「奥さん、謝れなら謝りまんが、それぢやお宅の飼猫だすかいな、これ」
荷車
六月のむしむしする日の午後でした。私は大阪のある場末の、小学校裏の寂しい裏町を通りかかつて、ふとこんな光景を見つけました。
「いいえ、宅の猫ぢやありません。うちの猫だつたら、こんなとこに独り歩きなぞさせるもんですか。可哀さうに」
婦人のそばかすだらけの顔は、憎しみでいくらか曲つてゐるやうに見えました。小さな鼻の上には、脂汗が粒々になつて溜つてゐました。間違ヘやうもない、新聞の婦人欄でよく見覚えのある関西婦人||協会の幹事で、こちらの婦人界では顔利きの一人でした。婦人||協会といふのは、鮨万の板場から聞いた東京鮨の
「へえ、お宅の飼猫やないもんを、なんでまたわてがあんさんに謝らんなりまへんのだすか」
爺さんは、小猫が婦人のものでなかつたのを聞くと、急に気強くなつて、反抗的に唇を尖らせました。
「私にあやまれと誰が言ひました」
婦人は強ひて気を落ちつけようとして、
「そんなら誰にあやまるんだす。あやまる相手がないやおまへんか」
爺さんは
「いや、あります」婦人はきつぱりと言ひました。「この小猫にあやまらなくちやなりません」
「猫に」爺さんは思はず声を立てて眼を円くしました。「猫にあやまれなんて、阿呆らしいこと言ひなんな。わてかう見えても人間だつせ」
このとき、死にかかつた小猫は
そんなことに頓着のない二人は、哀れな小猫の死骸の上で元気よく喧嘩を続けました。婦人は言ひました。
「さうです。あなたは人間です。だからあやまらなくちやなりません。あなたが
荷車曳きの爺さんは、冷やかに答へました。
「さよか。そないお談義やつたら、また今度の折にしてもらひまつさ。わてらその日稼ぎだすよつて、忙しおますからな」
「それぢや、猫の子があまり可哀さうだとはおもひませんか」
婦人は
「まるで猫狂ひや」爺さんは
その瞬間、私は婦人の敵意ある眼をちらと顔に感じました。婦人はやがて腰を
「いい児だから、あなた方、この猫の子をどこかに埋めてくれない。お駄賃にこれをあげますから」
婦人の指の間には、五十銭銀貨が光つてゐました。子供たちは黙つて互ひに顔を見合せましたが、誰ひとり手を出さうとはしませんでした。
それを見た荷車曳きの爺さんは、また
「そんなだしたら、奥さん、わてに始末さしてもらひまつさ。もともとわての粗相から起きたことだすよつてな」
「お前さんにはお頼みしませんよ」婦人の顔はまた険しくなりました。「お前さんは、自分のした粗相をあやまらうとしなかつたぢやありませんか」
「あやまりまんがな。そない言はんかてあやまりまんがな」爺さんは
爺さんの手は、掻き払ふやうにして婦人の指さきから銀貨をもぎとりました。そして小猫の包を受け取るなり、それをがらくたの荷物の上に投げ込んで、梶棒を取るが早いか、がたびしと荷車を曳き出しました。
私は後を追ふともなしに車についてゆきました。路が横堀に出ると、爺さんは後に手を伸ばして
白い猫の包は、
〔昭和2年刊『猫の微笑』〕