一
ご
一太刀で仕止めた死骸から、スルスルと胴巻をひっぱり出すと、中身を数えて苦笑いをし、
(思ったよりは少なかった)
でも
歌麿が描いた時もそうだった。衣裳は俺が買ってやったものだった。春信が描いた時もそうだった。
豊国が今度描くという。
どうしても俺が買ってやらなければ。
新樹、つり
その月光に半面を照らした、三十郎の顔は鼻が高いので、その陰影がキッパリとつき、美男だのに変に畸形に見えた。
足もとの血溜まりに延びている死骸||手代風の男の死骸にも、月光は同じように射していた。まだビクビクと動いている足が、からくりで動く人形の足のように見えた。
「とうとうあのお方は憑かれてしまった。お気の毒に、お可哀そうに」
ずっと離れた石燈籠の裾に、
(わしはあのお方がこれで三人も、人を殺したのを見たのだが、幾人これから殺すのだろう。······でもこれは人事ではない。わしが変心していなかったら、あのお方のようになっていただろう)
そんなように心で思った。
「これで
こう云いながら
隅田川に向いている裏座敷の障子が、一枚がところ開いていて、時々白帆の通るのが見えた。
額がすこし高かったが、それがかえって愛嬌になり、眼が眠たげに細かったが、それがかえって情的でもある、
(この人微禄の身分だのに、随分派手にお金を使う)
こう云う不安があったからである。
いつも
「ねえ」
とおきたは甘えた声の中へ真面目さをこめて男へ云った。
「無理な算段などなされずにねえ」
「大丈夫だよ、大丈夫だよ」
今日も浅草随身門内の、水茶屋難波屋の店に立って、おきたは客あしらいに余念なかった。
来る客来る客が噂して褒めた。
「左の手に
などと云うものがあるかと思うと、
「襦袢の
こう云って褒めるものもあった。
||容色極メテ美麗ニシテ愛嬌アフルルバカリナリ。茶代ノ少キ客トイエドモ軽ク取リ扱ワズ、況ンヤ多ク恵ム者ニオイテヲヤ。||
と書かれたおきたであった。どの客にも愛想よく接した。今日はわけても褒められるので、心うれしく立ち振る舞った。
と店先を人々と
二
「あ」
とおきたは口の中で叫び、急いで店先きまで小走って行き、その新発意を見送った。
新発意は幾度となく振り返った。
(またあのお方が通って行く。······似ている。······いいえ
恋しい人······憎い人······秘密を知られた人······弥兵衛様······今は新発意||その人のことが彼女の心を、この日一日支配した。
「おきた、わしはもう駄目だ。わしはもう江戸にはいられぬ」
いつもの船宿へおきたを呼び出し、貝塚三十郎はそう云った。おきたの心を喜ばせるため、幾度となく辻斬りをし、金を取ったことを感付かれ、手が廻ったということを、云いにくそうに三十郎は云った。
おきたは黙って聞いていたが、
「妾も江戸を売りまする。ご一緒に連れて行ってくださりませ」
と云った。
その後も例の新発意が、絶えず店の前を通ることや、絵双紙屋で自分の一枚絵を買っていた姿を見かけたことなどを、心のうちで思いながら、そうおきたは云ったのであった。
奥州方面へ落ちようとして、三十郎とおきたとは夏の夜の、家の軒へ蚊柱の立つ時刻に、千住の宿を出外れた。
三十郎は満足であった。明和年間の代表的美人、春信によって一枚絵に描かれ、江戸市民讃仰のまとになったところの、笠森お仙や
もうすっかり満足していた。
おきたも満足しているのであった。
尋常の人とは夫婦になれない、そういう身分の自分であった。それが微禄とはいいながら、徳川直参の若い武士と、夫婦になることが出来るのである。
(茶汲み女として
どんなによいかと思われるのであった。
宿を出外れると松並木で、人通りなどはほとんどなく、夜啼き蝉の滲み入るような声が、半かけの月の光の中で、短い命を啼いていた。
その時
あたりに気を置く
網代の笠を傾けて、おきたを見つめながら例の新発意がすぐの
「あ」
おきたは三十郎へ縋った。
「あの坊主を殺して······そうでなければ······妾は······お前とは······添われぬ! ······添われぬ! ······」
抜き打ちにしようと三十郎は、刀の柄へ手をかけた。
(わしは殺される、わしは殺される!)
と、そのとたんに源空は観念した。
するとその瞬間に過去のことが、一時に彼の脳裡に浮かんだ。
三
二十五の時の弥兵衛であった。お伊勢様へ抜け参りをした。どうしたものか三河の国の
屋敷の主人は弥兵衛のために、驚くばかりの馳走をし、茶菓を出し酒肴をととのえ、着飾った娘のおきたをさえ出し、琴を弾かせて
こういうことが縁となり、弥兵衛とおきたとは恋仲となり、おきたは弥兵衛へあけすけに云った。
「妾を連れて逃げてくださりませ」と。
大家のお嬢様で眼覚めるような美人と駈け落ちをして夫婦になる、これは決して弥兵衛にとって、迷惑のことではなかったが、伊勢参宮を済ましていなかった。女を連れての神詣で、これはどうにも気が済まなかったので、
「帰途かならず立ち寄って、その時お連れいたしましょう」
弥兵衛は娘へそう云った。
男の真実がわかったと見えて、
「お待ちいたします」
と娘は云った。
参宮を済まして帰って来た弥兵衛は、村口の駄菓子屋で菓子を買いながら、それとなく例の屋敷のことを、そこの主人に訊ねて見た。
「大金持ちではございますが、犬神のお頭でございましてな、素人の衆は
そう菓子屋の
弥兵衛は顔色を失って、そのまま屋敷へは立ち寄らず、
犬神! それは「とっつき」とも云い、その種族の者に見詰められると、見詰められた者は病気になるか、財を失うか発狂するか、ろくなことにはならないというので、誰でもが
「犬神に憑かれたらおしまいだ」
そう人々は云いさえした。
その種族の娘と
が
娘と恋仲になった日に、母が悶死したということであった。
弥兵衛はすぐに出家してしまった。そうして諸国を
と、おきたが茶汲み女として、美貌と艶姿とで鳴らしているのを見た。
恐怖と懊悩とが彼の心を焼いた。
彼は毎日難波屋の前を、往来しておきたを眺めたり、彼女の愛人として知られていた、貝塚三十郎の後をつけたりした。
おきたを写した一枚絵を、それからそれと買いもした。
死を前にしてこれだけのことが、弥兵衛||源空の記憶に上った。
(わしも結局
いやそうではないそうではない! ······そんな小さな問題ではない! ······
そこで彼は大声で叫んだ。
「わたしは快く死にまする! さあさあお斬りくださいまし!」
彼は立ったまま合掌し、眼をつむって静まっていた。
でもいつまで待っていても、刀が彼の身へは触れなかった。
そうして彼が眼をあけた時には、おきたと三十郎との姿は見えず、
このことが絶好の
(あの時どうして三十郎のために、わしは命を取られなかったのだろう?)
という、そういうことであった。
しかしもし彼が雲水となって、奥州塩釜の里へ行き、なにがしという尼寺を訪ね、
法均は人へこう話すそうな。
「わたしが難波屋おきたといって、浅草の境内におりました頃、あるお侍さんに誘われて、道行きをしたことがございました。するとわたしたちの後をつけて、それ以前にわたくしと縁のありました、若い新発意が追って参りました。そこでわたしはお侍さんに勧めて、新発意を殺させようといたしました。ところがどうでしょうその新発意は、街道に立って合掌し、『わたしは快く死にまする。どうぞお斬りくださいまし』と、こう申したではありませんか。それはまアどうでもよいとして、そう云いました時の新発意の姿が、浅草寺にある仏様の、ご一体そっくりに見えましたので、わたくしはお侍さんの袖を引いて、いそいで逃げてしまいました。ところが貝塚[#「貝塚」は底本では「見塚」]三十郎という、そのお侍さんの眼には新発意の姿が||俗名は弥兵衛、法名は源空||その人の姿がこれも仏様の、不動明王に見えましたそうで、『わしの過去の罪業を不動様が責めるわ責めるわ』と云って、間もなく狂死いたしました。そこでわたしは仏門に入り」······と。
||けだしあの時源空が、人間無差別の悟りに徹し、死を覚悟した尊い態度[#「態度」は底本では「熊度」]がおきたや三十郎の心を打って、死をまぬかれたものらしい。