『死刑囚最後の日』Le dernier jour d'un condamn

彼は『死刑囚最後の日』に自分の名前をつけず、無名の者の作として発表した。このことについては、その後一八三二年に彼が公然と仮面をぬいで書いている長い序文を、ここに訳出しておいたから、あらためて何も言う必要はなかろう。この作品が発表された当時、政治や道徳や文学などの見地から、いかに多くの反響を、そして物議を、まきおこしたかは、作者自身が一八三二年に書いている『ある悲劇についての喜劇』という小篇によっても、ほぼ推察することができる。
この『ある悲劇についての喜劇』は、『死刑囚最後の日』の一種の序文みたようなもので、引き離せないものとはなっているが、じつは文学史的研究に役立つだけで、作品としてはつまらないものであるから、私は訳出することをやめた。
『死刑囚最後の日』は人を狂気せしむる作品だと、ある人が言っている。実際そこには、死刑の判決を受けてから断頭台にのぼせらるる最後の瞬間に至るまでの、一人の男の肉体的および精神的
なお、これに類する作品をユーゴーはいくつも書いているが、それらの作品は、要するに、当時の社会組織に対する熱烈な抗弁である。教育の問題、貧富の問題、身分階級の問題、天意にさからう人為的死刑の問題など、広範な提案を含む。すべての人に教育を、すべての人に仕事を、すべての人にパンを、すべての人に平等な権利を、与えるべきであると著者は主張する。そしてこの主張は、著者が生涯を通じて叫びつづけたところのものである。
ヴィクトル・ユーゴーは、詩や小説や戯曲や論説などあらゆるものを書いているが、その核心においてはロマンチックな詩人である。このロマンチスムが、当時の十九世紀の社会状態に内在する不正義と対決するとき、人間の社会的ありかたについての熱烈な主張が生まれてくる。その理想主義は熱情に燃えて、小説までがなかば論説の面影をおびる。そしてこの種の小説の欠点としては、作中人物が作者によって勝手に操縦される
小説と論説との限界については、いろいろと微妙な問題がある。それはとにかく、『死刑囚最後の日』のごときは、小説と論説との中間をゆくものとして、注目すべき作品である。そして現在においても、「
ついでにことわっておくが、『死刑囚最後の日』について、作品と序文とを逆にならべたのは、執筆順序にしたがったからのことである。それから、この作品の翻訳は、ずいぶん古い以前になされたものであって、原文の調子を尊重しすぎて
訳者