一
彦山村から
晴れた初夏の昼過ぎて、新鮮な若葉の山は、明るい日光をうけて陽気に笑つてゐました。先刻から軒さきに突つ立つた高い木の枝にとまつて、鈴を振るやうな美い声で、ちんからころりと鳴いてゐた小鳥が、どこへともなく去つてしまつた後は、あたりはひつそりとして乾いた山路に落ちかかつたそこらの立樹の影が、地べたを這ふ音さへ聞かれさうな日でした。昼の仕度をすませた喜平は、何だかまだ物足りなささうな様子で、貧しい茶屋の店さきに渇いた眼をやりました。
「亭主、
「はい、出来立ての熬しがございます。一服立てて進ぜませうか」
「さうか。では早速頼む」
「承知いたしました」
茶店の爺さんは、やつとこなと
立てられた麦熬しの茶碗を手に取ると、喜平はまづそれを鼻さきに持つてゆきました。香ばしい新麦のにほひは眼にも泌むやうでした。喜平は子供の頃から出来立ての熬しのにほひを嗅ぐのが何よりも好きでした。夏が来るといつもそれを思ひ出しました。
茶碗に箸をつけた喜平は、その塩加減がひどく利き過ぎてゐるのに驚きました。
「
喜平は一箸ごとにさう思ひながら、ちびりちびりと嘗めるやうにしてそれを味はつてゐるうちに、いつぞや主人佐渡守に聞いた、石州産れのある坊さんの失敗話をふと思ひ出しました。この坊さんは、あるとき京都へ上つて土産に
「幸ひ京土産の香煎がある。一服立てて進ぜよう」
坊さんはかう言ひながら、得意さうに香煎のなかへ塩を加減して、それに湯をさして客に進めました。客は一口それに唇をあてると、その瞬間、主人の坊さんが香煎を取り扱ふのに、麦熬しを立てるのと同じ方法をとつたことに気がついたものの、さて笑ひ出すわけにもゆかず、鹹つぱゆさに唇が曲りさうになるのを辛抱しながら、やつとそれを食べ
「鹹つぱいな。坊さんの香煎もこんなだつたかも知れない」
喜平はこんなことを考へながら、やつと麦熬しを食べてしまひました。
「も一ついかがでございます」
「いや、もう沢山だ」
喜平は盆の上に茶碗を返しました。爺さんはそれをもつて、薄暗い流し元に入つてゆきました。
先刻から店先の物蔭でぐつすり昼寝をしてゐた飼猫は、急に起き上つて両脚を
見るともなく、喜平の眼はその小壺の上に落ちました。胴の締り
「何焼といふのかしら。茶入にしたらよかりさうだな。ともかくも熬し入にして、こんなところに捨てておくのは惜しいものだ」
喜平は腹のなかでさう思ひました。ふとした機会から掘り出されて、世間へ出た名器の出世話||聞き噛りにいろんな人から聞き伝へた、さうした話の幾つかが次から次へと思ひ出されました。
「運が向いてきたのかも知れない。ことによつたら、俺はこの小壺のお蔭で出世するかも知れないぞ」
喜平はまたかうも思ひました。そして畳付の工合を見直さうとして、この不思議な小壺をそつと古畳の上に置きましたが、勿体ないことでもしたやうに、慌ててまたそれを掌面に取りかへしました。
「亭主。亭主。無理なことを申すやうだが、この小壺な、これを拙者に譲つてはくれまいか」
喜平は薄暗い流し元に向つて呼びかけました。爺さんはのつそりと出てきました。
「小壺とおつしやるのは、熬し入れのことでございますか。はい、はい。承知いたしましたとも。お望みなら譲つて進ぜませう」
「譲つてくれるか。それは有難い。幾らにしてくれるな」
「こんながらくたをお譲りいたしたからといつて、別にお鳥目をいただくやうな親爺ぢやございません」
爺さんは飼猫の背を撫でながら言ひました。
「ぢやと申して、他人の持物を所望しておきながら、その代を払はぬといふ法はあるまいて」
喜平は笑ひながら爺さんの顔を見ました。爺さんは猫を自分の膝に抱き取りました。
「旦那様が御所望でございましたから、お譲り申したまでのこと、なんぼ売代をやらうとおつしやつたところで、商ひにせぬ品物には、売値のつけやうがございませぬ」
「強情な親爺だな」喜平の声はいくらか高調子になりました。「商ひにせぬ品物に売値はないといふのか。そんなら、たつて買はうとは言ふまい。その代り俺の持物と取り替へつこをするから」
喜平はかう言つて、腰に下げた胴乱をそこに投げ出しました。胴乱は鼠のやうな恰好をして、爺さんの膝元に転がりました。
「こんなものは要りませぬ」茶店の爺さんは胴乱を投げ返しました。
「いや、渡す。俺の面目にかけてもきつと渡してみせる」
二人は声をはげまして、負けず劣らず互ひに胴乱を投げ返しました。胴乱の中では散銭が苦しさうに泣き声を立てました。
先刻から爺さんの膝でころころと咽喉を鳴らしてゐた猫は、びつくりして飛び上りざま流し元の方へ逃げてゆきました。
「これ、これ。親爺どの。止しにさつしやれ。お客様との喧嘩は見つともなからうぜ」
だしぬけに陽気な笑ひ声が二人の背後から落ちてきました。喜平と爺さんとはびつくりして振りかへりました。そこに突つ立つてゐたのは、旅商人らしい一人の男で、三日にあげず、彦山から槻の木へ通つてゐるので、茶店の爺さんとは見知り越しの仲でした。
その男は軒さきに荷物を下ろして、ちよつと喜平に会釈しながら、自分はずつと内に入つて、亭主の爺さんと肩を並べて上り框に腰を下ろしました。そして煙草入れを取り出して、一服吸ひつけながら、いくらか照れ気味である二人の顔を見較べました。
「親爺どの。これはまたどうしたといふことだ」
茶店の爺さんは、喧嘩のいきさつを詳しく話しました。喜平はまたそれにつけ加へて言ひました。
「もともとこの小壺は、初めに拙者のはうから譲つてくれと切り出したことでもあるし、それにこれから長く自分の持物とするには、相当な価を払つた上でないと、気持が悪いしするから、ぜひ取つてくれといふのだが、······」
「いや、御趣意はよくわかりました」旅商人は大きく頷いて見せました。そして自分もこの場に来合せたからには、黙つてそのままには見過されまいと言つて、あらためて仲裁の口をききました。喜平と茶店の爺さんは、異議なくそれを承知しました。
「お客様がただ貰つたのでは、自分のもののやうな気がしないとおつしやるのだから、この小壺を末長く御自分のものにして持つていただくには、親爺どの、お前も我を折つてこれをお受けするがいいぢやないか」
といつて、旅商人は破けた古畳の上に転がつてゐた胴乱をとつて、爺さんの膝に置きました。爺さんはちよつと気むづかしい顔をしましたが、それでも別に押し返さうともしませんでした。
喜平は、小壺を抱いて外に出ました。高い樹の梢で初蝉が一つ鳴いてゐました。
二
喜平は、薬師峠の一軒茶屋で手に入れた小壺を、主人松井佐渡守の手もとまで差し出しました。
松井佐渡守といへば、細川家の家来のなかでは、聞えた世間知りの老巧者でした。豊臣秀次の没落当時、この関白から内々で金を借りてゐた大名方のうちには、その証文を奉行の石田三成に押へられて、大弱りに弱らされてゐた者も少なくありませんでした。早速返済しなかつたら、その証文は太閤の前に差し出されるかも知れない。万一そんなことにでもなつたら、家の破滅はきまつてゐることでしたから。
細川忠興もまた借手の一人でした。借りた金高は百両でしたが、早速の場合、百両の調達はなかなか容易ではなかつたので、忠興もさすがに弱りきつてゐました。
主人の難儀を見てとつた佐渡守は、かねて好誼の深い徳川家の本多正信を訪ねて、
「笑止至極なことでござるな。さだめし御難儀でござらう」
家康は即座に正信に言ひつけて、何番目かの
「その
正信が櫃のなかから二包の封金を取り出すと、家康はその封を切らせました。なかからは金子と一緒に年月日の書付が出ました。家康はそれを手に取つて、
「おう、もう三十年にもなるか······」
と、つくづくとその書付に見入つてゐましたが、しばらくしてやつと気がついたやうにその金子を佐渡守に渡しました。
「しからば、これに百両ござるから、早速
佐渡守は金子を受け取つて、丁寧に挨拶しました。
「まことにお礼の申し上げやうもない有難い仕合せに存じまする。追つて国許へ申しつかはしました上、あらためて越中守方より返上致させますでござりませう」
その言葉を押へるやうに家康は言ひました。
「いやいや、それは無用の沙汰でござる。この金子は表向へ申しつけて、お渡し申すこともできるが、それらのものに聞かせたうもなければこそ、かやうにして具足のなかより取り出したのでござる。この金子はこの場かぎりのこと、一切沙汰なし、沙汰なし」
かうして調達した金子のために、忠興は頭の上に落ちかかつた大厄からやつと免れることができました。家康を相手に安々と百両の金子を借り出してきたといへば、ただそれだけでも、松井佐渡守の老巧さ加減は推察できることと思ひます。
その老巧な松井佐渡も、利休七哲の随一と呼ばれた忠興の家に仕へながら、茶器の鑑定にかけては、目端が利くはうでもないので、そんなことには
佐渡守は喜平の手から小壺を受け取りました。その無表情な眼はこがね虫のやうにのつそりと小壺の胴を這ひました。
「瀬戸かな。いやさうでもないかな」佐渡守の言葉には、物に臆したやうなあやふやな愚かしいところがありました。しかし、その次の瞬間、喜平を振り返つて見た顔つきには、どこに隠れてゐたかと思はれるやうな「力」と「確かさ」とが強く出てゐました。「薬師峠の一軒茶屋で手に入れたと申しをつたな。幾ら払つてつかはした」
「はい、七十文||かと存じてをります」
「||かとは?」佐渡守は不思議さうに訊きました。
「胴乱ぐるみ置いて参じました。持合せは確かにそれくらゐございましたやうに心得てをります」
喜平はその日のいきさつを詳しく物語りました。
それを開くと、佐渡守は瀬戸の小壺などよりも、ずつと興味のあるものに接したかのやうに、声をあげてきさくに笑ひ出しました。
「はははは。その方にしては
その後間もなく、主人佐渡守から喜平に銭百文が下りました。喜平は二度それを数へてみましたが、一度目は確かに百文あつたのに、二度目は九十九文しかありませんでした。
「あれもやつぱり、がらくただつたのかな」
喜平はいつの間にか、小壺のことはすつかり忘れてしまひました。喜平に忘れられた小壺は、佐渡守の屋敷で、いろんなやくざな道具と一緒に、戸棚のなかに投げ込まれて、埃だらけになつてゐました。
三
その頃金森出雲守が、自分の所領飛騨国で、小壺狩といふことをして、珍しい肩衝の茶入を発見したことがありました。小壺狩といふのは、民家にそれぞれ持合せてゐる小壺を狩り集めて、そのなかから作柄の飛び離れて秀れたものを、御用の茶器として召し上げられることなのでした。
「自分には、茶の湯
といつて、涙を流したさうです。
また毛利元就が、
このやうに一国一城よりも、骨肉の生命よりも、茶器の価値が重く見られた時代ですから、名器の発見は、その大名にとつては、所領一箇国の加増といふことにもなりました。いや、それのみではありません。名器の発見には、自分の眼がねひとつで、凡器のなかから藝術品を選りぬき、「実用」から「美」を取り出すといふ楽しみがありました。この富と楽しみとを得たいために、金森出雲守は小壺狩といふことを始めました。
松井佐渡の主人細川忠興は、金森出雲守が山深いその領地から、世にも珍しい名器を掘り出したことを聞いて、もうぢつとしてゐられなくなりました。で、急に思ひ立つて自分でも、所領豊後国で小壺狩を催しました。
しかし、案外なことには、豊後からは何ひとつ秀れた器は発見せられませんでした。狩り集めた多くのなかから、その筋のものがこれならと選りぬいたものも、忠興の眼からしては、つまらない凡器に過ぎませんでした。忠興は自分の前に行儀よく列べられた、数多い小壺のどれを見ても、おろかしく無表情なのに驚きました。
「おれは、今になつて初めて、わが所領が出雲守の領国に比べて、遥かに大きいことを知つたぞ。さもないと、かやうに沢山な凡器が、かくまはれてゐるはずはないのぢや」
茶人としての失望を感じながらも、国守としての態度を失はなかつた、自分たちの主人の言葉に、皆は平和な笑ひを洩らしました。その時でした。松井佐渡守が戸棚の奥に忘れられてゐた、あの小壺を思ひ出しましたのは。
「殿、わたくし手許にも、かやうな小壺を一つ所持いたしてをります」佐渡守は、仲間喜平が薬師峠の一軒茶屋で手に入れた、小壺のいきさつを事細かに申し述べました。「
「作柄がつたないとは、誰が見てのことか」忠興は皮肉に訊きました。「佐渡、そちが眼では茶器の鑑定はむつかしからうぞ」
「恐れ入ります。でも、御覧に入れましたところで、お笑ひを蒙りますのは必定で······」
「
小壺は佐渡の屋敷からすぐに取り寄せられました。忠興は一目それを見ると、
「おう、これは······」
と言つたきり、そのまま座を立つて奥へ入りましたが、しばらくすると、礼服に着かへて出てきました。皆は不審さうな顔をして、ものものしい主君の身なりを眺めました。
「これは、名器に対する礼儀ぢや」
忠興は言訳らしく言つて、あらためて小壺を手に取り上げました。
かつきりした肩の張り、肩から胴へかけての照り、ふつくりした全体の肉もち、畳付の静かさ。||忠興の眼は、そんなものを貪るやうに味はつて、愉悦の飽満にこらへきれないやうでした。小壺に酔つたらしい、ほれぼれした主君の様子を、不思議さうに見まもつてゐる側近い人たちのなかで、一番驚いたのは松井佐渡守でした。自分が手にしたときには、見すぼらしい平凡な土器に過ぎなかつたものが、今主君の掌面に載せられてゐるのを見ると、うつとりと珠玉のやうに底光りを放つてゐます······
「天下一の瀬戸とはこれぢや。小壺狩でおれがさがしあてたいと思つたのも、これよりほかにはないはずぢや。佐渡、喜平とやらの眼がね羨ましく思ふぞ」
忠興は小壺を下において、その畳付を味はふらしく、またひとしきり眺め廻してゐた。
「············」
佐渡守は黙つてお辞儀をしました。この道具に対する自分の眼ききの不馴れから、こんな恥しい目を見なければならないのかと思ふと、物を言ふのが怖ろしくなつたのでした。
忠興は、かやうな名器を、山深い一軒茶屋から拾ひ出してきた喜平のほまれを思ふと、それが羨ましくなりました。自分がその道の巧者と家来の幾人かを使つて、大袈裟に国中を狩りつくしても、なほ見ることができなかつたものを、喜平は自分の眼ひとつで安々と
「仲間風情にしてやられて······」
さう思ふと、忠興は嫉妬に似た気持を抱かずにはゐられませんでした。
「殿には、いかうお気に召しました御様子、わたくし持ちましては冥加にあまる品、この小壺はこのまま御納戸に留めおかれますやうに」
さき方から忠興の様子をぢつと見てゐた佐渡守は口を出しました。
「いや、ならぬ。小壺はやはりそちの手許で秘蔵すべきものぢや」
忠興はうろたへ気味に、小壺に吸ひ付けられた二つの眼を引きちぎるやうに離して、並みゐる人たちのはうを見かへりました。その眼のうちには、憎悪と渇仰と嫉妬と愛着との焔が、ごつちやになつて痛々しさうに燃えてゐました。
四
その後間もなく、松井佐渡守は老死しました。瀬戸の小壺は遺言によつて、相続人の手から細川家に献上せられました。
「たうとうやつて参つたな」
忠興は前々から、こんな日が到来するのを予知してゐたかのやうに言ひました。そして物に憑かれたやうな眼つきをして、二重箱のなかから小壺を取り出して見ました。その後、佐渡守が手塩にかけていたはり通しただけあつて、置形の味はひには、以前にも増して心をひかれました。
「やはり、天下一の瀬戸ぢや」
さう思ふと、忠興はその次の瞬間には、もう仲間喜平の名を思ひ出してゐました。忠興にとつて、これはまるで宿命的な聯想でありました。
忠興は、父幽斎以来自分の家に秘蔵してゐる、数多い茶入のいろいろを思ひ出してみました。そして頭の中で、さうした伝来の器とこの小壺とを並べて、名品比べをしてみました。秘蔵のものには、文琳も、肩衝も、瓢箪もありました。口作り、肩の張り、胴の照り、露先のおもしろみ。||さういつたやうな部分部分の味はひには、それぞれ他の及び難い美しさと誇りとを持つてゐましたが、壺そのものの全体から光のやうに放射してくる「品格の高さ」と「器のたましひ」とになると、とてもこれとは比べものにならないやうに思ひました。
さういふ秀れた名器が、あらためて家のものになつたのだと思ふと、忠興は充分の満足を味はひました。しかし、広い世界に二人とはないはずの、この名器の発見者が、自分ではなくて、賤しい仲間風情であるのを思ふのは、彼自身にとつても、また器にとつても、一種の恥辱であるやうに忠興には感じられました。この小壺が秀れてゐて、それを見ると、いつも頭が下る気持がするだけに、忠興は仲間喜平の汗じんだ埃だらけな掌面に、自分の額を押へつけられてゐるやうな苦痛をさへ感じ出しました。
五
「もしや、おれの眼が低くて、
忠興はふとこんなことを思ひ出しました。亡くなつた松井佐渡の口からは、仲間喜平とやらは、茶道のはうには何の心得もない、無知なもののやうに聞いてゐた。そんな心得のないものが、ふとした機会で拾つてきたものを、自分が一目見て、
「天下一の瀬戸ぢや」
と口を極めて賞め立てたとしてみると、今日まで茶道の巧者として、自らも他人も許してゐたものの眼が、無知なもののそれと偶然一致したといふよりも、ことによると、その巧者として許されてゐたものが、案外道の入り立ちが浅く、眠が低かつたせゐだつたかも知れない。||と忠興は思ひました。さう思ふと、彼はわが眼に自信が持てなくなりました。
「一度古田
忠興はかう思ひきめました。そして織部の一言で、自分の眼が低いか高いかがきまるのだ。高いときまつた場合には、自分は今まで通りわが眼に自信を持つことができるが、仲間喜平の名前は、いつまでも悪夢のやうに自分につきまとふに相違ない。もしまた低いときまつた場合には、自分は喜平の悪夢から遁れることはできるが、その代り名器と自信とを
六
古田織部は、つくづくと見入つてゐた眼を、木の枝から果物をもぐ折のやうに、
「これこそ、真実天下一の瀬戸と拝見いたした。稀代の名器、随分珍重なされたがよろしからうと存じます」
織部は、いかにも感に堪へたやうに言ひました。
それを聞くと、忠興はほつとして、自分の眼に間違ひはなかつたなと思ひました。それと同時に、またしても仲間喜平の名が、鉛のやうな重さをもつて、心の上にのしかかつてくるのを覚えました。しばらくして織部はまた言ひました。
「······随分珍重なされたがよろしからうとは存じますが、御当家ほどの御家で、瀬戸のみの珍重もいかがなれば、この上に
唐物の名物||この一語を聞くと、忠興の胸は、急に日光がさしたやうにぱつと明るくなりました。
「さうぢや。唐物の名物をもとめよう。さうして思ふさまこの瀬戸を抑へつけることぢや」
忠興の心は、勝利の予期をもつて、雀のやうに小躍りしました。
忠興は、間もなく古田織部の手を経て、黄金二千枚を払つて、唐物の名物「
〔昭和2年刊『猫の微笑』〕