神樂坂七不思議
泉鏡花
世の
中何事も
不思議なり、「おい、ちよいと
煙草屋の
娘はアノ
眼色が
不思議ぢやあないか。」と
謂ふは
別に
眼が
三ツあるといふ
意味にあらず、「
春狐子、
何うでごす、
彼處の
會席は
不思議に
食せやすぜ。」と
謂ふも
譽め
樣を
捻るのなり。
人ありて、もし「イヤ
不思議と
勝つね、
日本は
不思議だよ、
何うも。」と
語らむか、「
此奴が
失敬なことをいふ、
陛下の
稜威、
軍士の
忠勇、
勝つなアお
前あたりまへだ、
何も
不思議なことあねえ。」とムキになるのは
大きに
野暮、
號外を
見てぴしや/\と
額を
叩き、「
不思議だ
不思議だ」といつたとて
勝つたが
不思議であてにはならぬといふにはあらず、こゝの
道理を
噛分けてさ、この
七不思議を
讀み
給へや。
東西、
最初お
聞に
達しまするは、
「しゝ
寺のもゝんぢい。」
これ
大弓場の
爺樣なり。
人に
逢へば
顏相をくづし、
一種特有の
聲を
發して、「えひゝゝ。」と
愛想笑をなす、
其顏を
見ては
泣出さぬ
嬰兒を
||、「あいつあ
不思議だよ。」とお
花主は
可愛がる。
次が、
「
勸工場の
逆戻。」
東京の
區到る
處にいづれも
一二の
勸工場あり、
皆入口と
出口を
異にす、
獨り
牛込の
勸工場は
出口と
入口と
同一なり、「だから
不思議さ。」と
聞いて
見れば
詰らぬこと。
それから、
「
藪蕎麥の
青天井。」
下谷團子坂の
出店なり。
夏は
屋根の
上に
柱を
建て、
席を
敷きて
客を
招ず。
時々夕立に
蕎麥を
攫はる、と
おまけを
謂はねば
不思議にならず。
「
奧行なしの
牛肉店。」
(いろは)のことなり、
唯見れば
大廈嵬然として
聳ゆれども
奧行は
少しもなく、
座敷は
殘らず
三角形をなす、
蓋し
幾何學的の
不思議ならむ。
「
島金の
辻行燈。」
家は
小路へ
引込んで、
通りの
角に「
蒲燒」と
書いた
行燈ばかりあり。
氣の
疾い
奴がむやみと
飛込むと
仕立屋なりしぞ
不思議なる。
「
菓子屋の
鹽餡娘。」
餅菓子店の
店にツンと
濟ましてる
婦人なり。
生娘の
袖誰が
曳いてか
雉子の
聲で、ケンも
ほろゝの
無愛嬌者、
其癖甘いから
不思議だとさ。
さてどんじりが、
「
繪草紙屋の
四十島田。」
女主人にてなか/\の
曲者なり、「
小僧や、
紅葉さんの御家へ參つて······」などと
一面識もない
大家の
名を
聞こえよがしに
ひやかしおどかす
奴、
氣が
知れないから
不思議なり。
明治二十八年三月
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
- 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。