判決の理由は長い長いものであつた。それもその筈であつた。之を
彼は被告の陳情を一々聞取つた。云ひたいことがあるなら何事でも聞いてやらうと云つたやうな態度で、飽かず審問をつゞけた。之が被告をして殊の外喜ばしめた。之れなら本統の裁判が受けられると思つたものも多かつた。概して彼等は多くを云つた。某々四五人のものは、既に一身の運命の窮極を悟り、且つは共同の被告に累の及ばんことを慮りて、なるべく詞短に問に対する答をなした丈であつたが、之等は千万言を費しても動かすことの出来ない犯罪事実を自認して居たからである。反之大多数の被告は、拘引されたこと自体が全く意想外であつた。そして其罪名自体が更に更に意想外であつた。新聞紙法の掲載禁止命令は茲に威力を発揮して、秋山亨一、真野すゞ子、神谷太郎吉、古山貞雄等の拘留審問の事実を、一ヶ月余も社会へは洩さなかつた。内容は解らないが、由々しい犯罪事件が起つたと云ふことを聞いて、誰しもその詳細を知りたいと庶幾つた。一体何を為出来したのであらう。世人は均しくこの疑問に閉された。被告の大多数は実にこの世人と一様に、事件の真相を知らうと希望して居たものである。も少し分けて云へば、其中に又、全然秋山等拘引事件をすら知らないものもあつた。それが自らの身の上に及んで来て、共犯者だと云はれて、
被告のうちに拘引当時軽からぬ腸加答児に罹つて居たものがあつた。二日半も食事を取らないでじつと寝てゐたのに、令状を執行せられた。東京より以西横浜、名古屋、大阪、神戸、それから紀州、ずつと飛んで熊本に亙つた犯跡の捜査に
此の泣いた被告は三村保三郎と云つて大阪の住人であつた。開廷後二日目であつた。一同が席について裁判長が書類の頁を繰り返して居るときであつた。突然彼は
「裁判長殿」かう叫んだ。その調子があまりに突拍子もないので満廷のものは、少しく可笑味を感じ乍らも、彼が何の為に裁判長を呼び掛けたかを次の問によつて明にしようと思はぬものはなかつた。それから又第一回公判以来、被告等はすべて、恭順謹慎の態を示して、誰あつて面を上げて法官席をまともに見ようとするものはないのであつた。犯すべからざる森厳の威に恐れかしこまつて居ると云ふ有様であつた。然るに今此被告は頓興に裁判長を呼びかけた。之にも亦一同一種の興を覚えた。裁判長は黙つて被告を見て、ちよいと顎を動かした。それは「何だか、云つて見ろ。」かう云ふ詞の意味を示したものであつた。
「わ、わたしは耳が遠いんですが。どうも聞えなくつて困りますから······」
席を前の方へ移して貰ひたいと云ふのであつた。彼は自らの語るが如く耳が遠いのであつた。顔貌が何となく
彼は自ら語る如く主義者間にも余り信用されて居ない人間であつた。或は其筋からの目付かもしれないなどと云ふ疑もかゝつて居た。彼は同志の人々の思はくを薄々知つて居ながらも、其跡先にくつついて放れなかつた。意気地のない、小胆ものである。家系を調べて見ると神経病で伯父が死んだ。父の死方も或は自殺らしいと云ふ噂もあることが稍後になつて解つた。
さて此男はなぜに泣いたか。声を挙げて泣き出したか。拘留されて以来、彼は余りに多く恐れた。初めて審問廷へ引き入れられて、初めて捜査官の前に立つたとき、もう身内は
彼はその時の光景を想ひ起したのだ。午後から引続いての審問に捜査官も疲れた。彼は勿論疲れた。動悸は少し鎮つたが夕飯は喉へ通らない。やうやく貰つた一杯の茶も土臭い臭がして呑み乾すことも出来なかつた。段々夜は更けた。見張りの人が眠げに片方に腰をかけて居る丈で、外に人はない、もし彼に逃亡を企つる勇気があつたなら、こんないゝ機会は又とないのであつたが、彼にはそんな呑気な||今の彼として実際それが呑気な事であつた||計画を考へてる遑がなかつた。掛りの人が席を引くときに、しばらく控へて居ろと云はれた詞の中に、腰を下ろしてもいゝと云ふ許しも出たかの様に思はれたが、もし不謹慎だといつて叱られやしないかと思へば、やはり立つて居なくてはならなかつた。足はもう感覚もないやうになつた。上半身がどれだけ重いのであらうとばかり感ぜられた。頭はもんもんして手の中は熱い。一方の脚を少しあげて、一方の脚だけに全身を支へて見る。楽になつたと思ふのは一分間とも続かない。こんどは脚をかへて見る。やはり一分間ともならないうちに支へた方のみが重みに堪へない。歩いて見たらいくらか苦しみが減るかもしれない。歩いて見たい。彼は思切つて左の足を持ち上げた。見張の人は一心に彼を見つめてゐる。ぎよつとして彼は又姿勢をとつた。何か複雑な事を考へ出して、それに全精神を集めたなら、少しはまぎれることもあらうかと思つた。けれども彼は何を考へることも出来なかつた。全く頭が空虚になつた。
彼は公判廷に於ける彼の訊問の時、極めて冗漫なる詞を以て、その当時のことを陳述し、自己の自白が真実でないことを、思切り悪く繰り返した。しまひにはおろ/\声になつて居た。それ故彼が他人の陳述を聞いて居て、堪へ切れずに泣いた
若い弁護人は竊に心を悼ましめて居た。[#改行天付きはママ]
裁判長は一度途切れた訊問を、彼の泣き声の跡から進行さすことを忘れはしなかつた。強ひて平調を装ふと云ふ様子が見えるのでもなかつた。
此被告については、語るべきことが頗る多い。彼はその陳述の最後にかう云ふことを云つた。彼は少しくどもりであつた。陳述はとかく本筋を外れて傍道へ進みたがるので、流石の裁判長も一二度は注意を与へた。其度毎におど/\し乍ら又しても枝葉のことにのみ詞を費した。やう/\事実の押問答が済む頃になると、彼は次の様なことを陳述した。
彼の云ふ処によると彼の自白は全く真実でない。元来彼は無政府主義者でない。只真似をしたい許りに大言激語を放つて居たにすぎない。突然拘留の身となつて、激しい取調を受けた。もう裁判もなしに殺されることだと思つた。大阪から東京へ送られる途中で、彼は自殺をしようと思つた。大阪を立つた時にはもう日がくれて居た。街々には沢山の燈がともされて居た。梅田では三方四方から投げかける電燈や瓦斯の火が昼の様に明るかつた。二人の護送官に前後を擁せられ、彼は腰縄をさへうたれてとぼ/\と歩いて来た。住慣れた大阪の市街が全く知らぬ他国の都会の様に、彼には
思へば
彼が訊問に疲れ、棒立ちになつてゐる苦痛に堪ヘずして昏倒した後、考がこの不可測な起因、経過、終局に及んだとき、彼は逆上せんばかりに煩悶した。それは夜も深更であつた。昼からかけての心の
一体俺は志士でも思想家でもないんだ。俺は一度だつて犠牲者となる覚悟をもつたことがない。革命と云ふやうなことは、俺とは関係のない外の勇しい人のする役目なんだ。遠くからそれを眺めて囃したてゝ居れば、それで俺の役目はすむ訳だ。俺は一体何を企てたと云ふのであらう。一時の勢にかられたときは、随分
俺の様なものを引張つて、志士らしく、思想家らしく取扱はうとする当局者の気が知れない。けれども当局者はどこまでも俺の犯罪を迫及する、俺は助からぬかも知れない。殺されることがもう予定されてるのかも知れない。こんな臭い部屋へ抛りこんで
彼は出来るだけ恐怖の心から逃れたいと思つた。それにはどう云ふ風にしたがよいのであらう。眠るのが一番に賢いことである。さもなくば、殺されることなどは決してないと決定をつけるか。死ぬとなつて見て何が悲しいかと自ら諦めをつけるかの二つしかないのである。到底眠ることは出来ない。それなら殺される様に事件が成行くまいと云ふ予定が出来得ようか。此予定をつけるには此先幾多の糾弾の惨苦に堪へ得なければならない。さらば死を決して了へるか。こんな大きな、神秘な問題は彼に解決のつくべき筈がない。生か、死か、自由か、強情か。彼は縺れかゝつた絲巻の端をさがさなければならないと思つて、気を平にしようと努めた。群がる雑念は彼の努力を攪乱した。一層のいらだたしさが彼の頭の中を駈けまはりはじめたのであつた。彼はしばらく瞑想して見たが、とても堪へ切れなくなつて、そつと眼蓋を上げて四辺を見廻した。部屋は依然として真暗である。
「おや」彼は不思議に思つて、眼を拭つて見直した。窓はやつぱり窓の儘である。ぞつとして彼は
「誰かに来て貰ひたい。」彼は一心にかう思つた。
彼は起き上つて戸を叩いた。どん/\叩いた。何か変事が起つたかと思はせるには此の上の方法はないのであつた。果して慌たゞしい物音がした。四つの乱れた靴の音と、佩劔の音とであつた。僅かの時間の間に戸の外にもの云ふ高い濁音までがして来た。彼はふら/\し乍らも戸の側に身を寄せて、錠の明くのを待ち構へて居た。
具合の悪い錠をこぢあける音がしてやがて戸が開いた。白服の警官が二人で、一人は提燈をかざして居つた。
「どうしたんだ。」尖つた声で一人がわめいた。彼は何事も耳にはいらない。只恐しいこの暗黒から、人の声と、火の光がして来たのを堪らず嬉しいと思つた。早くこの部屋から身をぬけ出したいと云ふ一念で、彼は戸のあくのを遅しと
「こらつ。」警官は怒鳴つた。そして彼の襟がみをむづと引掴んだ。
「何をするんだ。」も一人の警官は提燈を抛り出して彼の前面に立ちはだかつた。
「生意気な真似をしやがるんだい。」
太い拳が彼の頭の上にふつて来た。背中の辺りを骨も挫けとばかりにどやされた。彼は一たまりもなく
荒狂ふ嵐の前には彼は羽掻を蔵めた小雀であつた。籠から逃げようとは少しも考へては居なかつた。哀れむべき小雀は魂も消える許りに打倒れて、一言の弁解さへ口から出なかつた。誤解ではあるが、警官の方でも一時は肝を潰したのであつた。大切の召取人として彼等は厳重に監守する責任を負はされて居た。それか仮令百歩に足らぬ距離をでも、逃亡したとなれば、役目の上、
彼は再び独房へ押込められた。新に手錠をさへ嵌められた。起上り小法師をころがす様に、手のない人形は横倒しにされた。撲たれた痕の痛みはまたづき/\する。臂頭の辺は擦剥いたらしく、しく/\した痛を感ずるとともに、いくらか血も出た容子であつたが、手がきかないのでどうすることも出来なかつた。警官は
「本当に殺されるのであらう。」彼はかう思込むと涙が溢れた。頬を伝つて枕許へ落ちた。ぽとりぽとりと一つ/\寂しい音をして涙は落つるのであつた。
友達の様な口吻で警吏は彼を彼の家に訪問し、そして有無を云はさず警察に引致した。事はそれから始まつたのである。之れまでとても彼は自由の尊さを知らない訳ではなかつた。生噛りの思想論を振廻して「人間の最も幸福と云ふことは絶対的に他より拘束せられざる生活より生ず」といふことなどを一つの信条であるかの如く云散らして居た。されどもそれは彼に取つては、空論であつた。

しかも彼は自ら此の如くに憎悪され、嫌忌され、害物視される筈がないと思つて居た。それで今彼が、一身を置くべき場所をだに与へられず、一指を動すべき活動をだに許されないと云ふことが、決して正当なる権力の用方ではないと思ふのであつた。斯様にして権力の濫用を恣にする政治家は、事の真偽、理の当否を調査することなしに、只一概に大掴に、否むしろ虚を実と誣ひ、直と曲を邪み、何でもかでも思想の向上、流布を妨止するのであるとも思はざるを得なかつた。
彼は忿然として此圧力に反抗しなければならないといきまいた。自分が斯うして牢獄の苦を嘗めて居ることはむしろ誇るべきことなのではあるまいか。かう思つて来て彼は心の緊張を知覚した。
俺は志士となつた。思想家として扱はれて居る。頑冥なる守旧家の手によつて捧げらる新社会の祭壇の前の俺は犠牲だ。俺の犯罪の性質は之を天下に公言することが出来る。俺の犯罪は、俺の個人的利害、職業、感情、乃至財産との関係ではない。俺の主義、俺の思想、俺の公憤と犯罪との関係である。彼等に忌れ、憚られ、恐れられる丈それだけ、俺は名誉の戦士として厚く待遇せらるる訳だ。俺の肉体は呵責をうける。或は傷つき或は

女々しい涙を揮払つて彼は起上らうとした。手の自由が利かないので、一寸起つことが出来ない。やけに手錠を外して了はうとして、両足をかけてぐつと押した。手首よりも掌は勿論大きい。そんなことで手錠が外れさうのことはない。押した力で手錠の鉄が彼の肉や骨に喰入るやうに痛むのであつた。「ああ」彼はぐつたりと又倒れてしまつた。
彼が東京へ護送せらるゝ為梅田の停車場から汽車にのつたのは、それから二日後の事であつた。
「私はとても助からないと思ひました。汽車に乗つてからも、死んで了ふと覚悟しました。窓の側に坐つて外を見てゐますと、すつかり日はくれて、外は真暗です。飛びおりてしまへばすぐに死ねるんだと思つても、いざとなると一寸思切が出来ないでゐるうちに、汽車はどん/\進行して行きます。愚図愚図して居ると機会がなくなつて了ふと思つて気がわく/\します。どうもいゝきつかけがありません。すると私は自分の懐中に少許りの小遣銭が残つて居るのを思出しました。へい一円六十五銭程でした。どうせ死ぬなら、之で甘いものを食つてからにしよう······」
たどたどしいものゝ云方で彼は喋続けて来た。
其話の道行が風変りなので、法官も弁護人も共同被告も、ゆるやかな心持ちになつて之を聞いて居た。[#改行天付きはママ]人が今死ぬる覚悟をしたと云ふ悲惨な物語を聞いてるとは思はれない程、それが可笑味を帯びたものであつた。しかし本人自らはどこまでも真面目である。
「それから警官に願つて、洋食を買ひました。米原であつたと思ひます。私は洋食をすつかり食べてしまひましたが、どうせ死ぬなら
誰だかこつそり笑声をもらしたものがあつた。
「大阪ではあんなに厳しかつたが、東京へ行つたら、ちつたあ模様が違ふかもしれない。その様子によつて覚悟しても遅くはない。私はかう思ひまして死ぬのは見合せました。
東京へ来て見ると、やつぱり厳しい。むしろ大阪よりも一層厳重なお調です。もうだめだ、とても助からない。死ぬのはこゝだ······。へい、全くです。私は······」
彼は法官席を見上げた。そして裁判長がそれ程感動したらしくも見えない顔付であるのを見て取つて、彼は躍起となつた。
「決して嘘ぢやありません。私は本統に死ぬ積りでした。兵児帯で首を······。首を······」
彼はどうにかして自己の陳述に確実性を与へたいと思つた。後の方を振り返へると、看守長の宮部と云ふ人が、被告席の一番後の片隅に椅子に凭つてゐるのを見付けた。彼はその看守長を指さし乍ら、
「あの、あの方でした。看守長さん······、宮部さんでした。ねえ。」
彼は看守長を証人にしようと思つた。宮部さんは仕方なしに首を上げて被告の後向になつた顔と自分の顔とを見合せて、「お前の云ふ通りだ」といふ暗示をした。
「貴方がとめて下さいました。私が首を······。首をやつてしまはうと云ふとき······。実に其時は危機一発でしたねえ。」
先程から忍んで居た笑が一同の頬に上つた。彼の調子外れの声が、「実に危機一発でしたねえ」と云つたとき、誰も誰も其容貌の厳格さを保つて居ることが出来なかつた。さすがの裁判長の目許にも愛嬌が見えた。
「これはどう云ふ風に考ふべきであらうか。」若い弁護人はかう思つて黙想した。
彼は最も多く死を怖れる。しかし彼の恐怖は死其ものに対してゞはない。死に至るまで持続せられて行く生に対する脅しを恐れたのである。殺されると云ふそのことが彼には堪へ難い惨苦を想はせたのである。殺されることなら一層自ら死なう。それが無造作な彼の覚悟であつた。その覚悟が出来たのちも彼は尚口舌の慾を貪ることを忘れはしなかつたのである。之を以て彼は生を愛したものだとも云得るかもしれないが、むしろ之は、彼が死そのものを真に求めて居るのでもなく、又死そのものを真に恐れて居るのでもないと云ふ方に解したらよからう。それ故彼は洋食を食つて十分食慾を充たし得たとき死と云ふことから全く離れてしまつたではないか。東京の模様によつては必ずしも死なずにすむかもしれないと考へた。即ち彼の生に対する脅かしさへなくなれば、彼は死ぬほどのことはないとも思つた。生の執着からでもなく、死の恐怖からでもなく、只目前の苦痛が彼を、いろ/\に煩悶させたに過ぎない。死んでしまつた方が楽でありさうだから死ぬ。もしそれよりも楽なことがあればその方法を採らう。何れにしろ今の苦艱から免れたい。彼は頗る単純に考へたにとゞまる。彼が二度目の自殺を企てたとき看守長の為にとめられた。此障礙は寔に偶然のことである、彼はこの偶然の障礙を呪はうともせず、又此偶然さへなくば自分はもう死んで居たのであると云ふ苦悶をも考へずに、彼は、「危機一発」であつたと只思つたに過ぎない。彼から見れば、死も生も同一の事の様にも取扱はれてるらしい。彼は第三者の地位に立ちて自己の自殺を客観して語ることが出来る。何もかもすつかり超越してゐるとも見える。「死と生とは天才にとつては同じことだ」と云つた
* * *
時は明治ヽヽ年ヽ月ヽヽ日、一代の耳目を聳動せしめた。某犯罪事件の判決の言渡のある日である。開廷数時間前既に傍聴席は満員となつた。傍聴人は何れも血気盛んな、見るから頑丈な、腕つぷしの強さうな人のみであつた。何しろ厳冬の払暁に寝床を刎起きて、高台から吹きなぐる日比谷ヶ原の凍つた風に吹き曝され、二時間も三時間も立明し、狭い鉄門の口から押合ひへし合つて、やつと入廷が出来るといふ騒ぎだから並一通りの体格の人では、とても傍聴の目的を達することが出来ないのである。其多くは学生の
裁判長は、判決文の朗読に取掛つた。主文は跡廻しにして、理由から先づ始めた。
判決の理由は長い長いものであつた。
裁判長の音声は、雑音で、低調で平板である。
五六行読進んだときに、若い弁護人は早くも最後の断案を推想した。
「みんな死刑にする積りだな。」彼はかう思つて独り黯然とした。
今や被告人の脳中には大なる混乱が起つた。苛立しい中に生ずる倦怠。強ひて圧し殺した呼吸遣、噛みしめた
たうとう朗読は終つた。何が説明されてあつたかと云ふことについては、誰しも深い注意を与へなかつた。人は只
主文の言渡に移つた。裁判長は一段と威容を改めた。声も少し張上げられた。
嗚呼。死刑! 三人を除いた外の二十幾人は悉く死刑。結論は斯の如く無造作であつた。
主文を読終ると裁判官が椅子を離れるとの間は、数へることも出来ない短い時間であつた。逃ぐるが如しと云ふ形容詞はここに用ゐることは出来ないが、その迅速さは殆ど逃ぐるが如しとでも云ひたいのであつた。もとより慌てた様はなかつた。取乱したところも見えなかつた。判官としての威厳と落着とは十分に保たれながらも、何にしても早いものであつた。嘗て控訴院の法廷にかういふことが起つた。強盗殺人かの兇暴な被告であつたが、判官は型の如く居並んで、型の如く判決の主文を朗読した。「被告ヽヽを死刑に処す。」神妙に佇立して判決の言渡を受けて居た被告は、此主文の朗読を聞くと等しく、猛烈としていきり立つた。「この頓痴気野郎が」と云ひ様足許近くに置いてあつた痰壺を取上げて判官目がけて投げつけた。幸にそれは法官席の卓子の縁に当つて砕けた為、誰も負傷がなくて済んだ。人間は死ぬと云ふことより大きな恐怖はない。殺されると定つてしまへば、世の中に恐ろしい者とては何もない。野性、獣性を発揮して思ふ様暴れてやらうと云ふ兇暴な決心をするのは、斯の様な被告には、有勝なことである。
今二十幾人を一時に死刑を宣告した法官諸氏は、果してこんな出来事が起るかも知れないと心配して居たのであらうか。否それはさうではない。法官諸氏は判決の言渡をする迄がその任務である。任務さへ終れば、法廷には用のない体である。それで席を引いた。その外に何の理由もあるまい。
しかし若い弁護人は之に理由がつけて見たかつた。日本の裁判所が文明国の形式によつて構成されてから三十有余年、其間に死刑の宣告をした事案とて少くない数でもあらうが、一時に二十幾人を死刑に処したと云ふ事件は、此事件唯一つである。法を適用する上には、判事は飽迄も冷静でなくてはならない。人の生命は如何にも重い。之を奪ふと云ふことは、如何にも忍びない処である。只
若い弁護人は斯の如く推断して、善意を以つて判官諸公を見送つた。
傍聴人は最初より静粛であつた。宣告を聞いてからも、一語を発する者もなかつた。退場と云ふときにも、唯々として列を正して出てしまつた。固より自分一身に関係したことではない。彼等は自らの生活の為、泣き惑ひ、悶えあがきこそすれ、それがこの事件と何の連絡があらう。彼等は彼等の好奇心をさへ満足させればそれでいゝのである。法廷の状況、被告の顔付、新聞の号外よりはいくらか早く知ることの出来る判決の結果。それ等の希望は悉く達することが出来た以上に、彼等に何の慾求があらう。
被告銘々にそれ/″\酌量すべき情状がなかつたか。有つても之を判官が酌量しなかつたか。それは判官として正当な遣方であらうか。中心となるべき四五人の関係事実と、其他の多数者の関係事実とが、全くかけ離れて居るものを、必ず一つの主文にしてしまはなければならないと云ふ法則でもあるのであらうか。それよりももつと重大な影響||かくも容易に多数の死刑囚を出したことより生ずる重刑主義の影響が、国民の精神教育にどんな利弊を来たすであらうか。······之等幾多の疑惑は決して傍聴人には起らなかつた。文明の裁判制度と云ふものは斯程迄に国民の信頼を受けつゝあるのであつた。
若い弁護人は、目前に現はれた死刑の宜告の事実を打消すことは出来ない乍らも、之が真実の出来事であるとはどうしても思へなかつた。二十幾人が数日後に死ぬ。いやどうして死ぬものか。此矛盾した考の調和に苦んだ。忽ち一つの考が頭の中に閃いた、鳴呼、判官は深く考へてゐる。被告は決して殺されることはない。一審にして終審なる此判決は宣告とともに確定する。之を変改することは帝王の力でも為能はざる処である。死刑は即ち執行せられ、彼等はみんな殺される。けれども彼等は
若い弁護人は自分の席を起つて、被告席の方へ足を運んだ。自分の担任した二人の被告にある注意を与へようと思つたが為であつた。其被告は犯罪の中心からは遠く離れて居たものであつた。予審及捜査に関する調書上の記述よりも、被告が法廷でした供述を重んずるといふ主義の裁判官であるならば、彼等は当然無罪となるべきものであつた。少くとも不敬罪の最長期五年の科刑が適当のものであつた。何分にも今の裁判所では、予審及捜査に関する調書の証拠力に絶対の価値が附せられてある。事実の真相と云ふものは、検事及び予審判事が密行して調査した材料から組立てらるべきものであると信ぜられてある。調書は法律知識のある判検事が
「そんな勇気のある裁判官は無いからなあ。」
しかし彼とても時々もしやと云ふ考を起さなかつた訳ではない。もし裁判官に、洞察の明と、果断の勇とがあるならば······、もしその明と勇とがあるならば······。被告等は無罪となるかも知れない。かう思つて終始法廷の模様に注意した。被告等の公判に於ける陳述を聞いて居ると、どうやら楽観的の気分にもなつて、之れなら大丈夫かも知れないと心に喜悦を感じて法廷を出る。が、家へ帰つて調書を翻へすと、何たる恐ろしき罪案ぞ、之れでは到底助からないと悲観しなければならなくなる。その悲観が事実となつてしまつて、被告等の予期は全く外れた。彼等は矢張り死刑に処せられた。若い弁護人は彼等の失望、落胆が忿懣に変じ、若くは自棄となつて、どんな無分別を起さぬとも限るまいと思つたから、慰藉とある希望とを与へたいと考へて、静に被告の席近く進んだのであつた。
被告席は四列になつてゐて、彼の担任せる被告等は第三列目の中程に居た。彼はその第四列目の右手の通路を隔てた処に、女囚の真野すゞ子が独放れて、
訴訟法上の形式として、総べての取調の終了したとき、裁判長は被告等に最後の陳述を許した。此許に応じて陳述したものが二人あつた。その一人はすゞ子である。
「長い間御辛労をかけましたが、事件も愈々今日でお仕舞となりました。私はもう何も申上ぐることもありません、又何も悔いる処はありません、私が只残念なのは、折角のヽヽが全くヽヽに終つたこと、それ丈であります。私が女だつたものですから······女はどうしても意久地がないものですから、······。それが私の恥辱です。私共の先人には、勇敢、決行の模範を示して死んだ人が沢山あります。私はその先人に対して寔に済まないと思ひます。私は潔く死にます。これが私の運命ですから。犠牲者はいつでも最高の栄誉と尊敬とを後代から受けます。私もその犠牲者となつて、今死にます。私はいつの時代にか、私の志のある所が明にされる時代が来るだらうと信じて居ますから何の心残りもありません。」
彼女がこんな陳述をして居たとき、若い弁護人は、片腹痛いことに思つた。彼女は何ものだ。何の理解があると云ふのだ。云はでものことを云ひふらし、書かでものことを書き散らし、警察の厳重なる取締を受けなければならなくなつて、無暗と神経を昂らせ、反抗的気分を増進させ、とどのつまりは此の如き犯罪を計画した。それが何の犠牲者である、何の栄誉と尊敬とが報いられる。元来当局者の騒ぎ方からして仰々しい。今にも国家の破壊が行はれるかのやうに、被告が往返する通路には、五歩に一人宛の警官を配置する。憲兵で裁判所を警戒する。裁判官、弁護人にも護衛を附す。こんなことは、彼女等をして益々得意にならせる許りである。革命の先覚者たるかの如くに振舞ふ彼女の暴状を見よ、
「私は一つお願があります。」彼女は尚饒舌をやめない。
「私はもう覚悟して居ます。此計画を企てた最初から覚悟して居ます。どんな重い
彼女は段々に胸が迫つて来た。涙が交つて声は聞取れなくなつた。
若い弁護人も、彼女の此陳述には共鳴を感じた。いかにも女の美しい同情が籠つてゐると思つた。人間の誠が閃いてゐるとも思つた。本統に彼女の云ふことを採上げて貰ひたいと、彼自も判官の前に身を投掛けて哀訴して見たいとも思つた。
それもこれももう無駄になつた。彼女の顔を見たとき弁護人は刹那にその当時の光景を思起したのであつた。
彼女は美しい容貌ではない。たゞ口許に人を魅する力が籠つて居た。両頬の間はかなりに広く、鼻は低くかつた。頬の色は紅色を潮していつも生々して居た。始終神経の昂奮がつゞいて居たせいかもしれない。或は持病であると云ふ肺結核患者の特徴が現れて居たのかも知れない。被告等も退廷するときになつた。彼女が一番先になつて法廷を出る順序となつてゐる。若い弁護人が彼に黙礼した後直に、彼女は椅子を離れた。手錠を箝められ、腰縄がつけられた。彼女は手錠の儘の手でかゞんで、編笠をとつた。ここを出てしまへば、彼等は再び顔を合すことが出来ないのである。永久の訣別である。彼女は心持背延をしてみんなの方を見た。彼女の顔は輝しく光つた。すきとほつた声で彼女は
「皆さん左様なら。」云ひさま彼は笠で顔を蔽うた。すたすたと廷外へ小走りに走り出でた。
彼女の最後の一語が全被告の反抗的気分をそゝつた。
「ヽヽヽヽヽヽ。」
第一声は被告三村保三郎より放たれ全被告一同之に和した。
「ヽヽヽヽヽヽ。」
若い弁護人は耳許から
けれども之をもつて、彼等が真にヽヽヽ主義に殉ずるの声とは聞くべからざるものであつた。此叫声が彼等の信念から生れたものであると誤信する者は、此犯罪事件が彼等の信念から企画されたと誤信すると同じ間違を来たすであらう。彼等は判決に不服であつた。事情の相違、
若い弁護人は確に斯の如くであると解釈して自分の担任する被告の方を見た。その一人の如きは丸で
「落付いていろ。世の中は判決ばかりぢやないんだから。」
彼はかう云つて、此詞の意味が被告等に理解されたらしいのを見て、少しく安心した。
「いゝえ。もうどうなるもんですか。」
荒々しい調子で彼の詞を打消しつゝ通りすぎたものがあつた。見ると柿色の囚人服を着た外山直堂であつた。
此者は僧侶で、秘密出版事件で服役中、此事件に連座したのである。彼の法廷にありての、言語動作は終始捨ばちであつた。訊問の際職業を問はれたとき
「ヽヽ宗の僧侶でありましたが、此度の事件で僧籍を剥奪されました。私は喜んで之を受けました。」と答へて新聞種を作つた男である。
「あゝ、救ふべからざる人間だ。彼は全く継子根性になつてしまつた。」若い弁護人は、殊更に気丈さを装ふらしき此男の囚人姿を目送した。
弁護人控所は人いきれのする程、混雑して居た。どの顔にもどの顔にも不安と、驚きと、尖つた感情の色が浮んで居た。
「みんな死刑つて云ふことはないや。」
「検事の論告よりも酷い裁判だ。」
「本気なんだらうか。」
「なに。万歳を叫んだ。ヽヽヽの。」
「秋山も叫んださうだ。」
「あんまり云はん方がいゝぞ。」
若い弁護人は自分の担任した被告の妻と妹とに判決の結果を通知する電報を認めなければならなかつたが、こんなごたついて居る処では、それを認める余席もないと思つて、廊下へ出た。身を切る様な冷たい風が大きな階段の口から彼の熱した顔を吹きつけた。心持が晴々したやうに感じた。
「どうでした。」
彼の肩をそつと押へたものがある。見るとヽヽ新聞の記者であつた。
「いや、どうも。」彼は成るべく会話を避けようとしたが、記者は畳みかけて問出した。
「あの通り執行する積りでせうか。」
「えゝ。」彼が問の意味を解しなかつたと見て取つて記者は註釈を加へた。
「判決通り、みんな死刑にするんでせうか。」
「それは勿論さ。」彼は腹立しげにかう答へた。
「だつてあんまり酷いぢやありませんか。」と記者は云つた。此時彼は鋭い論理を頭に組上げて居たが、それが出来るとすぐ記者に向つて反問した。
「この判決には上訴を許されないんだぜ。一審にして終審なんだ。言渡と同時に確定するんだ。確定した判決は当然執行さるべきものである。君はどう思ふ。」
「それは無論さうです。ですが······。」
「執行されないかも知れないつて云ふのか。君は、判決の効力に疑をもつてゐるんだね。」
「疑を持つてるつて云ふ訳ではないんですが······。」
「いや疑つてる。」彼は相手を押へ付けて、
「判決通り死刑を執行するだらうかと云ふ疑問が出る以上は、本気になつて言渡した判決であらうかと云ふ懸念が君にも潜在して居るんだ。かうして判決はして置くが、此判決の儘には執行されないだらうと、裁判官
「いかにもさうなつて行きます。」
「よろしい。要之威信のない判決だと云ふことになる。司法権の堕落だ。」
終りの方は独語の様に云放つて、彼は忙しげに階段を下りて構内の電信取扱所へ行つた。頼信紙をとつて、彼は先づ、
「シケイヲセンコクサレタ」と書いた。けれども彼はこれ丈では物足らなさを感じた。受取つた被告の家族が、どんなに絶望するであらうと想ひやつた。
「構ふものか。」彼は決然として次の如く書加へた。
「シカシキヅカイスルナ。」
彼は書終つて心で叫んだ。
「俺は判決の威信を蔑視した第一の人である。」
(大正二・七・一七 稿了/「太陽」 −九巻一二号/
大正二・九)