旅人のカクテール
眉毛と髪の毛がまっ白な北欧の女。頬骨が東洋風に出張っていてそれで西洋人の近東の男。坊主刈りでチョッキを着ないドイツ人。鼻の尖った中年のイギリス紳士。虎の毛皮の外套を着て、ロイド眼鏡をかけた女があったらアメリカ娘と見てよろしい||彼女はタキシードを着たパリジャンの美青年給仕を眼で追いながら、ふかりふかり煙草を吸っている。オカッパにウエーヴをかけない支那女学生が三四人、巧いフランス語で話し合っている。
並んだ顔を一わたり見渡して、成程、ヴァン・ドンゲンがいったカクテール時代という言葉を肯定する。
孔雀のように派手なシアーレが展げてある向う側の女物屋のショーウィンドウの前へ横町からシルクハットを冠ったニグロの青年と、絹糸のようにデリケートな巴里の女が腕をからんで現われた。
仲好三人
お
斜向うのイギリス銀行、ロイド・ナショナル・プロヴィンシアル・バンクの支店から出て来た髭の生えたプラスフォアのイギリス人が日当りの好さそうな卓を選んで席を取った。彼は女達には知らん顔で律儀に焼パンと紅茶を誂えた。
女達も彼には一向無頓着で、きゃっきゃっと笑い続けている。
ロンポアンから
ゆらゆらと風船でも飛ばしたい麗かさだ。みんながそう思う。期せずしてみんなが空を振り仰ぐ。そこにちゃんと一つ風船が浮いている。腹に字が書いてある。「春の香水、ヴィオレット・ド・バルム」気が利き過ぎて却って張り合いがない。
町並のシャンゼリゼーが並木のシャンゼリゼーへ一息つくところに道の落合いがある。
春は
「飴を塗った胡桃の串刺しはいかが?」
「
少女達がいろいろなサンドウイッチを手頃な荷にして、ギャルソン達の忙しいサーヴィスの間を、邪魔にならぬように詰った客の間を、売歩く。
「あの、桃の肉が溶けているイタリーのヴェルモットはありませんかしら」
と誂えて置いて、トオクを冠った女客がホールの鏡壁の七面へ映る七人の自分に対して好き嫌いをつけている。後向き、好き。少し横向き、少し好き。真横、好かない。七分身、やはり少し。では真向きの全身||椅子を直すふりして女客は立ち上った。が、真向きの一番広い鏡面は表のマロニエの影で埋まっている。白い花を載せた浅緑の葉や、赤い花を包んだ深緑の葉の影がかたまり、盛り上り、重なり合った少しまばらなところに、女客のトオクの先がわずかにちらついて写った。体の影はずっと奥の方へ追いやられて[#「追いやられて」は底本では「追ひやられて」]、表から出入する客達のきれぎれの影に刻み込まれた。
部屋一ぱいの男客、女客の姿態は
「巴里の消防署長が、火事のときに消防夫に給与する白葡萄酒を今度から廃めるそうですよ。」
「へえ、やっぱり節約からでしょうか。」
「いえ、あれを二本飲むと眠るものが出来て困るからだそうです。」
若い妻が老人の夫に嘆くそぶりで、
「いま巴里中であたしが一ばん不幸な女だろうと思うの。」
「なぜさ、なぜさ。」
「だって、お便通剤が一向利かないんですもの||。」
「ああ、またおまえのバレた冗談が、はじまったのか。」
外では、グラン・パレイの春のサロンから出て来た人がちらほら晩餐までの時間を持てあましている。
一人が道ばたの花園の青芝の縁に杖を垂直に立てて考えることには、
「ヒヤシンスはとても喫むまいが、チュリップというやつはこいつどうも煙草を喫みそうな花だ。」
並木の有料椅子のランデヴウ。無料ベンチのランデヴウ。
軽い水蒸気が、凱旋門からオベリスクの距離を実測よりやや遠く見せている。シャンゼリゼーの北側の店にこの間から展観されていた評判の夫婦乗軽体飛行機が売れたらしい。マロニエの茂みを分けて、紅色の翼が斜に往来へのっと現れた。その丁度向側の家が持主の代が変りそうだという評判を聞いて、その家は保存的価値のある建築であったので、美術大臣が
御心配御無用に御座候。この家は前持主に妾 が与えし愛の代償として譲られしものに御座候。ゆめゆめ粗略には致すまじく候。かしこ。
旧巴里の遺物
オペラの辻を中心に、左右へ展開する
テーブルの上へ、まだ活字が揮発油で濡れているパリ・ミデイの一版を抛り出して、キャフェの蕭条をまづ第一に味わいに来たのは
「このごろ西の郊外に出来る新住宅の様式は、あれは建築ではないね、あれは建築の骨組というものだ。造作は永久に取付けない||」
併せて彼はフランス主義者だ。カクテールを誂えているアメリカ娘に向っていう。
「御免下さいお嬢さん。巴里には
イタリー街の朝のキャフェの一つのテーブルにぐったり肱を落した絹襟巻の紳士は、マデレン寺院を中心に直径半マイルほどの円囲内に地潜っている賭博宿の一つから出て来たものだ。ニコチン中毒で冷たく乾燥した手の掌を頭の毛に摺りつけては、その触覚を取戻そうと努めながら口の中でいっている。
「十一番、十一番、十一番、十一番······。」
近ごろ Sanremo Casino の賭博室で、ルーレットが十一番に六回続けて当ったという事件があった。四回まで同じ人が張って五回と六回は人が代った。もし同じ人が六回まで張り通したら、カジノは七十万円ばかりの損になる勘定であった。
この噂がこの社会一般に伝わると、
白絹襟巻の紳士は、