これは、ある夏の涼しい晩に、ホワイト・ホースの樹の下にわれわれが腰をおろしているとき、ヌーヴィユ・ダーモンにある
死んだのは、わたしの可哀そうな親父ですが······。(堂守が話し出したのである)一生、墓掘りをやっていたのです。親父は気のいい人間で、そんな仕事をするようになったのも、つまりはほうぼうの墓所に働いている人たちと同じように、それが気楽な仕事であったからです。墓掘りなどをする者には「死」などという事はちっとも怖ろしくないのです。彼らはそんな事をけっして考えていないのです。たとえば私にしたところで、夜になって墓場へはいり込んでゆくくらいのことは、まるでこのホワイト・ホースの樹のところにいるくらいのもので、少しも気味の悪いことはないのです。どうかすると、幽霊に出逢うこともありますが、出逢ったところで何でもありませんよ。私の親父も自分の仕事については、私と同じ考えで、墓場で働くくらいの事は何でもなかったのだと思います。私は死人の癖や、性質はよく知っています。まったく坊さんたちの知らないことまでも知っています。私が見ただけの事をすっかりお話しすれば、あなたがたはびっくりなさると思いますが、話は少ないほうが
カトリーヌ・フォンテーヌは、親父が子供の時によく見かけたことを思い出していましたが、いい年の婆さんであったそうです。いまだにその地方に、その婆さんの噂を知っている老人が三人もいるそうですが、かなりその婆さんは知れ渡っている人で、ひどく貧乏であった割合に、またひどく評判のいい人であったようです。婆さんはそのころ、ノンス街道の角の||いまだにあるそうですが||、小さい塔のような形の家に住んでいまして、それは半分ほどもこわれた古屋敷で、ウルスラン尼院の庭にむかっている所にありました。その塔の上には、今でもまだ昔の人の形をした彫刻の跡と、半分消えたようになっている銘がありまして、さきにお亡くなりになりました聖ユーラリ教会の牧師レバスールさまは、それが「愛は死よりも強し」というラテン語だとおっしゃいました。もっとも、この言葉は、「聖なる愛は死よりも強し」という意味だそうです。
カトリーヌ・フォンテーヌは、この小さなひと間に独りで住んで、レースを作っていたのです。ご存じでしょうが、この辺で出来るレースは世界じゅうで一番いいことになっているのです。この婆さんにはお友達や親戚はなんにもなかったと言いますが、十八の時にドーモン・クレーリーという若い騎士を愛していて、人知れずその青年と婚約をしていたそうです。
もっとも、これは作り話で、カトリーヌ・フォンテーヌの日ごろのおこないが普通の賃仕事をしている女たちとは違って上品であったのと、
婆さんは聖者のような生活をしていました。一日のうちの大部分を教会で過ごして、どんな日でも毎朝かならず聖ユーラリの六時の聖餐祭の手伝いに出かけていたのです。
ある十二月の夜のことでした。カトリーヌの婆さんは独りで小さい自分の部屋に寝ていますと、鐘の音に眼を醒まされたのです。疑いもなく第一の聖餐祭の鐘ですから、
ここまで来ると、カトリーヌは教会の扉があいていて、たくさんの大きい蝋(燭の灯)が洩れているのを見たのです。歩いて教会の門を通ると、自分はもう教会のうちにいっぱいになっている会衆の中にはいっていました。礼拝者の人たちは見えなかったのですが、そこに集まっているのはいずれも
それらの人びとは少しの音もさせずに自分たちの席につきましたが、その動いている時、
カトリーヌはいつもの席についていると、司祭は二人の役僧をしたがえて、聖餐の壇にのぼるのを見ました。どの僧もみな婆さんの識らない人ばかりでしたが、やがて聖餐祭は始まりました。実にしずかな聖餐祭で、人びとのくちびるの動きは見えても、その声はきこえないのです。鐘の音もきこえません。
カトリーヌは自分のまわりにいる不思議な人びとの注目を受けていることを感じながら、わずかに顔を振り向けようとする時、そっと隣りを
「過ぎし日の私のお友達······そうして、私が女としてのすべての愛を捧げたあなたに、神様のお加護がありますよう······。神様は、あなたのお心にしたがった私の罪をついに後悔させようとなされましょうが、私はこんな白い髪になって、一生の終わりに近づきましても、あなたを愛したことはいまだに後悔いたしておりません。そこで伺いますが、この聖餐祭に集まっていられる、あの昔ふうの
騎士ドーモン・クレーリーは、
「あの男や女は、私たちが犯したような罪······動物的恋愛の罪のために、神様を悲しませた人たちです。
そこで、カトリーヌ・フォンテーヌは次のように答えました。
「もし私が、いつか森の中であなたに飲み水をさしあげた時のように美しくなれますなら、わたしは喜んで死にたいと思います」
二人が低い声でこんな話をしている間に、ひどく年をとった僧が大きな銅盤を礼拝者の前に差し出しながら、喜捨の金を集めに来ました。礼拝者たちは交るがわるにその中へ、遠い以前から通用しない貨幣を置きました。六ポンドのエクー古銀貨、英国のフロリン銀貨、ダカット銀貨、ジャコビュスの金貨、ローズノーブルの銀貨などが音もなしに盤のなかへ落ちました。その盤はついに騎士の前に置かれたので、彼はルイス金貨を落としましたが、今までの金貨や銀貨と同じように、これも音を立てませんでした。
それから、かの老僧はカトリーヌ・フォンテーヌの前に立ち停まったので、カトリーヌは
堂守はここで話を終わると、葡萄酒をひと息にぐっと飲みほして、しばらく黙っていたが、やがてまた、次のように話し始めた。
「わたしは親父が何度も繰り返して話して聴かせたのを、そのままお話し申したのですが、これは本当にあった話だと思います。それというのは、この話はすべてその昔に私が見知っている······今はこの世にいない人たちの様子や特別な風習に
幽霊のすがたになって、地のなかに埋めた金などを掘っているのは珍らしいことではありません。それと同じように、さきに死んでしまった夫が、あとに生き残って他人と結婚した妻を悩ましに来たりすることがあります。私は生きていた時よりも、死んでからいっそう自分の妻を監視している大勢の人の名前までも知っています。
こんなことはいけないことです。正しい意味からいえば、死人が嫉妬をいだくなどは
その不思議なことのあった翌朝、カトリーヌ・フォンテーヌは、自分の部屋で死んでいました。そうして、聖ユーラリ教区の役僧が集金のときに使った銅盤のなかに、二つの手の握り合った形をした黄金の指環がはいっていたのを発見したのです。いや、私は冗談などをいう男ではありません。さあ、もっと葡萄酒を飲もうではありませんか」