ファルギエール通りの貸本屋で、「マリイへの御告」を借りて来て、それをモンパルナスの墓地で読んだ||クロオデルを初めて知つたのはその時である。
ボオドレエルの死像の前に菫の花束などが置いてあつた。
なるほど、これは違つた世界だ||さう思つた。
やがて、喪服を着た若い女の、つゝましい瞬きに心を惹かれた。
||然し、その女は「天刑病者の
アール・エ・アクシヨンのスチュヂオで、ララ夫人の「正午の分配」を聴いた。
それは一つの啓示であつた。
||そこに、劇詩人としての「非凡な
俳優の「人間臭さ」は、しばしば、その扮する人物を「人間らしさ」から遠ける。
クロオデルの戯曲中に現れる人物は、極めて「人間臭からざる人間」である。
それが、最も「人間らしき人間」だと、どうして云へないだらう。
||その証拠に、彼等はわれわれの如く生きてゐる。
少くとも、その時から、わたくしの心に生きてゐる。
||Seigneur, que nous


彼は予言者であるよりも詩人だ。
||それでいゝではないか。
わたくしは嘗て「芝居を書くと云ふことのうちには、芝居を観る楽しみも大方含まれてゐる」と云つた。
クロオデルの戯曲を読んで、「クロオデルが観つゝある芝居」のユニックな魅力を感じないものがあらうか。
「我等の偉大なるクロオデル」とフランス人の或るものは云ふ。
「君等の偉大なるクロオデル」とわたくしは云ふことができる||お世辞でなく、皮肉でなく、まして見栄からでなく。
クロオデルが日本に来た。仏国大使として日本に来た。
||諸君、彼に先づ瞑想の時間を与へよう。