戻る

ふらんすの女

岸田國士




マダム用応接間にて


 ||あなた、旦那さんのどういふところに、一番感心してゐらつしやる?

 ||上手ぜうずに嘘をつくところ。

 ||············

 ||あの人の嘘は、それや嘘らしくないの。だから、だまされてゐながら腹は立たないの。



或る日の朝


 ||出て行けつたら出て行け。

 ||出て行きますとも······後悔するんぢやありませんよ。

 ||後悔なんかするもんか。

 ||もう後悔してるくせに······



海岸にて


 ||ねえ、あなた、あたしを愛してる?

 ||うむ、愛してるよ。

 ||たくさん?

 ||うむ、たくさん。

 ||きつと?

 ||うむ、きつと。

 ||こんだ、あたしにいて頂戴。

 ||なんて?

 ||あなたを愛してるかどうか。

 ||ぢや、お前、僕を愛してるかい?

 ||えゝ、愛してるわ。

 ||どれくらゐ?

 ||これくらゐ············(接吻しようとする)

 ||まあ、待つてくれ。言葉でさ。

 ||言葉で············ぢや、死ぬほど。

 ||············

 ||············

 ||どつちが?



波止場にて


 ||ぢや、六ヶ月ね、きつと?

 ||大丈夫だよ。それより長くなるやうだつたら呼び寄せるから············役所の方にもその話はしてあるんだ。

 ||六ヶ月でも永いわ。(ハンケチを眼にあてながら)それ以上待たせたら、どんなことになるか、あたし保証しないことよ。

 ||(心の中にて)神よ、われを護り給へ。



劇場の廊下にて


 ||細君は?

 ||細君は旅行中だ。

 ||············

 ||例のと一緒にさ。

 ||············

 ||吾輩かい············? 君、吾輩のボツクスを見なかつたかい?



サロンにて


 ||君の近作を読んだよ。大したもんだね。

 ||さうか。奥さんはいかゞです。読んでくださいましたか。

 ||えゝ、拝見しましたわ。あなたの詩は、あなたほど面白くないのね。

 ||ひどいなあ。

 ||あたしたちにはよ。



地下電車メトロの中にて


 ||さ、どいて下さい。それは車掌専用の腰掛けです。

 ||君が立つてゐる間だけ借りたんだよ(しぶしぶ立ち上る)

 ||一寸の間、ね、いゝでせう(腰かける)

 ||いけません、それや············

 ||(腰かけたまゝ)今日はね、ムウドンの親戚へ用があつて行つたんだけれど、行きも帰りも立ちどほし······くたびれちやつた。

 ||わたしも立ちつゞけです。

 ||ほんとにね、車掌さんも楽な商売ぢやないわね。

 ||好きでやつてるんぢやありませんや。

 ||あたしだつて好きでメトロなんかへ乗るもんですか。

 ||(もぢもぢしながら)どこまでおいでゞす。

 ||終点までよ。(間)あんたは、何時だつて腰掛けられるぢやないの。



電車の停留場にて


 ||また満員らしいわ。

 ||こら、びしよびしよ、あたしの帽子、あなたのも······

 ||足が凍えさうね、あたし、泣きたい。

 ||アルマ、アルマ······お降りの方はありませんか。はい、お早く······二等は満員······一等お二人さんだけ······

 ||(片足を踏段にかけたまゝ)どうする?

 ||もう一台待ちませう。



公園のベンチにて


 ||あなた、あたしの許嫁をどう思つて?

 ||どうとは?

 ||かう、見たとこ······

 ||さうね、しつかりした方ね。

 ||それだけ?

 ||でも、優しさうだわ······妬くわよ。

 ||だあれ、あの人?

 ||············

 ||(夢みるやうな徹笑)さうか知ら。



或る日曜の午後


 ||ジヤン、あたしも連れて行つて。

 ||駄目だよ、お前なんか······すぐ泣いちまふから······

 ||今日はきつと泣かない。うそだつたら百度接吻してあげるわ。

 ||いらないやい、そんなもの。来るんぢやないよ。アンリエツト。今日は男の子ばかりで遊ぶんだから······

 ||男の子ばかり······つまらないぢやないの、女の子も、一人ぐらゐゐなくつちや······



庭の一隅にて


 ||まあ、お嬢さまがた、こゝにいらしつたんで御座いますか。あの、奥様がお召しでいらつしやいます。

 ||だあれ、来てるのは。

 ||だれつて、訊かなくつてもわかつてるぢやないの。

 ||御存じなんでございませう。

 ||姉さん、行つてらつしやいよ、姉さんに用があるんだから······

 ||うそばつかし······。いや、あんたも来なくつちや。

 ||あたしはいや。

 ||ぢや、行かない。

 ||もうお帰りになるところで御座いますよ。

 ||姉さんは行かないのね。そんなら、あたしが行くわ。



商館の売場にて


 ||Bちやん、いゝわね、一寸、あのスタイル。

 ||誰かさんに似てやしないこと、どうせ。

 ||むろん。

 ||あ、お腹が痛い。(急に)は、手袋でございますか、お安いところを、ビヤン・ムツスイウ!



ギャルソニエールにて


 ||よく来て下さいましたね。

 ||来たわ、また棄てられる気で······

 ||冤して下さい。

 ||そんなこと云ひつこなし。あなた、ちつとも変らないのね。

 ||心だけは入れかへました。

 ||このつぎ入れかへるまで、可愛がつて頂戴。

 ||いやだなあ。

 ||また「いやだなあ」が始まつたわね。(間、いきなり立ち上り)何か飲まして······



雨の夜


 ||ねえ、アンリイ、一寸こゝへおいで。

 ||また「お祖母さんが若い時には······」だらう。

 ||なるほど、お前たち若いものに、若い時分の話でもあるまい。······といつて、今のお祖母さんに、どんな話ができやう。



××にて


 ||あたしの宝······あたしの愛······あたしのキヤベツ······あたしの好きな好きな、いとしいいとしい人······あたしの狼······あら、いや、そんないたづらをしちや······豚!



之を要するに


 ||(夫の靴下を編みながら)それで、あなた方は、どうしようつておつしやるの。

 ||だから、われわれ女は、力を併せて、男の圧制から脱しなければならないのです。

 ||圧制つて、どんなこと。

 ||(靴下をちらと横目でにらみ)女を自分の都合のいゝやうに作り上げたことです。

 ||それはお互ひぢやないの。

 ||とにかく、われわれは、すべての点で、男の位置まで自分たちを引き上げなければなりません。

 ||(眼を編棒の先からはなさずに)おや、男つて、そんなにえらいもの?






底本:「岸田國士全集19」岩波書店


   1989(平成元)年12月8日発行

底本の親本:「言葉言葉言葉」改造社

   1926(大正15)年6月20日発行

初出:「女性 第六巻第四号」

   1924(大正13)年10月1日発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:tatsuki

校正:門田裕志

2009年9月5日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。





●表記について