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河馬

中島敦




   河馬の歌


うす紅くおほにひらける河馬の口にキャベツ落ち込み行方知らずも

ぽつかりと水に浮きゐる河馬の顏郷愁ノスタルヂアも知らぬげに見ゆ

この河馬にも機嫌・不機嫌ありといへばをかしけれどもなにか笑へず

赤黒きタンクの如く並びゐる河馬のめすをすわれは知らずも

水の上に耳と目とのみ覗きゐていぢらしと見つその小さきを

     ×    ×

わが前におほき河馬の尻むくつけく泰然として動かざりけり

無禮なめげにも我がの前にひろごれる河馬のゐしきのあなむくむくし

ゐさらひのたゞ中にして三角の尻尾かはゆし油揚のごと

これやこのナイルの河のならはしか我に尻向け河馬はまりする

事終り小さき尻尾がパシヤ/\と尻を叩きぬ動きこまかに

丘のごともり上る尻をかつ/″\も支へて立てる足の短かさ

三角の尻尾の先端さきゆ濁る水のまだしたゝりて河馬は動かず


   狸


春晝しゆんちうの靜けきまゝにしまらくは狸のつらの澁きをよみ

わらに驚き顏の狸はもショペンハウエルに似たりけらずや

(だま)すなどたれがいひけむ瞞されて身を嘆きなむ狸のつら


   黒豹


ぬばたまの黒豹の毛もつや/\と春陽はるびしみみに照りてゐにけり

思ひかね徘徊たもとほるらむぬば玉の黒豹いまだ独りならし


   マントひゝ


マント狒は身長三尺余、毛は長くして白色。純白のマントをまとへ

るが如し。但し面部と臀部のみ鮮かなる紅色(桃色に近し)を呈す。

銀白の毛はゆたかなれどマントひゝ尻の赤禿包むすべなし

マント狒の尻の赤さに乙女子は見ぬふりをしてににけるかも


   白熊


あふ向けに手足ひろげて白熊の浮かぶを見ればのどかなりけり

白熊の白きを見ればアムンゼンきてかへらぬむかし思ほゆ


   眠り獅子の歌


何時いつ見ても眠るよりほかにすべもなきライオンの身を憐れみにけり

らちもなきざまにあらずや百獸の王の日向に眠れる見れば

うと/\と眠れる獅子の足裏あなうらに觸れて見たしとふと思ひけり

海越えてエチオピアより來しといふこのライオンも眠りたりけり

うつゝなきの鼻先に尻を向けこれも眠れりめすのライオン

が國の皇帝みかどもすでに蒙塵もうぢんと知らでやもは(專)ら獅子眠りゐる


   仔獅子


獅子の仔も犬の仔のごと母親にふざけかゝるところがされけり

肉もだ締らぬ仔獅子首かしげ相手ほしげに我が顏を見る

親獅子は眠りたりけり春のに屈託げなる仔獅子の顏や


   駱駝(らくだ)


生きものの負はでかなはぬ苦惱くるしみの象徴かもよ駱駝の瘤は

やさし目の駱駝は口に泡ためて首差しのべぬ柵の上より


   孔雀の歌


よく見れば孔雀のまなこ切れ上り猛鳥まうてうさうあり/\と見ゆ

印度(インド)なる葉廣はびろ菩提樹の蔭にしてひろげ誇らむこの孔雀とり羽尾はね

いと憎き矜恃ほこりなりけり孔雀はも餌を拾ふにも尾をいたはりつ

六宮リクキウ粉黛ふんたいも色を失はむ孔雀一たび羽尾はねひろげなば


   縞馬


縞馬の縞鮮かにラグビイのユニフォームなど思ほゆるかも


   ペリカンの歌


ペリカンは水の浅處あさどに凝然と置物のごと立ちてゐるかも

ゆあみして櫛梳くしけづりけむペリカンの濡れたるはね桃色細毛ももいろほそげ

舶來の石鹸のも匂ひなむうす桃色のペリカンの羽毛はね

ペリカンのつぶら赤目を我見るにつひに動かず義眼いれめの如し

長嘴ながはし下の黄なるたるみもしぼみたりふくらむものと我は待ちしに


   禿鷲


プロメトイスさいなみにけむ禿鷲も今日は寒げに肩を張りゐる

アンデスの巖根いはねこゞしき山のの鋭どき目かもコンドルの目は

ジャングルに生ふる羊齒草しだくさえびかづら間なくし豹はたちもとほるを

短か布留ふる神杉かんすぎカンガルー春きたれりと人招くがに

春の陽にが短か手を千早ぶるカンガルーは耳を掻かんとするか

去年こぞ見しと同じきすみに石亀は向ふむきたり(ほこり)を浴びて


   山椒魚


山椒魚は山椒魚らしき顏をして水につかりゐるたゞ何となく


   鶴


あさりする丹頂の前にしまらくは目守まもりたりけり心すがしく

水浅く端然と立つ鶴痩せて口紅くちべにほどのとさかあか


   火喰鳥


火くひ鳥火のみか石も木も砂も泥も食はんずつら構へかも


   ホロホロ鳥


ホロホロとホロホロ鳥が鳴くといふ霜降色の胸ふくらせて


   駝鳥


障碍ハードル容易やすく越ゆべし汝が脚の逞しくして長きを見れば

何處(どこ)やらの骨董(こっとう)てんみせさきで見たることあり此奴こやつの顏を

なに故の長き首ぞも中ほどをギユウと掴めばギヤアと鳴くらむ


   大蛇


うね/\とくねりからめる錦蛇一匹ひとつにかあらむ二匹ふたつにかあらむ


   大青蜥蜴とかげ


口あけば大青蜥蜴舌ほそくせん々として※(「火+稻のつくり」、第4水準2-79-88)せいえんはし


   再び 山椒魚について


山椒魚は山椒魚としかなしみをもてるが如しよくよく見れば


   麒麟(きりん)の歌


黒と黄の縞のネクタイ鮮やけき洒落者みやびをとこと見しは僻目ひがめ

春の夜のシャンゼリゼェをマダム連れムッシュ・ヂラフがそゞろ歩むも

社交界の噂なるらむ麒麟氏が妻をかへりみ何かいふらしき

山高ダービイも持たせまほしき男ぶり麒麟しづ/\と歩みたりけり

泥濘ぬかるみけて道行く禮裝の紳士とやいはむ麒麟の歩み

隙もなき伊達男ダンデイぶりやワイシャツの汚れもさぞや気にかかりなむ


   ハイエナ(鬣狗)


死にし子の死亡屆を書かせける代書屋に似たりハイエナの顏は


   カンガルウ


力無きばつたごとも春のに跳び跳びてをりカンガルー二つ

柵内さくうちすな乾きゐて春風しゆんぷうにカンガルー跳躍とびのさぶしも


   熊


立上りゐやする熊が月の輪の白きをでて芋を與へし

熊立てば咽喉の月の輪白たへの蝶ネクタイとわが見つるかも


   象の歌


年老いし灰色の象の前に立ちてものうきまゝに寂しくなりぬ

象の足に太き鎖見つ春の日に心重きはわれのみならず

心はれぬさまに煎餅を拾ひゐる象はジャングルを忘れかねつや

     ×    ×

子供一人菓子も投げねば長き鼻をダラリブラリと象徘徊たもとほる

花曇る四月の晝を象の鼻ブラリ/\と搖れてゐたりけり

徘徊たもとほる象の細目ほそめさか諦觀あきらめの色ものうげに見ゆ

この象は老いてあるらし腹よごれ鼻も節立ふしだち牙は切られたり

象の顎に白く見ゆる毛こはげにて口にはよだれたゝへたるらし


   鰐魚わにの歌


さきつ年アフリカゆ來し鰐怒りを食はずして死ににけりとぞ

ゆゑもなく處移されて知らぬ人の與ふる食を拒みけむかも

飢ゑにし鰐の怒りを我思ふわれのいかりに似ずとはいはじ


   蝙蝠(こうもり)


小笠原の大蝙蝠は終日ひねもすを簑蟲のごとぶら下りたり

晝をさかさ蝙蝠よく見ればずるげなる目をあいてゐにけり

手の骨の細く不気味けうとき蝙蝠はひねこび顏に何をたくらむ


   穴熊


うつし世をはかなむかあはれ穴熊はをりの奧にべそをかきゐる

穴熊の鼻の黒きに中學の文法の師を思ひいでつも

穴熊の鼻の黒きが気になりぬ家に歸りていまだ忘れず


   雉


春の陽を豊かに浴びてさつ鳥雉子きぎしもはら砂浴びてゐる

家つ鳥かけの匂を思ひけり野つ鳥きじの小舍の前にして


   (ふくろう)


何處いづこにかが古頭巾忘れ來し物足らぬなれの頭の

大きなるおどけまなこの中に見えぬとへば哀れなりけり


   猪


藁屑と泥にまみれてぼやきつゝゐのしゝの口うごめきあさる


   カメレオン


日に八度やたび色を変ふとふ熱帶の機會主義者オッポチュニスト(青き魔術師)カメレオンぞこれ

蠅來ればさと繰出くりいだすカメレオンの舌の肉色瞬間に見つ

長く圓き肉色の舌ひらめくやカメレオンの口はたと閉ぢけり

カメレオンが木に(すが)りゐる細き尾のくる/\と卷く卷きのおもしろ

カメレオンの胴の薄さや肋骨もみどりなす腹に浮きいでて見ゆ


   (う)の歌


豆州稻取海岸にて

山直ちに海に崩れ入る岩の上に飛沫浴びつゝ鵜は立ちてゐる

我が投げし石はとどかず崖下の氷雨ひさめしぶかふ荒磯の鵜に

たちまちに海黒み來ぬいはの上の鵜の聲風に吹消されつゝ

雨まじり吹く風強み岩の鵜はつばさ收めてこらへてをるも


   鸚鵡(おうむ)の歌


まどろみゐてふと眼をあけし赤羅あから鸚鵡我を見いでて意外気おもはずげなり

緋衣ひごろも大嘴おほはし鸚鵡我を見てまたものうげに眼をとぢにけり

娼婦たはれめ衣裳きぬを纒へる哲学者鸚鵡眼をとぢもの思ひをる

いにしへの達磨大師に似たりけり緋衣曳きてものを思へば

眼をとぢて日にぬくもれる緋鸚鵡の頬の毛けていた/\しげなり

緋に燃ゆる胸毛にくちを挿入れて鸚鵡うつ/\眠りてゐるも

麻の實をついばむ鸚鵡かたへなる我を無視してひたみに

はしと嘴く動きつゝま黒の鸚鵡の舌はまるまりて見ゆ

麻の實の殼を猛烈にはじき飛ばす赤羅裳あからも鸚鵡ひたむきなるを

年老いし大赤鸚鵡はねさきの瑠璃色なるが伊達者めきたり


   小蝦(こえび)の歌


||土肥海岸所見||

潮ひきし岩のくぼみの水溜り許多ここだ小蝦の影ひそみゐる

飴色にに透きとほる小蝦らの何か驚きにはかに乱る

幾多ここだくの小蝦隱れし砂煙やがて靜まり水澄みにけり

砂煙の砂の一粒一粒が音なく沈み蝦隱れけり


   黒鯛の歌


||土肥釣堀にて||

巖陰いはかげはさ青に透り黒鯛の尾鰭白々とあやしくかへ

洞窟に光は入らず黒き水の湧くが如くに黒鯛るる


   仔山羊の歌


あた川の浜に一匹の仔山羊あり

海に向ひてしきりに啼く

その聲あはれなりければ

荒濱に仔山羊が一つ啼きてをりあはれ仔山羊は何をりする

大島も黒雲がくり隱れけり仔山羊は何を見らむとすらむ

曇り日の海に向ひて立ち啼ける仔山羊は未だ角みじかかり

潮風にみじかき髯を吹かせゐる仔山羊の眼ぬち哀しと思ふ






底本:「中島敦全集2」筑摩書房


   2001(平成13)年12月20日初版第1刷発行

※()付きのルビは編集部の付したもので、編集部の方針により現代仮名遣いになっています。

※「機會主義者オッポチュニスト(青き魔術師)」の「(青き魔術師)」は底本では「機會主義者」の左側に注記されています。

入力:桑田康正

校正:小林繁雄

2005年1月20日作成

青空文庫作成ファイル:

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●表記について