寒山拾得縁起
森鴎外
徒然草に
最初の
佛はどうして
出來たかと
問はれて
困つたと
云ふやうな
話があつた。
子供に
物を
問はれて
困ることは
度々である。
中にも
宗教上の
事には、
答に
窮することが
多い。しかしそれを
拒んで
答へずにしまふのは、
殆どそれは

だと
云ふと
同じやうになる。
近頃歸一
協會などでは、それを
子供のために
惡いと
云つて
氣遣つてゐる。
寒山詩が
所々で
活字本にして
出されるので、
私の
内の
子供が
其廣告を
讀んで
買つて
貰ひたいと
云つた。
「それは
漢字ばかりで
書いた
本で、お
前にはまだ
讀めない」と
云ふと、
重ねて「どんな
事が
書いてあります」と
問ふ。
多分廣告に、
修養のために
讀むべき
書だと
云ふやうな
事が
書いてあつたので、
子供が
熱心に
内容を
知りたく
思つたのであらう。
私は
取り
敢へずこんな
事を
言つた。
床の
間に
先頃掛けてあつた
畫をおぼえてゐるだらう。
唐子のやうな
人が
二人で
笑つてゐた。あれが
寒山と
拾得とをかいたものである。
寒山詩は
其の
寒山の
作つた
詩なのだ。
詩はなか/\むづかしいと
云つた。
子供は
少し
見當が
附いたらしい
樣子で、「
詩はむづかしくてわからないかも
知れませんが、その
寒山と
云ふ
人だの、それと
一しよにゐる
拾得と
云ふ
人だのは、どんな
人でございます」と
云つた。
私は
已むことを
得ないで、
寒山拾得の
話をした。
私は
丁度其時、
何か
一つ
話を
書いて
貰ひたいと
頼まれてゐたので、
子供にした
話を、
殆其儘書いた。いつもと
違て、一
册の
參考書をも
見ずに
書いたのである。
此「
寒山拾得」と
云ふ
話は、まだ
書肆の
手にわたしはせぬが、
多分新小説に
出ることになるだらう。
子供は
此話には
滿足しなかつた。
大人の
讀者は
恐らくは一
層滿足しないだらう。
子供には、
話した
跡でいろ/\の
事を
問はれて、
私は
又已むことを
得ずに、いろ/\な
事を
答へたが、それを
悉く
書くことは
出來ない。
最も
窮したのは、
寒山が
文殊で、
拾得は
普賢だと
云つたために、
文殊だの
普賢だのの
事を
問はれ、それをどうかかうか
答へると、
又その
文殊が
寒山で、
普賢が
拾得だと
云ふのがわからぬと
云はれた
時である。
私はとう/\
宮崎虎之助さんの
事を
話した。
宮崎さんはメツシアスだと
自分で
云つてゐて、
又其メツシアスを
拜みに
往く
人もあるからである。これは
現在にある
例で
説明したら、
幾らかわかり
易からうと
思つたからである。
しかし
此説明は
功を
奏せなかつた。
子供には
昔の
寒山が
文殊であつたのがわからぬと
同じく、
今の
宮崎さんがメツシアスであるのがわからなかつた。
私は
一つの
關を
踰えて、
又一つの
關に
出逢つたやうに
思つた。そしてとう/\かう
云つた。
「
實はパパアも
文殊なのだが、まだ
誰も
拜みに
來ないのだよ。」
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。