前へ来ると、何かもじもじしちゃって物言わないでしょ、ちゃんとわかってたわ。
須貝 おい。
未納 おい、だなんてェ。嬉しそうよ。にこにこしてるわ。
須貝 (慌てて)止せやい。じゃァ、どう言う顔をすればいいんだい、こういう場合。
未納 駄目々々、どんな顔したって駄目。
須貝 あなたの出鱈目なんか、笑って黙殺する他ないさ。(美
に)そうですね。

美
え、ほんとに······。

未納 わかったわ。須貝さんは美
姉さんが好きなんだわ、それからお姉さんだって······ずっと前から、そうだと思ってた、妾。やっぱりそうだった。

美
お止しなさいったら!

須貝 うっちゃっときましょう。下手 に相手になると、いくらでも調子がつくばかりですよ。こう言う風に猛っている時は相手になる方が負けです。
未納 なんか言って済まし込まないでおいてよ。せつない気がするんだから。そこでと、えい遊んで来ようっと。妾なんかつまらないな。(川の方へ出て行く。外で)須貝さん。須貝君!
須貝 (出て行きかかるが、思い直して)なんだ!
未納 あ、後でいいや。(去る)
須貝 (外をみながら)ああ走る走る。
美
風みたようだわ。

間。
須貝 どうも、大変なことになっちゃって、済みませんでしたね。
美
いいえ、(笑う)そんなこと······妾、なんとも······

須貝 あの人の前じゃあ、うっかりしたことは言えませんね。年が下だと思って安心してると妙なところで叩 きつけられて了 いますよ。
美
そう言うところが、ありますの。妾なんかだと、ああはゆきませんわ。

須貝 あなたはそれでいいです。
美
そうでしょうか。

須貝 女の人が誰も彼も、未納君並だと、我々は、やっつけられどおしですよ。それじゃァ息が吐 けない。
美
息つぎには、なりますのね。

須貝 失敬。悪口のつもりじゃないんですよ。
美
構いませんの。でも······妾、好きですわ、あの人。あんなに思ったことを、そのままずんずん運んでゆけたらどんなにいいかしら、と思うこともあるんだけど!

須貝 そう言うことが、ありますかなあ。
美
ありますわ。でも、やっぱり駄目なんですの。

須貝 性質だから······尤 も、あんな風になりたいってのは、結局とてもあんな風になれないと言うことかもしれませんね。案外、向うでもあなたのようになってみたい、と思ってるかもしれないが······。
美
まさか。

須貝 未納君はどうかしりませんよ。(笑う)そう言ってやったら、張り倒されるかもしれないな。
美
妾だって、ちっとも温柔 しくなんか、ないんですよ。

須貝 いや、まあ、標準ですよ。未納君が活発だとすると、あなたは······。
美
鈍感なんですわね。

須貝 こりゃ、いかん。今日は何の日かしらん。婦人との口論、差控うべし、か。
美
あら、御免なさい、妾······。

須貝 冗談ですよ。むきになっちゃァいかん。
美
(笑う)いやだわ······須貝さん。

須貝 しかし、なんだな······少し工合が悪くなって来て······困るな。
美
なんですの。

須貝 いや、別に······なんでもないんだが······未納君、変なこと言いましたね。
美
||

須貝 あんなこと、考えていたのかな。
美
さあ。

須貝 今迄、あなたに、そんなこと言ったことが、あるんですか。
美
いいえ、そんなこと······。

須貝 少し、きびしく叱っておかないといけませんよ、お姉さん。どうも、あんなことを言われると、これからあなたに平気で物が言えなくなるなあ。
美
||

須貝 なに、気にすることはないんです。ただ······僕は······あなたに御迷惑をかけると済まないと思うもので······。
美
そんなことありませんわ。だけど、あのう······(何か云おうとするが、うまく云えない)妾ね······(思い切って、話しそうになる)

須貝 おお。
昌允 ああ、あなたは、今日はもう、ちっとも行かないんですね、撮影所へは。
須貝 今日は一ん日、休みます。
昌允 (川原の方を振り返って)はははあ、未納の奴······須貝さんと間違えたんだな。
須貝 どうか、したんですか。
昌允 いやァ、なんでも······。
美
未納ちゃんに、お会いになったの。

昌允 会ったって言うわけじゃないんだ。川原でぶんぶん石を抛 ってたからね。近づいてって、声を掛けようと思うと、ふり向きもしないでどんどん行っちまやがった。おかしな奴だ。
須貝 さっきから、此処 でさんざんふざけちらしてたものだから······。
昌允 彼奴 は、悪ふざけをするんで······美
さん、俺、喉が渇いてるんだ、済まないが、あれ······ほら(云えない)

美
(立上る)ええ、わかってよ。でも······いいの?

昌允 大丈夫さ。須貝さん?
須貝 いいですね。
昌允 オレンヂ、がいいや。あるかな······。
美
あったと思うわ。(行きかかる)

昌允 シェーカーは俺の部屋だよ、ああ、此処へ持って来るといい、俺がこしらおう。
美
ええ、直ぐ。妾だって、出来ることは出来てよ。(去る)

昌允 何時から、仕事におかかりになるんです。
須貝 明日から、やるつもりです。(煙草のケースを取り出して)どうです。
昌允 え、有難う。(つまむ)すると、明日は、此の家では変ったことが二つあるわけですね。
須貝 (火を磨 ってやりながら)そうなりますね。僕は、始めにステージの仕事を片づけて、後でロケの方をやりたいつもりです。
昌允 家の親爺 もそうですね。
須貝 先生もそうです。そっくり真似るわけにはゆきませんがね。
昌允 天気の関係やなんかもあるわけでしょう。
須貝 それは、あるわけです。
昌允 僕は、こないだ、ちょっと親爺の写真のかかっている小屋を覗 いてみたんだけど······駄目ですね。あれで、会社じゃどうなんでしょう。
須貝 先生ですか。どうってことは無いです。やっぱり大監督ですね。
昌允 惰性なんですね、それは。僕は見ていてすっかり退屈してしまったな、僕みたいなものがそうなんだから、見馴れた連中は如何 なんだろうと思って、周辺 を見回したら、やっぱりみんな思い屈したような顔をしてましたよ。楽しんでるような顔はまるで無かったな。
須貝 どうも、そう言われると、こっちが大変つらいわけなんだが。これで活動屋も楽な商売じゃありませんからね。
昌允 結局、なんて言う······つまり······センスの問題なんじゃないですか。須貝さんなんか、若い監督さんはやっぱり違うでしょう、どこか。一本になられたんだし、期待しています。
須貝 さあ、そう期待されると、益々困るんです······(美
、グラス、シェーカーなどを台に載せて入って来る)まあ、意気込んでいるには、いるわけなんだが···それがねえ······

美
冷蔵庫にこれっぽっち、氷······。ビタースも心細くってよ。

昌允 ん。(立ち上って、飲みものを造りにかかる)今日は何処へ行って来たんだ。
美
妾? 母さんと衣装査 べに。

昌允 衣装査べって、此の間、済ませたんじゃないのか。
美
でも、なんだか安心出来ないんだって。いざと言う時になって、足りなかったりすると困るからって······。

昌允 前ので懲 りたらしいな。
美
須貝さん御存じ、この前の公演の時にね、もうベルが鳴り始めてから、持ち道具が一つ足りないのに気がついて大騒ぎしたんですよ。

須貝 ちっとも気がつかなかった。そんなことがあったんですか。
昌允 そう一々、客席に知れちゃァ、仕様がない。
須貝 こんだのは、なんだか大変なんですってね。
美
そうなんですの。此の間初めて、舞台稽古をみたんですけど、全部あれでしょう、和服みたいなものでしょう、そこへ音楽が妙なんですもの······妾なんかまるで面喰 って了って······。

昌允 まあ、あなたが踊らないから仕合せだがね。(氷を割っている)
須貝 何て言うんでしたっけ、題は。
昌允 よく知りません。源氏物語かなんかから取ったつもりなんでしょう。
美
夕顔からよ。

須貝 さて、成功だといいが。
昌允 しやしませんよ。妙に変ったことなんか、しない方がいいんですがね。周囲からおだてられるとすぐその気になるから······。
須貝 まあ、そう言ったものでもないでしょう。今の時代だから、そう言う趣向もいいかもしれない。
昌允 目先を変えるだけなら。しかし、目先なんか、いくら変えたって駄目ですよ。
須貝 そうかな。しかし、変るって言うことは、僕には別に悪いことには思えないが。
昌允 バハのプレリウドから、いきなり源氏の夕顔にね······何ういうことでしょう、そりゃ。その次はまたツアーベルかネヴィンですよ。
須貝 しかし、その後のツアーベルは······。
昌允 前のと違う。そう被仰 るんでしょう。怪しいですね、そりゃ。
須貝 怪訝 しいじゃありませんか。どうして。
昌允 僕は、それくらいなら、同じツアーベルを続けてやってる方がいいと思いますね。
美
お兄さん、もういいわ、そんなに振らなくったって。

須貝 考え方の相違ですね。どっちがどうと言うことは言えないと思う。もういいじゃありませんか。
昌允 ええ(注いでやる)
須貝 有難う。
昌允 不味 いかもしれませんよ。
須貝 いや。あなたは、どうして先生の仕事をなさらないんです。
昌允 (立ちかける美
に)おい、何処へ行くんだ。

美
妾、帰ったまんまで着換えもしてないんだもの。

昌允 そうか。しかし、折角つくったものだ。飲んでゆかないか。
美
駄目、お兄さんが作ると、ウイスキーなんだもの。

昌允 少しくらい、飲んだ方がいいんだよ。
美
厭だわ、妾。

昌允 ひどく怖いな。須貝さん、そんなに感じやしないでしょう。
須貝 しかし、これは······。
昌允 落第ですか。
美
直ぐ出て来てよ。(須貝に)御免なさい。

昌允 うん。
美
、去る。

昌允 僕は算盤 をはじく方が性に合うんです。物を創るなんて言う柄じゃないですね。
須貝 (面喰って)え、ああ、しかし······。そうですか。
昌允 何です。
須貝 いや。
間。
昌允 未納の奴一体·········┐
│(同時に)
須貝 考えてみるとこの···┘
間。
須貝 未納君って言う人もあれで······┐
│(同時に)
昌允 芸術なんて奴はどうしても······┘
間。
須貝 さあ、何です。
昌允 どうぞ······あなたから······。
須貝 そうですか。つまり僕はこう言うことを考えてるんだが······ええっと······僕は何の話をしようとしてたのかな······。
昌允 忘れたんですか? そういうことは······ありますね。妙な話ですが、あなたは、未納と美
と、どっちがいいと思います。

須貝 ······いいって言うのは、何 う言うことです。
昌允 さあ、そう念を押されても困るんだが、まあ綺麗 でもいいですよ。何方 が綺麗だと思います。
須貝 こりゃ難しい話だな。
昌允 そんなことはありませんよ。
須貝 どちらも、同じくらい綺麗、じゃいけないですか。
昌允 いけませんよ、それじゃ、返答にならない。
須貝 待って下さい。(考える)何うも······。
昌允 答えて下さい。あなたが貰うんだったら、どちらを取ります。
須貝 お菓子だな、まるで。
昌允 お菓子だと思って下さい。
須貝 僕は、考えてみたことがないんですよ、そう言うことは。
昌允 考えてみておいた方がいいですよ。今に考えなくちゃァ、ならなくなりますよ。
須貝 しかし僕は今それどころじゃないんですからね。新しい仕事のプランだけで一杯考えることがあるんですよ。
昌允 も少し自由でいたいっていうわけですね。それだったらあなたは、早く此の家を出た方がいいですよ。
須貝 どう言うわけです、それは。
昌允 僕達の親爺も母親も、あなたが、あの二人の中どっちを選ぶか、興味を持っています。どっちを選ぶかってことだけですよ。
須貝 ||。
昌允 それに、その話は、僕にも多少関係があるものだから······。
間。
昌允 成可 くなら、未納の方を選んで下さい。
須貝 弱ったな。僕は、まったくそこ迄は考えていなかったものだから······。先生にお世話になったことと、これとは······。
昌允 勿論話は別です。······じゃァ、二人に対しては須貝さんは全然白紙なんですね。どうも失敬しました。僕はまた······。
須貝 いや。そう、はっきり言い切る用意もないわけなんだが······。
昌允 ふん。
須貝 まあその程度ですな。
昌允 どうだか······怪しいな。
須貝 言い切ったところで、信用しやしないんでしょう。
昌允 そうでもないけど······。
須貝 そうでもないでしょう。(二人は顔を見合せる)
昌允 実は······。
須貝 はあ。
昌允 どうも言い難いな。
須貝 必要があることなら言うべきですね。
昌允 僕は美
を······美
をね······(投げて)口では言えやしませんよ。


須貝 美
さんを······。(顎を撫でている)

昌允 僕達の家庭が並の家庭でないことは、御存じでしょう。
須貝 いくぶん······はね。
昌允 美
は母親の子供で、僕と未納とは親爺の子なんです。

須貝 そして先生と奥さんは御夫婦で······クイズですか、これは。
昌允 (吐くように)持寄り世帯ですよ、一種の。僕と美
とは他人です。

須貝 はあ、なるほど、辛 っとわかった。
昌允 あなたは、どう思います。僕が美
を好いちゃァ、不道徳だと思いますか。

須貝 ちょっと考えると妙ですね。
昌允 よく考えてみて下さい。僕は以前から美
が好きでした。ところが、親達の方が手っとり早く共鳴してしまったわけなんで、いきなり兄妹になっちゃった。

須貝 ふむ。
昌允 あなただったら······どうします。
須貝 困るでしょう。あなたは?
昌允 それを考えてるんです。
須貝 しかし······もう一つの方から考えてみると別に変でもないな。
昌允 早い遅いの問題ですからね。僕達の方が先だったら、今頃は逆に親爺達の方で困ってるわけだから。
須貝 (笑って)そっちの方が問題は少なかったかもしれないが。
昌允 しかし、もう駄目ですよ、その方は。
須貝 取返しがつきませんね。
昌允 だから言うんです。あなたがもし、二人の何方 かを選ばれるんだったら、未納にして下さい。
須貝 未納君をね。
昌允 厭ですか。
須貝 厭じゃないが。
昌允 未納の方でも、あなたが好きらしいですよ。
須貝 冗談いっちゃァ、いかん。
昌允 あなたもうっかりしていますね。尤も、そう言うものだが。
須貝 若 し······若し僕が美
さんを貰いたいと言ったらどうするんです。仮定ですよ。

昌允 そんなことは言わないでしょう。
須貝 驚いたなあ。
昌允 困るんですから。
須貝 一向、困ってるようにもみえない。
昌允 年下のものを虐 めるのはお止しなさい。意地の悪い······。
須貝 ところが、僕は僕で、あなたを意地悪だと思ってる。
昌允 そんな莫迦 な······。しかし、どうしてもと言われるなら、それはそれで構いませんよ。あなたの意志は、尊重します。
須貝 わからないな、僕は、あなたの罠 にかかるのは厭ですよ。
昌允 罠? 何です。それは······。
須貝 と言うのは、つまり······。
未納。
未納 (悪戯 らしく覗 き込んで)もう済んじゃったかな。
昌允 何だ。
未納 (這入って来る)なあんだ、お兄さんか。おやおや、マルチーニお父さんのお株奪っちゃっていいの? 嘆くわよ。(と近づく)
昌允 ウイスキーが入ってるぞ。
未納 ああ(泰然と手を差出す)
昌允 手を洗って来いよ。バイキンみたいな手をしてやがる。
未納 ん、綺麗よ。(注ぐ)
昌允 さんざ、土いじりをして来たんだろう。なんだ、その顔は(未納、顔を外らす)······顔迄泥の条 がついてら。
未納、手の甲でごしごし顔をこする。
昌允 無精 しないで、洗って来いったら。
未納 うちの兄貴は、やかましくって、いかんな少し。(去る)
昌允 (後をみながら)あの服は、あれで、いいんですか。
須貝 別に変でもないでしょう。普通ですよ。和服用の銘仙を使ってるから······。
昌允 なんだか、変な格好だな。何ドレスって言うのかな。
須貝 何ドレスってことはないでしょう。いろいろ自分でやってみるんですよ、近頃は。あッ、ホームドレス······。
昌允 ホーム······。
須貝 家庭ですよ。
昌允 はあはあ······。あんまり家庭的でもないな。彼奴は、女優にはなれませんか。
須貝 なれますよ。しかし他人の言うことを聴かないのがいけませんよ。妙なところで意地を張る。
昌允 家で遊んでる方がいいには違いないが······。
未納、タオルで顔を拭き拭き。
未納 泳げるところ、めっけて来たわよ。
昌允 泳ぐ、お前がか。
未納 ううん。須貝さん、泳ぎたい泳ぎたい言ってるもんだから。
須貝 泳げるかな、って言っただけじゃないか。
昌允 撮影所の連中は、やってるようですね。
須貝 構わないのかな。
昌允 構わないことはないでしょう。しかしやっています。
未納 第一泳げるの、あなた。
須貝 土佐の生れだからね。
昌允 ああ、それなら、泳げますね。
未納 土佐か、土佐犬か。土佐って何県だったかな。
昌允 知らないのか。
須貝 一寸、失敬。
昌允 まあ、いいじゃありませんか。
須貝 笑っちゃ、いかんですよ。一寸、思いついたことがあるんで。
昌允 ノオトをとるんですか。熱心だな。
須貝 そら笑った。(去る)
昌允 (追かけて)考えといて下さいよ。今の話。
未納 母さん、遅いわね。何処へ廻ったのかしら。
昌允 姉さんに聞かなかったのか。
未納 お兄さんは?
昌允 いや、俺も······。撮影所で与太 ってるんだよ。
未納 早く帰って来るといいのに。
昌允 用があるのか。
未納 (曖昧に)え。ううん、母さん······に······妾、頼んどいたことがあるの。
昌允 なんだ。つまらん。
未納 でも、もう取消しよ。お兄さんには、つまらんことでも、妾にはつまることだわ。
昌允 ふむん。(気を換えて)母さんも遅いが、お前も、割合にやることが遅いな。
未納 どうして。
昌允 須貝さんのことだ。ぐずぐずしてると、逃げられるぞ。
間。
未納 妾、須貝さんを、追掛けてなんかいないからいい、逃げられたって。
昌允 そうか、しかし俺にはそうみえるがね。追掛けていないかもしれないが、そういう気はあるだろう。それなら、追掛けてみた方がはっきりしている。
未納 そんなの、ないわよ、女が男を追っかけるなんて。
昌允 そんなに習慣を重んじるお前でもないじゃないか。
未納 妾は厭よ、そんなの。須貝さんが、妾を嫌いだったら、妾だって嫌いだわ。
昌允 まだそこ迄は行ってないさ。
未納 だったら妾も、じいっとしてるより他、仕方がないじゃないの。
昌允 しかし、競馬とは違うからな。出発点を定 めといて、二人が一緒に走り出すものじゃァないだろう。何方かが先に走り出すさ。その方が負だろう。威張ってみたって始まらないよ。
未納 心配して呉 れないだっていいの。妾、別に、どうしてもあの人でなくちゃ死ぬ、と言うほどのわけじゃないのよ。そんなに気張って考えなくったっていいと思うわ。
昌允 それはそうだ。ただ、実際の問題として、そう簡単に行くか。
未納 ゆかない?
昌允 ||。そんなことは知らんよ。
未納 お兄さんは此の頃陰気ね。
昌允 (立上る)俺は前と変らない。
未納 以前は、そうでもなかったわ。
昌允 俺はお前に俺の批評をすることは許さん。
未納 うまく言ってるのね。
昌允 なに。
未納 うまく言って、妾に須貝さん牽制させといて、自分は美
姉さんを······って考え、分っててよ。

昌允 あッ、そうか。お前は大分性質 が悪くなったな。
未納 お兄さんこそよ。
昌允 しかし、俺だってそんなことは気がつかなかった。
未納 美
さんね。須貝さん好きよ。何とかしなくちゃァ。

昌允 お前と、どっちが沢山だ。
未納 妾なんか、なんでもないんだったら。
昌允 (未納の方を見ないで)お前川原で泣いてたろう。
未納 嘘だわ、そんなこと。
昌允 泥でよごれた顔と、涙でよごれた顔と見わけがつかないと思ってたのか。
未納 ||。
昌允 (坐る)お前が石を、擲 ってた時、近よって行ったのは俺だよ。
未納 ||。
昌允 須貝さんだと思ってたんだろう。あの時は泣いてなかったな、すると······(ふと云い止んで)お前、邪推じゃないだろうな。
未納 ないとは言えないわ。ふっと、そんな気がしただけなんだもの。証拠のあることじゃない。
昌允 だが、お前がそう感じたんならそうだろう。
未納 妾、受け合わないわよ。そりゃ、妾だって、考えたくないことだもの。邪推かもしれないわ。
昌允 おい、俺を慰めてやろうなんて考えを起したって駄目だぞ。俺はまだ、お前に······。
未納 妾だって、まだお兄さんに同情してるほど余裕は出来てやしないわ。妾が助けてほしいくらいだわ。お兄さんったら妾が、そう言ったら直ぐそうかと思っちまうんだもの。妾だって困るじゃないの。
昌允 しかし、出鱈目だと言って怒るわけにもゆかないだろう。
未納 何とか、言いようがあるわ。
昌允 お前がそうだと言えば、そうかと思うより他ないさ。
未納 でも、そう言うこと、有り得ることだと思って?
昌允 有り得ることだ。そう言うことの可能性ってものは、無限大だな、理窟もへったくれもないさ。
未納 そういうものかしら、じゃ、仕方がないわ。
昌允 仕方がない、と言うのは、どう言う意味だ。それは、つまり······まあどうでもいい、俺は······。しまった!
未納 どうしたの。
昌允 つまらんことを、して了ったな、こりゃ。俺は須貝さんに余計なことを言ったよ。言わなきゃ、よかった。
未納 何を言ったの。
昌允 何でもいいさ。お前があの人を好いていると言うことを言ったんだ。
未納 あら!
昌允 ところで、美
が、須貝さんを、好きだとすれば、二人の間は······もう俺達じゃァ邪魔の出来ないところ迄来てるかもしれないな。

未納 そうかしら。
昌允 ああ言う女に愛されて、愛し返さない男って、ないよ。
未納 そうすると、妾達、もう黙って引込んでる他ないわけね。須貝さん、どう思ってるのかしら。
昌允 あの人は、俺にはわからない。
未納 須貝さんもそう言ってるわ。
昌允 そんなことを言い出せば際限のない話だ。誰だって、他人の腹ん中なんて、わかりゃしないよ。一体、須貝さんは女には好かれる質 かい。
未納 ||。
昌允 一般的にそうかい。お前は別としてだよ。
未納 わからないわ。
昌允 ん。それは返事に困るだろう。じゃァお前は、あの人の何処が気に入ってるんだ。
未納 だって、そんなこと今問題じゃないわ。あの人が妾達の何処を何う思ってるかってことだけよ、お話は。
昌允 成程、今日はお前の方が頭が冴えてる。それに具体的な所に触れているようだ。こう言うことになると、俺は、考えがまとまらんでいかん。
諏訪、鉄風。
諏訪 (入りながら)いいえ、フォカスライトは一切使わないのよ。フラットにしてね、それもフットライトだけよ。それで後のスクリーンへ影をはっきり出したいの。
鉄風 俺は別に反対はしやしないよ。(中の連中に)やあ、いたのか。(諏訪に)ただねそううまくゆくかどうか、ってことを言うだけなんだよ。
諏訪 只今! うまくゆきますとも、ゆかなかったら······妾······。
昌允 お帰んなさい。母さん、今日はいつもより綺麗ですね。
諏訪 ありがと、今日一日、どうして?
未納 ほんとに綺麗だわ。(甘えて)憎らしいったらありゃしない。母さんのくせして、妾達より綺麗なんだもの。
諏訪 もうたくさん! おみやげ。
未納 母さん、遅いなあって言ってたところよ。
諏訪 日曜日をお留守番で、済まなかったわね。そのかわりお土産 どっさりよ。
昌允 其奴 は、留守番なんかしとらんです。須貝さんと、一ん日テニスしてたんですよ。
未納 御自分だって、どっかへ歩きに行って来たじゃないの。
昌允 なに俺のはほんの、一寸の間だ。
鉄風 いかんねえ、どうも、これじゃァ。
諏訪 そんなんじゃァ、お土産は婢 やの方へ回さなきゃァ。
昌允 婢やもいませんよ。
未納 伯母さんが病気だからって、急に帰っちゃったわ。
昌允 暇を取りたい模様でしたよ。ひょっとすると、あれはもう、還って来ないつもりかもしれないな。
諏訪 あらそう、困ったわね。
鉄風 先月から給料を上げる約束だったのに、上げてやらなかったろう。
諏訪 だけど、今迄だって他所 のよりは、ずっといいのよ。
鉄風 しかし約束したんだから、向うじゃァ当にしてるよ。
諏訪 あんまり言いなりになるようで莫迦々々しいんだもの、妾達、始終家を空けるもんで、足許 をみてるんだわ。きっとそうよ。
昌允 みられたって、仕様がないな、それは。
鉄風 少しくらい無理を言ったって、我慢しておくんだな。馴れた奴の方が何かと便利だと思うよ、俺は。
諏訪 じゃ、どうすればいいと被仰 るの、そんなこと言って。
鉄風 どうするも何も、いないものは仕方がないな。
未納 お給金を上げてやるからって言ってやれば還って来ると思うわ。
諏訪 伯母さんが病気なんて、嘘よ、きっと。
鉄風 その辺のところは何とも言えないな。
諏訪 じゃァ、あなた、そ言ってやっといて下さる。
鉄風 俺がかい!
諏訪 ええ。
鉄風 しかし、どうも、俺が手紙出すのは変だよ。君から出した方が······。
諏訪 妾だっておかしいわ。負かされるみたようで、厭だわ。
鉄風 事実負かされているのだぜ。
諏訪 だって······じゃ未納ちゃん!
未納 妾、書けないわ、どう言う風に書くの。
諏訪 約束通り、お給金を上げたげるからって書けばいいのよ。
未納 それだけ? 他になんにも······。
鉄風 学校で手紙の書き方くらい教わっとるんだろう。(諏訪に)やはりこれは、君が書いた方がいいんじゃないかね。本来君の責任範囲の仕事だよ。それに原因から言っても······。
諏訪 でもあなただって、うっちゃっとけって、賛成したじゃありませんか。
鉄風 しかし、それは······。
昌允 うるさいな、いい加減にしたらどうです。(立上って表の方へ出ていく)
諏訪 美
さん、まだ帰ってないの。

未納 もうさっき、帰ったわ。お姉さん! 母さん達帰ってらしっててよ。(土産の包みを解く)
諏訪 昌さん、出るの。お茶でもいれない?
昌允、知らん顔して出てしまう。
未納くすくす笑う。
未納くすくす笑う。
鉄風 こら、どうしたんだ。
未納 いいの。お兄さん! (笑う)お兄さんたら! しらん顔なんかして!
美

美
お帰んなさい。

鉄風 ああ、今日は、どうも御苦労だったな。
美
厭なお父さん。(笑う)

諏訪 あなた、どうかしたの、目の縁。脹 れてるんじゃァない?
美
(とぼけて)いいえ、そうかしら。

未納 泣いたの?
美
違うわよ。

未納 (ふざけて)母さん、妾は?
諏訪 妾って、何よ?
未納 妾、泣いてたみたいに見えない?
鉄風 お腹でも痛かったのか?
未納 (美
の肩を抱いて)お父さんの莫迦。お姉さん、妾とうとう泣いちゃった。

美
?

未納 勘忍してね。さっき言ったこと。
美
何のこと、それ。

未納 やよ、困らしちゃァ。ほら、さっきね、言ったでしょう、いけないこと。
美
そうじゃないのよ。そんなことじゃないの。だから······。

未納 あら、じゃァなぜ、泣いたりなんか······。
美
(狼狽して)何でもないの。ほんとになんでもないのよ。妾泣いたりなんかしやしないわ。厭! そんなに顔を覗くの(気を換えて)そんな心配して、あなた泣いたの、厭な人ね。(笑う)

未納 そうじゃ、ないの、妾······。
美
そう。(がっかりする)そんなら······。

間。
鉄風 (包の中から、菓子を取り出して、頬ばりながら)一向に要領を得んね。(諏訪に)同性愛じゃないか、二人は。
諏訪 厭ですよ、つまらない事言わないで頂戴。
鉄風 少し変だとは思わないかい。
諏訪 少し変なのは、昌さんの方ですわ。
鉄風 あれは、昔からああだ。
諏訪 いいえ、以前はそうでもなかったわ。ずっと前は······。
鉄風 そうじゃなかったって、どうじゃなかったんだ。
諏訪 此の頃、ずうっと、妾達から離れるよう、離れるようにしてるじゃありませんか。
鉄風 そうかねえ。一向俺は気がつかんが。
諏訪 妾は気がついてるわ。美
さんお茶でもいれない。

美
、行きかける。

諏訪 ああ、こんなもの、もう要らないでしょう。持ってっといたら如何。それから妾、パンがあったら少し戴こうかしら。
美
、グラス、シェーカーなどを持って出て行こうとする。
未納、蹤 いて行こうとする。

未納、
美
いいわ。妾がしてくる。

未納 手伝うわ。妾、ちょっとお姉さんに話があるのよ。
美
あら、何の話。

未納 あっちで言うから。さあ(美
を押すようにして出ていく)

鉄風 もう、みんな年頃だから、少しずつ変なんだな。どれからでも、片 っ端 から片をつけて行かなくちゃいかんよ。
諏訪 ええ、だからあなたも、しっかりして下さいよ。
鉄風 俺は、どうも、そう言うことは不得手 だよ。万事、君に一任する。
諏訪 一任なんかして戴かなくってもよござんす。だって共同責任じゃありませんか。妾だって、困るわ。こんなこと、あんまり馴れてないんだもの。
鉄風 ダンスの流儀でやって貰いたい。独創的でいいよ。
諏訪 そう、うまく行くもんですか。妾ね、未納ちゃんに頼まれてるんだけど······須貝さんに、あの子を貰って戴こうと思うの、どう。
鉄風 未納がかい。子供だと思ってたが······素速 しこい奴だ。しかし、出来るなら、美
の方から先にしてほしいな。順序だ。

諏訪 どっちからでもいいじゃありませんか、そんなこと。
鉄風 わかったよ。よろしくやってくれ、じゃァ。
諏訪 妾、今日話してよ。区切りがついていいと思うの。明日 っから、あの人も一本で仕事をするんだしするから。
鉄風 そうか、しかし無理には言わないようにしてくれ、恩を売るようにみえると厭だよ。俺は。まあ、なんだ······それとなく······。
須貝。
諏訪 やあ、お帰りでしたか先生。
鉄風 やあ。今、ああ。(慌てて二階へ上って行こうとする)
諏訪 あら、そんなに逃げないで、此処に居て下さいよ、妾一人じゃ心細いわ。
鉄風 うん、しかし、俺は一寸。······(なんとか云って上って了う)
諏訪 変な人······。須貝さん、お掛けにならない? 此処へ来て。
須貝 ええ。僕、一寸是 から撮影所へ行ってみようと思うんですが。
諏訪 あら、今日は何にも仕事ないんでしょう。
須貝 それは、ええ、しかし道具を一寸変えたいと思うんで、その都合をみて来ようと思うんですが。新米は何だかそわそわしちゃって······。
諏訪 まあ。それはそれとして、後になさいな。あなたにね······お話があるの。
須貝 僕に? (戻って来て)伺いましょう。(坐る)何です。
諏訪 厭な人、何ですだなんて、そんな風に訊かれると言えやしない。
須貝 じゃあ、黙ってましょう。
諏訪 駄目よ、黙ってちゃ、お話にならないわ。
須貝 面倒なんですね。どうでもしますよ、しろと被仰って下さい。
諏訪 ぼつぼつ話すわ、いろんなこと言ってる間にね。
須貝 結構です。奥さんと、いろいろお話するんならその方だけでも結構ですよ、僕は。
諏訪 まあ! うまいわね。
須貝 まだまだうまいことも言えるんですよ、これで。
諏訪 そのくらいで丁度いいところだわ。
須貝 序手 ですから、も少し聞いて下さると、いい都合なんだが。
諏訪 厭! お芝居のお相手なんて御免よ。
須貝 ああ、承知しました。
諏訪 あなたも、とうとう大人になっちゃったわね。
須貝 お蔭様で······。
諏訪 鉄風には感謝なさいよ。
須貝 それから、奥さんにも。
諏訪 勿論よ。感謝の序手 に妾の言いつけをお聴きなさいな。
須貝 唯一つのことの他は······大概のことなら。
諏訪 もう、奥さんを持ったらどう。
須貝 いかん。それが唯一つのことです。
諏訪 年上の者の言うことはお聴きになっといた方がよろしくてよ。撮影所なんかにいるとみんな生活が駄目になって了うわよ。いいかげんにはっきり身を固めないと。妾は悪いことは言やしません。
須貝 どうも奥さん、折角ですが、この話はお預けします。僕はまだ、そう言うことを考えてみたこともないんですからね。
諏訪 だって、あなたもう、ちっとも早過ぎやしなくってよ。男だって女だって、そう言って呉れる人がある間にちゃんとしとかなくちゃ、だあれも構って呉れなくなってからでは遅すぎてよ。
須貝 遅過ぎても構わんです。兎に角、僕は結婚したくありませんね。も少し、ひとりでのうのうさせといて下さい。今から、奥さんを貰っちゃ、可哀そうですよ。勿論僕がですよ。
諏訪 あなたは知らないからそんなこと言っているのよ。奥さんも一寸いいものよ。それに妾まだ、誰と結婚なさいともなんとも言ってやしないじゃないの。そんなに慌てて逃げを打つことはないと思うわ。
須貝 誰だって相手に依るんじゃないんですから、きかなくったっていいです。
諏訪 (笑って)そんなに少年みたいに羞 しがることってありますか、ええ?
須貝 奥さん。あんまり年上を振回すと、びっくりするようなことになりますよ。(にやにや笑う)
諏訪 おどかさないでさ、ちゃんとなさい、ちゃんと。
須貝 厭ですよ、僕は。
諏訪 どうしてもですって。
須貝 はい、奥さん。
諏訪 よろしい。それじゃあ、妾、どうしてもあなたを結婚させます。憶えてらっしゃいよ。(笑いながら、階段を上って行く)
須貝 奥さん!
諏訪 何? 考が変りまして?
須貝 (諏訪の間近く迄上って行って)結婚しない理由を言いましょうか。
諏訪 ああ、もうもう、そんなもの聴かない。(行こうとする)
須貝 (袖を押えて)まあ、お聴きなさい。僕が結婚したくない理由は······あなたですよ。
諏訪 (まじまじと須貝の顔を見て)呆 れた······何て言う人でしょう、この人は、······(階段の中ほどで坐って了う)
|早い幕|
情景は前景に同じ。
諏訪、須貝。
諏訪、須貝。
諏訪 あなたは知らないからそんなこと言ってるのよ。奥さんも一寸いいものよ。それに妾まだ、誰と結婚なさいとも言ってやしないじゃないの。そんなに慌てて逃げを打つことはないと思うわ。
須貝 誰だって相手に依るんじゃないんですから聴かなくったっていいです。
諏訪 (笑って)そんな少年みたいに羞しがることってありますか、ええ?
須貝 奥さん、あんまり年上を振り回すと、びっくりするようなことになりますよ。(にやにや笑う)
諏訪 おどかさないでさ、ちゃんとなさい、ちゃんと。
須貝 厭ですよ、僕は。
諏訪 どうしても、ですって。
須貝 はい、奥さん。
諏訪 よろしい。それじゃァ、妾、どうしてもあなたを結婚さしてみせます。憶えてらっしゃいよ。(笑いながら階段を上って行く)
須貝 奥さん!
諏訪 何? 考が変りまして?
須貝 (諏訪の間近く迄上って行って)結婚しない理由を言いましょうか。
諏訪 ああ、もうもう、そんなもの聴かない。(行こうとする)
須貝 (袖を押えて)まあ、お聴きなさい。僕が結婚したくない理由は······あなたですよ。
諏訪 (まじまじと須貝の顔を見て)呆れた······何て言う人でしょう、この人は······(階段の中ほどで坐って了う)
須貝 びっくりなすったでしょう。
諏訪 驚いたわ。
須貝 だから、言わないことじゃない。
諏訪 聞こえて? こんなにどきどき、言ってるわ。(胸を抑える)
須貝 どら。(頭を近づける)
諏訪 (頭を突いて)彼方 へいらっしゃい、彼方へ。
須貝 危い。落っこちたらどうします。落ちて、頭がハチ割れたら。
諏訪 ハチ割れるもんですか、そんな頭が。
須貝 いや、いいです。構いません。どうせ役に立たない頭ですから。(諏訪に並んで坐る)
諏訪 あんまり近くへ寄らないで下さいよ。気味が悪い。
須貝 以前ならそうは被仰らなかった。
諏訪 妾は、謀叛人 には容赦しない方ですよ。これからもずうっと厳しくします。
須貝 ですが直接事を起させたのはあなた御自身なんですよ。
諏訪 藪をつついて蛇を出したと言うわけね。そう言うことと知ったら、早く追い出せばよかったんだわ。自惚 れないで下さいよ。あなたなんか、なんです。あなたなんか······。
須貝 僕? 僕は······。
諏訪 そうよ。須貝の鼻ったらし小僧。妾はね、あなたを一番怒らせる言葉を探しているのよ。
須貝 何と言われたって、怒りゃァしませんよ。御安心下さい。
諏訪 ああ、苛 ら苛 らしてくるわ。
須貝 心を静めて下さい。僕は、あなたを怒らせる計画なんかしてやしません。
諏訪 いいわ。妾も、怒らないことにします。
須貝 有難う御座います。
諏訪 妾が怒っちゃァ、御自分が勝ったとお思いになるでしょう、あなたは。
須貝 理由は、如何にもせよ、兎に角御立腹下さらないのは感謝します。
諏訪 感謝なんかしないで下さい。妾は、あなたの被仰ることなんか取上げませんの。妾もあなたとは親子ほど年が違うんだから······。
須貝 そうでもありません。姉弟ほどでしょう。
諏訪 (早口にたて続けに云う)妾が、あなたに今迄よくしてあげたのも、今あなたが、そんな後先 見 ずな莫迦なことを被仰った後で、平気でいるのも、つまり妾があなたを相手にしてない証拠だと思って下さいよ。よござんすか。
須貝 はあ。
諏訪 妾は、今の暮らしにちっとも不平なんかありませんの。充分満足していますの。主人は妾を自由に放っといて呉れます。難を言うと少し放っとき過ぎるくらいのものだけど、でもそれは、大した瑕 じゃァないでしょう。世話をやき過ぎるのよりは、やかな過ぎる方が、どっちかと言えば我慢し易いのよ。
須貝 そう言うことになりますね。
諏訪 それに、暮らし向きも、これで、そう悪い方とは言えないわ。妾は贅沢の方じゃないから、このくらいで結構我慢出来ないことはないわ。この家も、土地も、妾達自分のものになったし、主人はもう、そんなに働かなくったって撮影所の方でやって行けるし、妾は妾で、自分の好きな踊を勝手にやってゆけるし。
須貝 まったく贅沢は言えませんね。
諏訪 それに三人の子供だって······一人の息子と二人の女の子が、みんないい子だし······贅沢は言えないわ。昌允は少し陰気だけど、あれで頭ははっきりしていて、それに実務家だから妾は楽しみにしていますの。妾達の中にだって、一人くらいは実務家がいなくちゃァいけないわ。あの子は今にきっと何かやり出してよ。今は会計課員だけど。それに、未納、妾はまた未納が大すきなの、いい子だわ。あの子をいけない子だなんて誰だって思えやしないわ。陽気で元気で甘ったれで。(思い出して)ああ、今日妾あの子の髪を剪 んでやらなくちゃァ、あの子は唄も巧いし······。踊は下手だけど。
須貝 ||。(呆れた顔)
諏訪 美
だって、やっぱりいい子だわ。おとなしいけれど陰気って言うほどじゃないわ。器量だって、妾よりはずっといいし、第一姿に品ってものがあるわ。しっとりしていて物事の締 め括 りをちゃんと知っている聡 い子供だわ。妾は始終家を留守にしているけれど、あの子がいて呉れるから万事安心と言うものだわ。それに······(行詰る)

間。
須貝 それに、どうしたんです。それだけですか、被仰ることは。
諏訪 彼方へいらっしゃいったら。どうして妾独りがそんなにお喋 りしなきゃいけないの。
須貝 無理に、とは言ってやしません。もともと僕からお願いしたわけの話じゃないんだから。
諏訪 あなたは恥知らずですよ。妾は、三人の子供の母親ですよ。
須貝 しかし、実際は······あなたは······。
諏訪 お黙んなさい。あなたは何にも言うことはありませんのよ。
須貝 奥さん。あなたはものの五分間も御自分独りでたて続けにお喋りをなすった、いいですか。僕は黙って拝聴しましたよ。この上黙っていなければならないんですか。あなたにはもう、言うことなんか、何にも無いじゃありませんか。
諏訪 えーえ、そうですとも。あなたは黙っていなければいけません。あなたに、少しでも良心のお有りの間はね。でなければ、一体妾に、どうしろと被仰るんですの。
須貝 どうしろですって······。僕は、そんなことは言ってやしません。(困って)第一、どうしろ、こうしろと言う話と話が違うじゃありませんか。僕は、大体始めっから何にも言わないつもりだったのです。それだのに······。
諏訪 言わないつもりだった。だけどあなたは言って了ったのよ。あなたは言って了ったんだわ。妾がもっと若かったら、それとも、もっと莫迦な女だったら、大変なことになったかもしれないのよ。それこそ······。
須貝 奥さん!
諏訪 いいえ、須貝さん!
須貝 奥さん、あなたが軽蔑なさるのは、あなたの勝手です。しかしその、年上を振り回すのだけは勘弁して戴きたいものですね。
諏訪 どうして。でも、妾はあなたなんかより年上です。考えだってずっと深いのです。
須貝 知っています。しかし、あなたが年上だろうと何だろうと、僕は別に怖がってなんかいないのです。なんです、そんなことくらい。
諏訪 (自信がなくなって来て)あなたのやりかたは利巧だとは言えないわ。妾······怒ってよ。ほんとに、今迄こんなに親切にして上げた妾に······妾、どうしていいかわからないわ。
須貝 奥さん、一度だけ、一度でいいんです。聞くだけでいいんです。聞いて下さい。そしたら······僕も······。
諏訪 須貝さん。後生 ! 妾はもう······。
美
、お茶とパンを持って入って来る。

諏訪 ああ。(当惑して)後生だから須貝さん、いい······わかったでしょう、早く済ませといて下さいね。
須貝 (膨れて)ええ、成可く······出来たら······。
美
チーズないのよ、母さん。

諏訪 チーズ?
美
パンって被仰ったんじゃなかった、先刻?

諏訪 ああ、そうそう、母さんうっかりして上って了うところだった。
美
妾も、未納ちゃんと、お喋りしてて忘れてたのよ、御免なさい。

諏訪 あら? 両方で忘れていれば世話ないわね。須貝さん、如何?
須貝 (冷く)有難う。
美
おつまみになりません?

須貝 いや、僕はやっぱり行って来ます。
美
何処へ?

須貝 ええ、一寸······。
諏訪 停 めやしないわ。撮影所へ小道具の模様替えなんだって······
須貝去る。
諏訪 その辺で昌さんを見つけたら、早く帰れって言っといて下さい。聞えて?
須貝 (外で)聞えません!
諏訪 聞えませんだって。(上機嫌)如何、御機嫌は。
美
どうって······母さんは?

諏訪答えない。
諏訪 (軽く唄って、鏡の前へ歩いて行く)心あてに······それか······とぞみる······しら露の光そえたる花の(じっと自分の顔をみている)夕(顔は云わずにくるっとふり返る)
美
何よ、母さん!

諏訪 何でも。(笑う)
須貝 (扉から顔だけ覗けて)美
さん!

諏訪 まあ! びっくりしました。
須貝 美
さん、ちょっと!

美
なあに。(近づく)

須貝、扉から一寸入って、美
にだけ、何か云う。

美
(困って)ええ······それは、ええ、ほんとですわ。

須貝 間違いありません?
美
だって······何うして? そんなこと······。

須貝 いや。なんです。何でもないんですが······後で言いますから······後でね。
諏訪 妾、聞えてやしませんのよ。
須貝 いや、一向差支えないです。何 れ、お耳に入ることですから。(澄まして出ていく)
諏訪 何の話?
美
昌允兄さん、妾のほんとの兄さんかって。変ね。

諏訪 へえ、誰がそんなことを······。で、どう言ったの。
美
だって、仕様がないわ、ほんとですって言うより。

諏訪 今度そんなことを訊かれたら、あなたの知ったことじゃァありません、って言って上げなさい。よくって。
美
言えるかしら、そういう風に······。

諏訪 言えるようにしておくの。
美
どうでしょう。

諏訪 しっかりして頂戴。そろそろ、あなたの回りにも男の人が集ってくるわよ。そういう人達を、はきはき片づける用意をしとかなきゃァ······。
美
大丈夫だわ。母さん、妾······。

諏訪 大丈夫でないのよ、ところが。誰でもそう思ってるの、始めはね。でも、いざとなると······。
美
母さんみたいに······。

諏訪 厭だ、この子は······。母さんのは。
美
嘘よ、母さん。お父さんは妾だって好きよ。

諏訪 母さんは怖いのよ。あなたは、こんなに綺麗になっちゃったし、是 からが心配よ。あなたは自分独りでこんなになったと思っちゃ駄目よ、みんな母さんのを取ってって······母さんはだんだん······。
美
嘘。母さんだってこんなに綺麗だわ。

諏訪 母さんに迄、お世辞を言うようになったのね、この子は······。もうすぐ、あなたも、恋をする、すると······。
美
(ぱっと赧 くなる)あら!

諏訪 おや、どうして? 赧あくなったわよ、その顔。
美
しらない。

諏訪 ふむ。これは、少しどうかしてる。
美
(テーブルの傍へ行って)パン、これでいいの。

諏訪 わかった。
美
そいでいいんですか、何にもつけないの。

諏訪 わかったわかった。(お茶をのむ)
美
冷えてない?

諏訪 冷えてない? だって······。あなたの考えてることが分りましたって言ってるの。
美
(真面目くさって)母さん、考え違いしてよ。妾は······もう······(続けて云おうとする)

鉄風、二階に現れる。
鉄風 そこへ行ってもいいかい。
諏訪 どうぞどうぞ。
鉄風 (降りながら)愉快そうだな。
諏訪 そうでしょう。愉快なの。妾達。
美
妾は別よ。

諏訪 えへッ! (美
の頬を突く)美
のバカヤロー。


鉄風 この頃家の連中は習慣がついてきたようだね。自分達だけの言葉で話す。
諏訪 いいことよ、妾少し虐 めてやりたいの、この子を。ええそう虐められてもいいわけがあるのよ、この子はね。ふふ······。
鉄風 変態性みたようだな、厭な笑いかただ。
諏訪 どうして、そんなことばかり被仰るの。生理学を始めたわけじゃァないんでしょ。
鉄風 美
は、お父さんをお茶に呼んでくれるのを忘れたようだな。少し、冷えてるよ、これは。

美
替えて来ましょうか。

鉄風 いいよ、これでいい。ところで、(諏訪に)先刻の話は、どうなった。
諏訪 さっきの話って······言うと。
鉄風 言うと? 俺は、自分の部屋に這入 ったけれど一向落ちつかない。まるで自分が求婚してるような気がしてたんだ。息を殺して汗を流してたんだよ。ところが一向何にも言ってくれない。女はどうも、割に平気だね、こういうことは······。
諏訪 (思い出して)ああ、その話ね、その話だったら、あのう、······(美
の前で一寸云い難い)ええ、一寸だけ。でもわからないの。まだゆっくり······そのうち······。

美
立ち上る。

鉄風 なに行かなくってもいいんだよ。家の中のことだもの。お前にだって、聴いておいてもらわなくちゃァ。(諏訪に)美
の意見だって聴いておいた方がよくないか。

諏訪 (煮えきらない)ええ······それは······ねえ······。
鉄風 それはねえ、ということはないよ。必要だ。しかし、須貝は何て言うんだね。
諏訪 だけど妾、まだ、何て言っていいか、わからないわ。そんなところ迄話せなかったんだもの。(腹立たしく)あなたがいけないのよ。妾一人に押っつけとくから······妾、知りませんよ、どうなったって······。困ったわ。ほんとに困ったことになったわ。
鉄風 君が、困るわけは、ないと思うがねえ。須貝は未納じゃ、不足だと······でも······。
美
、一寸堅くなる。

諏訪 そうじゃないの、そうじゃァないんですよ。困ったわね、何う言ったらいいかしら、ただもう、ぼんやり、結婚は厭だって言うの、あの人。
鉄風 ぼんやり厭だって言うと······。
諏訪 厭なことは、はっきりしてるのよ。
鉄風 じゃァ、何だい、そのぼんやりしてるのは······
諏訪 それはね。(荒っぽく)妾にだってわからないわ。そんなに将棋の詰めてみたいに言われたって返答出来ないじゃありませんか。
鉄風、ぽかんとしている。
諏訪 (はっとして、美
に)言って頂戴、正直によ。胡魔化しちゃ厭よ。美
さん、美
さん。



美
痛いわ、母さん。

諏訪 あなたの好きな人って、須貝さんじゃないの。
間。
鉄風 (唸る)||。
美
(英雄的に微笑 んで)そうじゃないわ。母さん。

鉄風 (諏訪に話す機会を与えずに)実は······なんだ、未納の奴、須貝と一緒にして欲しいらしいんだ。それで······俺としては······しかしほんとかね、お前それで構わないのか。
美
ちっとも構わないわ、お父さん。妾だって賛成だわ、丁度いいじゃありませんの。二人は仲良しだし、ほんとに仲がいいんだから。

鉄風 お前がそう言うから、それに間違いないだろう。それじゃァ、この話は、ちっとも難しいことはないわけだね。
諏訪、落ちつかない。
鉄風 (諏訪に)お前だって、別に考はないんだろう。じゃあ、それでいいんだな。後はただ······。
諏訪 このお茶は、すっかり冷えて了ったわ。
鉄風 (美
に)だけど、俺は順序として、出来ればお前の方からはっきりしておきたいと思ったんだ。母さんがいいと言うから放っておいたんだが、お前にも、考えてる人があるなら、この際言ってみないか。

美
||。

鉄風 考え込むことはないよ。みんな、それで気が楽になることだ。未納の奴だけが、為 たいようにするのは不公平だからな。
美
ええ······妾······でも。

鉄風 (得意で)叱りゃしないよ。約束してもいい。俺は公平な処置が好きだ。
美
言うわ。妾······お兄さん······。

鉄風 (茫然)一寸······昌允か。
間。
鉄風 俺は、出鱈目は言わんよ。しかし、稍々 手近過ぎた形だね。
諏訪が答えない間に、未納。
未納 おや、みんな揃ってるのね。お父さん、今夜、踊らない。いいでしょう。
鉄風 う······そりゃ、お前達が踊るぶんにゃァ異存はないさ。
未納 母さん、踊って呉れる。お友だち呼んで来ていい?
鉄風 無茶を言うな。母さんは今日は、早く寝るよ。
未納 だってェ、そいじゃァ、つまんないじゃないの。肝腎 の母さんが踊って呉れなきゃァ。妾達ばかりいくら······。
鉄風 お前達は踊るのが遊びだが、母さんは踊るのは仕事だ。家へ帰ってまで踊らされちゃァたまらないよ。
未納 ねえ、母さん! 踊りましょうよ、よう。
諏訪 今夜はかんにんしてね。母さん少し、頭痛よ。心臓も苦しいの。
未納 あらそう。いけないわね。どんな具合なの。熱でも、あるんじゃない。お医者呼ばなくっていいの。
諏訪 いえ。そんなでもないの。だから、お医者さんなんて、いいのよ。ほんのね、少し。
鉄風 そりゃ、いかんな。今日なんか、あまり出歩くのは宜 しくなかった。日射病じゃないかな。
美
日射病だなんてまだ六月ですよ。

鉄風 六月と言っても、もう七月だ。
未納 莫迦々々しい。日射病なんて馬のする病気じゃないの。
鉄風 兎に角、お前は常識が無さ過ぎると言うんだ。
美
あんまり、いろんなことで、気を使い過ぎたんじゃないかしら。公演のことや、なんか······そう言うことで。

諏訪 え、ええ、そうかもしれないわ。
未納 そうだわ、きっとそうよ、大事にしなくちゃァ······。
鉄風 神経過労だね、すると。
諏訪 後生だから一々名前をつけないで下さいな。(立ち上る。部屋の隅へ行ってレコードをかける。低い音)あなたの話を聞いてるとよけい苛 ら苛 らするわよ。
未納 妾、素敵なタンゴ、憶えて来たんだがなあ。
鉄風 妙なレヴュ小屋をうろつくのは少し控えて貰いたいものだ。
未納 憚 り······だわ。
鉄風 それにお前のは踊りとは言えんよ。あれは体操だ。
美
まあ、ひどい。

未納 いいわ。自分が巧く踊れないもんで、仲間が欲しいんだわ。
間。
未納 (一寸レコードについて口の中で唄う)母さん、昨晩言った話ね。
諏訪 (警戒して)え。
未納 あれ、ちょっと止 めにしといてね。
諏訪 どうして。
未納 どうしてってことないの。でも、考えてみたいの。
諏訪 だって、考えた上のことなんでしょ。
未納 も一度よ、も一度ね。妾うっかりしていたことがあるの。
鉄風 しかし、それは少し遅過ぎたようだね。
未納 (一本喰わせる気で)お父さんの知らないことよ。
鉄風 ところが知れずにおらんから面白い。
未納 母さん、お父さんに言っちゃったの。
鉄風 それどころじゃァないさ。
未納 それじゃ······そう、もう済んじゃったの。
諏訪 早い方がいいと思ったから······。でもそんなにはっきりした話じゃないのよ。
未納 どうしましょう。困っちゃった、妾······。
諏訪 母さんの方が困ってるのよ。
未納 それは、そうだけど······。妾······妾ね。
鉄風 お前が言い出しといて、お前が困るのは可笑しいよ。きまりが悪いんだろう。
未納 (思い切って)お姉さん!
美
(泰然)なあに。

未納 (出鼻をくじかれて)母さん。ほんとはね、妾よりお姉さんの方が須貝さんを好きなのよ。
諏訪 だって、未納ちゃん!
美
何言ってるの、未納ちゃん。┐

│(同時に)
鉄風 お前は間違ってるよ、未納。┘
未納 ほんとよ、冗談じゃないのよ。だから昨晩の話は取消しよ。後は母さん達いいようにして頂戴。
諏訪 でもそんなことはなにも。
未納 妾、須貝さんは、好きは好きだけど、お姉さんだってあの人好きなんだし、お姉さんと競争したって、とても勝てそうにもないから、もう止めにしちゃった。奥さんになるんなら、お姉さんの方がうまいことやれそうだわ。
美
未納ちゃん、あなたは間違ってるわ。妾はまるで、そんなこと······。

未納 考え違いしないでね。悔 しいけど、妾は止めた。どうせ駄目だと思ったら妾は、さっさと引込むのよ。
美
妾は未納ちゃんと須貝さんとだったら丁度、いいと思ってたくらいだわ、今も、だから、そんなことは言わないで······。

未納 ありがと、でも、もういいわ。妾は、私でなければ生きて行けないって人を待ってるの。
鉄風 当節一寸難しい注文だな。しかし、お前に言っとくが、美
姉さんは、昌允が好きなんだって言ってるが。

美
(うなずく)

未納 (いきなり美
の頬を打つ)嘘被仰い。

美
ひどいわ。

未納 美
さん。美
って呼ぶわよ。あなたは、妾と同い年よ。お姉さんなんかじゃないの。


鉄風 どちらでもいいことだよ、そういうことは。静かに話をしろ、昂奮しちゃいかん。(諏訪に救を求めて)おい······。(諏訪ぼんやりして応えない)
未納 妾は、お兄さんがあんたを好きだって、さっき言ったけれど、あれはただ、ほんとのことをそのまま言っただけよ。
美
だから、そうよ。妾はほんとの話だと思って聴いたのよ。それでいいじゃない。

未納 嘘々。そう思って聴いただけじゃないわ。妾は······他人から恩を着せられるの大嫌い。憶えてて頂戴!
美
何言ってるのよ。何のこと、それ。妾にはわからないわ。

未納 そんなとぼけた顔しないで頂戴。ほんとに、わけがわからない時にする顔よ。
美
だって······妾には、何のことだかさっぱり分らないんだもの······無理だわ、そんなこと言って······。

未納 もう沢山々々。そんなつまらない真似なんか止しましょう。兎に角妾達姉妹なんだものね。
美
未納ちゃん!

未納 なによう。妾はお姉さんの、その分別臭いところが嫌いなの、よくって······。いいからお姉さん振るのは止して頂戴。第一不愉快だわ。あなたが須貝さんを好きなのはよく分ってるのよ。お兄さんだって、そ言ってるわ。
美
未納ちゃん! ちょっとお聞きなさいな!

諏訪 (やり切れない)二人共何うしたと言うの。そんなことで喧嘩したって駄目よ。あなた方二人で幾ら言い合ったって何にもなりゃしないわよ、そんなこと······。ああ。
未納 黙っててよ、一寸の間。母さん達には分らない話よ。
鉄風 黙っているのはいいが、暴力を振うのは宜 しくない。でもこりゃァ、大変なことになって来たな。
諏訪 妾、なんだか、わけがわからなくなって、来そうだわ。
未納 お姉さん、はっきりしときましょう、その方がいいと思わなくって?
美
ええ、そう思うわ、妾も。

鉄風 まあ、坐ったら何うだ。
二人坐る。
美
それは、未納ちゃんに、そう言われると、妾がいけなかったかもしれないけれど······。妾の気持がどうでも······須貝さんは妾のことなんかまるで考えていないんだわ。

未納 でも、好意を持ってることは、確かよ。妾わかってるわ。
諏訪 (意味なく)そう。そりゃ、分らないわ。
美
妾には分ってるわ。あの人、妾なんか好きじゃないのよ。

未納 そんなこと言い出すと······。
美
あなたとは、仲良しじゃないの、誰がみたってそうみえると思うわ。

未納 遊ぶだけだわ。
美
妾は、遊んだこともないわ。

鉄風 それは美
の言うとおりだ。

未納 いいからお父さん、一寸の間黙ってらっしゃい。
美
妾は、お兄さんのことは、ちっとも気がつかなかったのよ。妾の方じゃ兄妹だと思っていたから平気でいられたのね。恥ずかしいわ。我儘ばかり言ってたわ。

諏訪 そんなことないわ。母さんが保証してよ。
鉄風 ほんとに問題はないかね。これは······。
美
未納ちゃんからそう言われてみると、お兄さんが妾によくして下すったことが、一つ一つ胸に思い当って来たわ、ほんとに妾いけなかったと思うの。

未納 それはそうだわ。お兄さんは不器 っちょだけど、あれで、いろいろ気をつかってはいるんだわ。だあれも、それを感じて上げないんだもの。
鉄風 生意気を言うな。すると、この問題は昌允から出てるんだな、そいつは一向気がつかなかった。
諏訪 妾、言ったでしょ、何かあるに違いないって。
鉄風 しかし君は、事態がこうだとは言わなかったよ。
諏訪 そんなこと、誰にだってわかりゃしないわ。
鉄風 何か、か。それだけじゃ、分っていたとは言えんよ。
未納 そいじゃァ、お姉さん本当なの、それ。
美
ええ、妾ね、以前は少し怖かったのよ。だけど、もう怖くなくなったわ。あの人はいろんないいところがあるのよ。そりゃァ······。

未納 (機嫌が直っている)現金だわ、お姉さん現金よ。
美
ええ、そう。妾、自分でもそう思ってるの······(両手で頬を押える)可笑しいわね。

未納 まあまあだ。お父さん、どう。構わないでしょ。
鉄風 何とも言えん。母さんと相談してくれ。
諏訪 妾にはわからないわ。あなたが始めに口を切ったことよ。あなたがいいように、して上げて下さい。
鉄風 何も俺一人に委 せることはないさ。君の考えも聴こうじゃないか。
諏訪 考えなんかありません。いろんなことが、一度に起っちゃったものだから、妾、頭ん中が滅茶々々よ。明日が心配だわ。あなたがやって下さい。
鉄風 俺にだって一向名案も浮ばない。兄と妹とが愛し合うということは、世間の手前、どう言うことになるのかね。
昌允 (川原から)未納そこに居ないか?
間。
昌允 (外で)美
さん!

美
、立ち上って窓の所へ行く。

美
どうなすったの、裸なんかになって。

未納、美
の傍へ行く。

未納 泳いで来たのね。
昌允 身体を拭くものを出して呉れ。濡れてるんだ。
美
、奥へ行く。

鉄風 泳ぐのは少し早くないかな。
未納 一寸、寒いかもしれないわね。早く、上ってらっしゃい。いいこと教えて上げてよ。
鉄風 無鉄砲なことをする奴だ。
美
、タオルを持って出てくる。

美
抛 ってよ、よくって。

鉄風 (諏訪に)少し休んでみちゃァどうだ。横になってみた方がいいかもしれないよ。
諏訪 ええ。妾の部屋、西日が這入るものでこれからひとっ時、困るわ。(立上る)
鉄風 だったら、俺の部屋を提供するさ。
諏訪 ありがと、そうして戴こうかしら。
昌允。
昌允 母さん、何か用ですか、早く帰れって。
諏訪 いいえ、別に、どうして?
昌允 須貝さんに言伝 なすったんじゃないんですか。
諏訪 ああ、別に用はなかったんだけど、早く御飯にしようかと思って······。
昌允 なんだ。
未納 一緒に泳いでたの、あの人。
昌允 いや、あの人は、撮影所へ行ったよ。
鉄風 宣伝を聞いてすぐ帰ったわけじゃないんだな、すると。
昌允 どうせなんでもないんだろうと思って······。
鉄風 そういう奴だ、いざと言う時の間には会わんよ、お前は。
未納 お兄さん、お兄さん。
昌允 なんだ、忙しい奴だな。
未納 忙しいわけよ。わかってて。
美
未納ちゃん! (未納の手を取る)

未納 (それを振り払って)いいじゃないの。お兄さんったら、そんな難しい顔をしたって駄目よ、後で恥しがったってきかないわよ。
昌允 なんのことだ。だらしのない顔をするな。
鉄風 未納、余計な世話は焼かない方がいいぞ。
未納 いいわよ、余計なお世話なんかじゃないわ。妾も、やっぱり嬉しいのよ。ほんとに、一番嬉しいのは妾かもしれないのよ。
昌允 (くしゃみをする)畜生。(もう一つ)
諏訪 今頃泳いだりなんかするからよ。
昌允 少し、冷たかったかな。中学生が二、三人、やってるもんだから。大丈夫だと思って入ってやったんだが······。
美
夏の風邪は癒 り難いのよ、ほんとに······。

未納 お兄さん、美
姉さんね。

須貝。
須貝 (一寸うろうろして)やあ、家族会議?
未納 重大問題よ。
須貝 へえ······。(行こうとする)
鉄風 須貝君!
須貝 は!
鉄風 う。いや、別に何でもないんだが、後で一寸話したいことがあるんだが······。
須貝 承知しました。僕も一寸、先生にお話したいことがありますので······。(もじもじしている)
諏訪 あの······どうでした、道具の都合は?
須貝 ああ。撮影所へは行かなかったんです。(去る)
諏訪 あなた、何を言うつもりだったの。
鉄風 そりゃ君、この際何か言う必要があると思ったのさ。
諏訪 だったら、どうしてお言いにならなかったの。
鉄風 だって、一体何う言ったらいいんだい?
未納 厭だわ、お父さん。
鉄風 俺だって厭だよ、だが、向うでも何か言うことがあると言ってる。
諏訪 あなたが思わせ振りをなさるからよ。
鉄風 それだけのものかな。
諏訪 そんなことわからないわ、須貝さんに訊いてみなきゃ。
昌允 僕は知っていますよ、その話は。
鉄風 ふむ。お前には前以 って話しているのか。
昌允 前以ってと言うわけじゃないでしょう。今の先、道の端で立話に聴いたばかりですよ。
諏訪 何のこと。
昌允 自分で言うと言ってるじゃないですか。
未納 何? 聞きたいじゃないの、だって······。
昌允 言ってもいいさ。だが、お前は聞かない方がいいぞ。
未納 あら、どうして······。
昌允 お前のがっかりする話だ。お前にも俺にも、あんまり嬉しくない話だ。
美
お兄さん、何言ってるの。おかしな話ね。

昌允 美
さん、須貝さんは君と結婚したいと言ってるんだが······。

一同に軽い動揺。
昌允 どうしたんです。
鉄風 どうもしやしないさ、別に······。
未納 ほんと、その話。
昌允 ほんとだろう、自分で、そ言ってる以上は。
未納 あーあ。やっぱり、妾、どうしても駄目なんだわ。やっと喜びかけると、又ペシャンコだ。
昌允 お前と俺とは、どうやら揃いの籤 を掴んでいるようだな。いくら兄妹だと言って、あんまり有難くない一対だよ。
未納 ほんとだわ。妾が、お兄さんに似ているのかしら、お兄さんの方が妾に似ているのかしら······。
鉄風 どうも、話の筋道がわからんね。
諏訪 妾には、尚更、わからないわ。
美
(自信なく)厭だわ······妾······そう言うこと······。

昌允 どうしてさ。
美
どうしてでも······。

未納 お姉さんは、昌允さんが好きになっちゃったもんだから······。
鉄風 (苦しい咳払い)このことは······全然問題を含まないというわけじゃァないが······事実を有りの儘に言うとそのとおりなんだ。
昌允 どう言うことです、それは。少々手遅れみたような話だが······よくわからない。
未納 お兄さんの、気持やなんかが、判然してくると美
姉さんも······あなたがいい人だって気がして来たんだって······。

昌允 しかし、美
さんは須貝さんを好きな筈じゃないか。尠 くとも俺よりは······。

未納 それは、お兄さんのことを知らなかったからよ。事情が違うのよ、今とは。
昌允 お前の言ってることは、はっきりしないぞ、事情は、以前だって今だって同じ事情だ。俺は別に、判然してもいないし、隠しても······、ははあ、貴様······。
未納、壁際の方へ動く。
昌允 (未納を追って行って)怪 しからん奴だ。貴様と言う奴は······。先刻俺になんて言った。須貝さんをお前に牽制させといて俺がうまいことしようと思ってると言ったじゃないか、その尻から······実に怪しからん奴だ······。そう言う暗中飛躍を······。(未納を壁際へ押しつける)
未納 あらあらそうじゃないんだったら、痛いじゃないの、蓄音機が駄目じゃないか。お父さん!
鉄風、やれやれと云う形。
昌允、手を離す。
昌允、手を離す。
未納 乱暴だわ。息が詰るじゃないの。
昌允 その方が余計なこと喋らなくっていいだろう。
未納 妾は、そんなつもりじゃなかったのよ。妾はもう、とても駄目だと思って観念してたんだわ。
昌允 それだったらそれでいいじゃないか。
未納 でもお兄さんのことだって、一遍は言っといたげようと思っただけよ。その他のことなんて考えてやしなかった。
昌允 そうすると、俺は······お前に礼を言わなくちゃァならないことになるのか。
未納 首を締めるほどのことじゃないと思うわ、兎に角。
昌允 しかし美
さん、も少し考えた方がいいと思うね、これは。

美
||。

昌允 一時の気持の動きだけで、こんなことをきめると、後で困るのは自分だけだよ。僕にしたって後悔されるよりは今のままの方が、結局いいからね。それに······僕の方ではもう······気持の上では、ある区切りまで来てるんだから······。(くしゃみ)あなたは、自分の、好きなことを······。
美
、黙って唇を噛んでいる。

未納 (呟くように)妾は、今日何てへまばかり、やってるんだろう。言うことすることみんな的が外 れてるんだもの、いっそおかしいくらいだわ。自分独りで悲しんだり、喜んだりして······。
諏訪 妾、もう黙っていられないわ。こんな面倒なことって、一体誰から起ったことなの。みんな須貝さんからでしょう。あなた、もうあの人にこの家を出て戴きましょう。
鉄風 しかし、俺が考えるには、この問題は別に、須貝の方で不都合 な点は無いように思うがね。問題を面倒にしているのは、主として家の連中じゃァないのかい。
諏訪 あなたのように落ちつき返っていちゃ、何だって誰にだって罪も責任も起りゃしないわ。だって須貝さんさえ居なかったら、何もこんないろんな面倒なことは起りようがないじゃありませんか。
鉄風 しかし、事実は須貝はいたんだし、いろんな面倒なことは起ってしまったのだ。そう言う意味で須貝の責任を問うと言うことになると、ただ、須貝がこの世に生れたと言うことがいかんということになる。人間は誰だってこの世に生れたと言うだけの理由で非難をされる責任は無いさ。
諏訪 あなたの演説なんか妾は聴きゃしないのよ。妾は、どうしてもあの人に出て行って貰うのよ。妾はもう、あの人を信用することは出来ないんだわ。あなた方もそうよ。あなた方の中、誰があの人を愛して、誰があの人を信用したって、母さんはもう、あの人を信用することは出来ないのよ。あの人は軽薄で、嘘つきで、浮気者で、信用のない兵六玉 よ。
鉄風 中々見事な弁舌だ。しかし、例えばあの人間を此処の家から出て貰うとしてもだね、どう言う理由で出て貰うんだね。まさか俺の娘が二人とも君を愛している、そういう状態では家庭の平均が保てんから出て行って呉れ、そう言うわけにも行かんだろう。それに、もともと俺にしたって、君にしたって、二人の中どちらかは須貝に貰って貰うつもりでいたんだろう。
諏訪 二人の中一人ですわ。二人共じゃありませんのよ。それも、うまく行った場合の話じゃありませんか。今の場合はちっとも家ん中がうまく行ってやしないわ。妾は未納をと思っているのに、須貝さんは美
を欲しいと言う。その美
を昌さんが愛しているんだと言う。おまけに三人が三人で、いろんなことを······妾達にはとても、わかんないようなことを考えたり、したりしてるんだわ。妾には我慢がならないわ、こんなこと。


鉄風 一体、これは家の若い連中がいかんよ。大体お前達は物事を慎重に取扱い過ぎるのかね。それともあんまり不真面目に見過ぎているのかね。お前達の行動は実に不可解だ。不可解極まる。まるで、相手の先手を打つことばかりに苦心しているようじゃないか。
未納 妾達不真面目じゃないわ。妾だって物事を考えないでする方じゃないのよ。ただ結果の方が妾達より先回りしてばかりいるんだわ。妾だって困るわ。こんなんなら、始めから何にもしなかった方がずっと、気が楽で愉 しかったのよ。
鉄風 一体若い者って言うものは、物事をするのに、もっと情熱と誠意がなければ、いかんよ。お前達にはそれがない。若い者にあるべき新鮮さ、熱情、烈しさ、懸命さ、そう言うものがない。それでいて、一通り心得たような顔つきをしているのはどういうものかね。
昌允 と言ったところで、僕達にはお父さんみたように、美
のお母さんと、いきなり結婚して僕達を面喰わせたり、五十を越してからでも、相変らず情熱と誠意を以て泪 の名画を拵 えて、大向うを退屈させたりする芸当は出来やしませんよ。

鉄風 俺は、親子がそう言う争いをすることは好まない。だが、若し俺と諏訪とが一緒になる前に、お前が美
を何とか思っていたとしたら、それを前以て明にすべきだったんじゃないかね。それというのも、お前達の徒 なる狐疑逡巡 の為 す所じゃないか。

諏訪 もうお願いだから、そんなことで喧嘩なんかしないで下さいな。妾が言ってるのは、そんなこととは何の関係もないことです。話は簡単です。須貝さんにこの家から出て行って貰うということだけよ。
美
だって母さん。それは、お気の毒だわ。あの人は、何にも御存じないことだもの、だから、こんなこと、みんな、なかったことにしといたらそれでいいでしょ。ねえ。

鉄風 兎に角、俺は今須貝を放逐する気にはなれんよ。俺は長い間かかって彼奴を一人前の技術家にしてやった。これからというところで、こんな風な出来事で手放して了うのはあんまり惜しい気がするんだ。
昌允 それは惜しい惜しくないに拘 らず、今の場合須貝さんに、この家を出て行って呉れというのは少し無法でしょう。お父さん達の料簡 では、未納か美
か、どっちかをあの人に呉れてやるつもりだった。ところが須貝さんは美
を選んだ。その他の事はあの人には関係の無いことですよ。


諏訪 いいえ、あの人に関係の無いことでも、妾達の家庭には大きな関係のあることだわ。そして妾達にとっては、妾達の家が一番大事な問題なんですからね。他の事柄こそ、それに比べれば小さいことだわ。
未納 でも母さん、須貝さんは明日っから、始めて一本でお仕事なさるんでしょう。それだのに、今出て行って貰うなんて非道 いわ。そんなこと出来ないわ。
諏訪 あなた達、みんな妾に反対なんですね、いいわ、それでも妾は出て行って貰います。妾ひとりで、このことはやってみせます。(鉄風が何か云いかけるのを押えて)いいえ、あなただって、妾が此処に(胸を押えて)持っている、一つの理由をお聞きになったら、きっと妾の考えを当然だとお思いになってよ。妾の処置を有難がって下さる筈だわ。······さあ。今度こそ、お部屋へ行って休みましょう······。(二階へ上って行く。階段を、上り切った所で振り返り)あの人は、先刻この家を出て行く前にそう言ったのよ。自分は今の所誰とも結婚したくない。そう言うことを考えてみたくない。その理由はあなただって。妾だって······。(去る)
||早い幕||
情景は前景と同じ。
鉄風、諏訪、昌允、美
、未納。
鉄風、諏訪、昌允、美

鉄風 兎に角、俺は今須貝を放逐する気にはなれんよ。俺は長い間かかって彼奴を一人前の技術家にしてやった。これからというところで、こんな風な出来事で手放して了うのはあんまり惜しい気がするんだ。
昌允 それは惜しい惜しくないに拘らず、今の場合須貝さんに、この家を出て行って呉れというのは少し無法でしょう。お父さん達の料簡では、未納か美
か、どっちかをあの人に呉れてやるつもりだった。ところが須貝さんは美
を選んだ。その他の事はあの人には関係の無いことですよ。


諏訪 いいえ、あの人に関係の無いことでも、妾達の家庭には大きな関係のあることだわ。そして妾達にとっては、妾達の家が一番大事な問題なんですからね。他の事柄こそ、それに比べれば小さいことだわ。
未納 でも母さん、須貝さんは明日っから、初めて一本でお仕事なさるんでしょう。それだのに、今出て行って貰うなんて非道 いわ。そんなこと出来ないわ。
諏訪 あなた達、みんな妾に反対なんですね、いいわ、それでも妾は出て行って貰います。妾ひとりで、このことはやってみせます。(鉄風が何か云いかけるのを押えて)いいえ、あなただって、妾が此処に(胸を押えて)持っている、一つの理由をお聞きになったら、きっと妾の考えを当然だとお思いになってよ。妾の処置を有難がって下さる筈だわ。······さあ。今度こそ、お部屋へ行って休みましょう······。(二階へ上って行く。階段を、上り切った所で振り返り)あの人は、先刻この家を出て行く前にそう言ったのよ。自分は今の所誰とも結婚したくない。そう言うことを考えてみたくない。その理由はあなただって、妾だって······(去る)
鉄風 みんな······聞いたかね。
未納 聞いたわ。
鉄風 昌允も聞いたかね。
昌允 そうの様です。
鉄風 じゃあ俺の聞いたことは、確かなんだな。
美
不思議だけど、確かだわ。

鉄風 俺は、今聞いたことを信じなきゃならん立場にいるのかな。一体こう言うことって、有り得ることなのかね。
未納 有り得ることだわ。こう言うことの可能性ってものは、無限大だわ。理窟もなにもありゃしないわ。
鉄風 黙ってろ! 俺が比較的冷静な人間であることは、この際僥倖 とも言うべきことだ。これが普通の人間であってみろ。地団駄を踏み、わめきかえったかもしれないところだ。多分椅子の一つくらいは壊したかもしれんよ。だが俺は、大芝居は好まん。しかし言って置くが、今日の出来事は俺に取っては充分驚嘆に値するものだった。
昌允 (慰める気で)お父さん、元気を落しちゃいけませんよ。きっと冗談ですよ。例えば、須貝さんがそんなことを言ったとしたって、本気じゃありませんよ。また本気にしたところでそんな······。
鉄風 本気にしたところで······どうだと言うんだね。母さんが取り合うまいと言うのかね。それはそうだろう。そうあってほしいと思うよ。いや、そうあらねばならん。しかし······。
昌允 しかし?
鉄風 しかし······(気を換えて)お前の質問に俺が答えなければならんと言うわけはないだろう。「しかし」は「しかし」だ······。今んなって俺は、嫉妬を感じなきゃならんのかね、この俺が。これはやり切れない。我慢のならんことだ。そう言えば、先刻、俺が降りて来た時、諏訪は何時 に無く陽気ではしゃいでいた様だ······。
美
お父さん! お父さん! それは非道 いわ。あんまりだわ。妾の母さんは······。

鉄風 美
。俺は、誰も疑やしない。誰にだって謂 われのない疑なんか掛けやしない。だがまあ、考えてみてくれ、須貝は未納と一番仲良しにしていながら、一方では諏訪に言い寄っている。かと思うとお前と結婚したいという。(二階へ上って行く)疑いというのは、こう言うんじゃァないよ。俺達の習慣では、こう言うことは奇怪だと言う。重ねて言うが、俺はお前達の母さんを疑ってなんかいやしない······ただ······お母さんはまだ若い······。(去る)

三人、ぼんやりと大きな溜息をつく。
未納 さて······と。
扉を乱暴に閉 る音。
未納 同情するわ、妾······。
美
どう言うことになるのかしら。

昌允 どう言うことになるかなあ。とにかく、いろんなことが起ったからね······。
未納 でも、ほんとは、なんにも出来事なんて起きてやしないのよ。
昌允 そうさ。出来事と言うのが、急行列車の顛覆 のようなものだけを言うとすればだ。
美
あの人、逐 い出されるのかしら。

昌允 みんなが冷静になる迄待つさ。心が落ちついてみれば、いろんなことが分って来るだろう。どちらにしても、須貝さんは、あなたと結婚したがっている。それは、確かな話だし······あなたにしたって······。
美
あの人が妾と結婚したいと言うのは、わからないわ。あの人は、妾なんか全然好きじゃないんだわ。若し好きだとしたって、他の女の人と同じほどにだけだわ。なにも特に、妾と······。

昌允 そんなことは、あなたにはわからない。わからなくってもいいことだ。
美
あの方、自分でそう被仰ったのよ。勿論はっきりそう言ったわけじゃないわ。だけど妾、自分が莫迦だとは思わないわ。何でも······ないのに······疑って見られちゃ、つまらないから、お互に気をつけようって······そう言うことを被仰ったわ、御自分で······。それから二時間にもなりゃしない今······。

未納 それで、お姉さん、お部屋で泣いてたのね。それじゃ、妾と一緒だわ。
美
そうよ、だけど、もうそれで、妾、はっきりしたわ。もう、そんなこと、考えないことにしたの。

昌允 それは······取りようによっては······どうにでも取れることだ。だが······そう言うことで簡単に······そう······言うことを······。
美
お兄さんは······妾が、始めに須貝さんを好きになったことが許せないのね。

昌允 いや、そうじゃない。
美
そう······。でも······妾(立上る)そうだと思うわ。(出て行く)

未納 お兄さん、そう? ほんとにそうなの?
昌允 そうじゃないよ。俺はただ、美
のほんとの仕合せのことを考えてみるだけのことだ。お前、今でも、出来たら須貝さんと結婚したい気かい。

未納 妾? 妾······何だか興味なくなってきた。そんなに言うほどの人かな。
昌允 ふむ。
未納 だけどお兄さんは、あんなに美
姉さんが好きだったんだし······。

昌允 勿論さ。
未納 まあ。
昌允 今でもそうだ、俺は美
が好きなんだ。大変好きだと言ってもいいくらいだ。ほんとだよ。

未納 威張らなくったっていいわ。
昌允 お前は不真面目でいかん。
未納 ノー、ノー。
昌允 何?
未納 違うって言ったの。
昌允 若い者にあるべき新鮮さ、熱情、烈しさ、(行詰って)烈しさ······。
未納 大胆さ。
昌允 大胆さ。少し違う。
未納 意味はそう言う意味よ。
昌允 兎に角お前のは、怪 しからん。
未納 妾はふざけてなんかいないわ。
昌允 そうか。しかし、お前のは、あれはいかん。
未納 何? どうして?
昌允 どうしてでもいかん。あんなのはない。
未納 わからないわ。
昌允 お前のやったことさ。
未納 いろんなこと、したからよく憶えてない。考えてないこと迄、して了ったかもしれないわ。
昌允 だったら考えて見る必要があるよ。お前のやったことはおせっかいというものだ。
未納 だって、あれは仕方が無いわ。
昌允 仕方ないことはないさ。
未納 妾、はッと思って了うと、もう我慢出来なかったのよ。
昌允 自分のことだけやればいいんだ。お前のは露出症だよ、あれは下品だ。自分だけで納得が行かずに俺達の分まで一人で、やってしまいやがった。
未納 御免なさい。
昌允 御免なさいじゃあ、済まんよ。
未納 でも······、そんなにしても、自分じゃちっとも得が行かなかったわ。
昌允 それだから、尚いかんというのだ。ああ言うことは、お前みたいな人間のやることじゃないよ。
未納 ||(溜息)
昌允 厭な顔するな。
未納 変な気持だわ。
昌允 誰だって、そうだ。
未納 お姉さん、どうなんだろう。
昌允 わからん。他人の心どころじゃない。
未納 お姉さんも、少し現金ね。
昌允 そうかい、どうしてだ。
未納 だって、そうよ。
昌允 言ってみろ。
未納 慍 るから、厭。
昌允 慍る元気もない。
未納 お兄さんのことね······そ言ったらすぐ、その気になっちゃうんだもの······。
昌允 それで、お前だって喜んじゃったじゃないか。
未納 そりゃ、そうよ。
昌允 だったら、一緒じゃないか。
未納 だって······。
昌允 だっても糞もない。
未納 お姉さんだったら、何でも肩を持つわ、お兄さん。
昌允 それは、そうさ。
未納 ||(溜息)
昌允 何だ。
未納 お兄さんはいいわね。
昌允 そうか、どうして。
未納 お姉さんがいるから。誰も彼も、わあッ、と妾を好きになって呉れないかなァ。
昌允 俺だって、美
には、考える暇をやらなきゃァ、ならないさ。お前の考えるようには行かない。

未納 お姉さんは考えてるわ。あの人は、お買物する時だって、一番上手だわ、それに須貝さんが母さんを好きなんだとすると······。
昌允 しかし、須貝さんは、俺達の親爺になることは出来んよ、もう、ちゃんと一人あるんだからな。
未納 どうしてお兄さんは、そんなに、須貝さんと、お姉さんを一緒にしたいの。
昌允 したいわけじゃないさ。
未納 そうかしら、でも可笑しいわ。
昌允 何故だ。
未納 お兄さん、一生懸命逃げてるみたいだわ。
昌允 莫迦な。つまらんことを言うな。
未納 だけど、そうみえてよ。
昌允 それはお前の見方だ。俺の所為 じゃないよ。
未納 ||。
昌允 (誰に云うともなく)俺は、美
が俺と結婚することなんか絶対に無いと思ったんだ。あんまり思いがけないことなものだから······。

未納 (立上る)妾、今誰かが、妾を好きだって言って来たら、誰でも好きになってやるわ。ほんとよ、それ······(出て行く)
昌允、じっとしている。立上る。ぶらぶら歩く。マントルピースの上の花瓶をみている。いきなり、そいつを掴むと思い切って床に叩 きつけようとするが、しない。も一度その場所へ置き、両手でそれを撫でている。須貝、服を改めて、両手に相当大きなトランクを提げている。昌允をみて、当惑して立止る。
昌允 ああ。
須貝 ああ。
昌允 (じろじろみて)何の真似です? それは。
間。
須貝 逃げ出そうと思ってね。(自分の風態を見る)
間。
昌允 (了解して)そうですか。
須貝 あなたに、教わったようなものです。止 めやしないでしょう。
稍々永い間。
昌允 止めるなと、言われれば別に止めやしないけれど······。まあ、も少しいいでしょう。話して行って下さい。
須貝 お家の人に会いたくないのですが······。
昌允 会わずに行くつもりですか。
須貝 手紙を書いておきました。いずれ、お会いします。しかし、今は一寸まずい。
昌允 そうですか、しかしまあ、も少しいらっしゃい。大丈夫ですよ。
須貝 会うと困るんだがな。
昌允 出てきやしませんよ。
須貝 そうですか。(荷物を入口の所迄、持って行っておいて)あんまり、ゆっくりもしていられないが······。
昌允 あなたを行かせたくないな、僕は。
須貝 どうして。
昌允 僕の思ったより、いい人なんだもの。
須貝 有難う。あなたも僕の思ったほど悪い人じゃなかった。
昌允 訣別に臨んで知己を得たわけですね。
須貝 いや、ほんとだ。
昌允 一度一緒に飲みたかったですね。
須貝 そう言う時もあるでしょう。その時はひとつ、やりましょう。
昌允 楽しみにしておきます。
須貝 お互、腹の底を覗 うようなことは止めてね。
昌允 う······。
須貝 君、オレンヂ・ジュースにウイスキーを入れたりするのは婦人の為 ることだ。止したまえ。酒なら灘の生一本、これがいい。それからウイスキー。
昌允 今度会う迄、練習しときましょう。
須貝 よろしい。そう願いましょう。
昌允 荷物は、あれだけですか。他に残っていませんか。
須貝 残っています。あれは、シャツだの、ハンカチーフだの言うものです。それに季節の洋服と、そう言うものです。後のものはおいときます。
昌允 宿がきまったら、送りましょうか。
須貝 そうしていただくとありがたいですな。しかし捨ててくだすってもいいです。あんまり、役に立つものもないんですから、御ぞんじのとおりですが······。
昌允 まあ、いいです。送ることにしておきましょう。
須貝 感謝に堪えんです。う······煙草を喫 ってっても、大丈夫ですか。
昌允 大丈夫ですよ。放って置いたら、今日中は出て来やしません。
須貝 有難い。どうです。
昌允 ······。(黙って受とる。須貝は手ばやくマッチを摺 る)いや、どうも······。
須貝 ······。全くいい景色ですね。ここからみていると。
昌允 風致保存区域ですからね。
須貝 あの雲の色を御覧なさい。紫色に光っている。荘厳と言うべきですな。
昌允 ああ言う色の酒がありますね。
須貝 そう、なんて言ったか······。とにかく実にいい景色だ。おやあんな所を、女の子があるいてる。日本人じゃないな。
昌允 僕はさっき泳いで来ましたよ。
須貝 みていました。中々鮮やかでした。僕も泳いでみたいと思ってたが。
昌允 まだ、少し冷いです。
須貝 そうかな。少し早いかもしれないな。どうして、泳いだりなんかしたんです。
昌允 どうしてと言うことは、ありませんよ。
須貝 僕は直ぐ帰り給えと言ったでしょう。
昌允 しかし別に用はなかったそうですよ。
須貝 そりゃ帰ってみなきゃ、わからない。
昌允 ところが帰ってみたら、そうだった。
須貝 而 るに、君は、帰らなかった。帰らないで水ん中へ飛び込んだ。何故です。
昌允 理由なんか、無いと言ってるじゃァありませんか。
須貝 言わなければ言わんでよろしい。しかし、僕が美
さんを貰いたいと言ったのは僕の間違いでした。取消しておきます。

昌允 しかし······。
須貝 何故なら、僕は、あの人に惚 れとらん。と言って悪ければ、他の人に惚れている。
昌允 じゃァ、なぜ、美
と結婚したいなどと言い出したのです。

須貝 他にすることが無いじゃありませんか。考えても御覧なさい。しかし、つまらんことでした。
昌允 僕の言ったことを聞かなかったのですか。僕は未納が······未納を······。
須貝 美
さんは、あなたを、本当の兄貴だと言っていましたよ。

昌允 それは、言い訳になりゃしない。
須貝 それに、正直に言うと、あなたの言いなりになることは僕の自尊心が許さんものね。
昌允 莫迦な。
須貝 莫迦なことです。そしてもう一つ、決定的に莫迦なことは······ああ、もう行かなけりゃァならない。(立上る)
昌允 決定的に莫迦なことは?
須貝 みなさんによろしく。
昌允 須貝さん、行くのは止した方がいい。此処にいらっしゃい。ねえ、行くのはお止しなさい。
須貝 つまらん。止したまえ。
昌允 あなたは、そんなことで、自分の一生のことを決めたり破ったりするんですね、それじゃァ。
須貝 そう大袈裟 に言わんで下さい。あなたは、どうやら僕を非難したい口振りだが、僕にとっては、一つが失敗すれば、後はどれもこれも同じ値打しか持っていませんよ。
昌允 あなたと言う人は、真面目なんですか。真面目なんですかそれで。
須貝 折角ながら、僕にもわからんです。どちらにでもなろうと思えばなれる。と言う所ですね。しかしも少し放っておいて下すったら、僕はきっと未納君を細君にしたくなったと思いますね。おかしな話ですな。
昌允 ||。
須貝 どら。みなさんによろしく、もう、夏ですな。夕方は実にいい。
昌允 仕事の方はどうします。
須貝 それは先生の処置にまかせておきましょう。
昌允 宿が定 ったら、知らせて下さるでしょう。
須貝 知らせましょう。奥さんに明日の晩は成功を祈ると言って下さい。いや、言わない方がいいかな。
昌允 そう言っときましょう。明日は、変ったことが二つあると思ったが。一つになったわけだ。
須貝 じゃ失敬。一つ減ったわけだ。
昌允 さよなら。荷物、持てますか。
須貝 その辺で、車を目付 けますよ。
昌允 そうですか。じゃァ······。
須貝、去る。
奥の方で、ベルが鳴る。繰り返し。
奥の方で、ベルが鳴る。繰り返し。
昌允 (二階へ向いて怒鳴る)婢 やはいませんよ。
鉄風 (二階へ出て来て)婢やは何処へ行ったんだ! ひとが呼ぶ時に居た例 がない!
昌允 伯母さんが、病気で宿へ帰ったじゃありませんか。多分、戻って来ないだろうって言ったじゃありませんか。
鉄風、ぶつぶつ云いながら入る。
再び、ベルの音。
再び、ベルの音。
昌允 ちえ(忌々 しく、上を見上げる。今度は答えないで放って置く)
未納、続いて美
。

未納 妾が行くわ。
美
いいから、妾が行くから。

諏訪、二階へ出て来る。
昌允 (坐りながら、二階を見て)婢やは、いないんですよ。
諏訪 そうね、妾、うっかりしていた。(降りて来る)
未納 何か御用!
諏訪 いいの、御飯にして貰おうと思って······。
昌允 御飯食べるんですか?
諏訪 どうして?
昌允 僕は欲しくない。
諏訪 喰べなきゃ毒だわ。
美
妾達で、つくってよ。(出て行く)

諏訪 いいわ、何処かへそう言いましょう。
未納 妾だって出来るわ。いいわ、母さん。(出て行く)
間。
諏訪 やっと、日が落ちたんだわね。この頃は日が長いものだから······(窓を押し開いて)ああいい気持!
昌允 気分はどうです。
諏訪 ありがと、大体いいわ。
昌允 そりゃいい具合でした。
諏訪 頭の芯 が、少し痛いの。
昌允 いけませんね。
諏訪 胸も苦しいのよ。
昌允 ||。
諏訪 足もなんだか、ひどく疲れたような具合だわ。
昌允 あんまり騒ぐからですよ。
諏訪 あなただってそうじゃないの。
昌允 僕は······。
諏訪 お父さんと喧嘩をおっぱじめたり······。
昌允 何だって母さんは、あんなことを親爺に言ったんです。
諏訪 お父さんに?
昌允 親爺にですよ。可哀想じゃ、ありませんか。
諏訪 一番可哀想なのは母さんだわ。
昌允 親爺、茫然としている。
諏訪 妾だってそうだわ。
昌允 そりゃ、僕だって······。
諏訪 御免なさい。母さん昂奮しちゃったもんだから。
昌允 昂奮はいいけれど、母さんは、ほんとに須貝さんを追い出すつもりなんですか。
諏訪 それは、追い出すと言うと、角 だつけれど、どっかへ移って貰いたいわ、その方がいいと思わない。
昌允 別に、その方がいい、と言う理由もないと思うけれど······。
諏訪 何故。今、このままで、あの人にずっといて貰ったとしたら、どう。家中のものが、誰も彼も、気が落ちつかないじゃないの、いやだわ、そんなこと······。
昌允 それは、このまま打 ゃっとけばそうだろうけれど、あの人の言うとおり、美
と一緒にして了えばそれでいい話じゃないですか。

諏訪 それは、出来ないわ。そんなことは出来ないのよ、妾には。
昌允 僕や、未納への心使いだったら、つまらんことですよ。僕達だって子供じゃ、ないんですから。(くしゃみ、二つ三つ)
諏訪 いいえ、それじゃ、妾の気持が済まないの、だから、あなたにどう、未納にどうってことはないの。あなた寒気がするんじゃない?
昌允 いや、母さんの気持なんか、済まなくったって大した問題じゃありませんよ。当人達の気が済めば、それでいいことでしょう。
諏訪 そうは、行かなくってよ。妾は、妾達の家庭を規律のないものにしたくありません。
昌允 規律って言うのは、何です。僕は別に須貝君と美
の結婚は、規律を無くするものだとは思っていませんよ。

諏訪 昌さん、あなたの気持もわかります。だけど、母さんの気持だって、わかるでしょう。お願いだから駄々っ子、言うのは止して頂戴。
昌允 莫迦な下らん話です。
諏訪 下らん話でもいいの、母さんいいようにします。
昌允 そうは行きませんよ。母さんひとりのいいようにはならない。
諏訪 だけど、あなたの思うとおりにも、なり兼ねますのよ。
昌允 僕ひとりの、思うようにしようとは言いません。自然な処置をなさいと言うのです。
諏訪 なんです。癇癪 を起したりして、このことは母さんにまかせて下さい。ね。
昌允 実際癇癪を起しますよ、どうして、あなたは、そんな持ってまわったことをするんです。実につまらん。
諏訪 いいえ、持って回ったことじゃありません。妾は、須貝さんを、信用しないのです。これは一つに美
の為なんですもの。

昌允 あはあ。分った、母さんには······須貝さんが、母さんに好意を示したくせに、そのすぐ後から美
を貰いたいと言ったことがいけないのだ、そうですね。

諏訪 まあ! 昌さん!
昌允 しかし、そうするより、他に、どんな仕方があります。
諏訪 妾は、貰いたいと言ったことがいけないなど言ってやしない。
昌允 しかし、そうですよ、それは。
諏訪 昌さん、まあ、お聴きなさい、母さんは······。
昌允 いいですよ、母さん。それがいけないとは、誰だって言ってやしません。だけど、もう、すっかり済んじゃったわけです、実を言うと須貝さんは、追立てを喰う前に、自分で追ん出て行きました。あの人も莫迦じゃないですね。(去る)
諏訪、一寸打たれる。今更らしく、戸口の所へ出て行って外を見る。
美
、未納。
美

美
あら、暗いわね、誰もいないのかしら。

未納 母さん!
諏訪 (我に返って)うん。
未納 そこにいたの。
諏訪 (外を見たまま)此処よ。
美
御飯、出来てよ。

未納 (二階へ)お父さん、御飯!
美
どうしたの、母さん。

諏訪 いいえ、どうも······。暗くなったわね。(壁をさぐってスイッチを入れる)
美
すっかり暮れてしまったわ。

未納 涼しくなったわね。(窓の傍へ行く)お姉さん、宵の明星よ。緑色をしてるわ。
美
、近づいて行く。

諏訪 あのね、須貝さんね。どっか、行って了ったんだって。
二人、答えない。
諏訪 母さん、いけなかったかしら。
二人、答えない。
諏訪 母さんは、出て行って貰うって言ったけれど、そのことはあの人には、まだ言ってないのよ。言わない先に自分で出て行ったのよ。でも、やっぱり、母さんの所為 かしら。
二人、答えない。
諏訪 そうかもしれない、何故だかわからないけど、やっぱり、あなた達に、あやまらなければならない気がするわ、もしも、母さんが、いけないと思ったら、堪忍 して頂戴。母さんは、いくらでもあやまってみたい気がするのよ。
二人、答えない。
諏訪 須貝さんは、妾達みんなに、黙って、行って了ったのよ。左様ならも言わないで、何処かへ行って了ったのよ。少し酷 いと思わない。だけど、その方がほんとによかったかもしれないわね。これからはみんな、以前のようにずっと仲よく暮してゆけるじゃないの、厭なごたごたなんかなくって······。
美
、啜り泣き始める。

未納 お姉さん! お姉さん!
美
妾、あの人に、いけなかったわ。ほんとに······いけなかったわ。

諏訪 そうじゃないわ。母さんが、悪かったの、御免なさいね。さ、もう······(ハンカチを出して渡す)あなた達にそう言われると母さんが困るじゃないの。妾はみんなの為にいいようにって考えただけなのよ。ほんとに何うすればよかったんでしょうね。こんな気持じゃァとても明日の晩は舞台で踊れやしないわ。どうしようかしら······。でももう、止めるわけにはゆかないし······。
未納 可哀そうに······。この家を出て行って、あの人一体何処へ行くんでしょう。あの人は、やっぱり妾の仲良しだわ。(泣き出す)心配だわ。
諏訪 泣かないで頂戴。さあ、二人共どうしたの、元気を出して頂戴。妾はまた何故あんなに腹を立ててしまったんだろう。そんな風に腹を立てることなんか無かったのに······。
未納 悪い人なんかじゃァないわ。みんなに、(しゃくり上げて)みんなに黙って行って了うなんか、あの人がいい人の証拠だと思うわ。
美
あの人と、結婚しないなんて······言ったけれど悪かったわ。ほんとに。

未納 そうよ。妾だって、おしまいには······厭な人だと思ったりして······みんな間違いだわ······。
諏訪 母さん迄泣いて了うじゃないの······。こら、こんなに涙が出て来て······。(ハンカチを取り戻す)
||幕||
(雑誌掲載は『劇作』昭和十年七月、初演は昭和二十五年五月)