||これは、私が
私の父と云うのは、私の家へ養子に来て、
父が亡くなった時が
「此のむきじゃ、
と、母が好く云いました。そんな人でありますから、母に対しても非常に優しかったと見えます。それは養子と云うこともありましたろうが、しかし、いったいにおとなしい生れであったと思われます。従って気も弱かったらしゅうございます。大きな
ある時、腰に腫物の出ている患者の局部を、父が恐る恐る切開していると、患者の方から、
「先生、そんなに痛くはありませんよ、ひと思いに切ってください」
と云ったと云って、これは母が私に話しました。其の父が亡くなりますと、親類では、母がまだ
父から比べると、母はしっかりした、勝気な処がありました。其の母が、私が
ところが、ある夜、むし暑い晩でした。其の時は、何時も親類の
「
と、人
「だいじの病気じゃ、好い薬を持って来たから、飲むが好い」
と、
「山田先生の薬が好い、山田先生の薬なら飲みたい」
と云いました。私が母が人の親切を無にするように思いましたから、
「お母さん、先生がああ仰っしゃるから、飲んだら好いじゃありませんか」
と云いました。それでも母は、
「私は山田先生の薬を飲んでおりますから、他の人の薬は飲みません」
と云って、頭を動かすようにしました。私は頑固な母が憎くなりました。
「お母さん、そんなばかなことを云うものじゃありませんよ」
と云いました。と、医師は私の方を見て、
「じゃ、私は此処へ薬をこしらえて置くから、お前が飲ますが好い、これを飲むとすぐ癒るから」
と云って、薬籠を膝の上に執って、それを開け、中から何か薬をだして、それを紙片に入れかけました。行灯の光がほっかりと膝の上にありました。私は先生がどんな薬を出すだろうと思って、其の方を見ておりましたが、私の眼は、ふと医師の右の手の薬指に吸いつけられました。其の右の薬指は、すこしまがっておりました。指の恰好から薬を盛る工合が亡くなった父そっくりであります。私は其の指から、何時となしに其の医師が父のような気になりました。
「それでは、お父さんが薬を持って来てくれた」
と思いだしましたが、亡くなっている者が来たと云う不思議も、それに対する驚きも起らないで、非常に父が懐しかったのであります。
其のうちに医師は薬を盛ってしまい、それを包にして母の枕頭の盆の上へ置いて、
「私は、もう帰るから、お前が飲ましてやるが好い」
と云って、医師はすうと起って、襖の外へ往ってしまいました。私は其の薬のことが気になっておりますから、すぐ母の枕頭へ往って、其の包を開けて、
「お母さん、おあがりなさい」
と云いますと、母は何も云わずに口をすこしあけましたから、急いでそれを口へ入れて、茶碗の水を執って注いでやりますと、母は眼をやって、
「どうした」
と云いました。私は、
「お父さんの薬を飲みました」
と云いましたが、其の夜明けから母の熱がさめて、翌日の夕方にはもうお粥をたべるようになり、そして、二三日のうちに癒ってしまいました。で、私が父が来た話をすると、皆が不思議がりました。其の晩、隣の室には、親類の者が三人ばかりもおりましたが、無論下駄の音も聞かなければ、人の来たことも知らないとのことでした。ただ母のみは、父が枕頭へ来た夢を見たと云いました。