上篇ノ一
すぐ前に居た一人が
「
「畜生、やられた」
土方の頭の上で、人間の声というよりも、死神の叫びのような絶叫をしたので、振向くと、口から血の泡を流しながら渋沢が、
「
渋沢は、眼球を
「撃たれたらしいが、
と、思ったが見当がつかなかった。
「顔で無いと||
土方は、洋式鉄砲の威力が
(いよいよ
と、思っていたが、半町の距離で、この程度の威力を発揮するとしたなら、研究しておく必要があると思った。
そして、右手で、肩を
(鎧の胴を通すかしら)
土方が、胴をみると、小さい穴があいていた。丁度、肺の所だった。
顔を上げると、
いつの間に進んだのか、五六人の兵が、往来に倒れていた。両側の民家の軒下の何処にも、四五人ずつ、槍を提げて、突立っていた。そして、土方が、何か指図をしたら、動こうと、じっとこっちを眺めていた。
頭の上を、近く、遠く、びゅーん、と音立てて、
一人が、槍をもって、
「危いぞ」
銃声は聞えていたが、外から、耳へ入るので無く、耳の底のどっかで、
「あっ」
と、叫んだ声がしたので、振向くと、一人が、額から、血を噴き出させて、がくりと前へ倒れてしまった。
御香ノ宮の塀に、硝煙の中から、ちらちら敵兵の姿が見えてきた。土方は、その姿が眼に入ると共に
「おのれ」
と、叫んで、
「出たっ、
と、いう叫びと共に、
二人が、元のように地に伏した。
「馬鹿っ、出るなと云うに」
土方が叫んだ時、残りの者が、皆倒れてしまった。
「退却っ、このまま、這って退却っ」
土方は、このまま日が暮れたら、全滅すると思った。
「退却っ」
鋭い声がしたので、その方を見ると、近藤
「犬死してはならぬ」
土方が、睨み返して怒鳴った。
「射すくめられて戦えぬなら、いっそ戦へ出ん方がよろしい」
周平は、こう叫ぶと
「進め」
片手を突いて立上ると、右手の槍を高くさし上げて
「かかれ」
と、叫んだ。軒下の兵が、走り出した。両側から、二三十人ずつも、往来へ、
「周平っ」
土方は、近藤勇が、大阪で
「だからっ」
土方は、大声に叫んで立つと同時に、びゅ−んと、耳を
「誰か、周平っ」
と、叫んだ。一人が、周平の手をとって肩へかけようとしていたが、二人共、倒れてしまった。
「誰かっ」
一人も、周平の所へ行く者が無かった。
二
「もっと伏して」
敵の前で、尻を敵に見せて、這いながら退却する事は、新撰組の面目として出来る事でなかった。人々は、後方へ後方へと、すさり始めた。
(危かった)
一人は、今、自分が伏していた所へ、弾丸がきて、土煙の上ったのを見ると、
「周章てるなっ、見苦しいっ」
一人が、後方から、尻を突いて叫んだ。
「見苦しい。お互様だ」
一人は、隣の人に
「俺の
首を伏せて、鎧の袖を合せ
「さあ」
と、答えた
「やられたかっ」
男の顔を見ると、苦痛で、顔中をしかめていた。
最後の列の兵は、素早く、軒下へ飛込んで、軒下づたいに逃出した。一人が、敵へ尻を向けて、大急ぎに、四つん這いに這い乍ら、逃出すと、二人、三人、と、周章てて、這い出した。
「見苦しいぞ、磯子、鈴木っ」
軒下の兵が、軒下を伝って逃げ乍ら、敵に尻を向けて這っている兵へ、
御香ノ宮の敵は、新撰組の退却するのを見ると、塀から、次々に乗越えて、槍をもって進んできた。
「止まれっ」
土方が叫んだ。
「出たっ」
「出たっ」
口々に叫んで立上った。塀の上に、又白煙が、いくつも、横に並んで、森の中へ消えていった。十四五人が、
「伏せっ。長追いすなっ」
走って行った七八人の半分は、軒下へ逃込み、半分は倒れて、よろめきつつ、這って逃げてきた。
「
と、一人が、赤くなった眼で、敵を睨んだ。
「味方の鉄砲隊は?」
「ここは、新撰組一手で戦うと云ったから、墨染の方へ廻ったらしい」
「使を出して||」
「馬鹿っ、鉄砲隊に、あれだけ威張っておいて、今更頼みに行けるか」
人々は、怒りと、無念さと、屈辱とに、逆上しながら、じりじり這って退いた。
正月元日だった。吹き下してくる風が、凍っていて、時々、顔へ砂をぶっかけた。硝煙の臭が、流れてきた。
鎧が、考えていたよりも重いし、這うのに、
組の者の外に、誰も見てはいなかったが、敵の前で、這っているのを、自分で、苦笑し、
(次の戦いで)
と、思って、慰めていた。土方が
「上村、貴公、鉄砲が打てるか」
と聞いた。
「打てませぬ」
「竜公、貴様は?」
「あんな物位、すぐに||」
土方は大声で
「組に、鉄砲の打てる者はいるか」
と、這い乍ら叫んだ。
「三
遠くで答えた。
「スナイドルか、ジーベルじゃ」
「毛唐の鉄砲は、打てん」
「誰もないか」
誰も答えなかった。
三
誰も、物を云わなかった。敗兵が、その中を、走り抜けようとして、倒れると
「馬鹿っ」
突倒したり、なぐったりした。
「何をっ」
起上ると、睨みつけたが、新撰組の旗印をみると、すぐ、走ってしまった。
「もうこれきりか」
前と、後ろとに「撰」と大書した四角い旗を立てていたが、その旗へ集った人々は、八十人しか無かった。二百五十人余で、伏見の代官役所から打って出、百七十人、御香ノ宮で、一槍も合さずに討たれたのだった。
それから、橋本で退却して、夜戦に、いくらか戦ったが、誰も鉄砲の音がすると、出て行か無くなってしまった。
舟番場の所には、槍が
堤の上を川沿いに、よろよろと、黒くつながり乍ら、下級の兵が落ちて行っていた。
「
「新撰組だっ」
人々は、
「舟か」
「八十人」
「大伝馬二艘」
人々は、後から来た新撰組が、優待されるのを
「未だ入れる。おい、そこの」
と、支配方が、手招きした。旗本らしいのが、五六人、蒼い顔をして、
「御免下さい」
「狭くて退屈ですが」
土方に御叩頭をした。
「船頭っ、早く出せ」
土方が怒鳴った。
一人が鎧を脱いで
「こんな物っ」
と、叫んで、川の中へ投げ込んだ。誰も、頭髪を乱して、蒼白な、土まみれの顔で、眼を血走らせていた。
「いかがに成りましょうか」
旗本の一人が聞いた。
「判らん」
一人は、川水で、顔を洗った。
「食べ物」
と云って
「水でもくらえ」
と云われる者や||一人が又、鎧を脱ぎすてて、川の中へ投げ込んだ。二三人が、船頭に合せて、槍を、
「御旗本か」
「はい」
「何か手柄したか」
「中々、鉄砲が||」
「鉄砲が、恐ろしいか」
「貴下方のように、胆が
土方が
「鉄砲は、胆を選り好みしないよ」
「あはははは」
と、大声で笑った。
川堤には、引っきり無しに、敗兵が、走ったり、歩いたり、肩にすがったり、跛を引いたり||ある者は何の武器も持たず、ある者は、槍を
四
新撰組の人々は、槍で、手で、他の舟を押除けながら、石垣の方へ、近づけた。町人の女房が、子供が、男が、老人が、風呂敷包を背に、行李を肩に
「岩田屋の船頭はん、何処やあ」
とか
「この子、しっかり、手もってんか、はぐれたら、知らんし」
とか、叫び乍ら、自分の舟へ、人混の中を押合って降りていた。そして、舟から上る人と、下りる人とが、ぶつかり合った。
「上り舟や、客はないか」
と、船頭が叫んだ。それを、橋の上から
「木津
と、手をあげていた。そういう
「あら、新撰組や、新撰組も、負けはったらしいな」
「近藤さんや、あの人が」
「あら、土方やがな。近藤さんは、墨染で、鉄砲で打たれた人で、御城で、養生してはんがな」
町の中も、車と人とで一杯だった。夕方か、明日、薩長の兵が乱入してくるという噂が立っていた。
新撰組の人々は、町人も武士も突除けて、小走りに、城へ急いだ。高麗橋口へかかると、馬上の人が、徒歩の人が、激しく出入していた。いつも、右側に、袴をつけて、番所の中に
石段を走り上って、中の丸へ入ると、鎧をつけた人が立っていた。一人が、その側を通りがしらに
「鎧は役に立たぬ」
と、云った。その男は、何を云われたか判らぬらしく、新撰組を見送っていた。
百畳敷の前へきた時、土方が
「ここで待てっ」
と、叫んだ。そして、旗本を見ると
「未だついてきたのか」
「はい」
「貴公ら、早く江戸へ戻れ」
「はい」
旗本はそう答え乍ら、衰弱的な眼で、土方を見上げた。
戻る道||それは、
(新撰組の人達は、一人でも、暮らして行ける人だから||)
と、考えていた。
「貴隊へ御加えの程を||」
土方は、返事をしないで入って行った。
「御勝手方は、何処だ。食事だ。食事だ」
と、二三人が云った。
「手前が、心得ております。只今、話してきます」
旗本の一人が走出すと、残りの人々も
「暫く、おまち下さい」
と云って、走って行った。
五
近藤勇は、黒縮緬の羽織、着物で、着流しのまま坐っていた。
「敗けたか」
口許に、微かな
「見事||総敗軍」
「何うして」
「手も足も出ぬ。鉄砲だ」
「鉄砲?」
「うん」
「鉄砲に、手も足も出んとは?」
「貴公は、三匁と、五匁位より知らん。あいつは、五十間せいぜい六十間で当てるのはむずかしいが、洋式鉄砲は、二三町位で利く。一刀流も、無念流も無い。鎧も、甲も、ぷすりぷすりだ」
「
「あはははは」
土方は、大笑いして
「
「味方の鉄砲が役に立たぬに、敵の鉄砲が」
「シャスポーを、フランス式は使用しているが、何んでも幕府に金の無い為、安物を買ったとかで、銃身の
「有りそうな事だ。そして、誰が討死した」
「うむ||周平が、山崎が、藤堂が||」
「皆、鉄砲でか」
「うむ」
近藤は、暫く、黙っていたが
「何んとか、法の無いものか? 俺は、あると思えるが||」
と、云うと、自分の肩の鉄砲疵の事を思い出した。
(これは、不意討だった。前に、覗っている奴が見つかったなら、
土方は、懐の金入から、小さい円い玉を出して
「これが、弾丸だ。わしの前へ落ちた奴を、ほじくり出してきた。もう二寸の所で、やられる所だった」
近藤は、じろっと、見たまま、手に取ろうともしなかった。
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下篇ノ一
「何うにか、成るだろう」
開陽丸の甲板の手擦りに
「御前は
空は晴上っていた。波は
金千代は、
(
と、思うと
(何とかなるだろう)
と、自信がもてた。
「大阪城の御金蔵には、三千両しか無かったそうだし、江戸は君||あの通りだろう」
江戸では、
「人気は悪いし||これで、負け
「そんな事を心配していたって||」
金千代は、そう云ったが、江戸へ入ると、幸運が、逃げてしまいそうにも思えた。旗本の相当の人で、
「質主と申者 御座候、武器、衣類、大小、道具等右質屋へ預り其値半減、或は三分の一の金高を貸渡、利分は高利にて請取候、武家にても極難儀にて金子才覚仕候ても、貸呉候者御座無候節は」
という有様であった。そして、旗本はその中で、「甲府へ
という声がした。二人が、振向くと、近藤と、土方とであった。二人は、丁寧に、御叩頭をした。
「八王子には千人同心が、少くとも二小隊は集る。
「然し、京都での、新撰組の勢力とはちがうから、吾々の下へ集ってくるのが||」
「それは、相当の役所になって、
二人は、帆綱の上へ、腰かけて話していた。金千代が
「せめて、甲府でなりと、手痛く戦いたいですが、今の人数の中へ御加え下さいませんか」
近藤は、頷いた。水夫達は、一生懸命に働いていたが、敗兵達は甲板で、煙草を喫ったり、笑ったりしていた。
二
近藤勇は、若年寄格。土方歳三が、寄合席。隊の名は、甲陽鎮撫隊。隊士一同、悉く、小十人格という事になった。
岩田金千代も、鈴木竜作も、裏金の
「火縄銃の外、御前なんか、鉄砲を知らんだろう。長州征伐の負けたのも、その為だ。舶来鉄砲には、第一に三つぼんど筒というのがある。それから、エンピール、スベンセル、こいつが恐い。三町位で、どんとくると、やられる」
「三町も遠くて、当るかい」
「当るように出来てる。伏見では、その為、新撰組が、七八百人やられたんだ」
二百八十人の隊は、二月二十七日の朝||霜の白い、新宿大木戸から、甲州街道を進んだ。二門の大砲が、馬の背につんであった。神奈川
土方は、もっと集める、と云ったが、金も、品物も無かったし。隊長の近藤が、苦い顔をして
「土方、そんな鉄砲など||」
止めてばかりいた。
そして、新撰組は、その人々で、会津兵は東北弁ばかり、旗本は流行言葉||という風に、一団ずつになって、睨合っていた。
大木戸辺まで、町の人々が、隊の両側に、前後に、どよめきつつついてきた。大木戸の黒い門をくぐると
「御苦労さま」
「頼みます」
と、町人達が、一斉に叫んだ。隊士は
「大丈夫」
と、手を挙げて答えた。
三
府中近くなると、もう、人々が迎えにきている。土方も、近藤も可成り前、故郷を離れた切りだったから、新撰組の近藤、土方、若年寄という大役の近藤として、郷土の人々に逢うのは、
「御酒と、火とを沢山。用意しておきましただ」
人々は、だんだん増してきて、近藤の馬の左右に、わいわい云いつつついてきた。府中へ入ると、大きい家には、幕が張ってあって、人々が、土下座をして二人を迎えた。一軒の家に
「近藤勇様、土方歳三様御宿所」
と、書いた新らしい立札が立っていた。その前で、二人は馬から降りた。隊土達は、人々に案内されて、寺に、大家に、それぞれ宿泊した。
空っ風に、鼻を赤くして、のりの悪い
「これが、大筒ちゅうて、どんと打つと、二町も、でけえ丸が飛出すんだ」
と、包んである
金千代と、竜作とは、接待に出た酌婦へ、江戸の流行唄を教え乍ら、酒をのんでいた。
甲州街道に、
松の木植えて
何をまつまつ
便 より待つ
「あんちゅう、いい声だんべえ。この御侍は、よう」松の木植えて
何をまつまつ
と、酌婦は、金千代に凭れかかった。金千代は、左手で、女の肩を抱いて
「今度は、上方の流行唄だ」
宮さん宮さん
御馬の前で
ひらひらするのは何んじゃいな。
「誰だ」御馬の前で
ひらひらするのは何んじゃいな。
隣りの部屋から、
「
会津兵が、
「これっ」
金千代は、御叩頭して
「仕舞いまで唄を聞かんといかん」
あれは、芋兵 を
征伐せよとの
葵 の御紋じゃ無いかいな
「たわけっ」征伐せよとの
と、云って、会津兵が引込んだ。酌婦が、その後姿へ、歯を剥出した。
「御前今夜、どうじゃ」
酌婦は手を握り返して
「俺らも、甲府まで、くっついて行くべえかのう」
「よかんべえ」
竜作が
「雪だ」
と、いった。障子を開けると、ちらちらと降り出していた。
今宵も、雪に、しっぽりと、
卵酒でもこしらえて
六つ下りに戸を閉めて
二人の交す、四つの袖、
「ようよう、俺らあ、酔ったよ。卵酒でもこしらえて
六つ下りに戸を閉めて
二人の交す、四つの袖、
酌婦は、豚のような身体を、金千代に、すりつけた。
四
一人が
「
と、叫んだ。腹当へ、大きく「御用」と、朱書した馬に乗った侍が、雪の
「留めろ」
近藤が叫んだ。二人の旗持が、旗を振って
「止まれ。止まれっ」
兵が二三人。大手を拡げて
「止まれえ」
「何故止める」
馬の手綱を引締めて、侍が、不安と、怒りに怒鳴った。
「甲陽鎮撫隊長、近藤勇だ。何処の早馬か」
「おおっ||これは、甲府御城代より、江戸表への早馬です」
「敵の様子を知らんか」
「それを知らせに行くんです」
「何処まできた」
「昨夜、
「下諏訪?||甲府まで幾里あるかな」
「十三里です」
「ここから、甲府までも、そんなものか?」
「ここからは十七里です」
「十七里か?」
近藤は、土方に
「急げば、間に合おう。敵に入られてはならぬ。土方、急ごう」
土方は、侍に
「敵兵の
「五千とも、七千とも申します」
土方は、近藤をみて
「菜葉隊がつづかぬから、大砲の打ち方さえ判らない上に鉄砲がこの数では、とても、太刀打できんでないか」
「又、君は、鉄砲の事をいう||急げ、とにかく、急ごう」
早馬が去ると、一行は、八王子へ急いだ。そして、八王子の有志が、出迎えていた。
「無闇に、進んだとて仕方が無い。後続部隊も来ないのに||それに、四里も差があっては||」
と、その休息の時に、意見が出たし、第一日が暮れかかってこの雪道の
「勝沼で食止めて、一泡吹かしてから、甲府へ追込む事にしよう。それまでには、加勢も加わろう。今夜にも、菜葉隊は、くるかもしれぬ」
人々は、酒を飲むと、そういう風に考えた。金千代と、竜作とは昨夜の如く、流行唄を唄っていた。
五
次の日は大月で泊った。四日に、笹子の険を越えたが、眼下に展開しているのは、甲府盆地である。最初の村が、
泥の半乾きになった道を、近藤と、土方とが、結城兵二三を連れて、
その夜中から村人を狩集めて、隊士が手伝って、村外れに小さい、
「この所一つあれば、十人で千人の敵へ当たる事ができる。蛤御門の戦の時に、長州兵が、三尺の木戸一つに支えられて、小半時入れなかった」
近藤は、この関所で、太刀を振るって、敵を斬っている自分の姿を想像した、何う不利に考えても、自分が一人で、守っていても、敵に
風呂敷、米俵の類を集めて、土俵、
金千代と、竜作とは、炊事方になって、村の中から、女、子供に差図して、兵糧を運ばせた。
夜半から、又、雪がちらちらしかけた。人々は、
六
山裾の小川沿いに、正面の街道から、田の
四五丁の所で、右へ走ったり、左右に展開したりして、横列になった。そして小走りに進み乍ら、銃を構えた。隊長が、何かいうと、折敷いて、銃を肩へつけた。近藤が
「馬鹿なっ」
と、呟いて微笑した。そして、側の兵に
「撃ってみろ」
と云った、兵は、すぐ射撃した。近藤は、飛出す弾丸を見ようとしていたが、ばあーんと、音が、
(慣れたら、見えるだろう)
と、思った。
「もう一発」
「隊長殿、ここからだと、遠すぎますよ」
「黙って打て」
勇は、白いものが、眼を
(あれが、弾丸の道だ。研究して見えぬ事は無い)
と思った。
前面の野、林、道に、一斉に白煙が、
白煙が、一杯に、低く這ったり、流れたりして、兵も、土地も林も判らなくなった。その煙の下から、敵が、又前進しかけた。土方が、大声で
「撃てっ」
と叫んだ。
「大砲っ」
「大砲、何してるかっ」
兵が、怒鳴った。後方の大砲方は、身体をかがめて、大砲を覗いたり、周章てて、砲口を上下させたりしていた。一人が、向鉢巻をして
「判った」
と、叫んで
「
口火をつけた。兵は、耳の、があーンと鳴るのを感じた。空気が裂けたような音がした。その瞬間、すぐ前の木が、二つに折れて、白い骨を現したかと思うと、土煙が、土俵の前で、四五尺も立昇った。
味方の弾丸は、前方の煙の中へ落ちて、土煙を上げた。
(今に、破裂する)
と、兵も、近藤も、土方も、じっと
「口火を切ってない」
一人が、周章てて、弾丸の口火をつけて、押込んだ。銃声と、砲声とが、入り乱れてきた。兵の後方で、土煙が噴出した。山鳴がして、兵の頭へ、雨のように降ってきた。七八人の兵が、堡塁の所へ、しゃがんでしまった。
四十挺の鉄砲方の外の人々は、槍と、刀とを構えて、堡塁から、顔だけ出していた。一人が堡塁へのしかかるように、身体を寄せて敵の前進を眺めていた。
(成る程、遠くまで届くものだな)
近藤は、立木の背後で、散兵線を作って、整然として、少しずつ前進してくる敵に、軽蔑と、感心とを混合して、眺めていた。
七
近藤は、刀へ手をかけて、弾丸の隙をねらっているように||実際、近藤は、びゅーんと、絶間なく飛んでくる弾丸に、激怒と、堪えきれぬうるささとを感じていた。
「くそっ」
誰かが、こう叫ぶ声がすると、大きい身体と、白刃とが近藤の眼の隅に閃いた。
(やったな)
と、一足踏出した途端、その男は、刀を頭上に振上げたまま、よろめきよろめき二三歩進んだ。そして、地の
(負傷したな)
と、近藤は思った。
(鈴田だ)
その男が、立木へ手をかけて
「鈴田っ」
鈴田の脚元に、小さい土煙が立った。鈴田は、刀を杖に、よろめきつつ、二三歩引返すと、倒れてしまった。
敵の兵は、未だ一町余の下にいた。そして、立木の蔭、田の
近藤は、墨染で、肩を撃たれた事を思出した。小さい、あんな鼻糞のようなものが、一つ当ると、死ぬなど、考えられなかった。二十年、三十年と研究練磨してきた天然理心流の奥伝よりも鋭く人を倒す弾丸||小さい円い
(馬鹿らしい)
と、思ったが、同時に、恐怖に似たものと、絶望とを感じた。土方は、堡塁の所から、首だけ出して、何か叫んでいた。
「あっ、敵が、敵が||」
一人が叫んで、立上った。兵の首が、一斉に、その方を振向いた。山の側面に、ちらちら敵の白襷が見えて、ぽつぽつと、白煙が立ち、小さい音がした。近藤は前には立木があるが、後方に援護物が無いと思うと
「退却っ、あすこまで||」
と、叫んで、一番に走り出した。ぴゅーんと、音がすると、一寸首をすくめた。
八
「出たら、撃たれるったら」
金千代が竜作の頭を押えた。
「然し、誰も撃たれてやしない」
「そりゃ、引込んでいるからだ」
「近づかないで、戦争するなんて、戦争じゃない。薩長の奴らは、命が惜しいもんだから、なるべく、近寄らずに
と、云った時、昨夜、総がかりで作った関門に、煙が立って、炸裂した音が轟くと、門は傾いて、片方の柱が半分無くなっていた。人々は
「あっ」
と、叫んで、半分起上りかけた。初めて、大砲の恐ろしい威力を見、自分らが十人で、百人を支えうると感じた所が、眼に見えない力で、へし折られたのを見ると、すぐ次の瞬間、自分らの命も、もっともろく、消えるだろうと思った。
「退却」
という声が聞えた。
「退却、金千代っ」
竜作が立上った。
「退却?」
金千代が竜作の顔を見て、立上ろうとすると、近藤が走ってきた。
「退却ですか」
金千代が突立った。近藤が、頷いて金千代の顔をみると額から血が噴出して、たらたらと、頬から、唇へかかった。金千代は
「ああ||当った||やられた」
と、呟いて、眼を閉じた。竜作が
「やられた、
近藤は、自分の撃たれた時には、判らなかったが、すぐ眼の前で、他人の撃たれるのを見ると、すぐ
(準備を仕直して、もう一戦だ。このままでは戦えぬ)
と思った。口惜しさと、焦燥と、憤怒とで眼は輝いていたが
「土方っ、退却っ」
と、怒鳴って、手を振った。刀をさしているのが、馬鹿馬鹿しいようだった。二三十年無駄にしたような気になった。土方の方が俺より利口だと思った。
一寸振向くと、敵は、未だ、隠れたままで射撃していた。そして空に耳許に、頭上に、弾丸の唸りが響いていて、立木へ、土地へ、砂嚢へ、ぶすっぶすっと時々弾丸が当った。
(こんな物で、死ぬ?||そんな)
と、思って金千代を見ると、口を開けて、両手をだらりと、友人の膝の両側へ垂れていた。
「捨てておけ、馬鹿っ」
近藤は、弾丸に当って死んだ奴に、反感をもった。何うかしていやがると思った。
金千代は額から全身へ、
(俺はとうとう弾丸という奴をくったな)
と思った。
(だが、斬られるよりは痛くない。暗い、暗い、||竜作、もっと大きい声で||暗くて、大地が下へ落ちて行く、もっと、しっかり俺の手を握りしめてくれ||咽喉が渇いた||竜作||黙っていないで何か云ってくれ。俺は死ぬらしい||)
竜作は立とうとして、すぐ腹這いになった。そして、誰も見ていないのが判ると、そのまま四つ這で、周章てて、
勇は、後方に繋いであった馬の所へ行って、手綱を解いていた。丁度その時、
(今夜考えてみよう。俺は三十余年、剣術を稽古した。その俺より、百姓の鉄砲の方が効能がある。これは考え無くてはならぬ事だ)
勇は馬に乗った。そして真先に退却すると同時に、甲陽鎮撫隊は総崩れになって、吾勝ちに山を走り登りかけた。
竜作は、
(江戸へ逃げて行って||何うにかなるだろう。何うにも成らなかったら、鉄砲にうたれてやらあ、切腹するよりも
眼を上げると、近藤の姿も、土方の姿も無かった。