国語問題はもはや論議の時代を過ぎて、着着実践の時代にはひつてゐると云つていいが、私はなほこの問題の含む領域が一層広からんことを望んでゐる関係上、あらゆる方面に於ける意見が出つくして、そのすべてを解決にみちびくやうな方策が国家としてとらるべきだと信じてゐる。局部的な、或は本末を考へない主張の乱立、対峙をこの際一応吟味整理して、真にわれわれの日本語を豊かな純な、力強いものにする責任を国民全体の念願として果したいものである。
朝日新聞社の『国語文化講座』の企ては、さういふ私の考へをみたしてくれる事業のひとつであつて、われわれの「言葉」を愛し、これを厳しく育ててゆかうとする熱意ある同胞諸君の指針となるものであらうと思ふ。