この物語は事実であるとともに、理性に富んだ人たちにも、なるほどと思われるような出来事が伴っている。この物語はケント州のメイドストーン治安判事を勤めている非常に聡明な一紳士から、ここに書かれてある通りに、ロンドンにいる彼の一友人のところへ知らせてよこしたもので、しかもカンタベリーで、この物語に現われて来るバーグレーヴ夫人の二、三軒さきに住んでいる上記の判事の親戚で、冷静な理解力のある一婦人もまたこの事実を確証している。
したがって、治安判事は自分の親戚の婦人も確かに亡霊の存在を認めているものと信じ、また彼の友達にも極力この物語の全部はほんとうの事実だと断言している。そうして、その亡霊を見たというバーグレーヴ夫人自身の口から、この物語を聞いたままを治安判事に伝えたその婦人は、正直で、善良で、
私がこの事実談をここに引用したのは、この世の私たちの人生には更にまた一つの生活があって、そこに平等なる神は私たちが生きている間の行為にしたがって、それに審判をなされるのであるから、私たちは自分が現世でなして来たところの過去を反省しなければならない。また、私たちの現世の生命は短くて、いつ死ぬか分からないが、もし不信仰の罰をまぬかれて、信仰の
この物語は、こうした種類の出来事のうちでも非常に珍らしく、実際をいうと、私が今まで書物の上で読んだり、人から聞いたりしたことなどは、この事実談ほどに私のこころを
バーグレーヴ夫人は私の親しい友達で、私が知ってから最近の十五、六年のあいだ、彼女は世間の評判のよい夫人であったこと、また私が初めて近づきになった時でも、彼女は若い時そのままの純潔な性格の所有者であったことを確言し得る。それにもかかわらず、この物語以来、彼女はヴィール夫人の弟の友達などから
さてあなたに、ヴィール夫人は三十歳ぐらいの
子供時分のヴィール夫人は貧しかった。彼女の父親はその日の生活に追われて、子供の面倒まで見ていられなかった。その当時のバーグレーヴ夫人もまた同じように不親切な父親を持っていたが、ヴィール夫人のように衣食には事を欠かなかったのである。
ヴィール夫人はよくバーグレーヴ夫人にむかって、「あなたはいちばんいいお友達で、そうして世界にたった一人しかないお友達だから、どんな事があっても永久に私はあなたとの友情を失いません」と言っていた。
彼女らはしばしばお互いの不運を歎きあい、ドレリンコート(十七世紀におけるフランスの神学者)の「死」に関する著書や、その他の書物を一緒に読み、そうしてまた、二人のキリスト教徒の友達のように、彼女らは自分たちの悲しみを慰めあっていた。
その後、彼女はヴィールという男と結婚した。ヴィールの友達は彼を
この実家で、一七〇五年九月八日の午前に、バーグレーヴ夫人はひとりで坐りながら、自分の不運な生涯を考えていた。そうして、自分のこうした逆境もみな持って生まれた運命であると
「私はもう前から覚悟をしているのであるから、運命にまかせて落ち着いていさえすればいいのだ。そうして、その不幸も終わるべき時には終わるであろうから、自分はそれで満足していればいいのだ」
そこで、彼女は自分の針仕事を取りあげたが、しばらくは仕事を始めようともしなかった。すると、ドアをたたく音がしたので、出て見ると、乗馬服を着けたヴィール夫人がそこに立っていた。ちょうどその時に、時計は正午の十二時を打っていた。
「あら、あなた······」と、バーグレーヴ夫人は言った。「ずいぶん長くお目にかからなかったので、あなたにお逢いすることが出来ようとは、ほんとうに思いも寄りませんでした」
それからバーグレーヴ夫人は彼女に逢えたことの喜びを述べて、挨拶の接吻を申し込むと、ヴィール夫人も承諾したようで、ほとんどお互いの
「まあ、あなたはどうして独り旅なぞにおいでになったのです。あなたには優しい弟さんがおありではありませんか」
「おお!」とヴィール夫人が答えた。「わたしは弟に内証で家を飛び出して来ました。わたしは旅へ立つ前に、ぜひあなたに一度お目にかかりたかったからです」
バーグレーヴ夫人は彼女と一緒に
ヴィール夫人は今までバーグレーヴ夫人が掛けていた安楽椅子に腰をおろして、「ねえ、あなた。私は再び昔の友情をつづけていただきたいと思います。それで今までのご
「あら、そんなことを気になさらなくってもいいではありませんか。私はなんとも思ってはいませんから、すぐに忘れてしまいます」と、バーグレーヴ夫人は答えた。
「あなたは私をどう思っていらっしゃって······」と、ヴィール夫人は言った。
「別にどうといって······。世間の人と同じように、あなたも幸福に暮らしていらっしゃるので、私たちのことを忘れているのだろうと思っていました」と、バーグレーヴ夫人は答えた。
それからヴィール夫人はバーグレーヴ夫人にいろいろの昔話をはじめて、その当時の友情や、逆境当時に毎日まいにち取りかわしていた会話のかずかずや、たがいに読み合った書物、特におもしろかった「死」に関するドレリンコートの著書||彼女はこうした主題の書物では、これがいちばんいいものであると言っていた||のことなどを思い出させた。それからまた、彼女はドクトル・シャロック(英国著名の宗教家)のことや、英訳された「死」に関するオランダの著書などについて語った。
「しかし、ドレリンコートほど死と未来ということを明確に書いた人はありません」と言って、彼女はバーグレーヴ夫人に何かドレリンコートの著書を持っていないかと
持っているとバーグレーヴ夫人が答えると、それでは持って来てくれと彼女は言った。
バーグレーヴ夫人はすぐに二階からそれを持って来ると、ヴィール夫人はすぐに話し始めた。
「ねえ、バーグレーヴさん。もしも私たちの信仰の眼が肉眼のように開いていたら、私たちを守っているたくさんの
こう言いながら彼女はだんだんに熱して来て、手のひらで自分の膝を叩いた。そのときの彼女の態度は純真で、ほとんど神のように尊くみえたので、バーグレーヴ夫人はしばしば涙を流したほどに深く感動した。
それからヴィール夫人はドクトル・ケンリックの「禁欲生活」の終わりに書いてある初期のキリスト信者の話をして、かれらの生活を学ぶことを勧めた。かれらキリスト信者の会話は現代人の会話と全然ちがっていたこと、すなわち現代人の会話は実に浮薄で無意味で、古代のかれらとは全然かけ離れている。かれらの言葉は教訓的であり、信仰的であったが、現代人にはそうしたところは少しもない。私たちはかれらのしてきたようにしなければならない。また、かれらの間には心からの友情があったが、現代人には果たしてそれがあるかというようなことを説いた。
「ほんとうに今の世の中では、心からの友達を求めるのはむずかしいことですね」と、バーグレーヴ夫人も言った。
「ノーリスさんが円満なる友情と題する詩の美しい写本を持っていられましたが、ほんとうに立派なものだと思いました。あなたはあの本をご覧になりましたか」
「いいえ。しかし私は自分で写したのを持っています」
「お持ちですか」と、ヴィール夫人は言った。「では、持っていらっしゃいな」
バーグレーヴ夫人は再び二階から持って来て、それを読んでくれとヴィール夫人に差し出したが、彼女はそれを
「ああ、詩人たちは天国にいろいろの名をつけていますのね」と、ヴィール夫人は言った。
そうして、彼女は時どきに眼をこすりながら言った。「あなたは私が持病の
「いいえ。私には、やっぱり以前のあなたのように見えます」と、バーグレーヴ夫人は答えた。
すべてそれらの会話は、バーグレーヴ夫人がとてもその通りに思い出して言い現わすことが出来ないほど、非常にあざやかな言葉でヴィール夫人の亡霊によって進行したのであった。
(一時間と四十五分をついやした長い会話を全部おぼえていられるはずもなく、また、その長い会話の大部分はヴィール夫人の亡霊が語っているのである。)
ヴィール夫人は更にバーグレーヴ夫人にむかって、自分の弟のところへ手紙を出して、自分の指輪は誰だれに贈ってくれ、二カ所の広い土地は彼女の
話がだんだんに怪しくなってきたので、バーグレーヴ夫人はヴィール夫人が例の発作におそわれているのであろうと思った。ひょっとして椅子から床へ倒れ落ちては大変だと考えたので、彼女の膝の前にある椅子に腰をかけた。こうして、前の方を防いでいれば、安楽椅子の両側からは落ちる気づかいはないと思ったからであった。それから彼女はヴィール夫人を慰めるつもりで、二、三度その上着の袖を持ってそれを
「ヴィールさん、私にはあまり差し出がましくて、承諾していいか悪いか分かりません。それに、私たちの会話は若い
「いいえ」と、ヴィール夫人は答えた。「今のあなたには差し出がましいようにお思いになるでしょうが、あとであなたにもわかる時があります」
そこで、バーグレーヴ夫人は彼女の懇願を
彼女はバーグレーヴ夫人の娘のことを
バーグレーヴ夫人は彼女にむかって、なぜそんなに急ぐのかと
九月七日の正午十二時に、ヴィール夫人は持病の
ヴィール夫人が現われた次の日の日曜日に、バーグレーヴ夫人は
それから気分の悪いのを押して、彼女は
いや、そんなはずはない。もしそうだとすれば、第一自分たちがヴィール夫人に逢っていなければならないと、たがいに押し問答をしている間に、船長のワトソンがはいって来て、おおかた彼女が死んだので、お知らせがあったのだろうと言った。その言葉がバーグレーヴ夫人には妙に気がかりになったので、早速にヴィール夫人一家の面倒を見てやっていた人のところへ手紙で聞き合わせて、初めて彼女が死んだことを知った。
そこで、バーグレーヴ夫人はワトソンの家族の人たちに、今までの一部始終から、彼女の着ていた着物の縞柄や、しかもその着物は練絹であるといったことまでを打ち明けて話した。すると、ワトソン夫人は「あなたがヴィールさんをご覧になったとおっしゃるのは本当です。あの人の着物が練絹だということを知っている者は、あの人と私だけですから」と叫んだ。ワトソン夫人はバーグレーヴ夫人が彼女の着物について言ったことは、何から何まで本当であると
そうして、ワトソン夫人は町じゅうにそのことを言いひろめながら、バーグレーヴ夫人がヴィール夫人の亡霊を見たのは事実であると、証明したので、その夫のワトソンの紹介によって、二人の紳士がバーグレーヴ夫人の家へたずねて来て、彼女自身の口から亡霊の話を聞いて行った。
この話がたちまち拡まると、あらゆる国の紳士、学者、分別のある人、無神論者などという人びとが彼女の門前に
私は前に、ヴィール夫人がバーグレーヴ夫人にむかって、自分の妹とその夫がロンドンから自分に逢いに来ていると言っていたことを、あなたに話しておかなければならなかった。その時にも、バーグレーヴ夫人が「なぜ今が今、そんなにいろいろのことを整理しなければならないのですか」と
果たして彼女の妹夫婦は彼女に逢いに来て、ちょうど彼女が息を引き取ろうというときに、ドーバーの町へ着いたのであった。
話はまた前に戻るが、バーグレーヴ夫人はヴィール夫人にお茶を飲むかと訊くと、彼女は「飲んでもいいのですが、あの気違い(バーグレーヴ夫人の夫をいう)が、あなたの道具をこわしてしまったでしょうね」と言った。そこで、バーグレーヴ夫人は「私はまだお茶を飲むぐらいの道具はあります」と答えたが、彼女はやはりそれを辞退して、「お茶などはどうでもいいではありませんか。打っちゃっておいてください」と言ったので、そのままになってしまった。
私がバーグレーヴ夫人と数時間むかい合って坐っている間、彼女はヴィール夫人の言ったうちで今までに思い出せなかった言葉はないかと、一生懸命に考えていた結果、ただ一つ重要なことを思い出した。それはブレトン老人がヴィール夫人に毎年十ポンドずつを給与していてくれたという秘密で、彼女自身もヴィール夫人に言われるまでは全然知らなかった。
バーグレーヴ夫人はこの物語に手加減を加えるようなことは絶対にしなかったが、彼女からこの物語を聞くと、亡霊の実在性を疑っている人間や、少なくとも幽霊などと馬鹿にしている連中も迷ってしまった。ヴィール夫人が彼女の家へ訪ねて来たとき、隣りの家の
しかも、亡霊の弟のヴィール氏は、極力この事件を
ヴィール氏は姉が臨終の間ぎわに何か遺言することはないかと
それからまた、ヴィール氏は金貨の財布もあったことを承認しているが、しかし、それは夫人の
ヴィール夫人がその手でいくたびか両方の眼をこすったことと、自分の持病の発作が
さて、なぜにヴィール氏がこの物語を気違い沙汰であると考えて、極力その事実を隠蔽しようとしているのか、私には想像がつかない。世間ではヴィール夫人を善良の亡霊と認め、彼女の会話は実に神のごときものであったと信じているのではないか。彼女の二つの大いなる使命は、逆境にあるバーグレーヴ夫人を
私はいくたびかバーグレーヴ夫人にむかって、確かに亡霊の上着に触れたかどうかを
「それですから、私の見たのはあの人ではなくて、あの人の亡霊であったと言われれば、いま私と話しているあなたも、私には亡霊かと思われます。あの時の私には、怖ろしいなどという感じはちっともいたしませんで、どこまでもお友達のつもりで家へ入れて、お友達のつもりで別れたのでございます」
また、彼女は「私は別にこの話を他人に信じてもらおうと思って、一銭の金も使った覚えもございませんし、また、この話で自分が利益を得ようとも思っていません。むしろ自分では、長い間よけいな面倒が
しかし今では、彼女もこの物語を利用して、出来るだけ世の人びとのためになるように尽くそうと、ひそかに考えてきたと言っている。そうして、その以来、彼女はその考えを実行した。彼女の話によると、ある時は三十マイルも離れた所からこの物語を聞きに来た紳士もあり、またある時は
このことは私を非常に感動させたとともに、私はこの正確なる根底のある事実について大いに満足を感じている。そうして、私たち人間というものは、確実な見解を持つことが出来ないくせに、なぜに事実を論争しあっているのか、私には不思議でならない。ただ、バーグレーヴ夫人の証明と誠実とだけは、いかなる場合にも疑うことの出来ないものであろう。