ロシヤの盲目詩人エロシンコ君が、彼の六
「淋しいな、淋しいな、沙漠の上にある淋しさにも似て」
これは全く真実の感じだ。しかしわたしは
わたしは北京にいると、春と秋がないように感じるが、長く北京にいる人の話では、ここでは
ある日、すなわちこの冬の末、夏の初めの夜間であった。わたしはたまたま暇を得たのでエロシンコ君を訪問した。彼はずっと
「こんな晩だ」
と彼は言った。
「ビルマはどこもかしこも皆音楽だ。部屋の間、草の間、樹の上、みな昆虫の吟詠があっていろいろの音色が合奏し、いとも不思議な感じがする。その間に時々蛇の声も交って『シュウシュウ』と鳴いて蟲の声に合せるのではないか······」
彼はあの時の気分を追想するかのように想い沈んだ。
わたしは開いた口が塞がらなかった。こんな奇妙な音楽は、確かに北京では、未だかつて聴いたことがないのだから、いかに愛国心を振起しても弁護することは出来ない。彼は眼こそ見えないが、耳は
「北京には蛙の鳴声さえない······」
と、彼は嘆息した。この嘆息はわたしを勇猛ならしめ
「蛙の鳴声ならありますよ」
と、早速抗議を持出した。
「夏になって御覧なさい。大雨のあとで、あなたは
「おお······」
幾日か過ぎると、わたしの話は明かに実証された。エロシンコ君はその時もう、いくつかのお玉杓子を買って来た。買って来ると彼は
「エロシンコ先生、彼等に足が生えましたよ」と告げると、彼は非常に嬉しそうに
「おお······」
と、微笑むのであった。
それはそうと池沼を養成した音楽家エロシンコ君はたしかに一つの事業家であった。彼は本来みずから働いてみずから食うことを主張した。常に女は牧畜をなし男は田を耕すべしと主張して、たまたまごく親しい友達に逢うと彼は邸内に白菜の種を蒔けと勧めた。またしばしば仲密夫人に勧告して、蜂を飼え、
それから田舎者はしょっちゅうやって来て、一遍に何羽となく買ってもらう。というのは
小鴨はとても可愛らしい。身体じゅうが
エロシンコ君は本を教えに出掛けたので、皆そこを離れた。仲密夫人は鴨に食わせるために冷飯を持って来たが、遠くの方でパシャパシャと水音がしたので、行ってみると、その四つの鴨が蓮の池の中で行水をつかっていた。彼等はさかとんぼを打ったり、何か食べたりしていたようであったが、彼等が陸へ上ると、池の中はすっかり濁っていて、しばらく経って澄んだのを見ると、泥の中に何本かの蓮根が剥き出しに見え、その近辺にはもう足の生えたお玉杓子が一つも見当らなかった。
「エロシンコ先生、蟇の子がなくなってしまいました」
晩になって彼が帰って来ると、子供等の中で一番小さいのがせわしなく話した。
「おお? 蟇が?」
仲密夫人は出て来て、小鴨がお玉杓子を食べてしまったことを報告した。
「おや、おや」
小鴨の黄色い毛が褪せるようになってからエロシンコ君はたちまちロシヤの母親を想い出し、チタに向って

四方の蛙が鳴く時分になると、小鴨は十分成長した。二つは白、二つは
幸いにして仲密の屋敷の地勢は低地であったから、一度夕立が降ると庭じゅう水溜りになり、彼等は嬉しげに泳ぎ、もぐり、羽ばたきしてガアガアと叫ぶ。
現在また夏の末から冬の初めに変るところだ。しかしエロシンコ君からは絶えて消息がない。一体どこに行ってるかしらん。
ただ四つの鴨があるだけで、それがやはり沙漠の上でガアガアと叫ぶ。
(一九二二年十月)