改造社の
古木鉄太郎君の言ふには、「短歌は将来の文芸からとり残されるかどうか?」に
就き、僕にも何か言へとのことである。僕は作歌上の
素人たる故、再三古木君に
断つたところ、素人なればこそ尋ねに来たと言ふ、即ちやむを得ずペンを
執り、原稿用紙に向つて見るに、とり残されさうな気もして来れば、とり残されぬらしい気もして来る。
まづ明治大正の
間のやうに偉い歌よみが
沢山ゐれば、とり残したくともとり残されぬであらう。そこで将来も偉い詩人が生まれ、その詩人の感情を
盛るのに短歌の形式を用ふるとすれば、やはりとり残されぬのに
相違ない。するととり残されるかとり残されぬかを決するものは
未だ生まれざる大詩人が短歌の形式を用ふるかどうかである。
偉い詩人が生まれるかどうかは誰も判然とは保証出来ぬ。しかしその又偉い詩人が短歌の形式を用ふるかどうかは幾分か
見当のつかぬこともない。
尤も僕等が何かの
拍子に
四つ
這ひになつて見たいやうに、
未だ生まれざる大詩人も何かの
拍子に短歌の形式を用ふる気もちになるかも知れぬ。しかしそれは例外とし、まづ一般に短歌の形式が将来の詩人の感情を
盛るに足るかどうかは考へられぬ筈である。
然るに元来短歌なるものは格別他の抒情詩と変りはない。変りのあるのは三十一文字に限られてゐる形式ばかりである。若し三十一文字と云ふ形式に限られてゐる為に、その又形式に
纏綿した或短歌的情調の為に盛ることは出来ぬと云ふならば、それは明治大正の
間の歌よみの仕事を無視したものであらう。たとへば
斎藤氏や
北原氏の歌は前人の少しも盛らなかつた感情を盛つてゐる筈である。しかし更に
懐疑的になれば、明治大正の
間の歌よみの短歌も或は
猪口でシロツプを
嘗めてゐると言はれるかも知れぬ。かう云ふ問題になつて来ると、
素人の僕には見当がつかない。唯僕に言はせれば、たとへば斎藤氏や北原氏の短歌に或は
猪口でシロツプを
嘗めてゐるものがあるとしても、その又猪口の中のシロツプも愛するに足ると思ふだけである。
尤も物
盛なれば必ず衰ふるは天命なれば、余り明治大正の間に偉い歌よみが出過ぎた為にそれ等の人人の
耄碌したり死んでしまつたりした
後の短歌は月並みになつてしまふかも知れぬ。それを将来の文芸からとり残されると云ふ意味に解釈すれば、或はとり残されると云ふ意味に解釈すれば、或はとり残されることもあるであらう。これは前にも書いたやうに作歌上の
素人談義たるのみならず、
古木君を前にして書いたもの故、読者も余り
当てにせずに一読過されんことを希望してゐる。(十五・五・二十四・
鵠沼にて)