深夜の大東京!
まん中から半分ほど欠けた月が、深夜の大空にかかっていた。
いま大東京の建物はその青白い光に照されて、
もし今ここに、
大東京の三百万の住民たちは今グウグウ睡っているのに、それに大東京の建物も街路も電車の
「本当にそういうことがあるかも知れないねえ||」
と、敬二は
「||
少年を、この深夜まで只ひとり睡らせないのは、ひるま原庭先生がクラスの一同の前でなすった、一つの奇妙なお話のせいであった。
では、そのお話とは、どんなものであったろうか。||
「だからねえ、みなさん」と、原庭先生は目をクシャクシャとさせておっしゃったのである。それは先生の有名な癖だった。「世の中に、人間ほど
教室に並んでいた生徒たちは、ハイ先生、分りましたと手をあげた。敬二も手をあげたことはあげたんだが、彼は先生の話がよくのみこめなかった。ただ彼は、人間よりずっと豪い生物がいる筈だと聞かされて、非常に恐ろしくなった。そしてなんとなく原庭先生が、地球人間ではなく、地球人間より豪い他の天体の生物が、ひそかに原庭先生に化けて教壇の上から敬二たちを
先生のお話になったようなことがあっていいものだろうか。
敬二少年は、もうすっかり目が
そのときだった。
ビビビーン。奇妙な音響が敬二の耳をうった。そう大きくない音だが、肉を切るような
「今時分、何の音だろう?」硝子窓の方に耳をちかづけてみると、その窓硝子がビビビーンと鳴っているのだった。
なぜ窓硝子は鳴るのだろう、彼はこれまでにこの窓硝子の鳴ったのを一度も聞いたことがなかった。だからたいへん不思議なことだった。だが窓硝子はひとりで鳴るはずがない。必ず何処かに、この窓硝子を鳴らすための力がなければならぬ。その力の元は何であろうか。
「はて、何だろう?」敬二は窓越しに、深夜の地上を見やった。どの建物の屋根も壁も窓も、すっかり熟睡しているように見える。怪しき力の元は、どこにも見当らない||と思ったそのとき、ふと敬二の注意をひくものが······。
「おや、あれは何だろう」それは
その大火光は、ときどき息をしていた。ビビビーン、ビビビーンと窓硝子の音が息をするのと同じ
敬二は、
敬二はもうじッとして居られなかった。
「||原庭先生のおっしゃったのは、これじゃないかなア。人間の知らない変な生物が、地面の下をもぐって出てきたのではなかろうか。ウン、そうだ。もっと近くへ行って、何が出てくるか、よく見てやろう」もう、敬二は
敬二は
「おおッ。あれは何だろう。||」土を
「何だろう。あれは機械なのだろうか。それとも生物なのだろうか」
さあ、この怪球は、機械か生物か、一体どっちなんだろう?
怪球は、敬二少年の
「あれッ、あの機械水雷のお化けは、横に転がってゆくよ」敬二が愕きつくすのは、まだ早すぎた。
草原にポカッと
「おや、まだ何か出てくるぞ」ムクムクムクとせりあがってきたのは、始めの怪球と形も色も同じの
「
夢ではなかった。敬二は自分の
二つの真黒な怪球は、二条の赤い光を宙に
「あれッ。どうも変だなア。どこへ行っちまったんだろう」敬二は二つの黒い大怪球が、宙に消えてゆくのを見ていて、あまりの奇怪さに全身にビッショリ汗をかいた。
双生児の怪球はどこへ行った?
敬二は、まるで狐に
怪球はどこにも見えない。だが、ビビビーンと
そのときであった。カリカリカリという木をひき裂くような音が聞えだした。鋭い連続音である。
「さあ何か始まったぞ」敬二はその異変を早く見つけたいと思って目を皿のようにして方々を眺めた。
「あッ、あそこの
怪奇は、まだ続いた。板塀の穴がもう大きくならぬと思ったら、こんどはまた別の大きな音響が聞えだした。カチカチカチッという硬いものをぶっとばす音だ。その音は、ずっと手近に聞える。敬二はハッとして、後をふりかえった。
ところがどうであろう、彼はいとも恐ろしきことが、すぐ後に始まっているのを知らなかったのだ。敬二の顔は
この深夜の怪奇を生む魔物の正体は何?
敬二少年は、石を積みかさねてつくられたビルディングが、
「······」敬二少年は、愕きのあまり、叫び声さえも
彼が見た光景を、もっとくわしくいうと、こうである。||
彼は、東京ビルを背にして立っていたのであった。ところがうしろにカチカチカチッと硬いものをはげしく叩くような音がしたので、うしろをふりかえってみると、さあ何ということであろう。東京ビルの入口に立っている太い柱の一本が、下の方からだんだん
敬二少年は、わずかに身をかわしたので、
カチカチカチッ。||また怪音がする。
「おやッ||」と、音のする方をふりかえった少年の目に、また大変な光景が目にうつった。
それは、東京ビルの玄関が、下の方からズンズン抉られてゆくことであった。まるで砂糖で作った菓子を下の方から何者かが喰べでもしているように見えた。
「ややッ、これは······」
警官が
通りがかりの
その騒ぎのうちに、ビルディングはすこしずつ崩れていって、やがて大音響をたてると、
「一体、これはどうしたというわけだ」と、駈けつけた人々は叫んだ。
「まさか白蟻がセメントを喰べやしまいし、ハテどうも合点のゆかぬことだ」
誰も、この東京ビル崩壊事件の真相を知っている者はなかった。
まるで夢のような、銀座裏の怪奇事件であった。
東京ビルの崩壊は、崩れおちるまでに相当時間が懸ったので、幸いにも人間には死傷がなかった。警視庁からは、
「どうも分らない。殺人事件の犯人を捜す方がよっぽど楽だ」と、智慧の神様といわれている水久保係長も、あっけなく
山ノ内総監も「分らない」という報告を聞いて
「水久保君。分らないというだけでは、帝都三百万の市民にたいして、
「そうでございますネ」と水久保係長はしきりに頭をひねっていたが、急に思いついたという風に手をうって「そうだ。これは一つQ大学の変り者博士といわれている
「おお、蟹寺博士か。なるほど、そいつはいい思いつきだ。先生は非常な
山ノ内総監も、急に元気づいて、水久保係長の言葉に賛成したのだった。
それから一時間ほどして、いよいよ博士が東京ビルの崩れおちた前にあらわれた。博士は強い
「なるほど話に聞いたよりひどい光景じゃ」と博士は目をみはりながら、崩れたビルの
「先生、強い道具でとおっしゃっても、それを見ていた人間の話によると、道具はおろか、
「何をいうのだ。
「そうですかねえ。だがどうも変だなア。見ていた連中は、誰も彼も、いいあわしたように、
水久保係長には、博士のいうことがよく
しばらくすると博士は、腰をのばして、
「この現場は、まあこれくらいで分ったようなものじゃ。では、今盛んに崩れているところを見たいから、案内して下さらんか」
「今崩れているところ?」係長は側をむいて警官隊に、今崩れているところがあるかどうかたずねた。
「さあ、只今そういうところはありません。今のところ、東京ビルだけで崩れるのは停ったようです」蟹寺博士はそれを聞いていたが、やがて首を大きく左右にふっていった。
「この事件は、崩れているところを見ないことには、なぜそんなことが起るか説明できないじゃろう。こんどそういうことがあったら、急いで知らせて下さいよ」博士は、そういいすててスタコラ帰っていった。
敬二少年は、その夜の異変を思いだしてはゾッとするのだった。
||空地の草原を上へおしあげてムクムクと現れた機械水雷のような大怪球! しかも一つならず二つも現れた。それがビビーンビビーンと互いにグルグル廻りながら、やがて煙のように消えてしまった。その怪球には、眼玉のような赤い光の窓がついていたが、それも見えなくなった。二つの大怪球はどこへ行ったのだろう。
||東京ビルがカチカチカチッと崩れはじめたのは、それから間もなくのことだった。
||赤い眼をもった二つの大怪球と、東京ビルの崩壊とは、別々の異変なのであろうか。それともこの二つは同じ異変から出ているのであろうか。
翌日の朝刊新聞には、東京ビルの崩壊事件が三段ぬきの大記事となって、デカデカに書きたてられていた。
「深夜の怪奇! 東京ビルの崩壊! 解けないその原因!」という
などと、大々的な文字がならべてあった。
敬二少年は、東京ビルの崩れた前でその新聞を一つのこらず読みあさった。しかしその新聞記事のどこにも、例の二つの大怪球のことは出ていなかった。敬二少年は不思議でならなかった。なぜあのことを書かないのだろうか。
「オイ給仕、この騒ぎのなかで、新聞なんか読んでいちゃいけないじゃないか。そんな
「ははッ||」と、敬二は
「敬坊、てへッ、やられたじゃねえか。ふふふふッ」
「なんだ、ドン助か。こんなところにいたのか」
「ふふふふッ。さっきから、ここで働いているんだ。もう大分掘ったよ」そういったのは、同じ東京ビルのコックをしていたドン助こと
「ずいぶんよく働くネ。いつものドン助みたいじゃないや」
「ふン、これは内緒だがナ、この
「泥まみれのパイなんか、僕は好きじゃないんだよ。ねえドン助さん。それよか、もっと重大なことがあるんだ」
「重大? 重大だなんて、心臓の弱いおれを
「うん、それはネ||」と敬二少年は、昨夜この東京ビルの崩壊したことは新聞に書いてあるが、彼がそのすこし前に見た二つの大怪球のことについては、何も記事が出ていないのはなぜだろうと、昨夜の愕くべき光景をくわしくドン助に話をしたのだった。
「ははア、そういうことなら分ったよ。つまりそのグルグル鬼ごっこをする大怪球||どうも大怪球なんて云いにくい言葉だネ、
「特ダネて、そんなに売れるものかい」
「うん、きっと売って見せるよ」そういっているときだった。
「その特ダネ、ワタクシ、貫います。お金、たくさんあげます」と、突然二人のうしろに声がした。
ハッと敬二とドン助が顔をあげてみると、そこには見慣れない若い西洋人の女が立っていた。背はそれほど高くはないが、
「えッ、あなたが買うんですか」
「買います。これだけお金、あげます。ではワタクシ買いましたよ。
そういって、ドン助の手に
「ほほう、二十円||」
「ドン助さん。これ
ドン助は偽せ札と聞いて、天の方にすかしてみたが、やがてかぶりをふって、その一枚を敬二の懐中にねじこんだ。
怪しき黒眼鏡の外国婦人は何者だろう?
蟹寺博士は、この大秘密をうまく解くことができるだろうか。
それに○○獣は、今どこへ隠れてしまったんだろうか。そも○○獣とは何ものだろう。
あの不思議な
それからまた、硬いコンクリートや鉄の柱がはげしい音をたてて消えてゆくビルディングの奇病は、その後どうなったんであろうか。
敬二少年は、思いがけなく十円紙幣が
そうなると敬二は、この十円をどういう具合につかったらいいのだろうかと、また考えこまなければならなかった。
いろいろ考えた末、彼はいいことを考えついた。それはカメラを手に入れることだった。カメラを手に入れるといっても、十円のカメラを買ったのでは、みすぼらしい器械しか手に入らない。それではつまらぬと思ったので、たいへん考えた末、ちかごろ高級カメラとして名のあるライカを借りることにした。ライカを一週間借りて
敬二はすっかり嬉しくなって、
ドン助はどうしたのか、さっぱり姿を見せなかった。
十円儲かったその次の日の朝のことだった。配達された朝刊を見て、敬二は目を丸くして愕いた。
社会面のトップへもって来て、三段ぬきのデカデカ活字で○○獣のことがでていたのである。
||ビル崩壊の謎はこれか? ○○獣を見た東京ビル主任永田純助氏語る||
という標題で、「私は昨夜この眼で不思議なけだもの○○獣を見ました。これは
敬二はそこまで読むと、ドン助の
その日、お昼が近くなったというのに、ドン助が帰ってこないので、足立支配人はプンプンの大プリプリに怒っていた。
「こら給仕お前は永田の
プリプリと足立支配人は怒りながら、向うへいってしまった。日ごろ怒るのが商売の支配人ながら、今日は本当に足の裏から頭のてっぺんまで本当に怒っているらしかった。
「困ったなあ、ドン助のおかげで、僕まで
敬二は、腹だちまぎれに向うへ帰ってゆく支配人の後姿にカメラを向けて、パチリと一枚写真をとった。機関銃でタタタタとやったように。いい気持になった。これで支配人の禿げ頭がキラキラと光っているところがうつってでもいれば、もっと胸がスーッとすくだろうに。
敬二は、壊れた
「あ、あなたです。ワタクシ、よく覚えています||」
物思いにふけっていた敬二は、いきなり黄いろい女の
顔をあげてみると、それは十円紙幣をくれた
「この間は、どうも有難う」と、敬二はお礼をのべた。
「あなた、ひどい人ありますね。なぜ約束、破りました」
「えッ、約束なんて||」
「破りました。ニュースを二十円で、ワタクシ買いました。
「ま、待って下さい。ぼ、僕はなにも知らないのです。
「ドン助? ああ、あの太った人ですね。ドン助どこにいます。ワタクシ会います。彼にきびしく云うことあります。すぐつれて来てください」
「ドン助をですか。わーッ」またドン助だ。ドン助は一体どこに行ってしまったんだろう。敬二はローラというその外国婦人の前を逃げるようにしてすりぬけた。ローラは
でもローラの金切り声はおいかけてくる。
さあ、そうなると逃げるところがなくなった。といって捉ってはどんな目にあうかもしれない。そのとき敬二はいい隠れ場所をみつけた。それは外国人がホテルへついて荷物を大きな荷造りの箱から出したその
そのとき彼は、箱の奥に、なんだかグニャリとするものにつきあたってハッとした。
空き箱の奥のグニャリとするものにつきあたって、敬二少年は心臓がつぶれるほどおどろいた。何だろうと思って目をみはったとき「ごーッ」という音が耳に入った。大きな
「なんだ、こんなところに寝ているんだもの、どこを探したって分る筈がない」空き箱の中に
敬二はドン助をそっと
「ああ、あいてて······」
「やっ、貴様か。貴様はなんというひどい||」
敬二が
「そうか。そいつは弱ったな」
敬二はこれまでの話を、手みじかに話してやった。それを聞いていたドン助は、
「いや、俺が慾ばりすぎて失敗したんだ。でもあの外国の女には第一番に話をしたんだから、あれは二十円の値打はあると思うよ。第二番以後は二円ずつ安くして、ニュースを売ってやったのだ。あれから皆で四、五十円も儲かったよ。だからつい
「へへえ、支配人が俺をとっちめるといってたかい。そいつは困ったな。あいつは柔道四段のゴロツキあがりだから、いま見つかりゃ
「どうも弱った。仕方がない。夜になるまでここに隠れていよう」ドン助はごろりと音をたてて横になった。すると間もなく平和な鼾が聞えてきた。すっかりアルコールの
恐ろしいビルディング崩壊が再び始まったのはその日の午後であった。
あれよあれよと見る間に、例のカリカリカリという怪音をあげて、東京ホテルの裏に立っている大きな自動車のガレージを
敬二少年が外に走りでたときは、もはやガレージの横の壁が、まるで
敬二はいまさらながら、この出来事を眼の前に見て、気味がわるかったが、思いついて、首にかけていたカメラでパチリと写真を一枚とった。露出はわずか千分の一秒という非常な短かい撮影だった。
「やあ、これかい。なるほどなるほど」と突然大きな声がしたので、その方をふりむいてみると、誰がいつの間に知らせたのか、蟹寺博士が来ていた。博士は例の強い近眼鏡を光らせて、崩壊してゆく自動車を熱心にじっと見つめていた。
自動車も消えてしまうと、そこらに集って見物していた人達は、にわかに
カリカリカリカリ。
突然また例の怪音がおこって、人々の耳をうった。
敬二少年が、わずか千分の一秒という短かい露出でもって、○○獣の動いていると思われるところをうまく写真にとったことは、前にいった。少年は、どんな写真が
「おう、三ちゃん、たいへんだたいへんだ」
「な、なんだ。おや敬ちゃんじゃないか。顔いろをかえてどうしたんだ」三ちゃんは
「うん、全くたいへんなんだよ。○○獣の写真をとってきたんだ。すまないが、すぐ現像してくれないか」
「えっ、なんだって、あの○○獣の写真をとってきたんだって。まさかね。あははは」と、三ちゃんは本気にしない。それもそうであろう。誰にも見えない○○獣が写真にうつるわけがないからである。敬二少年は、それからいろいろと説明をして、やっと三ちゃんに
「ああそうだったのか。千分の一秒で······。うむ、これなら或いはなにか見えるかもしれないね。ではすぐ現像してみよう」そういって三ちゃんは、敬二のフィルムをもって、現像室にもぐりこんだ。
それから二、三十分も経ったと思われるころ、三ちゃんは
「おい三ちゃん、どうだったい」
「うん。なんだかしらないけれど、とにかく妙なものがぼんやり出ているようだぜ。いまそれを見せてやるから、待っていなよ」そういって三ちゃんは、水に浮いているフィルムを、そっと水中でひっぱってみせた。
「ほら、ここんところを見てごらん。なんだか白い
フィルムのままでは、白と黒とがあべこべになっているので写真を見つけない敬二にはよく見えなかった。そこで三ちゃんは、水洗をいい加減にして急に乾かすと、それを
「ああっ、これだ。この輪が○○獣なのだ」
それは崩壊してゆくガレージの壁をとった写真だったが、その壊れゆく
敬二少年は、ついに○○獣の撮影に成功したのだった。
この写真をよく見てるうちに、彼はこの事件が起った最初、裏の広場の土をもちあげて、機械水雷のような形をした二つの
○○獣の正体は、やはりこれだったのである。
何だかしらないが、その二つの球塊が、たがいにくるくると廻りあっている。一方が水平に円運動をすると、他の方は垂直に円運動をする。つまり二つの指環を噛みあわせたような恰好の運動になるのであった。それは二つの球が、お互いに運動をたすけあって、いつまでもぐるぐる廻っていることになるのであった。○○獣のおそろしい力も、こうした運動をやっているからこそ、起るのであった。
今では○○獣の姿が、
「まったく不思議な○○獣だ」と、敬二は自分で撮った写真をじっと見つめながら、
○○獣というのは、二つの大きな球塊がぐるぐる廻っているものだということは分ったけれど、さてその大きな球塊は一体どんなものから出来ているのか、また中には何が入っているのかということについては、まだ何にも知れていなかった。そこに実に大きい疑問と
敬二が○○獣の写真をもって、再び東京ホテルの裏口に帰ってきたときには、そこには物見高い群衆が十倍にも
そのとき敬二は、胸をつかれたようにはっと感じた。それは
「ドン助は、どうしたろう。この空箱の中に酔っぱらって眠っていたわけだが······」
彼は急に心配になって、恐ろしいのも忘れて前にとびだした。そして残った空き箱の一つ一つを手あたり次第にひっくりかえしてみたが、たずねるドン助の姿はどこにも見あたらなかった。ぞーッとする不吉な予感が、敬二の背すじに
「おいおい、君は何をしとるのか。こんなところにいると危いじゃないか」
と、蟹寺博士がつかつかと敬二のところへやってきた。
「ああ
「ドン助? はて、そのドン助というのは、誰のことじゃ」
「ドン助というのは、僕の親友ですよ。コックなんです。すっかり
「なに、この空箱のなかに寝ていたというのかね」博士は目をぱちくりして「そしてドン助は見つかったかね」
「だから今も云ったとおり、そのドン助を探しているのですよ。ところがどこにも見つからないんです」
「ふむ、そうか」と博士は腕ぐみをして考えていたが、
「これはひょっとすると、たいへんなことになったかもしれないぞ」
「えッ、たいへんとは何です。早くいって下さい」
「実はな、さっき○○獣が、この空箱の山をカリカリ音をさせて喰いあらしたのじゃ。空箱はつぎからつぎへと下へ崩れおちてくる。そこをカリカリカリと○○獣は喰いつづけたのじゃ。ひょっとすると、そのドン助というのは、そのときこの○○獣に喰われてしまったかもしれないよ」
「ええっ、ドン助が○○獣に喰べられてしまいましたか」
それを聞くと、敬二は頭がぼーっとしてきた。人もあろうに、ドン助が○○獣に喰われてしまうなんて、なんということだろう。ドン助は喰われてしまって、どうなったであろうか。
「
「さあ、そこがどうも分らんので、いま研究中なのじゃ」
敬二は思いついて、博士に○○獣の写真を出してみせた。こいつは博士を興奮させたこと、非常なものであった。
「おお、これじゃ、これじゃ。
「○○獣を生擒にするんですか」
敬二は
二人が○○獣の生擒の話で夢中になっているとき、二人の傍には、いつ何処から現れたかしらないが、例の黒眼鏡の
「おーい! 消防隊」
蟹寺博士は、すこぶる興奮のありさまで、向うに陣をしいている消防隊の方へ駈けだした。そして隊長らしいのをつかまえて、しきりに手真似入りで話をやっているのが見えた。すると消防隊は、にわかに
「一体なにが始まるのかしら」敬二はそれが知りたくて
蟹寺博士は、地面に図を描いて、消防隊長に説明をしていた。
「いいかね。このとおりやってくれたまえ」
「ずいぶん大きな穴ですね。もっと人数を
と、隊長の一人がいった。
「要ると思うのなら、すぐ手配をして集めてきたまえ。○○獣の
蟹寺博士は気が気でないという風に、消防隊を
その甲斐があってか、まもなく東京ホテルを中心として、その周囲に深い穴がいくつとなく掘られていった。
「
「おう、敬二君か。これは
「へえ、陥穽ですか。なるほど、ホテルの周囲にうんと穴を掘って置けば、どの穴かに○○獣が墜落するというわけなんですね」
「そのとおりそのとおり」
「
「うん、まあ見ていたまえ。
そのうちに穴はどんどん掘りさげられていった。千五百人の人が働いて、五十六の大穴が掘れた。もうあとは、○○獣が外へ出てきて、
「おお、あそこから○○獣が出てきたっ!」敬二が突然大きな声で叫んで、ホテルの南側の窓下を
敬二の指した方を、大勢の人々は見てはっとした。
今やホテルの南側の窓下が、がりがりごりごりと盛んに
「うわーッ、あれが○○獣だ」
「危いぞ。
見物人は顔色をかえて、後へ
勇敢なのは、蟹寺博士だった。
博士はその前に、前かがみになって、じっと見つめている。
そのとき、敬二少年はドン助の行方が気になるので、しきりにそのあたりを探しまわってたが、何処を探してみてもいない。博士はドン助が
「もし、
と、黒眼鏡の外国婦人に声をかけた。
すると、かの外国婦人は、怒ったような顔を敬二の方に向けると、
「あなた、分りませんか。この木屑の中に、あなたの友達の身体が粉々になってありますのです。おお、
「すると、ドン助は○○獣に殺されて、身体はこの木屑と一緒に粉々になっているというのですか。本当ですか、それは||」
「本当です。わたくし、あなたたちのように嘘つきません」
「僕だって嘘なんかつきやしない」
と、敬二少年は腹を立ててみたが、とにかくもしそれが本当だとすると、この外国婦人は親切なひとだと思われる。
「貴女は一体どういう身分の方なんですか」
と、敬二は彼女に聞きたいと思っていたことを
「わたくしはメアリー・クリスという英国人です。タイムスという新聞社の特派員です。この○○獣の事件なかなか面白い、わたくし、本国へ通信をどんどん送っています。いや本国だけではない、世界中へ送っています」
「ははあ、女流新聞記者なのですか」
敬二は始めて
そのとき、大勢の群衆がうわーっと
「
と、蟹寺博士は群衆を一生懸命に制しているが、なかなか
「さあ、セメントを入れろ!」
消防隊員は
「どうしたんです」
と、敬二が見物人に聞くと、
「いや、とうとう○○獣が穴の中に
「えっ、○○獣が······」
敬二が
セメントはどんどん、穴の中に注がれた。
敬二は心配になって、蟹寺博士のそばに駈けだしていった。
「
「おお敬二君か。本当だとも」
「穴の中へセメントを入れてどうするんですか」
「これか。これはつまり、○○獣をセメントで
「なるほど||」
敬二には、始めて合点がついた。○○獣はもともと二つの大きな球が、たいへん速いスピードでぐるぐると廻っているものだった。そのままでは人間の眼にも
しかしそのとき
すると博士は、眼鏡の奥から目玉をぎょろりと光らせて云った。
「なあに大丈夫だとも。今穴の中に流し込んでいるセメントは、普通のセメントではないのだ。永くとも一時間あれば、すっかり硬くなってしまうセメントなんだよ。そのセメントのなかで○○獣は暴れているから、
なるほどそういうものかと敬二は、また感心した。
「そんなセメントがあるのは知らなかった。これも博士の発明品なのですか」
「そうじゃない。この
あっそうか。むし歯のセメントのことなら、敬二もよく知っていた。じゃあ○○獣は、そろそろセメント詰めになる頃だぞ。
「ほほ、敬二君。いよいよ○○獣がセメントの中に動かなくなったらしいぞ。見えるだろう。さっきまで穴の中から白い煙のようなセメントの粉が立ちのぼっていたのが、今はもう見えなくなったから」
「えっ、いよいよ○○獣が捕虜になったんですか」
博士の云うとおり、○○獣の落ちた穴の中からは、最前までゆうゆうと立ち
博士は穴の方へ飛びだしていった。
「おおい、皆こっちへ集ってくれ。○○獣を掘りだすんだ」
さあ、いよいよ問題の○○獣を掘り出すことになった。消防隊はシャベルや
がんがんどすんどすんと、○○獣の
やがて掘りだされたのは、背の高い
「うむ、うまくいった。この中に○○獣がいるんだ。よかったよかった」
と蟹寺博士はもみ手をしながら、そのまわりをぐるぐると歩きまわる。
警備の隊員も見物人も、ざわざわとざわめいたが、折角の○○獣も、セメントの壁に
「
「うん、分っているよ、敬二君。こいつは用心をして扱わないと、飛んだことになるのだ。まあ
蟹寺博士は、セメント詰めの○○獣をトラックの上に積ませた。そしてそのトラックは騒ぎを後に、東京ホテルの広場から走りだした。その
やがてこのセメント詰めの○○獣は、帝都大学の構内に
蟹寺博士は先頭に立って、
「ああ、見えるぞ」
博士は叫んだ。蛍光板の中にぼんやりと二つの丸い球が見えだした。
後からついてきた人たちも、それっというので眼を
「どうもこの
鋸引きの音が、ごりごりいっている間に、敬二は博士のそばへいって声をかけた。
「
「うん。これは○○獣の運動ぶりから
「これは駄目だ。中々動きそうもない」
「そんなに強いかね。じゃあ、もっと皆さんこっちへ来て手を貸して下さい」
更に人数を
「しめた。もっと力を出して。そら、えんやえんや」
うんと力を合わせて引張ったので、セメント柱はごろごろと台の上から下に転がり落ちた。
あっと思ったが、もう遅かった、ぐわーん、どどーんと大きな音とともに真白な煙が室内に立ちのぼった。
人々の悲鳴、壁や天井の崩れる音。思いがけないたいへんな
敬二少年も、この大爆発のために、しばらくは気を失っていた。
しかし不思議なことに、○○獣の姿はどこにも見当らなかった。
なぜ大爆発が起ったのやら、なぜ○○獣がいなくなったのやら、そこに居合わせた誰にもさっぱり解らなかったけれど、ずっと後に、やはりあのとき重傷を負った蟹寺博士が病院のベッドの上で
「儂の失敗じゃ。○○獣を切り離したのがよくなかった。○○獣が互いに傍にいる間に、お互いの引力で小さくなっているんだが、あれを両方に離してしまうと、引力がなくなってしまうから、それで急に大きく
博士はベッドの中で大きな