一
今日より改まりまして雑誌が出版になりますので、社中かわる/″\
持前のお話をお
聴に入れますが、
私だけは相変らず人情の余りお長く続きません、三冊
或は五冊ぐらいでお解りになりまする、まだ新聞に出ませんお話をお聴に入れます。これは明治四年から六年まで、三ケ年の間お話が続きます、実地あったお話でございます。さて俗語に苦は楽の種、楽しみ
極まって憂いありと申しますが、苦労をなすったお方でなければ只今、お楽になって入らっしゃるものはございません。大臣参議と
雖も皆戦争の
巷をくゞり抜け、大砲の
弾丸にも
運好く
中らず、今では堂々たる
御方にお成り遊ばして入らっしゃるのでございますがまだ
開けません時分、
亜米利加という処は
何ういう処か、
仏蘭西はどんな国だか分らない
中に洋行をなさいまして、
然うしてまた何うも船の機械も只今ほど
宜く分っても居りませんでしたのに、危険を
凌ぎ、
風波を
冒して大洋を渡りなど遊ばして苦心をなすったから、只今では
仮令お役所へお出で遊ばさないでも、年金を沢山お取り遊ばすというのも、その苦労をなさいましたお徳でございます、だから余り楽をしようと思うと、
却って是が苦しみになりますことで、
私などは毎日喋って居りますから、ちと楽を
為ようと思って、一日喋らずに居たら何うだろうというと、これが苦労の初まりで、一日黙って居るくらい苦しみはありません。何もそんなに黙って居るにも及びませんが、退屈でなりませんから、これは堪らぬ、ちとそろ/\表を歩いたら楽に成るだろうというと、これが苦しみの初まりで、
最う
寝足になって居りますから歩くと
股がすくんでまいり、歩行が
叶いませんから、そこらの車へ乗って
家へ行ったら楽だろうと思って、車へ乗ると腰が痛くなって堪らないから、
仰向に寝たらば楽になるかと思うと、
疝気が痛くなったりしていけませんから、廊下へ出て
躍ったら
宜かろうというように、実に人は苦の初めを楽しむと云って、苦労の初めばかり楽しみますことを考えますものでございます。「
瓶に
す花見ても知れおしなべてめづるは
捨る初めなりけり」という歌の心は、
詠めは誠にどうも
総々とした此の牡丹は何うだい、
宜いねえ水を上げたところは、と珍らしがって居りますが、長く
活けて置けばばら/\と落ちて来ますから、あゝ
穢ない
打棄ってしまえと、今度は
大山蓮華の白いのを活けこの花の
工合はまた無いと云ってゝも、末になると黄色くなってぱら/\落ちますから捨てゝ、今度は秋草が
宜いと云った所が、此れもそう
何時迄も保ちは致しません、
直に
萎れてしまいますから
換るというように、世の中の事は此の通りでございます。マア何でも苦労をなさらんければいかんということで。これは
松平肥後様の御家来で、若い
中にさん/″\道楽を致し、青森県の方にお出でがありまして、ちょうど函館の戦争に出逢って
危い処を
免れ、よう/\の事で世界が鎮まってから横浜へ出てまいり、外国人と取引を致し、図らざる処の幸福を得ました処から、まだ東京は開けません時分故、
洋物店を
神田美土代町へ開きましたが、大層繁昌致しました。此のお方は苦労人の果ゆえ、
仮令芸人を扱っても、芸者を相手にしても、向うの気に入るような事ばかり云います。
今日は
身装の
拵えがくすんでも居ず
華美でも無い様子、ちょっと適当の
装に拵え、旧九月四日の事でございましたが、
南部の
藍の
万筋の下へ、
琉球の変り
飛白の
下著、まだ其の頃は余り
兵児帯は締めません時分だから、
茶献上の帯を締め、
象牙へ四君子の
彫ってある
烟管筒が
流行ったもので、
烟草入れは
黒桟に金の時代の
宜い金物を打ち、少し色は赤過ぎるが、珊瑚の六分半もある
緒締で、表付ののめりの駒下駄、
海虎の耳付の
帽子が其の頃流行ったものゆえ、これを
冠り上野の広小路を通り掛ると、
大茂の
家から出て来ましたのは、其の頃
数寄屋町にいた
清元三八という
幇間でございますが、幇間にも
種々有りまして、
野幇間もあれば吉原の
大幇間もあります、町の
幇間でも
一寸品の
宜いのもあれば、がら/\致して、
突然人の
処へ
飛込[#ルビの「とびこ」は底本では「とじこ」]んで硝子戸へ
衝突かり、障子を
打毀すなどという乱暴なのもありますが、この三八は誠に人の
善い親切な男で、
真実に世話をするので人に可愛がられますけれども、芸は余り宜くは有りません。
四入青梅の小さい紋の付きました羽織を着て、茶献上の帯を締め、ずか/\と
飛出て来て、
三橋の角で出会いました。
旦「おい師匠々々」
三「これは旦那
·········何方へ」
旦「
此処で君に
遇おうとは思いきやだ」
三「
先達ては誠に有難う、あの時旦那がお帰りになったのを知らないで、
御酒を戴き過して、気を許して寝てしまい、お帰りになった
後で目が覚めて驚きましたが、二度目にお目にかゝった時、寝たの寝の字もおっしゃらないなぞてえのは、実に
貴方のような苦労をなすったお方は
沢山無えって、蔭でのろけて居りますんで」
旦「君に
惚られちゃア有難てえフヽヽ」
三「からかっちゃアいけませんが、何方へ入らっしゃいました、此の間お
宅へお寄り申そうと思いまして参ると、番頭さんが何とか云いましたっけ、
治平[#ルビの「じへい」は底本では「じへん」]さんかえ、武骨真面目なお方で、

とお店に坐っている様子てえものは、実に山が
押出したような姿で、何となく気がつまりましたから、裏口から這入ってお
内儀さんにお目通りを致しましたが、坊ちゃんは大層大きくお
成んなさいましたな」
旦「
彼は坊じゃない嬢だよ」
三「へえお嬢さんでげすか、そう仰しゃれば何処かお優しい品の
宜いところが有りましたよ」
旦「何うも君は押付けたような事をいうのが面白い
······君に出会ってこのまゝ別れるのは
戦争の法には
無えようだから、
何だえ何処かでお
飯を
喰べてえが付合わねえか」
三「これは恐れ入りやすな、
私の腹の
空った顔が貴方にちゃんと解るなんてえのは驚きやしたなア、何うか頂戴致したいもので」
旦「君何処へ往ったのだえ」
三「なに少し大茂へちょいと」
旦「周旋かえ」
三「いえ
然うじゃア無いんですが、方々へ
種々な会がありますと、ビラなんぞを
誂えられてるんでげすが、
御飯を召上るてえなら是非此処じゃア
松源さんでげしょう」
旦「松源てえば
彼処で五六
度呼んだ
小しめだのおいとだのと云う
好い芸者の
中で、年若の何とか云ったッけ、
美代ちゃんかえ」
三「えゝ美代ちゃん、へえ
美代吉」
旦「
彼は好い
娘だね、品が有って実にお嬢さん然として居るね」
三「成程
彼は旦那のお気に入りましょうよ、旦那は
種々な真似をなすって諸方で
食散かして居らっしゃるから、
却ってあんなうぶなお嬢さん筋で無くちゃアいけますまい、彼は
極温順くって宜うございますから、お
浮れなすっちゃアどうです」
旦「君は
直に
然う
取持口をいうから困るよ、
併し色気は
余所にして何となく何うも
己は
彼が
慕わしいね」
三「美代ちゃんも然ういって居ますよ、美代ちゃんも旦那の事ばかり蔭で褒めてまして、あんな
好い旦那は無い、あの旦那に会うと何となく心嬉しいてッてます」
旦「なにお
幇間を云っちゃアいけない、あれは抱えか又娘分かえ」
三「あれは娘分なんでげすが、
彼処の
婆ほど運の
好い奴はありません、無闇に金ばかり溜めて高利を取って貸すんでげすが、二
月縛りで一割の礼金で貸しやアがって、
彼の位の者は
沢山ア有りませんね、それが何うもあゝいう奴は
娘を抱えると、
直に美代ちゃんのお
母が死んでしまうと、
往き所の
無えのを
幸にずる/\べったりに娘に
為ちまッたんでげすが、あんな運の
好い人はありやせん」
旦「何か
情夫でも有るのかえ」
三「なにそんな者はありません、只
温順しい一方で、
本当にまだ色気の味も知らない位でげす、
付合で
何処かへ
往けなんてえと御免なさい、お
母さんに叱られると云っている位なんで」
旦「何うかして
彼の
娘を呼出す工夫をして居るんだが、お
母に取入ってお母と付合になっちまってから、其の
後彼の娘をお貸しな、
上手へ
往くとか、一晩
泊で多摩川の鮎漁へ往こうと云っても、若い
者じゃア婆さんも油断はしめえが、
此方は最う四十の坂を越えて居るから安心するだろう」
三「貴方上手なんぞへ連れてって何うなさるんで」
旦「いやさ、彼の娘を連れてッて、
情夫がある種を知って居るから
両人しっぽり会わして
遣ろうッてんだが何うだえ」
三「こりゃア恐れ入りやしたね、何うもこれは出来ない
業でげすな、ちょいと
玉を付けて、祝儀を遣った其の上で、
情夫に会わして遣るなんてえ事は中々出来る
事ちゃア有りやせん、
間夫が有るなら添わして遣りたいてえ七段目の浄瑠璃じゃアねえが、美代ちゃんに然う云ったらどんなに悦ぶか知れやアしませんよ、旦那のことだから
往渡り宜く
家へ往って然う云ったら、美代ちゃんの
母親さんも
何んなにか悦びましょう、
併し彼の
婆は何うも慾が
深えたッてなんて、
彼んなのも
沢山はありません、慾の国から慾を
開きに来て、慾の学校が出来たら
直に教員に
為るてえ位な慾張で、あの
肥ってるのは慾が肉と筋の間へからんで、慾肥りてえのは
彼から初まったでげす
······じゃア美代ちゃんの家へ入らっしゃいまし」
と三八が先に立ち数寄屋町へ這入り、又細い横町へ曲り、
旦「
此方へ曲るのかえ」
三「
此方へ入らっしゃい
······えゝ此処で、
有松屋という
提灯の吊してある処で」
旦「
法華宗なのかえ」
三「何でも金にさえなれば
摩利支天様でもお
祖師様でも拝むんで、それだから神様の
紋散しが付いて居るんで
······母親さん
今日は、お留守でげすか
······美代ちゃん今日は」
婆「あい誰だえ、
安どんかえ」
三「あれが
婆の慾から出る声でげすが、
酷いもんで
······えゝ三八でげすよ」
婆「いやだよ何だねえ、ずっとお這入りな表からお客様振ってさ」
三「御免なせえまし、ヘヽヽ今日は
······」
婆「此の間はあれっきり来ないもんだから、わたしは本当に困ったよ、皆さんから
後で話が有って
·········これからは持って一々来て見せなくちゃア困るじゃアねえか」
三「ところが
梅素さんの処へ
往くと、びらが一ぺえ来てえるので、待って書いて貰いましたんで、大きに遅くなったんでげすが、その代り美代ちゃんはちゃんと
中軸にして、そこらは抜目無くして置いた事は、後で御覧なすっても解りますが、時に今ね母親さん美土代町の
奧州屋の旦那がね、ほんとに
粋な苦労人で、美代ちゃんを呼んで
度々お座敷も重なると、
家で案じるといけないから、ちょいとお母さんにあかして
仲好に成りてえと仰しゃるから、お連れ申して来ましたんで」
婆「あれまア何うもまア表に居らっしゃるの
······何うぞ
此方へお上り遊ばして下さい、まことに思い掛けない事で、何うぞ
此方へ
······師匠
此方へ案内してお上げ申しておくれよ」
三「ヘヽヽ
此方へお上んなさいまし」
旦「はい御免
······お母さんお初にお目にかゝります、毎度美代ちゃんを呼んで世話を焼かしますが、何うぞ心安く
······」
婆「まア何うも宜く入らっしゃいました、毎度また
彼を
御贔屓に遊ばして有難う存じます、宜くまア
此様な狭い汚ない所へ入らっしゃいました、何時も蔭でおうわさばかり致して居ますの、何うかして一度お目にかゝって置きたいと思いまして、師匠にも然う申しましたら、その内に案内をしようと云ってくれましたが、またお
楽みの処へ出ましてもお邪魔だろうからと存じて控えて居ましたが、毎度御贔屓様になりまして有難う存じます、あんな結構な
袂持や
合切袋や金の指環など見たこともない物を下すって、あれがお湯などに
箝めて参りますから、そんな結構な物を箝めてお湯に這入るのじゃア無いよ、金より其の上に善い物は無いからと云いましても、今の若い者は開化とか何とかいう事を知って居りまして、人のいう事をば
些とも聞かないで矢張箝めてお湯に這入りましたりして、ぞんざいに致しまして、何うも
持ざっぺいが悪くて仕方がございません、お客様が折角のお志で下すった物を、粗末にしたり落しちゃア済まないよ、お志を無にするからと申しましても、あの通り
頑是がございませんから、何時までも子供のようでございまして仕方が有りませんが、何うぞお見捨なく何時までも御贔屓を願います、此の間もあなた遅く帰って来まして、お母さんお案じでないよ、奧州屋の旦那様が
外に
何んな無理なお客が有っても、十二時を打ったらずん/\帰れと云って下すったが、そんなお客様は無いてッて何時も旦那様のお噂ばかり申して居りますので」
三「
何しろ美代ちゃんをちょいと」
婆「今お湯から帰って、ちょいと二階で
身化粧をして居ますよ」
旦「それは丁度
好い所だった
······師匠お母さんに其のオイお土産を
·········」
三「左様で
·········母親さんには是だけ
······女中は
慥か
両人でしたねえ
······これは旦那から」
婆「まア何うも有難う存じます、
何ぞ旦那様へ宜しくお礼を仰しゃって下さいまし
······旦那これからは何うぞ
何方へ往らっしゃいまして、御膳を上りましても詰らない御散財でございますから、美代吉の所へ
往って惣菜で安く食べて
往こうと云うようにお
心易く、ちょい/\入らっしゃッて下さいまし、然うすると
此方でも誠に気が置けませんで宜しゅうございますから、これを御縁として何うかちょい/\入らしって下さいまし
·········お前方
皆な
此方へ来てお礼を申しな」
下「誠にどうも有難う存じます」
旦「いや何うもお礼では痛み入ります」
三「お
母さん何か
一寸お
飯物を色取りして何うか
······」
婆「はい
畏りました
······ちょいとあの美代吉や下りてお出で、美土代町の旦那様が入らっしったよ」
美「はい」
と返事をいたし、しと/\
階子を下りて参り、長手の火鉢の前に坐りましたが髪が、
結い
立でお
化粧の
為立てで、年が十九故
十九や
二十という
譬えの通り、実に花を欺くほどの美くしい姿で、にやりと笑い顔をしながら
物数云わず、
美「よくお出でなさいました」
旦「今広小路で師匠に会ったからちょいとお母さんにお
近附に成ろうと思って来たのさ」
三「美代吉さん、何うも私の方は慾でげすが、旦那の方は御厄介になって余り感心しないが、それを一緒に
往くと仰しゃるのでお供をして
此方へ来たのてえのは、
其処に
種々御親切な話が有るんで、本当に
後でお
聞せ申したい事が有るんでげすぜ」
美「それはほんとに嬉しい事ねえ」
婆「今お土産を戴いたよ」
美「毎度有難う存じます」
三「何か旦那の召上り物を何うかお早く」
婆「此処らでは
鳥八十さんが早いから、
彼処へ往って何か照り焼か何かで、
御飯を上るのだから色取をして然う云って来なよ、
宜いかえ、御飯は
家のは冷たいから
暖かいのを三人前に、お
香物の
好いのを持って来るように然う云ってくんな、あれさ家のは臭くていけないから、これさ人のいう事を宜く聞きなよ、それからお菓子を、なに落雁じゃアないよ、お客様だから蒸菓子の好いのを」
と下女に云附け、
誂え物の来る内、何か
有物でちょいとお酒が出ました。この奧州屋の
新助は一体お世辞の
善い人で、芸者や何かを喜ばせるのが
嗜きな人だから、何か褒めようと思って
方々見廻したが、何も有りません。三尺の
壁床に客の書いたものが余り宜い手では無く、
春風春水一時来と書いてあり、
紙仕立の表装で一
幅掛けてありますが、余り感心致しません。其の
傍の欄間に石版画の額が掛けてありますが、
葡萄に
木鼠の
画で何も面白い物がありません、何か有ったら褒めよう/\と思って床の間の前を見た処が
古銅の置物というわけでもなし、浅草の
中見世で買って来たお多福の人形が飾って有り、
唐戸を開けると、
印度物の
観世音の像に青磁の香炉があるというのでなし、摩利支天様の
御影が掛けて有り、
此方には金比羅様のお礼お狸さま、招き猫なぞが飾って有るので、何も褒めようが有りませんから、二枚
折の屏風の
張交を褒めようと思って見ると、
團十郎の
摺物や会の
散しが張付けて有る中に、たった一枚肉筆の
短冊が有りましたから、その歌を見ると「背くとも何か怨みん親として教えざりけんことぞ
口惜しき」という歌が書いて有ったのを見て、奧州屋新助は
恟り致しましたと云うのは、自分が二十四歳の時に
放蕩無頼で父も呆れ、勘当をすると云った時に、此の短冊を書いて僕に渡し、
汝の様な親に背いた放蕩無頼の奴は無いが決して貴様を怨みん、
己の教えが悪いによって左様な道楽の者に成ったのだ、此の短冊は
己が形見で有るから、是を持って
何処へでも
往けと云って、
流石の父も涙を含んで
私の手に渡した時に、
若気の至りとは云いながら手にだに受けず、机の上に置去りにし、
家を出た此の短冊が何うして
茲に有ったかと、余り思い掛ない事だから驚いたが、素知らぬ
体で、
旦「美代ちゃん、屏風に張って有るあの短冊は何処から貰ったのかえ」
美「なに、あれはいけないのですよ、
張交が足りないから何でも安どんが出せと云いましたから、
反古の中に皺くちゃになって居たのですが、あれは
私のお
父さんが書きましたので」
旦「え
···お
前のお父さんが
······何かえお
前のお父さんは会津様の御家来で、
松山久馬様と云って七百石取ったお方だろうね」
美「あれまア旦那何うして
私の
親父を御存じなの」
旦「いえなに
······わしは若い時分から歌俳諧が好きであったが、風流の道というものは長崎の
果の先生でも、奥州の人とも手紙の遣り取りをして
交際をするものだがね、久馬様はおなくなりになって、惣領のお
兄いさまは上野の戦争で
討死をなすったということを聞いたが、お母さんは未だ
御存生かえ」
美「何もかも旦那はよく御存じですが、
私は母と一緒に上野の先の
箕の
輪という処へ参りましたは、
前々勤めていた家来の
家で有りますから、そこへ往って暫く厄介になって居ます内に、母が
煩い付きましたが、長煩い故病院へ入れる事も出来ませんようになったので、仕方なく私はこんな処へ這入りましたが、その甲斐もなく
一昨年の十一月なくなりましたよ」
旦「え、おかくれかい、それじゃアまアお母さんを救うためにお前は芸者になって、云いつけもしない世辞をお客に云って居るのだろうが、宜くまア親のために苦労をして居るねえ」
美「はい、
私は
外に
親戚頼りも有りませんが、
只た一人
仲の兄のある事を聞いて居ましたが、若い時分道楽で、私が生れて間もなく勘当になって家出をしましたそうですが、随分気性な人ゆえ
戦争にでも出て討死もしかねない気性ですから、大方死んでゞもしまったろうと常々
母親が申して居りましたが、その兄さえ達者なれば会う事も有りましょうが、
尤も小さい時に分れたのでございますから、途中で会っても顔は知れませんけれども、
何卒して生きて居るなら、その兄に会いたいと思いまして弁天様へ
願掛を致して居りますけれども、いまだに知れませんから、本当に私は独りぼっちでございます」
旦「然うかえ、お前が生れて間もなく分れた
兄さんだから、顔形も知れまいが親身の兄と思えばこそ然うやって
神信心をして会いたいと願掛までして居ればこそ、ふといやなに
···屹度会うような事になるに違いないが、その事を
兄さんが聞いたら
嘸悦ぶだろう、然うかえ
······どう云うわけだか松源へ初めてお前を呼んだ時から、何となく
私の子のように思われて可愛いと思ったが、妙なものさね」
三「へえ美代ちゃんは久馬様のお嬢さんなんでげすか、道理で初めから久馬様の相が有りましたよ、何かその遊ばせ言葉などの所は
違げえねえ、成程七百石のお嬢さまなんで
······」
旦「
私はお前のお父さんには歌俳諧の道で御贔屓になったこともあり、十九年振でお前に会うとは誠に妙だ
······師匠何うも妙だな」
三「まことに妙でげすね
·········併し何だか大変に陰気になったじゃア有りませんか」
旦「どうか此の
娘を
身請を致し
度いものだ」
と是から美代吉の身請の相談に及ぶ。これが一つの間違いに相成るお話でございます。
二
奧州屋新助が、美代吉を我が実の
妹と知りまして身請の相談に及びましたが、娼妓の身請はよく有りますけれども、芸妓の身請は深川ばかりで、町芸妓の身請という事は余り昔は無かったものでございますが、
開けて来るので当時は身請が流行でございます。
新「おい師匠々々」
三「へえ」
新
[#「新」は底本では「旦」]「ちょいとお
母に君から相談して貰いてえな、何と此の
娘を身請えしてえんだが、馬鹿な事を云われちゃア困るんだ、
大概相場も有るもんだが、何うだろう、身請をするには
何のくらいのものだろう」
三「それは何うも大変に芝居が大きくなって来ましたね、この
娘を身請え
為すっても
御妻君の方は」
新「なに僕がこの娘を受出して
権妻にしようてえ訳じゃアねえが、あの娘のお
父さんには、昔風流の道で別懇にして御恩を受けたこともあるし、
親戚頼りもねえという事だから、あの
娘を身請して、好いた男と添わしてやって松山という
暖簾でも掛けさせて、何処かへ別家を出して遣りたいのだ、そして久馬様の御位牌を立てさせたいと思うが何うだろう」
三「恐入りやしたねえ、何うも御親切の事で、へえ
···併し貴方の御親切を先方で買うと
宜いけれども、
彼の婆アが中々慾が深いから買いませんて、大きな声じゃア云えませんが、あの通り慾で
肥ってるくらいなんですから、身請となると
何んな事を云出すか知れませんよ」
新「だからサ、親類
交際でおめえから話をしておくれな」
三「へえ、兎に角一つ話をして見ましょう
······お
母さん/\」
婆「はい」
三「ちょいと少し
此方へお出でなすって、ヘヽヽヽ旦那の前では話し
難いんで」
婆「厭だよ三八さん、こんな
婆を蔭へ呼んで何をするんだよ」
三「ときにお母さん、
外じゃ有りませんが、今旦那がね、美代ちゃんのお父さんと心安くして、むかし御恩になった事もあるてえので、美代ちゃんを身請して松山とか久馬様とかいう暖簾を掛けさせ
度いッてんで、何も色に惚れて権妻にするてえような訳では無いので、親類交際の身請てえのでげすが、これは私も思うのにお前の為になると考えます、あの方の事だから身請を
為ッ
放してえ訳じゃア無いのだからお前も思い切ってお仕舞いなさい、
併し盛りの娘を手放すってえのだから無理だが、
後の為を考えるとね、実は私もちょいと旦那と打合わした処も有るから、思い切って美代ちゃんを手放して下さいな、娘が出世すると思えば
否という訳は有りやすめえ」
婆「まことにどうも有難うございますね
······旦那ア本当でございますか
······、何だか三八さんは時々おかしな事を言出しますが」
新「実は今師匠にも話したんだが、あんまり贅沢のようでお母さんきまりが悪いが、初めて会った時から
何んとなく美代ちゃんが可愛くって仕様が無いから云出したのだが、併し話をするのは今日が
初てゞ、何うかしてお父さんのお位牌でも立てさせたいと思い、また
私は別に兄弟も何もないから、此の娘を請出して
私の
妹分に
為たいというは、此の娘の様な真実者なら、
私の
死水も取ってくれようとこういう考えなんだが、親類交際で身請を為てしまったからッて、何も
是ッ
切お前の処へ来ないという訳でも無く盆暮には
屹度顔を出させるようにします、
差支は有りますまいが、また
斯ういう
雛妓を抱え
度いとか、あゝいう
出物の
著物が有るから買いたいと云う様な時にも、お前さんの事だから差支も有るまいが、
然ういう時には
金円···また
私が御相談をしても善いのだがねえ」
三「旦那が只何うも美代ちゃんが可愛くって、娘か妹のように思われて、丸めて喰ッちまい
度い位なんで」
婆「誠に何うもそれは有難い事でございます、実に
彼の身の出世でございます、彼も何時までも芸妓をして居ては詰りませんから、
能い加減な時分に何うか身を固めさせなければならないと申して居たのでございますが、昔は芸妓を受出すにも造作も無い事でございましたが、今では身請というと実に
方々さまの相場が大変な事で
······」
三「ほうらそろ/\始まった、これだからうっかりした事は云われない
······お母さん然う前置から
詞を
振ずに前文無しで
結著の所を云って下さらなくっちゃア困りやすで
······旦那あなたの
思召は」
と
袂の中へ手を入れて、指を握り合って相談をする。
三「えゝ、成程
······お母さんちょいと手を私の袂の中へ
突込んで下さい、これが
流行物だから何うでげしょう、このくらいでは」
婆「はい
······誠に有難い事でございますけれども、お師匠さん、私どもは外に
宜い抱えも無いのでございます、今美代吉が出てしまえば、
何れ誰か
外に
宜い抱えを
為なければなりませんが、そんならばと云って出たから
直にお客が附くという訳でもなし
為ますから、それでも何うも少し話が折合いませんねえ」
新「じゃアお母さん何うぞ五百円ぐらいの所で話を極めておくんなさいな」
三「お母さん、そんなら宜うございましょう、こんな相場は有りませんから」
婆「誠に何うも有難い事でございます」
新「僕も少し頼まれた事が有ってその実は横浜まで買物に
往かなければならんから、それでは
明後日という事に極めましょう、何が無くとも赤の御飯ぐらい炊いて、目出度い事だから
平常馴染の芸妓
衆でも
招んでね」
婆「誠に何うも有難い事で、
然んなれば是非明後日はお待ち申します
······美代吉や、ほんとに御親切なんて、何うもこんな有難い事は
有ゃアしないよ
······お間違い有りますまいね」
新「間違える
所じゃない、お母さんの方でさい違わなけりゃア、
此方で約を
違える気遣いは無いのだから」
婆「実に何うも有難い事で、左様なら明後日は
何時頃に入らっしゃいます」
新「二時少し廻った時分迄には屹度来るから、其の積りで
約定を極めてさえ置けば
宜いのだ」
三「美代ちゃん大変に
宜い事が有るんで」
と幾ら
傍で云っても美代吉は少しも嬉しい顔付が無いというは、
本所北割下水に
旗下の三男で、
藤川庄三郎という者と深くなって居ますが、遣い過ぎて金が廻らなくなったので、有松屋へ行っても
不挨拶をするゆえ来にくゝなり、何うも都合が悪いと見えて、茶屋小屋から口を掛ける事もなし、此の頃では
打絶えて逢いませんので、美代吉も気を揉んで居る処へ身請の話になり、胸が痛く、
「はい」
と
忌アな返事をしました。所へ来ましたのは藤川庄三郎で、此の頃では
深川六間堀へ
蟄息致して居ましたが、
駿府から親族の者が出て来まして、金策が出来、商法の目的を附け、
何んな所へでも開店
為ようという事に成りましたので、美代吉に悦ばせる
心算ゆえ
大めかしで、其の頃
散髪になりましたのは少なく、明治五年頃から大して
散髪が出来ましたが、それでも
朝臣した者は早く
頭髪を勧められて
散髪に
成立でございますが、また散髪に成って見ますると、この撫付けた姿を見せたいと、惚れている女には尚変った所が見せたく、黒の羽織に
白縮緬の
兵児帯で格子の外へ立ち、
家の中を
覗きながら小声にて、
庄「美代ちゃん
宅かえ」
と声を掛けると、美代吉は庄三郎の事ばかり思っています処へ、想う男に声を掛けられ、飛立つばかりいそ/\しながら、
美「あい」
と立上るを引き止め、
婆「何だよ、お止しよ、お前お客様が来て入らっしゃる処で、藤川さんだろう、止しなよ、お客様が入らっしゃるから余計な事を云いなさんなよ、出なくっても
宜いんだアね」
新「お母さん
宜いじゃアないか、前に贔屓で呼んでくれたお客なれば、今美代ちゃんを請出せば
私の妹分にも
為ようと思っている、その妹を贔屓にしてくれたお客なら私もお近付になりたいから、お上げ申した方が
宜い」
美代吉は逢いたいと思う処へこう云われたから、
美「はい」
と
直に二畳の
上り口へ出て来まして、障子を開けるとて格子の外に立って居まする庄三郎を見て、
莞爾と笑いながら、
美「おや宜くおいでなさいました」
庄「今日はね、少しお前に悦ばせようと思って来ました。」
美「
余まりおいでなさらんから何うなすったかと思ってましたよ」
庄「なにね深川の方の
知己の処に蟄息して居たが、
遠州の親族の者が立帰って来て、何か商法を始めようと思うのだ、それに就いて
蠣売町に
宜い
家が有るから、その家を宿賃で
借る
積で、品は送ってくれると云うから、その家で
葉茶屋を始める事になったので、実は
母親に
打明けました、云い
難かったが思い切って、実は
斯々の芸妓が有りますが、あれは腹から芸人じゃア無い事は会津藩の斯々という者の娘でと、すっかりお前の身の上を明した処が、そういう身柄の者なら宜しい、何うせ一人嫁を貰わなければならんから、早く儲けて金が出来たら、お前を貰うように約束して置くが
宜いとまでの話になったから、お前に悦ばせようと思って来たのさ」
美「それはまア嬉しい事
······種々お話も有りますから、ちょいとお上んなさいよ」
庄「お客かえ」
美「なに
私のお父さんと心安い人なんで、四五
度私を呼んでくれた人ですが、
宅のお母さんと近付に成りたいって来てえるんですよ」
奥から声を掛けまして、
新「
何方ですか
此方へお上りなさい、お客でも何でも有りませんよ、親類のもので
·········おい師匠お前ちょいと
彼のお方を
此方へ」
三「へえ
······先此方へお上りなさいまし、一切親類付合で、今ちょいとお酒が始まった処で、これから美代ちゃんのお
兄さまになるお方で、へゝゝ何うぞ此方へ入らっしゃいまし
············へえ何うも是は
玉柄で、このくらいなステッキは有りませんな、何うも一切違いやすね
············さア此方へ/\」
庄「はい何方も暫く
·········えーお
母ア誠に御無沙汰をしましたが、少し訳が有って深川の方に
引込んでいたので、存じながら御無沙汰になりましたが、今ちょいと御近辺まで参ったから、お訪ね申しましたが、
生憎な処へ来てお邪魔をしました」
婆「えゝお茶を上げな
······あなたにも此の
娘が
度々御贔屓で呼んでおくれなすった事も有りますが、
明後日から美代吉は
宅にいませんよ、こゝに入らっしゃいます美土代町の
洋物屋の旦那様が身請をして下さいますので、こんな子供の様なものでございますけれ共、可愛がって身請して下さり、大金を出して引かして下さるので、貴方のような
何じゃ有りませんが、随分中には
風の悪いお客が、
玉の五つ六つも附けて祝儀の少しも出すとね、
上手へでも連出して色男振って、ほんとにあなた然うじゃア有りませんか、私も心配した事も有りますよ、明後日からおいでなすった
[#「なすった」は底本では「なすた」]処が婆アばかりで面白くも何とも有りませんよ」
と云い放たれ、庄三郎顔の色を変え、
庄「むゝ
左様か
···」
と云ったぎり、ぐいと
癇癖に障りました、これが奧州屋新助の大難と相成ります。
三
藤川庄三郎は、あれ程深く云い交して置きながら、身請をされるというに今まで一言の言葉もなく、手紙一本送らんで、無沙汰に身請をされるというは不実な女だと思いますと、そこは旗下の若様だけ腹に
据兼ね、ぐいと込上げて来ると
額に青筋が二本
許り出まして、唇がぶる/\震え出し、顔の色を少し変え、息遣いも荒く、
庄「お
母ア、何も
然んなに云わないでも
宜い、
余まり久しく無沙汰になったから訪ねたのだが、お客様が入らっしってお邪魔になったら帰りますよ、何も然んなに薄情な事を云わないでも宜い
······美代吉お
前が身請になる事は少しも知らなかったが恐悦だねえ」
美「あれさ身請たって、まだ今話があったばかりで決りもしないのに、あんな事を云って」
庄「なに宜しい、まことに恐悦だ、
洋物屋だか乾物屋だか知らねえが、誠に結構だ
······何方も甚だ失敬」
新「まア宜しいじゃアございませんか、お
母の云いようが悪いから誰でも
怒らア、美代吉
種々是には話の有る事だから、後で
私から話をするから、お前往ってあの方の機嫌を直して帰すが
宜い」
美「はい/\」
とおど/\しながら庄三郎の出かゝる上り口まで参りまして、
美「ちょいと藤川さん」
庄「なぜ出て来た」
美「出て来たって今身請の話が始まったばかりで、何だか訳も解らないのに、あんな事を云って、色でも恋でも有りゃアしませんよ、
私のお父さんを歌俳諧の
交際で知って居るから、身請をして妹分にして、松山の姓を立てさせて遣り度いって今話があったばかりなんですのに、
気前を悪くして腹を立ってはいけませんよ」
庄「なに僕は悪い
処へ来ましたよ、他の芸妓と違ってお前は会津藩でも
大禄を取った人の娘だから、よもや己を
騙すような事は有るまいと思ったから、
一昨日母にも親族にも
打明けたのは僕が
過まりました、お前はよく今まで己を騙したね」
美「騙す訳も何も無いんです、今急に身請の話が出たのですもの」
庄「身請に成るなら本当に手紙の一本位よこしてもいゝんだ、もう親族にまで
打明け、
此方で身請をしようという話がつけば
何の位金を出すか知れんが、
手前だって親族も有るからそれだけに
為ねえことはない」
婆「何だえ、その音は、何うしたんだえ、そんなに機嫌を取るから悪いんだ、機嫌を取りゃア
宜い気になって、色男振りやアがって、人の
家の娘を
打ったり叩いたりしやアがる、全体おかしな奴だ、
他人の家へつか/\
這入って、お茶ア飲んで菓子を喰倒しやアがって、ほんとに風の悪い奴だ」
新「師匠美代ちゃんが泣いて居るから見て遣んなよ、お母の云いようも悪い」
三「旦那御心配なさいますな、
彼じゃアちょいとグーッとちん/\が
込上げて来ます、ぽかりとステッキで
打ったんでげすが、本当に
素敵もないことで」
新「ムン何んだ洒落どこじゃアねえ
······美代ちゃん泣いたって仕様がない、こゝへお出で、泣かないでも
宜い/\、藤川さんだろう、聴いて知って居るから後で
兄さんが挨拶を
······今から兄さんと云うのは可笑しいが、会って話をすれば、屹度藤川さんの心持も解けようから」
婆「なに
宜い、あんな者に
上手を
遣うからいけねえ
······あなた本当に此の
娘はお客の前へ出るとはら/\する
性質でいけません、あんな
小悪らしいぎす/\した奴は有りません」
新「お母さんの云いようも悪かったよ
······お
前泣いたりしちゃアいけない、ムウ大層降出して来たな、雨の音が聞えるが、こいつア困ったな。浜まで
明日往くにしても、帰らなければ都合が悪いから、人力を一挺
云附けておくれな」
婆「はい
······併しまア
宜いじゃア有りませんか」
新「いや少し頼まれた事も有るので、是非浜へ往って買物を
為なければならんから」
婆「
然うでございますか、それじゃアはるや、大急ぎで車を
誂えなよ、仕立は高いから四つ角へ往って綺麗そうな車を見つけて来な、
幌の漏らないようなのを、大急ぎで早く往って来な」
下女「はい/\」
と下女が有松屋と云うぶら提灯を
提げて人力を雇いに
往きますと、向うからがた/\帰り車と見えて引いて参るを見付け、
下「ちょいと車屋さん/\」
車夫「へい」
下女「あの神田の美土代町まで
幾許だえ」
車夫「へい一朱と二百で」
下女「高いよ、そんな事を云ったッて
余まり高いよ」
車夫「高いたって降って来ましたから」
下女「降って来たって、お負けよ、一朱ぐらいに」
車夫「ヘエ何うでも宜うございます」
とフランケットを身体に巻附け、ずぶ濡になっている車夫が、下女の後からびしょ/\附いてまいる所を、藤川庄三郎は
丁字風呂の蔭に隠れていたは、愚痴な女に男の未練で、腹立紛れに美代吉を
打ん殴って出たが、まだ腹が癒えず、何うも身請をされては男の一
分が立たんと、
旧の士族さんの心が出ましたから、小蔭に隠れて様子を立聞くと、奧州屋新助が美土代町へ帰るようだから。
庄「ムウ
彼奴が美土代町へ帰るならば宜しいたゞア置くものか」
と
煙管筒に
合口を仕込んだのを持って居ます。今新助が車に乗る様子を見ていると、表までどろ/\送り出し、
皆々「左様ならば、左様ならば」
婆「何うぞ
明後日はお待ち申して居りますが、
何時頃おいでになりますか」
新「二時頃には来る積りだよ」
婆「是非おいでを
······ちゃんと掃除をして置きまして、
皆子供たちにも話を致して置きます、左様ならば御機嫌宜しゅう
······車夫さん気を附けて成りったけ早くお頼み申しますよ」
車夫「早くたって歩くだけにしか歩けません」
婆「人の悪い車夫だよ、ぶら/\歩かれちゃア仕様がない」
車夫「そんなに急がなくっても車が廻るから
自然に
往かれるんで」
婆「それじゃア車を引くのじゃアない、車に引かれて
往くのだ」
新「そんな野暮なことを云うな
······ムーン破けてるひどい前掛だなア、愛敬の
無え車夫だね
······車夫さん幌は漏りゃアしないか」
車夫「大丈夫で」
と是から梶棒の先を掴まえて慣れない奴が持上げて、ごろ/\引出したが、何うも思うように走りません。
車夫「はい/\」
幾らか頂戴したら早く引きますと云わぬばかりに
故意と
鈍く引出し、天神の
中坂下を突当って、
妻恋坂を曲って
万世橋から美土代町へ掛る道へ先廻りをして、藤川庄三郎は、妻恋坂下に一万石の
建部内匠頭というお大名が有ります、その
長家の下に待って居ましたが、只今と違ってお巡りさんという御役が有りません、
邏卒とか云って時々廻る
方が有った時分で、雨はどっと降出して来ましたから、往来はぱったり止って淋しい秋の雨で、どん/\降る中をのた/\やってまいる所を、
待伏をして居りました庄三郎が、いきなり飛出して提灯を斬って落す。
車夫「あッ」
と梶棒を放して
車夫が前へのめったから、急に車の中から出られません、車夫は逃げようとして足を梶棒に
引掛け、建部の
溝の中へ転がり落ちる。庄三郎は短刀を
振翳し、
庄「覚えたか」
と突掛けて来ますると、
覗い
違わず奧州屋新助の脇腹へ合口を突き通すという
一時に手違いになりますお話でございます、
一寸一息継ぎまして
後を申上げましょう。
四
えいさて
私は夏休みの
中、
相州箱根から京阪の方へ廻って、久しゅう筆記を休んで居りましたが、申続きの美代吉庄三郎の身の上、奧州屋新助の事が大分に
後が残って居りますこれは明治四年のお話でございます。明治四五年頃は御案内の通り頓と未だ開けない世の中では有りますが、
漸くに明治五年に此の
散髪が
流行りまして、頭を刈る時にも厭がって年を
老った人などが「何うか切りたく無い、切るくらいなら、
寧そぐり/\と
剃こぽって坊主になった方が
善かろう」それを取ッ
攫まえて無理に切るなぞという、実に厭がりましたものであります。ところが只今では切らんければ恥のような訳で、実に昔切り立てには何故いやな
彼んな頭をするか、厭らしい
延喜のわりい、とよく笑いましたものであったが、
散髪が縁起が悪い頭だか、野郎頭の方が縁起が悪いのかとんと分りませんが、
先達て
博識の方に聞いたら、前を剃りましたのは首実検の為に剃ったので、大将へ首実検いたさするに指を
髻に三本入れた時に(右の手にて攫む)
斯う髻を取って大将の前に備える時に
死顔が柔かに見える、前が剃って有ると又
髻を
掴むにも掴み易いと云うので、
前髪を剃上げて見せたということだから、
以前の頭は
余り縁起の
好い頭じゃアございません、首実検のための
[#「ための」は底本では「ため」]頭だと云います、それから追々剃りまして
糸鬢奴が出来ましたが、
清元本多と申して
幇間やなんかは石垣に
蜻蛉の止ったような頭に結いましたもの、只今では
散髪に成ったから、
風の変え様が有りませんが、
此方(右)に
曲るとか、
或は左の方に撫付けたが宜かろう、
中央から取って
矮鶏の
尾の様な
形に致して
粋だという、
團十郎刈が
宜いとか
五分刈が
彼が宜しいと、
粋な様だが團十郎が致したから團十郎刈と云うと、大層名が
善いが、よく/\見れば
毬栗坊主だから悪く云ったら仕方の無いもんだが、あれが
流行と成ると粋に見えます。今では前の方にばらりッと
下ったのが流行ります、あれはまア乱れて下ったのかと思うと
結髪床での
誂えです、西洋床の親方なんぞは
最う心得て居りますから、
先方から、
床「どの位に
·········」
客「前の方に五十六本」
なんて申したって分りません、
仮令長く下げまして、末には目の上にまで
被さって、向うが見えないように成って、向うから人が来て、
甲「
今日は」
乙「へい(髪を両手にて掻上げ右左と
顧る)え、
何方です」
なんてえ訳で、両方の手で分けて見たり
何かするのは
可笑しゅうございますが、其の頃は
散髪に成っても洋服を召しても、未だ
懐中には
煙管筒の様にして、合口の短刀を一本ずつ呑んで
居ったもの、されば徳川の禄を
食んだ藤川庄三郎、ことには若様育ち、あれ程にまで云いかわし、惚れた美代吉を身請をされては何うも友達へ外聞が悪い、親や親戚に打明けて身請までにと思った処を
他へ買取られては
一分立たん
·········と云う血気にはやって分別も無く、妻恋坂下の建部内匠頭の窓下に待って居るとも知らぬ奧州屋新助が、十九ケ年振りで真実の
妹に
遇い何うか身請をして松山の家を立てさせて、思う男の藤川庄三郎に添わしてやりたいと腹で
種々に考えて、
明後日は身請をする心持で
車夫を急がしても、
車夫は成りたけのろ/\
挽いて、困ると酒手が出たらそれから早く挽こうという、辻車は始末にいかない。幌が少し破れて、雨がぽたり/\と漏ります。梶棒の
尖端を持ってがた/\
揺がせて、建部の屋敷裏手までまいると、藤川庄三郎曲り角の所から
突然に
車夫の提灯を切って落した。車夫は驚いて、どーんと
筋斗を打って溝の中へごろ/\と転がり落ちましたが、よい
塩梅に車が
反りません、
機みで梶棒が前に下りたから、
前桐油を突き破って片足踏み出すと、
庄「思い知ったか」
と組附くように合口を持って突ッ掛りまして、ちょうど奧州屋新助の左の脇腹のところをぷつうりと貫いた。
新「うゝん」
と云いさま、
此方も元は会津の藩中
松山久次郎···聊か腕に
覚が有りまするから、庄三郎の片手を
抑えたなり、ずうンと前にのめり出し。
新「暫く/\
逸まっちゃア成りませんぞ」
庄「なに宜く先程は失敬を致したな、
一分立たんから
汝を殺し、美代吉をも
殺害して切腹いたす心得だ」
奧「暫く/\何うぞ
·········逸まった事をして下されたなア藤川氏
······手前は美代吉の色恋に溺れて身請を致すのではござらん、美代吉の真実の兄で松山久次郎と申す者でござるぞ」
庄「へい、なに松山
···||美代吉の兄とはそれは又何ういう訳」
奧「フムそれは
·········まだ/\/\
·········あッあ
斯く成り
行くは
皆な不孝の
罰である
······手前二十四歳の折に放蕩無頼で、元の会津の屋敷を出る折に、父が呆れて勘当を致す時に一首の歌を書いて、その短冊を此の久次郎に渡された
·········それより青森へ参って、北海道へ渡って、暫く函館地方に居ったが、時治まって横浜に出て参って只今では聊か活計の道を立て
······これから僕も世に出ようという心得であった
······先達て五六
度呼んだ美代吉が、何となく
温順しやかな身柄の宜しい者である、武士の娘と云う事を聞いたが、
時世とて芸者の勤め、皆な斯様に成り果てた者も多かろうと存じて
·········手前妹と知らず、贔屓にして五六度呼びました
·········すると美代吉はあなた様と深く云い交してある事を
他の芸者から聞きましたゆえ、何うぞして
配わして遣りたいと、今日美代吉の
宅へ参ってふと見たる屏風の
貼交ぜ、その短冊を見れば、父が勘当の折に書いてくれました自筆の
······歌でございます
······その短冊から段々問い合せますると、松山久馬の娘である、父も兄も相果て、母が病中斯様な処に這入って芸者を致すとの物語を聞き、あゝ己は不孝で、二十四歳の折家出をして、
両親に聊かも
報恩を致さんで、年はもいかぬ女の身で斯様の処へ這入って芸者を致して
居るか、如何にも
不便な事であると存じました故に、何うぞ美代吉を身請致して別家を為し、松山の
名跡を立てさせたい、
殊には貴方様と何うか御相談の上で、
不束な妹では有るが、
女房に持って貰いたいと存じて、
今日身請を致し、
明後日は貴方様をお招き申して、何うぞ妹の身の上をも
善きに願おうと心得て居ったところが、貴方様がお出でになっても、有松屋の
婆が
居るから何一つ御相談も出来無い、貴方が思い違いを致して
御腹立でお帰りの時も、
私は心配して居ったが、まさか手前に、はアッはア
·········斯様な荒々しい事をなさろうとは思わなかった
·········併しそれ程までに妹を
思召して下さる
御心底はアッはア
······誠に
忝けない、
手前此処に
金円を所持して
居る
······此の五百円の金を差上げるから、わが
亡い
後に妹をお身請なされて、
他に
親戚兄弟も無い奴と何うかお見捨て無くはアッはア
······末々まで女房に持って遣って下さるように願いたい、こゝに
金が有るからお渡し申す
······エお分りに成りましたか」
聞く事ごとに庄三郎、
庄「はあア左様な事で有ったか」
と。只茫然といたして、どっどと降る中にべた/\/\と坐った。
庄「左様とは心得ませんで
······どうも誠に失敬(失敬たって殺しちまっては間に合いませんねえ)何うかお助かりは
······」
奧「えいや助からん」
と苦しい中で懐から
金を取り出し、
新「
······五百円、それに此の
金側の時計も別して
記のある訳でない、お
持料になされて下さい、
他の物は記が有りますから
·········此処にあなた様が居ると、もし夜廻りの者が参っては相成りませんから、お早く往って、何うぞ早く往って下さい
······急にお身請になると感付かれると成りません、一二ケ月経ってからでございますぜ、お早く/\」
早く/\という声も最う息も
急しゅうなりまする様子。此の頃は巡査という役もございませんけれども折々は邏卒という者が廻りました時分で、雨は降りますけれども妻恋坂下、何う成るか
此方も怖いのに
心急くから、其の儘に藤川庄三郎は、五百円と時計と持って
御成街道の
方に参りますと、見送った新助は
血に染ったなりひょろ/\出て、向うの
中坂下について、あの細い
横町の
方に参り、庄三郎に突かれたなり右の手を持ち添えて、左から一文字にぐうッと掛けて切った、
此方(左)の
疵口から逆に右の方へ一つ
掻切って置いて、気丈な新助、
咽喉を一つぷつうりと突いて倒れました。左様なことは
些とも知りませんのは奧州屋新助の女房、
昨夜は新助が帰らんと云うので、
女「旦那さまがお帰りが無いから、早くお前店を開けて、万事気を附けておくれ」
福松という店を預かっている若者が指図をして、店の飾り附をして居ると、門口へ来ました男は
穢ないとも穢なく無いとも、ぼろ/\とした汚れ切った
毛布を巻き附けて、
紋羽の綿頭巾を被って、
千草の汚れた半股引を
穿き、泥足
草鞋穿の儘
洋物屋の
上り
端に来て、
男「御免を
蒙むる」
福「今
其処へ来ちゃアいけない
···来ちゃアいけない
······今店を出す処だに、何だい」
男「何だって人間だい」
福「冗談云うねえ、今店を明けたばかりの処で其処へ
突立って邪魔して居ちゃアいかん、何だア銭貰い」
男「失敬極まる事をいうな
······これ銭貰いとは何だ
······さ当家の家内に逢いたいんだから是れへ呼んでくんな
······おふみを是れへ呼べ」
福「何うもこれは何だろう
······お前は一体
何処のものだい」
男「何処も何もあるものか、人力車夫の
徳藏という者だと云やア解るから呼んでくれ」
福「呆れて物が云われない、何だって
車夫が此処に来てお
内儀さんに逢いたいてえのは何ういうわけだ
······何ういう縁故をもって云うのだ」
徳「縁故の無い処に云うものか、当家のふみと血を分けたお
兄さまで大西徳藏
[#「徳藏」は底本では「徳造」]という者だと云やア分る」
福「はゝあ是れが兄貴の
わんちゃん者だ」
と番頭も分りましたから、
福「今お内儀さんはお加減が悪くて
寝んで居ります
·········誠にお
生憎様で」
徳「なにお生憎様てえ事が有るものか、塩梅が悪きゃア奥へ通って逢おう、
盥へ水を汲んでくれ、足を洗うから」
福「困りますナ何うも、今何うも店の処じゃア困りますからよ、暫くお待ちなすって」
徳「待たなくてよ、逢いに来たんでい」
というに仕方が無いから、番頭は奥に
往きますると、
乳児に乳を含ませて、片手で其処此処片付けて居りました。
福「申しお内儀さんえ」
ふみ「はい」
福「あなたのお
兄いさんで徳藏様が」
ふみ「あゝ又来たかい」
福「へいぼろ/\したお
装で
·········あなたの前で申上げては済みませんが、実にひどいお
服装、
御酒の上の悪いてえことを聞いて居りますが、
私は存じませんから、何だかと思って、銭貰いならアノ店を明けたばかりだから、其処へ立っちゃアいけないと云ったら、あべこべに
剣突を
食って、兄上が
妹に逢うのだと申しますが、御様子が悪いから
······」
富「あの店に置いちゃア困るから、台所で逢うから
此方へ呼んでおくれ」
福「へい
······貴方さまお内儀さんがお目にかゝりますが、足を洗うのも始末が悪うございますから、裏からお這入りなすって
······直に其の蝋燭屋の裏をお這入りなさると井戸の前の処が入口でげすから」
徳「いや店から上って悪いという次第もないけれども、併しながら何処から上っても五分だ
·········大層
代物が店に殖えたな」
福「何うもまことに仕入が間に合いませんで」
徳「なんだア、
汝なんどは
生利に西洋物を
売買いたすからてえんで、鼻の下に
髯なんぞを
生して、大層高慢な顔をして居ても、碌になんにも外国人と応接が出来るという訳じゃアあるめえ」
福「そんな事は兎も角も、お内儀さんがお目に懸るってますからお早く」
徳「あゝうい
此家ア裏ア何処だ
······裏ア」
ぱたり/\と
此方の羽目に
打突かり、
彼方の壁に打突かって蝋燭屋の裏に這入り、井戸端で。
徳「此処か、奧州屋の新助の
宅は此処かな」
ふみ「お
芳や、そこ開けて遣っておくれ
······此方だよ、此方へお這入りなさい
······あらまア穢い
服装でマア、またお出でなすったね」
徳「又だア
······其の
後は
打絶えて
······御無音に
······何時も御壮健おかわりも無く
······大西徳藏
大悦奉る」
ふみ「何だね困りますね、朝からお酒を飲んで、お前さんは始終は身体を仕舞いますよ」
徳「何うせ果は
中風だ、はゝゝだが酒が一滴も通らなけりア口の利けねえ徳藏だ、
予てお前も知ってる通りのことだ、
前々勤務をしている時分にも宜しく無いから飲むなてえが、飲まんけりア
耐らん、殊更寒い
昨夜は雨が降り、
斯くの如く
尾羽打枯して梶棒に
掴まって歩るいたって、雨で乗手が少ない、寒くって耐らんから酒を飲むと、自然と車の
輪代がたまって、身代もまわりかねるような事に成って、はゝゝ如何んとも何うも進退
谷まってね、誠に済まんけれど金え拾両ばかり貸してくれ」
ふみ「何を
······判然仰しゃい」
徳「金を十両拝借致し
度いという訳だ」
ふみ「私の処にお金を借りに来られる訳じゃア有りますまい」
徳「訳が有りア謝って来やしねえ、訳が少し無いように成って来たから止むを得ず只誠に重々恐れ入って、拝借を願うというようなマア訳だね」
ふみ「はアお前さんは私とは縁が切れて居ますよ、最う
此方へ私の籍を送ってしまえば、奧州屋の者でございますから、
兄妹でもお前さんに私がお金を送る訳は有りませんが、今までに二十四
度お貸し申したよ」
徳「心得て居ります、再度拝借致しました、
併し現在の兄が倒れんとするを救わんというのは何うも道に違って居る、そりゃア縁は切れて居ろうが、血筋は切れん、その何うも兄弟の間柄でもって、他に兄弟の有る訳じゃア
無え
······重々悪い此の通り(平伏)此の通り恐れ入って居る」
ふみ「何うぞ、お前さんも
峯壽院様の
御用達では無いか
·········お前さんは立派な天下の御家人では無いか、お
父さんが亡くなると
蔵宿は
借つくし、拝領物まで残らず売ってしまって、お
母さんもそれを御心配なすって、あの通りお
逝去になりました、私より他に
兄妹は無いと仰しゃいましたけれど、
大切な兄妹と思って下さるかは知らないが、其の
同胞をお前さんは
騙して横浜に連れてって外国人の
らしゃめんに仕ようとした事をお忘れなすったか、私が二十一の時だよ」
徳「まことに何うも重々相済まん」
ふみ「貴方は外国人は
汚らわしい、日本は日の
本だ、神の国だ、外国の人などを入れるなという日光様の教えもあるものを、背いてこんな事をしたからと、自分の
惰者を
余所にして、
毎もあんな事ばかり云いながら、その汚れた外国人のところに一人の
妹を
らしゃめんにするとって、私を横浜に置去りにして、五十両の手金を持ってお逃げなすった事をお忘れなすったかよ」
徳「いさゝか覚えて居りますな
·········重々相済まん、何うも仕方が
無い、借財で仕方が
無えよ、借財でなア」
ふみ「私はお前に置去りにされて、知らない横浜の
富田屋さんの
家に泣暮して居ましたよ、処へ
富貴楼のお内儀さんが
一寸富田屋さんへ用が有ってお出でなすって、何ういう訳だと申しますから、是々だって話をすると、あゝいう気性のおくらさんだから、それはお気の毒だと今の旦那に話をして、私の身体を五十円で買われたようなもの、
此所に来て居るといって、縁切りで来たのだよ、お前さん其の他にも家の旦那はあゝいう気性だから、お前さんに別に又三十両お上げなすった、もう是切り参りませんと云っても
度々来る、それは内証で私も二両や三両の事なら何うにかして上げたが、何度来ても旦那は会いはしない、お前さんも旦那の顔は知るまいけれども、
兄さんが借りに来た様子だ、
沢山の事でも有るまいから、時々は
些と
宛小遣を持たして遣るが
宜いとお前さんが這入って来ると表から
外して出る、貸して遣れと云わんばかりに親切にしておくんなさる旦那の前に対しても、私はお貸し申す訳には
往きません、此の盆前に来てお前さん
幾許持って往ったえ、二十円持って往ったろう
·········其の時もう来ないと云ったでは無いか、その口の下から
直借りに来るとは実に私は呆れてしまった
·········貸されませんよ」
徳「まことに済まん、貸されなきゃア致し方がない、無いけれども何うも其の日に
逐われて飯が食えんという事に成ったから、まことに何うも困る
······何うあっても貸されんか」
ふみ「借りに来られた義理じゃア有りませんよ」
徳「義理も道も心得ては
居るけれども、何うも一向仕方が無い」
ふみ「貸せたってお前さんには返す方角はなし、お金を遣れば遣る程お酒を飲んで、只怠けてしまうだけの事で、お前さんにお金を上げると
態と酒を飲ましてよいよいにする様なものだから上げませんよ」
徳「よい/\
······最う是切り来ねええゝッぷ、何うぞ、恐入った
妹、妹と云っては縁が切れてるから奧州屋新助
殿のお内儀さんに対して大西徳藏
斯の如くだ(両手を突き頭を
下る)矢張是も親の
罰だ、親の罰だから誠に何うも困る、うむ最う己は縁が切れたから己にすると思ってもいけない、親、親にすると思って
······」
ふみ「なにお前さんは親の
家を潰してしまった人だわ」
徳「後生だから」
福「大変大変お内儀さん大変でございます」
ふみ「何だね、仰山な」
福「旦那が腹ア切ったッてえ知らせが
·········妻恋坂下で旦那が腹ア切って居るって、気が
狂ったんでしょうか」
ふみ「旦那が妻恋坂下で腹、まア誰か往って見たのか」
これを聞くと徳藏は、
徳「はてな妻恋坂下と云えば
昨夜乗せた客だが、あれが奧州屋新助では無いか」
と気が附いたから少し酒の
酔が
醒めた。
徳「直ぐに帰るから、
些と無くてはいけないから、五両でも三両でも
······係り
合の事が有って車を置いて来た」
ふみ「何だよ私の家は取込んでいるよ困るね、是でも持って往っておくれ」
と有合わした小遣を遣り、子供を抱いたり
負ったり致して、番頭立合で往って見ると、なさけなき
死様だ、常に
落著きまして中々切腹する様な人では無いが、何う云う訳か頓と分らない。
拠なく此の事を訴えますと、検屍
事済になって死骸を引取りまして、
下谷の
広徳寺に野辺送りをする事に成りましたが、誰が殺したか頓と知れませんで居りましたが、是が自然に知れて来ると云うは、悪い事は出来んものです。
一寸一息致しまして。
五
えゝお話二つに分れまして、数寄屋町の有松屋のお話でございます。芸者屋の商売などと云うものは、
外見はずうッと派手に飾って、
交際も十分に致し、何処に会が有っても芝居の見物でも、斯ういう店開きが有れば其の様にびらを貼るという様な事でございまして、中々物入の続く商売。殊に暮などは
抱子を致して居れば、新しく
出の紋附を染めるとか、長襦袢を
拵えてやるの、小間物から下駄
穿物に至るまで支度を致すというので、大した金の
入るものでございます。
婆は少し借財の有る処で身請というから、先ず是で
宜いと喜んだ甲斐もなく、打って違って奧州屋新助は腹を切って死んだと云うので、ぱったり目的が外れました。是から
歳暮に成りますると少し不都合で
愚痴ばかり云っている処へ、
幇間の三八、
三「お
母さん
今日は」
婆「おやお這入んなさいまし」
三「押詰りまして」
婆「何うも
月迫に成りました、誠に何うも寒い事ねえ、暮の二十五日だからねえ、時々
忘年のお座敷なぞが有るかえ」
三「有るにア有るけれども、昔と違って
突然に
目的が外れたりして極りが無いから困りますのさ」
婆「けれどもお前なぞは気楽で
宜いじゃアないか」
三「気楽でも何でも無いのサ、何うも
只た一人者でも
雇婆アさんの給金も払うなにが
無えんで、勘定というものは何処にも有るもんでげすが、暮はいけませんねえ、
押掛のお座敷に往っても御祝儀は下さいませんから誠に困りますよ、お
歳暮の時なんぞは御祝儀処か、おやお出でかえ誠に取込んで居るからと云うんで、無しさ、
幇間なんどは暮はいけませんなア、
来春を待つのですが、お母さんなんぞは土用が来ても歳暮が来ても福々しいね」
婆「何うして
大違さ、それに
彼の奧州屋の旦那がね、ソレあの時お前も落合って身請ってえから少し苦しい処だから丁度
好い塩梅だと極りがついて、
明後日は身請というから
当にして、私もその支度もし、別に抱えも仕たいと思うからそれに
当箝め、借金も返す約束に成っている処が、ぽかりと外れてしまった実に困ったのサ、だがね何うしてあの方があんな
死様を為すったろう」
三「解らないよ、
泥濘へ踏込んでも、どっこい悪い処へ来たと
後へ身体を引いて、
一方の足は汚さねえと云う方だが」
婆「それが何うも腹を切るなんてえのは」
三「なに
矢張り
洋物屋の旦那様でも、元が士族
様の
果で、何かで行詰った事が有って、義理堅い方だから義が
立ないとか
何とか云う所からプイと遣ったか、それとも人にねえお前さん
好い年をして芸者の身請を致して、女房子の有る
身分で
了簡方が違おうとか何とか野暮な小言を云った奴が有って、色に溺れるのじゃアない、美代吉の身請を致して、
好い亭主を持たせるのだと言っても聞かないで、悪い喧嘩でもしてそう思われたが口惜しいとか
何かでプイと腹ア切る気になったのかも知れない、それとも腹ア切るのは容易の事じゃア
無え、
善々思切ったのであろう、それとも無理な才覚をなすって美土代町のお宅でも
悪借金·········でもありゃアしないかと思われますねえ」
婆「是が為に外れて
私は誠に困って居るが、美代吉は身請が外れて嬉しいと云うような顔をしているのが腹が立ちますわね、此の頃美代吉は外れてから元気が出たよ、あゝいう分らない阿魔っちょだから実に私は途方にくれるんだよ、この暮は本当に困りますよ」
と噂をして居るところへ藤川庄三郎門口へ立ちました。
装は南部の
藍万の小袖に、黄八丈の下着に茶献上の帯に黒羽二重の羽織で、至極まじめのこしらえでございまして、障子戸の外から、
庄「御免
······美代ちゃん
宅かえ」
婆「はいお
兼や、誰か来たから
鳥渡往って見な
···表へ
誰方かお出でなすったよ」
兼「はい」
女中が駈け出して障子をがらりと開けると庄三郎。
兼「おや入っしゃい」
庄「まことに御無沙汰(挨拶をしながら)美代ちゃんは」
兼「今
何でございます、
一寸お約束で出ました」
庄「お母さんは」
兼「お母さんは居りますからまアお上り遊ばせ」
庄「はい御免なさい」
婆「おい一寸兼や、何だよ、気の利かない
女だよ、藤川さんだよ、無闇に上げちゃアいけねえなア
·········この節は何うもいけない、
余程いけねえ、様子の悪い、それを無闇に上げてさ、居ないと云えば
宜いに何だね
·········最う上ってお出でなすったアね
······さア(急に笑い顔)
此方へお出でなさい」
庄「お
母まことに御無沙汰、一寸来なくちゃアならんのだけれども、駿府の方から親戚の者が出て来て居るもんだに
依ってな何や
彼やと
取紛れて、何うか僕も親族の者が、遊んで居てもいけないからと云うので、今度商法をね
······当節は兎角商法
流行で、遠州の方から
葉茶を送ってくれると云うので、
蠣殻町に
空家が有ったもんだから、それを借りて
漸く葉茶屋を開店することに極りがやっとついたんで、お馴染には成ってるしするから、悪い耳と違って
善い事をお
聞せ申したいと思ってね
·········参ったが、何時もお変りございませんで、次第に
月迫に」
婆「まことに押詰りましてさぞお忙がしゅう
······おゝそれは結構でございますねえ、
大分皆さんが御商法をなさいますが、仰しゃるお茶屋だの料理屋しるこ屋色々な事をしても、素人で真似をしたのは何うも長持のないもんですね、慣れない事てえものはいけませんよ、士族さん方の御商法は何うも外れ易いものでございますから、貴方も一生懸命にねえ
······まア御勉強なすってお遣んなさりア宜しゅうございましょう、
生憎美代吉は居りませんで」
三八「これは何うも暫く
·········先達ては失敬をいたしました、今という只今貴方のお噂たら/\ヘヽヽ」
庄「いや私こそ御無沙汰致しました、お母さん、少し御相談が有って来たんだがねえ、
些と申し
難い訳だから、一寸どんな小部屋でも有りア」
婆「御存じの
通の
私のとこは小部屋も何も有りませんが、何の御用でございますか、何うか此処で仰っしゃってねヘヽヽ何うも下さいませんと困りますねえ」
庄「実はお前も知ってる通り、知って知らんふりでお出でだろうけれども、実は僕ア道楽てえものは今迄仕た事はねえが、下谷へ来てから誘われて一度遊んだのが
病付で、其の
後はお前さん
処の美代吉さんと私は隠れて遊んだ事もある、お前がそれが為に腹を立って私を寄せ付けんという事も知っています」
婆「そう改まって仰しゃっちゃア困りますねえ、何も寄付けねえ訳は有りませんけれども、お前さんも亦、私は遊びましたよ、はい御存じでござりましょうが、お前さん
所の美代吉と隠れて遊んだと仰しゃられちゃ困ります、実はお前さんと美代吉が遊びたいばかりで、それまでは堅い
妓でございましたけれども、お前さんに誘い出されて
向島くんだりへ往ってさ、二晩や三晩
家を明けた事も有ります、それも
宜いけど、あんな人の
好い
奴だからお前さんと遊ぶにも、お前さんだって有り余る身代じゃアなし、
身上りをしたり、聞けば他で以て高利を借りて、それも是れもまア
稼人のこったから私は何にも云いませんけれども、考えて御覧なさい、私は
玉をいくら取り
損ったか知れやしない、それもまア私は何とも云いはしないが、お前さんにそう改まって御存じだろうと仰しゃられちゃア、私も困りますよ、はい随分困ります、
······知らない振で居ましたが、何うぞ是からは遊んで下さらないように願いたいねえ」
庄「だからお前に苦労させて済みませんから、何うか多分の事じゃア出来ないけれども、母にも打明けて話し、親戚の者にも話したが、美代吉はお前の娘という訳でもなし、云わば抱えで流れ込んで居るという事を知って居るが、此の藤川に身請をさせて貰いたいんだ多分の
金円を出せと云っては出来ませんが、何うか身請の
処を御承諾を願いたい」
婆「へえゝ、大層お立派な事を仰しゃいますね、それは藤川さんお前さんも惚れている女ですもの、身請をしてお前さんの
家へ女房にして置きたかろうさ、お前さんも
矢張旗下の若様、私も母でございますから、成ろうものなら美代吉も惚れているお前さんの
処へ上げたいがね、昔は安かったもの、五十両も有れば出来ました、立派な
花魁の身請をしても三百両で出来たがね、それが今は法外の話、五十や六十の目腐れ
金では出来ません、相場がねえ何うも誠に申すもお気の毒だが、大した事でございまして、何うしても三四百両のお金がなければお前さん達の何うでも出来る話ではなし、身請をしておくんなさいとも云われません、お前さんも美代吉も惚合ってる中だから出来る
方なら私の
方から願おうが、それがそれ何うもはいと云う事も出来ないような訳、何しろ事柄が大きいから」
庄「じゃア四百円お金を出せば身請が出来るの」
婆「左様さ四百円有れば出来ますねえ」
庄「
屹度それならば身請をさせて下さるか」
婆「そう出ればまア
······夢見ていな
······恵比寿講の
売買の様なお話でございますからね」
庄「実はね、母に打明けて話したら、
芸妓の身請は
何のくらいのものだろうというから、先ず三百両ぐらい掛ろうと云ったら実は母も驚いて、昔は五十両もあれば出来たものを大分高いと云ったが、実は
斯々だと云ったら、まア三百円の金も無いけれども、そうなりゃ身請をしたら宜かろうと、親族から漸くに少し金策が出来て、実は此処に四百円才覚をして来たんだが、此の金で身請をさせて下されば、今日直ぐに
書附を
取替わして美代吉だけを連れて
往きたいが
御得心かえ」
婆「あれ、あなた本当のお金
······」
庄「本当のお金だって(
苦笑)」
婆「まア何うも恐れ入りますねえ、まア何うも藤川さん、本当にあなたまア何うも誠に私ゃアホヽヽヽヽ(笑)一寸お
音信をしたいと思って居りましたけれども、斯ういう忙がしい中で、まア美代吉にも私ゃアいつでもそう云うの、御贔屓になった方へはお前書けない手でも
文の一本も上げなってねえ、それが芸者の
当然だと云って、まア子供見た様な者ですから、
遂まア存じながら御無沙汰になって本当にね、三八はんそう身請に成ればホヽヽヽヽヽ、
旧が旧でおいでなさるからねえ、一寸お話しにさえなりゃア御親類からお金が四百でも五百でも出来て
·········そうなればねえ」
三「旦那さんの前で急に機嫌が直ったりしちゃア私まで一寸
面顔赤になるが、まアお
芽出度うごす、美代ちゃんがお喜びは何のくらいでげしょうか、実は何うも思う男とは添わせたいので」
婆「本当に
私も嬉しいから美代吉もさぞ喜ぶでございましょう
······、
私は斯うなるとね吾が子のような心持がして
······お兼やお茶を入れな、ホヽヽヽヽそうして
宜いお菓子を取って来な」
と
婆は
直に機嫌が変りました。是から庄三郎は
忽ち四百円で身請をして連れて帰る。
強飯を云附けて遣り、箱屋や何かにも目立たんように
仕着は出しませんけれども、相応の祝儀を遣りまして、美代吉を引取ってまいる。これから母も得心だから蠣殻町へ店を借受けまして、駿府から葉茶を引いて、慣れん事だが又慣れた者が附きまして、活計も何うやら斯うやら容易に立ちまするようの事に成った。親族も
善い縁類も有るから少し足りないからと云えば是れへ往って才覚も出来る、女房も持ってるから融通も附きますと云うので、
仲好く其の年も経ちまして、翌年九月までと云うものは
極愉快にして暮していたが、
唯心に絶えぬのは新助の事です。兄新助のお金で
私は斯うやって身請をして、思う女と夫婦に成ったが、美代吉は知らずに居る事の気の毒さよ。ちょうど四日が命日だというので、毎月四日の日には自分で
香花を
手向け、仏壇に向って位牌は無いけれども、心の
中で
回向して居る。九月四日は
最う一周忌の命日でございますゆえ、
庄「おいお美代」
美「はい」
庄「今日はお茶の
御飯を炊かないか」
美「お茶の御飯は私ゃ
嫌、赤のお
飯をお炊きなさいな」
庄「まア今日はお
前を贔屓にしてくれた美土代町の奧州屋さんの丁度一周忌の命日で、此の間美土代町を通ったら
彼処の
家は変ってしまって今は乾物屋になった、此処に
洋物屋が有ったのだと思うと、
余り
善い心持のものでも無い、おいらも一度でも
遇ったのだから、志だから水菓子でも取って仏壇へお茶でも」
美「きまりだよ、お前さんは奧州屋さんのことをおかアしく云うけれども、
私が何も奧州屋さんと
交情でも有りはしまいし、あの旦那だって私を色恋で何う斯うという訳ではなし、何かお
父さんと歌のことで仲好くして、世話にも成った事があるから、身請をして遣ろうと云った時に、お婆さんが
彼んな事を云ったもんだから、お前さんも
訝しく思いなさるんだが、
私ゃ本当に奧州屋さんばかりは何にもいやらしいことは無いの」
庄「いやさ、いやらしい事が有る無しじゃアない、たとえ何もなくても一度でも呼ばれたお客が死んだと云えば、その命日には線香の一本ぐらい上げるのは、たとえ芸者でも
其処が人情じゃアないか、今日は
両人で
彼の人のお寺詣りをして遣ろうじゃアないか、
広徳寺へ往って」
美「広徳寺というのは彼の人のお寺、あんた
能く御存じで、何うして知って居るの」
庄「なゝなに此の間
他で聞いたのだ、一寸志だから」
美「
厭だアね、人
···たった五六
度呼ばれたお客の死んだ
度にお寺詣りするくらいなら、毎日お墓詣りをして居なければなりやアしない詰らないじゃアないか、お止しなさいな」
庄「お
前のお母さんのお墓参りをして、帰りに上野の
彰義隊のお墓参りをして、それから奧州屋さんのお墓参りに、遊びながら
彼方の方へぶら/\と一緒に
往きな、菊時分だから人が出るよ」
美「まだ大変菊には早いじゃアないか」
庄「今日は紋付だよ」
美「いやだよウ一寸何だねえ」
庄「そうでないて事よ、
往きなよ、お
前もお
母様のお墓参りに往くのなら、紋付の着物であらたまって、香花を手向るのが
当前じゃねえか」
と無理に紋付にさせるのも庄三郎心有っての事です。
此方のお美代はそんな事は知りませんが、亭主の云う事
故仕方なく紋付を着て。此の節は滅多に着ることが有りません、久しぶりで紋付を着て上等帯を締め、大きな丸髷になでつけまして、
華美な
若粧、何うしても葉茶屋のお
内儀さんにいたしては少し華美な
拵え、それに垢抜けて居るから一寸表へ出ても目立ちます。これよりぶら/\遊歩を致して母の墓参りをして、上野を抜けて
広小路へ参り、
万円山広徳寺に来て奧州屋新助のお墓へ香花を手向けて、お寺には縁類の者であると云って
附届を致し、出て来ますると、ぽつうり/\と秋の空の変り易く降り出して来ました。
庄「困ったな降って来たよ、何処かへ往ってお
飯でも食べて雨を
止めようじゃア無いか」
美「出る時は降るだろうと思ったから、
蝙蝠傘だけは持って来たが、
沢山の降りも有りますまいか」
と夫婦で車坂の四ツ辻まで来ますと、
後から汚ない
車夫が、
車夫「えゝ
若し旦那え、帰り車でございますから、お安くお
幾許でも
宜いんですが
······へい
何方で、日本橋の方へお帰りですか、日本橋なれば、
私も
彼方の方へ帰るんですが何方なんですか、四ツ谷の方に、へえ
私も牛込の方へ帰りでげすが」
何処へ帰り車だか分らない。
庄「まア
宜い、車が汚いから、あゝ大変に降って来た」
美「
私は
久振ですから
長者町の
福寿庵へ往っておらいさんに逢って、義理をして
往きたいんですが、帰りに
他家へ寄ってお
飯を食べるなら、福寿庵へ
往って遣っておくんなさいよ」
庄「あゝお前の世話になった
以前の御用達の福田か」
美「あの旦那は大層立派に暮しをなさったそうだが、今では御亭主が料理屋を」
庄「おい/\
若衆さん、あの長者町の福寿庵という汁粉屋な、
彼処でお飯を食べて、それから蠣殻町へ帰るんだが、少しの間待ってるようなら
御飯ぐらい食わしてやるが」
車夫「えゝ何うも有難うございます、まるっきり今日は
溢れちまって、
空ア
挽いて帰るかと思っていた処で、何うか
幾許待っても宜しゅうございます、閑でげすから、お
合乗でへい、少し(空をながめる)なんでげすが大した
降も有りますまいから、幌は掛けますまい」
フラン
毛布を前に押附けて、これから福寿庵の前に車を
下します。車から出て板橋を渡って這入りますと、奥に庭が有りまして、あの庭は余程
手広で有りまして、
泉水がございます。その向うに離れ座敷が所々に有りまして、客をしますので、馴染のことでございますから。
妻「まア/\美代ちゃん誠にまア久しく、いつもお噂ばっかりして居たの、
好く
·········おやそうお寺参り
·········私もね一寸お尋ね申したいと思っても、御存じの通り
一人体で、
皆な私にばかり押附けてあるもんだから、私は
何処にも出ることが出来ないの
·········じゃアね奥の六畳の方へ(下女の方をふり向きて)もうお帰りになったろう
·········汚れて居るか
·········あゝ、じゃ縁側附の方が宜かろう、あの八畳の方へ御案内申しな」
婢「じゃア
此方へ入らっしゃいまし」
と
婢の案内でもって八畳の間に通ります。
庄「何が有る」
と云うと相変らず、
婢「
小田巻蒸に玉子焼、お刺身が出来て塩焼が有ります」
庄「たんとは飲めない口だが一本
燗けてくれ」
と云う
中に懐かしいから女房が取巻きに出て来た。
妻「まことにまア御無沙汰
·········好くねえ」
美代「私も誠に御無沙汰いたしました」
妻「
好いことね、此の間も
稻ちゃんだの小しめさんも来てね、噂たら/″\さ、心掛けの
善い人というものは、まア誠に妙なものだ、美代ちゃんのくらい運のいゝ人は無い、世にはとんだ者に
騙されて、いくらも
苛いめに
遭うものが多いのに、自分の思う所に
請出されて行って
御新造に成ると云う、そんな結構な事は何うも誠にねえ、おや
是ゃア御免なさいましよ、始めておほゝゝゝ
私アまア
浮かりとして、只お懐かしいので美代ちゃんの事ばかり
·········藤川様とか
······誠にね、
予てお噂には伺って居りましたが
······そうでございましたか、
遂ね、
心安立にもうね、まア美代ちゃん/\と
言慣けて居るもんですから御新造様の事をホヽヽ、
私はがら/\して居りまして、そうでございましたか
·········何うもお二人様ともお雛様を一対
列べたようで
·········御緩くりなすって、今旦那が帰って来ますと自分で手料理が出来ますが、
生憎居ないから、まア緩くり遊んで居て下さいな、生憎降って来ましたが大した降りも有りますまいけれども、まア、それに此の間ね
新藏さんがお出でなすったが、その折あなたがお店に坐って居たって、元が元だから
商人の店にでも官員でも何処へ出しても本当に上品のお内儀さんだってお噂致して居りました、大層お似合いなすったこと、この丸髷は
矢張彼方の方にも芸者
衆や何かが居ますから、
髪結さんも上手だと見えて大層
宜い
恰好に出来ました事、いゝ事ね、何て
·········まだ島田が惜しいようですね、はゝゝ
却って
凛々しくてね、丸髷の方が宜しゅうございますよ、
私はいえ最う(盃を受け)有難う、たんとは頂けません
······これから私が参って茶椀蒸を拵えますから」
庄「誠に御馳走様で」
これから
頻りにお酒を飲んで
車夫の方にも酒が一本附きましたる事にて、車夫も
好い機嫌になって、
車夫「へい旦那様有難う」
庄「あゝお
前も
草鞋で此処へかけるがいゝ、
其方へ踏込まんように」
車夫「えゝ御新造様有難う、何うも閑で仕様のねえ
処へ
言値で乗っておくんなすって、おまけにお酒やなんかア、まアおいしい物で
御飯を頂くなんてえ、こんな間の好い事はねえ、ゲーッ
·········有難うございます
·········御新造様アお
何歳でごぜいすか、お綺麗でおいでなさるなア何うも
······御紋付がすっかりお似合いなさいますな
······御新造様の御紋はお珍らしい、こりゃア何だろう、へえ
宜い御紋ですな、是は
三蓋松てえので、
余り付けません、
俳優の
尾張屋の紋でげすなア」
美代「フヽヽ(笑)野暮な紋だから屋敷や何かでなけりゃア附けない紋で」
車夫「旦那さんの御紋は
·········花菱だけれども、
実の花菱で是も
余り人が付けねえ御紋で
·········えゝえ妙な事があるもんだ、斯う紋がぴったり揃ってるのは不思議だなア
·········えゝ旦那え、これは(煙草入を懐より出し)実は洋服持の煙草入でげすが、
黒桟で
一寸袂持の間に此の
鉈豆の
煙管が這入って、泥だらけになって居るのを拾ったんで、掃除をして私が大切に持って居りますが、実は
私どもの持つ物ではございませんから、質屋の番頭だって
蔑しやがッて、
私どもに有っちゃア仕方がねえ、煙管が何うも実に旦那不思議なんで、私にゃア分らねえが、銀だって云いやすが、この紋がねえ、三蓋松に実の花菱が、そっくり
象嵌で出て居るってんだ、こいつア妙じゃアございませんか、これが
突込んだ
儘で有るんでがすが、
悉くりお
両方の紋が比翼に付いて居るてえのは何うも妙で、
一寸これは何うです旦那
······」
手に取り上げて庄三郎が
恟りいたした。まだ是は美代吉には話をせずに自分の心の
中の
惚気に、美代吉の紋と吾が紋を比翼に附けて
誂えた鉈豆の煙管、去年の九月四日の
夜、妻恋坂の下で、これは慌てゝ取り落したものだが、何うして此の
車夫が持って居るかとぎっくり胸に
応えましたが、側にお美代が居るから、
庄「お美代お
前と己の紋が有る、似た紋も有るが不思議じゃアねえか、不思議じゃアねえかよ、えゝ
悉くり二人の紋が付いてるとは是りゃア不思議じゃアねえか」
美「誰の」
庄「誰のだか分らねえ
······車夫さんお
前がそれを持とうというのか」
車夫「わっちが持って居たって仕様がねえんでがすが、あなた紋が
悉くり
附着いて居やすが、お
廉く何うか廉くお買いなすって下さりア有難てえんですがな、わっちが質屋なんぞに持って
往きますと手数が掛っていけませんや、そっくり貴方の
御定紋だから持って入らっしゃりゃア
私が是を拾ったとも云いやせんが」
庄「買っても
宜いけれども
幾許で売ろうてえのだ」
車「こんな物で、幾許でも宜うがす、まア人に聞いた処の
価値は五十両が物は有るってえので」
庄「なにが、冗談いっちゃアいけねえ、
無垢の煙管の誂えで、
何んなにしたって、何う目方が附いたって五十両なら出来るじゃアねえか、こればかりの鉈豆の煙管を五十円遣って買う奴が」
車「たゞの煙管とは違うんで、紋がちゃアんと御新造様の紋とあなたの紋と比翼に付いて居るとこがこいつの
価値だ、はゝア誂れえりゃア出来るが、わっちが持って居るといけねえものだ、持って居れば
拠ろなく訴えなければならねえ、去年の九月四日の晩、妻恋坂下の建部
············サだからって」
庄「む
······なに」
車「拾った
処を云わなければならないが、御迷惑が掛っちゃア済まねえから、売りてえのを我慢して、何うか御当人にお渡し申してえと思って、今まで腹掛の
隠に
突込んでいた所が、何時までもねエ其の人が知れねえんだ、まア持ち腐れじゃア詰らねえから、旦那御紋所がちゃアんと合って
······五十円」
庄「馬鹿ア云っちゃアいけねえ」
美代「お
止しなさいな、お止しよ
·········車夫さん大概におしよ、五十円なんて
誰が人馬鹿々々しいじゃアないか、
金鈍子か何かの丸帯が買えるわ」
車「帯は買えるんでしょうが、これは煙管の紋が
·········そりア
一寸宜いので」
美「宜いのでたって、そんな高い煙管や何か買える訳のもんじゃアない、だから、あなたお止しなさいよ、(車屋に向い)まア宜いよ」
車「無理に
私アお上げ申すという訳じゃございませんので、私がこれまで持って居たのは悪いから、それだけ叱られて仕舞いさいすりア
······斯ういう訳でがす、私ア
酷い目に逢いました、建部の
側で私ア
溝の中に転がり落ちて何うも物騒で、雨の降る中びしゃアりという訳で、何うも
······なアに人てえ者は見掛けに依らねえもんで、まア私は訴えますから」
庄「まア/\宜い、
若衆さん、買う買わねえは兎も角も
一杯此処で飲みねえ、お
前も何だろう、腹からの
車挽じゃアあるまい
家は何処だい」
車「家は
無えんで、ふてっくされ
猪武者、取っただけは飲んでしまっても仲間の
交際と云うものは妙なもんで、何うか斯うか腹ア
空れば飯い食ってまア
······無理にという訳じゃアないんでげすが、お互に時節柄斯ういう訳になって車ア挽くんで」
美「酔って居るからお止しなさいよ、
御飯を食べさせて帰しましょう、酔って車ア挽けやしない、お内儀さんを
一寸呼んで、別に車を誂えましょう」
庄「お前往って呼んで来な、手を叩くと旦那じみて極りが悪いから、一寸往ってお出で、(美代吉の跡を見送り)
若衆」
車「えい」
庄「煙管を己が買おうが、今は持合せが
無えんだ、己と一緒に
·········家内が居るから家内の
前で高い煙管を何で買うかと思われても困る、金を他に借りる
処が有るから、己が一人でお
前の車へ乗るから、往ってくれゝば金を借りて渡すから、此の煙管と引替に売って下せい」
車「宜しゅうございます
······御新造さんは知らねえのか
······いや承知いたしました、万事心得ました」
庄「そんならば」
とて福寿庵の女房を呼び、何やら
密々耳こすりを致し、お美代を蠣殻町まで一人で帰す事に相成り、一人乗の車を別に雇い、お美代を先へ帰して置いて、自分は大西徳藏の車に乗って金策に谷中の
蛍沢にまいるというお話でございますが、一息つきまして申し上げます。
六
へい藤川庄三郎、
彼の大西徳藏という
車夫に供をさせて、人力でどっとと降る中を谷中の
笠森稲荷の手前の横町を曲って、上にも笠森稲荷というが有りますが、下の方が何か
瘡毒の
願が利くとか申して女郎
衆や何かゞ宜くお詣りにまいって、泥で
拵えたる団子を上げます。あの横町を
真直に
往き右へ登ると七面坂、左が蛍沢、
宗林寺という
法華寺が有ります。その狭い横町をずうッと抜けると
田圃に出て、向うがすうっと駒込の方の山手に続き
微かに
未だ
藪蕎麦の
灯火が残っている。田圃道で車の輪が
箝って中々挽けません。
徳「旦那いけませんな、こんな道じゃア何うも
方が立たねえ、旦那何処へお出でなさるんで」
庄「まア最う少し遣ってくれ」
徳「もう少したって
往けませんな、何うもこの道じゃア」
庄「じゃア歩こう、まア此処に
下しておくれ、何うしたって金策に往くんだから、お願いだから
提灯を持って、車は此処へ置いてお前一緒に往っておくれでないか」
徳「へい、それは何処へでも往きやすがな、
私にゃア
·········唯でさい歩き
難い道だに、お前さん何処まで往くんだか知らねえが、困りますな何うも」
庄「だが
好い塩梅に少し
小降になった」
徳「えい大きに小降に成ったが、何うも降りやすね何うも
·········旦那去年の九月四日の晩も
此様に降りましたな」
庄「うむ
左様かなア、去年も降ったのだか覚えねえ」
徳「へん、降ったか覚えねえ、旨く云やアがる、妻恋坂下のね建部裏まで通りの客を挽いて往った時に、ぴしゃアりと提灯を切られた時に
私ア
胆を潰して、あの建部裏の
溝におっこッちまった、
好い塩梅に少し
摺剥いたばかりでたんと
負傷はしないが、泥ぼっけえ、寒くて仕方がねえから、
夜明しに這入って酒え飲んで、転がっちゃった、処がその客は私ア縁が切れては居るが、かたづいている
妹の
亭主だ、それとは知らねえでおまはんから何うも
·········後は妹一人で仕様が
無え、今では
横浜へ往って居りやすが、何うも
身上を大きくするくらいの奴は無理な算段でもって店を明けるような事が有ろうが、何うもへゝゝゝゝ、借財がまア多く有ったもんだから店を明けている訳にも往かねえで、今では子供を連れて
横浜へ往ってますが旦那、冗談じゃア無え、あの時私ア拾った煙草入だから五十円じゃア安いもんでしょう」
庄「ふむ、おまえは
彼時に挽いてた
若衆か」
徳「へゝあの時に
私ア
······、
彼奴を殺しておまはん金え
奪ったんでげしょう、その金で
彼の別嬪を身請をして、惚れた同志が夫婦になって葉茶屋を出してるなんてえ、へゝゝゝ羨しい話じゃア有りやせんか、
此方ア未だぶらちゃらして居るんですから
直にまア野暮な事を云わねえでさ、面倒だア買っといておくんなせい、五十円で是をおまはんが買って下さりゃア私ア其の金を
資本にして
一商法、私が宜くなりゃ浜に居る
妹も引取って、又お
前さんに
恩返しの
仕られねえでもない、そうすりアおまはんの
些たア罪も消えると云うもんだ」
庄「うゝ
先刻の煙草入はそれじゃア
手許に有るかえ」
徳「ふむ有る/\それでねえ」
庄「なアに
私が落した煙草入と違っている、紋は実の花菱と云ったが、
一寸出して見な」
車夫の出すのを取って、
庄「提灯を上げて見な」
徳「えゝ是でがす、よく御覧なせえ」
庄「はア此りゃアなんだ違うよ、大変違うよ(懐中に入れる)」
徳「どゝゝゝ懐に
突込んじゃいけません、懐に突込んじゃア」
庄「
宜いよ、違っても違わんでも
彼の時に挽いた
若衆と云やア何にも云わず五十円で買おうが、決して他言をしてくんなさんな」
徳「そりゃア必ず云いません、今こそ
車夫だが大西徳藏、
聊か徳川の
臭い米を食って親を泣かした人間だから、云わんと云ったら口が腐っても云いはしない」
庄「それで
安意致した
······人が来やしないか」
徳「いや田圃の中で此の大雨、来る人はございやせん」
庄「向うに見える
灯火は」
徳「ありゃおまはん藪蕎麦だよ」
庄「おゝあれが藪蕎麦か
······向うに見えるは」
と徳藏に向うへ眼を付けさせて、見ると懐から抜出した合口を
把って、力にまかせぶつうりと突いたからばたりと前にのめりました。この騒ぎを少しも知らないのはお美代です。
婢は元数寄屋町の有松屋に奉公していたのを、お美代が旦那を持ってから自分の
手許に呼んで、昔話をするのを
楽みに致して居ります。
美「今帰ったよ」
婢「おやお帰んなさい」
美「お前後生だから
折が二つあるから、お皿を三つばかり持って来て
······くッついていけないから
······それは栗の
金団だよ、お前は甘い物が
嗜きだから是を上げるよ」
婢「これは私は最う何より旨いと思って居りますよ、それとね
姐さんお座敷の時のねえ、あれは何でしたっけね、あの斯うしてそら斯うして丸くって、それ
付合せのお肴でございますよ」
美「おゝそう/\、むつの子がお前は嗜きだったね、お前に持って来たんだからお
食りよ」
婢「ほんとにねえ、あの有松屋の婆さんのように
吝い人は有りませんわ、何でも
食ろという事が有りません、だからねお芋や何か買っても、あなたも知って入らっしゃるけれども、ほんとに何ですのほゝゝゝあなたなんぞは
稼人ですからだが、私なんかには焼芋を買っても、一番冷たくなったお尻の方で無くてはいけませんの、あれでお金を溜めたってね、本当にまア悪く云っちゃア済まないが、本当にいまだに覚えて居りますよ」
美「そう/\あの時分にお前お砂糖を盗んで
甜ていた処を見附かった事があったね」
婢「そう/\、あゝ知れませんよ、時々
匕で出して甜めました事がありましてね、一遍知れたよ、私が口の
端に
附着いていて、少しの間板の間に坐らせられた事が有りましたよ
·········大層結構な、これは福寿庵の、大層お上手ですこと」
美「あの旦那が元御用達で、旨い物は食べつけて居て、それでお内儀さんが元芸者で苦労して、方々の料理茶屋の物を食べて居るから、何うしてもなんだね
調理は上手だよ」
婢「そうして旦那様は
何処へ
·········」
美「あゝお金を何うとかと云って往ったよ」
婢「大層遅いじゃ有りませんか」
美「なアに今に帰るだろう、旦那が帰ったら一口召上るかも知れないからね、少しお肴を支度して置いておくれ」
いくら待っても帰りませんので案じていると、ちーん/\という二時の時計。
庄「大きに御苦労/\、
若衆(車代を払う)
·········帰ったよ」
婢「はい旦那様がお帰りですよ」
美「あれさ起きなくっても
宜いわ、寝ておいでよ
······只今明けますから
············おや車で、
若衆さん大きに御苦労」
車「へい」
美「お茶でも飲んでお出でなさいな、そう大きに御苦労様
·········あなた
余まり遅いからお泊りに成ったのだろうから、私も今寝ようと思った処、あゝ
宜い塩梅に
一時降ってから小降りに成りましたねえ、それにね蝙蝠傘は漏りはしませんか」
庄「なに車に乗ったから傘は要らなかった。」
美「そう、
甚いのに何処まで往っておいでなすったの」
庄「王子の茶園に往って送り
込を頼んで来た、二三
日中に送り込むだろうが、来なければ又往って遣ろうが」
美「着物が大変泥だらけですね」
庄「えゝ着物か、着換えよう」
美「さアお着換えなさい、何うも是からまアほんとに泥が附いて、ま何うしたんだろう、あら血が附いてますよ」
庄「なゝゝなんだ、あアあのなんだ、こゝ駒込の富士
前の方から帰って来たら、青物市場の
処を通ると、犬が五六匹来やがって足へ
絡まって投げられた、其の時
噛合った血だらけの犬が来やがって、己に摺附けたもんだから」
美「あらまア
穢いじゃアないか、
些と
乾しましょう」
庄「あゝ
其方の二畳の部屋の方へ出して置いてくれ、穢らしいから
······おい
一杯酒を飲もう」
と是から酒を飲んでぐうッと寝てしまった。
翌日になって
車夫が持って来た煙草入に煙管の事を聞いても、知らんと云い、
彼れやそうじゃない、煙管も知らん、と云ってお美代にも隠し置いたから、
誰あって知る者は有りませんが、それから翌年に相成りますると、一
月あたりは未だ寒気も強く、ちょうど雪がどっどと降り出して来ました。
幇間三八の腰障子の
閉って有る台所に立ちましたのは、奧州屋の女房おふみ、
三歳に成る子を
負いまして、
七歳に成るお
豐という子に手を引かれて居ります。
駒込片町の
安泊に居りまして、
切通しの坂を下りてよう/\此処まで来る
中に二度転んだと云う
俄盲でございます。
柳川紬の
袷一枚、これも何うも柳川紬と云うと体裁が
宜いが、
洗張りをしたり
縫直したりした
黒繻子の半襟が掛けてあるが、化物屋敷の
簾のようにずた/\になって、王子の
製紙場へ遣っても宜しいという結びだらけの細帯、
焼穴だらけの
あめとう[#「あめとう」に欄外に校注、「アメリカ唐桟の略」]の前掛が汚れ切って居ります、豆腐屋の物置から引出したと云うような横倒しに歯の減った下駄を
穿いて、ぶる/\
慄えながら、
豐「お
母ちゃん、ちゃア
此処だよ/\」
ふみ「はい
·········御免なさいまし」
女「はい
·········おや/\いけない
·········其処を明けちゃアいけない、北向だから、此処の
家は風が這入って寒くていけないから
·········もう出てしまって有りませんよ」
ふみ「いえ私は物貰いではございません、三八さんのお宅は
此方でございますか」
女「あゝあ
·········はい
手前でございます
······お師匠さん
貰人が来ましたよ、
一夜明ければ
直に来るんだから驚くね何うも」
三八「どなたで
······何方で
······」
ふみ「はい誠にお久しゅうございます、私は奧州屋の家内で」
三八「へ、へいへいこりゃア何うも
御新造·········何うもあなたお目が悪くおなんなすって、おゝこりゃアお目が
·········おい/\婆さん、あのね足を洗わなければならない、
跣足だ、雪の中を跣足で、なにを湯だよ、洗濯の
盥でなくても
宜いてば、何を、えい強情張らなくても宜い、知ってるお客様だ、
手拭の
乾たのを持ってお出で
·········さ
此方へ」
ふみ「はい/\恐れ入ります」
三八「まア/\そんなことは御遠慮なしに、えい這入って宜しゅうございますとも、なアにそんな事を、
此方へお上んなさい、嬢ちゃん大層おみおおきくお成んなすった、何ういうまア何ですか、お寒うございましたろう、何処から、駒込から、いやそれは大変でした、さゝ此方へお出でなすって火鉢の側へ、婆さん
炭取を持って来て、
其方にも火鉢を出しな大勢だから一つの火鉢にかたまる訳にいかねえ、それからお茶を入れて菓子を出しねえ、何い、そう幾つも手が有りませんと、強情ッ
張の
婆だ
······さ此方へ
·········お変りもございませんで
······御難渋の事で、
予て承わって居りますが」
ふみ「申し三八さん、私も
此様なにおちぶれましてございます」
三「へい誠に御無沙汰致しました、横浜にお出でなさる事は聞きましたが、何うも浜だから一寸お尋ね申す事も出来ず、お目の悪い事も存じませんでしたが、
何れ又病院にでもお入りなすってお療治でも致せば」
ふみ「はい有難うございますが、病院へ入りまして、入院中も
種々お医者様も御丹誠なすって下すったが、何うも治りません眼と見えまして、もう何も
彼も
売尽しまして此様なにおちぶれ果てました、
私はもう
前世の約束だと思って居りますが、親の因果が子に
酬うとやら、何にも知りません子供たちにまで(涙をふき)
饑じいめをさせます、
何方と云って知っている人もございませんで、始めの程は御懇意様やお慈悲深き方から救われましたが、又二度とも参られませず、新助がお馴染でございますから、何うか三八さん(
歔欷)あなたの
処へなんぞ申して参られた訳ではございませんが、
能々と
思召して、子供を可愛想と思って、少しばかりお恵みなすって下さい(
泣伏)
昨日から子供達には未だ
御飯を食べさせません、今朝程少しばかりお芋を買って食べさせましただけで」
三「おゝゝおや御新造何うも何ともはや、人という者は何うも過ぎて見なけりア事の分らねえもんでげすが、あなたの
処は結構なお身代で、旦那さんは一寸お出での時も
金側の時計を頼まれ物だとおっしゃって、五つも六つも持っておいでなさる、あの御身代が今のお身の上、三八などは前から貧乏だから格別貧を苦にも致しませんが、良い人ががたりと斯うなるというと誠にお困りなさる、
矢張あなたなんぞは結構のお身の上だけに、貧乏に
甚く驚くと云うもんで
······旦那様が妻恋坂下で三年
後に御切腹なすったと云うのだから、これが何うも驚きましたね、何うも」
ふみ「はい、それにねあなた、あの時に人様からお預かり申した大金がございます、それと金側の時計が一つ
紛失りました、
金もございませんから、若し盗賊にでも取られまして、それであゝいう堅い気性でございまして、はッと取りのぼせましたか、又預り金を取られ申し訳が無いと切羽詰りに成りまして、あゝいうことに成りましたか、もう
歿なりますると、中々先の貸金は参りませんで、借財も多くございましたから、人様も、道具を運んでしまって、
他家へ預けて身代限りを出して仕舞え、そうすりア
後で
何の様にも身代が出来ると云ってくれたお人も有りましたが、得心づくで借りた借財、何うしてあなた、そんな事が出来ましょう
伽蘭堂にしてお渡し申して、残らず店の品物まで売り尽しましてお返し申したから、
手許へは僅か百二三十円有りましたが、それから私は眼が悪くなり、病院に這入ったり何や彼やで遣い果し、浜でも富貴楼の御夫婦が御親切になすって下さったが、
東京に
親戚も有りますから、それを力に
上りますると、昨年の九月其の親戚の者も何ういう因縁でございますか人手に掛って非業な目に
遇い、その
葬式まで困る中で私が出す様な訳、何処と云って頼る
処もございませんから、駒込片町の
三春屋と申す
安泊りに居りまする」
三「おや/\何うも間が悪いと悪い事ばかり出来て、間が善くなると一切何うも善い事ばかり出て来るものだから、又是から悪い事ばかりも有りますまいから、御心配なさんな、わたしはお金も何も無いから、芸者屋へ
往きましょう、旦那様から御祝儀を頂いた芸者から
勧化帳でなく、小さな一寸した帳面を拵えて往って、志を何程でも、旦那様の
何でがす、御贔屓になすった
芳町に
金八にお豐も御ひいきに成りました、義理が有る
処で、
先松源と鳥八十、大茂へまいりまして、又下谷の芸妓ではお稻に
小〆、
小竹、小ゑつ、おみき
·········兎も角も私が往って貰うような事にしましょう、若い
処の芸者や何かは会の義理を出すと思えば貴方一寸びらを拵えても、びらが五十銭に
贈物が二円も掛る、大した散財に成るんだもの、それは又僕が何うにも致しやす、何うにか成りますよ、気を落しちゃアいけません、嬢ちゃん何うも
温順しくお成んなすったが、何うもお加減が悪うございますか、大層お痩せなすって」
ふみ「なにあなたね、続いて二日ぐらい食べぬ事が有りまして、又食べさして又たたた食べ
······(泣沈む)何うもがゞ餓鬼道のようでございますから
瘠せます訳でございます」
豐「お
母ちゃん、お
飯が食べちゃいなア」
三「おゝ/\上げます/\
·········婆さんお膳立をしてくんな、な何を、お飯を何うしたと、
冷ではいけません
温かいのを、お
雛さん
処へ往って借りて来な、何か無いか
家に、何を何処かに往って鳥鍋かよせ鍋でも何でも熱い物でさいあれば
·········なにを雪が降ってる、雪だってお前春の雪、そんなに寒い事はない
·········さゝ
御飯を」
これから親子の者にお飯を食べさせたので、大きに
温まりがついた。
三「もし男の胴着や何かは女には
着悪いが、
家には
独身者ですから、女が
居るには
居りますが女の部には
這入ねえで、女の大博士に成っちまって、羽が生えて飛びそうな
雇婆です、えいまアお前さんは少し
此家にお待ちなさい、集めて見ましょう、いけないと云ったらお前さんも御一緒にお出でなさるよう、
先方だって人情ですから出しましょう」
と是から三八は先ず
彼方此方を頼み
散かして歩くと、
立引にア
見得張る商売ですから、あの人が
幾許出したから、まアわたしも幾許出そうと云うので、多分にお金が集って来ました。
三「もし御新造さん旦那が
善い方で物を遣って有るから、旦那の愛敬で何うもお気の毒だ、
私にも出さしてくれと云って呉れます、若い芸者衆やなんども、呼ばれた事は無くてもお名を聞いたばかりで出すから、三八出さしておくんなさいと、これが旦那の徳と云うものは恐ろしいもんで、何うも大したもので、是から柳橋と新橋と吉原へまいりましょう」
ふみ「はい/\何ともまア
·········それもあなた様の御親切で」
三「此の他には
全で方なしの
処には
往かれませんが、あゝ
善い事が有りますぜ、旦那が一番贔屓にしてくれた人という者は何で美代吉さんです、是が運の善い人で、自分が
惚た男に請出されて、蠣殻町に居たのだが、越して新らしく此の頃建った家を借りて、それが今
御徒町一丁目の十六番地へ葉茶屋を出しました、
松山園とかいう
暖簾を出して、
亭主の方が坊ちゃん育ちの善い人だから、それに美代ちゃんは旦那に御贔屓になったんですから
·········分らねえ奴は有松屋の
婆さ、何だかぐず/\云いやがって、
否なら
止しやアがれとも云わないが
·········それとちがい是は大丈夫だ、
先方が大きいから二十円や三十円は出してくれるかも知れないが、まアあなたを連れてって見せなくてはいけない」
ふみ「何ともお礼の申し上げ様もございません」
三「何う致しまして、
何にしろ
跣足じゃア
往けません、何に仕ましょうか、車をそう云ってお呉れ、此の嬢ちゃんと
合乗に乗って三人に成ります、それ故に三人乗ってそろ/\
挽いて、僕は
贅だからぼつ/\下駄を
穿いて歩いて往く方が便利だ」
と親切な男で、車を拵えて、余り遠くも有りません御徒町松山園に参り、台所から、
三「へい
今日は、夜分
晩く出まして、相済みません」
婢「はい入らっしゃい
何方様」
三「えい
御叮嚀では困ります、数寄屋町の三八で」
婢「
勘八さんと仰しゃりますか」
三「勘八ではございません、三八ですとそう仰しゃって下さいまし」
婢「はい、あの何です数寄屋町の
雁八さんという方が入らっしゃいました」
三「何うでも間違ってやがらア」
美「そう、おやまア何だね、表から這入れば
宜いのに」
三「いえお店の方から這入って茶の壺を引倒した事がございますから
······誠に御無沙汰致しました」
美「もし
此方へお上んなさいな」
三「お
取膳で、八寸を四寸ずつ喰う仲の善さ、という川柳があります」
美「何をえ」
三「何でも始めは
穢い物を連れて来たが、段々綺麗なお話に成るので
······旦那誠に御無沙汰を」
庄「おや、さ、
此方へお這入んなさい」
膳を片附けそうにするを無理に止めます。庄三郎は
織色の羽織を
著まして、
二子の茶の
黒ぽい
縞の
布子に縞の前掛に、帯は八王子博多を締めて、商人然としている。かた/\の方は南部の
乱立の
疎っぽい縞の小袖、これは芸妓の時の着替をふだん着に卸したと云うような
著物に、帯が
翁格子と紺の
唐繻子と腹合せの帯を締めて、丸髷に
浅黄鹿子の手柄が掛って、少し
晴々しい商人の細君然たるこしらえでも自然に垢が
脱けて居ります。仲の善い夫婦で、思いに思った仲でございますから、お
飯を食べても物を
衝き合って食べるが面白いという間柄です。三八も馴染だから、
庄「さ
此方へ」
三「旦那追々御繁昌で」
庄「此の間は何うも何ですな、池の端の方へ小僧に持たして遣りました時に多分に買って下さって」
三「いや何でも
多量という訳には
往きませんが」
庄「なに
些とずつでも
度々買ってくれる人が有れば
善いので」
三「大変に何うも、いえ評判が宜うがす、一つは
此方の御新造が御器量が
美いからお茶の色がよく出ますとね」
美「あら何うも
情が出る、いやな油だ事よ」
三「そういう訳ではない御新造様」
美「御新造様なんて名をお云いな」
三「それ何うも
凛々しく成っちまって気が詰ります
······おかみさん、誠に何うも御無心に来たんです、芸者衆の
処に斯うやって帳面を持って貰って歩いて、金も集りましたが、是では何うも親子三人
行立たないので
······世帯を持たして
何んな商法でもさせたいと思ってもお
母さんが目が悪いんですから、と云って親の有る者は育児院では入れてはくれますまいから、仕様が無いから、何うか工夫をするにも金さいありア附かない事も有りません、それは他でも有りません、あなたを日頃御贔屓にした奧州屋の」
美「奧州屋の、おや」
三「それ美土代町の新助さん、妻恋坂下の切腹三法南無三法さ」
美「あゝそうかね、それが何うしたの」
三「何うしたって仕ねえって、驚いたね何うも、駒込の
安泊に居るってえんで、何だか目が潰れてしまって、本郷の
切通しを下りるにも三
度とか四
度とか転んだが、下へ転がり切らなけりゃア、
落著いてこれから歩き出すという身の上にゃア
往かないてえんで」
美「何うぞ
此方へお這入りなすって
·········お初にお目に懸ります、かねてお噂には聞いて居りましたが、さア此方へお這入んなさい
·········この火をなんして上げな」
ふみ「お初にお目に懸ります、新助はお心安いそうでございますが、
私はお目に懸った事も無いに、新助が
彼んな訳に成りましてから、だん/\零落いたして
·········親子の難儀を三八さんが可愛相と仰しゃって下さって、
此方様まで御無理を願いに上って
·········お蔭様で親子の命が助かります、誠にお気の毒様で」
庄「お、いゝや御心配しなさんな、三八さん
私は何でもお力に成りますから、まア/\心配しなさんな」
と庄三郎親子ぐるみ引取って世話を
為にゃならんが
※[#「救/心」、605-9]に云い出してはと庄三郎思案にくれました。お美代は知りませんから
此方と是から昔物語になりますと云う、ちょっと一と息。
七
そこでお美代が火鉢に
沢山火を取りまして、親子の者を五徳に並べて、たっぷりとした茶碗に茶を入れて出します。有合わしたお菓子を紙に包んで子供にあてがい、
ふみ「おや有難うございます、お構いなすって下さいますな、有難う存じます」
美「おや可愛らしい事ね、女のお子さん、お
何歳に成ります」
ふみ「はい
七歳でございます、豐と申します」
美「おゝそう親の無い
方は
温順しいもんですね、可愛いじゃないか何うも、お
少さい
方は」
ふみ「はい男でございまして、
三歳で新太郎と申します」
美「そう、温順しい事ね、叔母ちゃん
処に今夜は最う遅いから泊ってお出でよ、泊っても
宜いかい」
豐「あゝお
母ちゃん、あの叔母ちゃんが泊れと仰しゃるから泊るよ、泊っても宜いかえ」
ふみ「いえもう
穢い姿で
······何うかお邪魔に成りませんお
台所の隅にでもお
寐かしなさって、今居ります安泊りのような、あんな穢い
処に居るものでございますから、只
夜を明かさしてさえ頂けば
······これ、そう戴いて
直に食べるものではない、お行儀の悪い
······久しくお菓子も買って食べさせる事が出来ませんから
······こんな育て様は致しませんが、この頃はがつ/\致しまして、幾ら小言を申しても、下さると直に食べるので
······そんなにお口に入れる者じゃアないよ」
豐「だってもね、わたいは食べたいもの、あの
腹が空いてるから」
三「まことにお可愛そうじゃア有りませんか、これが奧州屋のお嬢ちゃんやお坊ちゃんとは思われません
·········えゝなに子供
衆だから気儘いっぱいにさせて置くが宜しい、実に乱暴な
児が有りますからな、此の間も私の
家に這入り込んで、鍋や何かの物を掴み出して食ったり、
種々の
器物を
放ったりして何うも
······それに旦那のない
後に此のお
内儀さんが正直な気性だから、身代限を出す時にも大概の
横著の奴なら、道具や何かは親類にこかして
空明にして預けて、
後でずうッと品物が廻って来るようにと云うのが
普通だのに、残らず店の品物まで売ったという、そうして
先方に心配を掛けないなんて
······矢張あなたそう/\悪い事ばかりはございませんから、まアお眼を
···何うか一番上手なお医者さんに
診てお貰いなさい、おゝ永田町の
伊藤方成先生が、私はあの方に御贔屓になった事がございますから、その
中又願いに出ましょう、貧乏人にはお薬をたゞくれるてえんでございますから、私が頂いてまいりましょう、それはお上手な事は、お医者さんがわるいと伊藤さんにかゝると云うくらいだから、
内瘴が眼が明いて駈け出したり
何かするんで、何うも不思議じゃア有りませんか、それにお嬢ちゃんも
七歳にお成んなさりゃア学校に入れて教育しなくては、そして御親類と申すのは何ういうなんです」
ふみ「はい、私の兄で元徳川の士族でございまして、
大西徳左衞門という者の総領で、この兄の名は徳造と申して、これも峯樹院様の御用達をして百俵も頂いて居りましたが、放蕩無頼で、
蔵宿には借財も出来、頂戴物やら先祖の
遺物まで何も
彼も遣い果し、
終には私の身体まで売ろうとして、私を
騙して悪い
処へ沈めようと掛りましたくらいの
磊落者でございます、それでもたった一人の兄でございますから、また相談に乗らない事も有るまいと浜から出て来て見ますと、昨年の九月四日谷中の蛍沢という
処で非業の死をいたし
·········是も乱暴の
罰でございましょうが、殺した奴は何者でございますか、多分
御酒を飲んで暴れか何か致して斬り殺されてしまいましたのでございましょう、その検屍の事から葬式も此の難儀の中で
私が出す様な事でございまして」
三「へいえ何うもお不仕合せ、なれども御新造さんは根が武士のお嬢さんだから何うもと
平常私が申して居りました、
一昨年花の時に御新造様の御様子が何うも町人とは違いますと云いますと、旦那が、えゝなアになんて
瞞かして仰しゃらなかったが、何うも違うと思って居りました、
兄様と云うのは
酷うございますね、一体何をしてお居でなさったので」
ふみ「はい、
零落まして車を
挽いて居りました」
三「
車夫を殺して何も
盗る訳もないのですからな、何うも中に筒ッぽの古いのが丸めて這入ってるだけですからな」
ふみ「はい、
矢張お酒を飲むかなんかして、暴れて斬られたのでしょう
······あれが」
三「いえ何うもそれに、あなたの処の旦那の何うも腹切りが、何うしても、分らないというのです、そりゃア
何方でも評判です、あのように
沈著いて居る方がね何うも」
美「ちょっと三八さん、あの何だね、
一昨年の九月四日にね
·········贔屓だって
情夫でも何でも無いのですが
·········あの晩にお帰りなさらなきゃア
彼様なことは無いものを
······あれをお帰んなすった晩だよ」
三「そうですな、何ういう訳でがしょうな、あれは」
ふみ「はい何うも御検屍を願いまして腹を切ったという事には成りましたけれども、もう実は仰しゃる通り
沈著者で、
種々に分別して、人という者は事を
落著け心を静めて見れば、
何んな事でも死なずに済むものだと申して、
己なんぞは是まで苦労をして来たから何んな貧乏に
零落れても困りはしない、又工面が宜く成っても困りはしない、何でも詰らない事をくよ/\思うな、心を広く持ってと、一寸寝酒を飲みましては私共の心の落著くように云ってくれまする、貯えて居りました金子は
他人の預かり物ですが、それが有りませんでしたから、多分
盗賊だろうと思います、それに
金側の時計がございません、何うも腹ア切った
後で、まさかあんな姿をしている処を
盗賊も掛りますまいとは思いますが」
三「そう云えば
彼の時に何ですね、乗ってお帰りなすった
車夫ね、何だかぶき/\した奴ね、車夫さん急いでお呉れったら、急げたって人間の歩くだけきゃア歩けやしないって、私ア
忌々しくていまだに忘れられねえ、
彼奴が何うもなんとも云えませんよ、何うも変な奴だね、実に何うも腹を切るというは妙ですな、それとも預かり物を取られまして、先方に申訳が無いという堅いお気性で」
ふみ「はい、私の
良人は元は会津様の藩中でございまして、少しばかりお高を頂いて居りましたから、今では商人に成りましても武士の心は離れません、あゝ済まないと、堅い気性から切羽詰りに相成って」
美「もしあの奧州屋の旦那様は会津様の御家来ですの、会津様の何というお方、
重役のお方でございますか」
ふみ「はい、私も
委しいことは知りませんが、お高も余程頂戴致した様子
·········松山久馬の次男の久次郎と申す者だとよく私に申しました」
美「あらまア、まア何うも、あら松山さんていの、あらまア一寸三八さん旦那は私の
兄さんだよ、何うもまア」
ふみ「はゝア、あなたはお
妹御あらまア」
美「私がね生れると、道楽で御勘当になったという話をお
母さんが死ぬ前に私に申したんですよ、お
兄さんは家出をしてしまったッて、私が生れて間もない折ですよ、お兄さんに
遇いさいすれば力に成ると思って、私は
神信心して居たが
·········道理で、それ私のお
父さんの書いた短冊が貼って有ったら、
家へ来て」
三「そう/\、そう仰しゃれば思い出した、あの時ぽろりとお泣きなすった
······それからあなたの身請の相談、これは本心
放埓で、
敵を討つ所存はねえに
極まったとも云わないが、請け出しに掛った時は変だと思って居りました」
美「だからね
兄さんは只可愛がりなすったのだよ、それで無くてあんなに可愛がる筈はありゃアしないね、知ってたから」
三「あの何うもその短冊が何うとか云いましたね、親が何うとかして何うとかだって
·········あれからお上りになって、それで身請と成ったんでしょう、だけれども
間夫が有るなら添わして遣ると、何うも由良之助見ていな事をおっしゃったが、その帰りに
與市兵衞見ていに殺されるていのは何うも分んねえ」
美「殺されたのならば私も何うも残念で
耐りませんよ」
ふみ「私も何うも人手に掛ったと存じますが、もし殺した奴でも分ったら、眼が見えなくとも武士の
家に生れた女、亭主の
仇を尋ね探して討ちたい心も有りましたが
······あゝ斯様に
盲人に成りましては」
美「おゝ不思議な御縁でお目に懸りました、私の兄の女房なら私の為にはやっぱり
姉さん、
兄さんの敵だって討てない事は有りません、ねえ庄さん、お
願ですから若しも敵が知れましたら、藤川さん貴方も以前はお
旗下ではありませんか、たとえ女の細腕でも武士の家に生れた私です、一生懸命になりますから、助太刀して、
屹度知れたら、敵を捜して討たして下さい」
というのを聞いて居りましたおとよが
七歳では有りますが、
怜悧な子でありますから、
豐「お
母ちゃん、お
父ちゃんを殺した奴が有れば、豐ちゃんも敵を討ちます、この叔父ちゃんに手伝って頂いて、ね叔父ちゃん手伝って敵を討たして下さいよ」
ふみ「あい/\よくお云いだ/\、死んだお父さんが草葉の蔭で聞いたらさぞお喜びなさるだろう
·········親孝行の事を云っておくれだ」
三「へい感心々々感心」
ふみ「只今の世の中では敵を討つことの出来ない世の中とは
予て聞いては居りますが私は昔風で、何うか敵を討ちとうございます、もし敵が知れたらば私さえ殺されゝば宜しゅうございましょうから、何うぞ敵を討たして下さいまし」
三「まア/\感心だ、実に年は
往かないが、是は
矢張松山さんのお
胤だけ有って、私ア聞いて居てぽろりと来ました、いやこれは誰でもポロときますよ、私はね芝居でも世話場でちょっと
此様な子役の出る芝居へ往って見物していると、子役が出て
母様というと、まだ何だか解らない
中にぽろ/\と直ぐお出でなさる、誠に何うも恐れ入りました」
庄「三八さん、此の親子の衆は
私が引取って又敵を討たせる時も有ろうし、
何にしても親切にしておくれで、今夜は雪が降るからお泊め申すから、安心して置いて帰って下さい」
三「有難う、だから
此方に参ると申したんです、有松屋の婆さんは出しませんね、何うかお前さん旦那も来て始めて逢った時にもあゝしてくれたんだからと云っても、決してそんな事をする
義理合は有りませんと云うような顔附から、慾にばかり目を附ける
婆で、
彼奴は腹でも切りそうな婆です
·········まお
暇致しましょう、へい左様なら御機嫌宜しゅう」
美「まことにお
草々致しました、車でも」
三「えい私の
家に帰るんですから、なに車も待たして置きましたから、ちょうどあの車に乗って帰ります、へい左様ならお女中、
御新様それじゃお
泊んなすって
·········左様なら」
と三八は帰ってしまう。これから
温かい物でお
飯を食べさせて、親子の者を丁寧に客座敷の
方に寝かして、自分は六畳の茶の間の方に寝ました。
夜が明けると、お美代が側に床を並べて寝ていた庄三郎の居ないに驚いた。
美「何処へ往ったろう
·········旦那は何処かへお出でなすった
·········兼や(下女の名)旦那はお
手水かえ」
兼「いゝえ存じませんよ、
先刻から此処で焚き附けて居りますが、知りませんよ」
美「何処へ往ったんだろう」
と呼んでも音も沙汰も無い。はて変だ。と思って二畳の処を開けに掛ると、
栓張が
支ってあって
唐紙が明きません。
美「旦那」
と、
揺るとたんにがらりと転げた音がする。飛び込んで見ると藤川庄三郎は
何時の間にか合口を取って、立派に腹一文字に掻切って死んで居りました。
恟りしたのはお美代。
美「さア
皆な起きてお出でなさい、
良人が腹を切りました」
というから店の者も出てまいった。店もまだ開けない
中でございますが、目の見えないおふみまでも来て子供も死骸に取り
縋って泣き出しまする。すると
傍の
硯箱の上に書残した一封が有ります。これを開いて見ると、
書遺し候我等
一昨年九月四日の
夜奧州屋新助殿をお
久の実の兄と知らず身請
[#「身請」は底本では「見請」]されては一分立たずと若気の至りにて妻恋坂下に
待受して新助殿を
殺害致し候其の時新助殿始めて松山の次男なる事を
打明し十九ケ年の
年月を経て
妹お久に巡り合い身請をして此の庄三郎と夫婦にさせんと存じて約束致し候其の帰り
途なり
斯なるは不孝の罪
持合せたる
金五百両は
其方様に差し上げ候間是にて妹お久を身請して
女房となし松山の
家を立てさせくれと
今際の頼み其の場は
遁れ去り其の
金五百円にてお久を
身受致夫婦と相成候それ故に苗字を
取て松山園と
号け居りしが昨夜親子の困難を見殊に助太刀の頼み人は知らねど心の苦しさ又昨年蛍沢にて殺害したる
車夫徳藏は妻恋坂下にて新助殿を殺したる時に乗せたる車夫にて其の時取り落したる煙草入を所持なし居り是を買いくれよと云いかけられ是非無く殺害したるに新助殿妻おふみ殿の
兄御とは露知らず昨夜の物語に始めて知り兄
良人の
仇申訳相立たず自害致し相果て候我等なき
後々は我が財産は松山の
御子達へ引渡し候処
実証なり松山の家名は二人の子供を以て跡目相続を頼み入り候妻お久は年若故再縁致し候様我は兄貴の仇なり心を残さぬ様に
斯書残し候
との書置に皆打驚き、
匆々差配人差添えの上で訴えに相成ります。漸く
事済になって、此のおふみの子供をもて相続人に相定めまする。又お美代は後、後家を立て通して居りましたという。おふみが死去の後に子供等が引続きまして松山の家を立てまする。御徒町の
腹切と人の噂を聞きまして、愚作なれど一冊のお話に
纏めました、松と藤のお話でございますが、先ずこれで
全尾でございます。
(拠酒井昇造、佃與次郎速記)