拝啓、愚弟におんことづけの儀承り候。来月分新小説に、凡兆が、(涼しさや朝草門に荷ひ込む)趣の、やさしき御催しこれあり、小生にも一鎌
まづ、何処をさして申上げ候べき。われら此の森の伏屋、小川の芦、海は申すまでも候はず、岩端、松蔭、朝顔、夕顔、蛍、六代御前の塚は凄く涼しく、玄武寺の竜胆は幽に涼しく、南瓜の露はをかしげに涼しく、魚屋の盤台の鱸は······実は余りお
なかにも、尊く身にしみて膚寒きまで心涼しく候は、当田越村久野谷なる、岩殿寺のあたりに候。土地の人はたゞ岩殿と申して、石段高く青葉によづる山の上に、観世音の御堂こそあり候。
早や遠音ながら、声冴えて、谺に響く夏鶯の、山の其方を見候へば、雲うつくしき葉がくれに、御堂の屋根の拝まれ候。
鎌倉街道よりはわきへそれ、通りすがりの打見には、橿原の山の端にかくれ、人通りしげき葉山の路とは、方位異なり、多くの人は此の景勝の霊地を知らず、小生も久しく不心得にて過ぎ申候。
尤も、海に参り候、新宿なる小松原の中よりも、遠見に其の屋根は見え候を、後に心づき候へども、旗も鳥居もあるにこそ、小やかなる茅屋とて、たゞ山の上の一軒家とのみ、あだに見過ごされ申すべく、況して海水帽あひ望み、白脛、紅織るが如くに候をや、道心御承知の如き小生すら、時々富士の雪の頂さへ真正面に見落して、浴衣に眼を奪はれ候。
東鑑の十三に、
当春、はじめて詣で候折は、石段も土にうづもれて、苔に躓くばかりあゆみなやみ候が、志すものありて、近頃は見事に修復出来申候。
麓の里道、其石段まで、爪さきあがりの二町ばかりがほど、背戸の花、屋根の草相交り、茄子の夕日、胡瓜の風、清き流颯と走りて、処々水の隅に、柄長き柄杓を添へたるも、なか/\の風情に候。此処を蛍の名所と申すを、露草の裏すくばかり、目のあたりにうかべながら、未だ怠りて参り見ず。
夜は然こそと存じ候。
折りからと申し、御

あはれ、妙音海潮音の海の色もこゝに澄み、ふりあふぐ山懐に、一叢しげれるみどりの草の、蛍の光も宿すべく、濡色見えて暗きなかに、山の端分くる月かとばかり、大輪の百合唯一つ真白きが、はつと揺らぎて薫りしは、此の寂さに拍手の、峰にや響き候ひけん。
御堂の院の扉をすく、御俤もよそならず。雲か、あらず。煙か、あらず。美しき緑と紅と黄と白と紫と、五色の絹糸、朱塗の柱に堆き、天井の絵の花の中を、細くたなびき候は、御手の糸と称ふるよし、御像の御袖にかけましくも綾にかしこく候ひき。
具一切功徳 慈眼視衆生
福寿海無量 是故応頂礼
福寿海無量 是故応頂礼
かくて、霧たたば、月ささば、とおのづから衣紋の直され候。
時に松吹く風ばかり、方丈に人もあらず、狭筵の片隅に、梅花心易のさし置かれ候を、愚弟のそぞろ手に取りて、開き見んといたし候まゝ、よしなく
さきにはむすびて手を洗ひし、青薄茂きが中の、山の井の水を汲みて、釣瓶を百合の葉にそゝぎ、これせめてものぬれ事師。
山の井に棹さす百合の雫かな
やがて下山いたし候へば、麓の流に棲むものの、露も水も珍しからぬを、花の雫をなつかしむや、沢蟹さら/\と芦を分けて、三つ四つならず道ばたに出迎へ候。愚弟は萩の細杖に、其の百合の花持添へて、風情なる哉、さゝがにのと、狩衣めかし候を、此方はさすがに年上なれば、蟹
蛍にはまだ暮れ果てず、立帰り候が、いかに逗子の風の、そよとも御あたりにかよひ候はば、お昼寝におつかひ下され度候。