俺かい。俺は
昔しお万の
覆した油を
甞アめて了つた太郎どんの犬さ。其俺の身の上
咄しが聞きたいと。四つ足の俺に咄して聞かせるやうな履歴があるもんか。だが、人間の小説家さまが俺の来歴を聞くやうでは先生余程窮したと見えるね。よし/\一番大気

を吐かうかな。
俺は
爰から十町離れた
乞丐横町の裏屋の路次の奥の
塵溜の
傍で生れたのだ。俺の
母犬は俺を生むと間もなく
暗黒の晩に
道路で寝惚けた巡行巡査に足を踏まれたので、
喫驚して
ワンと吠えたら狂犬だと云つて殺されて了つたさうだ。自分の
過失を棚へ上げて狂犬呼ばゝりは怪しからぬ
咄だ。
加之も大切な
生命を軽卒に
奪るとは飛んでもない万物の霊だ。人間の威張臭る此
娑婆では泣く子と地頭で仕方が無いが、天国に生れたなら一つ
対手取つて訴訟を
提起してやる覚悟だ。
生れて二タ月目位だな。悪戯な
頑童どのに頸へ縄をくゝし附けられて病院の原に引摺られ、
散三責められた上に古井戸の中へ投込まれやうとした処を今の旦那に救けられたのだ。
乳も碌に飲まない中に
母犬には別れ、宿なしの親なしで随分苦労もしたが、今の旦那には勿躰ないほどお世話になつて、
恰と応挙の描いた
狗児のやうだと仰しやつて大変可愛がられたもんだ。坊様も嬢様も無類の犬煩悩で入らつしやるから、爰の邸へ引取られてからは俺も飛んだ
幸福者で、今年で八年、
終に一度
餓じい目どころか、
両に
四升の鬼の牙のやうなお米を頂戴してゐた。憚りながら未だ南京米を口に入れた事の無いお
兄いさんだ。
俺の血統かい。俺は
尋常の
地犬サ。
雑りツけない純粋の
日本犬だ。耳の垂れた尻尾を下げた
瞳の碧い毛唐の犬がやつて来てから、地犬々々と俺の同類を
白痴にするが、憚りながら神州の
倭魂を伝へた純粋のお犬様だ。西洋臭い顔をした
雑種犬とは、ヘン、
種が違います。
元来俺の解らないのは無暗やたらに西洋犬を珍重する奴サ。一つ気
序でに話して聞かせやう。犬の先祖は狼だといふが、之は間違で、「ドール」といふ山犬の一種だ。今でも英領印度の西境のミドナボールからシヤマルの間に棲んでゐる。世界の文明が悉く印度から来たやうに犬も矢張印度を母国として四方に蕃殖したのだ。尤も
埃及では猫と同じやうに犬を尊んで川の神と祀つて、恰度ナイルの氾濫時分にシリヤス星が見えるので、此星を
犬星と
名けて犬を星の精だといつたものださうな。アツシリヤでも早くから犬を珍重して今の「マスチツフ」だの「グレイハウンド」だのといふ奴が
在たさうだが、
爾んな事は
扨ておき、我々は印度の「ドール」から進化したのだといふが学者の一致した説である。狼や「ジヤカル」から発達したといふのは嘘だよ。我々同類を
誣ゆるものだよ。
処で、此「ドール」といふ奴は
痛く人間を嫌つて決して影を見せないさうだが、敏捷活溌で頗る猟が上手である。豹のやうな木に登るものや象のやうな図抜けて大きな
身幹のものゝ外は何でも捕る。虎でさへが「ドール」に会つては
辟易する。無論一疋と一疋とでは虎には及ばないが、「ドール」君は常に大隊を率ゐて一斉襲撃するから大抵な猛虎は忽ち殺されて了ふ。中々
慓悍決死の大将軍である。
少と味噌を上げるやうだが、先づ猛獣狩の功者と云つたら「ドール」先生だらう。天晴武勇の振舞は我々犬族の先祖たるに耻ぢずと云ふべしだ。
さて犬族一統の中で、此「ドール」君の
風
を最も能く伝へてゐるは我々日本犬だよ。耳から尻尾の具合、
面貌までが頗る
肖ておる。殊に勇武絶倫、猛獣を物ともせざる勇敢の気象が丸出しである。恐らく「ドール」君正統の嫡流だと信じますナ。独り日本犬ばかりでない、日本犬に似てゐる者は悉く
勁勇無双である。
西蔵犬、「エスキモー」
犬、
西比利亜犬、我々の兄弟分は
何れも力が強く勇気があつて
したゝかな豪傑である。
唯だ
何れも未開の国で
野法図に育つたお
庇に歴史に功蹟を遺すだけに進歩しなかつたが其性質の
勝れて怜悧で勇気のあるのは学者に認められておる。「エスキモー」犬が雪中
橇車を牽いて数日の道を行つても少しも疲労しない事や、西比利亜犬が
旅人を護衛して狼や其他の猛獣を追散らす勇気は実に素晴らしいもんだ。西比利亜では犬を「エンヌ」といふさうで
語音が
稍や似通つておる。或は日本犬と同種族であるまいかといふ説があるさうだが、如何さま
宛もありさうな事だ
哩。
それから我々は何しろ二千五百年の歴史ある国に生まれたのだからエスキモーや西比利亜の
徒輩と違つて立派な来歴がある。桓武天皇九代の皇胤と列べ立てゝは
緞帳の台詞染みて
笑止しくないが、御歴代の天皇様から御鐘愛を蒙むつて恐れ多くも
九重に
咫尺し奉つた
例は君達も忠君無二の日本人だから御存じだらう。勿論
翁丸のやうな悪戯をして君の
勅勘を蒙むつた者もあるが、我々は先づ君の御寵愛を
忝ふした方だ。歴史で一番
評判の
愛犬家は北条高時どのだ
子。高時殿は大不忠者のやうに歴史で
散三に悪く云はれておるがお気の毒だよ。藤原氏以来朝敵の数が殖えてるが、畢竟政権与奪の争ひをして不利益の位置に立つたものが朝敵呼ばゝりをされたので、此神州に生れて誰か天子様に
抵抗ふ不届者があるもんか。
元来政治を
行るに天子様を
挿んで為やうといふは日本人の不心得で、
昔日から時の政府に反対するものを直ぐ朝敵にして了うが、今でも忠君を自分達の専売にしたやうな気になつて無暗と反対者を不忠呼ばはりする者があるが悪い癖だ。
己が勝手に尊皇愛国を狭く解釈して濫りに不敬呼ばはりするは恐れ多くも皇室の
稜威を減ずる
憚ある次第だ。誠に飛んでもない咄で、一番気の毒な目にあつて大悪党の帳本と誤解されたのは北条氏だよ。高時殿はどうせ家を滅ぼす奴だから
難有い人物ではなからうけれど、一族二百人枕を並べて自殺した最期は心あるものの涙を
濺ぐ種だ。楠殿が高時の
酒九
献肴九
種を用ゆるを聞いて
驕奢の甚だしいのを慨嘆したといふは、失敬ながら田舎侍の野暮な
過言だ
子。天下の執権ともある者が酒九献肴九種ぐらゐ気張つたツて驕奢の沙汰でもあるまいと、俺は思ふナ。
這般な事をいふと例の大忠臣党が直ぐ犬畜生の言草だなんぞと云ひさうだが、人間様の仰しやる事が兎角御都合主義だから無慾な犬畜生の
言草が却て道理に
合つてる。
······ホイ、話が
迂闊り横道へ
外れた。這般な議論は


でも可いが、処で此高時殿が大の闘犬好きで其お庇で我々は大分進歩した。闘鶏、闘犬、闘牛の類を
惣て野蛮だといつて悪くいふ者もあるが、人間様に
角觝がある間は這般な事を云はれまいと思ふよ。尤も禽獣の
角闘は血を流すからといふが、血を流すのは俺達の勝手で、勝負といふ味は人間様の相撲も俺達の仲間の角闘も変つた事は無い。相撲が筋肉の発育を奨励する間接の原因となると同様に闘犬は俺達の身躰を非常に強壮にし且つ勇猛な気象を養ふやうにした。それから高時殿と一対の
愛犬家は五代将軍綱吉公だナ。
犬公方と
下々の
仇口に呼ばれた位だから無法に我々同類に
御憐愍を給はつたものだ。公の
生類御憐愍を悪くいふ奴があるが、
畢竟今の
欧羅巴で
喧ましくいふ動物保護で人道の大義に
協つてるものだ。手段は
少と極端過ぎたかも知れんが目的は中々立派なものだ。我々は
左に
右く御恩を荷つた身分だから今でも忝く思つてる。綱吉公は我々の為にはヱス
基督だ
子。此頃のやうな恐水病が恐ろしいからツて濫りに不幸な
浪人犬を撲殺し、
歴気とした御主人様でさへが、能く職分を守つて吠える者は直ぐ狂犬だと
誣ひて殺して了う時勢では公の恩沢は今更のやうに渇仰するよ。
現に俺の
母親などは
寃の
咎で殺された。之が綱吉公の御代なら直ぐ
敵を取つて貰へたのだ。
我々日本犬は高時殿以降屡々角闘を奨励され、早くから
田猟にも用ひられたから他の野蛮国の産とは違つて、躰格も立派なら性質も怜悧で、殊に勇気があつて力
勝れ、喧嘩と
狩猟に極めて名人である。人種の気象は風土と相伴ふさうだが、我々犬族も多分
爾うらしいのは日本人と日本犬と何から何までが能く似ておる。唯だ日本人の躰格は世界中或る
黒奴を除きて最も下等であるが、日本犬の躰格は世界各国の犬と比較して中等以上どころか寧ろ上等に位しておる。我々犬の方が遥に人間様の君達よりは優等躰格なんだ。余り
白痴にして貰うまいよ。
然るに君、黒船以来毛唐の種が段々内地雑居を初めてから、人間様の
間でも
眼色の変つた奴が幅を利かしたが、俺達犬社会では毛唐
種に
暴らされてイヤモウ散三な目に遇つた。尤も毛唐種には勝れて立派な上等な奴がある。俺も頗る感服しておる。「マスチツフ」の躰格の立派なのや、「ブルドツク」の剛情で馬鹿力のあるのや、「アルパイン、スパニヱル」の大慈悲心に富んでるのは大和魂の俺達も殆んど
我を折つておる。だが、解らない事が一つある。人間様の中では
雑種児が小さくなつてるが、犬の中では
雑種までが西洋振りやがつて威張散らす。俺が朋輩の
家禽や
牛馬の
夥伴では、日本産でも純粋種は
大切にして雑種は
賤んでおるさうだ。
夫が
当然の筈だのに、犬だけは雑種までが毛唐臭い顔付をしてけつかるは怪しからん咄だ。君達人間様が平生愛国者振るくせに我々
大和犬族の優等なるを忘れて外国種の下等な性質を
遺伝いだ雑種犬を珍重するとは何事だ。欧羅巴かぶれも爰に到つて殆んど沙汰の限りだ
子。言語道断である。
純粋外国
種だつて
必と俺達より勝れてるわけでは無い。「テリヤー」や「ターンスピツト」や「プードル」のやうな奴は何所が好いんだか俺達には解らぬ。マルタ
犬は一名を獅子犬と呼ばれてゐるが名ばかり立派で
からもう弱虫な
怯な奴だ。
墨西哥犬は君達の
掌面に載るやうな可愛らしい奴だが、俺達は何でも大きいのが好きだから小さい方で世界第一なんぞは余り下らんナ。夫から日本にも来てゐるが、
矮狗位な大きさで頭の毛が長く幾
条となく
前額に垂れて目を
覆してゐる「スカイ、テリヤー」といふ奴、
彼奴はどうも
汚臭くて、人間なら貧乏書生染みて
不可んな。「ハウンド」族でも
英吉利の「グレイハウンド」や
露西亜「ハウンド」は躰格も立派で中々見栄がするが、
伊太利「ハウンド」と来たら
翫弄犬と言はれるだけに脊の高さが一尺、重さが唯ツた一貫目
||「ハウンド」で
厶るが凄まじいお笑草だ
子。犬も国に
伴れるもんで、伊太利のやうな美術国だから
那様な細つこい
繊麗な翫弄犬を生じたのだらう。且つ俺のやうな四つ足の分際では
些と生意気な言分だが、伊太利も
豈夫にウヰダやロンブロゾが舌を吐いて論ずるほど疲弊してもおるまいが、細つこい瘠せ身代でゐながら些と海軍力のあるのを鼻に掛けて東洋の猟場に
チヨツ掻を出し
中原の
大豚の
分配を取らうと小癪な
所為をする所は、矢張伊太利「ハウンド」の気ばかり強くて随分足も達者だが忽ち疲れて
ベタ/\に閉口して了う具合と似てゐるやうだよ。俺達は
夫れと
反つて今まで自分の力量に気が附かず、雑種犬にまで白痴にされて段々田舎へ引込んで、
支那の犬にさへ尻尾を下げて恐れ入つたもんだ。之からは
最う負けるものか。鎌倉以来の負けじ魂を奮つて「マスチツフ」でも「ブルドツク」でもさア来い。
対手になつて見せる。
なに、大層威張ると?
······威張るとも、我々大和犬族は敢て毛唐種に譲らない力量勇気があるから
子。元来君達からして甚だ不心得だ。といふは自分達は失敬ながら世界を知らないで蚊の
臑のやうな痩腕を叩いて日本主義の国粋主義のと
慷慨振る癖に、純粋日本種の
加之も神州の産たるを辱かしめざる勇猛活溌なる我々を地犬々々と軽蔑しおる。怪しからぬ
撞着な咄だ。
何だい、素晴らしい大気

だと。そりやあ大気

も吐かうさ。平生君達の我々日本犬に対する待遇が頗る不満足だからね。しかし近頃それがしの宮殿下が我々の
夥伴を召されて浅からぬ御寵愛を忝ふするは我々の世の中に出る機運が熟したんだね。君達も
平凡小説や平凡議論を書く暇があるなら日本人冥加に「猟之友」にでも
日本犬主義を
少と皷吹し給へ。そこへ行くと感心なは俺の旦那だ。暫らく洋行して世界で有名な犬を能く御承知で、「ポインター」や「セツター」は勿論日本人の余り知らない「シトリーパー」や「ラーチヤー」種の猟犬をお飼ひになつたが、
爾ういふ犬社会に通じた方が矢張日本種は中々好いと仰しやつて俺を
頭に都合三疋
御扶持を給はつてゐる。君達は碌に犬を知りもしない癖に我々を地犬々々と軽蔑するが、憚りながら旦那のお邸では是でも日本犬様だよ。
俺の旦那は此位
豪い方だから
家内の方が揃つて
悉皆豪いや。別して感心なのは嬢様だ
子。齢は十九の厄年で名は
妙子と仰しやる。君達に見せたいほどな好い
御容貌だ。なに、
既う知つてゐる? 中々油断のならない狼連だ。旦那や
夫人が御心配なさるのも無理は無い。併し嬢様は滅法お
怜悧だから
子、君達のやうな間抜に喰はれる筈はないワ。第一、何処へかお出掛けになる時は
毎でも俺がお伴を
仰付かるから
子、君達が指でもさせば直ぐ
ワンと
喰付く。
麺包の一
片や二片呉れたからつて容赦は無いよ。人間様の方は賄賂が効くさうだが、俺達の方ぢやア
迚も駄目だよ。握飯で騙されるやうな
半間な犬が
此節がら有るものか。
嬢様のお美くしいのは番町名代のもので学校でも一番だ。
街路の人が、若い者は勿論爺さん媼さんまでが
顧盻つて見る。
随行の俺までが鼻が高いんだ。殊に旦那と一緒に暫らく欧羅巴に
在らしつたから、毛唐の言葉も達者で
黄鳥のやうな声で
ベラ/\お咄しなさる。其上に
音楽がお上手で、ピアノとかは
専門家に負けないお
伎倆ださうだ。毎朝御飯前と
午後、学校からお帰りになると
必と
練習ひなさるが、俺達のやうな解らないものが聞いてさへ面白いから、何時でも其時刻を計つて西洋間の窓の下に
恍惚と聞惚れてゐる。庭の木立を洩れる音を塀越しに聞いて
茫然と
佇立る人も大分あるさうだ。
愈々来年は御卒業になつて
二十歳の花盛りだから、何れ何処へか御縁附きになるのだが、何がさて御容貌は番町随一、恐らく東京随一だらうといふ評判で、諸芸に達しおられて無類の
御発明だから、昔しなら女御更衣といふ御身分だ。それだから表立つて親御へ申込まれる華族、豪商、権門の方を始め、何かに
托つけて邸へ出入りする当世風の若紳士、隙があれば喰はふといふ君達狼連まで、有るは/\、自称候補者の面々が無慮一万人ばかりだね。
夫人は御心配になつて眼の廻るほどな忙がしい目をなすつて申込人の身分財産性質等の内幕を一々詮議遊ばす。其掛りの書生を三人新たにお抱へになつた位だ。だが、旦那は西洋で育つた方だけに飛んだ気が
捌けて在らつしやる。結婚は一生の大事だから身分身代の詮議は二の次である。当人さへ承知なら位置も身分も無い君達のやうな貧乏書生にでも呉れてやると仰しやる
······ これさ、爾う喜んでは困る。君達では迚も御当人の嬢様がお気に入らんからね、
先ア糠喜びも大抵にして
断念めなさい。
西洋でいふ自由結婚ナ。旦那は口では仰しやらないが此自由結婚をお許しになるのだ。邸へ出入りする若紳士が旦那への用は附けたりで、御用が済むと直ぐ嬢様の御機嫌を伺ふ。近ごろ
斯ういふ小説が出ましたと云つて新刊書を持つて来る。斯ういふ女の雑誌が出ましたと毎号郵便で送る。斯ういふ琴の
新物が出来ましたと歌や譜を持込む。斯ういふ化粧品を
新きに輸入しましたと
態々買つて来る。今度は何処そこに音楽会がありますと上等の切符を持つて来る。中には
金子のある奴は此頃は斯ういふ品が
流行りますと貴重な贅沢品を高い銭を出して買つて来るのもある。
最つと馬鹿な奴はカーボンやプラチナ板に撮した自分の写真を
恭やしく送つて来る奴もある。イヤハヤお咄しにならんが、旦那は
這般な
連中を
寛大に見て在らツしやるんだ。
一番繁く出入して当人
慥に
聟君登第の
栄を得る
意で
己惚れてゐるのが、大学の学士で某省の高等官とかを勤める
華尾高楠、
仝じく留学生候補の学士ださうで今は或る私立学校の哲学と歴史の講師をしてゐる
御園草四郎、自称青年政事家で某新聞のパリ/\[「パリ/\」に傍点]記者とかいふ
大洞福弥、批評も小説も新躰詩も何でも
巧者で某新聞に文芸欄を担任する
荒尾角也、
耶蘇教の坊さんだとかいふアーメン臭い
神野霜兵衛、京都の公卿伯爵の
公達鍋小路行平||斯ういふ人達だよ、
各/\
自惚れて嬢様へは勿論、旦那や
夫人の御機嫌を伺つて十分及第する気でゐるのが
笑止しいよ。嬢様は御発明で在らツしやるから
子、這般な
ワイ/\がお気に召す筈が無いサ。
旦那も仰しやつた。自由結婚は好いには違ひないが、日本のやうな国では社会の習慣が許さんから謹慎な人は婦人と交際するのを遠慮する。又武士道徳の名残で気骨のある男子は婦人に
親まんのを主義とする。斯ういふ国柄では婦人に近づくのは
極優柔な意気地無し
歟、でなくば世間を憚らない突飛な無分別者である。
畢竟自由結婚をさせたくても
婦人の交際する範囲には立派な理想の男子が入つて来ないから困ると、常/\仰せられた。
其通りだよ。嬢様の
撰択に預からうといふ野心満々たる面々は何れも愚劣極まつた鼻持ならぬ連中だ
子。君達も及ばぬ恋の滝登りに首尾よく及第しやうといふ
僥倖党だから
断念の
為め話して聞かせやう。
一番高慢ちきで忌味なのは法学士華尾高楠だ
子。講義筆記を
メカに暗誦して
漸と卒業証書を握つたのを鬼の首でも取つたやうに喜んで、得意が
鼻頭に
揺下つてる。何ぞといふと赤門の学士会のと同類の力を頼りにして威張たがる。
田舎漢に限ツて国自慢をすると同じやうなもんだ。俺達の方では大学の学士を
雑種犬と名づけてる。西洋臭い高慢な顔をしておるが、実は神経が鈍くて力が弱くて体質が下等で毛並が揃はないでキヤン/\吠えるより
外能が無いからだ。近頃君達の仲間で法科大学の落第生問題が
喧しいさうだ
子。今のやうな
メカに暗誦させる流義では云はゞ
鸚鵡石を覚えるやうなもんで何の役にも立たない。試験法の不完全は解り切つておるが、落第生の多いのは
此為ぢやアあるまい。俺には解らないが、旦那のお咄では大学の学士で一番信用の出来ないのは法学士と文学士ださうだ。天下の学問の府と云はれる処の卒業生でありながら一番学問に不忠実なのが法学士ださうだ。華尾高楠先生なんかも法律万能を鼻に掛けて法律智識の有無を人物の標準と心得ておるが、高が五六十頁か
其辺の筆記物の二十冊や三十冊や呑込んだ処で大人物とは恐入つたもんだ
子。斯ういふ先生方だから外国語さへ碌に出来ず、肝心専門の法律学さへ大抵はお忘れ遊ばしたやうだ。此頃は何をしてゐるかといふと役所で局長様の鼻毛を数へ奉つた
帰途は俺の邸へ来て
夫人から嬢様の御機嫌伺ひだ。
此奴まだ卑怯な事は、俺の旦那が薩長の
大頭と御懇意なのを承知して、首尾よく嬢様を
掌中に丸め込んで旦那のお引立に預からうといふ野心があるのだ。一度門閥の味を
試めた奴は電信でないと世の中が渡れないと見えて、学校のお
庇で不相当の位置を作つたものは再び女房のお庇に
縋つて位置を高めやうとする。華尾先生も
此お仲間で身分のある家から女房を
娶つて其縁に頼つて
敢果ない出世をしやうといふのが生涯の大望だ。斯ういふ奴は
女房大明神と崇め奉つて奴隷となるを甘んじてゐるのだから、邸の嬢様のやうな温和しい美しいのでは勿躰ない、剛情で我儘で浮気で
嫉妬で其上に少々抜けてる
醜面を当てがつて懲らしてやるが好いのさ。嬢様は御発明だからチヤンと見抜いて在らツしやる。何時ぞやも俺が傍で聞いてゐたら、奴め得意になつて同僚の評判から局長の噂、来年は海外視察に行く運動も首尾よく
成効さうだと自慢たら/\。所が嬢様は抜からぬ顔をして、先あ爾んな事は好い加減にして少と学問でもなさい、今の中役所を辞して
責めて博士論文でも書いて見たら
如何です、と斯う仰しやつた。先生頗るギヤフンと参つた
子。なに、博士ぐらゐなら何時でもなれます、拙者は海外を実地踏査して行政上の意見を
当路者に呈出しやうと思つたですが、嬢様のお
思召なら明日にも官を辞して博士論文を書きませうと。先生之からは
鉄面に
ノコ/\やつて来ても、博士論文は如何ですと聞かれると、ハイ大に研究する考で目下材料を集め中ですと
コソ/\と帰る。イヤハヤ豪い学士君だよ。
此咄を洩聞いて
雀躍したは御園草四郎君だ。此男も大学出身の学士で今は大学院で研究してゐる。当人の咄では官費留学生の候補者ださうだ。生涯を学問に貢献しやうといふ先生が嬢様のお気に入らうと
頭髪を
仏蘭西風とかに刈つて香水を
塗りつけコスメチツクで髯を堅め金縁目鏡に金指環で
妙ウ容子振つた
態は堪らない
子。当世の学者
気質で真理よりは金と女が大切だと見えて美くしい嬢様と嫁入支度に持参金を一度に握らうといふ下心なんだ。処で
左も
右くも学士は
二人切だから他の候補者を
下目に見て暗に華尾君と競争してゐた。で、
窃に自分の己惚了簡で学問好きの嬢様は華尾のやうな俗吏がお気に召す筈が無いと
定めてゐた処へ華尾が博士論文の催促で責められると聞いたから、先生大恐悦で大願成就した気になつて、或る日嬢様に向つて私も愈/\
来春は博士論文を呈出しますと仕たり顔に云ふと、オヤ
先あ
貴君も御用学者になるの、博士と云ふと大層らしいが三年経つと
三歳といふ
比喩もありますから
子、
独乙では犬も博士の肩書がありますと嬢様は手厳しく仰しやつた。(オイ君、独乙では犬も博士になつてるとサ、余り馬鹿にして貰ふまいぜ)。同じ事なら外国文で書いて欧羅巴の学者社会と議論を闘はせたら如何です、
高が日本の博士になつたゞけでは折角図書館から書抜いたお骨折が無駄になりませう、オヽ笑止、博士論文よりは恋の
千話文、
妾のやうな
拗者を
コロリと云はせるやうに出来たら余程お手柄やと
散三に冷かされて
有繋の大哲学者も頭を抱へて閉口したやうだよ。それから一ト月余になるが
羅甸語と
希臘語とを
陳べた難かしい手紙が来たゞけで顔を見せないから、嬢様
漸と安心して先ず是で十九の厄を免れてノウ/\した。
自惚れると妙な理窟がつくもんで、新聞記者の大洞福弥君、二学士の落第を聞いて鼻を
揺めかした
子。
有繋に妙子様頗る見識がある。学士の虚名を見破つた処は素晴らしいもんだ。何にしても権力推移の時代で
徐/\我々の天下となる。目腐れ高等官が何だ。大学の腐れ学士が何だ。と先生意気揚々として早速凱旋将軍のやうな気でゐた。で、
例の調子で現今政海の模様を滔々と説いて今にも内閣が代れば自分達が大臣になるやうな
洞喝を盛んに吹立てた。なにしろ大洞福弥の洞喝と来たら名代のものだから
子。
毎週「タイムス」と「
評論之評論」とで世界を呑込むといふ悪口があるが、左に右く外国雑誌を読むといふ人は
猶だ感心だよ。大洞と来たら外国語が碌に出来ぬさうだ。
渠奴の長処は妙に記憶が好いので日本の新聞雑誌を読んで外国通を
極込むのだ。
元来日本人は西洋の事情に暗い
子。俺が毛唐の犬を知つてるほどに中々行かんさうだ。だから新聞の外国種が余程怪しいもんだ。
畢竟大洞のやうな先生が
虚誕の
共喰をしてゐるので人名地名の発音の間違どころか飛んでもない見当違ひを一向御頓着なく見て来たやうな虚誕を書く。昔しは講釈師が見て来たやうな虚誕を云ふといつたもんだが、今では新聞記者が其株を奪つてゐる。大洞が名を売出したのは人物評ださうだが、渠奴の人物評ぐらゐ虚誕で固め上げたものは無いさうだ。第一、有りもしない無名の豪傑を作つて自分の書いたものを其無名の豪傑が書いたやうに思はせて、
加之も此無名の豪傑は
薩の元老であらうの
長の先輩であらうの或は在野の
領袖某であらうの甚しきは前将軍であらうのと、飛んでもない臆測説を自分で書て世間を
欺騙した腕前は中々凄いもんだといふ咄だ。借金も少しだと困るが身分不相当に沢山になると却つて借金のお蔭で生命が
維げるやうなもんで、虚誕も
少とだと躓くが此位
甲羅を
経ると世渡りが出来ると見える
子。処で
俺の旦那がお世辞半分に新聞記者の天職を
壮んなりと褒めて娘も新聞記者に
嫁る
意だと
戯謔面に
煽動てたから、先生
グツト乗気になつて早や
聟君に
成済したやうな気で毎日
入浸つてゐる。そこは
厚皮だから「政治的婦人」だの「政治家の妻」だのという論文を自分の新聞に載せて、嬢様の
許へ送つて来る。之には嬢様も閉口なすつたやうだ。
対手が
名代の
千枚張だから大抵な三十
珊では中々貧乏揺ぎもしない困り物だ。斯ういふ奴には
罷り間違へば江戸の仇を長崎で討たれるやうな目に遇ふから何でも寄らず触らずが無事で好いと、嬢様も
夫人も気味を悪るがつて、大洞先生が大気

を始めると何時でも音楽や小説の咄に紛らしてお了ひなさる。先生少しも御承知ないから、
麼も此頃の小説は千篇一律で詰りませんナ、女郎文学で
厶る、心中文学で厶ると欺騙して引退るだけだ。
小説家の文学者先生、荒尾角也
此咄を聞くと大喜びで、何が
扨て文学大好きの嬢様なれば文壇にたづさはる自分は必定御覚え目出たかるべしと早合点した。先生自作の小説を特に別仕立に装釘して恭やしく嬢様の御批評を仰ぎ奉ると出掛けた。すると恰も何かの雑誌に此小説の悪評が載つたのを嬢様はお人が悪いから素知らぬ顔して見せた。批評家ツてものは口が悪いの
子、
貴方の作を浅薄だの
軽浮だのと失敬だワ。
妾は貴方の小説が一番好きよ、肩が張らなくツて
読心が好いツと。嬢様は荒尾君の大傑作を
袍と間違へて
在らツしやると見える。それでも荒尾先生、
御感を忝ふしたと心得て感涙に
咽んで、今度は又堪らないものを作つた。何でも恋愛咄で暗に自分と嬢様の関係に擬したものださうだ。
加之も其著作した
理由因縁を仄めかして持つて来たから嬢様も呆れてお了ひなすつた。
夫人も余り途方もないのに呆れ返つて馬鹿に附ける薬は無いと陰で仰しやつたとも当人知らずに其後是非とも御批評を願ひますと色好い返事を催促する
意で手紙をよこした。ナア君、君等の方にも
斯ういふ
白痴があるか
子。
此奴は小説家でも屑の方だらう
子。嬢様も好い加減に思切らせないと
這般いふ奴が
瘋癲になるのだと思召して、其次来た時に
断然と、世間が煩さう厶いますから当分お尋ねはお断り申します、其中お互に身が
定りましたら改めて御交際を願ひませうと。荒尾先生、青菜に塩で
すご/\と帰つたが、俺も其後姿を見送つた時は可哀相になつたよ。ソラ何とかいふ雑誌に見えた「失恋の歌」
||あの新躰詩は此時作つたのださうだ。それでも何処までもお目出度いか解らないのは其新躰詩を矢張送つて来たよ。万一の
御憐愍を願ふ意なんだらう。小説家といふものは斯うも未練なもんか
子。俺の方では一度
取損なつた
餌は二度と
顧盻かんもんだ。イヤハヤ犬にだも
如かずといふべしだ。
一番みじめで気の毒なは耶蘇の牧師の神野霜兵衛さんだ。此人は
衣装も
粧らず
外見も飾らず
極朴実律義で、
存魂嬢様に思込んでゐたが
少とも
媚諛ふ容子を見せなかつた。それだから嬢様も此の人ばかりには真面目に
交際つて少しもお
調戯ひなさらなかつたが、困つた事には好人物といふだけで、学問才幹共に時代遅れだ。十五世紀十六世紀頃なら相当な人物であつたかも知れないが、
X光線や無線電信の行はれる二十世紀には到底向かない男だ。併し
有繋に牧師さんだ
子。自分の恋が成就しないのを知つても更に人を怨まないで、只一図に嬢様の幸福を祈つてゐる。
夫人も嬢様もこの人だけには安心して交際つて在らツしやるが、素振にも出さない心根を察して見ると気の毒になる。或る雑誌にをり/\述懐めいた随筆が出るが、いつぞや嬢様は読んで涙を
覆して
在らしツたつけ。何でも才
拙なく学浅くして
貌さへ醜くき男が万づに勝れて賢き美はしき乙女に
焦れて
迚も協はざる恋路にやつるゝ憐れさを
嘆つたものださうな。いつでも嬢様を尋ねるときは
面に喜びの色輝やきて晴/\としてゐるが、
其皮一重下に
秘るゝ苦痛は如何ばかりぞと思ふと実に同情する
子。嬢様も此人の
真摯な偽りのない
真情には余程動かされて同情の涙をお
濺ぎなすつたらしいが、実に
御道理だ。俺も外の奴には恐い顔をして随分
啖付きさうな素振をして嚇かしたが、此正直な神野霜兵衛さんには何時でも
尻尾を掉つて愛想をしたから、一度は
麺包のお土産を頂戴したことがあつた。霜兵衛さんだけは感心な
豪い
仁だ。自分の真情は既に嬢様に献げたから、自分は生涯妻を娶らず、永く
独身で清く送つて嬢様の安寧幸福を神に祈ると云つておるさうだ。
先ア
斯ういふ心懸の人は珍らしい
子、俺は愛の何のといふ理窟は知らないが、人間様の男女の関係を見ると俺たち犬の同類と更に違はないのだ。唯だ法律といふ難かしい定規があつて
拠ろなく親子兄弟姉妹
相姦せずにゐるが、
何アに犬や猫と五十歩百歩だ。何とかいふ人の
発句とかに「羨まし思切る時猫の恋」といふのがあるさうだ。それ見ろ、猫や犬の方がまだ
健気な処がある。此牧師さんも内心は
猶だ怪しいが、
左も
右く
外見だけは立派だ。無暗に豪傑振つて女を軽蔑したがるくせに高が
売女の一
顰一笑に喜憂して鼻の下を伸ばす先生方は、
何方かといふと却て女の
翫弄物だ
子。女に
翫弄にされて女を翫弄にした気でゐるのが俺達には余程浅ましく見える。
如何だい大将
||女殺しを鼻の
頭に
揺下げる先生、一本参つたらう。
伯爵鍋小路行平は正に
斯ういふ浅ましい連中の一人だ
子。御堂関白の孫大納言
公時から二十一世の
裔で
前の権中納言
時鐘の子が即ち今の伯爵鍋小路
黒澄卿である。行平君は
其嫡男ださうで、幼名を
阿古屋丸と申上げたさうだ。之はいつぞや行平君が自慢らしく家系を嬢様に物語られたのを傍で聞いてゐたのだ。行平君は二十二三かナ。猶だ勉強盛りなのを中途で学校をやめて、(いゝや落第したのださうだ)、
平凡文学者の
煽動に乗せられて自分は文学のパトロンとなるなどと高言しおらるゝさうだ。何しろ学問は
打棄つて西鶴が
麼したの
其碩が

麼したの紅葉は
豪いの
漣は感心だのと頻りに肩を入れられるさうナ。それも真面目なら貴族の道楽として
芸妓を買うより
勝しだらうが、矢張浮気で妄想の恋愛小説を書いて見たいが山だから誠に困つたもんだ。処で二度か三度、今話した小説家の荒尾角也と一緒に嬢様を尋ねたら、一と目見てお誂へ通り
恋風が
ジワ/\と身に染込んだ。
元来荒尾が鍋小路どのを
伴れて来たのは自分の理想の女神を見せびらかすつもりであつたのが、行平どの忽ち
恍惚として天にあらば比翼の鳥、地にあらば連理の枝と歌ひたくなつた。で、恋なればこそ
止ん
事なき身を屈して
平生の恩顧を思ふて
夫の美くしき姫を麿に
周旋せいと荒尾先生に仰せられた。荒尾先生ほとほと閉口した。
有繋に
渠女は約束の妻とも云ひかねて当座のがれの安請合をしたが其後間もなく御当人が第一に失恋を歌ふやうになつてからはプイと
何所へか隠れて了つた。行平どのは根が公卿育ちの芋の煮えたも御存じなきノホヽンだから今度は御自身毎日車に召して深草の
百夜通ひも物かはと中々な御熱心であつた。何しろ身分は伯爵の
公達である。色白の上品なノツペリとした
御容貌に加へて香水やらコスメチツクやら
白粉やら有る程のおつくりをして、お
扮装は羽二重づくめに金の時計、金の鎖、金の指環、まだ其上に
腕車やら自転車やらお馬やらお馬車やら折々は
故と手軽に甲斐々々しい洋服出立のお
歩行で何から何まで一生懸命に
憂身を
扮された。人間様の恋路の
笑止しいのは鍋小路どので初めて承知して毎日顔を見る度に俺は
腹筋が
揉れた
哩。尤も尊い御身分の方だから、お平の
長芋などゝ悪口が出さうだが、
左に
右くお美くしい、お奇麗な若殿様だ。それに学問こそお出来にならぬさうだが、小説類は何でも読んで
在らツしやる。小説に関する御議論も中々あるらしいやうだ。荒尾君の作などは
毎でも
骨灰に
軽蔑される、お邸の書斎には
沙翁を初めヂツケンスやサツカレイの全集が飾つてあるさうな。たしか
独乙文はお読めなさらぬ筈だがゲーテやシルレルの全集もあるさうな。イプセンもハウプトマンも流行のニーチヱもあるさうな。何か知らぬが
猶だ/\金ピカ/\の本が大きな西洋書棚に一杯あるさうで、大抵な者は見たばかりで
烟に巻かれるさうだ。其上に自転車と写真とは大の御自慢で自転車競争会や写真品評会の賛成員となつて居らるゝ。左に右く文明紳士として耻しからぬお方だ。併し色が
生白けて眉毛が
チヨロけて眼尻が垂れ、
少と失礼の云分だが
倭文庫の挿絵の
槃特に何処か
肖てゐた。第一
忌な眼付をして
生緩い
吻を
利かれると
慄つと身震が出る。矢張佐渡の
惚薬の
効能で幅を利かせる方だから之で邸の嬢様を落さうと云ふは飛んでもない心得違ひだ。併し町人と違つて其処が大名育ちだから
強ち
金子で張らうといふ
鄙しい考は無いやうだが、イヤモウ一生懸命に
精々と進物を運び込む。俺が覚えてるだけでも真珠を
七箇箝めた
領留針、無線
七宝の
宝玉匣、仏蘭西製の象牙骨の扇子、何とかといふ名高い
絵工の書いた十二ヶ月美人とかの
帖、
何れも
其辺の
勧工場で買へない
高料い品を月に一遍位は
必と持つて来た
子。其間には香水だとか
石鹸だとか白粉だとか舶来の上等品は能く持つて来たよ。余り貰ひ過ぎるので
夫人も嬢様も心配なすつたが、呉れるものを断るわけにも行かず、断はつたとて持つて呉れば無下に返すわけにも行かず、仕方がなしに美術会で名高い美術家の彫刻した銀製の
紙莨入れを買つて御返礼に差上げた。すると鍋小路の若殿
恰で結納の品でも貰つたやうに有頂天になつて其紙莨入れを
片時も離さず到る処に番町随一の美人から貰つたと吹聴して廻つたさうだ。
偶然と此咄が嬢様のお耳に入つたから、嬢様は
吃驚遊ばして飛んでもない事をしたと後悔をなすつた。何でも之は出来ない相談をして
足留の
工風をするに
如かずとお考へ遊ばして、無暗に呉れるが道楽の若殿だから一つ無心をしてやらうと思召し、今更に
長良の橋の
鉋屑、
井手の
蛙の干したのも珍らしくないからと、行平殿のござつた時、モウシ若様、
妾の
従来見た事の無いのは
業平朝臣の歌枕、
松風村雨の
汐汲桶、ヘマムシ入道の
袈裟法衣、
小豆大納言の
小倉の色紙、河童の抜いた尻子珠、狸が秘蔵の腹鼓、どれか一つ見せて下さいと嬢様が甘たれると、行平殿は頭を撫でつゝ麿が家には矢大臣左大臣どのの歌集の外には何も無いが一つ同族を聞き合して見やうと、此事が
協はないと恋路の綱が切れるやうに心配して帰つた。それからは
パツタリ来なくなつて了つたが、何か詫状のやうな手紙をよこしたさうな。若様だけに
可憐らしい
愛度気ない処があるよ。
我こそと
己惚の鼻を
撼めかして煩さく嬢様の
許へやつて来たのは
斯ういふ連中だ
子。どれも之も及第しさうもない若殿原だ。旦那の仰しやる通り日本のやうな
猶だ男女七歳にして席を同ふせざる封建道徳の遺習が
牢乎として抜くべからざる国で、若い女の許へ臆面もなくノコ/\サイ/\やつて来るは
どうせ軽薄な小才子か、女の御用を勤めて嬉しがる腰抜の
無気力漢だ。
偶/\律儀
真方の人なら神野霜兵衛さんのやうな世間に
技倆の無い
好人物だ
子。
真摯な思慮のある人間が誰が女の許へ来るもんかナ。邸の嬢様は立派な御発明な方だから男に呑まれるやうな事は無い。
斯様な若殿原に茶にされて
堪るもんかい。第一、俺が
属いてゐる。俺が中々承知が出来ねエや。
嬢様は毎日俺の頭を撫でゝ、「太郎や
妾は一生お
前と離れないよ、お前の好きな処へお前を
伴れてお嫁に行くから
子、お前の好きな人が来たら妾の
袂を
啣へて其人の
傍へ伴れて行くのだよ、」と仰しやる。憚りながら嬢様の
聟君を択ぶ権は俺にあるんだ。
えツ、何だと
||
麼な聟君をお世話するかと。
······はツはツはツ、余程心配になつて来たナ。大丈夫安心しろ、君達のやうなノラクラ者を御世話する
気遣は無いからナ。到底君達は嬢様のやうな立派な申分の無い淑女の配偶たる権利が無いんだから
子。
寧そ諦めて人物相応に
其辺の下宿屋か牛肉屋の女でも捜し給へ。なに、失敬極まると。
甘く仰しやる、内々心当りがあるくせに
空惚けてゐる
子。はツはツ、大分
勃然になつて顔を赤くするナ。そんなら俺が気に入つて嬢様に
周旋たうといふ資格を話して聞かせやうか。
何でも無いサ。
先づ
日本犬を大切にしろ。第一、俺を大切にしろ。之から
少とロース肉の一片づつも時々持つて来い。人を射んと欲する者は先づ馬を射よといふ事がある。人間様のくせに君達余程知恵が無いよ。
それから俺は小説家が嫌ひだ。小説家といふ奴は
己が
小な眼玉に写る世間を見て
生悟りした厄介者だ。
売卜者身の上を知らずといふが、人の運命ばかり世話を焼いて自分の鼻のツイ鼻のさきの事が解らんのは天下に売卜者と小説家だらう。売卜者は此頃では大道に幕を張つて手紙証文の代筆を兼業してゐるが、小説家も追々と
斯うなるんだらう。何とかいふ豪い大小説家が自作の末に代作の広告をしてゐたさうだが、
徐/\其変遷の兆が見えるらしいやうだノ。
それから俺は学者が嫌ひだ。無学者は頭から何にも知らないと云つてるから無邪気で罪が軽いやうだ。学者は何でも知つたやうに天地間の事を呑込んでゐるから
子。学問の進歩が極点に達した時なら知らず、何も彼も多くは疑問として存して
唯の理窟の
言現はし方を少し
宛違へた位で総て研究に属してゐる今日では学者と無学者とは相去る事
幾何も無い。然るに学者は世界の知識を独り
背負つて立つたやうな気になつて、
恰と巡査が人民に説諭すると同じ
口吻を以て無学者に臨んでゐる。此位暴慢無礼な沙汰はない。殊に科学者は
扠ておき哲学者といふ奴は多くは先哲の蓄音器である。少し毛色が違つたかと思つて能く/\聞くと妄想組織が脳に生じたのを白状してゐる
態だ。今の学者は例へば
競売屋だ
子。君達も知つてるだらうが近頃縁日夜店に出てゐる大道競売屋、あれだよ。
口上で
欺騙かして
廉く仕入れた
いかさまものをドシ/\売附けて了うのだ。手軽に考へた
いかさま学説を
強に社会へ押売にするのは、
豪い
大伎倆で。
茲が学者の学者たる
価値かも知れんが、俺は何だか虫が好かんのだ。
政治家かい。之は俺の一番の禁物だ。今の社会は隅から隅まで腐敗してゐるが、云ふ
内何が一番腐敗してゐるだらうと云つたら政治家と宗教家だ
子。此二つは殆んどお咄しにならん
子。イヤハヤ殆んど言語道断だ、四つ足の俺達より凡そ二三段下つてるよ。嬢様の聟君どころか、
最う既に社会に落第して居るのだが、
忌がられやうが棄てられやうが
一向係はず平気の平左で
面の皮を厚くして居るのが恐ろしい。政治家と宗教家の評判は口を酸ツぱくするだけが馬鹿気切つておる。
教育家かい。之が亦驚いたもんだよ。
麼だい、四ツ目屋の事件は?
之が何れも教育界の学者様だから、あとは万事推して知るべきである。ベツベツ
············ 実業家、官吏、軍人、新聞記者、何れも落第者だ
子。役者、芸人、美術家、どうも虫が好かんよ。俺の
窃に望んで待つてゐるのは猟師だよ。どうか素晴らしい猟師を見立てゝ嬢様にお世話申して、新婚旅行のお
伴供をして中央亜細亜から亜弗利加あたりへ猛獣狩りに行きたいのだ。動物界の王と威張つておる獅子や虎や象や犀や鷲や蛇を
対手に戦つて
日本犬の鍛へ上げた
伎倆を見せたいのだ。なアに俺達日本犬の手際を知らんで威張くさる獅子や鷲がどれほどの力があるもんか。惜しい事をしたナ、向ふ
河岸のクルーゲルの伯父さん、
最う少し
しつかりして貰ひたかつた。だがよ、
此方の勧進元のセシル、ローヅも豪かつたナ。斯ういふ
キビ/\した
腕節の野郎に
一寸いと口を掛けて見たいのだ
············ えツ、何だ? 俺達は

麼しても落第かと?。
煩さいナ、念には及ばんよ。君達のやうなヒヨロヒヨロした、
高が
腸の無い江戸ツ子を理想とするやうな
爾んな
芥子粒のやうな根性の
無気力漢と俺の美くしい
御発明な男勝りの嬢様とは提灯に釣鐘だ。及ばぬ恋の無駄な
業を

すよりは、妄想を
デツチ上げた恋愛小説でも作つて、
破鍋にトヂ蓋の下宿屋の
炊婦でも
覘つたら
可からう。はツはツ、顔を赤くするナ。怒る
勿。怒る勿。
其様な
小な根性だから
迚も恋は
協はねヱ。之から
些と
肝玉を練る修行に時々吠えてやるかナ。なに、
桀の
狗尭に吠ゆだと
||此奴生意気を
吐かす、俺を桀の
狗だとは失敬極まる
||、
此奴め、ワンワン/\/\