一
安政五年九月十日の、
「吉之助様、何分ともよろしく」
「村岡様、大丈夫でごわす」
と、二人のお方は言葉すくなに、そのようにご挨拶なさいました。その間ご上人様にはただ無言で、雲の裏に
「ご上人様、おすこやかに」
と、こう村岡様がおっしゃいますと、
「お
と、たいへん寂しいお言葉つきで、そうご上人様は仰せらました。
行き過ぎてから振り返って見ましたところ、まだ村岡のお
それから私たち三人の者は、ご上人様のご懇意の
すると有村
吉之助様と同じように、薩州様のご藩士で、勤王討幕の志士のお一人で、吉之助様の同士なのでございます。
「さて上人の
と吉之助様はこうおっしゃって、人並より大きい切れ長の眼を、ご上人様へ据えられました。
すると
「竹の笠に墨染めの
と、眉の迫った精悍な顔へ、こともなげの微笑を浮かべながら、そう吉之助様へおっしゃいました。
「それには上人は立派すぎるよ。
「なるほど、優しくて婦人のようでもあるし」
「高僧の姿そのままで、駕籠に乗って行くが無難じゃろう」
「途中で疑がわれて身分を問われたら?」
「薩摩の出家じゃと申せばよか」
「それにしては言葉がちとな」
「師の坊は幼少より京都におわし、
「なるほど、上人の
「
と吉之助様が、その瞬間に恐ろしいお声で、こう俊斎様を叱咤なされました。
「月照上人は近衛殿から、
力士陣幕に似ているといわれる、肥えた大きなお躰を、いつものんびりと
(いったいどうなることだろう?)と、私は小さくなって見ていました。
でも何んともなりませんでした。吉之助様に対しますると、弟のように柔順な俊斎様が、
「これは
と、こう
「
と、気の毒そうに云ったからでした。
この間ご上人様は何もおっしゃらず、透きとおるほど白いお顔の色、
ご上人様を上等のお駕籠にのせ、私たち三人がご警護して、竹原様のお
二
駕籠の前方半町ばかりの先を、俊斎様が警戒して歩き、吉之助様が駕籠
こうしてとうとう京の町を出はずれ、竹田街道へさしかかりました。と先を歩いていた俊斎様が、足早に引っ返して参りまして、
「
と、吉之助様に
「さよか」と吉之助様はおっしゃいまして、しばらく考えておられましたが、「
私も驚きましてございますが、俊斎様も驚いた様子で、首を一方へ
茶屋というのは
そこへ駕籠が据えられました。
と、不意に吉之助様が、
「あんまり早く起こされたので、わッはッはッ、この眠いことはどうじゃ。渋茶なと
と、大きな声で云われました。
すると
「俺は酒じゃ、
と、これも大声で云われました。
捕吏らしい様子の者が十二、三人と、早立ちの旅人らしい者が五、六人がところ、土間にも
駕籠は門口へ据えられたのでした。
往来を警戒するかのように、捕吏たちの多くはその門口に、かたまって立っていたのでしたが、その真ん中へ駕籠を据えられ、吉之助様や俊斎様に、そんなような態度に出られましたので、疑惑を起こさなかったばかりでなく、むしろ
そこで私たち三人の者は、駕籠をその場へ
と、この茶屋の娘らしい女が、茶をついだ湯呑みを盆にのせて、人混みの中を分けるようにして、ご上人様の駕籠の方へ歩いて行きかけました。
その時声が聞こえましたっけ。||
「ちょいと娘さん
綺麗な張りのある声でした。
門口に近い柱に
「ではおねがいいたします」
茶屋の娘がこう云い云い、差し出した盆を片手で受け取ると、その女はそれを持って人を分けて、
ご上人様の駕籠に近寄ったのでした。
何がなしに不安を感じまして、私はハッといたしましたが、吉之助様も俊斎様も、同じように不安を感じられたと見えて、顔を見合わせましてございます。
といってどうすることも出来ませんので、私たちはじっと見詰めていました。
駕籠へ近寄りますとその女は、何か云ったようでございます。すると駕籠の扉が細目に開いて、ご上人様の手が出ました。湯呑みを取ろうとなされたのでしょう。女の手にしても珍らしいほどの、白い細い柔かい、指の形などのいかにも上品な||とんと形容しようもないほどに、お美しいお手でございました。
と、どうでしょうそのご上人様の手先を、
(あッ)と私が思いましたとたんに、吉之助様が腰を上げました。手を刀の
三
その次に起こった出来事といえば、ご上人様が手を引かれたことと、それについて女が半身を泳がせ、駕籠の扉へもたれかかり、扉の間から顔を差し入れ、ご上人様のお顔を見たらしいことと、その拍子に湯呑みが盆から落ちて、地面へ茶をこぼしたことでした。
吉之助様は門口まで突き進んでいました。
でももうその時にはその女は、湯呑みと盆とを両手に持って、こちらへ引っ返して来ていました。
「とんだ粗相をしたってことさ」
土間へはいると伝法な口調で、でもいくらか恥じらった様子で、こうその女は申しましたっけ。
「
で、わたしはホッといたしまして、胸をなでおろしましてございますが、不意にその時わたしの横手で、
「おいどうだった?」
という男の声が、
四十そこそこらしい旅姿の男が、ご上人様へお茶をあげた例の女の
「駕籠の中のお方はご婦人だよ」
これが女の返事でした。
ご上人様を京都から抜け出させて、薩摩へ落とすよう計らいましたのは、近衛殿下なのでございます。井伊様がご大老にお成りになられるや、梅田源次郎様や池内大学様や、山本槇太郎様というような、勤王の志士の方々を、追求して捕縛なさいまして、今後も捕縛の手をゆるめそうもなく、そこで以前から勤王僧として、
竹田街道の
「重助さん、ご苦労だねえ」と、こう云ったではありませんか。
わたしはハッとなりドキリとして、早速には言葉も出ませんでした。
「あのお方の手、綺麗だねえ」
「············」
「綺麗な手のお方をお送りして、重助さん遠くへ行くんでしょう」
「············」
「だからご苦労と云っているんだよ」
「女ってもの変なものでねえ、男の何んでもないちょっとしたことに、くたくたになってしまうものさ。たとえばその人の足の
「············」
「八百八狸も名物だけれど、でも四国にはもっと凄いものが、名物となっている筈だよ。
「············」
「でも犬神もこんなご時勢には、ご
四
わたしとその女とは突っ立ったままで、話しているのではありませんでした。わたしが
「でもねえ」とその女は云いつづけました。「そういう女が裏返ると、かえって力になるものでねえ。······綺麗なあの手に触れてからというもの、わたしは、そうさ、犬神の娘は。······それはそうと、ねえ重助さん、向こうにどんな奴が
「へい、竹田街道の立場茶屋で。······」
「ああそうさ、あの時の女さ。······では重助さんさようなら」
こういうとその女は私からはなれて、先へ小走って行ってしまいました。
(このことは吉之助様や俊斎様へ、お話した方がよいだろうか? それとももう少し封じておこうか?)と、思案のきまらない心持ちで、私はノロノロ歩いて行きました。
するとすぐに駕籠に追いつかれました。
距離がはなれていたためか、私とその女とが話していたことが、吉之助様たちには解らなかったらしく、どなたも何んともおっしゃらなかったので、わたしも黙っておりました。
わたしたちは進んで行きました。
すると柳の老木があって、濃い影を地に敷いておりましたが、そこに十数人の人がいて、こっちをじっと窺っていました。それがどうやら捕吏らしいのです。
「どうしよう?」と俊斎様が囁かれました。
「かまわん」と吉之助様がおっしゃいました。
「船はもう眼の先にある。面倒になったら叩っ切れ」
「斬ってはならんとおはん申したが。······」
「時と場合じゃ、今はよか。······斬り払って上人を船に乗せるのじゃ。乗せてしまえばこっちのものじゃ」
「斬りたいの。久しく斬らん」
「そういう心がけで斬ってはよくない」
「フ、フ、フ、なるほどそうか」
捕吏らしい人影の前まで来ました。
にわかにそいつらが動き出し、五、六人が飛び出そうといたしました。
するとさっきの女の声でした。
「妾アお供の
地面に近い二尺ばかりの宙に、小指で朱を
とうとうわたしたちは船の
そこでご上人様を駕籠から出し、真っ先に船へ乗せまして、わたしたちもつづいて乗りました。
「上人船へお寝なされ」
そう吉之助様がおっしゃいました。
云われるままにご上人様が、つつましく船底へ横になりますと、吉之助様は自分の羽織を脱がれ、その上へ素早くお着せになり、
「さあ
「駄目ですよ、出せませんねえ」
と、不意に一人の
「なアおいお
するともう一人の若い
「こんな深夜に坊様を乗せて、船を出すとは縁起が悪い。そうともよ船は出せねえ」と、合槌を打つように云ったものです。
「黙れ」と俊斎様はお怒りになり、鋭いしかし
こうおっしゃって刀の柄へ、もう手をかけておられました。
でも船夫たちはますます図太く、
「へえ、斬るとおっしゃるので。ところがあっしたち斬られませんねえ。水の上ならこっちが得手で、刀を抜いてお斬りになるのが早いか、あっしたちが水へ飛び込むのが早いか、物は
「水へ飛び込んだらいよいよ得手だ、船なんかすぐにもひっくりかえして見せる」
と、こう口々に云うのでした。
「よか、まアまアそう申すな」
吉之助様は
「これで機嫌を直してくれ、約束の他の当座の酒手じゃ」と、なだめるように申したことです。
五
ところがどうでしょうそうあつかっても、船夫たちは云うことを聞こうとはしないで、
「酒手が欲しくて云っているのではごわせん、
「船に坊主は禁物でしてね」
「それに
「坊主は縁起が悪いんで」
と、どうしたものかだんだん声高に、坊主坊主とそう叫んで、岸の上の方を見上げるのでした。
さすがの吉之助様もこの様子を見られて、これはいけないと感じられたのでしょう、チラッと俊斎様へ眼くばせをされ、素早く刀の柄へ手をやられましたが、その時岸の上に女の姿があらわれ、
「船頭さん模様変えだよ、その人たちには用はないのさ。早く船を出しておあげ」
と、綺麗な声で云うのが聞こえて来ました。申すまでもなく例の女なのです。ところがどうでしょうそう云われましても、
「
「藤兵衛の親分さんにご依頼受けたんですからねえ······」
「現在坊主が······」
と口々に云って、
「お黙り!」と女は癇にさわったような声で、「このお綱がいいと云ってるのだよ、そうさいいから船をお出しって······」
「しかし姐ご、現在坊主が······」
「餓鬼め!」
とたんに女の片手が、髪の辺へ上がりました。
「ギャーッ」
まるで
最初から頑強に反対していた船夫の、三十五、六の肥り
「出せ船を!」
「出さねば
「同じ運命だぞ、命がないぞ!」
見れば吉之助様と俊斎様と、そうして北条右門様とが、抜き身を差しつけ船夫たちを取り巻き、そう叱

グ||ッと船は中流へ出ました。
さてわたしたちを乗せた小倉船は、八昼夜を海上についやしまして、
どうでしょうこの頃になりますると、ご上人様追捕の幕府の手が、いよいよ厳しくなりまして、行くところに捕吏らしい者の姿が、充ち充ちておるというありさまであり、その人相書も各地に廻されていて、これを捕えて申し出る者には、恩賞は望みに任すとまでの
六
さてこの頃のことでございますが、ある日私は五反麻を出、福岡ご城下へ用達しに行きました。そうして夕暮れになりました頃、斗丈様の庵室へ帰ろうと思って、その方へ足を向けまして、ご城下はずれまで参りました。歩きつかれておりましたので、道端の石へ腰を下ろして、しばらくぼんやりしておりましたっけ。この辺は人家もたいへんまばらで、その家々も小さなもので、全体がみすぼらしく眺められましたが、私の眼の前にある家ばかりが、一軒だけ立派で宏壮でした。巡らされてある土塀も
「おや?」
とわたしは思わず云いましたっけ。
その雨戸が細目に開いて、そこから手が一本あらわれて、何かを庭へ捨てたようでしたが、すぐにまた引っ込んで、雨戸もすぐにとざされたからです。
(あの屋敷、空家ではなかったのか)この意外さもありましたが、しかしそれよりも雨戸の間から出た、白い細い上品な手||肘の上までも袖がまくれて、二ノ腕の一部をさえあらわした手が、見覚えあるように思われたことが、わたしに「おや」と云わせたのです。
(ご上人様のお手に相違ないんだがなア)
女にもなければ男にもない、何んともいえず綺麗で上品で、
(あれはたしかにご上人様のお手だ。······でもしかしご上人様があんなところにおられる筈はない)
この疑惑に苦しんで、わたしはしばらく途方にくれていました。と、その時わたしの
ふり返って見ますると五十歳ぐらいの、墨染めの
「
すると尼僧様はわたしを見、それから屋敷の方へ眼をやりましたが、
「あああのお屋敷でございますか、あれは世間普通のお方とは、
と、大変清らかな沈着なお声で、そうお答えくださいました。
「世間普通のお方と
「それはねえこうなのです。そのお方が何かを欲しいと思って、それを持っている人を見詰めた時、その人がそれを与えればよし、与えない時にはその人の身の上に、恐ろしい災難が落ちて来るという······」
「ああではとっつきなのでございますね」
「そう、ある土地ではとっつきと云い、あるところでは
「犬神

竹田街道の立場茶屋や、土佐堀の岸で逢った例の女のことを、忽然思い出したからでございます。
「でもあの屋敷はずっと長い間、空家になっているのですよ」
と、そう
「いえ、ところが、雨戸が開いて、たった今綺麗な手が出たのです」と、私は云い云い腰を上げました。
でも尼僧様は何んにも云わないで、わたしのことなど忘れたかのように、少し足早に五反麻の方へ、歩いて行っておしまいになりました。
それでもわたしはなお未練らしく、眼の前の屋敷を見ていました。すると土塀の正面の辺に、頑丈な大門がありまして、その横に
(やはり空家ではなかったのだな)こう思いながらわたしはその男へ近寄り、
「ちょっと物をおたずねいたします」と、こう声をかけました。
「何んですかい?」とその男は云いましたが、わたしの顔をすかすようにして眺め、変に気味悪く笑いました。
七
その笑った男の顔を見て、わたしはヒヤリといたしました。竹田街道の立場茶屋で、「おいどうだった?」とお綱という女に向かい、声をかけたところの男だったからです。
「何か用ですかい」とその男が云って、もう笑顔を引っ込ませ、怪訝そうに訊きかえしました。
「いいえ······ナーニ······なんでもないんですが······お見受けしましたところあのお屋敷から······」
「あの屋敷がどうかしましたかな?」
「いいえ、ナーニ、何んでもないんですが······空家だと思っておりましたところが、あなた様が
「綺麗な手? なんですかそいつは?」
「
「ナニ、千木のたててある建物から、綺麗な上品の手が出たんだって」と、その男はひどく驚いたように云って、その建物を振りかえって眺めましたが、「何を馬鹿らしいそんなことが。······お前さんあそこはあらたかな所でね、ある一人の女の他は、誰だってはいれねえところなのさ。······はいったが最後天罰が······だが待てよ、そこから手が出た? とするとあの女の手なんだろうが、
後の方はまるで
「馬鹿な、そんなことがあるものか! ······それはそうとオイ重助さん、五反麻の
「え?」とわたしはギョッとしましたが、「へい······何んでございますか」
「あのお方たっしゃかい」
「え? へい······あのお方とは?」
「ご上人様のことよ、しらばっくれるない」
「············」
「アッハッハッ、まあいいや。······おっつけお眼にかかるから」
云いすてるとその男は飛ぶような早さで、町の方へ走って行きました。
道々考えにふけっておりましたので、斗丈様の庵室へ行きついた時には、
と、どうでしょう手近のところから、
「おや!」と思わず云いましたっけ。
と、生垣と植え込みとによって、こんもり囲まれている庵室を眼がけて、数十人の人影がどこからともなく現われ、殺到して行くではありませんか。
(捕吏だ!)と私は突嗟に思いました。(ご上人様を捕えに来た捕吏たちだ!)
そう思った私を裏書きするように、
「方々捕吏だ、捕吏でござるぞ!」と叫ぶ、斗丈様の狼狽した声が聞こえて来ました。
それに続いて聞こえて来たのは、戸や障子の仆れる音、捕吏たちの叫ぶ詈り声などで、その捕吏たちが庵室へ駈け上がり、奥の方へ乱入して行く姿なども、影のように見えました。わたしは夢中で走って行きました。
でも庵室の縁の前まで行った時、抜き身を
(ああとうとうお捕られなされた?)
と、私は眼をクラクラさせ、地面へ膝をついてしまいました。
そういう眩んだわたしの眼にも、ご上人様の片袖を握っている男が、竹田街道の立場茶屋で逢い、そうしてたった今しがた、怪しい屋敷の前で逢ったところの、例の男であることがわかりました。
何んという無礼な男なのでしょう、その男は不意に手をあげて、ご上人様の冠っておられた黒の頭巾を、かなぐりすてたではありませんか。
「あっ」
わたしも驚きましたが、捕吏たちもすっかり胆をつぶし、叫んだり喚いたり詈ったり、座敷から庭へ飛び下りたりしました。
突然笑い声が爆発しました。
右門様が抜き身を頭上で振りまわし、躍り上がりながら笑ったのでした。
「ワッハッハッ、思い知ったか!」
「だから拙者申したのじゃ」と、右門様の笑い声に引きつづき、総髪の
「人違いじゃ、粗相するなと。······平野次郎
内外森然としてしまいました。
おおおおそれにしても何んということなのでしょう、ご上人様と思っていたそのお方は、さっき方怪しい屋敷の前で、わたしが物を訊ねましたところの、尊げな
八
「庵の内は申すに及ばず、庵の外の心あたりを、くまなくおさがしいたしましたが、どこにもおいでござりませぬ」
こう斗丈様はおっしゃるのでした。
誰もが一言も物を云わず、不安と危惧とを顔に現わし、溜息ばかり
とうとうわたしは我慢出来ずに、思っていることを云ってしまいました。
「お城下外れにある犬神の屋敷に、どうやらご上人様は監禁あそばされておると、そんなように思われるのでござります」
||それからわたしは出来るだけ詳しく、例の屋敷の建物の一つから、ご上人様の手だと思われる手が、雨戸の隙から出たということを、四人のお方に申しました。四人のお方は半信半疑、まさかと思われるようなお顔をして、黙って聞いておりましたが、
「ああそれだからあの時重助さんは、あんなことをわたしに訊いたのですね」と、望東尼様が仰せになり、「まさかそのような犬神の屋敷などに、ご上人様がおいでになろうとは思われませぬが、といってここに思案ばかりして、
「それがよろしい」と平野国臣様が、すぐにご賛成なさいました。
「疑がわしきは調べた方がよろしい」
「では拙者も参るとしましょう」こう右門様もおっしゃいました。
斗丈様ばかりを庵へ残し、わたしたち四人が五反麻を立って、犬神の屋敷へ向かったのは、それから間もなくのことであり、
「まず拙者が」と云いながら、北条右門様が土塀を乗り越し、内側から
「静かに! ······いる、誰かいる。······それも大勢いるらしい」
植え込みの間を分けながら、千木の立っている建物の方へ、わたしたちが数間歩きました時、囁くような声で国臣様は云われ、にわかに足を止められました。
「北条氏、北条氏、貴殿には望東尼様を警護されて、ゆるゆる後からおいでくだされ。······重助おいで、わしと
そこでわたしは国臣様とご一緒に、先へ進んで行きました。手入れをしないからでありましょう、植え込みは枝葉を林のように繁らせ、雑草は胸まで届くほどにも延び、それが夜露を持ちまして、手や足に触れる気味の悪さは、何んともいいようがありませんでした。
「重助、あぶない、伏せ、地へ伏せ!」
国臣様が小さいお声で、でも叱

わたしはすぐに地へ寝ました。
寝たまま見ている私の眼の前を掠めて、二人の男が木蔭から飛び出し、左右から豹のように国臣様を目がけて、組みついて行くのが見てとられました。
つづいてわたしの眼に見えましたのは、飛鳥のように国臣様が飛び退き、瞬間片足を蹴上げたことと、それに急所を蹴られたのでしょう、一人の男が呻き声をあげて、あおのけざまに仆れたことと、しかしもう一人の男の方が、もうその時は国臣様の体へ、
「重助来い!」
「へい」
「向こうだ!」
木立のあなた遙かの向こうに、ぽっと火の光が射していましたが、その方へわたしたちは走って行きました。
千木のたててある建物が立っていて、その門の戸があいていて、そこから火の光が射していて、その前に十数人の人影がいて、何やら叫んでおります姿が、わたしたちの眼に見えました。
そうしてそれらの人々の背後に、丘のような
九
彼らは捕吏の一部でした。さっきかた斗丈庵へ押しよせて来た、その捕吏の一部でした。そうしてその中に例の男||竹田街道の立場茶屋や、この屋敷の門前で逢い、斗丈庵では望東尼様の頭巾を、かなぐりすてましたところの例の男がいて、それが屋内に呼びかけていました。
「お綱、出て来い! ヤイ下りて来い!」
でも屋内からは返辞がなく、森閑としておりました。
「来ないか、来なければ俺が行くぞ!」
またその男は叫びました。
しかし依然として屋内からは、何んの返辞もないらしく、森閑としておりました。
「行きな、親分、とり逃がしたら事だ」
「姐ごは心変わりしたんですぜ。······今ではあべこべに敵方で。······ですから親分踏み込んで行って······」
集まっている捕吏の口々から、そういう声々が叫ばれました。
「うむ、そいつは知ってるが、ここは
「あらたかもクソもあるものですかい。あっしたちの手入れの先廻りをして、お尋ね者を連れ出して、かくまっている姐ごじゃアありませんか。よしんばそいつが親分の
「そうともよ、見遁がせねえなあ」
「そいつを愚図愚図しているようなら、目明し文吉の兄弟分、三条の藤兵衛とはいわせませんぜ」
「うるせえヤイ!」と藤兵衛という男は、突然怒り声をひびかせましたっけ。「そうまで手前たちにいわれちゃア。······お綱、いよいよ下りて来ねえか、よーしそれじゃアこっちから行く! ······手前たちここに待っていろ、俺ひとりで踏み込んで行くから」
藤兵衛という男の勢い込んで、
「重助、行こう、さあこの隙に!」
国臣様が走り出しましたので、わたしもついて走りました。
しかし
肩から


「
と国臣様が叫び、はじめてお腰の刀を抜かれ、左の袖で蔽うようにされ、上がり
「まだ懲りぬか! ここへ来てはならぬ!」
と、そういうのが聞こえて参りましたが、つづいて何かが投げつけられました。
「············」声も出されずわたしはへたばってしまいました。肩から

へたばったままで顔を上げて、奥の部屋を見た時のわたしの恐怖は! おお何んと云ったらいいでしょうか! ともかくもわたしの一生を通じて、忘れられないものでございました。
一匹の巨大な白犬が、人間の男を抱きすくめ、その
犬神の娘のお綱という女が、

でもどうしたらそのご上人様を、この恐ろしい犬神の
十
と、その時わたしの横を、しずかにしっかりと通って行く、人の気配を感じました。わたしたちの後から上がって来られた、野村望東尼様でございました。(あッ、あぶない!)とわたしは驚き、声をあげようとしました時には、もう望東尼様はご上人様の
と、訓すような憐れむような、しかし凛々しい望東尼様のお声が、すぐに続いて聞こえて来ました。
「女の心は女が知る、お前様のお心持ち、この望東にはよくわかります。しかし月照上人様は、お前様一人のお方ではござりませぬ。この
犬神の娘の
「今日の昼頃奥の座敷にいると、さも悲しそうな女の声で、ひっきりなしにわしを呼ぶのじゃよ。そこでわしは行ったのじゃよ。夢のような心持ちでのう。······はッと人心地のついた時には、あの祈祷所に坐っていたのじゃよ」
「あのお綱という犬神の娘は、何をご上人様になされましたので?」
「ただわしの手をしっかりと握って、撫でたりさすったりしたばかりじゃよ」
「ご上人様には一度雨戸をあけて、お手を出されたようでございますが?」
「あまり撫でられたりさすられたりしたので、手がどうかなりはしないかと思って、あの
||考えてみますれば犬神の娘が、犬神の法力でご上人様を、斗丈庵から誘い出したばかりに、斗丈庵で捕吏にとらえられるところを、お助かりなされたのでございます。
でもその後におけるご上人様の、おいたわしいお身の上というものは! 何んと申してよろしいやら、涙あるばかりでございます。
「
するとどうでしょう薩摩藩の情勢が、吉之助様たちのご努力にかかわらず、佐幕論に傾きまして、ご上人様を薩摩藩でかくまうことを、
義に厚く情にもろい吉之助様が、なんでご上人様を見殺しにしましょう。その結果が十一月十五日の夜、ご上人様と吉之助様とが、恋人同志のように相擁され、薩摩潟にご投身され、吉之助様は蘇生なされましたが、ご上人様はそのままお
「大君のためには何かをしからん薩摩の瀬戸に身は沈むとも」これがご辞世でございます。
でも、おおおお、わたしといたしましては、それもこれも犬神の娘の、狂気じみた恋にひきずられて、はいったが最後恐ろしい運命が、落ち下るという犬神の祈祷所へ、ご上人様がおはいりなされました、その結果ではあるまいか? ······いえいえ、いえそんなことが!
でもやはり私には······。